はてなキーワード: 線香花火とは
ゲーミング線香(ただの線香花火
今年の夏は今までとは違う違いにあなたは気付いちゃってるかしら?
今年は蚊少なくないか?
あれはエレベーター一緒に乗って登ってくるんだかんね!
でもそれはともかく、
良いっちゃ委員会なんだけど、
蚊取りメーカーもあがったりよね。
でも暑さ一段落すぎて、
秋口いや冬にやつらは登場するから
むしろ蚊の活躍する季節が変わっちゃったのかも知れない説問題ありやまのあげみざわだわ。
なんかさ、
蚊との戦いが夏の風物詩でもある走馬灯のように思い出になる金鳥の夏じゃない。
あ!あと蚊取り線香とかで思い出したけど、
花火ってふと急にやりたい!と思っても売ってないのね。
花火ってどこで売ってんのよ?
唯一置いてあったところはドラッグストアにあったのよ。
そんなに湘南の風を地で行く感じの
パーティーピーポーじゃなく
せいぜい線香花火的な、
だいたいそういう所で売っている花火は
パーティー花火セットで一通りの種類の花火の詰め合わせは夏の元気なご挨拶で
実家に帰るときお土産で持って行くととても喜ばれるでお馴染みよね。
たしかに
そこに線香花火は入ってるけど、
しかたなく、
せっかくドラッグストアで見かけた
まだ夏のチャンスはあるから
ぜひ線香花火やりたいなーって思いました。
線香花火を毎日1本ずつやるというそれを描いたシュールな絵日記も面白いと思うわ。
なんか繰り返し繰り返しやってると
シュールレアリスム極みだわ。
あとさ、
だけど、
ところどころで行われる感じの、
あれってセルフサプライズ打ち上げ花火を自分でできないかしらねって思うの。
もちろん
勝手に近所の公園で八寸玉の大輪を夜空に咲かせたらやっぱり怒られるのかしら?
そういう人はさすがにまだいまだかつて
いないわよね。
どこに許可取りに行ったらいいのか、
知ってる人教えて頂戴!
うふふ。
しっかりと噛んで味わいたいものね。
飽きるまで同じ物を食べ続ける方が好きね。
皮まで使っていいよ!って書いてあっても
なんか躊躇してしまって作った、
ミントも添えると夏らしさが夏らしくなるのよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
人が焚き火や暖炉の火を見ると落ち着くのは太古に火を使って暖を取ったり外敵から身を守っていたので安心の象徴として記憶のどこかに深く刻まれているとか、炎のゆらぎが心を落ち着かせるとか色々な理由があるらしい
自宅待機しながらなにをしたら一番気分が落ち着くかなと考えたら燃やすことだった
ただ燃やすといっても気持ちよさとしては条件によって色々だなと思っている
もちろん焚き火などそれはそれでとてもいいムードなのだけど、自分が最も気持ちいいのは
色んな物を燃やすのだけど煙が出すぎて火災報知器が反応しても困るし
そのちょっとした物が燃えて灰になっていくのを眺めるのが気持ちいい
炎そのものはそれなりに動きもあり楽しめるが燃え尽きるまでがわりと早い
小さな木を燃やしてるわけで時間的にはそれなりに楽しめるが燃えにやや重たさもある
炎の動くという意味ではちぎるサイズとたたみ方により無限の可能性を秘めている
燃えるスピードはかなり速いので余韻などはないため後味としてはカジュアル、おつまみ感覚で楽しめる
ただ木の爆ぜる音が聞けるのでどうしてもそれが聞きたい時にやってしまうことがある
洗練という言葉が似合う
丸める時の圧縮具合で超軽量から極太まで幅広い燃え方を楽しめる万能型
燃焼後にチリチリと細かい粒子が線を描くように走る残り火はなんともいえない複雑さで美しいバレエのようでもある
自分はノートの切れ端→ノートの切れ端→つまようじ→ティッシュというコースで楽しむことが多い
みんな事件だ聞いてくれ。
とにかく話を聞いてくれ。
夏色
アクビだけで一日が終わってるわけじゃないよね? たまたまあなたが猫を見たときにアクビをしていたから「こいつ一日アクビしてるwww」って決めつけてる。サイコパスだよね。
>何も変わらない 穏やかな街並
歌う時は「何も変わらなっアアッアァーイ!」と歌います。明らかに歌詞が足りてない。
>みんな夏が来たって浮かれ気分なのに 君は一人さえない顔してるネ
「みんな」って誰ですか? あなただけでは?
