はてなキーワード: 弱視とは
言いたいことの大半はこの増田に書いてあったんだけど
https://anond.hatelabo.jp/20210515224207
女児の親として見てもプリキュアが女の子のために・子供のためにってのは嘘っぱちなんだわ。
例えばキラキラプリキュアアラモードではいちかがアキラを男だと思い込んで好きになったけど女だと知った瞬間好意が消え失せるのなぜ?むしろ自身のセクシャリティに疑問を感じてもおかしくない描写なんですけど?ってあたりにマイノリティに属する女の子の気持ちなんかこれっぽっちも考えてないんだわな。
え?同性愛者の女の子なんか知ったこっちゃないってことですか?
うちの娘は同じ保育園の仲良しの女の子のことを大好きだって教えてくれるけどまあ、まだ子どもなのでそれが所謂LOVEなのかLIKEなのかは分からん。
本人が自分の気持ちをいつ・どういう風に理解するか分からないけど異性愛であって当たり前だなんてもの見せてくれるなよ。
自分自身もバイセクシャルとして世の中に当たり前に異性愛ばっっっっっっっかり見せられて自認にいたるまで無駄な時間を過ごさせられた。
近所にはちょっとぽっちゃりした女の子も住んでる。弱視の女の子も保育園にいるよ。アニメではほとんど存在させられたことないしプリキュアにもなれないけど。
子どもがそんな表現に文句言ってないから別にいいだろって?生まれて数年でな毎日新しいことだらけ、目の前のものをどんどん受け止めるので精一杯の子どもが何年もアニメばっか見てる大人みたいに一つ一つの表現に文句言うの?笑
この作品にこういうシーンがないのはおかしいって?子どもを盾に利用してアホなことを言うな。
表現の自由戦士みたいなのが自分の思想を馬鹿にされたと勘違いしてこれだからフェミは、とかポリコレ棒とか言って必死こいて騒ぎ立てる。
文句言ってるのはプリキュアとか子供向けコンテンツ全般の表現や内容なんだけどなぜか自己を肥大化して自分に文句言われたと勘違いしてる上にそれに気づかずわめいてる…。
売上が~とか商業的に~って言って必死こいて自分たち大人も消費しやすい可愛くてピンクと白とリボンで細身で眼鏡をかけてない女の子以外存在しない幅の狭い表現だけ楽しませろって…はあ…。表現の自由を守るっていいながら言ってる表現めちゃめちゃ狭いな。
元増田だとディズニーとかセサミストリート出してるけどマーベルだって多様性に富みまくってるのに多様性を金儲けに使うなと逆に文句言われるほど売れてるよ。
やる気が無いんだよ。最初からあらゆる女の子を勇気づけようって気持ちよりも、世の中の都合の良いなんとなし多様性っぽい雰囲気のものをキラキラ可愛くコーティングしてそれっぽく見せたらもうそれでやってる感抱いちゃって本気で現実の子どもたち・女の子たちの抱えてる困難なんて勉強してないんじゃないのか。
「女の子のため」っていうのコンセプトに掲げるなら本気出してやれよ。
プリキュアに限った話じゃないけど、少し前のプリキュアの制作の裏側みたいな番組で「自分のためのメイク」みたいなの言ってて見られる性としてこれまでたくさんの女性の表現やルッキズムやらが問題になってきたことを勉強してきたのか?とむしろ不安を抱いたよ。
これまでも適当な多様性やってる感だけ出してる表現しか出来ないプリキュアが、今度も同じようなこと繰り返すんだな、と。
うちの娘をのけものにすんなよ。
できないんだったら「女の子」を軽々しく作品のターゲットやコンセプトに利用すんな。
おい、アイカツお前もだぞ。
私は本当にもやもやしている。発端は例の伊是名夏子さんのこの投稿。
http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html
バリアフリーは推進されるべきだ。その方向性に異論はない。そしてバリアフリーを訴える目的はよいと思うし、その目的を批判している人はほとんどいない。
でもこの記事を最初に読んだ時、「これは炎上するな」と思った。
私は、きちんとした教育を受けそれなりの大学を出て、結婚もして家族もあるし、収入はそこそこあり持ち家にも住んでいる。
ただ片目があまり見えない。病気というか、発達障碍というか、弱視という視覚障碍がある。ちなみに弱視というのは、眼鏡などで矯正しても視力がでないことをいう。
