「映像」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 映像とは

2024-04-12

anond:20240412095043

クソ面倒くさい事件が続いただけで本来映像化されることで絶大な宣伝効果があって出版社原作者も儲かるっていうお互いにwin-win商売から永遠に続いてるんだぞ

結局さ、原作付きの映像化は、オリジナル物より楽して儲かるという発想がいかんと思うんだよな

原作付きは縛りがキツくてオリジナルより作るのに制約があって、儲かるかもしれんが面倒くさいっていう、

そういう認識が広まるのが正しい気がする

anond:20240412092157

関係問題として、原作が良いと思って映像化したい制作会社プレゼンをして映像化の権利を取得しているわけで、原作側が映像化しようと動くケースは稀。

結果としての広告効果であって、映像単体での収益化が動機

原作者出版社が金払って映像化すればええやんけ

広告戦略の一環としてやってるのは間違いないんだから、今より売って金稼ぎたい出版社原作者が金払って作って、その上でゴミが上がってきたらクライアントとして広告効果が低い、もしくはマイナスとして好き放題叩いてなんなら慰料やら違約金の請求すりゃええやん。

原作者として「作品雰囲気が変わってまで広告打つ必要ありません。今くらいの売れ行きでお金も満足です」ってんなら映像化しなきゃいいだけ。実際にそうやって映像化断ってる奴いっぱいいるじゃん。

無料広告打ってもらえるヒャッホーーーイ!広告の出来悪いやんけ死ね!が通用するの意味わからん

Perfume日本的グループだった。

ルックスの良い若者を消費して捨てていくアイドル文化と、マネキンアンドロイドを思わせる均一性の高いダンスを、黒髪の美しい3人が踊る。ヨナ抜き音階が多用された曲はそのパフォーマンスの中の悲しみを表現しているようだったし、MVライブの切れ味のある映像演出は、サイバーパンク近未来感を連想させた。

そしてヒールの高い靴で踊るスタイルは、ヒールを脱ぐことができない、女性ヒールをはかされている保守的社会必然性を表しているようでもあるし、そのヒール姿でここまで自由に踊ってやろうという反逆のようにも取れるが、本人たちはそのような政治性をまったく見せないノンポリぶりも、日本的なのかもしれない。

2024-04-11

ブルアカアニメちょっとしんどすぎる

原作第1章をそのままアニメにしてるっぽいんだが、これをこのままやって6話ぐらいで第1章が終わっても見てる側の心に大したものは残せないと思う。

リリースと同時に銀行強盗話題になったスピード感アニメテンポでは全く出せてないし、アルが登場してあっという間に落ちぶれるスピード再現できないだろう。

ブルアカ1章の強みはカオススピード感だ。

設定も全然からないままにハイスピードで次々と情報が降り注いでるうちに全てが終わり「なんかよく分からんけど皆いい子だな」でとりあえず〆るしかなくなるのが魅力だった。

でもこれを1ヶ月半かけてダラダラとやられてもそれは普通廃校アニメしかなくなってしまうわけだよ。

ましてその後に第2章で今度はアリス編をやられて、その終わりがアレなわけだけど盛り上がるのだろうかと不安しかない。

最大の問題は、あんまりのんびりやってたら最大の強みである3章をやらないでアニメが終わることだ。

皆が求めているのは映像化された3章なんだ。

1章は理不尽ギャグとしてそれなりに話題性があったけど、2章の評価凡作まり、多くのプレイヤーが「アリス可愛かったね。それじゃユズは俺が保護しておくから」でゲームから去った過去さえある。

