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2018-03-25

瞑想出会えて感謝しています

買い物や町を歩く、電車等の交通機関を利用する

ありとあらゆる機会で私に対する悪口を聞きます

世俗の人たちは聞こえるか聞こえないかの音量の声でお互いに悪口を言い合っているようです

私に対してもまず悪口をいい、次に喋れと言ってきます

その時私には怒りが生じますが、無我と言い聞かせることで忍耐、つまり冷静であろうとしています

ただ未熟なので時々怒ってしまます

大体同じことを世間様に申し上げるのです

「私を嫌う世間の皆様が幸せでありますように。私に悪口を言いたければ言ってください。ただし私はお付き合いいたしません。皆様が幸せでありますように」と

昨日駅のプラットフォームであまり悪口を言われたので大声でこのことをお伝えしました

ありとあらゆる機会で悪口を言われるというのは

具体的にどういう事かと申し上げます

例えば昨日の行動において記憶に残っている範囲では

数年ぶりに行った眼医者で処方された目薬を受け取るために薬局に立ち寄った際

そこでの薬剤師笑顔で応対してくれながら「出たなこのボンクラめ」「これだけ言うのにまだ黙っているか」とおっしゃってました

数年前の私はおそらく無自覚にこの方を不愉快にしていたのでしょう

買い物に行くため原付運転時、信号待ちで左端で待機した時、道路中央で先に待っていた中型バイクに並ぶ形になった際

信号バイクが発進時に「殺すぞ、クソ」とおっしゃっていました

から来た私が並んだのがこの方は気に入らなかったのかもしれません

あとこれは女性の方、若い方に多いですが電車に乗り込むと「気持ち悪い」「消えろ」とおっしゃっていました

これまで何年もの彼らの攻撃を少しずつまとめてみると

悪を為さず善行を積むという生き方は私には生意気だと世間の方は非難したいようです

我々は世間の厳しさの中(悪口を言い合い苦しめ苦しめられる世界)で必死に生きているのに

お前は大した社会貢献もせずに楽に生きようとしていると

ずるいというのが世間の方々の言わんとしていることのようです

何の不安苦痛もなく出かけ行動できるのが当たり前だと思っていました

ですがそれは恵まれ子どもが甘受できる特権のようなもので実際は今体感しているのが現実の姿なのかもしれません

私はとても恵まれていたのでその特権子どもを過ぎた年齢になっても与えられていた、言い方を変えれば甘やかされ、守られていたと考えられます

大人と呼べる年になっても制約なく、つまり悪口を言われることなく行動できる人間は、世間に染まり悪口を言い言われる輪に参加しているタイプか、悪口を言わせないだけの貢献をしているタイプ暴力を盾に自身を守っているタイプなんでしょう

1番目と3番目は耐えられません

そして2番目は私がそうあろうと精進したところで彼らは認めません

私の結末がどうなるかは分かりませんが、現実的に考えて現状のまま生きながらえるか私が世間に屈して悪口に身を落とすか、絶望して自殺するかのどれかなんだと思います

別に私は潔白だとか世間は醜いだとか間違っているとかそんなこと主張するつもりは全くないです

きっと何千年もそうやって社会はまわってきたんでしょうから

ただ欲を言うと気に入らないならさっさと殺してくれればいいのにと思います

結末の選択肢の中に現状のまま生きながらえるというものが入れれるようになったのは瞑想仏教の教えのおかげです

以前の私なら悪口に対し恐怖しパニックになって震えて自室に籠もることしかできなかったでしょうから

仕事一生懸命し、家事をきちんとし、他者の世話もそれなりにできるようになったのは慈悲の瞑想ヴィパッサナー瞑想のおかげです

2018-01-02

anond:20180102002611

「俺は自己肯定感が低い…」>もうね、グルグル思考が回ってるんでは?

一切の判断ストップさせる瞑想、やるのがいいよ。グナラタナ気づき瞑想オススメ

呼吸だけに意識を集中させるタイプヴィパッサナー瞑想やってみて欲しいな。

2017-11-23

今までとこれからの小さな取り組み。

  

ー 起床時:

 ゴミ捨て。ついでに散歩深呼吸

  寒かったら、無理はしない。身体を冷やすので。

  簡単な動的ストレッチ体操。。

  

日中スマホで遊ぶ時間を減らす。

  慌ててきたら、紙に書く。

- 一時的メモとして、理解を進めるために書くこと。

- 成功再現性を高めるためにノートに書くこと。

- 言葉だけでは、思い出しづらいことは、図解にする。

 

 

  

食事: 

- 朝晩・MCTオイル大さじ1/2

- 朝晩・プロテイン小さじ1杯

- 週に3度は発芽玄米雑穀米

  

ー 寝る前: ヴィパッサナー瞑想・歯を磨く。

食前に、漢方のお薬。

# 落ち着いたら、健康診断を受ける。接骨院へ行く。

  

2017-09-09

anond:20170909194908

試しに、ヴィパッサナー瞑想やってみたら?