だが片目だけの視覚障碍なので、私は身体障碍者ではない。健常者だ。もっとも正常な方の目も、近視、乱視がはいって矯正しないと0.5ぐらいなので、そんなに見えるわけではないけれど、視力矯正できるかできないかは全然違う。
もっとも、もしかすると両目がきちんと見える人よりも、遠近感の把握ができなかったり、視野が狭いのかもしれないが、両目見えていた経験がないので、違うのかは全くわからない。
不自由はないといいつつも、ほんの少し、両目が見えたらいいのにと思うことがある。例えばVRゴーグルをかけてみた時などにそう思うことがある。でもそれは総じて大したことではない。
逆に見えなくてよかったと思うこともほとんどないのだけど、ひとつだけ、心からよかったと思うことがある。
私は、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目を持っている。社会を、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目で見ることができる。それは本当によかったと思う。
私は、時々、自分の健常者の目をつぶり、視覚障碍の目だけで街を歩くことがある。特に、今回は、もやもやし続けているので、いろんな場所で何度もそうしている。
通しでやったことはまだないが、眼帯などで健常者の目を隠し、視覚障碍の目だけで自宅から会社まで通勤するのは可能と思う。
なぜ可能と思うかというと、私は、自宅のドアを開けたところから、会社の入り口まで、健常者の目で何度も通勤しているので、途中の、①道路、通路の硬さ、すべりやすさ、段差、②曲がるときの角度、直線で歩くべき距離、③階段のおおよその段数やエスカレーターなどの位置、こういうものを覚えている。
見えないものは、記憶で補いながら歩く。ゆっくり歩けば、弱視の目でも歩くことができる。
そして音は重要だ。自動車が近づいてくる。こういうものは音で判断する。
自転車は、音が小さいから、怖い。電気自動車も、音が小さいから、怖い。
電車の時間も、発着ホームも、だいたい覚えているので、目的の電車に乗ることはできる。ただし、遅延などが発生し、行き先が違う電車が普段とは違う時間にやってきたりすると、困る。
そういう時は駅員さんしか頼りにできなくなるだろう。
本当の視覚障碍者の人は、情報を得るのにとても困るだろうなと思っている。ホームに駅員さんがいれば聞くことができるのだろうけど、いつもいるわけではない。視覚障害者はそうたやすくホームを歩けないので、同じホームに駅員さんがいても、距離が離れていたら聞くのは難しくなる。
少なくとも私は、視覚障碍者の目で歩くとき、普段と違う状況になると状況を把握できず、いらいらする。
私が、視覚障碍者の目で歩くときは、記憶と、耳と、手と、足の裏の感覚と、それ以外の感覚も総動員しながら、歩く。
集中しているので、いきなり肩や腕をつかまれたりすると、とてもびっくりするだろうと思う。怖いと思うかもしれない。
もし皆さんが視覚障碍者に何か情報を伝えたい、手助けしようと思ったら、白杖や身体をいきなり触るのではなく、まずは声をかけてほしい。もし声をかけて手助けを断られたり、声をかけるのを躊躇するなら、見守ってほしい。
私の弱視は、光線の具合で、見えたり見えなかったりすることがある。
広い平坦な場所で、突起に気づかずつまづくぐらいなら笑い話かもしれないが、ホームの端がみえにくくて転落することがあれば、それは生命の問題に直結する。((ホームと線路の彩色、彩度が似ていると、ホームの端がわかりにくい。))
その対策だが、蛍光色で10cmぐらいの幅のラインを描くことで、ホームの端の視認性はかなり上がる。これをCPラインというらしい。
一部、導入されつつあるが、まだまだ普及がすすんでいない。
https://ameblo.jp/milkyht2/entry-12244392124.html
ホームドアは、視覚障碍者のためだけではなく、酔っ払いなど一般の人の転落事故も防止する。ホームドアがあれば死なずにすんだ命は多い。できる限りペースを速めて、設置してほしいと思う。