3章なんだ。

もしもそのままアニメ化するなら3章は絶対にやらないと駄目だ。

いっそのこと1章を4話ぐらいで終わらせて、その次は3章に飛んでしまうというのもありかも知れない。

1・2・3・4はそれぞれが独立していて、最終章において一つに繋がる形になっているから順番を入れ替えても問題はない。

そうか、この手があるのか。

じゃあなんとかなるな。

3章が来たら教えてくれ。

アニオリが来たらでもいいぞ。

じゃあの。

anond:20240410225514

本なんてその程度の扱いでいいものだし、本に限らずあらゆる産業商品サービスはそのように扱われて然るべき。

それが商業というもので、そうした方がビジネスパイが広がり、商材も洗練されていくから

抜きん出たものさらに目立たせることで、より多くの人に認知され、共有され、その分野の裾野が広がる。言い換えればバズらせることができる。

それくらいのことをしないと、世の中にはあらゆる商業分野や消費的娯楽があふれているわけだから認知してさえもらえない。

例えば今ゲーム業界では、市場規模を成すセールスの8割はサービス運営のものから来るようになった。

それはなぜかというと、運営ゲームの多くは基本無料形態をとっており、「手に取る」ハードルが限りなく低くなったからだ。

それくらい、みんなが知っている、みんながやっている状況を作ることは大事だ。

ハードルが下がることで、消費者にとっても、常に手軽に「相見積もり」ができるような状況になっており、都合がよい。

どんなに優れた作品も、触れてもらえなければ意味がない。

から無料で触れてもらって、良し悪しはその後で判断してもらうという態度こそ、消費者センスや知性を信用する誠実な売り方だ。

音楽映像などの分野もサブスクの隆盛によって、「見てもらう」のにかかる費用にわかに低廉化している。

そうした音楽映像コンテンツを導入口にして、イベント等のファン商売へと誘導することで利益をあげている。

翻って、書籍分野の売り方を見てみると、電書という選択肢が増えたくらいで、ビジネスモデルは変化していない。

売れている本をより売るために目立たせるくらいでは、正直言って生ぬるすぎる。

手に取るハードルを低くできない以上、「絶対に外さない」ように一極集中させるのは理にかなっているだろう。

本当に書籍文化未来を願うなら、考えることは真逆であるべきだ。

「隠れた良書」とされがちな性質を帯びた作品というのは、もともとその分野にどっぷり浸かっている人が、商業的なアシストがなくとも自分で探し出していける。

逆にそういう発掘の楽しみが残っていた方が、商業に食い荒らされない方が、良いとさえ言えるだろう。

ゲーム業界で言い換えるなら、SteamインディーPC・PS5などの買い切りの大作タイトルにはもっと優れた作品がある、それは事実だが、それを声高に叫んだとしても、そういう古い「あり方」が主流に返り咲くことはないのだ。

しろ現実には、基本無料ゲーム開発のために資金人材が集まりビジネス面では主戦場と化しているのがここ十数年の流れだ。

コアで偏狭ゲームファンはそれを直視できずにいて、運営ゲームガチャシステムなどを古い認識のまま嫌い続ける。

もちろん中身を重視するなんたらアワードのような世界では、AAAタイトルマニア評価され続けるだろう。

だがAAAタイトルを触れるのはゲーム消費者全体を俯瞰してみると、本当にマニアだけになっている。それは悪いことではない。

ゲームという「あり方」が柔軟に広がって裾野を広げた結果、おじいちゃんでもポケGOを楽しんでいたりする世界を一概にダメとは言えないだろう。

それと同じように考えれば、商業主義を嫌い、「隠れた良書」のようなものアピールすることがいかにズレているか分かるだろう。

伸びているものさらに伸ばして多くの人を巻き込み、素晴らしい方向へ成長させる圧力生産者側へかけていくことが、誰も想像できないような膨らみ方をした未来文化を作るわけだ。

モバイルゲームでは、開発費が高騰して、競争が激しいのに失敗リスクが大きくなっていることから技術力や繊細な運営センスがない会社は早々に撤退余儀なくされ、淘汰が激しくなっている。

この中を生き残って成功していく会社は、従来のゲーマー評価するAAAタイトル部分的に超えた品質のものを作れる能力を持ちつつある。こうやって想像を超えた進歩をしていく世界面白いだろう。

本で例えるなら、なろう系ラノベをくだらないと言って一掃しようとするのではなく、なろう系をさらに洗練・発展させて世代を超えたジャンルへと育てていこう、あるいはそういうものが見たい、という考え方をすべきだ。

anond:20240411002849

この問題コメントでも契約契約って言われてるけど、本当に分かってない。漫画映像にするのに全て契約で事前に決められると思ってるのか。

映像化に原作者金銭メリットゼロすぎるってマ?

