はてなキーワード: 日本の政治とは
「日本の政治が正しく運用される」がゴールじゃなくて「自民党に入れさせない」がゴールになってんだよな結局。
そうじゃねえだろ。
たとえ自民党がある日突然まるっと左翼政党に生まれ変わっても、はてサは変わらず「自民党に入れるのは父親の尻穴に挿入するようなものであり歪んだ家長制度の延長線」とでも宣い続けるだろう。
結局さ、信念も思考力もないやつが政治にかぶれると、プロパガンダを言うことそのものが目的になるんだわ。
パチンカスが稼ぐためでも大当たりを見るためでもなく、パチンコのレバーをただただ握り続けていることそのものに人生の意味を見出すように
彼は1952年生まれで日本の政治家だと小池百合子が同年生まれのようだ。
1945年の第二次世界大戦終結から7年後、いわゆる東西冷戦(1947-1989)下であり、彼らが過ごした少年~青年時代の世界はベトナム戦争(1955-1975)の真っ最中だった。
ベトナム戦争終結の1975年にプーチンはレニングラード大学法学部を卒業し、翌年(1976)に百合子がカイロ大学を卒業したとされている。
…彼らの卒業後、それぞれの国で50年以上の年月を経て現在(2022)に至る…
「あたかも政治警察のように排除」 北海道警ヤジ訴訟の原告主張:朝日新聞デジタル
ヤジ排除の正当性を主張 道警警察官3人に証人尋問 札幌地裁:朝日新聞デジタル
北海道警ヤジ訴訟が結審 北海道「妥当な判断」原告「表現の自由の侵害」 判決は2022年3月に
日本の政治家みたいに、のらちくらりで心配事は未来に任せて私腹を肥やすことだけに専念する道もあったよね。適当に西側とうまくやりつつ。
大ロシアなんて夢を抱いちゃったのはなぜなの
お金がないと嘆くくせに、金融経済の在り方を知ろうとさえしない。
戦争が始まり多くの命が失われる最中、保有している株式が上昇し喜んでいる人がいる。
「かけがえのない命だ」とあなたは言うけれど、本当にそう思っているのか。
「いのちは平等だ」とあなたは言うけれど、虫ケラ同然のように扱われ絶たれた、いのちがこの世界には"いま"存在してるいるということに、どう思っているのか。
ウクライナで起こっていることは、決して海の向こうの他人事ではない。
本当に戦争をなくしたいと思っているのなら。
この日常を失いたくないと思っているのなら。
一番に考えなければいけないのではないか。
そして、考えるだけではなく、実際に行動しないといけないのではないか。
戦争に"No"と言えるように。
← これは本当。そもそも保守主義(conservatism)の論客たるバークがそう言うてはる。曰く、近代的保守とは漸進主義であると。すなわち、結局は同じ地点に到達するにしても、権利とは人が皆生まれながらにして持っている自然権なのではなくて、歴史を通じて人々が獲得してゆく後天的社会的なものである、という考え方であるとする。だから、彼らは急進的ではないものの、行き着くところはリベラル(自由主義者)と大きくは違わない。
これは、日本の政治勢力で言うと、いわゆる保守本流と言われる自民党の主流派が最も近いと言って差し支えないでしょうね。(岸信介じゃないよw 念のため)
一方、漸進主義でも近代主義でもなくて、「昔に戻れ」「伝統に回帰せよ」と叫ぶ人たちもいるが、彼らは近代的保守ではなくて、単なる復古主義であり反動勢力。(そのくせ保守を名乗りたがるからタチが悪いw)
そのせいで 人のこころがわからない サイコパスのような暴君になったのだと
何となれば 現実的に 世の中を見回して
特に 自分の身内を観察して 要するに一言で言えば 貧乏出の 団塊世代の自分の両親が
正直な話安倍晋三にそっくりな傲慢さを 疑う余地なく持ち合わせているからである
金持ち故の慢心と 団塊世代特有の「今だけ 金だけ 俺たちだけ」という視野狭窄の
団塊の世代と見比べたときに 非常に似通った性質を持ち合わせていることから
そういう世代的な影響を受けていると考えて さしつかえないと思う
子だくさんの家庭で 兄弟が5人も6人もいることが珍しくもなく
つまり 細やかな躾など受けられず 犬猫のように わちゃわちゃと育った世代のことである
それ故に 団塊老人は 挨拶ができないくらいのできそこないが山ほどいる
正確には それが仕事となれば へりくだって挨拶でも何でもするが
日常生活で 他人に敬意を示すという発想がなく 家族や 街で接する見知らぬ他人には
適切な礼儀をもって振舞うということが全く出来ない老人が うちの両親含め山ほどいる
自分は 普段 世代間闘争みたいなことは 下品であまり良くない発想だと考えている
「老人笑うな行く道だ」と 基本的には今でも思っている
団塊老人は それを 「自分たちがいちばん頑張ったから」だと思い込んでいるが 本当にそうだろうか
その稼ぎが増えるというのは 本当に 本人が頑張ったかどうかで主に決まるのだろうか?
単純に 「自分より上の世代に 給料を上げてもらった」のが団塊であり
それなのに 「自分より下の世代の給料は上げようとしなかった」のが団塊だっただけではないのだろうか
うちの親は 池田勇人の「所得倍増」で 平の地方公務員のくせに 1000万近い年収を 貰っていたのである
本人は 「公務員になったときに馬鹿にした連中が 自分ほど給料が増えなくていい気味だ」なんて
平然と勝ち誇るのであるが なんだかただうまく波に乗っただけで
これを頑張った結果みたいに言い張るのは腑に落ちない
現実の結果だけ見れば 団塊は 高度成長で増えた日本の富を ただ吸い付くし 食らい尽くして
滅びようとしているだけの世代で 日本のために何の役にも立っていない
日本全体の富を増やすことを 団塊が日本の主役だった時代には一切行っていない
パイを増やさず 奪い合うだけで 自分は頑張ったと主張しているだけである
それが 一言でいえば 失われた三十年 と言うものの実態であろう