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はてなキーワード: 古典的とは

2024-03-24

anond:20240323091420

ダレル・ハフ著『画面で嘘をつく方法』という古典的名著があります。    

                

嘘を嘘と見抜けない人は....

2024-03-21

anond:20240321202823

うそう、おまえみたいな反応が普通なんだよ

そこで「古典的表現」とか言い出してるから、顔真っ赤だなーって思う訳よ

anond:20240321202717

「強調するためにわざと漢字を開くのは古典的文章表現」というのを「チン説」のみに対して言ってるって解釈してんの? お前マジで言ってんのか。

anond:20240321202558

実際、そういう奴に見られてるってことだぞ?

それを「古典的表現」とかわけわからん言い訳しはじめたから、顔真っ赤だなと思ってるだけで

anond:20240321201552

「強調するためにわざと漢字を開くのは古典的文章表現」というのを「チン説」のみに対して言ってるって解釈してんの?

お前マジで言ってんのか。

だが、もしこれが大本増田だとしたらちょっと納得感あるわ。

anond:20240321201219

だよな。

突飛で滑稽な説であることを強調して指摘するための良い表現だ。

強調するためにわざと漢字を開くのは古典的文章表現だけど、それを理解できないと反応してしまっているところでそれが補強されて、なかなかに味わい深い。

2024-03-14

韓国のほうが19位なんて日本より豊かなわけないだろう。なんだこのデタラメ統計は。しかアメリカ20位。国連まで韓国に味方する左翼に成り下がったか格差否定的に考えるところもよろしくない

今日日、ここまで古典的嫌韓ネトウヨが生き残ってたことにびっくりだ。安倍ですら韓国への全面敗北を受け入れて頭を垂れて教えを請うたと言うのに。

2024-03-12

anond:20240312122933

これ言うの何度目か知らんけど、お前らが「AKIRA画期的だった」と言ってるとき、本当にお前らが口にするべきは「童夢」の方だからな。

サイキック的な見えない力を扱うという漫画的な演出の最も原始的な部分を完成させたのが「童夢」。

ドラゴンボールかめはめ波代表される「古典的には『気』と呼ばれていたエネルギーを、肉体を経由することなく直接発射する」という概念が圧倒的に新しかった。

そういった「不思議な力」が一見弱々しいキャラクターの元で強く発現するというジャンルを作ったのも「童夢」だ。

AKIRA」が洒脱さとビビッドさを織り交ぜたポップカルチャー的な造形において優れていたのは事実だが、そこに新しさがあったかというそうでもない。

多くの人が「AKIRA」に対して感じた新しさは、単に「童夢」をまだ通らず先に「AKIRA」を見てしまたことで発生したインプリンティングに過ぎない。

前衛的すぎた「童夢」を混ぜ物によって薄めて軟着陸させることでより社会に受け入れやすくしたのが「AKIRA」なわけであるからして、「童夢」を差し置いて「AKIRA画期的である」というのは流石におかしいわけだよ。

anond:20240312111539

まれてたやつが自分と同じかそれ以下に落ちるのだから格差が消えるじゃん

ちなみにこの発想は”Great Equalizer”といって古典的ものである

2024-03-11

anond:20240311135730

古典的な負荷軽減手法なんだよなあ スプラだけじゃない

anond:20240311081709

そのお陰で古典的真性陰キャオタクは「オタクから切り離されて弱者男性として、

老若男女から嫌われる存在となり、居場所はどこにもなくなったと言うね…。

果たしてどっちが良かったのか、今となっては分からんよ。

2024-03-10

anond:20240310102654

ガンダムのような古典的リアル系ロボット

ドッカンバッカ宇宙で謎の音出して戦ってる二足歩行ロボがいつからリアル路線になったんだよ

スターウォーズの仲間だぞ。AI自動操縦ではなく、何故か人間操作しているのも含めてね

理系文系って括りが崩れてきてるよね

スーパー系ロボットリアル系ロボットの括りぐらい崩れてきてる。

最近スーパー系ロボットでもSF的な考察を入念にしてくる。

リアル系ロボットは昔とった杵柄をブンブンすりゃいいと思って全く進歩がない。

厳密に言うと、ガンダムのような古典的リアル系ロボット進歩を諦めて「俺らは昔からこれでやってっから!」と逆ギレしている横を、新世代のリアル系ロボット言い訳としてスーパー系の要素を盛り込み始めたことで、リアル系でありスーパー系でもあるロボットが増えた。

