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はてなキーワード: オレたちひょうきん族とは

2023-02-11

anond:20230211090444

昔は受け入れていたけど、今はまだそのネタやってるのかという寒さがある。

テレビが「オレたちひょうきん族」のノリをいつまでも続けているのと似たような寒さ。

2022-07-24

anond:20220724180913

反社感がすごい

2022-07-24

ホタテなめるなよ

オレたちひょうきん族系の人に多いイメージなんだけど、すげえカンタンに「法螺貝」って吹くやついるじゃん

アレむかつくんだよなあ!

ああ、こんな時にタケちゃんマンがいてくれたらなあ!タケちゃんマ〜ン!みたいなさあ

そりゃ、ブラックデビルが悪さをするのは非常によくない、すげー悪い、メチャクチャ嫌ですよ

マジでくたばってほしいと思う

でもタケちゃんマンを呼ぶほどではないだろ

地獄ってもうちょっとこう、ブラックデビルどころかアミダババアが脅かされるというか、なんだったら妖怪人間シットルケそのものが毎秒破壊されて、でもナンデスカマン、みたいな、そういう感じじゃん

牛乳を何杯も飲まされるとか、ダルマ落としの頂上に立たされるとか、熱々のオデンを食べさせられるとか、懺悔して水を浴びるとか、そういうのがずーっと続くってレベルになって初めて地獄だろ

大袈裟なんすよ 大袈裟すぎるんだ

法螺貝のことを帆立貝って呼ぶなってことなんだよな

2022-06-13

J-POPブルマーはいかに表現されてきたか、そしてブリトラブルマー

皆様お元気ですか。

私は相変わらずです。

調査方法

[歌詞検索サービス 歌ネット]にて「ブルマ」を含んだ歌詞キーワード検索する。

なお「ブルマ」とは関係のない「ブルマン」(ブルーマウンテンコーヒーの略)、「テーブルマナー」や「ゼンカイオブルマジーン」(註:ゼンカイブルーンとゼンカイマジーヌというロボットが合体してこんな名前になるらしい)が引っかかるのでそれは除外した。また、ドラゴンボール登場人物であるブルマも含めていない。

さて、調査の結果、いくつかのパターンに分けられることがわかった。

アニメ&ゲーム

魔法少女プリティサミーイメージソングDOUBLE MIND」(1998/03/25)では

見学ばっかりの

体育じゃ 泣けてくる

いらない ブルマなら

売り飛ばしちゃいたくなる

と、当所のブルセラブームを感じさせる歌詞がある。ウィキペディアによれば、1991年から1992年ブルセラショップの名がついたそうで、宮台真司は当時ブルセラ社会学者と呼ばれたという。なんだそりゃ。

ドージンワークエンディング水橋舞「夢みる乙女」(2007/07/25)では

ソ・ラ・は ピンク色で

ブルマもビュッと飛んで行く

というよくわからない歌詞がある。作者のヒロユキ自画像ブルマーに一本線の手足と顔が付いているというもの。そのため「ブルマくん」と名乗っていたそうだ。しかし、「アホガール」以降はそれがバナナに変わっているとのこと。

らき☆すた」のイメージソングも2つあった。

コスプレ衣装連呼する「ロリィタ帝国ビショージョ大帝」(2007/10/31)では

こなたブルマー」おっさん

ブルマ世代はすでにおっさんである暴露され、

男子リムリ大改造」(2008/03/26)では

着るなら着なさいよ

スク水ブルマーべらんめえ

という歌詞があるが、これもよくわからない。元々オープニングの「もってけ! セーラーふく」もよくわからなかったのでそういうものだろう。

迷い猫オーバーラン!イメージソング、「スキだからスキ」(霧谷希というキャラキャラソン)(2010/06/25)では

イイ子 ワルイ子 どっちでもない

わたしは わたし だから

ブルマ スパッツ えらべない

しりは ひとつ だから

珍妙歌詞で、さすがスパッツの上にブルマーをはく「ブルッツ」という概念を考えたアニメであるな、と納得した。一昔前には「はっぴぃにゅうにゃあ中毒隔離スレ」なってスレッドが2chにあったのだが、覚えているだろうか?

ちょっと変わったのでは聖Smiley学園生徒会「twinkle*2」(2014/03/05)で

「追いかけっこしてたら迷った!」

ブルマ絶対正義です!」

という女声電波ソング(註:電波ソングというカテゴリも、そのうち「電波」という表現がまずいといずれ改称されそうな予感がする)っぽい歌詞なのに、これはニコニコ動画男性歌い手たちが学園生活を送っているという体裁CDなのである

アニメゲームとは違うが、ボーカロイドではデッドボールPの「クリスマスヒトリポッチ」(2014/07/02)があり(註:初音ミクWikiによれば2012年クリスマスソング。前述の日付はおそらくCDになった日)、

