独立モデルの逆の極限として完全相関モデルを想定するなら、全体の確率は、(対象の増田が関わり得る範囲で)最も割合の小さい条件の確率に一致する
18時には7割以上、人が帰っている職場。
「稼げなくていいから楽したい」というモットーで就活を行った自分の目に狂いはなかった。
繁忙期でも20時を過ぎることはなかった。3月にもう一波来るらしく、それはちょっと怖い。
家に帰って飯を作り、風呂に入ってもまだたっぷりと余暇を楽しむ時間が残されている。
貧乏と時間不足から脱出できて、去年の自分はきっと今の自分を羨むだろう。
周りの人も親切で、すごく良い精神状態でいられている。
ブラック企業の実態みたいなニュースに影響されて、社会人になることに対して臆病になっていたが、全然だった。
悪いことばかり報道しすぎなのではないか。
その理解は結構深刻に間違っているので、俺のことが嫌いなのはわかるけど、君のこれからの人生を考えると本気で矯正した方がいい。
追記読んでください。
「その傾向が崩れると思えない」と「その傾向を示すモデルしか知らない」を混同している。
で、その辺を補正するとどうなる?
どーでもいいが、元増田の「小遣い2万円」って「交際費・服飾費を含めた趣味や遊びに使う金が2万円くらい」と言う意味であって
所謂サラリーマンの小遣い(妻に渡される金)とは意味違うだろ。
後者の意味でも、人によって用途をどこまで含めるかが違うので金額だけ見ても比較出来ない。
昼食代も定期代も全部「小遣い」からで2万円と、それは全て別扱いで純粋なる趣味代として2万円では全く違うからね。
交際費も職場の強制飲み会代まで含めるか、職場は除外で友人と遊ぶ時のみか、で違うわな。
服飾費だってカジュアルOK職場とスーツ必須職場じゃかかる金が全然違う。スーツ代は必要経費として家計からという場合もある。
まあそうなんだろうけど、それを踏まえた上で、すっごく大雑把にものを俯瞰したとして、
条件を設定する
設定に従って選別する
条件が多いほど選ばれないものが増加する
という基本法則が崩れるとは思えない。
試験管 洗うの大好き 菱沼さん
横からすまんが
そんなこと誰でも分かっているだろうが
だからって黙ってたら何も進まんやのないか
それで反論になると思ってるということは、統計学を本当に理解してないということの裏付けにしかならない。
国民全体をガウスで記述するモデルを個人の振る舞いにそのまま適用する無意味さは、まさにmore is differentというところ(ググるように)。
でもすでに書いたけどこれを素人が理解するのは無理だと思う(現象をモデル化するという訓練をそれなりに積んでいないと厳しい)。
物事というのは君が想像している以上に複雑なんだということを理解してくれると嬉しい。
良い事例を思いついたからヒントをあげよう。
例えば、俺の身の回り(会社、家族、友人関係)では喫煙率は高く見積もって5%程度だ。
これが土方のあんちゃんとかだったら8割とか9割とかになるだろう。
自分が関わり得る範囲でのモデルは国民全体のモデルとは大幅に異なるのだ。
これは性別や年齢だけでなく、個人の社会的な階層や性格やその他様々な属性によって決まってくるものだ。
これを隠れ変数と言う。現象を妥当なモデルに落とし込むには多くの場合観測不能な隠れ変数を考えざるを得ない。
それがどういうことかよく考えてみてほしい。
5行目を読んで欲しいなあ…
まああれだわ。条件付き確率でググってから出直してこいって感じ。
忙しいから逃げたってんならもっと前からのはずで、2000年代前半に起きた雪崩はリスク回避、だな。大野病院しかり、割り箸事件しかり。
クッソ忙しい中「患者の為」と言うプライドだけで頑張っていた医者たちが
当の患者に理不尽に訴えられたり犯罪者にされたりな事例連発により心が折れて雪崩、じゃなかったっけか。
その辺は「患者診ないで論文書いたり講演したり勉強会開いたりしている人たち」というイメージがまとまらなかったので適当に書いただけだすまん。
昔そういう所の隅にいたんだよね。
高校生です。
僕は、もともと、今よりは少し頑張っていました。頑張れる人でした。