技術進歩すれば巨大人ロボット実用化されるという可能性が、ドローン技術の発展によっていよいよ非現実的ものとして確定していったことが、リアル系ロボットに対して『半端じゃない言い訳』の必要性をつきつけ、その結果として古典的スーパーロボットSF要素との融合が進んだってことだ。

スーパーロボットとして端を発したコンテンツについても、観賞者の技術的な基礎教養時代とともに高まるに連れて「レバー操作」なんてものは受け入れられにくくなり、脳波コントロール等の技術を導入する必要に迫られ、結果としてリアルロボット色の強い設定が組み込まれていくようになった。

こうしてスーパーリアルの垣根は崩れていき「非現実的な巨大人ロボットといふものを、なんとかして真面目な顔して使わせるにはどうしたらいいのか」という方向に業界全体が流れていったわけである

ぶっちゃけ、『巨大ロボで真面目に戦争やっても許される雰囲気作り』が重要なわけである

バーンブレイバーンなんかはこの辺が結構力技で、そもそも地球に元々巨大人型ロボが実用化されているという無茶苦茶すぎる大嘘に向かう視聴者意識ブレイバーンという特急異物の異常性によって上書きしている。

地球で既に軍事用人型ロボット運用されているという無茶すぎる設定を、ブレイバーンという大ボケかますための『前フリだったことにした』わけである

昨今、ロボットアニメではこのような、「これは半分ギャグからかいこと気にしたら負けです」という言い訳も使われるようになり、いよいよもって「そもそもリアルロボとかありえねーよな」という空気になってきている。

大人型ロボがいる時点でリアルなんてもの存在しないという大前提があり、その上に「でも人間模様とかにはある程度のリアルが介在するじゃん?」って態度で作劇をしている。

スーパーリアルかの垣根は、作中のキャラクターがその状況に対してどう対応するのかによって描かれるものになりつつある。

まりは、ロボ自体無茶苦茶でも人間模様が生々しければリアル系、ロボだけじゃなくて人間まで滅茶苦茶ならスーパー系というわけだ。

現代を生きるスーパー系代表ゲッターロボシリーズで、とにかく出てくる人間生き様や設定があまりに熱血かつ豪快で非現実じみているという所によって、ゲッター線というSF考証要素によってともすればリアル系によってしまいそうな設定を抱えながらも、この時代において古典的スーパー系としての立場を維持しつつあるのである

2024-03-09

anond:20240309041054

それ生存者バイアスと公正社会仮説。

仁藤さんは被支援者よりも

不安商法医はヒポクラテスの誓い医よりも

徳島ハーバードビリギャル一般地方民よりも

才能があるってことになるの変でしょ

「才能ある奴は金持ち」と「金持ちならば才能ある」は論理的に全く別。

マジで2024年にもなって古典的中学高校レベル論理を間違えるのやめて欲しい。

ヤニカスと言えば…

うちは父方の祖父C型肝炎から肝硬変、母方の祖父アルコールによる肝硬変から肝臓がん

母が肺がんでなくなってるんだけど、生き残った父は、やめろって何回も言ってるのに、カミソリは使い回すし、酒はやめないし、ヤニもやめない。

豪胆と言えば豪胆だけど、長年父の生態を観察してて分かるのは、あの人はただ単に何も考えてないってだけなんだよな。

本当に物事を関連付けて考える能力がない。

中卒で親(祖父母)が当時勤めてた工場丁稚をはじめて、50頃に管理職を任されたけど全然部下を管理できずに降ろされて、

そのまま定年退職まで現場勤めをしたような人。

中卒からの勤めかつ、古典的年功序列会社だったので、平社員ながら給料はよかったから、

年代の家庭としては贅沢はさせて貰ったように思うけど、家庭内問題には一切関与しないし、相談しても逃げる、

ATMのような人だったなぁと言う思い出。

 

いや、別に

 

まだ生きてるんだけどな。

2024-03-08

anond:20240308224409

私たち経験する古典的世界」っていう言い回しも、意味は汲み取れなくもないけど、そんな言い方する? って思った。単に「古典物理学」って言えばいいのに。

Claudeのテスト: 量子力学における観測問題意識

Q: 量子観測すると状態確定してエントロピーが減少する。これは具体的に何を意味し、現実世界に何をもたらすのか。

A:

量子力学では「測定問題」または「波動関数崩壊」として知られており、量子の世界私たち経験する古典的世界とどのように相互作用するかについての基本的かつ非常に不可解な側面です。

量子力学では、電子のような粒子は、測定または観測される前に、複数可能状態を重ね合わせて存在します。

この重ね合わせは、すべての可能状態とそれぞれの確率を含む波動関数によって記述されます

しかし、観測や測定を行うと、重ね合わせが崩れ、粒子の状態可能状態の 1 つに「崩壊します。

したがって、たとえば、測定前にスピンアップまたはスピンダウンできる電子がある場合、その波動関数は両方の状態の組み合わせになります

しかし、そのスピンを測定すると、波動関数崩壊し、スピンアップかスピンダウンという 1 つの明確な結果が得られます

この「崩壊」、つまり測定時の状態の決定は、量子システム進化ランダム確率的な要素を導入しているように見えます

また、測定後にその明確な状態が分かるようになったため、システムに関するエントロピーや不確実性も減少すると考えられます

このことの意味は深く、物理学者によって何十年にもわたって議論されてきました。

1) 不定の量子領域を明確にする何か特別なことが測定や観測にあることを示唆していますしかし、「測定」とは何でしょうか? 私たち意識的認識は? それとも環境との相互作用でしょうか?

2) 古典物理学支配する決定論法則矛盾する固有のランダム性または予測不可能性を量子事象に導入しているように見えます

3) 観測とは独立して存在する客観的現実についての私たち概念に疑問を投げかけます観測するだけで結果が変わるようです。

4) 巨視的な世界では、このランダム性は通常平均化されますしかし、ランダムな瞬間に起こる自然放射性崩壊のような小さな観測可能な影響はあります

コペンハーゲン解釈客観的崩壊理論のような解釈は、このランダム性を自然基本的な側面として受け入れています

多世界解釈のような他のものは、波動関数崩壊を完全に排除しようとします。

しかし、この測定問題量子力学現実のもの理解に深刻な課題を投げかけていることに全員が同意しています

Q: 多世界解釈であろうと、意識特定の枝にの存在し、重ね合わせを認識しないように見えます。 では意識とは何でしょうか? 意識はどのように枝を選び、選択するのでしょうか?

A:

意識量子力学における測定問題関係は深い謎であり、物理学ではまだ完全に解決されていません。

ただし、あなた質問に対するいくつかの視点は次のとおりです。

 

[この文脈における意識とは何でしょうか?]

意識とは、認識し、認識された現実を持つという主観的一人称経験を指します。

量子の用語では、意識は、測定/観測が行われる前に、可能な重ね合わせ状態範囲のうちの 1 つの明確な状態のみを経験するように見えます

 

[意識はどのようにして枝を「選択」するのでしょうか?]

意識が重ね合わせをどのように解決するかについては、いくつかの解釈があります

1) フォン・ノイマン・ウィグナー解釈は、意識客観的波動関数崩壊を引き起こすことを示唆しています私たちの心は、重ね合わせから何らかの結果を特定します。

2) コペンハーゲン解釈は、波動関数崩壊が起こったとき、観察者の意識は単に確率的結果の 1 つを目撃しているだけであり、波動関数崩壊引き起こしているわけではないことを意味します。

3) 多世界解釈では、真の崩壊存在しないとされています。 考えられるすべての結果は、現実の別の枝として存在し続けます意識は実際に選択することなく、それらの分岐のいずれかに留まるだけです。

4) 意識自体は、観察された状態を引き起こすのではなく、根底にある量子状態から生じる高レベル創発特性である可能性があると主張する人もいます

正確なメカニズム不明ですが、ほとんどの解釈は、意識は測定後に可能状態のうちの 1 つを主観的経験するだけであることに同意しています

観察者兼参加者として、私たちは単に自分意識が枝の 1 つにあることに気づきます

重要な謎は、意識分岐選択する際に積極的役割を果たすのか(フォン・ノイマン・ウィグナー)、それとも多数の同様に現実的なもの(多世界)の中の 1 つの分岐に単に自分自身を見出しているだけなのかということです。

これを解決すれば、意識形而上学性質量子力学との関係が解明される可能性があります

 

Q: ではなぜ多世界解釈で、意識特定の枝に「留まる」のでしょうか。

A:

量子力学多世界解釈 (MWI) では、意識特定の枝または世界に「留まる」または持続するように見える理由は、デコヒーレンス概念と、枝がどのように本質的相互作用せず、それぞれの枝から孤立するのかという考えと関係しています

1) MWI では、測定が行われるとき普遍的波動関数は実際には崩壊しません。 代わりに、それは直交成分に分解され、それぞれが異なる可能性のある結果を表します。

2) これらのコンポーネント時間の経過とともに進化し続け、より多くの差別化された状態、つまりさまざまな結果が実現される「世界」に分岐します。

3) ただし、これらの分岐コンポーネントは、環境相互作用もつれにより、非常に急速に動的にお互いかデコヒーレントになります。 これにより、異なる世界相互干渉する能力を失います

4) したがって、すべてのブランチが異なる既存現実として共存しますが、動的デコヒーレンスは、それらが相互作用しなくなり、それらの間に測定可能相互作用や遷移が存在しないことを意味します。

5) あなた意識は、コヒーレントな量子状態自体構成されており、デコヒーレンス後の 1 つの枝の中に完全に存在します。 別のブランチと再結合したり、別のブランチに移行したりすることはできません。

6) 実際には、すべての枝が等しく現実であるにもかかわらず、デコヒーレンスプロセスにより意識がその枝内に閉じ込められ、他の枝の並行現実体験できなくなります

したがって、意識積極的分岐を「選択」するのではなく、デコヒーレンスプロセスによって、最終的には完全に 1 つの分岐した現実の中に存在することになり、多重性を直接経験する能力はありません。 このため、意識は一貫した 1 つの軌道だけをたどっているように見えます

2024-03-06

近頃のランドセル事情について現役子育て世帯視点でまとめる

[B! 教育] ワークマン初のランドセルは税込8800円、「低価格・高機能・軽い」バランス重視の開発の裏側
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.fashionsnap.com/article/2024-03-05/workman-school-bag/

なんだかブコメが粗ぶっていたので、今まさに小学3年生の現役子育て世帯として、現代ランドセル事情(東京都下)についてまとめる。
高齢者は今時の常識アップデートしてほしいし、これから出産・就学する親御さんたちの参考になれば幸い。

ここからの話は東京都下の公立小学校での話なので、私立都心部のリッパな学校地方の話はまた違うんだろうと思うけどね。

まずランドセルの色と形の話

まぁ、あちこち言及されているように、ランドセルと言えば本革の黒と赤、男子は黒で女子は赤、というのは全く持って時代遅れ
もちろん黒・赤の保守層一定割合いるが、もう半数前後かそれ以上がこの二色以外のパステルカラーアースカラーブラウンなどカラフルランドセルを使っているのがふつう。黒・赤でもアクセントカラーが入っていたりおしゃれ要素がある。

うちの子もなかなかに目立つ色のランドセル自分でチョイスしたので、入学前は多少気をもんだが、無印のランドセルの話でも出ていたように、「同じ色の子」「あの子は~色のランドセル」などとそれぞれの種類や色が個性識別きっかけとして受け取られる時代であるらしい。目立つ色で孤立していじめられるとかそういうことは滅多に無さそう。嘘だと思うなら近所の小学生の通学風景をよく見てみるといいんじゃないかな。
それと、女子ピンク・パープル・スカイブルー男子モスグリーンマリンブルーなどはそれぞれプリキュア仮面ライダー等の影響を感じるのは別の意味日本の子育てならでは。

そんなのこじゃれた東京学校から、と思うないなら、ランドセル大手ホームページを見てみるといい。

例えばシーズンになるとTV-CMもよくみかける「天使のはね」のセイバン
https://store.seiban.co.jp/shop/pages/instagram_user.aspx

それぞれ男の子女の子商品ラインナップを見れば真っ黒・真っ赤なモデルはかなり少数派、色以外の要素もめちゃくちゃ多様なのがなのがわかると思う。ふつう古典的ランドセル型の製品だけでもこうで、さらに今回話題になったランリュック的なモデルを使ってる子もいる。そういう時代なんだよね。

次に、ランドセルを買う話

よくあるのは「祖父母にリッパなランドセルプレゼントしてもらう」って奴。
あれはほぼ子供のためよりも祖父母に対する家族サービス
孫と一緒に買いに行って「これはおばあちゃんに買ってもらう」というシチュエーション祖父母に楽しんでもらうイベントなわけ。