ローションドロドロノブルマ

と、ブルマーを使った自慰行為表現されている。このサイトではカタカナ歌詞だが、元の歌詞は㍍などの記号の下半分だけをつなげて読ませるものになっている。

まり

㌔㍓㍇㍎㌔㍀㌔㌨㍔㌏

となる。

アイドル

2009年結成のアイドルグループ、私立恵比寿中学体操」(2013/07/24)には

ブルマ

トレパン

トレシャツ

ハチマキ

腕を胸の前に上げて ケイレンの運動

という歌詞があるが、あまりブルマーはそこまで歌詞の中で重要意味はなさそう。少なくともPVはクオーターパンツ姿である

ブリトラ

驚いたのがブリーフ&トランクスブルマ率の高さである

ブルマン」(2000/05/01)では

ブルマはいたらそのブルマ

へその上まであげている

1組の桜井

体操着とブルマが1:1よ

桜井……桜井にはあだ名がある

ブルマン……

ブルマ姿を描写している。

後続の毛玉があるという表現が生々しい。

また、「となりの柳橋」(1999/09/01)では

となりの柳橋が言いました

伊藤くんに言いたいんです。

スカートの中をのぞかないでください。」

となりの柳橋が言いました。

ブルマはいてるからいいけれど、

掃除時間にのぞかないでください」

などと生々しい小学生実態を歌っている。

そして挙句の果てに「ひとりのうた」(1999/09/01)では、

ひとりきりっていいよね 座布団のにおい かぎまくれるし

ブルマをこっそりかぶってみても いじめられない

という歌詞がある。さすがに僕もかぶることに興味はない。

ブリトラ伊藤多賀之と細根誠、どっちがブルマフェチなのかどうかは知らないが、どちらも1976年まれブルマ世代ではある。生々しいのはそのせいか

その他

オレたちひょうきん族」の「タケちゃんマンの歌」には

赤いホッペに 太まゆげ

ひょうきんブルマあみタイツ

と彼の姿を歌っている。あれは提灯ブルマと呼んでいいのかわからないが、まあいいだろう。歌詞風俗街の名前を織り込む当たり、時代を感じる。

またmiCKun「O-Z-3 feat. Crystal Boy」(2011/01/12)では

レペゼン駄菓子屋世代 おニャン子 あの子ブルマを見て興奮

今や大人になり気になる加齢臭 生きてる限り楽しめよ永久

昭和世代象徴として用いられている。miCKunはmihimaru GT」のメンバーmiyakeで、「mihimaru GT」は「気分上々↑↑」で知られる。

まとめ



それではまた。

2021-12-15

anond:20211215140817

間寛平の主な持ちネタギャグ

「ア〜〜〜メマ!!」(困った時や追いつめられた時にとっさに放つ一言)※ 「アメマ〜」とは、本人いわく幼児母親に対して言う「あ〜ママぁ…」が転じたもの、とのことである。『明日があるさ』で稲森いずみが8回連続NGを出した時にこのギャグを放ってハマりのループから救った。

「頑張っとるか〜?」(舞台に現れる時に使用、またVHSの『吉本新喜劇ギャグ100連発2〜野望編〜』のパッケージにもなっている)

「おっさ〜ん、おっさんアホか、アホかおっさんおっさん、アホかぁ。」

「こら、犬どけ! コン キャンキャンキャン…」 舞台からハケとき使用される

「誰が付けたかインベーダー ビッビビッビ」

「パパパパッ、パ〜ンプキ〜ン」(アースマラソン北米大陸を横断中に開発したと言う)

かい〜の」(大道具の角・自分の持っている杖などに尻の割れ目をこすりつけて上下運動

アヘアヘアヘアヘ…」「アヘアヘウヒハアヘウヒハ…」(アへ語)マネージャーの妻から5000円で購入

「なめなめくじくじなめくじくじ」(なめくじ運動で地面を這う)→「塩かけないでね、粗塩はいやよ」と付け加える。

「血ぃ吸うたろか!」

息子(間慎太郎)が中学生の頃寝ている時、なぜか自分の首ばかりをめがけて刺してくる蚊に憤慨して言い放った一言を、横で寝ていた寛平に伝えたところ、翌日にはそこそこいい感じのフリまで付けてテレビで使っていた(2013/11/10放送関西テレビお笑いワイドショー マルコポロリ!』より)

「止まると死ぬんじゃ」(おじいちゃん役の時)

「だ〜れ〜が〜じゃ」「ど〜〜してじゃ」「な〜ぜじゃ」(おじいちゃん役のとき

「お礼のプ〜」(「俺のプ〜」のバージョンあり)

(掴み合いになって、すぐにフラフラと倒れる)(共演者)「おっさん、骨ないんか!?」(寛平)「カルシウム足らんねん」その後、相手股間を「ピッ、ピッ」とつつく。

「いくつになっても、甘えん坊〜」

脳みそパ〜ン!」(アメリカでは「ブレインパ〜ン!」として使用した)

「じゅとじゅでにじゅ、あとじゅでさんじゅ」(101020、あと10で30)

猿の形態模写と、池乃めだかの猫の形態模写との掛け合い。めだか猫と一緒にボールにじゃれついたりするが、そのうちにらみ合い、大喧嘩を始める。しかしいつの間にか寛平猿がめだか猫を押さえ込み、交尾を始めてしまう。

暴れているうちにめだか猫と向き合う形となり、2人ともビックリして腰を抜かすパターンもある。

二人のモノマネエスカレートし、特にめだかの猫マネが最高潮に達しているにも関わらず寛平の方は素に戻ってしまい、一人梯子を外された形になっためだかが恥ずかしさの余り突っ込むというパターン存在する。

池乃めだかとの掛け合いで、果てしなく池乃めだか言動を真似し、そのまま以下のやりとりに流れ込むパターンがある。

めだか)「ちょっと話がある」(寛平)「誰が放し飼いやねん!」

めだか)「重大な話やねん」(寛平)「誰が10代じゃ!わしゃ60代じゃ!」

めだか)「えもんかけ(ハンガー)取って」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)やねん!」(orモンキー

めだか)「本気で言うてるんですか?」(寛平)「誰がモンキーやねん!」

めだか)「またそんな得手勝手言うて…」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)飼ってるねん!」

めだか)「折り入って相談がありまして…」(寛平)「誰が檻に入って相談せなあかんねん!」

めだか)「本当はええとこの子なんですやろ?」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)の子やねん!」