マインドフルネス気づき瞑想 バンテ・H・グナラタナ をオススメします。

宗教色が、緩いのはサーチ・インサイド・ユアセルフ とかGoogle系の瞑想本かな。

睡眠障害が悩みの一つなら、心療内科とかでの診断済みで、お薬って方法もあるけれど。

皆、発達系の人は、色々と試行錯誤みたい。

2017-08-22

https://anond.hatelabo.jp/20170822103140

何故そうなるのか分析してみて下さい

怒る人というのはつまり非常に思い上がってるわけです

私達には怒る権利などありません


怒りは何から生じるかと言うと自我と言う錯覚です

私が、私が、という心が強いほど怒りや落ち込みが生じます

自我客観視出来る人は弱い人間ではなく勝者です


慈悲の瞑想ヴィパッサナー瞑想に取り組んでください

それ以外の何かで性格が変ることはありません

あなた性格を変えようとして失敗し続けてきたように)

2017-07-03

自分語り

暇なのでダラダラと自分語りする

 

都市圏に住む30台の会社員♂だ

 

会社大企業で、先月、全国平均額ぐらいのボーナスを貰えた。

一人暮らし貯金はそこそこあり、お金には困っていない。

 

そろそろ結婚しろと言われているが、彼女すらいない。

数か月前に女性デートっぽいことをして以来、音沙汰なし。

最近考えていることをだらだら書く

日本の衰退

最近世界における日本位置づけというのは下がりつづけているとよく聞く

中国が安い労働力を求めて日本工場を作るとか、

幸福を感じる人間割合が低いとか、労働生産性が低いとか。。。

  

私も主観的には日本が衰退していると思う

根本的な問題として、人口比における高齢者が多すぎるのだ

集めた税金高齢者医療費にかけて、逆に投資教育科学技術)には使っていないのだから

国として衰退するのは当たり前だろうと思う

 

貧困ニュースも目に付くようになってきた

最近だとメルカリ取引トラブルの話を聞いて貧困を感じた

敬語すらまともに使えないような教育しか受けていない人が増えている

 

働き方改革

さんざん言われているが、今実施されている働き方改革はあまり実益はないと感じている

IBMなどの有名企業テレワーク反省からテレワークをやめようとしているのに、なぜ今頃テレワークを始めようとしているのか理解できない。。。

 

私はコンサル関連の本や歴史が好きで結構勉強している

一番の問題点は、日本組織物事曖昧にしたがる点だと思う

 

結局、組織必要なのは「信賞必罰」なのだ

上手くいったものを褒め、失敗したものに罰を与える

 

日本組織は、特に失敗した人を明確にするのが苦手だと感じる

外国コンサルの本を読むと、非生産的な人がチームにいた場合は、必ず何か対処能力向上させるか、チームから外すか)をしろと書いてある

 

まず第一に、責任が明確でないので”ダレがダメで失敗したのか”が曖昧

第二に、時間の経過とともに誰がダメなのかに気づいても、それが仕方ないものとして放置されてしまうのが問題だと感じる。

  

職務必要能力を備えていない人は、チームから外すか、別の仕事を与えるべきだ。

みんなのために。

 

この曖昧体質は、第二次世界大戦日本敗戦した理由

 

戦争に負けた理由考察し、その反省点を改善することすらやっていないために、

第二次世界大戦と同じ理由で、他に国に今後は経済的に負けてしまっている気がする

仮想通貨

仮想通貨取引では、先週、3万円分のイーサリアムを購入した

今のところ2万5千円まで下がっているが、特に日本円に変える理由はないので数年放置する予定

 

中国では現金取引ではなく電子マネーが普及しているそうだ

素晴らしい、早く日本もそうなってほしい

 

ATMの設置や、レジのつり銭管理、おつりを渡す時間など、現金社会的コストが高いのだ。

 

私も日常を過ごす上ではほぼ現金を使わない生活を達成できてる

現金を使うのは、私鉄自販機ぐらいだ

 

ああ、そういえばnanacoオートチャージができるらしいと最近知った

今度手続きをしないと

完全食

週に数回の食事は、完全食Compで済ませるというのが日常になっている

要は食事代替する大人粉ミルクなのだが、夜の11時に帰ってくるような生活だと

液体で食事がとれるのは便利

私は牛乳+ココアと混ぜて飲むので一食400円ぐらいかかっている

コスパはあまりよくないが、体調にも特段変化はなく、

私にとって完全食は生活の一部になっている

 

瞑想

ここ数か月、週末にヴィパッサナー瞑想というのをやっている。

特に効果は感じられない

でも気づくとやっちゃう

雑感

今日FGOの7章のプレイ動画を見てすごした

アプリ版は戦闘ダルくて途中で飽きてしまった

 

シャドーバースの新パックがリリースされたらしい

ちらっと見たが、特に使いたいカードはなかったので、マグロヘッドさんの動画を見るぐらいで満足しそう

ニコニコ動画

オワコンオワコンいわれているのに、ずっと見ちゃう

昨日はムジュラの仮面ずんだプレイみた

もっとみんな動画投稿して

 