ネックは、ご存じの通り、多額の費用がかかることだ。
でも、生命にかかわることだから、優先順位は一番高くていいのではないかと思う。
日本視覚障害者団体連合もホームドアの設置を求め続けている。2020年7月の阿佐ヶ谷駅での視覚障碍者の転落死亡事故をうけて、同年9月にも国土交通大臣に要望書を提出している。こういう働きかけは大切だ。政治や企業への働きかけは、絶え間なく行わないといけない。
働きかけを行うべき先は、政治も企業もしかるべき権限をもつ者=責任者であるべきだろう。「なんでホームドアがないんだ!」と現場で駅員さんに怒鳴っても、何も改善しない。
http://nichimou.org/notice/200923-jimu/
歩道や施設などの通路、ホーム上にある点字ブロックは日本発祥のものだ。これはよい発明だと思う。かなり普及しているのも評価したい。
また、2016年に近鉄大阪線河内国分駅ホームから視覚障害者が転落死した事件をうけ、対策として「内方線付き点状ブロック」設置を推進していたが、これはかなり進んだと思う。評価したい。
https://www.sankei.com/affairs/news/161017/afr1610170045-n1.html
でも、「なんでこうなった?」というような謎な点字ブロックも多々ある。そんな役に立たない点字ブロックや、かえって危険を作っている点字ブロックがある。
ホームなどの点字ブロックの配置についてはガイドラインがあるが、まだそれが守られていないことがある。2019年の京成立石駅で視覚障碍者が転落死した事件は、規格外ブロックが問題と指摘された。
https://s.mxtv.jp/mxnews/kiji.php?date=14s53i742ax788in6
ガイドラインに沿っていても、転落事故(死)が起こることがある。視覚障碍者は、目からの情報が少ないため、点字ブロックを認識しつつも、現在地と歩く方向を間違い転落することがある。
点字ブロックはとても有効な設備だが、点字ブロックだけでは転落事故はなくせない。
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/437710.html
点字ブロックは、黄色のものが多い。(私も健常者の目で見た時はそう思うが)黄色のブロックは、色がガシャガシャして、うるさく感じないだろうか?
そこで、街並みをおしゃれにするため、点字ブロックを歩道の色と合わせて設置することがある。最近増えた感じがする。
でも弱視者には、これがわかりづらい。
視覚障碍者は全盲の人ばかりではないという認知がもっと広まってほしい。
「視覚障碍者は見えないのだから、点字ブロックは何色でもいいのでは?」と思わないでほしい。
少ない視力を使って点字ブロックの上を歩きながら、足の裏の感覚などで点字ブロックの助けを得て歩く視覚障碍者もいる。
視覚障碍者は、道路交通法によって、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることが義務づけられている。(第14条第1項)
また、視覚障碍者でなければ、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることを禁止されている。(第14条第2項)
さきほども書いたが、視覚障碍者は全盲の人だけではない。ロービジョンといわれるのだが、若干の視力はあるのだが日常生活に支障がある人がいる。白杖の使い方は、人それぞれだ。
ところで、視覚障碍者が白杖を持つ理由は次の3つとされている。
https://nippokai.jp/wp/formembers/canes/
障害物もなく、路面が確かな場合、ロービジョンの視覚障碍者は、白杖を「視覚障害を持つことを周囲に知らせる」だけに使うことがある。つまり周囲の人に自分の存在を知らせるために、白杖を動かさず抱えることがある。
それを白杖を使っていないと思わないでほしい。白杖で地面を叩いていないからといって、「こいつは視覚障害ではないのでは?」なんて思わないでほしい。
点字ブロックの上や近くで立っていたり、荷物を置いていたりしていないだろうか?
いわゆる歩きスマホはしていないだろうか?