めだか)「ええとこ連れて行ったる言うねん」(寛平)「誰がエテ公やねん!」

めだか)「ほんま、品のない顔して。」(寛平)「誰の顔にフンがついとるんじゃ!」

めだか)「もっと情け深い人やと思うとったで!」(寛平)「誰が毛深いんじゃ!お前、わしの見たんか!」

めだか)「わけわからへんがな!!」(寛平)「誰がワカメスープじゃ!」

めだか)「キリがないやろ!!」(寛平)「誰がキリンじゃ!」

めだか)「いいかげんにせえ!!」(寛平)「誰が胃が痛いねん!!」

「月は雲間に隠れたし、雨戸も閉めたしガキも寝た」→「おまいさん今夜もかい?」→「あったぼうよ!」(以上、一人芝居)※本人曰く、中学生の頃に考えたネタ

「かかかか堪忍な〜」

「チャッチャマンボ チャチャマンボ ヘイ パキューン・パキューン・パキュンパキュンパキュン」(パキューンに合わせて腰を前後運動)(『ファンキーモンキー寛平先生がゆく!』での定番ギャグ

「しっかりできたらぼさっとするかいな!」(後輩芸人などから「しっかりして下さいよ〜」と言われた時)

井上竜夫も「しっかりできたらうっかりせんわい!」というギャグを使う。

アメママン(アメマバッジモデル)通常バージョンロックバージョンがある。

先っちょマン

ホレホレレンジャー「ホーレホレ掘れ」「おったまげったんよー」

引きずり女

十二単姿、白塗りで額に「引」の文字、髪の毛にいろんな物をヒモで結びつけて引きずっている姫。「引きずり女は福を呼ぶ」と書かれた扇子を常に持っている。娘の結婚式の余興で、娘の友人(素人)が引きずり女をやろうと用意していたのだが、寛平本家本元の引きずり女をお色直し後の新郎新婦入場時に娘の友人より先にやってしまい、娘の友人の演し物台無しに。本人曰く、「娘に頼まれた」とのことだが、真相不明

まいど〜!」(鼻声で)

「フェー」(鼻声

「ふひは!」(鼻声

ちょっとしたミスさ」

(突然怒り出した後に)「きつく言ってごめんね」

「○○って言った」「○○って言った、言った」→「結構言うのね」

「じいさん、ばあさん、山のぼろ〜」

オレたちひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」に近藤真彦として主演した際、これを叫びながら脚立を登り、足を踏み外して股間を強打したことがある。

「うんばらばー」

イカルピーサンシン」(呪文のように唐突に唱える。一瞬で空気を変える力を持つ、不思議ギャグ大阪ほんわかテレビで登場)

ギャグではないが、『痛快!明石家電視台』での発言より)「私は今、耳クソが不足している」「うめだ花月から宝塚の自宅まで車で帰ったが、その間ブレーキを一度も踏まなかった」「私は県庁所在地について語れる」、など。いずれの発言さんまからツッコミが入り(特に耳クソでは大説教された)、エンディングコーナーの投げ手・すくい手に採用された。

(両乳首を両手で引っ張って)「乳離れしたくなーい」

(両手を肘から前に出し、機関車のように前後して)「ぐぐかか、ぐぐかか、ぽっぽ〜」

セリフはないが、右手を頭の上に持ち上げた状態で手先だけを前に倒し、手に不規則な動きを加える。

本人曰く、アルバイトパワーショベルを操縦していたことがあり、その動きからヒントを得たとのこと(『痛快!明石家電視台』での発言より)。

アレンジとして、ダチョウのような動きになることもある。

(手のひらを下にし、顎に当てがって開いたり閉じたりしながら)「ワオ、ワオ!」

吉本興業名古屋事務所社員の嫁から5,000円で購入したネタ2013/11/10放送関西テレビお笑いワイドショー マルコポロリ!』より)

2021-07-12

アニメとは特に関係のないシティポップの再評価

なんかブコメがいっぱいついてるけど、この記述はいただけませんね…。これはほとんど偽史歴史改竄の類ですよ。

それはすべてアニメゲームライトノベルを筆頭とするおたくカルチャーに付随して流行したものだ。

40歳以上のおたくカルチャーを毛嫌いしている人が多い世代には理解しがたいかもしれないがそれ以外に原因はない。

Vaporwaveもシティポップも全部海外オタクカルチャーに興味があったり、オタクの人が広めたものだ。

https://anond.hatelabo.jp/20210710124113

そもそもvaporwave〜future funkで参照される日本シティポップ楽曲代表(たとえば『Plastic Love』、山下達郎『甘く危険香り』『Sparkle』、杏里『Remember Summer Days』など)とオタク文化との接点の薄さを考えれば、元増田の主張の信憑性が乏しいことはすぐわかると思います

海外でのシティポップ評価前史

まずシティポップの再評価についてです。日本シティポップは、海外の一部AOR好事家には20世紀から注目されていました。特に山下達郎吉田美奈子竹内まりや角松敏生-杏里ほかは、リズムセクションの黒さがエアプレイ向きな上に、和物ならではの楽曲の構築感(複雑な進行)に独特のエキゾチシズムがあって、2000年からJ boogieとかJ rare grooveって名前がついて評価されるようになりました。これはvaporwave云々の流れとは別の話です。日本GSグループサウンズ)にも昔からマニアがいて、海外では結構高値取引されてるけど、それと同じような現象ですね。

vaporwaveのアングラ

次に、そもそもvaporwaveとは何なのか、ですが。以下の記事にあるこの要約は、端的だけどとてもわかりやすいと思います

存在しない夢想バブル時代1980年代ネタをとにかくサンプリングカットアップや回転数を落として、ありえない1980年代表現した音楽ジャンル

https://note.com/myumafkd/n/nab12db7e40ca

この「存在しない夢想の」とか「ありえない1980年代」とかって感覚は、vaporwave系をリアルタイムで聞いてた人以外にはなかなか伝わらなくていつもモヤモヤするんだけど、vaporwaveは決して「埋もれてしまった良質な音楽を取り上げて、もう一度光を当てました」みたいな単純な再評価ムーブメントではなかったんです。あえて言うなら、皮肉っぽさ、諧謔性メタ性、対象を突き放しながら愛でる感じ、などがvaporwaveの肝でした。たとえば東芝EMIEmotionビデオのオープニングロゴもSparkleの輝かしいイントロ2010年代には壮大な冗談しかならないけど、でもこの時代錯誤感がいいんだよね…というような複雑な味わい方ですね。