ニコニコなかったら何してすごせばいいかわかんない。。。。

2017-07-02

https://anond.hatelabo.jp/20170702020015

それは了見が違うな

「いいとしなんだから贅沢いうな諦めろ」じゃなくて

「いいとしなんだから分別を持て」だよ


テンション高い恋愛をしてないとイヤー

なんていうのは本来何歳がいっててもみっともないことなんだ

でもガキが言ってるならまあガキだからねえ(まだ頭悪い生物のいう事だから大目に見ましょう)っていうだけ

いいとしならそろそろ分別をもちましょうということ


テンション高い恋愛とか関係性ってそんなにずっと求めていかないといけないもの

そういう幻想を持ってる人もいるよね

それがないとすっごい不満を持って怒りや失望を溜める人とか

でもその選好自体バカでしょ 愚かで無知なだけ

熱情で頭がボーっとしてる時よりそうでない時の方が大事であって

冷静さと集中力があれば一瞬一瞬により多くのことを感じ取れて幸せなんだけど

そういう世界のことを知らない


いいとしで、子供を持って、ロマンスが足りないとか言ってる人は男でも女でもバカですよ

そういう浅はかなドーパミン分泌以外の幸せを持っていない

ドーパミンで頭がボーっとしたときだけちょっと気分がいい

そんな気分のよさなんかしれてるのにそんなものをずーっとおいもとめて飢餓感を抱えてる


じゃああなたはどうすればいいのか?

毎日ヴィパッサナー瞑想をしなさい

瞑想中の時間もそれ以外の時間恋愛よりずっとすごい幸せに気付けるようになるよ

2017-06-16

https://anond.hatelabo.jp/20170616221303

瞑想おすすめ

瞑想やってないゼブラのせいですっかりネタ臭がついたけど、瞑想あなたのようなそういうのにおすすめ

スピリチュアルじゃなくて、脳の構造をいじって未来のこととか過去のこととか妄想とかしない脳に出来るから

現在事実への集中力と至福の安らぎが出るよ

ヴィパッサナー瞑想について、本は色々出てるけどスマナサーラという坊さんの本がおすすめ

繰り返しで効果は高まっていくけどちゃんとやれたら一回で効果わかるよ

そういうくだらない思考ネガティブ感情が心に入ってこなくなって、意識は冴えてるのに無敵の膜が張られてるみたいな状態になる

普段ムカついてるようなことをされても我慢するのではなく怒りヶ生じずそこに心が止まらなくなる

もちろん過去ことなんかどーでもよくなるし無駄感情思考が起動しない

これほど直接的に効果あるものは他にないよ

この分野についてはカウンセラーなんかより仏教のほうが圧倒的に優れたメソッドを持っているか

カウンセラー精神科医は「考えないようにしましょう」なんていうけど、どうすれば思考を止められるのかわからないの

仏教完璧にそれを研究しきってるから

2017-06-05

http://anond.hatelabo.jp/20170605045951

ヴィパッサナー瞑想をするのがいいよ

これは責任もって言える

あんたのそれは意味のあることじゃなくて脳にそういうこと考える癖がついてるんだよ

意味的に解決しようとするのが間違い

ネトゲ中毒の奴が何しててもネトゲのこと気になるのと一緒

から考えるの止める訓練が必要で、それがヴィパッサナー瞑想

意味的に解決したいなら「お前等散々カネ惜しみの話をしてた癖に今更カネ出すポーズしなくていいんだよほんとは出したくないだろこの守銭奴老い先の介護でも心配になって媚びたいのか」

とか言ってみりゃいいけど

2017-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20170531181258

他のトラバにもあるけど、こうやって文章にすること自体も、カウンセリングというか自己客観視するには、役立つからいいんじゃないのか。増田自体無料でしょ。

  

どうしようもなくなったら、命の電話で、話をして、一時的スッキリはしたことあるよ。

あなたが書いたように無料相談心理士さんから、対面のカウンセリングを勧められたりも、したけれど。

行政主体カウンセリングとか、参加費数百円の自助会もあるよ。地方だけど。東京だと判らないけれど。

  

無料という訳ではないが。

ヴィパッサナー瞑想なり、マインドフルネスは、役に立った。

DVD付きの本は買ったので、大してお金掛けずに自分でも始めることが出来たけど。

2017-04-24

発達障害者向け コミュ障の治し方がすごい

発達障害コミュ障の治し方を具体的に教えてくれるブログを読んだ。

発達障害特徴の克服その2『コミュ障はこう治せ!』

HyogoKurumi.Scribble

http://hyogokurumi.hatenablog.com/entry/2016/03/30/003242


自分は常々、

アスペって自分の中でトライエラーを繰り返して記憶してコミュ障修正するらしい。

でもADHD入ってる自分にはなにがなんだかわからん

誰かアスペコミュ障治した人、方法を教えてくれー」

と思っていた。

まさにこのブログがそれ。


感想を三行で表すなら、

すごい。

わかる。

ありがとう……!