視覚障碍者は、器用にぶつからないようにしたり、避けたりするのが苦手だ。
伊是名夏子さんの投稿とその後の議論、動きなどみて、私がもやもやした理由は主に次の3つになる。
私が、ここに書いた話題は、全部が「視覚障碍者にとってのバリアフリー」問題だ。
伊是名夏子さんの投稿は、さまざまな議論を呼んだが、その議論は、エレベーターとかスロープとか、「車いす利用者にとってのバリアフリー」だけしか議論されていないでは?と感じた。
確かに伊是名夏子さんは自分自身の障碍のため、「車いす利用者にとってのバリアフリー」を問題にしている。それは当然だと思う。
でも、「バリアフリー」を必要としている人は、車いす利用者だけではない。視覚障碍者も、聴覚障碍者も、妊婦や精神障碍者なども、「バリアフリー」を必要としている。
それぞれの障碍やハンディキャップが違えば、「バリアフリー」として求めるものは違う。でもそこまで広く捉えた「バリアフリー」議論はほとんどなかった。
いつでもどこにでも自由に行ける自由はとても大切なことだと思うけど、毎日、命の危険を感じながら鉄道を使う人のことも思い出してほしい。
案の定、伊是名夏子さんの投稿は炎上した。あの投稿を批判的に見る人は、来宮駅を巡るトラブルの作為性を問題にしている。作為性とは、バリアフリーを訴えるために、わざとトラブルを起こしたのではという見方だ。ご本人は否定している。しかし私も実は、作為性はあっただろうと思っている。
現場でのトラブルを、乗車拒否などの強い言葉を使った非難を行い、耳目を集める手法というのは、そのトラブルの作為性を巡って反感を買いやすい。
伊是名夏子さんご本人が、それが戦いだとお考えになることは、批判できない。こうしなければ、耳目を集められないという気持ちも理解できる。
しかし、何かバリアフリーの課題を改善したいと考えた時、この手法が一番効果的となってしまえば、他の障碍者も(少々作為性があろうと)トラブルを起こし、それを声高に訴えないといけなくなってしまうのではないか? 私は、そういう状況が本当のバリアフリー社会とは思えない。
そして、あの手法に反感をもつ人と、支援する人との分断は、更に広がったように思う。
分断されたバリアフリー社会とか、笑えないブラックジョークだ。
伊是名夏子さんの投稿に対しては、私も批判的だし、批判する人の気持ちはわかる。
一方、こういったネットの炎上が生じると、その人の過去の行動を洗い出し、それらも併せて執拗に非難するような行動がよく見られる。晒しと呼ばれる行為だと思う。
確かに、伊是名夏子さんの過去の行動で、「それはよくないな」と思う事例はいくつか見つかった。
しかし、既に法的には時効を迎えたと思われる古い過去を、声高に非難する合理性はないように思う。
話は変わるが、視覚障碍者の投稿を読むと、白杖を持って歩いている時に誰かとぶつかった後、その人から心無い言葉を浴びせられたという投稿がいくつも見つかる。
他の障碍者やハンディキャップを持つ人も、そういう経験をしているのだろうと思う。
そんな心無い言葉を浴びせる人は、たぶんその人の心の中に、障碍者への「偏見」というバリア(障壁)を持っていると思う。
心の中のバリア(障壁)は、目に見えるものではないので、取り除く=バリアフリーを作るのはとても難しいと思う。
インフラは整っているが、人の心の中はバリア(障壁)だらけのバリアフリー社会って、何かのアイロニーだろうか?
今回、伊是名夏子さんの過去の行動を非難した人の心の中に、障碍者に対するバリア(障壁)ができないことを願う。そして本当のバリアフリー社会を作るには、あなたの協力が必要だと訴えたい。
私はまだもやもやしている。
これな。
tama___si こういう理由で苦手なんですって丁寧に説明してるのに、それはおかしい、できるようになれって意見ばかりで辟易する。こういう人もいるんだな、聞き方を変えてあげようかなっていうのが学びと理解だと思うんだけど。
2021/01/10
学生時代に弱視の同級生がいた。いつも拡大ルーペを持ち歩いていて、レポートなんかはPCモニタで文字をかなり拡大して書いてた。
周囲はみんな彼女の障害を知ってたから、授業でもプライベートでも彼女に情報を伝える時は、できるだけ言葉で説明してあげたり、ルーペでゆっくり文字を追うのを待ってあげたり、メールで送って「後で見てくれればいいよ」という対応をしてあげてた。
増田のコミュ障も、こういう風に他人から見て分かりやすくて配慮してもらえたら良かったのにね。
医者に何か診断名を付けてもらって『ジョーカー』の主人公みたいに「私にはこういうコミュニケーション障害があります。ご配慮に感謝します」というカードを初対面の人には見せるとかすればいいのかな?