その頃は、趣味がありました。お菓子作りや、プログラミング、バンド活動や作曲、ピアノをひくこと... 自分でも、割と多趣味なんじゃないかなと思います。どれも僕は、大好きなことです。週末や、平日でも暇ができると、何かしらをして過ごしていました。
部活も大好きでした。2年生からは、ある程度部内でも責任ある立場に立たせていただき、悩むことも増えました。それでもやりがいがあり、楽しく、とにかく仲間が大好きでした。部活の友達とはよくカラオケに行ったり、ずっとこれからについて話していたりと、本当に仲良くしてもらいました。部活には、大切な友達がいて、僕の居場所がありました。
勉強は、まあ普通なほうでした。ただ、課題を出すのが苦手でした。締め切りを忘れてしまうことも多ければ、自分に必要のないと感じてしまう勉強はあまりやる気が出なかったからです。でも一番の原因は、僕が"悪い完璧主義"を持っていたからだと思います。完璧でなければ、やらないほうがマシだという考え方です。だから、課題には人よりも時間をかけ、少しでも遅れたら出しませんでした。授業のノートは、やる気が出るものだけ、つまりこの先もずっと完璧にノートが取れると自信のあるものだけ取り、あとは全く取りませんでした。結局それは、何もかも中途半端に終わらせるということを、僕は徐々に気づいていくことになりました。
それでもまだ良かったんです。僕には、時間を無駄にしたくないという思いがありました。やりたいことがたくさんあったからです。部活も、趣味も。もちろんテストで上位に食いこむという目標もありました。でも正直、部活や趣味を頑張れるように、勉強も頑張ってみる、という感触でした。
3年生になって、部活を引退したんです。うちの部は遅くて、9月のことでした。それでももう2ヶ月も立ってしまいましたが。
うちの学校は進学校です。周りより遅めに受験生の仲間入りをした僕は、これからは勉強を頑張らなきゃと思っていました。
なんとなく、趣味もできなくなりました。勉強をしなければと思ったというよりは、周りの目がそうさせなかったからでした。なぜか、何をするにも受験生という負い目を感じるようになりました。勉強以外のことをしていると、必ず親からも愚痴を言われました。
部活が無くなった分、授業の課外が入りました。朝にも課外が入りました。
友達も勉強に必死になっていき、カラオケにも誘えなくなりました。
何もできなくなったように感じたんです。
今の僕の話を聞いてください。
ゲームにハマりました。ついこの間までは、ゲームには夢中になったことなんてありませんでした。今では親や友人から隠れるようにして、ずっとやっています。シナリオゲーなんですが、その物語の世界に現実逃避している感じです。
何もがんばれていません。頑張らなくなったら、ちょっと学校に行くのが楽になりました。他人に会うことや授業は嫌ですが、毎日ゲームを楽しみにしてじっと我慢しています。ゲームを夜中までやるので、授業中に寝ることも多くなりました。ノートはひとつも用意していません。
大学は、行きたいなとは思います。第一志望にしている大学は、魅力的な大学です。地方ですが、僕の好きなITや英語を高いレベルで学べると思います。
ただ、それだけでは、頑張る理由がわかりません。つまり、、僕は、今の生活が続けばいいと思ってしまっています。いえ、もちろんこのままでは、こんな生活も続けられないことはわかっています。なんでしょう、、墜ち続けてもいい、というような感情です。感情でもないのかもしれませんね。何も考えてないだけかもしれません。
思えば、少しずつ堕ちてきただけな気がします。中学生の頃が、一番勉強しました。努力をつらいことだと思っていませんでした。努力以外に、することを何も知らなかったからです。それが今は、何もできなくなってしまいました。今の僕が何をやっても、続くと思いません。つまりそれは、少し這い上がっても、またすぐに墜ちていくことを意味します。僕はそれが怖いんです。
大学に行って一人暮らしが出来たとしても、いつか努力をやめて、留年を続ける自分しか思い浮かびません。