>そうだ君に見せたい物があるんだ
「君に見せたい」んじゃなくてあなたが見たいだけでは?(これは後に証明される)
>大きな五時半の夕やけ 子供の頃と同じように
「五時半に見た大きな夕焼け」ですよね? 倒置法乙。
「子どもの頃と同じような 五時半に見た大きな夕焼け」ですよね? 倒置法の二重使い乙。
ほら「君」に見せたいんじゃなく、自分が見たいだけだろ
>海も空も雲も僕等でさえも 染めてゆくから
海と空と雲と「ぼくら」を比べている時点で比較の対象が違う。「さえも」って遜れば比較しても良いだろう、というのは間違い。「金もプラチナもダイヤモンドも、ゴミさえも」とは言わない。
「君」は荷物か何かかよwww 「乗って頂いて」だろ?
疾走感あるメロディのくせに実際はブレーキ握りまくりでノロノロ運転www 時速5キロも出てないチキン野郎www
>風鈴の音でウトウトしながら 夢見ごこちでヨダレをたらしてる
汚い
>Oh いつもと同じ網戸ごしの風の匂い
>休日でみんなもゴロゴロしてるのに 君はずいぶん忙しい顔をしてるネ
だから決めつけるなって。ゴロゴロなんてしてないかもしれないだろ。「君」は「忙しい顔をしてる」んじゃなくてほんとに「忙しい」んだっつの
>そうだいつかあの場所へ行こう
どこ?
>少しだけ全て忘れて波の音の中 包みこまれてゆく
>この細い細いうら道を抜けて 誰もいない大きな夜の海見ながら
海に行ったんですね、そういうことになってるんですね、ああはいわかりました
ゆっくりやってたら火、つかねーよwww
>いつか君の泪がこぼれおちそうおになったら何もしてあげられないけど
何もしてあげられない宣言するなよwww
>少しでもそばにいるよ
ほんっとにチキンだな! 下り坂くらい一気に下れよ!! 風も切れねーのかよww
以上です。
ご清聴ありがとうございました。
こういうやつは爪先に線香花火が落ちて悶えろ
二人で自転車の坂道を下ったり、花火みてロマンスに酔ったり、安いアイス半分こしたり、海岸で将来の話したり、咲いたひまわりの数いっしょに数えたり、塾の帰りに内緒話したり、つまんない映画でもたのしかったり、遊園地のアトラクションでずぶ濡れになったり、お化け屋敷ではしゃいだり、とりあえず線香花火したり、誰もいない公園で馬鹿な話したり、昨日見たテレビの内容とか、部活で誰それが面白いことしてとか、最近あの子別れたとか、てか全然宿題終わらないとか、もう今年も夏終わるねえ、夕暮れの長さも短くなって、風鈴の音もいつの間にか消えて、一年の燃えるような季節が終わる。知ってましたどうせ全部フィクションで誰かの勝手な妄想でそんな青春どこにもない!!!!!それでも高校最後の夏休みが着々と終わっていくのは、やっぱりつらい。誰かに与えられた幻想がたまたま自分の理想に重なって、ちょっとだけ絶望する夏。あと半分。
そういうわけで、今の日本で殺意の矢面に立たされているのは「日本の残滓」ともいえる。というのも最近の自公政権おろしの発言に、実に納得する。つまり、表面的に彼らがすべてを支配しているように見えるが、実は本当に窮地なのは、日本の残滓の側だろう。
1980年代は昭和時代だが、まだ発展の前半だったので、当時の国民の誰もが残滓と戦っていた。1990年代は残滓的なものがますます壊れていったが、それは都市部に限ったことだった。2010年代、もはや日本の残滓は、政治サブカル的手法によって相互がエンコ的に結び付きあわないと成り立たなくなってないか。