ただ弱視の彼女も真面目に勉強して卒業はしたけど、普通の就職はできなかった(専攻に合った卒業生の標準的な就職先の内定はもらえなかったという意味ね)。
増田のコミュ障ももし周囲が理解して配慮してくれるようになっても、「この人はコミュニケーションが苦手だから、コミュニケーションが関わることをさせないようにしよう」ということになって、顧客対応がある仕事には就けなかったり、結婚して子供を一緒に育てるパートナーには向かない人として選ばれなかったり、という結果になりそう。
個人的な印象だけれど、紙の本を読んでいるほうが電子書籍よりも頭に残るものが多い気がする。
前後を往復しながら読んだり、以前の内容を参照しながら読んだりしやすいか、しにくいかの違いなのかもしれないけれど。
知識はネットワークにすることでより強固になるというけれど、電子書籍だとアクセスがしにくすぎてそれができないんだろうな。
自分の場合、本はちょっと前を読んだり、今読んでる内容に関連する前の章を読んだりして前後しながら読んでいく。
たぶん、そうすることでより脳に知識が定着しやすくなっているんだと思う。
電子書籍の反応の遅さや情報にジャンプする機能の悪さが理由かもしれないけれど、電子書籍だととことんそれがしにくい。
...と書きながら、弱視の人は本が読めないという話を思い出した。
ただ、弱視だと文字一つを認識するのに多くの時間を要するのが問題らしい。
脳が文字を文章として認識するには1秒間に一定以上の速さで脳に入ってこないといけないらしく、弱視だとそのスピードで文字を脳に入れられないらしい。
自分の勝手なイメージだが、知識を脳に定着させるには一定の速さで関連情報を脳にインプットしないといけないのではないのだろうか。紙に比べて電子ペーパーの反応が遅すぎてもともとの文章と関連文章を脳にインプットする時間に大きなタイムラグがあり、脳がそれらを関連情報として認識できないということはないのだろうか。あと、紙の本だとパラパラっとめくって関連のものをストレスなく探せるが、電子書籍の場合、電子ペーパーの反応の遅さも手伝って、関連内容を本気で探す...もともとの文章をわすれることも多々あるよね。
自分は文字で情報を確認し処理するのが得意なタイプだ。視空間性ワーキングメモリ寄りのようだ。本を読むのも早い。代わりに耳で情報を処理するのが苦手だ。
意識しなくても誰かが喋ってそれが耳に入ると何を喋ってるのかを脳の処理演算を無意識に強制させられるので作業効率が落ちるし、疲れやすくなる。
作業時のBGMは洋楽の方が脳も言語として認識せず余計な演算を行わないので楽だ。
親父は目がかなり悪く耳で情報を処理するのが得意なタイプだ。言語性ワーキングメモリが飛び抜けている。
目が悪いため、授業中の黒板など見えず先生の喋ってることを情報を処理して覚えて学習することを幼少からしていたそうだ。
最低限のメモを取れば、聞くだけで情報を整理できて判断するのが得意なタイプだ。
買い物をしに街に出たら、ヨレヨレの子猫を見つけた。
尻尾がボロボロで、顔も傷だらけで、ガリガリに痩せていて、毛皮はおそらく元は白かったんだろうけど全体的に膿や泥で灰色に薄汚れていた。
ちょうど最近YouTubeで子猫の動画を見るのにハマっていた。動画の子猫は小さいながらとても元気で、親猫に見守られつつコロコロ走り回っていてとても微笑ましかった。
そのヨレヨレの子猫も、動画の子猫と同じくらいの年頃に見えた。あたりを見回しても、親猫らしい存在は見当たらなかった。
このまま放っておいたら、ひょっとしたら長くないかもしれない・・・。
もうその時には、俺の頭の中には、そのヨレヨレの子猫の責任を持つ以外の選択肢は存在すらしなかった。
コンビニにいきチャオチュールを購入し、子猫を捕まえようと奔走した。しかし、ヨレヨレの子猫は警戒心が強くてなかなか捕まえることができず、しまいには狭い路地に逃げ込まれてしまった。
万事休す。
まあ、それがヨレヨレの子猫の選択なら、尊重すべきだ。俺だって救ってやろうなんて傲慢な考えはハナから持っていない。ただ、一方的に、ヨレヨレの子猫の責任を持ちたいと思ってしまっただけなのだ。