発達障害コミュ障

普段生活の中で周囲を困らせてしま

・悪意はない

・むしろみんなと仲良くしたい

・(コミュ障自分の行いを)反省している

・(自分なりにコミュ障を治すべく)頑張っている

努力しているのに治らない(カラ回り、悪化、泥沼化)

という流れがあるあるでとても切なくなった。

周囲に迷惑をかけている

=自宅や職場学校などの和やかな雰囲気を乱している自覚がある

このような場合

自死

引きこもり

他人社会を憎みながら生きる

どの選択肢もつらい。

つらかった。

職場グループ転々とする生活はつらかった。

周囲もつらかったと思う。

「生きるのはつらいことだ」と言われても納得できないくらい、つらかった。

適切なコミュニケーションができないのだから

しかった、死んだ方がマジだと思えるくらい寂しかった。


コミュ障を治せたら、社会普通に関われたら、自分は今より幸せだと思う。


このブログにたどり着つくまで

→「ADHD 療育のゴールとは」でGoogle検索

大人療育、受けてみたいけど「ゴール」はどこなんだろう。

ヒグコハ

http://www.higukoha.com/entry/2016/06/09/172128

ヴィパッサナー瞑想発達障害への対処方法が近しいことへの驚き

ヒグコハ

http://www.higukoha.com/entry/2016/04/01/230955

発達障害特徴の克服その1『ケアレスミスはこう治せ!』

HyogoKurumi.Scribble

http://hyogokurumi.hatenablog.com/entry/2016/03/21/025003

発達障害特徴の克服その2『コミュ障はこう治せ!』

HyogoKurumi.Scribble

http://hyogokurumi.hatenablog.com/entry/2016/03/30/003242

2016-12-10

瞑想を始めて分かったことがある

今年の6月に瞑想を始めて半年が過ぎた。

最近ようやく分かったことがあるのでここに書き留めておくことにする。

コミュニケーションには大雑把に言って2種類ある。

1つ目はほとんどの人が思い浮かべるであろう人との会話。(以下これを「表コミュニケーション」とする)

2つ目は私が「幻聴」として否定し続けてきたもの。(以下これを「裏コミュニケーション」とする)

コミュニケーションは通常の音量(60デシベル)くらいで行われる会話で、警察の取り調べやスーパーでの買い物、世間話などありとあらゆる場面で使用され

必要な場面では記録もされる。

一方裏コミュニケーションは大抵は小さな音量で行われ、表に比べて率直な(時には罵詈雑言表現がとられることがほとんだ。前者と同様にあらゆる場面で行われるが基本的には記録されない。

日本社会はこの2つのコミュニケーションがお互いにバランスを取り合って形成されているようだ。(海外は分からない)

表は「建前」裏は「本音」と表現しても差し支えないだろう。

私は自覚はないがとても大切に育てられたのだろう。「表コミュニケーション」が全てだと思っていた。

推測だが両親は「表コミュニケーション」を家庭で徹底的に教え込み、「裏コミュニケーション」は学校や外の社会自然と教わって欲しかったのだろう。

思惑が外れたのは私がとても内気で面倒くさがりで学校でただの1人も友達を作ることができなった点だ。

年をとるにつれて道行く様々な人たちからまれる「裏コミュニケーション」にただただ混乱した。

多くの場合自分に対する中傷だったが、時には両親を侮辱されることもあってかなり傷ついたのだと思う。

瞑想を始める前までは裏を幻聴しか認識できず、オロオロしたり泣きながら寝ることで逃避するしかなかった。

ヴィパッサナー瞑想自分感覚を実況中継すること、現象感情タグ打ちし確認することにより少しずつだが落ち着いて対応することができるようになったと思う。ただ「裏コミュニケーション」では罵詈雑言が当たり前のようで、未だに相手に対して悪口を返すのが嫌だ。自分が傷つけられる痛みと傷つける痛みを比べた場合、前者の方がまだ度合いがマシなのだ

例え眼鏡小学生男の子に「お前、ゴキブリ以下なん?」と言われたとしても「ゴキブリ生命力いからどの人間より上だよ」が限界だ。

それが裏コミュニケーションが得意な人々には物足りないのだと思う。彼らはどうやって自己嫌悪の痛みに耐えているのだろう。

また何か分かったことがあったら投稿しようと思う。

2016-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20160913124527

座る瞑想の他にも、瞑想にも色々あるようです。

通勤時間にもできる!「歩く瞑想」とは? ティナットハン師が教える瞑想法ーマインドフルネス

http://www.el-aura.com/20140418-6/

  

座禅として日本に入ってきた方法は、もちろんですが、瞑想にも流派があって、マントラ法、ヴィパッサナー瞑想サティ瞑想密教系など...があり。

座る瞑想の他にも、「歩く瞑想」があり、「立つ瞑想」「食べる瞑想」があるようですよ。

  