「おニャン子」の時代は握手券もなければ秋元康氏が支配層とずぶずぶになることはなかった。ニューミュージックや洋楽こそ限定的であった。しかし今の日本では、若者が音楽離れすらしている。非常識的なCDセールスや国策の迎合がなければ国民的グループは成り立たない。
ネトウヨのサブカル風味(あの暴走族らしさも含めて)は特殊だが、日本的な市民団体の多くは運動が成り立たなくなっていて、そういう政治団体の組合の会長が左翼趣味をまき散らして云々することはできなくなっている。壁も中身もうすっぺらいサブカルしかない。
「新自由主義」の美名のもとに、好景気まがいな豪華列車が全国各地で走ったり、今時ポストヤンキー名乗りをして道路利用者や警察から顰蹙を買う連中は、寝台列車を走らせていたり、痛車やラノベの競争が行われていた頃よりはるかに日本らしさを失っている。
「日本残滓」がモンスターになったものが、あらゆるものを蝕んでいる。というわけだ。1980年代から1990年代にヤンキーつぶしの迷惑をオタクが被っていた頃に比べると、今回の右傾化問題はちゃっちすぎじゃん。昔は、その地域の最大の家族一族が大金持ちになり支配層になり、色々な産業に口出ししているということだが、今は新自由主義で富裕層をインフレするというショボいやり口になっている。日本残滓は弱体化している。
この線香花火が消える寸前にブワッと燃えるような感じの「日本残滓の悪あがき」が、2010年代の日本なのである。非行のネタ消費も、鬱陶しいほどの鉄道の拝金志向やオタクのギャル・ヤンキー化もそう。全部が、断末魔。あからさまに必死になり癒着しあって虚勢を張っているだけだ。
だから虚勢であり、内実がないから、これはしょせん偶像でしかないし、前時代の論理であり、ネタでしかないし、あやかしであって、モンスターなのである。これに終止符を打つ、一種の抵抗を迎えるのが、今われわれ文明社会を信じて生きる都市住民にはあるのではないか。
あの問題が第二次自公政権という擬似右翼政権の幕切れで終わる訳がないと思っている。日本の社会性にも切り込まれるだろうし、現在の人類が(人類が何度も滅んだと言う説もあるため一応。)文明社会始まって以来受け継いできた帝国システムも、そろそろしっかりと「精算」されるはずだ。2017年から2019年はまさに一つの人類の伝統が東洋の小国から終わる時ではないか。日本人自ら日本の看板を捨てる。
今の日本人は2000年代までとはまったく異質で極左的だ。天皇制への疑念も高い。
だが日本で起きようとしている2019年問題とは、まさに“嘗ての中国”が行ったことと親和性が強い。現在の台湾や中国が王朝制度を破壊したように。それがわからない「肉屋を支持する豚」バカが支持母体となった社会は崩壊する。日本を故郷にもつ私にはまことに不本意だが、肝心の彼らがこうなのだからもうどうしようもないとなかばあきらめている。
田中康夫と渡辺喜美という誰がどう考えても党内をしっちゃかめっちゃかにしそうな人材すら受け入れるガバガバなおおさか維新すら裏切って、党としての存亡が台風1号の中の線香花火くらい危うかった新党改革しか拾われなかった今、どこに行くんだろうか。
比例議員に関して言えば「比例票をもらっといて離党する」というのが一番悪い。
(補足だけど比例区でも離党しただけなら失職しない、旧維新の小野次郎みたいな感じ)
100万票で1議席くらいのもんなので、30万票は結構なもんだが足りない。自党で出すなら離党して無所属にならないことが前提となる。