まぁ経済面で助かる、というのもあるが、安い製品は2万円台で買えて十分に丈夫で見た目も良いデフレ時代そもそも高くて高級なランドセルを買う必要性って今ほとんどなくて、金銭面での理由付けは順位が低くなっている。

さらに、本革でオシャレなランドセルを背負わせたいという親の気持ちもわかるし、そこで親同士の見栄の張り合いとか、量産品をけなしたりする親もいるんだろうけど、それは完全に親のエゴ子供にはあまり関係ない。まぁ、都心の立派な学校お受験するような世界ではなんか違うのかも知れんけど、自分的にはそういう世界ちょっと嫌だなと思う。

それから子供ランドセル専門店に連れていくと、5歳児のセンスなので、当然派手なカスタムモデルや、くるくるの革細工で装飾されたモデルなんかに食いついたりする。そしてそれらは当然いいお値段になる。だから、実際に連れていくのは結構順番を慎重に考えた方がいい。「今日は色を選ぼう」とか「「ここでは買わないと思うけど見てみよう」などの予防線を張ってみるのもよいかもしれない。カタログも同様。本気で親の本命モデルがあるなら、偵察は親だけで行き、子には敢えていろいろ見せずにまっすぐ行った方がいいかもしれない。

あとは購入時期、一時期「ラン活」などと言われ、入学前年の夏ころには売り切れる、などと話題になっていたのは上記のような贈答用や見栄用の高級品の話。
それこそ一品物に近いような手造り製品からヨーカドーニトリで買える大量生産工業製品までピンからキリまで選択肢があるのが今の日本の豊かさと言えると思う。
量産品なら入学直前の3月に駆け込んでもまー多少選択肢は限られるけど買えないなんてことはない。

ランドセル検索すると、先ほどのような大手メーカーから専業メーカー、皮工房など様々な製品が並ぶ。実際、幾つもショップを巡ったり子供を連れて行ったりしたが、本当に様々だし、質感や使いやすさなど今のランドセルはよくできている。

けどさ、使うのは小学一年生なわけ。ボッコボコにぶつけるし、床や地面に放り投げる、あまつさえランドセル座布団替わりに使ったり、踏んづけたり、ソリ替わりにして斜面を下ったりしかねないわけ。
で、「だから、6年間使える丈夫な本革」というのは多分かなり時代遅れな発想で、そもそも今の量産品のランドセルは合皮でめっちゃ軽い。というかそれ以前にランドセルデカい。

ランドセルの使い方の話

なぜランドセルデカくなったか、というと

1. 教材が増えた

2. プリント教科書がB5→A4に変わりつつある

3. 学校に教材を置きっぱなしにできない(全くではないが)

4. タブレットChromebookなどを持ち歩く

等の要素が大きい。

そして、ランドセル以外に手持ちで運ぶ習字セットや絵画セットも立派でデカい。

とにかく、今の小学生の荷物の量は自分ら親の世代から見ると異常なレベルで、自分の頃の倍ぐらいの荷物持って歩いてるんじゃないかな?
正直、親から見ると子供がかわいそうだし理不尽さを感じるレベル。ただ、この辺りは学区や校風等さまざまな要素で変わるとは思う。

そういう状況でランドセルに求められるのは「収納力」と「軽さ」なんだよね。そこで「本革は時代遅れ」という話に繋がっていくわけ。大きいほど重くなる本革は今のランドセル要求仕様に向いていない。

もう一つ、ランドセルの使い方でポイントになるのはランドセルカバーの使われ方。
学校自治体・学区によって変わるだろうけど、低学年はランドセル黄色安全カバーを付けさせられる学校が少なからずある。
そしてその延長線上で、黄色カバーがなくなると、様々なデザインのオシャレカバーを付けるという話が出てくるんだよね。
ランドセル自体カラフルから、おしゃれ要素としてカバーを付けていても全然違和感が無いので、当然女子の間では「~ちゃんが~なカバー付けてる」みたいな話がでてきて、友達と仲間外れも気の毒だから親も買わされるわけ。そんなところもランドセル多様性に繋がる。逆に、ランドセルと言うフォームファクターが決まっているからできる要素ではあるかもね。