後ろ髪ひかれる想いで路地を見つめていると、近隣住民の女性から責めるような声で「あんたさっきからココでなにやってんの」と声をかけられた。泣きっ面にハチとはこのこと。警察なんか呼ばれたらたまらないので、正直にヨレヨレの子猫のことを話した。
すると女性の態度は一変。そういうことなら、と、猫のエサや網をご自宅から持ってきてくださり、捕獲作戦に協力してくれた。相当な猫好きの方らしい。そんなわけで、一度はあきらめかけた俺だが、もう一度ヨレヨレの子猫捜索に着手した。チャンスの女神から、「まだあきらめるな」と言われたような気がした。
しかし結局その後小一時間くらい粘ったが捕獲には至らず、俺と女性がすっかりあきらめムードになっていたところ、近隣住民と思しき女性その2が現れた。その1とは顔見知りらしく、その1から経緯を聞いたその2は猫の捕獲機を出してきてくださった。
いわく、「ワナをしかけといてやるから、かかったら連絡するよ。」とのこと。
俺はこの時、チャンスの女神から、「いいからこの子猫を飼うんだよ!!!」と言われている気がした。
それから数時間後、「かかった」と連絡をもらって、無事に子猫を受け取ってきた。そばで見ると、怪我の傷がなまなましかった。抱いてみると、手のひらに骨と皮しかない身体の感触が伝わった。
あらかじめもってきていたキャリーバッグにそっと入れてやってから、協力してくれた女性にしこたまお礼を言い、その足で動物病院に連れて行った。
見てもらうと、命に別状はないこと、しっぽが壊死していること、親とはぐれているあたり、弱視の可能性があることなどの診察結果を得た。その場で壊死した尻尾はきりとられた。俺は心臓が縮みあがった。抗生物質と消毒をもらった。
帰宅してから、ヨレヨレの子猫にミルクと離乳食をだしてやった。すると、こっちが驚くくらいの食欲で、一瞬ですべて平らげてしまった。切り取られたしっぽの痛みで食欲がなくなりやしないかと心配していたが、杞憂だったらしくホッとした。あんまり一気に食わせても胃腸の負担になると思っておかわりはさせなかったが、これからは毎日腹いっぱいくわせてやるからな、と俺は勝手に、誓った。
腹がはったヨレヨレの子猫は、めちゃくちゃ甘えん坊になった。ゲージにいれるとギャーギャー喚くので、戸をあけてみると、俺の膝にのってくるのだ。さっきまであんなに逃げ回っていたというのに、現金な子猫だ。
かなり汚れているし、結構臭うのだけど、その可憐なしぐさにあっという間にめろめろになって、においなんかわからなくなった。
傷に障らないよう慎重にヨシヨシしていると、気づいたら猫は寝てしまっていた。俺はまだどこかフワフワしているというか浮足立っていたので、日記を書いてみたというわけだ。多少落ち着いてきた。
それにしても、膝にのっているのも意識していないと忘れてしまうほど軽い。子猫なのだから当たり前ではあるのだが、それを加味してもガリガリすぎるし、カラスにやられたのかドラ猫にやられたのかわからんが顔も身体も傷だらけだし、しっぽの切り口は痛々しい。
こんな小さな体で、きっといつも体中が痛くて、空腹で、外敵を警戒しながら、ゆっくり眠ることもできずに、一か月以上一人きりで生きてきていたのかと思うと、胸が苦しくなる。しっぽを切るのだって、変わってやれるなら俺が代わってやりたいくらいだった。いまだって痛いはずだ。この子猫の痛みを肩代わりしてやれないことが今一番苦しい。
過去に黒猫を拾った時を思い出した。友人の家でみつかったあの子は、怪我や病気こそしていなかったが、まだ歯も生えそろっていないような年頃で、親はおらず、友人のあとをずっとついてまわったのだそうだ。友人のご両親は保健所へつれていけと怒ったらしいが、それだけなつかれてしまった友人は参ってしまって、俺に相談をもちかけてきたというわけだ。
なんとなく、トイレやゲージなど、一通り掃除はしたものの、処分してしまうのも、すっかり片づけて押入れの奥にしまってしまうのも気が引けて、定位置においたままにして数年が経っていた。
ほんとうに、処分してしまわなくてよかった。と、心から思っている。