そして山田太郎氏は、とにかくおおさか維新の辞め方が最悪だった。まぁ維新の側も埼玉で出そうとしたのは相当アレ。でも、ぶっちゃけ比例で通しても離党しそうと思われたのだろう。
ということだけど、例えば今回民進党から出るとすると白眞勲が落ちる。民進党が30万票積み増してもおそらく議席は変わらない。要するに生え抜きの議席を譲るだけなのでこれでは入れるメリットがない。民進党の比例は組織内候補ばっかなので、次回以降も民進党的にはそんなに旨みはないだろう。(山田太郎氏は野党にいたら絶対離党しそう)
社民党も同様だけど、次回はそもそも改選が0で、今回のように福島みずほという多少なりとも知名度がある候補がいないので、次回の比例区的にはわからなくもない。
ということで、選択肢としては
1. 自民党に念書を書いた上で入党、秋葉原の総理演説を盛り上げる
2. 「生活の党と山本太郎と山田太郎となかまたち」に改名させ有権者を混乱させる
3. 突如護憲派に転じて「憲法9条を守るために福島先生のお力になりたい!」と涙ながらに説得し社民党へ
4. 幸福実現党に入党(今回比例30万票なので頑張ってもう20万票積み増せば受かる)
5. 気合いでもう70万票積み増す
元幸福実現党唯一の国会議員、大江康弘先生は自民党に無事に復党され無事に落選したので、個人的には山田先生には安心して幸福実現党幹事長への就任を目指してさとうふみやとコラボしてほしい。
まぁ、なんだかんだ山田太郎氏自体が保守系の人なので、自民党が丸め込んで山田宏的な枠で3年後出すんじゃないかなと思ってる。
それなりの文章力ではあるけれど、筆者のお笑い論を登場人物の口を借りて喋らせてるエッセイっぽさのほうが大きかった
作中に出てくる意味のない掛け合いもまったくおもしろくなかったし
火花っつータイトルにするぐらいだから、チャンピオンのバチバチみたいにいろんなお笑いメソッドを持った芸人たちが火花たててぶつかるくらいのアツい話かと思ったらむしろ真逆
作中では花火しか出てこなかったけど、火花は火花でも線香花火って感じ
自分のフィールドを出た次の作品が物語としてどれだけおもしろいかで、本当の意味で又吉直樹の才能は見えると思う
線香花火を儚さの象徴として、恋心が薄れることの寂しさを歌った歌はたくさん存在するのだが、もやしの足の速さで、恋愛感情の移ろいやすさを歌った歌は存在しない。なぜか。
なぜかはわからないけれども、どうも食品というものは、恋愛なんかのような真面目な事象をを象徴するにはふさわしくないものと思われているらしい。
歌、漫画、小説、映画などで食べ物の名前をタイトルに入れた真面目なコンテンツはおそらくそう多くはない。
ほろ苦さを象徴するチョコレート、甘さを象徴するイチゴ、甘さの中の酸っぱさを象徴するレモン、オレンジなどの柑橘類くらいであろうか。
最近、漫画を読んでいる時に、食べ物が象徴的に出てこないか気をつけながら読んでいるのだけど、岩永亮太郎「パンプキン・シザーズ」と、小池田マヤ「聖 高校生」は印象的だった。
ネタバレ気味になるけど、パンプキン・シザーズでは、戦後復興を担当する主人公が、復興を妨げる抵抗勢力の強い抵抗のことを南瓜で例えていて、
聖 高校生では、日本人とフランス人とのハーフの登場人物が、本名のジュンではなくジョーヌ(フランス語で黄色、黄色人種の意味)と呼ばれていじめらてていたのだが、主人公に作ってもらったオムレツに対して優しい黄色という感想を持つあたりは印象に残った。
食べ物は真面目なコンテンツには向かない。だが、コメディには向いている。