原作使用料が少なすぎるから映像化にメリットゼロすぎるってマ?

アニメ化して都内におうちたてた漫画家そこそこいるのに、アニメ化しても金銭メリットゼロすぎるってマ?

 

bkmkアホすぎるだろ。

anond:20240411002849

この問題ってさ、アニメ化実写化が「1回しかできない」ってところに原因があると思うんだよな

古典みたいに○○版××、△△版××って、何度も映像化されるようになればどうでもよくなる問題

原作者絶対」はどこまで通用するのか

近年、原作者自殺という最悪な結末を迎えた「セクシー田中さん」や、つい先日にも「スナックバス江」がアニメ放送中にあてつけるように原作者による自主制作アニメが公開されるなど、原作者制作サイドの関係性の問題が取り沙汰されています

これらの問題により「原作を改変してはならない」「原作者の意にそぐわない映像化はしてはならない」という声も大きくなっています

ジョージ森川先生も「原作者の声は絶対だ」と主張しています


以下は、はるか昔にあった漫画原作によるアニメ制作時に起こった実話です。

作品名スタジオ名は伏せさせていただきます

もう何十年も前、当時のある人気漫画OVAとして制作されました。

その漫画は今でも根強いカルト的人気を誇るSFコメディ漫画でした。

その漫画原作アニメ化するスタジオは、長い下積みを重ねてこれが初の元請け作品になりました。

原作者SFマインドに造詣が深く、絵も非常に達者で女の子の絵柄も可愛く、今もなお高い評価を獲得している有り体に言えば「天才漫画家でした。

そして、天才ゆえに性格もまた非常に難のある人間でした。

酔った勢いで気に入らない関係者に殴りかかったという話もある武闘派な人でした。

新旧のアニメーションにも造詣が深く、アニメ雑誌にもコラム連載を持っていました。

そんな原作者作品アニメするにあたって、やはり原作者アニメ制作にも介入してきました。

監督は◯◯◯◯(巨匠クラス)にしろアニメ化のテイストはこういうふうにしろ、ああしろ、こうしろ・・・

かなりの我儘とも言える多大な注文をスタジオに強いてきたのです。

スタジオもせっかくの初元請けなので強く出ることもできず、原作者の我儘な数多いの要望を聞き入れながら、なんとかアニメは完成させました。

関係者による完成試写会原作者も出席し、上映開始。

上映中、原作者はまだ途中にも関わらず退席し、そのまま帰ってしまいました。

後日、アニメ誌の連載の中で自作アニメ化を徹底的にこき下ろしました。


そんな作品が売れるはずもなく、失敗作の烙印を押されてスタジオも大打撃を受けました。

誤解の無いように言いますと、そのアニメは決して出来が悪いわけでもなく、単体として見ればとても丁寧に作られた良作でした。

しか原作ファンからしてみれば「?」と疑問符がでるようなものであったのも確かです。

原作の魅力であったシニカルで毒のあるユーモアは鳴りを潜め、低年齢層が見るような童話テイストに仕上がっていました。

しかしこれは原作者要求通りに作った結果であって、アニメ制作側には原作者に恨まれる筋合いはまったくありません。

にも関わらず原作者は何が気に食わなかったのか公の場でアニメ化を糾弾したのです。

スタジオ原作レイプの汚名を着せられ、次に元請け制作のチャンスが巡ってくるまで実に20もの時間を要しました。

ここで重要なのは原作者要望」はアニメ制作サイドは全て叶えてきたにも関わらず、その原作者被害者ムーブかました事です。

原作者絶対」なら、こういう横暴にも制作側は耐えなければならないのでしょうか。