そういう捻りを加えたミックスが、reddit4chanマニアックな裏路地で、人知れず生産され、密かに鑑賞されていたわけです。この頃は、そもそも著作権関係が真っ黒だったので、vaporwaveは決してメジャーシーンには出られないだろうと思っているリスナーが多かったと思います。そういうアングラムーブメントが、一部がFuture Funkに移行したり、アーティストとしてオリジナル曲を出すようになったりして毒気が抜けていくのと歩調を揃えて、徐々にオーバーグラウンド文化になっていったんですけど。

vaporwaveでのシティポップの取り上げ方

で、vaporwaveとその後継たるfuture funkでシティポップがよく取り上げられてたのは、シティポップがvaporwaveのレトロフューチャー的な世界観リンクしてたからなんですね。だから、単にサンプリングするだけじゃなくて、何らかの形で批評的・破壊的な引用をされていた。具体的には、リヴァーブをガンガンかけたり、コンプをかけたり、ノイズを入れたり、回転数を引き延ばしたりして、その喪失性や虚飾性が際立つような音響処理がされてました。エキゾチシズムと回顧と皮肉こそがvaporwaveの真骨頂で、そこにぴたりとはまるパーツがシティポップだったんです。だからvaporwave=シティポップ再評価みたいな雑な認識を読むと「結局日本スゴイかよ」と言いたくなる人の気持ちもわかります

vaporwaveとアニメの結び付き

vaporwaveの前身といえるseapunkでも、2011年頃の初期vaporwaveでも、アニメネタは主流じゃなかったです。一番使われてたのはメガデモwindows95amigaラインアート、粗いポリゴン椰子の木、TVCM、RGB情報が潰れたVHSビデオ動画などのコラージュ、(多くの制作者・消費者には読めないエキゾチック言語としての)日本語表記などなどじゃないかな。つまりオタク文化を参照してはいたけど、その多くは、アニメよりもコンピュータゲームなどの方に寄ってました。こういう経緯は、木澤佐登志氏が何度かvaporwave小史を書いていて、vaporwaveを理解するには一番バランスが取れた内容だと思っています

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59738

で、vaporwave界隈の映像アニメから引用が増えていくのは、後期〜Future Funk以降の話なので、シティポップへの参照の方がアニメの参照よりも先行しています。その点で、以下の増田自分認識は一致してます

おそらくvaporwaveから派生したfuture funkに対する影響のことを言ってるんだろうけど

future funkにおいてもジャンルから有名になったアーティスト(Night TempoミカヅキBIGWAVEとかのピンクネオン東京周辺etc.)

が多用しただけであって元々ジャンルとしてはシティーポップと呼ばれる音楽のほうがアニメよりも先にモチーフとして使われている。

元々vaporwaveは曲名等で変な日本語や全角アルファベットを使っていて

これはvaporwaveのニューエイジ茶化す側面のためにねじれた東洋感のモチーフに使っただけだと思う。

https://anond.hatelabo.jp/20210711135919

シティポップと街の関係

日本シティポップなんてあるのかね?

しいて言えば「東京は夜の7時」か。

あれはシティだわな。でも、日本人はあまりティであることを売り物に音楽活動はやってないと思うよ。

有楽町で逢いましょう」とかは、ポップじゃない。

https://anond.hatelabo.jp/20210710192009

70年代から80年代初頭のシティポップ(ス)って言われてた音楽「街」のことばっかり歌ってました。山下達郎吉田美奈子荒井/松任谷由実竹内まりや大貫妙子EPOも、みんな消費文化の極みともいえる当時の東京で生きる事への自負と強迫観念と焦燥と疎外感があったんでしょう。彼らの歌には、具体的地名を伴わない、抽象化された「街」この街」「都会」「ダウンタウン」などの言葉歌詞の中にバカスカ出てきますが、これはほぼ全部東京ことなんです(海外行って本格ファンク/RandB路線に転じた後の吉田美奈子は除きます)。シティポップ(ス)の名前伊達じゃないですね。

オレたちひょうきん族』がオープニング・エンディングシティポップを盛んに使っていたのも、今にして思えば、テレビ業界芸能界の内輪の目線を悪ふざけしながら曝露するという切り口が、虚飾の栄華に満ちた消費都市としての「東京」象徴しているようで、まさにvaporwave的な世界観体現する繋がりだなと思います

2021-06-30

明石家さんまという人は僕らが小学生の頃に放送された

オレたちひょうきん族という番組ブレイクして

それ以来テレビで見ない日はないという芸人さんなんだから

あらためて考えるとすごいことだと思う。

 

小学生の頃は僕も含めて周りの子達はみんなさんまちゃんのことが大好きだった。

もちろんたけちゃんのこともすきだったけど概ねさんちゃん派だったんじゃないかなあ。

あのひとのすごいところは、今思い返すと小学生にも意味がわかるギャグをやっていたということかなあ。

たけちゃんとかも面白かったけど、たけちゃんは時々小学生には意味がわからないことを言い出して

???となることがあったような気がする。

でも、さんちゃんはなんか大人っぽいことを言ってもなんとなく小学生にも意味が伝わってたんだよねえ。

紳助さんがドア待ちの女の人を演じるコントとか含めて。

あのへんの伝わる伝わらないのほんの少しの差はなんなんだろうね。

 