映画ならUDONといううどんをタイトルにした映画があったし(見てないけど、ユースケサンタマリアが主演ならコメディだろう。)、「お前なんか、NY(にぎってやる)!」で有名なスシ王子!などもあり、何故かコメディは多い。
また、漫画の話になるけど、以前「ゆゆ式」のセリフの中に食べ物がどれくらい出てくるのか調べていた事があったのだけど、あの、パソコンで調べる部活のテーマのうち、1/3~半分くらいは食べ物だ。
なぜかは分からない。だが、そうだった。
もしも貴方が、歌を作ったり、漫画を描いたり、小説を書いたりするのが趣味で、今までにない斬新な表現を追い求めているのなら、是非もやしをつかって恋愛の歌、恋愛漫画を描いてみて欲しい。きっと、何故いままで世の中に無かったのかが骨身に染みることになるだろう。
28歳女。飲食店勤務。年の瀬だけど乳首が取れかかっている。佐村河内風に言えば、3年前から少しずつ取れかかっていた。28年間、舐められもせず、吸われもせず、一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べてきた私がなぜこんなことになったのだろうか。今流行の妖怪のせいだろうか。一大事~なのは確かである。そんな思いを抱えながら、これまで保湿クリームを塗ってニプレスを貼り、どうにかこうにか凌いできた。ニプレスを剥がすとき、私はいつも『三つ目がとおる』の写楽保介を思い出す。これは私の第三の目なのだ。そう思うことで少しだけ強くなれた。しかしニプレスを剥がして出てくるのは痛々しい乳首。『三つ目がとおる』というより『乳首が取れる』である。そんな私の乳首も今年に入りとうとう限界に近づいてきた。干しぶどうを通り越して今や落ちかけの線香花火、最後の一葉、あるいはクリフハンガーである。薄皮一枚でどうにかぶら下がる様は、このままリポビタンDのCMに使えそうな画である。ファイト一発!私はそうやっていつも乳首を励ましていた。
世間では女性の乳首はさくらんぼに例えられることもあるが、私のそれは実ではなくヘタ(茎・軸)のほう、より専門的に言えば果柄である。口の中で結べるとキスが上手いと言われるアレである。仮に私が大塚愛ばりに「私さくらんぼ!」と乳首を出そうものなら、男性にぎゃあと叫ばれた挙句、大塚愛と法廷で戦うことになるだろう。もし徳永英明が私の乳首を見たら『取れかけのChikubi』というバラードを歌い上げるだろう。スピッツなら『乳首がポロリ』、コブクロなら『取れそうで落ちそうな乳首が今年も春を待っている』、一青窈なら『薄紅色の可愛い君のね、乳首がちゃんと終わりますように』、いくつもの乳首J-POPが頭をかけ巡る。もういっそのことすべてを諦めて、ありのままに任せたらいいのではないかと思うこともある。しかしありのままやっていたら私の乳首は十中八九レリゴーしてしまうだろう。もちろんこれはMay J.の責任問題であり、法廷で戦うことになるのは必至だ。もちろん黒幕は松たか子である。
とにかく私の乳首は無事に年を越せるか分からない。仮に年を越せても再来年は分からない。遠からず乳首が離れるときがくる。子が親から巣立っていくように、いずれ別離のときがくる。だけどそのときは涙は見せず、笑って見送りたいと思う。ぽとりと落ちた乳首はきっと大地で芽吹き、いつか綺麗な花を咲かせるだろう。木になる果実はさくらんぼ。そのとき大塚愛とのさくらんぼ裁判が幕を開ける……。
他人の匿名の行動(ヲチ)を尊重しつつ、他増田の匿名の行動も尊重したでしょ