それと、座る瞑想シンプル方法があるようですよ。

子供さんが10才ぐらいだったら、下記の瞑想法を一緒にやれるのかもしれないですね...。

http://wellness-to-go.com/2013/04/09/初心者でも簡単瞑想のやり方/

https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=bG4ZHHoxjRM

2016-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20160824114125

ヴィパッサナー瞑想を1日2時間しろ

グルグル悩んでる時間を当てれば余裕だろ。

これだけを真剣にやれ。

俺はお前の症状が全部理解出来るし仕組みもわかるがここで説明されてもどうもならないだろう。

瞑想に取り組めば自分理解出来るし今のその問題はすべてが解決する。


https://www.amazon.co.jp/dp/B011CMR84A/

https://www.amazon.co.jp/dp/4336040338/

この2冊はお前の為に厳選した2冊だからこれだけは頑張って読め。

1冊目は瞑想に関する実践テクニックが多いから必携だが

2冊目はまさにお前のことが書いてあるといっていい。


2冊だけ読んだらあとは瞑想毎日取り組むだけだ。

他の努力は怠けても瞑想にだけは真剣に取り組め。

効果保証する。

2015-04-06

ヴィパッサナー瞑想とはなにか

瞑想とは何か・・・上座部仏教徒にとって、瞑想とはなにかというテキスト的な役割を果たすのは清浄道論です。しかしながら、より実践的な瞑想方法を学ぶためには他の仏典が参照されることもあります。今回は清浄道論でない仏典を参考にしつつ、より具体的に、瞑想とはどんなことをすればいいのかを見てみましょう。

さて、ヴィパッサナー瞑想の詳しい紹介に入る前に・・・そもそも、ヴィパッサナー瞑想はなぜ行われるのでしょうか。それに関して、例えば古代仏典であるMaha-satipatthana Sutta(大念住経)にお釈迦様の言葉があります

以下はブログ多摩丘陵林住記様による和訳版より抜粋

比丘たちよ、ここに一つの道がある。その道とは、人々を清め、悲しみと悲泣を乗り越え、肉体と精神の痛みを滅し、聖なる道を得、涅槃を観るための唯一の道である。それは「四つの念住」である

・この四つとは何か ? 比丘たちよ、比丘は、努力して、正しく知り、気づきをもって、そして世間の貪欲と憂いから離れて、「身」をただ(自分でもない、自分のものでもない、自我でもない、ただ現象に過ぎない)身であると絶え間なく知覚して住むことである

努力して、正しく知り、気づきをもって、そして世間の貪欲と憂いから離れて、「受(感覚)」をただ(自分でもない、自分のものでもない、自我でもない、ただ現象に過ぎない)受であると絶え間なく知覚して住むことである

努力して、正しく知り、気づきをもって、そして世間の貪欲と憂いから離れて、「心」をただ(自分でもない、自分のものでもない、自我でもない、ただ現象に過ぎない)心であると絶え間なく知覚して住むことである

努力して、正しく知り、気づきをもって、そして世間の貪欲と憂いから離れて、「法(ダンマ)」をただ(自分でもない、自分のものでもない、自我でもない、ただ現象に過ぎない)法であると絶え間なく知覚して住むことである

すなわち、ヴィパッサナー瞑想をすることによって、知恵(insight あるいは understanding)が強まり、「自身」という存在をより正しく知ることができるのです。そして、その道を極めることによって、最終的には悟りすら得られる瞑想です。

それでは、ヴィパッサナー瞑想とはどんな瞑想なのでしょうか。ヴィパッサナー瞑想・・・といったときに、もっとも有名なのが呼吸を対象とする瞑想です。この呼吸瞑想はどこで紹介されているのかというと、やはり古代仏典である、ānāpāna-sati(アーナパーナサティ)に記されています。このānāpāna-satiは、日本では安那般那念という名前で知られています

wikipedia - 安那般那念

Anapanasati Sutta(Thanissaro Bhikkhuによる英訳版)

さて、安那般那念の該当部分を見てみましょう。ここにはこう書いてあります。(以下はwikipediaから抜粋

Breathing in long, he discerns, 'I am breathing in long'; or breathing out long, he discerns, 'I am breathing out long.' Or breathing in short, he discerns, 'I am breathing in short'; or breathing out short, he discerns, 'I am breathing out short.' He trains himself, 'I will breathe in sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe out sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe in calming bodily fabrication.' He trains himself, 'I will breathe out calming bodily fabrication.'

長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り(pajānāti)、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知る。短く息を吸っているときには「私は短く息を吸っている」とはっきり知り、短く息を吐いているときには「私は短く息を吐いている」とはっきり知る。「私は全身の感覚を把握しながら(paisaṃvedī)息を吸おう」と訓練する(sikkhati)。「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練する。「私は身行(=吸う息)を静めて息を吸おう」と訓練する。「私は身行(=吐く息)を静めて息を吐こう」と訓練する。

これは呼吸瞑想を紹介する部分です。

しかし、瞑想について具体的に紹介しているのはānāpāna-satiだけではありません。Maha-satipatthana Sutta(大念住経)にも瞑想方法が紹介されています。ここには呼吸瞑想以外の瞑想方法が紹介されています。それを引用してみましょう。以下は英訳版Maha-satipatthana Suttaから引用と、私による(英文の)和訳です。

"And how does a monk remain focused on the body in & of itself?

では、比丘たちよ、比丘はどのようにして、体そのもの気づきを保ち続けるのでしょうか?

"There is the case where a monk — having gone to the wilderness, to the shade of a tree, or to an empty building — sits down folding his legs crosswise, holding his body erect and setting mindfulness to the fore [lit: the front of the chest]. Always mindful, he breathes in; mindful he breathes out.