から難しいところだと思うのよ。

おとなになるとタモリさんのこととか好きになるやん。

子供の頃ってタモリさんって何が面白いのかわからんのよね。

でも長じると、このひとめちゃくちゃ面白いなってときがやってくる。

それはそれですごいことなんだけど、やっぱり子供にも面白いと思わせて夢中にさせてしまっていたあの頃のさんちゃんというのはものすごいなと思う。

2020-01-31

お笑い芸人世代分けを再考する

多くの人はこちらのWikipedia記事を参照していると思われる。

日本お笑い史 - Wikipedia

この記事も踏まえた上で、実際に主だった芸人を「活動開始時期」や「人気が出た過程」で並べ、あらためて世代分けを考えてみたい。

芸名活動開始人気が出た年代備考
横山エンタツ花菱アチャコ1930年1930年しゃべくり漫才元祖コンビとしては1934年解散するが、それから60年代までラジオ映画などで活躍アチャコ吉本看板芸人となる。
夢路いとし・喜味こいし1937年1950年代1949年ごろからラジオ番組上方演芸会』に出演して名をあげる。いとしが亡くなる2003年まで漫才を続けて「上方漫才の宝」と称される。
中田ダイマル・ラケット1941年1950年代1957年開始のテレビ番組ダイラケのびっくり捕物帖』はテレビの「上方コメディ番組元祖
ザ・ドリフターズ1956年1960年代1963年開始のテレビ番組大正テレビ寄席』に出演したこからコントを中心とするようになり、1969年開始のテレビ番組8時だョ!全員集合』にて大ブレイクする。
てんぷくトリオ1961年1960年代大正テレビ寄席』などへの出演で人気を博す。「トリオブーム」の中心的存在三波伸介1970年テレビ番組笑点』の司会に就任するなどしてテレビスターに。
コント55号1966年1960年代1968年開始のテレビ番組『お昼のゴールデンショー』『コント55号の世界は笑う』などで支持を得てドリフと人気を二分する。1975年以降は萩本欽一がピンで活躍する。
横山やすし・西川きよし1966年1960年代60年代後半に演芸ブームに乗って人気を獲得、80年代前半までバラエティ番組の司会などで活躍する。「漫才ブーム」では大将格となる。
B&B1972年1980年代実力は評価されつつ関西でくすぶっていたが、吉本芸人としていちはや東京進出したことで人気を得て、漫才ブームを牽引した。
ツービート1972年1980年代漫才ブームに乗って「毒舌」を武器に台頭。特にビートたけしは、1981年開始のテレビ番組オレたちひょうきん族』などへの出演からピンで大人気となった。
明石家さんま1974年1980年代70年代後半から関西で人気を獲得、東京進出してのち『オレたちひょうきん族』でブレイク。たけし・タモリと合わせて「お笑いBIG3」の一人と称される。
タモリ1976年1980年代キワモノ芸人としてマニアックな人気があったが、1982年開始のテレビ番組笑っていいとも!』の司会を務めるなどしてお茶の間の顔となる。
島田紳助松本竜介1976年1980年代漫才ブームに乗って「ツッパリ漫才」で若者の支持を得る。『ひょうきん族』にも出演して人気を博す。1985年コンビ解散して以降は、島田紳助がピンで活躍した。
とんねるず1980年1980年代お笑いスター誕生!!』に素人ながら出場して知名度を高める。ラジオ深夜番組若者からの支持を獲得する。1984年楽曲『一気!』がヒット、1988年に冠のテレビ番組みなさんのおかげです』を開始する。
ダウンタウン1982年1990年代1987年開始のテレビ番組4時ですよーだ』の司会をきっかけに関西若者から爆発的な人気を得る。80年代末に東京進出深夜番組夢で逢えたら』を経て、1991年に冠のテレビ番組ごっつええ感じ』を開始する。
ウッチャンナンチャン1985年1990年代結成当初に『お笑いスター誕生!!』に出場している。1988年開始の深夜番組夢で逢えたら』で知名度を上げ、1990年に冠のテレビ番組『誰かがやらねば!』『やるならやらねば!』を開始する。
爆笑問題1988年2000年代1994年開始のテレビ番組タモリのSuperボキャブラ天国』で人気を博す。90年代後半から深夜帯を中心に冠番組が増えはじめ、2000年ごろからゴールデンでもレギュラー番組をいくつも抱えるようになる。
雨上がり決死隊1989年2000年代1991年に結成されたアイドル芸人ユニット吉本印天然素材」のリーダー格。2000年開始のテレビ番組ワンナイR&R』や2003年開始の冠番組アメトーーク!』などで人気を博した。
さまぁ〜ず1989年2000年代90年代前半に「バカルディ」名義でいちど人気が出たが、2000年ごろに「さまぁ〜ず」に改名して再ブレイク、多数の冠番組を抱えるようになる。
ナインティナイン1990年1990年代吉本印天然素材」出身1994年開始のテレビ番組ぐるぐるナインティナイン』、1996年開始の『めちゃ×2イケてるッ!』など、早くから冠番組を持ってブレイクする。
くりぃむしちゅー1991年2000年代タモリのSuperボキャブラ天国』にて「海砂利水魚」名義で人気を博す。2003年ごろから再び人気が出はじめ、2000年代後半には多数のレギュラー番組を抱えるようになる。
ロンドンブーツ1号2号1993年1990年代ダウンタウンナイナイに続く、若者人気の高いコンビとして早くからプッシュされ、90年代後半から『ぷらちなロンドンブーツ』『ロンドンハーツ』など多数の冠番組を持つようになる。
ネプチューン1993年2000年代タモリのSuperボキャブラ天国』で人気を博す。1999年開始のテレビ番組『力の限りゴーゴゴー!!』で司会に抜擢されるなどしてブレイク2000年代には多くのレギュラー番組を抱えるようになる。
バナナマン1993年2010年代あえて『ボキャブラ』への出演をせず、ライブ中心に活動したことで売り出しが遅れたものの、2000年代半ばから徐々にテレビに出演しはじめ、2012年ごろから冠番組が急増してブレイクした。
有吉弘行1994年2000年代『進め!電波少年』の企画1996年に「猿岩石」としてブレイクするもまもなく停滞。2004年からピン芸人として活動を始め、2007年ごろから毒舌ネタ再ブレイク
タカアンドトシ1994年2000年代札幌で結成されたコンビで、2002年東京進出2005年ごろから笑いの金メダル』などで披露した「欧米か!」というツッコミ流行り、2000年代後半には複数冠番組を持つようになる。
ブラックマヨネーズ1998年2000年代2005年M-1グランプリで優勝する。2006年東京進出し、2010年ごろから冠番組を持ちはじめる。
チュートリアル1998年2000年代2006年M-1グランプリで優勝する。2007年東京進出し、2010年ごろから冠番組を持ちはじめる。
サンドウィッチマン1998年2000年代2007年M-1グランプリで敗者復活から優勝する。2010年代後半からレギュラー番組が増加し、2018年芸人好感度ランキングトップに立った。
オードリー2000年2000年代2008年M-1グランプリで敗者復活から2位となりブレイク
オリエンタルラジオ2003年2000年代結成してすぐの2005年ごろに「武勇伝ネタブレイクし、まもなく冠番組を含むレギュラー番組を持つことになった。
霜降り明星2013年2010年代2018年M-1グランプリで優勝する。