知らない振りして黙ってニヤニヤしておけばいいところを「無料で」一部教えて「あげた」んだし
とある中傷ワード連呼大好きな人はそのコンテンツに連呼している罵声を書き込みに行けなくて残念でしたねとしか
何かにつけ他人をdisりまくっている人達は心が線香花火の終わりかけのようにバチバチして周りに当り散らしある日ふっと心が燃え尽きてしまう
虚脱状態に陥る恐れのある危険水域に踏み込んでいないか気をつけたほうがいいと思うよ
自分に欠けている物をネットで他人に求めようとしたら、心は幾ら書き込んでも満たされない苦しみに陥りネットの人々を憎むようになるから
今でも良く思い出す。
ぐでんぐでんに酔った僕を介抱してくれた君。
君が僕の心臓の音を聞いていた朝、僕が聞いた始発電車の通り過ぎる音。
新幹線の駅のホーム、振り返らない君の背中を消えるまで見つめてた事もぜんぶ。
連絡も取らなくなって、もう1年と半年。
その間別の恋をしなかったわけじゃない。
でも、今でも彼女の事を思い出す。
もう一回付き合いたいとか、まだ好きだとかそういう感情じゃないと、自分では思う。
彼女は破天荒だったし、結婚しても苦労するのは目に見えてるしね。
でも、彼女の事を思い出す。
寝る前に。ふと気を抜いた時に。朝方ベランダでタバコを吸ってる時に。
君は、僕がタバコを吸い始めた事を知らない。
僕は、今の君を知らない。
帰宅途中、当時通勤経路だった渋谷駅を降り、ラーメンでも食おうと思い一蘭へと向かったら、通り過ぎざまに若い女が作り笑顔で俺に話しかけてきた。
ぶっちゃけ何のキャッチセールスだったかは覚えてないが、とにかく普段であれば無視して通り過ぎるような手合いだったはずなのに、なぜかそのときの私はその声に立ち止まり、振り返ってしまった。
すぐさま(俺よりも確実に)若い女は完全パッケージ化された宣伝文句を笑顔をキープしたままべらべらとしゃべり始めた。しかし(お互いにとって)不幸なことに、私はその日は極限に機嫌が悪かった。高校時代に自転車を盗まれた時に匹敵する最悪の状態だったのだ。普段と違う精神状態が、普段と違う反応を自分の体に引き起こしたのだろう。そうでなければあんな女の声など知覚すらしなかったはずだ。
とはいえ、一度振り向いておきながら再び踵を返して一蘭を目指すわけにもいかず、その場で何らかの「区切り」を作らなければならないという考えにそのときの自分の思考は支配されていた。具体的には「そういうの興味ないんで」と一言言い放つだけなのだが。
しかし、やはりそのときの自分はやはり普段とは違っていた。「そういうの興味ないんで」という言葉そのものが思いつかなかったのだ。そして振り返った瞬間「ええい面倒くさい」という考えが急速に膨張を開始し、結局私は振り返った状態のまま、その女の目をじっと見つめるだけの状態で精神と肉体が膠着してしまった。
最初は勢いよく私をカモろうと勇んでいた女だったが、「はい」とか「ええ」といった相槌の言葉すら一言も発さず、微動だにせず、愛想笑いすらしないままじっと目を合わせっぱなしの男を目の前にしたためか、おそらく数百回を繰り返したであろう宣伝文句は次第にか弱くなっていき、ついには線香花火の最後のように消え果て、挙句「・・・すいません」と突如謝罪を始める始末。