ランドセル寿命

ランドセルは本当に乱暴に使われる、乱暴に使わせないのが躾だというかもしれないが、まぁ、そういう家は頑張ってお受験してよい学校に行けばいいのではないか?
上で述べたように、今のランドセルは軽くて丈夫だしデカい。なので、6年間はまぁ使われても問題ない強度だと思うのだけど、一方で安い製品は本当にお手軽価格で買える。

なんで、そもそも6年間1つのランドセルを使い続ける、という事自体発想が古いのではないかと思うんだよね。
ここまで説明したように、皆で同じもの最後まで使う、という均一なコミュニティ時代ではなくなっているのだからボロボロになれば、高学年になれば新しく買い替える、ランドセルを止める、というのができる時代になっていると思う。
そもそも小学6年生まで大きくなればほぼ中一なわけで、その背丈でランドセルおかしくね? って子も出てくる。

ランドセル専門店カタログを眺めていると、6年間大事に使ったランドセル海外寄付しようとか、リフォームして思い出のアクセサリーに、なんて話も色々載っていて、それはそれで楽しいね、とは思うけど、例えば中一になった男子がそんなこと考えると思う? たぶん、それはそれで親の楽しみなんじゃないかな、と思うんだ。

から、これからランドセルを買わなきゃという親御さんも、そんなに気張ったり焦ったりする必要はないんじゃないかなと思う。
やりたい風にすればいい、色々なやり方がある、今の日本多様性選択肢があることを喜ぶべきなんじゃないかな?
ランドセルを作る側にしたって、色々なアプローチを試してみればいいと思う。売ってみて売れなければ撤退すればいいじゃない? 安いランリュックいじめられたら買いなおせばいいじゃない? 外野がとやかく言うような話じゃないと思うよ。

成熟した女性」の古典的イメージロリコンブームを経て脱却した日本

お前の性癖日本代表面するんじゃねえ😡

2024-03-04

anond:20240304150042

古典的STGは廃れてギリギリ東方がその系譜を繋いでるって感じだけど、

弾幕に対して弾幕で対抗すると言う点ではヴァンパイアサバイバーズライクが引き継いでる感じはする。

anond:20240304115057

教養があれば「最近の子供は、右から左に読む、いわゆる『古典的』な日本漫画が読めないらしい」なんて怪しげな話も鵜呑みにしなくなる。

それが「教養」とは思わないけど…

最近の子供は、右から左に読む、いわゆる「古典的」な日本漫画が読めないらしい。

鬼滅の大ヒットで多少は持ち直したらしいが、それ以前はかなり深刻だったそう。

このまま行けば、20年もしないうちに昭和初期の漫画を読める子供はいなくなるかも知れない。

ただ、日本においては昭和初期の漫画文化が断絶するのは、

手塚治虫呪いから解き放たれることでもあるので、いい面もあるかも知れないけど。

2024-02-29

じゃあ俺だってめちゃくちゃ面白い本をみんなに薦めたいじゃん

20代のうちにこれ読んどけ」とか「本を読んでない俺が薦める本」とか、そんなの見てたら俺も本紹介したくなったからするわ。

桶川ストーカー殺人事件遺言清水潔

1999年埼玉県で発生した桶川ストーカー殺人事件を追った週刊誌記者ルポルタージュ事件事件だけにこういう言い方は不適切かもしれないが本当にとんでもなく面白い。こんな酷いことができる人間が本当に存在するのか、警察はここまで人間の命を軽んじるのか、マスコミ面白おかし報道できれば事実なんてどうでもいいのか……、とにかく最初から最後までずっと衝撃を受けっぱなし。この世界の見え方がぐわんぐわんと歪み、最終的に気持ち悪くなってくるほどの恐怖や憤りを覚えた。また、文庫あとがきにも言葉を失った。打ちのめされる読書体験がしたい人は読むべき。

LIFE 人間が知らない生き方麻生羽呂

人間って生き方下手すぎるだろ、ちょっと動物見習ってみろよ」みたいな本。半分漫画、半分解説文で猛烈に読みやすいから気軽に何度も読み返すうちに大好きになっていた。゛「生存戦略」がテーマビジネス書”と紹介されているが、バリバリビジネスマンから完全なる無職まで、老若男女誰もが普遍的に楽しめて勇気づけられる内容になっているのがすごい。