ここにある比丘がいます — 彼は森へ行き、木の陰へ行き、あるいは空家に行き — 腰を下ろして足を組みます。背をまっすぐに伸ばし、そして気づきを(胸の)前部へと向けます。そして、常に気づきをもって、彼は入息します。気づきをもって、出息します。

"Breathing in long, he discerns, 'I am breathing in long'; or breathing out long, he discerns, 'I am breathing out long.' Or breathing in short, he discerns, 'I am breathing in short'; or breathing out short, he discerns, 'I am breathing out short.' He trains himself, 'I will breathe in sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe out sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe in calming bodily fabrication.' He trains himself, 'I will breathe out calming bodily fabrication.' Just as a skilled turner or his apprentice, when making a long turn, discerns, 'I am making a long turn,' or when making a short turn discerns, 'I am making a short turn'; in the same way the monk, when breathing in long, discerns, 'I am breathing in long'; or breathing out long, he discerns, 'I am breathing out long' ... He trains himself, 'I will breathe in calming bodily fabrication.' He trains himself, 'I will breathe out calming bodily fabrication.'

長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知ります。短く息を吸っているときには「私は短く息を吸っている」とはっきり知り、短く息を吐いているときには「私は短く息を吐いている」とはっきり知ります。「私は全身の感覚を把握しながら息を吸おう」と訓練します。「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練します。「私は身行(=吸う息)を静めて息を吸おう」と訓練します。「私は身行(=吐く息)を静めて息を吐こう」と訓練します。あたかも熟練したろくろ工、あるいはその弟子が、ろくろの紐を長く引っぱれば、「私は紐を長く引っぱる」と知り、紐を短く引っぱれば、「私は紐を短く引っぱる」と知るように。これと同じように、比丘が長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知ります・・・「私は全身の感覚を把握しながら息を吸おう」と訓練します。「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練します。

"In this way he remains focused internally on the body in & of itself, or externally on the body in & of itself, or both internally & externally on the body in & of itself. Or he remains focused on the phenomenon of origination with regard to the body, on the phenomenon of passing away with regard to the body, or on the phenomenon of origination & passing away with regard to the body. Or his mindfulness that 'There is a body' is maintained to the extent of knowledge & remembrance. And he remains independent, unsustained by (not clinging to) anything in the world. This is how a monk remains focused on the body in & of itself.

このように、比丘は内部から、体そのものに対して気づきを保ちます。あるいは、外部から体そのものに対して気づきを保ちます。あるいは、内部・外部両方から、体そのものに対して気づきを保ちます。あるいは、比丘は体に関する現象の発生に気づきを保ちます。体に関する現象の消滅に気づきを保ちます。あるいは、体に関する現象の発生と消滅に気づきを保ちます。あるいは、比丘の「体が存在する」という気づきは知識と想起(注1)の範囲で保たれます。そして比丘独立を保ち、世界の何物にも執着しません。これが比丘が体そのもの気づきを保つ方法です。

"Furthermore, when walking, the monk discerns, 'I am walking.' When standing, he discerns, 'I am standing.' When sitting, he discerns, 'I am sitting.' When lying down, he discerns, 'I am lying down.' Or however his body is disposed, that is how he discerns it.

さらに加えて、比丘が歩いているとき、この比丘は「私は歩いている」とはっきりと知ります。立っているとき、この比丘は「私は立っている」とはっきり知ります。座っているときには、「私は座っている」とはっきりと知ります。横たわっているときには、「私は横たわっている」とはっきりと知ります。あるいは、体がどのような状態になるのであれ、はっきりとその状態を知ります

"In this way he remains focused internally on the body in & of itself, or focused externally... unsustained by anything in the world. This is how a monk remains focused on the body in & of itself.

これが比丘が体そのものを内部から、あるいは外部から、あるいはその両方から気づきを保つ方法です。そして・・・世界の何物にも執着しません。これが比丘が体そのもの気づきを保つ方法です。

"Furthermore, when going forward & returning, he makes himself fully alert; when looking toward & looking away... when bending & extending his limbs... when carrying his outer cloak, his upper robe & his bowl... when eating, drinking, chewing, & savoring... when urinating & defecating... when walking, standing, sitting, falling asleep, waking up, talking, & remaining silent, he makes himself fully alert.

さらに加えて、比丘が前に進むとき・戻ってくるとき、この比丘自身に完全に注意を払います。何かに目を向けるとき・目をそむけるときも同様に・・・手足を伸ばすとき・曲げるときも同様に・・・自分外套コートなど)を運ぶとき自分の上着・お椀を運ぶときも同様に・・・食べるとき、飲むときに、噛むとき・味わうときも同様に・・・排尿するとき・排便するときも同様に・・・歩くとき、立つとき、座るとき、眠りに落ちる時、起きるとき、話すとき沈黙するとき比丘自身に完全な注意を払います

"In this way he remains focused internally on the body in & of itself, or focused externally... unsustained by anything in the world. This is how a monk remains focused on the body in & of itself.