まず画期としては1953年テレビ放送の開始が挙げられる。この時期に人気があったのは落語家喜劇俳優であり、またコミックバンドも人気があった。上の表で言えばいとこいダイラケあたりが該当する。いわば「第0世代」であろうか。

次にやってくるのが「演芸ブーム」で、1963年開始のテレビ番組大正テレビ寄席』を中心に数々の演芸番組放送され、その勢いが1970年ごろまで続いた。一般にこの時期に人気が出た芸人が「第一世代」と呼ばれる。「寄席」をテレビでやるので落語漫談漫才コントコミックバンドなど幅広い芸人が登場した。てんぷくトリオを筆頭に三人組が多かったので「トリオブーム」とも呼ばれた。1970年代はドリフ萩本欽一コント番組が人気を二分した。やすきよもこの世代に含まれる。

続いて、1980年放送された『花王名人劇場 激突!漫才新幹線』『お笑いスター誕生!!』『THE MANZAI』などが立て続けに高視聴率を取り「漫才ブーム」となった。このブーム自体は二年ほどで終息するが、若手漫才師がアイドル的な人気を得て「漫才」のイメージを変えたり、吉本興業が東京進出したりするきっかけとなった。1981年から1989年まで続いた『オレたちひょうきん族』が『8時だョ!全員集合』の視聴率を超え、出演していたビートたけし明石家さんま山田邦子らは一躍スターとなった。たけし・さんまタモリを加えた「BIG3」を中心に、漫才ブームひょうきん族から出てきた芸人を「第二世代」とみなすべきだろう。

その次が「第三世代」と呼ばれる芸人たちで、お笑い養成出身の若手が、小劇場ライブで腕を磨き、夕方番組深夜番組きっかけに人気を得て、ゴールデン帯で「バラエティ番組」を持つ、といったキャリアを踏むのが特徴であるとんねるずダウンタウンウッチャンナンチャンがこの世代代表格となる。一般に「第三世代」は80年代デビュー組で区切るようだが、個人的には似たようなキャリアから早めにブレイクしたナイナイロンブーあたりも含めるべきではないかと思う。

次に来るのが「ボキャブラ世代である1992年から1999年まで続いた『タモリボキャブラ天国』は、当初は視聴者投稿型の番組だったが、徐々に芸人ネタ見せ番組に移行。この番組登竜門に「キャブラー」と呼ばれる芸人が続々と登場した。吉本興業が首を突っ込みそこねたらしく非・吉本芸人が多い。またボキャブラ終了とともに一時的に低迷した芸人が、2000年代に復活するあたりも共通している。先述したとおり、ナイナイロンブーなどを第三世代に含めるとすれば、この「第四世代」は爆笑問題くりぃむしちゅーネプチューンあたりが代表格となる。

2000年代に入って「M-1グランプリ」が始まったことで「お笑いブーム」が醸成された。また同時期に『爆笑オンエアバトル』『エンタの神様』『笑いの金メダル』『爆笑レッドカーペット』などのネタ見せ番組スタートしてお笑い人気に拍車をかけた。賞レースを目指してストイックに芸を磨く若手芸人と、多数のネタ見せ番組により短期的な人気を得た「一発屋」が混在し、芸人レベル底上げされたものの、数としては飽和した感がある。2010年M-1グランプリが終了するとブームも終息し、多数の「ひな壇芸人」を出演させてトーク中心に作られる低予算番組が増加した。(2010年までの)M-1ブレイクした芸人と「ネタ見せ番組」によって登場した芸人が「第五世代」といえるだろう。

2010年代になると、第二世代・第三世代がフェードアウトし、第四世代と第五世代バラエティの「司会」の座を奪い合う群雄割拠時代に入った。第五世代は図抜けた存在はいないものの層が厚いので、2000年代デビュー組の多くがつかえて中堅に留まっているように思える。そんな中で、霜降り明星および彼らが「第七世代」と称する2010年代デビュー組が既に台頭してきている。この場合2000年代デビュー組が「第六世代」とされるわけだが、2000年代デビュー組は遅咲きになりそうなので、おそらく2000年代デビュー組と2010年代デビュー組をあわせて「第六世代」と呼ぶようになるのではないか2020年現在芸人の主戦場YouTubeになりつつある。後世から振り返れば「第六世代」は「YouTube世代」と括られるのかもしれない。

2020-01-26

anond:20200126220153

当時「楽屋オチの笑い」といわれて、「作り込んだ笑い」のドリフ比較され、大衆は『オレたちひょうきん族』を選び、世の中の流れは変わった。

もっとドリフ側も志村けんがどんどんフィーチャーされるようになるにつれて、必ずしも作り込んだコントやノリだけでもなくなってきてはいた)

2018-12-18

忠臣蔵」のはてぶのコメ欄車輪の再発明だらけ

「気が付けば「忠臣蔵」の人気や知名度が無くなっていた(らしい)理由考察など - Togetter」が538ものブクマつけてる。

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1298767

しかしそこで指摘されてる事が車輪の再発明勘違いだらけで、本当に忠臣蔵の人気はなくなったんだな、と実感した。

忠臣蔵元禄の昔からメジャーコンテンツだったので、すぐ思いつく事はだいたい既に通った道。


ソシャゲで四十七士を女体化するのが人気復活の最良策。

「ChuSinGura46+1 -忠臣蔵46+1」のことですね。ソシャゲじゃなくてエロゲだが。

ちなみに歌舞伎にも女大星(=女版大石蔵之介)というのがある(既に廃絶)。

・今時でやるなら、47人全員のキャラを立たせないと。そうすると、すっごい長大になるよね。

赤穂義士銘々伝のことね。吉良邸討ち入りの「本伝」ではなく47人にフィーチャーした物語の事。

私の読んだバージョン大正時代のやつは1000ページ以上あったがそれでもすべてカバーしきれていない!

古典になり切れなかったポップカルチャー、とも見える

日本古典である歌舞伎文楽講談浪曲の全てで最も人気のあるコンテンツが「古典になりきれなかった」ってのは違う。

・もともと映像作品としての面白さは忠義や敵討ちよりも、集団で警戒厳重な屋敷にどう攻め込むかって『大脱走』とか『スティング』のような集団群像劇・設定サスペンスとしての面白さにあったように感じてるんだけれど

それは「四十七人の刺客」が初めて切り開いた路線

・毎年やって、ごくまれに吉良側が勝利するようにすれば良いのでは

吉良側が勝利して別働隊が後でこっそり吉良を殺す、というのは既にある。


武士の面目がたたないので殺さないと再就職もできません!…な話なんだよな

ビートたけし主演の「忠臣蔵」(1990年)。


・『忠臣蔵』というと、なんかドリフコントが思い浮かぶんだよな、ドリフだったか確かじゃないけど。

正解は「オレたちひょうきん族」の最終回ドリフでやってたかは知らんけど。

忠臣蔵は、上への不満を巧妙に横への不満にすげ替え、反骨精神忠義へと昇華する、言論統制下のジェネリック革命もの時代の流れで忠義も抑圧も薄れたのかも知れない。

忠臣蔵幕府裁定(=吉良は無罪)への反抗でもあるので、戦時中忠臣蔵はかえって危険視されていたよ。

あと、江戸期の歌舞伎検閲されてたんで、忠義はその隠れ蓑だったりもする。

2017-09-30

保毛尾田保毛男のディスに思うこと

すみません、はじめて書きますはてなダイアリー、よくわからんけど、でも、ちょっと待ってよ、おされてるよ、そうじゃないよ、って思ったから、ちょこっとかくだけだ、アラフィフBBAだ。

なんだろう、たまたま今日本にいないか番組見ていないから、どんなもんかよくわからないけど、かなり、批判されているみたいな保毛尾田保毛男なんですが、その、批判記事見ると、ちょっと、ああ、ひとこと、言いたいぞ、と、どうすりゃいいんだ、と思い、ダイアリー、もにょもにょ。

タカさんの、保毛尾田保毛男は、みなさんのおかげですでは、私は、1番好きなキャラだった。

ノリさんに関していったら、仮面ノリダーチビノリダーのほうが可愛かったかダメで、もじもじくんがいいかな。

でさ。保毛尾田保毛男は、放送されたら、翌日は、そりゃあ、学校で、話題だよ、やべーよ、面白すぎだよ、笑えるよ!って。

で、モノマネするヤツ山ほどいた。

その時に、隠れ保毛尾田保毛男が、すごく傷ついていて、今ではトラウマになっているとかって、知らなかったよ、本当にすまなかった、謝りたい。

でも、保毛尾田保毛男って、キャラクターだし。同性愛関連の象徴じゃないし、って思うのは冷たいのかな。

デブ、ブス、ちび、のっぽ、あたりに対象の人はどうなのでしょうか。

最近LGBTって流行りでしょうかって思うのは、私のココロの中に抑えておくべきところなのでしょうか?

別によくね?ちょっとくらい差別されても?