社会人になれたとしても、辛いことが続くうちにすぐに休みがちになって、職を転々とする自分、新しい仕事を探す気力さえなくした自分しか思い浮かびません。
僕は少し前まで、自分にラストチャンスを与えていました。自分は受験期になれば、やるときになればやる人だ。できる人だ。そう自分を信じていました。
でも僕は、裏切りました。裏切られた自分は、自分をもう信じることができません。いままでも裏切りを何度も繰り返してきたのですから。
僕が今ハマっているゲームに、こんな場面があるんです。主人公は、あるきっかけで荒れてしまった不良だったのですが、恋をして、大切にしたいひとを見つけて、その人を守るために、頑張り始めるんです。大切にしたいものがあるから、頑張れる。そういうメッセージが込められていました。
僕の中では、大切にしたいものがはっきりしていません。何のために頑張りたいのかわからないのです。それは、自分が大切に思えなくなったからだと思います。信じられないのです。僕が将来、今思い描く理想の自分に近づいているとは到底思えないのですから、大切にはあまり思えなくなってしまいました。
他人のためでも、自分のためでもない、漠然とそんな気がして、頑張れていないままなんです。
自分はとっても迷惑な気がしています。今の自分も、周りに心配ばかりかけている、迷惑な存在ですが、きっと将来の自分も迷惑でしょう。でも、今ここで死ねるほど、僕は強くありませんでした。
僕は、本当は将来、何をしたいかなんてわかりません。したいことなんて決まっていません。でも、もしなにか、選べるとしたら、譲れないことがあります。
それは、人を幸せにしたいんです。子供っぽいと思われるかもしれませんが、一人でも、沢山のひとでも誰でもいいのですが、誰かを幸せにすることをしていたいです。そのためになら、将来の自分でも、もしかしたら頑張れるかもしれないと思うからです。その時の僕を、僕はまだどこかで信じちゃっているんですね。
とにかく思いつくままに書いてしまいました。いろいろなことを脈絡なく書きましたが、それは自分のことを伝えるためです。今の僕は、どう見えますでしょうか。率直にお伝えください。
http://www.health-net.or.jp/tobacco/product/pd100000.html
じゃあ超特別大サービスで、2人に1人は子供が要らないとして、タバコをすわない6人のうち3人が生き残る。
ここまでで7人が脱落。残り3人。
タバコを吸わない=健康に気を使ってる=体脂肪率低いに決まってるとして体脂肪率の選別はオマケしよう。
小遣いが2万円以下なのは
http://www2.fgn.jp/mpac/_data/8/?d=201009_19
約20%。20代のうち22.7%が不満であると答えている。どの小遣い額層で不満が多かったかは書いていないが、
推測としては金額が少ないほど不満率が高い可能性がある。が、ここは大負けに負けてどの金額層でも均等に不満分子がいるとして
小遣い2万円以下のうちそれで満足できるのは77.3%とする。20%の77.3%だから約15%の人が小遣い2万円でも問題ないとしているとする。
先ほど生き残った3人のうちの15%、つまり10人中0.45人が生き残るわけだが、これだとわかりづらいので、1000人中45人が生き残り、955人は脱落している。
そのうち「親と距離をおきたい」人が何人いるかというと、なかなか近い統計はないけど
http://www.alsok.co.jp/company/news/news_release_details.htm?alpc_news.news_detail%5Bid%5D=2642
↑「自分の親が老いた時、同居したいか」だと、男性のうち6割が同居したい、4割が同居したくないなので、
残り45人のうち6割の27人が脱落、のこり18人。
インドア派かどうか? これは小遣い2万以下で満足するようなのはきっとインドア派なんだろうとして割愛。
そして最大の難問
男性1000人のうち982人を振って、残り18人があなたを好きになってくれる確率だ!
