はてなキーワード: 短距離走とは
百人一首競技歌留多は耳の良さ+敏捷性+スタミナが効くゲームなのでもともと女性のプレイ人口が多い。
職域学生大会が全国大会にあたるがグループ戦。(職業チームと学生チームの激突でなかなか見ごたえはある。やっぱ頭のいい大学・職業が強い)
個人のトップを決める学生選手権は学生しかでられない(中学生~大学院生までしかだめ。フリーターや主婦の名人・クイーンとかが居ても学生証がなければ出られない)。
じゃあそれ以外の試合はどうだ?
全年齢の個人戦でいうと女性トップ(クイーン)と男性トップ(名人)を同じ会場(近江神宮)で決めている。
が男女のトップ同士が激突するやつはその大会ではやらない。野球でいうセ・パ交流戦でトップ決めようぜみたいなものがない(あったとしてもそれでわかるのはチーム力だもんな)。
じゃあせっかくだから名人vsクイーン決まった瞬間に決戦までやりゃいいじゃんと思うかもしれないが、
なにしろ一試合が長い(100枚を後半省略しながら読んでだいたい一試合一時間半。その間プレイヤーはしょっちゅう短距離走スタートみたいな感じで動く)ので
8時から32人で勝ち上がり戦をはじめても20時過ぎに解散が普通なので地方から前泊とかやるし翌日もたぶんガクガクフラフラ。
現状に加えて男女決戦までやると深夜解散になったりして、おそらくスタミナだけで決まってしまい、とてもつまらないことになる。
ほかは地方大会だが東京地方大会でも学生にとって遠征しづらい時期か職業人が休みづらい時期だったりで期待の星が出場できないケースも多い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E4%BA%BA%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%B3
この着色リストには「*がついてるのが東西代表」とあるが、東西代表というのは公式戦で決まってるわけではないはずだとおもう。
そもそもこのリストでも順当に対戦相手が決まっている場合は*を表記していない(辞退回だけ)。
東西代表をだれがいつ決めているのか、毎年クイーン・名人戦の直前の時点で誰がそれに相当したかを調べれば男女含有比もわかっていいのだろうが(いいのか?東京取れた地方のほうが強いのでは?)その資料は公表されていない。そういうタイトル戦があるわけでもないから多分勝利数などを点数にして数えるだけだとおもう(=出場回数の多い東京在住者が有利)。
https://www.karuta.or.jp/player/ 一応女性の占める地位が今年は多いですね、というだけの資料はっとく。
最近、魔剤が売れている。
魔剤とはエナジードリンクのことだ。
e-スポーツ界隈ではこう呼ぶ。
少なくともゲーミングお嬢様にはそう書いてある。
真っ黒いロゴに輝く白抜きのGが特徴だ。
最近だとウマ娘とコラボしてオレンジジュースに魔剤成分を混入したものを売り出した。
これを飲んで周回を頑張れという根性SSプレイヤー量産計画らしい。
魔剤で魔剤はよく売れる。(魔剤にはマジの意味もある。マジで)
コーヒー・リポD・オロナミンあたりのシェアを丁度食う形に業界に食い込んでいる。
一時期物珍しさが消えて売上が落ちた時期があるが、今は逆に定着して伸びている印象が強い。
魔剤がよく売れる場所は3つあって、1オフィス自販機、2学校、3ゲーム大会会場だ。
ウメハラがレッドブルタワーをバックに戦うのをみて影響されてレッドブル買うやつなんているのかと言われればマジで沢山いるのである。
というよりレッドブルばかり自販機に並んでいるので「なるほど。ここではレッドブルを買うのがしきたりか」と思い込まされているのだろう。
ゲーム会場で始めてレッドブルを飲んだという人もいると俺は聞いている。
そういう宣伝文句を聞いたことがあるだけなので真偽は分からない。
でもあながち間違ってもなくて、魔剤には危険なイメージがつきまとっているのでそれを最初に飲ませる一歩を踏み出させるのはかなり重要だろう。
一時期大学や駅の前で魔剤が配られていたのもそれだろう。
魔剤は栄養ドリンクと比べると即効性に優れるが持続性に劣る。
栄養ドリンクで得たパワーは10時間ぐらい持つが、魔剤で得たパワーは下手すると2時間で失われ。
栄養ドリンクは飲むと残業体制が高まるが、魔剤は残業中の集中力を高める感じだ。
魔剤の持つその性質に慣れていない人がリポDの代わりにモンエナを飲むと効果がイメージと違うことから敬遠するとも聞く。
魔剤が特に効果を発揮するのは一時的な集中力の前借りをしたいときであり、それはつまりゲーム中なのだ。
ゲームと魔剤は相性がいい。
特にトーナメントのような序盤から絶対に負けないようにして、限界が来た時に全てのツケを払って消えていくようなやり方が向いている場面に強い。
短距離走を繰り返すことになるスポーツ系ゲームは魔剤と間違いなく相性がいい。
そしてよく売れる。
長期戦を必要とする場面においてはあまり相性が良くないのだが、塾の自販機に入れてあるのは意外と売れる。
若い人間は代謝が早いので魔剤で集中力を前借りしても寝たら全回復するようだ。
凄い。
魔剤凄い。
何がいいたいのかブレてきた気がするのでまとめると「魔剤屋にとっては最初の一本を売りつけられるe-スポーツの大会は有り難い」ということだ。
俺はただの自販機補充係。
日々20kgの重さがあるダンボールを何度となく上げ下げしているので筋肉の持久力には自信があるがマグロの如き真っ赤な赤筋に覆われているだろうから瞬発力はゴミだと思う。
ドリンクが沢山売れれば今何がシェアを持っているかはどうでもいいんだ。
でも魔剤みたいな職場のコーヒーメーカーや家から持ってきた水筒で代用できない商品が売れると仕事が減らないから助かる。
俺としては魔剤がもっと売れて欲しい。
昔は単価が高いので本数が捌けないイメージがあったが、最近は安いのや小さいのが増えてきて小回りが効くようになってきて有り難い。
魔剤魔剤ありがたい。
記憶がある限りもっとも古い記憶は幼稚園まで遡る。幼稚園から苦手だったので、きっとこれは持って生まれた性質だろう。
バブル経済が崩壊するかしないかぐらいの頃に生まれ、幼稚園児の頃から『ヨッシーのクッキー』で製菓業を営み、日々の『おかあさんといっしょ』と『カクレンジャー』を生き甲斐としてきたものの運動が苦手だった幼稚園の頃の自分は、その頃から体操教室やら何やらに通わされていた。
理由としては幼稚園に入って早速いじめに遭って陰キャ+ADHD+オタク君の片鱗を見せていたこともあるが、一番の要因は小学校受験を見据えていたことだ。
小学校受験では学校によっては体操もあるからだろうか、幼稚園の頃からマット運動や鉄棒や跳び箱やらをやらされていたし、小学校に上がってからは従来の体操教室に併せ更にスイミングスクール、高学年になれば更にアイスホッケー、日曜日になればいつも父親にキャッチボールに誘われ、近所の校庭開放されている区立の小学校へしぶしぶついていき、キャッチボールさせられていた。
とにかく、親は、とにかく子供の将来を願い、その家の経済的、立地的な『太さ』を100%活かして子供への投資を惜しまない親だった。
しかしながら、運動が苦手だった自分がそこに通うことでできなかったことができるようになるかというとそう甘くはいかず、マットは前転後転が精一杯、三点倒立だのブリッジだの側転だのは全くできなかった。多分今もできないと思う。走り回ればあらゆるところで頭をぶつけ尻もちをつき、跳び箱はもはや何段飛べたかなんて覚えていないが、とにかくある程度高さが出てくるとジャンプ板から思いっきり頭をぶつけていた覚えしか無い。
まともに運動ができないどころか、口を開けばトンチンカンなことしか喋らず、他の子と違うことをしだしたり、体育館の隅っこに居た蟻を眺めてたり、当時からすでに「悪目立ち」してADHDの片鱗を見せていた。
そういう感じに「恥」となるようなことがあると、別室で見守っていた母親は帰りの車で常に自分を「みっともない」と怒っていたので、とにかくこの体操教室が苦痛でしかなかった。自分にとっては怒られに行くようなものだった。
毎回後半になると、3,4人ぐらいで横並びでスタートし、体育館の中で走ってマットで前転したり側転したりした後に跳び箱を飛んだり、平均台を渡ったりしてゴールを目指す実践パートのようなものがあった。要は競争である。
大抵、最下位の子は跳び箱やら平均台やらで詰まっている間に大差をつけられて取り残されているのだが、この時先生が主導して全員で応援する。
「頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!」という掛け声と拍手をするのだ。
これは先生側は全くそのような意図はしていなかっただろうが、自分にとってはこれが本当に苦痛だった。
この応援、常に
「お前は劣っている、劣っているから最下位だ」と言われているように聞こえたのだ。
それ故に、途中で泣き出してそのままリタイアすることもあった。周りは不思議に思っていた。(もちろん、それも悪目立ちして怒られた)
「お前は劣っている」という呪いをかけられていた自分は、将来あらゆることを諦めるようになった。
幼稚園や後の小学校では「どうせ取れない」とサッカーボールやドッジボールを奪いに行く姿勢を一切見せなかったし、クラスから浮きたくないから無理やり参加している感が強かった。(とっくに浮いてたけど)
体操教室に対しても熱心に取り組もうとする姿勢は見えてこなくなり、できない中でも比較的マシだった水泳もそんな感じになた。小学校高学年のときにやってたアイスホッケーは最初こそ好奇心で真剣にやっていたが、練習試合になると「どうせパックの奪い合いにに勝てない」と考え、試合を放棄してゴール裏で氷を引っ掻いて雪集めに興じるようになった。
当然、莫大な投資をしてきた親からしてみれば激怒し、失望するのは当然で、あらゆる習い事は終了し、中学受験を見据えたサピックスのみになった。
サピックスでは毎回算数の授業の頭で10分間のテストをするが、全く無気力で白紙で提出、常に0点だった。
両親はそういった無気力さに対して親としての無力さを大いに嘆きながら、いつからか「みっともない」は「お金をドブに捨てた」という言葉に変わっていった。
そういうわけで、幼稚園で常にかけっこすれば最下位、体操教室でも最下位、小中高で運動会やら体育祭やらで短距離走を走っても最下位、マラソンで流石に最下位はなかったが後ろから数えて何番目だった自分は、常にその後も「最下位」という劣等感がついてまわってしまい、競争に参加することができなくなってしまった。
「自分はトップにはなれない、真ん中にもなれない。最下位であることを常に運命づけられている」と潜在的に意識に刷り込まれてしまった自分は、幼少期から今に至るまであらゆることを途中で投げ出すようになってしまった。大学は「卒業しないと死ぬ」と危機感を持っていたので、大学を出るだけはできたが。
同時に、莫大な投資をしてきた結果今の自分が出来上がってしまったことに対して、毎日のように両親に対して申し訳無さを感じる。若干リソースのかけかたを間違えていたんじゃないだろうかと思ってはいるし、自分が幼稚園児や小学生だったら「親が悪い」と言えばなんとかなるが、流石に30近い今になって親のせいにするのはあまりに情けなさすぎる。
eスポーツ、楽しそうじゃん。そう思って気軽に買って始めてみたものの、当然不慣れ故にネット対戦で最下位。
徐々に、幼少期の記憶が掘り起こされてきて、ゲームが苦痛になってきてしまった。
そうだった、自分は人と争って勝てたことがないから、人と争うゲームが本当に苦痛だったんだった。
FPSでもレースゲームでも、自分が最下位で大幅に負けていると、脳内で「頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!」がフラッシュバックし、それに「お前は劣っている」と同時通訳されて耳に入ってくる。
ああ、そうか。勝つための努力が必要だし、必ずしもそれでも勝てないのはわかっている、だがその勝つための努力が自分の経験則上時間をかける効果が見込めないので、勝つための努力をする気が起きないんだった。
大した努力をせずに勝てる最弱設定のCPUをこちらのルールで一方的にボコボコにすることでしか楽しめないんだった。
そう考えながら、幼稚園児の頃の記憶を思い返しながら、自分は今日も試合を初っ端でリタイアした。
オンリーワンではなくナンバーワンになりたい。二番手や隙間産業ではなく、競り勝って一番になりたい。
何かの分野でナンバーワンになることはできるんだろうか。
実際は最下位ではないことは多いが、それより何かで一番を取りたい。ゲームでも、仕事でも、なんでもいい。でもその努力が苦痛だ。もう頑張れない。
ある感染症に対して、検査をして隔離する。これはインフルエンザやMRSAであっても通常の病院で行われている感染対策である。
検査の精度が低いから意味ないというのは正解とは言えない。流行が終わるまで検査をして隔離を続けられるならしたほうが良いに決まっている。
問題は検査をした後の隔離といつまでリソースを投じ続けるかである。
入国する際に自主的な隔離をお願いした我が国がその結果を表している。
食事や生活物資をいくら届けようとも、やはり普段の生活や人間関係を求めるものである。
少数の隔離を守らない人ほど交友範囲が広くウィルスを撒き散らす。
管理された隔離では居住場所、水や食料などの生活物資、娯楽品が必要である。(娯楽品はメンタルケアに重要である。災害医療でもそう言われている)
また、それらを配送する人や仕組み(手渡しだと配達する人が感染しかねない)が必要である。急変時に対応できることも必要とされる。
老人ホームを新たにたくさん作るようなものでやればできるかもしれないが、どれだけ金と人がいるのだろうか。
日本と事情が違うのは国内に入られる前に侵入経路を隔離で閉じたところである。
しかし、最近までほとんど感染者を出していなかったが一度国内に入られるとまたたく間に広まっている。
感染者を出し続けていた日本と違うのは、おそらく感染者を出さない日常が続いたため民間レベルでの感染対策が疎かになってしまったことではないだろうか。
社会的なまでに大規模な検査・隔離というのは籠城戦のようなもので外に敵(ウィルス)がいるかぎり臨戦態勢を続けないといけないものである。
新型コロナは夏になっても流行地域を変えながら様々な地域で流行していった。
となれば感染対策のゴールは、シーズン終了でもなく国内の感染者が0になることでもない。
考えつくのはこの3点である。
1と2をゴールと期待するのは楽観的であった。現実は感染力が高くなり進行も早くなるなど厄介な方へ進んでいった。
大規模なPCR検査で隔離というのは見えないゴールに向かって短距離走の走り方をするようなものである。
重要なのは「フルパワーでなくていい。継続していくことが重要だ」というような先の見えないマラソンをする覚悟だろう。
ワクチンもPCR・隔離もやればいいと言うのは、畑に金や物・人が生えていて好きなだけ取り放題ならそのとおりである。
検査と隔離の有効性は疑う余地がないのだから、有効かつ継続できる対象を考えるべきである。
PCRと書いていないのは大規模な検査は抗原検査キットを使うべきだと考えているからである。
私が考えているのは
である。
隔離のリソースもその中に入れないだけでよいのだから。(外で広める分には知らない。小集団内での感染を予防する目的だから)
出入りの制限ができない広い社会では個別の感染予防とワクチンを優先し、狭い集団では更に検査と隔離を追加する。
というのが私の考えである。
平均身長が一番高いのがどの職業かは知らんけども俺にはどれも夢の話でしかない
身長が高かったらバスケやバレーなんかのプロスポーツ選手になれる
身長があるってことは絶対パワーがあるからプロ野球選手にもサッカー選手にも絶対なれる
陸上の短距離走やスピードスケートは身体が大きければ大きいほど絶対有利なわけじゃん
全然やりたくないけどスキージャンプなんかは空気をより受けられるとか言うじゃん
そういうのが俺には何もない
体格で有利不利があまりにも大きいのってちょっとダメだと思うわ
差別とかそういうことを言うつもりではないけどもさ、男女ではテストステロンの量が違うから、男女は違う条件の下で戦うわけだろ
それは全然わかるわけよ
獣欲剛を制すということわざがあるけども、そういう状況なんて滅多にないはず
努力に努力を重ねて体格差に打ち勝ってきた先人を軽んじているわけではない
でもそれはレギュレーションを整えることで克服すべきだと俺は思うんよ
でして、女子は男子の 80%となります。この差がそのまんま、長距離における男女の成績比となります。
一方、短距離走でもっとも関係するのは、単位筋肉組織あたりの血液流入量で、
これは女性は男性の95%程度となり、短距離走での男女の成績比が小さくなるのは主にこれが効いていると言われます。
ここから本題なのですが、要は、
単位筋肉組織あたりの血液流入量で5%~10%分のハンデを背負わせたとき、
最大酸素摂取量換算でどれだけのハンデになるか?次第で男のほうが女より遅くなるかどうかが決まるわけです。
私も実験したことは無いので、正しいところは分からないけれど、
諸々考慮しても、短距離で同じ速さにハンデ調整しても長距離では男が勝つのではないかと予想します。
もともと男女間の運動能力について、神経系や筋組織そのものには差がほとんど無く、
4月17日NHKスペシャル「看護師たちの限界線 〜密着 新型コロナ集中治療室〜」は、悪名高き、理事長室に6億円浪費し、看護師のボーナスは全カットするという最低最悪で名をはせた東京女子医科大学病院に密着した。
https://president.jp/articles/-/36960?page=3
だがNHKは、理事長室6億円の問題にはスルー。何故か現場の看護師と師長だけに密着し、病院経営者がどう考えているかなどのインタビューも出てこない。
そうだ、彼らは出てこれないのだ。自分達運営側の問題を指摘されることとなるから。
まぁ理事長が理事長室でオナニーしているダメ病院なのは、医療の現場と関係ないと言う人もいるだろう。私にとっても直接関係ない私大なので、私にとってもどうでもいい。
これは現場を知ってる人、例えば同じく医療従事者で看護師の私の妻も、何処か違和感を感じたり考え方の偏りに疑問を持っていた。
大学病院のICUであれば、大抵何人かは男性看護師がいる。彼らの多くはドライでフットサル以外は冷静な低燃費モードで働いているイメージがある。
何故か?
間違いなくボーナスカット&給与減額が効いている。看護師400人退職希望とのことだが、おそらく多くがまともに給与やボーナスを払う病院に転職したはずだ。
何故か20代が多い。
退職して再雇用といった、この病院にずふずぶの人間まで呼び出しているが、子供の手が掛からなくなって、進学費用をガンガン稼ごうと考える40代はなぜ少ないのか?
全ての部署にICUが応援を求めることからも、若い人のほうが重症化しにくいから率先して当たらせているというわけではない状況だ。
他部署に応援を求める前に、よくICUが判ってる40代が出てくるはずだ。
少なくとも60代を呼び寄せない。
これは給与カットだけでなく(この問題も大きいが)、恐らく病院組織自体のカルチャー/制度に何らかの大きな問題があるからこんな歪な状態になっている。
「頑張ってる人間にとって、それは当たり前だろう」「お前が斜に構えているからだ!!」と怒る方もいるかもしれないが、これは危ない。
これは、短距離走ではない、これはマラソンだ。ずっと走り続けるんだ。無酸素運動域/限界心拍域に入れば時間は持たない。
日本人だけのレイプ合法化妊娠中絶禁止運動も同じだ。激しくぶち上げることを24h365日ずっと続けられない。真理だとしても。
そうしなければ走り切れないからだ。
だが出てくる現場の看護師は皆、理想や使命感を持ち、仕事にあたっている。
問題は、こんな人ばかりだということだ。
「まぁこれで家族を食わせなくちゃならないんで」とか言ってる人がいない。
恐らくそんな人はボーナスカット給与減額で真っ先に別の病院に移ったのだろう。
その結果、使命感や自分の看護に燃えている若い人が純粋培養されて、その考え方にこのICUは包まれている。
そして燃え尽きて辞める。
辞めたら採用して再教育する手間がかかる、そして短い期間で辞めていくという悪い循環に入っている。
これが一番このICUの異常な点だ。
年齢や経験と共に考え方は変わる。
そんな色んな考え方の人が居ないんだ、ここには。
給与減額されて理事長室に6億円浪費されても、それでも残ったのは、こんな使命感をもった若い看護師達だけなんだ。
理事長室6億円オナニーはバカげているが、どうせならその醜悪さを、このコロナをチャンスに捉えるような醜悪さに発揮すべきだった。
東京都は山ほど金を持っている。
少なくともオリンピックを誘致する時には「俺たちはこんなにキャッシュがあるぞ」と自慢していた。
ならその東京都に金を使わせればいい。
コロナ受入1人につき700万円/日。
追加加算費用: ICU利用1500万円/日 レスピ利用2000万円/日 エクモ利用8000万円/日(1人あたり)
など、吹っかければいい。
要は東京都にコロナ受け入れを諦めさせるか、膨大な費用を払って受け入れるかの二者択一を迫ればいい。
東京都は山ほど金を持っていると世界に自慢していたんだから、医療崩壊の危機、命のために、ケチるなんてせこいことを、あの馬鹿マンコはしないはずだ。
東京都が受諾すれば、高額な報酬に惹かれて、経験のある看護師がボーナスステージとばかりにやってくる。
彼らは金と手間やリスクを勘案する妥当なカルチャーをこのICUに吹き込み、純粋培養して歪な自分を痛めつける暴走を組織(ICU)全体がすることはなかったはずだ。
なら受け入れなければいい。調整を頑張ったが、合意に至らなかったとリリースすればいい。
そしてコロナを受け入れないのが一番賢いんだ。
◆Rape..lZFE
才能ある人の努力の話題で、女子短距離走の福島千里選手のことを思い出した。
https://www.nhk.jp/p/ts/KQ8893GKX6/episode/te/JWX461W8JY/
才能もある、努力もできる。
しかし、身体の限界がきている。結果も出ない。だけど、「速く走れないなら死んでいるのと同じ」と葛藤しながら競技を続ける姿を観ていて、こっちが苦しくなった。
才能があり努力したら結果が出る人生はいつか終わる。努力した結果が出るという快感は、いつか自分の首を絞めることになるのかもしれない。
結果が出ない、限界を知り諦める、方向転換をする経験こそが生きるための才能なのかもしれない。
とも思った。
圧倒的な“個”の力でしょうね
何かトラブルが起きると
他の人たちは寄り集まって
魔法少女は杖の一振り
疾風のように現れて
疾風のように去ってゆく
とてもじゃないけど
超能力じゃ真似できない
あのレベルをやろうとしても
発動前に使い手が粉々よ
あそこまでやられると
憧れすら通り越すわ
スタートラインが違うし
ステージも違うって感じ
なんていうのかしら
あれの短距離走とか観るんだけど
決勝戦にもなるとさ
もーネグロイドばっかりなのよ
驚きの黒さよね
……あらやだ
今のはオフレコね
わたし観客
それくらいの違いがあるの
おこがましいわ
羨望も嫉妬も
そんなわけで魔法少女は
どこの誰だか知らないけど
町の誰もがみんな知っている
なんというか“華”があるのよ
元気無敵ガールね
じゃあ何で気になるかって?
まーあえて言うなら
言っとくけど
魔法少女になりたいとか
そんな変身願望はないの
そーいうのは卒業済み
個人的に気にしてるのは
魂の規格よ
有り体に言えば正体ね
ファスナーを開けて
頭をとってやりたい
魔法少女に憧れるほど
わたしガキじゃないけど
大人でもないってこと
なので、中学時代に隣の席にいたゴリさんというあだ名が定着してしまった女子中学生の話をしよう。
ゴリさんは成績優秀、スポーツ万能、陸上部のエースである。足はすごい太い短距離走者だった。
しかし、身体がごつくてゴリラっぽい顔した女子だった......。
そういう女子をクラスの男子がいつからかゴリさんと呼び始め、そのあだ名は定着してしまった。
ゴリさんはきちんとした女子である。人間である。心優しい人であった。
そういうあだ名をつけられて、女子からも男子からもゴリさんと呼ばれても平気な顔をしていた。
自然にふるまっていた。
卒業式ですら、ゴリさん卒業おめでとうー ゴリ先輩って言われてた。
女子なのに。。。
ゴリさんは地元で一番レベルの高い公立の高校を受験して見事に受かっていた。私も同じく受かっていた。
そして、京大に見事に現役で受かっていた。
でも、いっつも気になるのは、女子中学生にゴリさんというあだ名をつけるのはどうなんだ?
しかも、それが定着して 毎日、毎日 ゴリさんと呼ばれる女子中学生。
もしも、自分の娘がそういう目にあっていると思うと、胸が痛む。
でも、そういうことが平気で起こるのが中学校という魔窟である。
変なあだ名をつけるんじゃない!
きっと、その子は傷つくぞ!
と、そんなことを思った今日でした。