原作者絶対」にも、限度というものがあるのではないでしょうか。

今後、原作者権限ますます強まる風潮になってなるでしょうが、こういう無限定な我儘までをも許してよいとはとても思えません。

今一度、原作者制作サイドの関係性を考えて、このような原作者制作サイドを奴隷玩具のように扱うような事が今後起こらないことを祈ります


後日談として、

そのアニメを作ったスタジオは今ではクオリティ定評のある中堅スタジオに成長し、アニメファンからの支持も厚いスタジオになりました。

制作したアニメ社会現象的なヒットを飛ばし、去年の紅白では主題歌が歌われていました。


原作者は今でも現役で活動していますが、これ以降二度とその原作者作品アニメ化される事はありませんでした。

2024-04-10

ドキュメンタリー映像24労組弾圧関西生コン事件を考える~』が凄かった

2024年3月31日(日)放送MBSドキュメンタリーだけど生で見られなくて配信まだかなぁと待ってたらTVerに来てた。

労組弾圧関西生コン事件を考える~ | TVer

https://tver.jp/episodes/ep706l9a50

労組弾圧関西生コン事件を考える~ | MBSドキュメンタリー 映像24 | MBS 毎日放送

https://www.mbs.jp/eizou/backno/24033100.shtml

ウクライナガザを映したドキュメンタリーみたいに特別映像があるわけではないのに、見てて緊張感覚える構成で迫力があった。経営側が警察右翼暴力団と四位一体となって労組潰しをする様子が描かれる。

最初に「連帯ユニオン関西生コン支部通称‟関生″」がアメリカでは普通産業別労組として生まれ労働者待遇向上を勝ち取ってきた歴史

続いて生コン企業が作る経営者側の団体大阪広域生コンクリート協同組合大阪広域)」と対決し潰されていく過程。関生のゼネストからの官財暴の連携の鮮やかさが怖かった。大量逮捕された組合員警察の取り調べで「関生を脱退すれば釈放されるぞ」と脅されていたという。

見どころは右翼活動家に直撃インタビューして「大阪広域の木村理事長にお願いされて毎月70万円で関生を潰す活動をしてた」と話す場面。大阪広域は金銭の支払いを認めず。

終盤の展開は逮捕された組合員たちがぞくぞくと無罪判決を勝ち取っていき希望が見えるが、元警視総監は「無罪が出ても警察に後悔はない。組織暴力と変わらない」と言い放つ。そして無罪判決上告審高裁差し戻しになって終わる。戦う労組の将来の暗さが暗示されて陰鬱気持ちになる。

夢グループメジャーになったけど、ねこねこ堂はまだだよね?

節操のない取扱商品にチープな映像

ネットで見たら詐欺サイトだなって断定するレベル

  平成29年

  平成30年

     郁子は、ねーぞ、お前がおるからやりよるだけぞと言っていて、後日、久美子はもう搾り屋935は閉店して家でエロに走っているという映像が流れてきたので

  当時は黒羽を出て錯乱していたから気が付かなかったがやっぱり社会全体の自演だった。

雪がとければ自転車が溢れる季節がやってくる

歩道に。

毎年忘れるけどこの季節の今頃がいちばん突然歩道死ぬ確率が高いんだなわが北国は……ということを今日思い出した。今煽り運転自転車ニュースを見て。

でも自転車に限っていえば「ごく普通」の運転をしている人も本当にごく普通に危ないことやってるからあい煽り運転映像を見てやべー奴がいるなwって全くの他人事として嗤ったり怒れない人たくさんいると思うんだよな。