これが比丘が体そのものに対して気づきを保つ方法です。あるいは体そのものを外部から・・・世界の何物にも執着しません。これが比丘が体そのものに対して気づきを保つ方法です。

基本的には上記がヴィパッサナー瞑想だと考えればよいでしょう。このヴィパッサナー瞑想近代指導者たちに、さまざまに解釈されています

注1 ここで、「想起」という言葉は「思い出す」という意味です。

http://surleconomiejp.blogspot.jp/2015/04/blog-post_5.html

2015-02-25

anond:20150224174630

この症状を克服できるかは分かりませんが、記憶に付いている負の感情クリアにする方法はいくつかあります

EFT(Emotional Freedom Techniques)&TFT(Thought Field Therapy)

顔や体の経絡を指で軽くたたく「タッピング」という手法です。EFTTFTを簡略化したものです。簡単なEFTから先に入るのもいいかもしれません。

ネガティブ感情解放や心理的問題改善集中力を高めたり、感情コントロールにも役立ちます。詳細はEFTTFT日本支部のサイトをご覧ください。

以下のサイトからEFT無料マニュアルダウンロードできます

http://www.eft-japan.com/free.html

TFTの手順

http://www.jatft.org/stress-caring.html

バッチフラワーエッセンス

花や草木などのエッセンス感情を癒す自然療法です。あまり日本での知名度は高くありませんが、本場・イギリスでは歴史が古く、メジャー製品です。「怒り」や「恐怖」「不安」などなど、それぞれの感情対応する植物エッセンスがありますエッセンス保存料グリセリンブランデーなど、メーカーごとに製法に違いがありますが、個人的にはブランデーお勧めです。

飲み方や使い方等の詳細は下記サイトご参照ください。

http://www.pass-thyme.com/guide/info.asp

http://www.healingherb.jp/index-34.html

ホメオパシー

植物鉱物昆虫の成分を希釈振盪して砂糖玉に染み込ませたもの(レメディ)を摂取する療法です。イギリスチャールズ皇太子ホメオパシーバッチフラワーエッセンスの愛用者として有名です。

http://jphma.org/About_homoe/about_homoeopathy.html

日本では「ニセ医学」として非常に悪名高いですが、自分性質に合ったレメディ摂取した場合ネガティブ感情解放効果があると個人的には実感しています(ただし、病気治療には勧めません)。難点としては、レメディの種類が多いので、自分に合ったものを探すのは一人では難しく、専門家相談する必要があることでしょうか。あと、ホメオパシーに対する不信感が強い人はしないほうがいいと思います個人的には、日本会社が作っているものよりも、イギリス製ドイツ製のレメディお勧めです。

些細なことがトリガーとなり昔の記憶が蘇ってきて、それに付随しているネガティブ感情によって軽くパニック状態になる――これは精神科の薬を服用したら治るというようなものではありません。

ユング心理学では、人間意識は「潜在意識無意識)」と「顕在意識」の2種類に分けられ、それは氷山にたとえられると言います

詳しくは以下のサイトをご覧いただければと思いますが、

http://matome.naver.jp/odai/2140833864910053701

私たちが普段意識することのできる意識顕在意識」は、意識10%程度しか占めていないそうです。感情というのは、私たち意識の90%以上を占める潜在意識無意識)の領域からもたらされます。蘇ってきたネガティブ感情一時的に抑圧しても、またふとした時に顕在意識に浮上してしまます。なので、抑圧するのではなく、徹底的にそのフラッシュバックしてくる記憶感情と向き合って、その記憶に対する自分認識を変えるのです。その感情をよく感じてみるのです。

感情を観察しているうちに、特定感情が出てきた時には、体の特定の部位に違和感があることに気づくようになります

体には「チャクラ」というエネルギーセンターがありますが、たとえば、悲しみの感情を感じる時は第4チャクラハート)に、恐れの感情が出てきた時は第3チャクラ太陽神経叢)に違和感がある……ということが徐々に分かってくるようになると思います

主要チャクラの身体的・心理的な関係について

http://www.sky.sannet.ne.jp/lily/kanjyo3.htm

東洋医学の陰陽五行の考え方でも、五臓のそれぞれに対応する感情がありますね。

自分への気づきを深めるためには、体の動きを観察するヴィパッサナー瞑想が大いに役立ちます

http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html

体の感覚に敏感になり、感情対話するように心がけるのです。そうしているうちに、嫌な記憶に付随した感情への対処が少しずつできるようになっていくのではないかと思います。また、その感情(どう感じているか)をノートメモすることで、自己気づきが深まります

私もずっと増田さんと同じような症状に悩まされ、ネガティブ感情への対処試行錯誤してきました。私自身、完全に感情問題を克服したわけではありませんが、ネガティブ感情意識的になることで、以前よりもはるか改善されたと感じています。今回ご紹介した私の対処法はほんの一例であり、他に増田さんに向いている方法がきっとあると思います。何かの参考になれば幸いです。