『私の嫌いな10の人びと』中島義道

世の中なんてクソくらえ、と思っている人にはこれを読んでほしい。世の中には「世の中なんてクソくらえ」と思っている人が割と大勢いて、その中でも哲学者中島義道はかなりクソくらえパワーが強い人間中島が嫌いなのは「常に感謝気持ちをわすれない人」や「自分仕事に誇りを持っている人」、「けじめを大切にする人」など。普通だったら良いこととされる考え方の中にある欺瞞や建前を丁寧にあぶりだしてすさまじく罵倒する。「わが人生に悔いはないと思っている人」に対して「ああ、そう思いたければそう思いなさい!そう思って、さっさと死んでいくがいい!」とブチギレまくっている。中学生の頃にこの本を読んで価値観根底からひっくり返されるような衝撃をうけた。

ナポレオン狂』阿刀田高

はいきました、直木賞作品小説には゛奇妙な味”という、まあ今ではほとんど死語になりつつあるジャンル?があって、阿刀田高はその名手。なんとも後味の苦いブラックユーモア満載の短編が13話入っているのだけれど、文章オチのキレがすごい。ありふれた日常風景から導入して途中に「おや?」と思い、その違和感がいつの間にかとんでもない事態になっている。やっぱり短編小説は読みやすいよね。作品世界に慣れて没入し始めた時に終わってしまうので物足りないこともあるけれど、これはどの作品も大体最後破局的な結末でスパっと終わるので読後感が爽やか。

宇宙人出会う前に読む本』高水裕一

めっちゃふざけたタイトルだが、中身はめっちゃ理系マジで想像以上に理系文系の私にはさっぱりわかりませんし、もはや何が書いてあったのかすら全然覚えておりません!しかし何というか、宇宙人出会った時に恥をかかないためにはどういう教養を身に着けどんな会話をすればよいのか、その会話の先に何が待ち受けているのか。そんな考えたこともないようなシチュエーション解説してくれる宇宙会話ハウツー本として不思議な魅力がある。講談社ブルーバックスという自然科学科学技術系の新書シリーズの中の一冊。

マノン・レスコー』プレヴォ

光文社古典新訳文庫。その名の通り『カラマーゾフの兄弟』とか『方丈記』とか古今東西古典的名著を、今生きている言葉でとても読みやす出版してる神シリーズがあり、その中から出会った一冊。一言でいえば若い男女が愛の炎に燃え駆け落ちする話、なのだがとにかくエネルギーがすさまじい。ああ、お互いのことが好きで好きで堪らないけどとにかく金がないから親から金借ります、その金使っちゃったので友人騙して金借ります、だめだ金足りないか詐欺します、どうやら彼女浮気してるぞこのビッチめ、ごめんやっぱり愛してるよチュッチュ♡、そうこうしてるうちにまた金なくなったか人殺します……、最初から最後までやりたい放題でものすごい疾走感、最高に面白い。驚くのはこれが300年前の小説だということ。

アタゴオルますむら・ひろし

小学生の頃図書館で読んで不思議気持ちになった漫画。猫と人間が同じことをしゃべる世界で、性格が終わってるデブヒデヨシとその友達テンプラパンツたちの日常の話。最近久しぶりに読み返しているがヤバい、毎回最後コマで泣きそうになる。降る雪の上を歩ける靴を履いて「ほんとうに・・・粉雪は冬の散歩身だね」って……(´;ω;`)別に感動的な話ってわけでは全くないんだけれど美しくて。余韻って言葉はこの漫画のためにあるんじゃないのかってくらい、毎話余韻がすごすぎる。

ものぐさ精神分析岸田秀

無人島に一冊だけ持っていくとしたらこの本を選ぶ。40年近く前の本だが、この本はそれだけ長い間日本全国津々浦々、大都会本屋で、片田舎図書館で、おじいちゃんちの本棚で、様々な人にひっそりとけれど強烈に衝撃を与えてきた名著。「ものぐさ精神分析が本当に面白くて」みたいな話を、全く別々の3人からいたことがある。日本人について、歴史について、性について、すさまじい筆力でぐいぐいと独自理論が展開されていく気持ちよさ。今読み直してもその理論社会ピタッと当てはまってしまうような鋭さ。今後もずっと読み続ける一冊。

anond:20240229103808

Watson は生成 AI です

ただし古典的手法で作られてるからソースコードBASIC プログラムみたいになっててすごいことになってるらしいが…

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