私は彼女が謝罪する理由に理由もなく興味を抱き、顔の向きを維持したまま胴体をおよそ九十度回転させ彼女に向けたところ、その瞬間彼女は軽快なスキップを逆回しにしたかのように数十センチほど後方へと飛びのき、おびえた表情で足早に、いや小走りに雑踏の中へと身を隠していった。自分から私へと近づいていったくせに、話を聞いてやったら怖がって逃げていく。そんな彼女の無礼な行為に私の虫の居所はますます悪くなり、その日は珍しく食が進み、帰宅後に缶ビールを一本多く飲み干して布団にもぐりこんだ。
吹き抜ける風が俺の乳首をくすぐる
春の訪れである
そう、頭上で満開に咲いている桜の色だ
春は生き物が活動しだす季節でもある
おや、乳首に蝶が止まったぞ
甘い香りに花と勘違いしたようだ
タンポポの色は鮮やかで良い
桜とはまた違った魅力のある春の花だ
乳首に貼り付けることで季節を取り入れたオシャレアイテムとしても使用できる
アリさんは甘い物が大好き
蜂蜜を塗りたくった乳首の上でアリさん達がパーティーをしているよ
みんな嬉しそうな顔してる
春といえば入学式の季節でもある
みんな良い笑顔をしているね
桜が散る
若葉が生える
そして乳首が伸びる
もうすぐ梅雨が来る
ザーザーと雨が降る
乳首に干した靴下がなかなか乾かない
いつになったら洗濯ハサミをはずせるのかなぁ
あっ かたつむりさんだ
僕は雨は嫌いだけど、かたつむりさんは大好きみたいだね
町に出ると真新しい傘を持った子供達が遊んでいる
雨が好きなのはかたつむりさんだけじゃないみたい
雨が本当にすきなんだね
お出かけをしたら急に雨が降ってきた
傘を忘れてしまったので走って帰ったけど、びしょびしょにぬれてしまったよ
でも、雨の中を走り抜けるのはすこし楽しかったな
乳首に当たる雨のしずくが心地良い
ちょっとだけ雨が好きになりそうだ
夏がきた
青い空、青い海、青くペイントした乳首
空にはさんさんとお日様が輝いている
夏は楽しい
だけど、日焼けはちょっと嫌
顔、手、腕と日焼け止めを塗る
特に乳首は入念に
夏の夜空を花火が彩る
パチパチと火花を散らしていた玉が乳首にぽとりと落ちる
せつないね
夏は色々と楽しみだけど、僕はかき氷が時に好き
どっちから食べようかなぁ
怖い話も夏にはかかせない
近所の子供達を集めて肝試しをしたら、みんな意外と驚かない
現代っ子ってやつかなぁ
人混みを進むと乳首をつねられる程に賑わっている
色々な出店が出て、連なった提灯が不思議な光を漂わせる
夏祭りって、良い
夏の終わりを知らせるのは
それと
秋は実りの季節
秋の夜は虫達のコンサート
ほら、みんな一生懸命に鳴いてるよ
リーンリーン、ジジジジジ
虫は羽根をこすりあわせて鳴くんだって
僕も乳首と壁をこすりあわせたら良い声で唄えるかもね
秋は読者の秋でもある
本を読んでいたらいつの間にかに何時間も過ぎていた、なんてのはよくあること
本を閉じる時に乳首を挟んじゃった、なんてのもよくあること
もう紅葉が美しい時期になった
赤く色づいた葉は
空気も段々と冷たくなってきて、冬が近づいたことに気付く
冬
吐く息は白くなり
乳首が寒さで縮こまる
冬は温かい物が美味しいね
アツアツの石焼き芋を頬張る
甘くて、ホクホクとしていて、本当に美味しい
胸に押し当てれば、思わず乳首もほころぶよ
子供は風の子、元気の子
可愛いね
クリスマスは聖なる夜
恋人達は愛し合い
とっても美味しいんだよ
ふと窓の外を見ると、雪
お世話になった方々
感動を与えてくれた事物
ありがとう
そう伝えて乳首を軽く撫でてあげた
年が明けた
新しい年が始まる
今年はどんな一年になるのかな
草木はまだまだ茶色いけど、実はみんな生きてる
凄いパワーだね
僕も負けずに生きていこう