もし相手もあなたと同じように何か相手に対する条件を持っていたとして、それがあなたと同じように1000人のうち18人しか生き残れないようなものだとしたら、
前に増田でこういうの作るんだけどって書いたんだけど、まるで反応がなかったので需要がないのかなあと思って一人でシコシコ使っていたんだけども、公開してみればと言われたので、一応公開してみた。需要があるかは知らない。ブログにも先に書いちゃったので特に名前は隠さない。
自分の中では増田の記事チェックが楽になった。(果たして増田チェックが楽になるのがいいことなのかは知らない)
自分用に作ったからデベロッパーモードで使ってたんだけど、起動するたびにアラートが出てかなりうざかった。ストアに登録してアラートが出ないのはありがたい。
本当はオプション変えた時にリロードせずに適用したかったけど、なんかやる気が起きずにリロードで済ませた。画像とかCSSいっぱい使ってオシャレな増田にしようかなとも思ったけど、自分用なので虚しくなる気がしてやめた。
動作は、windows7とmacbook airで確認した。トップページとページ指定の一覧ページ以外では何もしない。他のページでもCSSが適用されちゃってるんで下線が出るんだけどね。
はてなNG見てchromeの拡張って簡単にできそうだと思って作り始めたんだけど、やってみると拡張開発の知識が全くなかったのでハマりまくった。よくわからないところは自己流で無理やりな部分があるかも。
chorome 拡張開発とかで検索すると出てくる、ここのサイトの情報が古くてmanifestのバージョン2では動かないことに気づかず色々と苦労した。情報が古いってことぐらいは書いておいて欲しいかも。
http://dev.screw-axis.com/doc/chrome_extensions/
やっぱり日本語じゃなくて英語の公式ドキュメント読まなきゃダメだね。
まあ、色々勉強になったのでよしとしよう。
「善行為をすると幸せになり悪行為をすると不幸になる」ということは
日本では広く知られている。
しかし、意外と知られていないのが「最高の善行為」とは何かだ。
そもそも善行為とは具体的にどんなことを指すのかもあまり知られていないようだ。
善行為はなんとなく「他人を喜ばせる行為」というようなイメージで語られている。
最初期の上座部仏教(といっても現代まで伝わっている文献はブッダ死後のものだけだが)では
それらの文献の定義によれば、悪行為とは、貧・瞋・痴の心に基づいた行為である。
「貧」は貪欲、つまり欲望を表わし、「瞋」は怒りや憎しみを表わし、「痴」は真理に対する無知を表わす。
これらはさらに嫉妬や物惜しみなどに細分化されて解説されることもあるが、基本的にはこの3つが悪の根源である。
例えば、純度の高い覚醒剤をジャンキーに売ってあげれば相手は大喜びするかもしれないが、
これは貧・瞋・痴に基づく行為であると考えられるので、相手が喜んでいようと善行為とはならず、悪行為となる。
逆に、自分にとって生活の礎であり無くては生きていけない「お金」を
必要な人に施すのであれば、これは不貧・不瞋・不痴の心に基づいた行為であると考えられるので、これは善行為である。
すると、ボランティアや施しがなぜ善行為たりえるのかがわかるかもしれない。
では、「最高の善行為」とはなんであろうか。
だから、最高の善行為とは、「100%不貧・不瞋・不痴の心に基づいて行われる行為」のことである。
しかし、心は複雑なもので、相手に奉仕するとしても100%善の気持ちになって奉仕することはほとんどない。
「偽善」という言葉があるが、見返りを求めて相手に奉仕することがほとんどである。
「やらない善よりやる偽善」と言われたりもするが、それ自体は悪いことではないし、ごく普通のことである。
では、最高の善行為とはなにか。
ヴィパッサナー瞑想では、瞑想中は100%不貧・不瞋・不痴の心になる。