増田さんの症状が改善されるといいですね。

2014-11-12

まり知られていない仏教における「最高の善行為」

仏教には色々と「善行為」と「悪行為」があって、

善行為をすると幸せになり悪行為をすると不幸になる」ということは

日本では広く知られている。

しかし、意外と知られていないのが「最高の善行為」とは何かだ。

そもそも善行為とは具体的にどんなことを指すのかもあまり知られていないようだ。

善行為はなんとなく「他人を喜ばせる行為」というようなイメージで語られている。

最初期の上座部仏教(といっても現代まで伝わっている文献はブッダ死後のものだけだが)では

善行為、悪行為とは何かについて明確に定義されている。

それらの文献の定義によれば、悪行為とは、貧・瞋・痴の心に基づいた行為である

善行為とは不貧・不瞋・不痴の心に基づいた行為である

「貧」は貪欲、つまり欲望を表わし、「瞋」は怒りや憎しみを表わし、「痴」は真理に対する無知を表わす。

これらはさら嫉妬や物惜しみなどに細分化されて解説されることもあるが、基本的にはこの3つが悪の根源である

例えば、純度の高い覚醒剤ジャンキーに売ってあげれば相手は大喜びするかもしれないが、

これは貧・瞋・痴に基づく行為であると考えられるので、相手が喜んでいようと善行為とはならず、悪行為となる。

逆に、自分にとって生活の礎であり無くては生きていけない「お金」を

必要な人に施すのであれば、これは不貧・不瞋・不痴の心に基づいた行為であると考えられるので、これは善行である

すると、ボランティアや施しがなぜ善行為たりえるのかがわかるかもしれない。

では、「最高の善行為」とはなんであろうか。

善行為とは不貧・不瞋・不痴の心に基づく行為であった。

から、最高の善行為とは、「100%不貧・不瞋・不痴の心に基づいて行われる行為」のことである

しかし、心は複雑なもので、相手に奉仕するとしても100%善の気持ちになって奉仕することはほとんどない。

偽善」という言葉があるが、見返りを求めて相手に奉仕することがほとんどである

「やらない善よりやる偽善」と言われたりもするが、それ自体は悪いことではないし、ごく普通のことである

では、最高の善行為とはなにか。

これは、ヴィパッサナー瞑想ことなである

ヴィパッサナー瞑想では、瞑想中は100%不貧・不瞋・不痴の心になる。

すると、これは善行為のなかでは最高のものであり、これ以上はないということなる。

意外と知られていないが、善行為の最上級瞑想をすることなのだ。

2014-10-20

瞑想の種類について

仏教の考え方が流行ってる(?)ようだ。

とくにスマナサーラ氏とか、そういうあたりだ。

僕も仏教の考え方は好きだ。一番いいのは信仰を求めないことだ。

仏教場合、「信じる者は救われる」ではない。「実践する者は救われる」だ。

ここでいう「実践」とは「瞑想」を指すことが多い。

でも、実は瞑想はいくつか種類がある。

種類はいくつかあるが、基本的にはアーナパーナサティ経に則った瞑想が多い。

また、瞑想にもサマタ瞑想ヴィパッサナー瞑想の2種類がある。

アーナパーナサティ経にはこう書いてある。

長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り(pajānāti)、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知る。

短く息を吸っているときには「私は短く息を吸っている」とはっきり知り、短く息を吐いているときには「私は短く息を吐いている」とはっきり知る。

「私は全身の感覚を把握しながら(paisaṃvedī)息を吸おう」と訓練する(sikkhati)。

「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練する。「私は身行(=吸う息)を静めて息を吸おう」と訓練する。

「私は身行(=吐く息)を静めて息を吐こう」と訓練する。

これが呼吸による気づきであり、熱心に行い、このように自身を訓練することは大きな果報となり、大きな利益となる。

これが原典(の日本語訳である

この瞑想は様々に解釈されている。

第一に、ラベリングをしながら瞑想をするというものだ。ラベリングとは、実況中継とか説明されることが多い。

これはマハシ・サヤドー(1904-1982)さんが考案したもので、マハシ系と呼ばれることが多い。

考案と言っても、新しく作ったのではなく、知識の深かった彼が旧来の解釈とは違う解釈をしたというような感じだ。

具体的な方法日本テーラワーダ仏教教会ホームページなどで見れる。

呼吸をするとき

「吸っています、吐いています

と実況中継(ラベリング)をするという特徴がある。

呼吸瞑想の他にも歩く瞑想や座瞑想が同協会のホームページで紹介されている。

他には、ゴエンカ系とパオ系がある。こちらはラベリングは行わない。

こちらに関してはやり方はあまり知らない。

どうやら詳しく知るには合宿に参加する必要があるらしい。

が、パオ系はニミッタという光を重要視するようだ。

また、呼吸瞑想ヴィパッサナー瞑想かどうかにも意見が分かれているようで

サマタ瞑想とする場合もあるらしい。

また、マハシ系は呼吸ではなく、おなかの膨らみ・縮みを見る場合がある。

2014-07-21

http://anond.hatelabo.jp/20140721000848

元増田です。

軟酥の法は、複数書籍で見かけましたが最初に知ったのは「からだでつかむ仏教」だったかと思います

チベット仏教にも同様の技が伝えられているそうですね。

普段はヴィパッサナー瞑想実践しております

こちらは、ある程度実践しないとその価値については分かりにくいと思いますが、

軟酥の法は、効果がすぐに分かるし宗教色もないので他人にも勧め易いですね。

自律訓練法くらい手軽な、良いリラックス法だと思います

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