この白い猫の名前を考えよう。
自分は生まれつき目が悪くて、コンタクトがないと目先1mの看板もよく見えないレベル
たまに裸眼でしばらく過ごして、
「部屋綺麗だしまだ掃除しないでいいか」「毛目立たないし剃らなくていいか」「これはアイロンかけなくてもいいか」とか
思うんだけど
コンタクトして改めて見るとびっくりする
これ一生弱視の人には、一生気づけない細かい部分があるんじゃないかと思った
マジかよみたいな不潔な人ってたまに見かけるけど、みんな見えてないだけなのかもしれない
イケメンとか美女じゃないけど、それ風に振舞ってる人も視力が弱いのかもしれない
幼少期、祖父にパンツの中に指いれられたの思い出してしまった。
このニュース https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200202-00029765-bunshun-soci 読んでたら急に思い出した。
ブコメに書くようなことじゃないし、でも一人で抱えてるのもモヤモヤしたので吐き出すところがあってよかった。
しかもじいさんは弱視でほぼ目が見えてないので、「目がみえてないからかな?」って思ったんだけど性器に指きたのは
やっぱり違うと思って、同じ時期に帰省していた2,3歳年上の従姉妹のお姉ちゃん二人にこんな事あったんだけど…っていったら
お姉ちゃんたちも「わたしもあった」ってなって、幼いながらに「あれはダメな行為」だったと認識できたのでよかった。
従姉妹がいなかったら母親に言ったかもしれないので従姉妹がいて良かった。
自分より下の親戚がいたら言ったほうが良かったのかも知れないけど居なくてよかった。
タイトルに関して知見が欲しいの半分、愚痴りたいの半分で書く。
斜視はかなり改善してるけど片目は未だに弱視。もう片方も裸眼で遠くは見えるけど本の活字がほぼ読めないから眼鏡必須。
ここ1年くらいで視力が落ちてきて目に力を入れないと手元が見づらくなったので久々に眼科に行った。
初診で散瞳剤を点眼し検査をしたがうまくいかなかったと言われ、後日サイプレジンという目薬を使って再検査をした。
長丁場の検査後「左右2段階ずつ度数をあげますね」と言われ、処方箋を手渡された。そのまま眼鏡屋に直行し眼鏡を購入した。
数日後完成した眼鏡を受け取りに行き、掛け替えて店を出て少し経ったあたりで頭痛と吐き気をじわじわ感じ始めた。
遠近感も妙で夢の中を歩いているような違和感がある。手元のスマートフォンの文字もぼやけるし、駅の電光掲示板は滲んで見えづらい。
初めて眼鏡を買い換えてこういった感覚におそわれたが、じきに慣れるだろうと思い様子を見ることにした。
翌朝になっても何も改善せず、昼過ぎにおかしいと思い処方箋を見直した。
見える方の度数が3段階、弱視の方の度数が1段階上がっていた。
すぐ以前の眼鏡に掛け替えたところ1〜2時間で体調も良くなった。
眼科に逆ではないかと電話すると「おそらくそうだと思うが診ないとわからないので来てくれ」と言われた。
そして昨日眼科に行ってきた。
「前回対応をした者に対応させる」と言われたので「不安なので別の方に対応していただけるとありがたい」と伝えた。
「検査結果通りに処方したがどうやら合わなかったようだ」と言われたので「2段階あげると言われたのにそうなっていないうえ、かけても視力が出ないのはおかしいし逆ではないのか」と言ったら、医師がパソコンのデータか何かを見ながら「確かに逆だ」とかそんなことを小さく呟いた。
改めて正しい処方箋が欲しい旨を伝えたが「遠視の目は測定が難しいので来月専門家(なんたら士?と言っていた)が来た時に再検査したい」と言われた。すぐに眼鏡を買い換えたいと伝えたがしばらく前の眼鏡で生活してくれと言われた。
病院から指定された日は仕事を休まないと来院できないと伝えたがじゃあそうして欲しいと言われ少しイラッとした
腑に落ちない部分はあったが来月の予約をさせられ診察を切り上げられた。
受付で800円程取られて「処方箋が間違っててもお金を払わないといけないんですね」といらない嫌味を行ってしまった。