あのスピードでよく後ろから人を追い抜いていけるよなせめて徐行して声かけるか降りて押して追い越せばよくない?って人やら正面からぜったいあいつがよけるやろここ自転車のための道だしって気分で突っ込んでくる人やら

タバコ吸いながらスマホ見ながらそのスピードします?みたいな人やらバイクくらい太いタイヤ自転車で人の足轢いていく人やら怒号で避けさせようとする人とか夜無灯火で集団爆走してくる男子高校生とか女子高生が並走でおしゃべりしながら向かってきて歩道にどこにも避けるところがなくなって困って車道に出ざるを得ないとか、とにかく歩行者をいないものとしてルンルン走ってる自転車いっぱいでさながら自転車専用路のよう。歩道概念が壊れる。

自分はとりあえずまだ反射神経があるけど自分のやや高齢の母をそういう自転車から守るのにめちゃくちゃ苦労してる。特に雪が解けた直後の今頃はカンが戻らなくて苦労する。

自分そばにいなくて一人で歩いてるときも後ろから来る自転車全然気づけないっていうからいつか嫌な連絡飛び込んでくるんじゃないかと思って怖いわ。

そうやってやっと後ろから自転車を避けさせて、こっちが悪いわけじゃないのに「とろいな」って感じて舌打ちして通り過ぎる自転車の人、タンスに足の小指1日1回ぶつけてほしい。

雪解け一転春一番自転車を出す気持ちよさはわかるし車道なんて素で自転車が走るような状況じゃないこともわかるけど、それにしても下手したら人を殺すか再起不能にするか自分が突然死ぬ再起不能になるのに本当に危ないものを扱ってるという認識がないんだなあという気分になってこの季節一番イライラしてしまう。

いうか普通に怖いしな。一歩右によろけてたら今轢かれてたなってことが多すぎる。いや、本当に怖くないの?乗ってる人自身

家族過去に一回轢かれかけてトラブルに巻き込まれてるしもういい加減うんざり

結局警察が介入して向こうを怒ってくれてそれはよかったけど、いよいよ嫌になって危機感を忘れたり十分速い乗り物に乗ってるにも関わらずもっと早く目的地に到達したいと思う気持ちがなぜかどうしても生まれてくるらしいことや、それらを考えることが面倒で自分自身もそういう運用をしてしまうかもしれないのが嫌だし疲れちゃって自転車乗るのそれ以来一切やめた。

日本人マナールールをよく守るって言うけど、自転車ルール危機意識に関しては底を尽いてるなってよく思う。

前にお店からぱっと出てきた子供を猛スピード自転車轢き逃げしてそれをカメラが捉えていて発覚したという事件があって、その反応においては子供の方が非難されて自転車乗りの方に同情する意見が多くて目を疑ったことを思いだす。

子供コンビニなんかに一人で寄らなくて店から唐突に飛び出してこなければ、そんなん予想できないんだからって。そんなこと言ったらそもそも歩道あんな猛スピードで走ってなきゃ起きない事故だわ。冷静に考えろ。

やっぱり自分普通にやってることを改めて認識するとバツが悪くなるというかそんなことないやろだってみんなこれで普通にやってるしってどうしても言いたくなるんだろうけど、やっぱりそりゃないよ。普通に危ないし良くない。

最近ヘルメット努力義務化されて、子どもたちにヘルメットかぶせて肘当て膝当てもさせて安全意識させても、お父さんがその状態の子供4人を引き連れて歩道集団で爆走するんじゃ意味ないやろ。

自分の身を守る安全と同時に他人安全を守るために教えることもあるのに、後者の方が完全に抜けてる。

大人の方も自転車安全運用を知らないし今のままでいいし遠慮するのは歩行者の方と思ってるから改善されない。

いいけどいつか死ぬかもしれないのに。被害者になる確率加害者になる確率普通にあるのに多分まだ少なくない数の人が保険にも入ってないんだろうし。

普通の乗り方」程度に思ってるかもしれないけどその乗り方は本当に危ない。危険運転自転車滅びますように。

自転車専用路がちゃんと危なくない、おざなりでない形で整備されますように。

自身家族がこういう事態関係者になることなんて十分以上にありうるのだから

https://www3.nhk.or.jp/news/special/article/20240410/k10014410001000.html

死に方が高い付加価値を持つ時代

必ず来ると思うんだよ

おれ氷河期世代なんだけどさ、年金医療介護絶望的でしょ?