私はね、大好きな両親にもらった顔が、アゴ、です。

猪木が、1,2,3,ダ~!とか、志村けんの、アイーンとか、流行った時、どれだけネタにされたか

でもね、今ね、それ、アイーンとか、みんなやってるし。なに?超可愛いタレントやるしさ。

猪木さん、なに?話題にあがっても、レアファン山ほどいるし、1,2,3,ダ~!しょっちゅうやってるし。

まじ、保毛尾田保毛男の比にならないよ。

でも、私は、8時だよ!全員集合!も、オレたちひょうきん族も、みなさんのおかげです。も大好きな、アラフィフBBAだよ。

ブラックな笑いって、本当に面白い

どうなんだよ、最近。なんか、ちょっと、本当にちょっとだけ、問題があれば、ものすごい批判テレビ局だの、出版社だの、クレームしまくり。

おばちゃん、さみしいよ。辛い思いしてる人、わかる、同情するよ。でも、そんなん、笑って、過ごせるよ、自分の事わかっている友達が一人いれば大丈夫だよ。そう思える。

保毛尾田保毛男は、そんなに悪くない。むしろ私は、懐かしいと思うし、それを放送したフジテレビいいね!って思う。

2017-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20170116114302

西川のりお楽屋オチ批判を思い出す。

この人、自分漫才ネタ時間使って、客席に向かって「楽屋オチを有り難がるな!笑うな!」と言い続けた事があって憶えているんだけど、

自身も出ていた「オレたちひょうきん族」、今の時代に見て面白いって評価する人の話を聞かない。

内輪ネタオンパレードと、今現在バラエティーへ繋がる「文脈」としてしか存在意義がないものになってる。

夢路いとし・喜味こいし」が今見ても面白いのとは好対照だ……と思ったがよく考えたら「君の奥さんといえば」というヤツも内輪ネタか。

2008-10-19

僕はビートたけしが大好きで、著作は、絶版になったものまで探して読んでしまう。映画は、北野武監督作品では『その男、狂暴につき』しか見たことがないんだけど、近いうちに全部見ようと思っている。『オレたちひょうきん族』のビデオとか、『オールナイトニッポン』のテープも、どうにかして手に入れたい。

この間、こんな夢を見た。

ビートたけしヤクザの組長で、僕がたけし組長の運転手、ということになっていた。一丁前に、ベンツベタだけど、夢の中でも“ヤクザベンツに乗る”ということになっている)なんか運転させてもらっている。たけし組長は黒いスーツサングラス。後部座席に座っている。顔がルームミラーに映っていて、すごい迫力。映画『HANA??BI』のビートたけしだ。ちょっと怖いけど、かっこいい。なんだかうれしくて、自然に背筋がピンと張った。ていねいに運転しようと思った。

「おい、おまえ。暇だから、そこのコンビニ適当文庫本、2,3冊買ってこい」

「はい」

車を路肩に駐車して(なぜかコンビニ駐車場ではない)、小走りにコンビニに入って、急いで本を選んで、レジに持っていった。愛想のない店員が、レジを打っていた。動きもダラダラと面倒臭そうだし、あげく、文庫本の値札シールをはがすのに失敗して、本に汚いシールの跡をつけた。それなのにまったく表情を変えず、気に留める様子もなく、そのまま袋に入れようとしている。あんな汚い本を持っていったら、たけし組長に怒られる。もしかしたら殺されるかも…。

馬鹿!おまえ、なにしてんだよ!シールの跡、汚ねえだろ!」僕は今、運転手とはいえども、ヤクザの一員なんだから、躊躇せず、すんなり文句が言えた。「なんとか言えよ!」

「あー」店員は相変わらずの無表情で、「あーすいません」

かなり頭にきたけど、外にはたけし組長を待たせている。モタモタできないし、相手にするのをやめた。

「覚えてろよ!」

コンビニを出て、車に戻って、

「組長、聞いてくださいよぉ。コンビニの店員のやつが…」

事情を説明すると、たけし組長は、

「よし。今晩、やるぞ」

かっこよかった。

その夜、数台のベンツで、そのコンビニの前に乗り付けた。店員を脅しつけて、全員縛り上げて、店を締め切った。なぜだかわからないけど、そのコンビニの奥のほうには、畳敷きで床の間のついた和室があって、宴会用の長いテーブルまで置いてあった。売っている商品も魚の切り身とかが多くて、コンビニというよりもスーパーの食料品売り場のようだ。

店の商品を使って料理の準備をし、いや、気がついたらもう準備されていて、たぶん組員であろうスーツ姿の人たちが20人くらい席についていた。よく見ればそれはたけし軍団で、見たことのある顔ばかりだ。すぐに宴会らしきものがはじまった。

時間かが過ぎて、宴会がほどよく盛り上がってきたころ、突然、警察が踏み込んできた。みんな、蜘蛛の子を散らすようにパーッと逃げた。オレも逃げなきゃ、と思ったけど、なぜか逃げ方がわからなくてオロオロしていた。その時、グレート義太夫が、裸に白いブリーフ一枚という姿で、両腕を上げて、「ワーッ!」と言いながら、窓から庭(なぜかコンビニに庭がある)へ逃げていった。それを見て僕は、なるほど、あんな風に逃げればいいんだ、と思って、義太夫さんのあとを追おうとしたんだけど、いくら探しても靴がない。そんな非常時に、なぜ靴を探そうとしたのかわからないけど、靴を置いて逃げることがやけに心残りで、ギリギリまで探していた。だけど、どうしても見つからなくて、仕方がないから裸足で庭へ出て、走って逃げた。

そこでいきなり場面が切りかわって、僕は車の助手席に乗っていた。車を運転しているのは、なぜかうちの母。場面はかわっても、なにかから逃げていることに変わりはないようで、山の中の峠道を、すごいスピードで走っている。なにしろすごいスピードだから、カーブにさしかかるたびに対向車線に飛び出して、もう、本当に危ない。タイヤがキーキー鳴っている。

「かあちゃん落ち着けよ!線からはみ出るなよ!」

何度も叫ぶんだけど、母はまったく気にも留めない様子で、表情は真剣そのものだ。それは、“事故を起こさないように気をつけている”真剣さではなくて、“ 絶対トップに立ってやる!”という真剣さだ。と言っても、他に走っている車はいないようだし、わけがわからない。

どういうわけか、対向車線を走っているのは車ではなくて競馬馬で、しかも5,6頭が横に並んで走っている。道路はきちんと舗装されているのに、なぜか土ぼこりが舞っていた。

夢にはまだ続きがあったような気がしたけど、すっかり忘れてしまった。なんだ、これは。別にどうでもいいんだけど…。

 
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