言い訳すると月のもので体調が非常に悪い上に朝1で受診するため寝不足気味の状態で来院したため精神的な余裕を欠いていた。
もう1度診察室に行ってくれと言われたが、いらないことを言ってしまい申し訳ないしごねたり金を返せと言うつもりはないので会計してくれと返した。
暗所で看護婦数人と医師に囲まれるのは正直嫌だったが強引に診察室に連れていかれた。
医師から「あの処方箋は誤りではない」「こちらは正しい処方をしたが合わなかっただけ」と言われた。
もうさっさと家に帰って寝たかったので「誤りでないというのは納得できないが揉めるのは本意ではないし誤っていたからといってタダにしろとかごねる意図はない。先程の発言はやつあたりということにしてほしい。申し訳ない」と言った。
何言ってるんだこいつみたいな顔をされてなんとなく話が終わったので受付に失礼な態度をとったことを謝って病院を出た。
3度も通って眼鏡代より高い金を払ってこの状況はなんなんだと思ったので、そのまま眼鏡屋に行って処方箋なしでレンズの度数を変更できないか相談した。
本来は処方箋がないと変更できないので駄目元だったがその場で検眼してレンズを変更してもらえることになった。
病院のいうとおり遠視に合う眼鏡を調べるのは難しいと前置きされた上で、左右均等に1段階か2段階度をあげるのが丁度いいだろうとのことだった。
昼前に帰宅してそのまま倒れるように床で寝て夜に起き今に至る。
他の遠視の人もこういう面倒な工程や出費を経ているんだろうかと思って似たような境遇の人がいないか軽く検索したが大半が子供のうちに治るらしいと知って心が折れそうになってる。
https://togetter.com/li/1369046
改装する予算はないとして、1ブースにつき1台テキストエディタだけ入れたタッチパネル付の端末を置くことはできるだろうか?
初回と法改正などの変更時のみ、
どうしてご質問させていただいているかの説明や、ここでチェックすべき項目、それによって防ぐことができるものがあること、などについての説明画面を読んでもらう。
その後は毎回
今回の処方について薬剤師側からチェックさせてもらいたい項目について、さささっとキーボードから入力、
口頭で答えるか、
あるいは衝立で仕切られた場所でヘッドセットを用いて小声で会話する形で対応するのを基本とする。
(予算のある薬局ならプログラムを組んでタッチパネル方式で答えてもらうが、ここでは予算がない前提)
その結果、医師に疑義照会する必要があればその旨をまた書いて説明。
もしも患者さんに余裕がないようならば、ソファかアウトドア用のコットのようなもので休んでもらって最低限に絞ってうかがう。
もっと予算がないのならば、端末は一切使わず、サインペンで書いて説明する。
そして結果をカルテに記入したら、メモを目の前で端末から消去、もしくはシュレッダーへ。
もちろん、書いてどうのよりは話したほうがいいという患者さんであれば従来のやり方で。
7年ほど福祉の仕事をしていたからわかるけど、弱者って可哀想な人じゃない
「社会が悪い。俺はコンビニで働くために生まれたんじゃない。俺はもっと崇高な仕事をする。」っていうようなこと言って働かない人とか、才能もないのに漫才師志望でもう50歳、生きるために夢を諦めた人がいる中で、諦めきれずに30年フリーター、今更就活始めたって遅すぎるよ、ってな人が「未経験の中途を採用してくれない。ひどい」って言ったりとか。
身体障害者も同情できる人ばかりではなくて、「こんな風に産んだ親が悪い。産んで欲しくなった。だから親は一生かけて養うべき。」と言って(彼は弱視)、せっかく紹介してもらった仕事を放り出したり、飲酒運転で事故って半身不随、動けない訳ではないのにティッシュすら自分でとらず人にさせたり。
弱者を救いたいと思ってついた仕事だったが、3年も経てばそんな気持ち消えた。勿論ちゃんと支援が必要で努力してくれる人もいるけど、厄介な人の方が自立してくれないから残るんだ。
火垂るの墓の清太とか、フランダースのネロとかみたいなのって子供だから助けられるんだよ。いい歳して、人のせいにして何もしないおじさんを助けるのって、聖人でもない限り無理だよ。