下に支えられるような世代がいないもん

団塊世代はおれらが低賃金労働で今のまま支えきるけど、おれらの世代だともう絶対無理

そうなると、死ぬまで働く=働けなくなったら早く死ぬしかないよね?

それならいっそ苦しまずできるだけ快適な死を選びたいよね?

いろんな死に方がサービスとして提供されてて自由に選べたら良くね?

酒池肉林の宴の最中死ねるとか、映画のワンシーンみたいに劇的に死ねるとか、先に死んだ妻と再会して天に昇っていく映像見ながら死ねるとか、いろんなパターン(商品)がありうる

金持ちは生身のキャスト使って派手な演出したり、麻酔も使って苦しまずに死ねるようにしたり、より高付加価値な死に方選んで、庶民VRと酒とかで済ませるとか、差別化もできる

正直倫理的な点以外全く問題を感じない

それどころかボケや寝たきりの不安から解放されるし、社会保障費も削減できるし、新しい産業も発展するし、メリットがとても大きいように思う

たぶんこれはそう遠くない将来に実現してるだろう

anond:20240410122304

ボタンを押すと餌は出ないけど音楽が鳴ったり

かわいいメスザルとかバナナふわふわ浮いてる映像を見せることで

全然食えなくても

「俺はこれを見るためにボタンを押している、餌はもう運、まあ食えればラッキーくらいの感じ?ww」

って納得させることができる

anond:20240410102124

原作を知っている僕は映像化されたものゴミだと思いました

かいう気取った奴が嫌い

 

追記:と言おうとしたが、俺にも心当たりがあったわ。ダレンシャンの映画版はクソ!

映画オッペンハイマー」は重厚感のある大作だと思ったけど、クリストファー・ノーラン監督がどんどん社会派歴史派な作品製作に向かっていくんだな、みたいな一抹の寂しさがある。

むかし「セブン」「ゲーム」ファイトクラブ」と映像企画の鋭さで作家性が強く見えたデビッド・フィンチャー監督ゾディアックソーシャル・ネットワークを作っていったように。

原作を知っている僕は映像化されたものゴミだと思いました

かいう気取った奴が嫌い

 

追記:と言おうとしたが、俺にも心当たりがあったわ。ダレンシャンの映画版はクソ!

実際に映像化する必要ないんじゃない?

映像化決定!って広告さえ出してキャスティングOPED曲を発表しさえすれば、

広告屋も原作者出版社キャストアーティストもみんな知名度を得てウハウハなんだから

無駄時間金もかかって権利関係ややこしい映像化を本当にやる必要なくない?

2024-04-09

anond:20240409233518

映像出ないだけで戦車で打ち合ってるんじゃない?

ウクライナ戦車が足りないかもっとよこせって要請してたじゃん。

anond:20240409231348

2月頃、すこし話を聞いたことがある。

寝ようとすると映像が脳に投影されるっていうんで、その中身を聞いたんだ。

ただ聞いたけど内容は覚えてない、誰々が何年何月何日に何何している映像、という羅列だった。チー牛が潰されてちぎゅあああだけは覚えてる。もう消されてて確認できない。

で、俺には何を言ったらいいかからなかった。それきり、話そうとすることはやめた。

どういうつもりかはわからんが、並の読解能力では太刀打ちできん。チャレンジするならまあ、幸運を祈る。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん