はてなキーワード: 既得権とは
・若者、氷河期、ワープア叩き、マスコミの弱者蔑視が蔓延する理由
団塊どもは数が多かったので、激しい競争にさらされる人生を歩んできました。
従って、他人を蹴落としてはい上がることが至上の価値という価値観を持っています。
本来であれば社会において必要とされるスキルは「協力」ですが、彼らは「他人を陥れる」という、それに相反する価値を蔓延させた自己中世代です。
ワープアなどの弱者の問題は本来、社会全体で少しずつ我慢しあって分かち合うという方法が有効なのですが、強欲な団塊は絶対に自分の既得権を手放そうとしません。
そして、今や様々な分野のトップになってふんぞり返っています。
そう、おわかりの通り、マスコミの偏った自己責任論などの「弱者叩き言説」は、こうした自己中団塊の立場を正当化するために消費されているのです。
=これは団塊のせい。
要するに、多数派であり選挙に大きな影響がある既得権世代の雇用や保障を優先し、若年世代を犠牲にした結果が、良くない実態以上にさらに閉塞感をもたらしている格差問題なのです。
政治も選挙のことを考え団塊に媚びたために、被害が若年世代に集中した結果、経済の悪化、社会の閉塞感と言った問題を拡大してきましたが、マスコミも多数派である団塊に媚び、実態をゆがめて報道してきました。
この点、自民や経済界は当然責められるべきですが、では、はたしてマスコミや民主党、その支持母体の労組がこの問題を取り上げてきたか?と言うことを考えれば、彼らも共犯関係にあると言えます。
今までは公共心を持った世代の高い投票率で、まだ抑制されていましたが、これからさらに影響力を強める団塊世代は公共心など無い、私欲にまみれた徹底的なエゴイズムの世代です。
自分の利益を追求することを至上の価値と考え、他人を思いやる心に欠ける野獣のような世代が彼らであり、そのことは「日本という国家全体のことを考える」という左右を問わずに当たり前のことを、あたかも悪であるかのように主張してきた前科からも証明されます。
=もちろん団塊のせいw
数が多く、競争の中で生きてきた彼らは、他人を陥れるためならなんでもするという、禽獣にも劣る卑しい精神構造を持っています。
ですから、組織を円滑に運営するための人間関係構築の重要性が理解できません。
今やトップとなった彼らの価値観が現在の社会に蔓延していることが職場の閉塞感を高めています。そして、団塊どもは相変わらず「協力し合えない職場」の問題点を全く理解せずデタラメな対応を現場に強いているのです。
自分たちの無能を棚に上げ、現場に無理なコストカットなどの要求を繰り返してきた結果がブラック企業なのです。
=やっぱり団塊のせい。
しかし、いくら自民を叩いたところで民主が良い政党だと証明できるわけではないし、支持する要素にもならないと考えるのが常識。
しかも政権取ったとたんに内政も外交もダメ。景気無策、財政危機で結局国の借金は増え、そして増税という体たらく。
が、団塊どもの性質として、「とにかく負け組になりたくない、叩く立場になるのが最高」という腐った価値観があります。
だから、マスコミのメディアスクラムが起きると一斉にそっちに流されるわけです。
普段は「個性」「主体性」と喚き、また、協力し合うと言うことを知らない連中ですが、こういうときは結託して叩きに走ります。
それがこういう状況の原因の一つにもなっているのですね。
そして、注目したいのが世代問題。団塊とは一般に「1947年から1949年までのベビーブームに生まれた世代」を指しますが…
安倍(1954年)
福田(1936年)
麻生(1940年)
…
鳩山(1947年)
菅(1946年)
リンクを大量に貼っているので、選択的に読むのがいいと思います。
このエントリは、私自身が問題意識を持った上で数カ月かけて、雇用問題・解雇規制についての記事を読んで、本質的だと思われる部分を簡潔に書いたものです。そのため、主張の根拠だったりその理由だったりそれに付随する問題点が多々ありますが、(量が膨大になるため)あえて書いていません。そのかわりに、私の意見を代弁しているブログ等にリンクを貼っています。その主張について疑問があったり詳しく知りたい場合はリンク先の記事を読んでみると、このエントリについてもさらに理解が深まるかと思います。このエントリに関して全体的に納得行かないっていう人もいると思いますが(問題意識を持っていない人は特にそうかもしれません)、少しずつでも、一日数個リンク先の記事を読んでいけば、もしかしたら、一、二ヶ月後は意見が変わっているかもしれません。
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今、俺ができるだけ多くの人に知って貰いたいと思っていることは「世代間格差」★1だ。 →グラフ参照★2
え? 知ってるって? まぁ、今の年金制度が積立方式じゃなくて賦課方式であることと、将来の人口分布予測★3を知っていて、まともに考える能力があればわかることだよね。 実際、殆どの若者もそれに気が付いているみたい★4だしね。
世代間格差についてインターネットではたまに見たりするけど実際周りで話してるのなんか聞いたことない、って言われても若者は投票に行かない★5わけだし。 だったら世代別選挙区★6でも導入っていうのはかなり有効な手段だと思うのだけれども、残念ながら政治の世界も年功序列なわけで、老人たちがみすみす自分たちの首を締めるような真似はしないだろう。
この年功序列・シルバーデモクラシー★1-1を崩すのはかなり難しいよね。
法律を変えることのできる政治家も、世間に大きな影響力をもつ大企業の経営者や幹部も年功序列で決まっちゃう。 テレビ・新聞も高齢者に迎合して、ルールや世間の潮流を作る側、体制側も年功序列で出る杭はガンガン打ちのめしているし★1-2★1-3、すでに高齢者に有利な世の中になってしまっている。 そう考えると、現在の日本の社会構造を変えるのはかなり難しい。
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今の閉塞的な経済や景気に大きく左右される若者を中心とした雇用不安、サービス残業、ブラック企業が蔓延っている事などの原因を考えると行き着く先のうちの一つは厳しすぎる解雇規制★7★2-1があるだろう。 解雇規制が厳しすぎるので企業は簡単に正社員を首にできない。
また、年功序列型賃金であるため、ある程度年をとった職歴のない既卒者を雇い入れることが出来ない。 そうすると基本的に新卒からしか採用しようとしない。 新卒採用で正社員として採用され働くことが出来なかった人は将来、正社員に返り咲くということが極めて困難だ★2-2。
慣習として終身雇用であるために、新卒採用の時点でその人が生涯賃金(企業が支払う公的年金の分も含めれば3~4億以上)に見合うだけの価値があるかどうかの無茶な判断に企業は迫られるわけ★2-3。 当然、景気の良くない現在では特に企業は二の足を踏み新卒採用を絞る。 なので、生まれた年代と大学卒業時期の景気だけで、その世代の人は何も悪くないのに、特定の世代だけ格差が極端に大きくなり★1-4、組織の構成員の年齢分布も歪になる。 そしてそれが世代間格差をさらに広める。
これは、現代の奴隷制度・身分制度★8★9★2-4★2-5ではないだろうか。 驚いたことにカースト制度と酷似している★10くらいだ。 社会に適応できなかった人★1-5や新卒採用で漏れた人間は一生、ワーキングプアや派遣・フリーターの非正規雇用で暮らさなければならない★2-6。
正社員から非正規雇用者に成り下がることはあったとしてもその逆はありえない。 また、正社員職にあぶれて非正規雇用で働いている人だけでなく、新卒しか採用しないことによって、つまりは既卒者を締め出しオッサン達の雇用を守った上で若者世代に無職・ニートを作り出している。 正社員といえども一部の大企業以外では、ブラック企業★11、サービス残業つまり労働基準法違反が蔓延している。それは労働市場の需給バランスが異常で、恐ろしく買い手市場になってしまっているから。 終身雇用が前提で、どんなに酷い企業だとしても辞めたら他の仕事を見つけるのが難しくなる。 つまり、労働者が労働サービスを企業に不当に安く買い叩かれている★12からブラック企業なんかが存在し続けてしまう★2-7。
そういった問題に加え、人材流動性の硬直化によって、一企業内だけでなく社会全体として、新しい産業への人材移転が起きにくい。 太平洋の向こうでは、流動的な雇用のおかげで基幹産業を製造業からIT・金融へと変えて★13まだまだ成長し続けているバケモノもいる。
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こういったことを変えるために、革命的な変化が世の中に起こって欲しい、そういう意味で戦争を希求する気持ちもわかる★14。すごくわかる。
今、日本は危機的状況にあると思っている。アジア通貨危機みたいな極端な経済危機がおきて、2013年とか2020年くらいに日本が凋落するっていう見方もあるらしいけど★15、そうならないとしても“今”変わらなければ、じり貧になってじわじわと衰退していく。それはKOされずにずっとボディーブローを食らい続けるボクサーのように。
民主党に政権交代したのは日本が変わらなければならない、と国民が感じているからに他ならないと思っている。むしろ変わらないといけないという危機感がないと本当に日本は没落する★2-8。民主党がまともな政治をできているのか★16は別として。
俺が、戦争を望むという思想、つまりある種の革命に共鳴するのは、社会がリセットされるからだ。ガラガラポンでリセット、再出発。解雇規制緩和から始まり、終身雇用、年功序列型賃金、年功序列型人事、新卒採用主義などを根こそぎ変えないと、日本に未来はない。ただ衰退していくだけ。反対する人の多いこの状況★1-6でこれらを自発的に変わらなければいけない。自発的ではなく強制的に変えざるを得ない状況に陥った場合というのは、もう一回日本が焼け野原になっている状況だと思っている。
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今の日本人の目標ってなんだろう、日本人はどんな幸福を求めているんだろう、って考えると難しい。
二十数年前までは、所得倍増計画だ世界第二位の経済大国だジャパン・アズ・ナンバーワンだなんだ言ってたけど、今はそういう時代じゃないっていうのは誰の目にも明らかなわけで。そういった考えがバブルと一緒にポンとはじけて、目標を見失ってさまよい続けたのがここ20年なんじゃないの?もういっそのことイタリアみたいな国目指せばいいじゃん★1-7。 いやマジで。日本人がお互いに抜け駆けをを許さず無駄に拘束しあって★17疲れてんのが今の日本★18でしょ? ときには消費者★2-9として。 もしくは会社の同僚や上司や取引先として★19★20。 ゆっくりしていこうよ。 どうせ経済はこんな体たらく★21なんだし。
ただ、確実に不幸だと言えるのは、今まで父親は馬車馬のように働いて日本を経済成長させた代償として家族を大事にしてこなかったこと★22★23を“社会が”若い世代にも押し付けてくること★24★25と、 そして一昔前までは当たり前だったけど、今のこんな雇用環境では真っ当に働いて普通に結婚して普通に子供のを作って普通に暮らすということ★26が、ものすごく難しくなっていること★27★28だ。 え? 俺らが若い頃なんか終電まで働いて休日出勤も当たり前だったんだから、ちょっとやそっとのサービス残業くらい我慢しろって?ダメダメ! そんなこと言い出したら縄文人が勝っちゃう★1-8んだからw そんなことを言うくらいだったら、お互いの対立軸★1-9をハッキリさせましょうよ。 そうした上で建設的な議論をしましょうよ。
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日本的雇用 -終身雇用・年功序列・新卒採用- を撤廃させるには、つまり雇用が流動化されるには少なからず混乱が起きるだろし、 落ち着きを取り戻したとしても決して全員の給料が良かった時代には戻れないだろう。 雇用流動化によって損をするのは既得権をもった人★29だ。誰も損をしない革命★30なんかありえない。 彼ら、いやあなた自身が血を流さなければ状況は全く変わらない★1-10。
収入が減ってもふたりで働けばいいじゃない。 専業主婦なんて一世代くらいしか続いてないわけだし★31。 家も買う必要はない。 ていうか、こんな激しい時代でん家買うなんてこたぁ無理★1-11。 いい意味で人生を諦めたほうがいい★1-12。 別に借りればいいじゃん。 モノを買わなくったって。 所有することが目的★1-13じゃなくて、使うことが目的なんだから。 持ってるとお金かかるだけだし★1-14。
企業の方も終身雇用を求めている★1-15っていう意見もあるけど、床上手な処女を求める★32★33のも凄く矛盾してるよね。 確かに、明日から解雇し放題ですよ、なんてしだしたら混乱するだけってのは重々承知なわけです。 意識改革をして解雇規制を試験的にでも導入★2-10する、それを実行する為の議論の素地を作ること、それが大事なんです! 変わるっていっても一朝一夕で変わるわけないんだから、少しづつでも変わんなくちゃいけないの! 時間ない★34んだから!
今変えない限り、未来永劫変わらないんだよ?そんな社会がいつまで続くと思っているの?
どの時代に生まれようとも、今ある社会を持続可能な社会として子供たちに引き継いでいくのが大人の役目でしょ。
書いてて思ったけど、明治維新や第二次世界大戦後みたいに外圧がないと変われないのかもね。
日本社会は、ある意味でもうかなりヤバい★38★39★1-16のかもね。
実際、老害の糞ジジィどもは自己中★1-1★40だしね。それが良い方に向かうか悪い方に向かうか知らんけど。
ただ一つ救いがあると思えたのは、真っ当な感覚を持って、真実を語ることができる政治家が(少なくとも一人は)日本にいるということだ。それは自民党中川秀直★41だ。そういった政治家が普通にみられるようになるためには、どれくらい時間がかかるかは……考えたくもない。
http://www.nakagawahidenao.jp/archive_qa2009_01.html 参考→★2-11
Question
今の政治についてのお考えは?人を助けるという政治であってほしいですね。仕事が無くなる、住む場所が無くなると言う現状を見ると、今こそ政治の出番では ないでしょうか?国民のために少しでも灯りが灯る政治に決断が必要ではないでしょうか?きっと、神様は悪いことばかりを与えられることはないでしょう。し かし、国民も努力をすべきだと思いますが、少しでも明るい日本にするために、中川さんはどのようにお考えでしょうか?自民党は貧乏人を殺してしまうので しょうか?お答え下さい。(島根県、63歳、女性)
Answer
厳しいご指摘をしっかりと受け止めたいと思います。いまは世界中が新しい社会に向けた転換をめざして、「産みの苦しみ」の中にあります。それは、「まとも な社会」への転換なのだと思っています。助けあい、いたわり合い、分かち合いの社会にするための政治でなければなりません。非正規雇用の方についてのご指 摘と思います。非正規雇用の方を切り捨てて守ろうとしているのは、経営者の利益だけではなく、実は正規雇用の方の雇用であり賃金です。つまり、ひとつの家 庭の中で、お父さんの雇用と賃金を守るために、お母さんのパートが切られ、新卒の子供が正規雇用につけないという状況が生まれているのだと思います。こん なことで、お父さんが首切りにあったらこの一家はどうなってしまうでしょうか。私はここ数年、正規雇用と非正規雇用の差をなくして、全員が職務給をもとに 働くべきだと思っています。この制度への最大の抵抗は「自分は若いときに安月給で働いたのだから、仕事以上の給料をもらう権利が私にはある」と思っている 中高年齢の男性正規社員の一部のみなさんです。しかし、それが青年たちの雇用を脅かし、日本社会全体を弱体化していることに思いを寄せていただきたいと思 います。一家の家計は、家族全員で分かち合いをしていくべきではないでしょうか。政府も、経営者も、正規社員の労働組合も、非正規雇用のために「三方一両 損」の努力をすべきと思います。オランダでもそうした合意をしたことがあります。なお、政府・日銀はすべての人が安定した雇用が維持されるように政策運営 をする使命があります。そのことを絶対に忘れてはいけません。
それは、正社員と非正規雇用者では給与以上の断然たる格差があるということ。 言い換えると、正社員という既得権★42に対しては手厚く保護されているが、非正規雇用者に対するセーフティネット等があまりにも貧弱、というかないに等しい。
まぁそれはわかるとして、今、非正規で雇われてる人で反対してる人っているの?正社員の人が解雇規制緩和に反対というのは心情的にはわかるけど、結局正社員の人が反対することによって格差を助長させるだけ★1-10じゃないの? 仮に今後ずっと反対したとしても一緒に潰れるだけ★2-12なんじゃないの?もしかして、非正規雇用者だったりワープアなのに、雇用流動化反対!!なんて思っちゃってる人は、規制すること★2-13★1-17しか頭にないんじゃないの? 賃貸住宅しかり★2-14、保育★43しかり。
(mojixさんは兎も角としてchikirinさんもそうじゃないかと勝手に判断してるんだけど)それは俺の思想的立ち位置が小さな政府を支持していて、リバタリアン★44的な考えにかなり近いから。 ここまで読んでそれがわからなかったらただの馬鹿。 馬鹿は言い過ぎかもしれないけど、少なくとも自分自身の思想的立ち位置は自覚してないんだろうね。 それをはっきりさせてから自分の意見を表明してください→★2-15★2-16★2-17
んな訳ないwこんな糞なげぇ文章を増田なんかに書いて、ちまちまリンク貼っつけるような時間があるのは俺が暇人だからに決まってんだろjk。 言わせンな恥ずかしい。 なんで、そんなニートが偉そうに、解雇規制が~ とか終身雇用が~ とかのたまってるのかって? そりゃ、全体最適化=オレ様最適化★1-18だからに決まってんじゃねーかよw 二年半前はこんなこと★45書いたら非難轟々だったらしい★46けど、もし今も変わらないようだったら本当にお先真っ暗ですわ。 話す前から頭ごなしに否定して罵詈雑言を浴びせるんじゃなくて、せめて雇用流動化の何がどういうふうに問題なのか建設的な議論がしたいですよね。
そういう話がないなら、これから議論すればいいじゃない→★2-18★47
このエントリを書こうと思ったきっかけは、某便所の落書きで自分の考えを書いていったときに、ある程度まとまったカタチで発信したいと思ったから。 自分自身で考えを総括したかったからっていうのもある。俺はブログもやってなくて丁度いいから増田に書く事にした。
宝くじでも当たんねぇかなぁ…。
ついった→ ★
http://anond.hatelabo.jp/20110129073446
http://anond.hatelabo.jp/20110206190916
http://getnews.jp/archives/80423
どんな観点から見ても変な規制、なんてものはあんまりない。
たとえば、市場競争を促すための規制緩和というのは、往々にして消費者保護法制とトレードオフになってる。業者から見て、競争を阻害するガチガチの規制は、消費者団体や日弁連から見て、必要最低限の弱者保護だとか。消費者団体や日弁連から見て、合格点を与えられる程度の規制は、業界から見て、市場を殺すような規制だとか。後者の典型例が、消費者金融という業界をこの世から消し去ろうとしている上限金利&総量規制ですな。
こうした両極のどちらかに位置する規制は、その対極からの強い反対により、そもそも導入できないのが世の常。また、トレードオフなんだから、両極がどちらも大賛成、なんてものは、理念的にはあり得ても、現実的にはほぼ絵に描いた餅。結局、実現している規制ってのは、両極がどちらも不平たらたらではあれど、ま、しゃーないか、って反対はあきらめるようなもの。つまり、関係者に感想を聞けば、誰もが反対だったりするけれど、無い方がいいとか、もっと強化すべきとか、その「反対」が持つのは全然違ったベクトルだったりするわけだ。そこをうまく調整できたものだけが、規制として実現する。
「両極」なら、大概は足して二で割れば調整できちゃったりするケースが少なくはない。でも、「業者」が、既得権者と新規参入者とか、大手と中小とか、日系と外資系とか、いろいろと分かれていたりもするし、「消費者」が、都会と地方とか、金持ちと貧乏とか、被害の多寡とか、これまたいろいろ分かれていたりもして、現実は往々にして多極である。多様な第三者が絡むこともあるし。こうなると、調整の難度は幾何級数的に跳ね上がる。
冒頭のリンク先ではとんでもない情報操作がなされているけれど、議員立法は、実は提出だけなら決して少なくない。現与党の民主党は議員立法に抑制的なので政権交代前を見ると、
http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/kaiji171.htm
議員提出法案の数は内閣提出法案の数を上回る。ところが可決・成立する法案は、内閣提出法案の方がはるかに多く、結果的に、多くの規制は内閣提出法案に基づくものとなっている。この差は、偏に調整の有無によって生まれてる。板ばさみに会い多くの関係者から相矛盾する罵詈雑言を浴びながら、汗をかき雑巾をかけ、なんとか皆が許容する妥協案を纏め上げる存在がなければ、法律なんてできっこない。
何故だか経産省の役人には、とりわけ役所に否定的になって転職したOB/OGには、こうした現実の政治過程が(目にはしているはずなのに)わからない人たちが多くて、原氏もその伝なんでしょう。もっともうまく人を騙すのは、騙しを真実だと自らも信じ込んでしまう詐欺師なわけだけど、リンク先の記事もまさにそのように、多くの人々が釣られるんだろうね。船に乗ったはいいけど、船長の「こんなはずじゃなかったのにぃぃぃぃぃ」という叫びを聞いて始めて、騙されていたことがわかる。
原氏の成功報酬が法案成立ベースでなくて法案提出ベースだというなら、自分は船に乗らないわけだから、そのビジネスモデルはご立派なものですが。
それはつまり、通じりゃ何でもいいんだよ! ってことだろう。
確かに、そういう人はいる。だけどそれは、かなりみっともないことだよ。
あるよ。でも、みっともないと思ってないし、笑うなら笑う奴が悪いというだけの話。
俺は別にハリウッド映画に出ようというわけじゃない。言語や文化に依存しない科学技術を語ろうとしているんだ。その場で使われる言語が「英語」であるというのは単なる英語話者の既得権にすぎない。それ自体が本来は不公平なことなのは明らかだろう。原則論を言うならば、他人に英語を話すことを要求するならば、奴らは質の高い英語教師を自腹で派遣してさらに報奨金を払うぐらいのことはすべきだ、ぐらいのことは言えるんだぜ。
だからこそ、ちょっともののわかった人間なら、他人の英語を馬鹿にすることなんてしない。
当たり前だろうそれは。もし、中国人や韓国人がやってる中華料理店や焼肉屋に行って、店の人間のカタコト日本語を馬鹿にする日本人がいたら、そんな奴は軽蔑されるだけだ。料理店は飯がうまけりゃいいんだよ。それに対してこちらは金を払う。それ以上のことはおまけに過ぎない。
商売という「郷に入れば郷に従え」的な状況でもそうだ。まして学問の世界には「郷」はないんだよ。
よほどの天才か、よほどのお人好しか、どちらかでないか言えないと思う。
そりゃあんたの言ってる英語は「英米豪あたりの現地語としての英語」だからだろう。俺が言ってるのは「大人の事情で世界語の代用扱いされてしまっている英語」なんだから要求されるレベルが全然違う。
論文と公文書を一緒にする神経が理解できない。公文書というのは揚げ足を取る/取られないために書く文書だが、論文は本質的なところがわかれば細かいところはどうでもいいという文書だ。
むしろ公文書なら国際教養大だろうがどこの出身だろうが日本人には余程のことがない限り書かせたくないよ。まあ俺の書く公文書なんて特許ぐらいだが、日本人が訳したとおぼしきひどい翻訳が回ってきて往生することがあるんだよ。まあ、大抵の場合は英語の問題というよりも内容を誤解されているという問題だがね。いずれにせよ、本当のことを言えば日本語がわかる英語ネイティブに多少の金を払ってでも書かせた方がいい。その方が、後で校正する手間が省けて、結局は総額でのコストは減るはずだからね。
まあ、公文書であっても、日常会話や文学作品に比べれば圧倒的に簡単で、本質的には論文と五十歩百歩の世界なのは確かだけどね。所詮、論文やら公文書やらの言語は、用途が限定された「人工言語」みたいなものだと思った方がいいよ。日本語でもそうだろ。「ゆえに」だとか「~は、これを~する」とか、日常生活で絶対使わんだろ。
ところで、用途が限定された人工言語といえばプログラミング言語がその最たるものだ。あれって英語をベースにできているものが多いわけだが、まさか「英語ができない奴がプログラムコードを書くなんて神経は俺には理解できない」とか言わないよね?
なんだか話がずれちゃったけど、英語を学ぶ、ということも、高度な「専門知識」を要するのです。
完全を期すなら、片手間にはとてもできないことだ。
だから、それを専門にする学校があってもいいじゃないの、と俺はいいたいんだけど、
http://anond.hatelabo.jp/20100906185432
http://anond.hatelabo.jp/20100905150455←の元増田です。トラバされてないから気づかなかった。
読むに耐えない、聞くに堪えないなら見なければいいのに。
はっきり言って題名は注目を集めるための釣りなので、そこが言いたいことではないんです。言いたいことは記事の後半にあって、「第二言語を使うことは脳味噌にハンディキャップをつけること」であるのになんで英語がちょっとぐらいできるようになれば万事解決みたいに煽る人が後を絶たないんだろうな、って。
ただ、ちょっと煽りすぎたかもしれないと反省はしてます。ブコメとか見ても「意思疎通できれば十分なのにハードル上げすぎ」とか書かれてるけど、母語でない言語ではその「意思疎通」をするのが本当に大変なんですよ、と私は言いたかったわけですから。
ハードルを私が上げてるんじゃなくて、ハードルをみんな低く見積もりすぎなんですよ。欧州のCEFRという言語能力の共通規格があるんですが、「とりあえず意思疎通に不自由しない」というのはそれでいうとB2レベル(中級の上)で、はっきり言って日本人で英語でその段階に到達できる人ってほとんどいないですよ。読解と聴解はTOEICで満点近く取れるぐらいでなければ門前払い、それに加えてそれに見合った作文・会話能力が必要なんですから(日本基準で「見合った」を判断しないように。日本の英語教育は読解に極度に偏重しているので)。
そういう話をしているんではありません。日本語では立派なことを言える人が、第二言語ではそうではなくなってしまう、第二言語を使うということはそれだけ不利なことであるということを理解せよと主張しているわけです。
要するに何が言いたいかというと、「日本はダメだから海外に出ろ、プアイングリッシュだのグロービッシュだのが使えれば万事解決」みたいに煽る風潮を暗に批判しているわけです。はっきり言って語学の上達に余程の情熱と根気を傾けられるような語学好きでなければ日本人には英語は無理です。日本語は英語と違いすぎるし社会的にも接点がなさすぎるんだからどうしようもありません。
ところがそういう色眼鏡情報がBBCとかNYTという「一流マスコミ」として通ってる媒体から世界に流出していることを知れば「気にすることはない」で済まされませんよ。はっきり言ってこういうところの日本報道は日刊ゲンダイレベルですよ。むしろ私は、英米社会で日本が未だに「国粋主義者ばかりの反動国家で動物虐待と外国人排斥の総本山、経済は衰退して社会は荒廃して何の希望もなく、政府は国民を洗脳していて国民は自分で考えられないロボット、環境破壊とエログロナンセンスで世界に害悪しか及ぼさない国」と思われていないのは奇跡的なことだと思っていますよ。BBCやNYTの報道を真に受ければそういう風にしか日本のことを理解できないし、実際それを真に受けてる英米人って結構いるんだから。
別にその人達がバカなんじゃなくて、途中で引用されている人のように今はレベル低いけど上げようと思って頑張って書いてるからレベルが低く見えるだけ。
そんなことはわかってます。しかし赤の他人がそんなことに気づきますか?まして、母語以外の言語を学ぶことに何の切実さもなければそれで恥をかいた経験がない英語母語話者には一番わかってもらえる度合いが低いですよ。英語英語と煽っている人とコミュニケーション能力が大事だとか言っている人はかなり重なっていて、そういう人は「誤解されるのは自己責任」だといつも言っていますが、実際それはある程度当たっているんです。英語を「国際語」と認めてしまうということは英語母語話者の土俵に乗り、その基準で判断されることを認めます、ということですよ。英語という言語はあくまでどこかの社会では空気のように使われている、そこの社会の母語なんですからね。そこの人間が「地元の言語としての英語」と「国際語としての英語」を使い分けてくれると思いますか?日本人の大半が東京弁と標準語の区別もついてないことを考えれば答えは明らかでしょう。他人の母語である言語を使うということはそれだけ大変なことだと理解して、発言には慎重になるべきです。それが礼儀であり処世術です。
だいいち、語学の練習をしたいのであれば語学勉強と銘打ったところに行くべきなのであって、見ず知らずの人間を練習台にするもんじゃありません。失礼でしょう。逆に、片言の日本語を操っている人に「日本語お上手ですね」というのもかなり失礼な言葉だと気づくべきではないですか?(そういっているときの視線が、子供に「ボクチャンおしゃべりお上手ねー」と言っているのと同じでないかよく考えてみるといい)
とりあえず、「グローバル語」を使えば「世界」から認めてもらえるというような幻想は捨てた方がいいと思います。それって、お勉強ができればママや先生から褒めてもらえるという幻想と何も変わらないから。英語が国際語のような顔をしているのは、グローバル教の人たちが大嫌いな、「既得権」そのものなんです。英米人の。だから「グローバル」に打って出るということは既得権に挑戦することだという覚悟が必要なんですよ。それは自覚すべきです。
http://anond.hatelabo.jp/20100821042611
ネトゲではプレイヤーの性による既得権がないです。不平があるとしたら、本編でも書いた通りメンタル面での問題です。利権を要求するだけのフェミニストがネトゲに来た所で、そもそも返せだのよこせと言うものがない。だから、ネトゲの中ではフェミを武器にしてる連中の本質が赤裸にされやすい。
フェミがネトゲに来てやる事は、女性を武器にして男性から搾取することです。よーするに直結君とくっつく。アイテム貢がせたりわがまま言いたい放題やる。直結君は直結君でかわいそうなくらい必死になる。前どっかで、フェミは結局の所マッチョを求めてるという考察があったけどその通りかもしれない。ネトゲ内だと露骨にそういう形を見る。
一人のフェミに群がる複数の直結君という構図な。これはもうこいつらで損得一致してるから共食いさせとけばいいと思っちゃうね。
ふつーの男性にとって直結君はうざい。直結君一人いるとグループ全体の雰囲気悪くなるし、まともな女性は逃げるし。ふつーの女性にとってフェミはうざい。文句と我侭と陰口ばっかりいうし火の粉がかかってくるし。フェミは同調しない女性に対してとことん陰湿工作するので、同性からの粘着でネトゲが嫌になってしまう女性もいます。
あれだ、どっちもサークルブレイカーとかギルドブレイカーみたいなもんだよ。
ネトゲで異性と友達になろうというコンセプトがフェミのためのものだなんてとんでもない勘違い。直結とフェミは男にとっても女にとってもうざいから。
国際河川の開発の中で,昔から一つの不文律がある。経済が発達した国から水資源開発の優先権を与えて行こうと言う考え方である。例えば,1980年代から1990年代にかけて,インドシナ半島の中でタイの経済発展が突出した。カンボディアはポルポト政権の後で,まだ政治各派が争っていたし,ベトナムはカンボディア侵攻で世界の経済制裁を受けていた,ラオスは完全にタイ経済の中に組み込まれていた。
勿論中国は,天安門事件などが起きて,まだ海外進出を考えるどころか,内政に腐心していた。このような情勢の中で,タイは着々と自国領域内,国際河川であるメコン河の左岸支流,チ川,ムン川の開発を進めていた。1992年を境目に,カンボディアが和平復帰,ベトナムへの制裁解除,と進んで,メコン河の水の使い方で,メコン委員会の場でメコン河の開発に於ける原則論が議論され,一つのルールが確立された。
このときに一つの議論になったポイントは,インドシナ半島が混乱している中で既に灌漑など,メコンの水を取り込んでいるタイの施設がどう扱われるべきか,と言う問題である。タイの当時の既開発は,メコン河支流にダムを造って灌漑に導水したものであるから,灌漑後にメコン河へ返される可能性もあるが,殆どは灌漑として消費されてしまう水で,下流国としては本来容認できない問題である。
このタイの既得権は,新しいメコン河委員会が組織されたときに,ベトナム,カンボディア,ラオスの沿岸諸国の代表によって,追認,承認された形をとった。当時は,タイと他の三国との間に余りにも大きな経済の実力差があったから,このような追認が出来たわけである。今,もっと激しい議論の渦中に合うのが,カシミールを中心としたパキスタンとインドの水争いである。
メコン河のケースと違うのは,パキスタンとインドの間で,水資源開発能力に,メコン河の場合ほどは,格差がないと言うことである。それでも,1960年代に結ばれたインダス河水条約の中には,先に開発した方が水利権に優先権を主張することが出来ると書かれている。インダス河上流のニールム川は,下流はアザドカシミールのパキスタン実効支配地域,上流はジャムカシミールでインドの実効支配地域である。
インドは,上流で348MWのキシャンガンガ水力を建設中で,水は分水されてガンジス河流域に転流される。また下流のパキスタン領内では,969MWのニールム-ジェルム水力が既に着工している。インドは上流なので黙々と工事を進めているが,下流のパキスタンは機会ある毎に,インドの暴挙を非難して国際社会に訴えている。場合によっては国際調停の場に出て行く覚悟もしている。
パキスタンは,幾らインドに抗議しても,インドは物も言わずにただ黙々と上流プロジェクトを進めている。ここでパキスタンも悟ったようだ,実際に開発が先だ,と言うわけである。先に運転状態に入ると,上流のダムの優先権を否定出来る,というわけである。50kmに及ぶパキスタンのプロジェクトの導水路トンネルが工期を左右している,ここにトンネルマシンを導入して工期を2年間短縮し,インドを追い越そうと言う。
・一度振り返ってみるのも悪くないよね
NHKのマスメディア討論と同時刻に放送する企画はネットを嫌煙している人達でさえも何らかの形で小耳に挟んだことだろう。それだけこの企画はインパクトがあった。
公共放送と呼ばれるNHKが本格的にネットをどう利用していくのか討論するのだからネットを毛嫌いしている頑固者でも一度は興味を持つものだ。多くのメディア関係者もNHKと同時にUSTの放送を視聴していた。一般人であってもNHKの番組欄をみてネットはよくわからないが興味はあるという人が視聴していたことも事実だろう。
その中に私の家族も含まれていた。
NHKで既存メディアに関する放送があると聞いてお茶の間で見ていた。私はUSTの放送にも興味があったのでテレビの横に家族全員が見られるようパソコンを設置した。ネット界隈の著名人がツイッターの意見を取り入れてNHKで行われる淡い討論をどう料理するのか興味があったし、またネットを利用しない家族もネットを作ってきた人がどういう考えを持つのか興味があったそうだ。本来は一人で見るつもりだったが、機械音痴ながら少なからずネットに興味を持っている家族にも見せた。
途中から「○○○」という発言で母は唖然とし「○○」の連発で親父が切れて「パソコンを切れ!」と顔が真っ赤になり、ぶつくさ言いながら居間から出て行ってしまった。家族騒然。ネットを何も知らない者にとって煮え湯を飲まされる形になってしまった。
その言動こそが持ち味だといって笑う者もいたが、それこそネットの暗い面だろう。多面的であるネット放送、そもそも「ダダ漏れ」というコンセプトのもとで放送され、このメンツならば予想されるであろうことだから見せるなだとか、家族に見せること自体が根本的に間違いだという意見もあるだろうし、こういった予測不可能な事故が今後出る恐れもある。私自身反省することは多々あった。以後見せることは金輪際ないだろう。
司会の津田さんは何とか舵を取ろうとする意識が見えていただけに残念でならない。全員が何らかのトップを走っている人たちだ。手綱を握るのはさぞ難しかっただろう、彼の苦労をねぎらいたい。あの状況下ではグダグダは避けられなかったのかもしれない。ひとくくりにネット放送がグダグダだと言って目くじらを立てるつもりは毛頭ない。しっかりと構成に基づいて放送されている方もいるし、グダグダ感がよい味を出している放送も存在するからだ。
しかし今回の企画自体とてもおもしろくまた同時刻で同じ課題についての放送であることから、既存メディアとネットメディアの考え方の差を一般人に広く見てもらう機会もあっただけにこのグダグダはとても惜しい気がした。マスメディアがネットをどういう風に利用するのかと、一般層にとってもネットを認知する機会であればこそ、ネットでどういうやりとりをしているのかを見てもらう良い機会でもあったのだ。
以前にも東浩紀氏が司会の「ベーシックインカム」についてニコニコ動画で放送していたが、暴言を吐かないまでも、声の大きい者が延々としゃべり続けるような状況だった。もちろん内容はおもしろかったのだが、せっかく多くの専門家や著名人を迎えて行う放送なのだから色々な意見が聞きたかった。似たような状況で続けざまにグダグダになっているのはとても残念でならない。
自室に戻って第二部を視聴したが、とてもおもしろかった。また次回もやってほしい。その気持ちがあればこそ感想を書くに至った。
適度にやるという趣旨だったかもしれない今回のUST討論だが、厳格なNHKの放送枠にあわせるとどうしても全体のカラーをNHKにあわす人間もいたことだろう。同時刻に流していると厳格なNHKのイメージに対し、罵詈雑言、酒を飲みながらヤジを飛ばしているというイメージを視聴者に植え付けてしまった。
ネットが罵詈雑言のグダグダしただけの世界だと思われてしまうのが残念でならない。ネットは勝手にやっていくからレガシーメディアは勝手に滅んでくれていいということで投げるなら何も言えないが、一般大衆により深く浸透してもらうためにはいろいろな意見を聞き、討論させるがことが必要だ。進行がぐらついてしまうような大きな声が勝つ討論ではそもそも既存メディアにすら太刀打ちできない。
ネットは近所の公園でたむろしている不良のたまり場として見られることだろう。最近になってNHKラジオではツイッターの投稿を募集し始めている番組もあるのだが、たまにツイートを読むときにかったるい間延びした読み方をされることがある。ネットスターの投稿でも似たようなことがおきている。感情を込めて読み上げる必要があるのだろうが意外とネットからの投稿は間延びした読み方が目立つ。ネットから遠いと自堕落な人物像を想像してしまうのだろうか。これが既存メディア側から見たネットの人達(住人)に対するイメージといえるのかもしれない。ネットと既存メディアの対立構造として想像している者も少なからずいる。
厳格に枠を作ってしまってはネットの優位性はなくなるという懸念はあるかもしれないが、有意義になるはずの放送をグダグダにしてしまうのは勿体無い気がする。既存メディアの強みは良い意味で時間枠に手綱が握られている。時間や政治的な制約を出演者自身が意識していることも討論の進行を制御しやすい要因になっている。
ネットメディアは言いたいことがある程度自由に発言できる代わりにグダグダを毎度の事と許していないだろうか。今回の放送は対比する場として認識している人間もいた。NHKの議論の質が低い、根本的にズレているという声もあったと思うが、裏マスメディア前半部分の有様を見かねて退席した視聴者はどう見てもNHKに軍配を上げることだろう。
グダグダを前提にするならばこの時間帯は避けるべきだったのかもしれない。既存メディアが理解を示そうと討論をする放送なら今回USTの放送に興味がわくことは想像に難しくない。ハッシュタグを両方付加してツイートする者もいた。そこから興味を持ってUSTにアクセスした視聴者もいただろう。
切込隊長が放送する前にブログでこのことを心配されていた。(参照↓)
・ NHKが昔からtwitterを使っていたわけではなく、今回試験的なもんだろうと思います。
・ twitterは従来の放送のあり方に敵対するものではなく、共存していくための試行錯誤の時間を放送側に与えるべきです。
・ たぶん、USTでの裏番組の放送は、相当グダグダで汚い野次が飛び交う内容も含まれるでしょう… それが、twitterのレベルと思われるのはよろしくないかとも思います。
・ ネットの側からすれば、既存マスコミを敵視したい衝動は理解しますが、相手も人間であり、配慮すべき対象です。
・ twitterが革命的だと信じるのは自由ですが、ネット過激派の巣窟と判断されかねない方法は採るべきではないという考えです。
引用:http://kirik.tea-nifty.com/diary/2010/03/nhk-589c.html]
次回、新たに放送の企画を考えるのであれば、たまにはネットのイメージを多少でも向上するようなセッティングをすることも必要ではないか。勿論たまには、だ。それが出演者が「窮屈だ」と感じ、無視するようであればネットはいつまでも独特の世界に埋没してしまうのではないかと危惧の念を抱く。ネットを嫌悪している老害が時間とともに完全に死滅することを望んでいるのならば、やがて現在ネットに親しんでいる者達もいつか時代が変わったとき、逆の立場になる可能性があることも頭の隅に置いてほしい。年齢の事ではなく、考え方の世代間の齟齬を無闇に切り離して考えるのは乱暴といえる。
既存メディアがなかなかネットの見解を喋らせてくれないのは暴走や炎上といったリスクを恐れていることも一つの要因だろう。既存メディアはネットを蔑視から脅威の対象に変わりおそるおそる歩み寄りを見せようとしている。この時期をうまく利用し、ナイフに怯える少年達に安全な使い方を示唆するように、ネット上の楽しさや奥の深さを理解させることができれば、多少なり既存メディアの著名人達がネットに流れてくることもあるだろうし、ネットに関するテレビ放送の姿勢が変わってくる。新しい技術もスムーズに受け入れられることだろう。
視聴者の意見がダイレクトに流れてくることを認識してもらえれば、著名人も迂闊なことがいえないと判断し、勉強するようになる。法案の抗議文書をいくらEメールで送付したところで国民の声として認識されないのもネットが生活に根ざし始めていることを理解していない者が多いことを示している。ネットは生きた人間が使っていると理解させる。その流れが「開かれたメディア」の一歩と思う。
そういう状況になって初めて「開かれたメディアではごまかせない」と捨て台詞を吐き、既存メディアに逃げ帰っていく者達を安心して見送ることが出来るのではないだろうか。いま誰にでも門戸を開かれているようで、まだまだ人を選んでいるのが現状だ。空論だと言い切ってしまう前に一度やってみる価値はあると思うし、ネットのコミュニケーションが多様化してきたのだから既存メディアが理解できる様式が一つぐらいあってもいいだろう。まずネットが2ちゃんねるだけの文化という誤解を解くことが必要だ。
ネットは多様性があり、しかも誰でも放送を選ぶことが出来るのだから放っておけば見えざる手のごとく、いずれ淘汰・最適化されるだろうなど安易に他人任せにするのはよくない。アルファブロガーという言葉が流布されているとおり、匿名だけがネットではなく率先して引っ張っていく人間がいる以上、発言の影響力は大きい。こういったネットを先導してきた者たちが一度はネクタイを締めてキメ顔でやってみるのも別のアプローチとしておもしろい宣伝になる。たとえテレビでは多くを語れない制約があったとしても、ネット側から歩み寄りを示す方法はいくらでもあるのだ。
前を向き続ける姿勢は評価できるが、ネットに興味があるがなかなか理解出来ない人を放置するのはいかがなものか。せっかく相手は理解しようと動き始めている。敵視したままなし崩しに放っておけば、誤解の差は開き、また何かしらの思い込みによる報道を繰り返し、結果的に発展の阻害になってしまうことは想像に難しくない。理解を示し、説明することは大事なのだ。
ネット先駆者たちと大衆の思考が大きく乖離してしまっている。先駆者たちがわざわざ理解できるように道を示してくれるとは思えない。また既存メディアが既得権益で塗り固められたままネットを利用し理不尽な制約・規制を新たに生み出すかもしれない。これから重要になってくるのはネットと非ネット利用者の橋渡役ではないだろうか。
大衆を呼び込むためにも背広を着て営業する大切さも一度は考えてみるべきだろう。ドワンゴの川上氏がテレビCMを流すなど、NHKに出演することは世間に出るリスクがあるとはいえ、新しいメディアを理解してもらおうと努力している観点から見れば大いに評価できることだ。
iPadなど直感で触ることが出来るようになりこれまでネットを利用しなかった人たちも使う機会が増えてくることだろう。前へならえで既得権利に浸かって沈没していくレガシーメディアに理解できるような試みも必要なのだ。より社会に根ざしたネットインフラを構築するためにも、今後ネットを知らない者への理解が重要になってくる。
既存メディアがネットを考え始めたと同時に、ネットを利用している者も既存メディアに対してもう一度深く考える時期にさしかかっているのかもしれない。
参考1:“革命的Ustream放送”「激笑 裏マスメディア〜テレビ・新聞の過去〜」の裏側 (1/2) - ITmedia News
参考2:Togetter - まとめ「NHK激震マスメディア 向谷実氏(カシオペア)のTLで裏ustに非難轟々だった件」
ttp://blog.tatsuru.com/2010/03/05_1307.php
コピーライトという「既得権」に固執する人は、「コピーライトがあるがゆえに生じる逸失利益」というものが存在することにたぶん気づいていない。
(中略)
ビジネスというのは本質的に「ものがぐるぐる回ること」である。
「もの」の流通を加速する要素には「磁力」のごときものがあり、それを中心にビジネスは展開する。
逆に、流れを阻止する要素があれば、ビジネスはそこから離れてゆく。
「退蔵」とか「私物化」とか「抱え込み」というふるまいは、それが短期的にはどれほど有利に見えても、長期的スパンをとればビジネスとして絶対に失敗する。
ビジネスの要諦は「気分よくパスが通るように環境を整備すること」それだけである。
著作権はそれがあると「著作物の『ぐるぐる回り』がよくなる」という条件でのみ存在価値があり、それがあるせいで「著作物の通りが悪くなる」ときに歴史的意義を失う。
ttp://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20071019/ngm
京都府警がWinnyを摘発して金子さんから「もうメンテしません」と念書を取ったりしている間にKaZaAをつくったNiklas ZennstromとJanus FriisはSkypeをeBayに売り抜けてJoostで快進撃。中国ではBlin.inがBitTorrentの50倍速いかはさておき、ユーザーベースを拡大し技術を磨いてる。日本の家電メーカーがデジタル化だ情報家電だダビング10だと役所や既得権者に振り回されている間にAppleや任天堂に追い越され、たっぷり税金を注ぎ込んだ東大や未踏ソフト事業で育った技術者はGoogleやIBMに吸い込まれ、といった構図を俯瞰してみると考えさせられる。
これを書いた増田やけど、もうちょっと茶々入れとこか。なんか釣られてるようにしか思えへんけど、まあええわ。
調べてみたけど、俺が在学中(俺は修士修了)の事件やったにもかかわらず全然知らんかったわ。
要するに普通の学生にとってはその程度の興味しかないってことやん。既得権とか保護とか言われても、そんな大層なもんとちゃうやん、そもそも。
そんなん言うんやったら、中央食堂の一言カード書いてた某さんが「生協の白石さん」よりよっぽどおもろい人やった話とか、ネタにすることなんぼでもあるやろ。まあええけど。
しかし「もののたとえ」は、どんなものにでも当てはまる。必ずしも崩壊は大きな音を立ててやってくるわけじゃない。
大げさやなー。そりゃ無理矢理当てはめたらなんとでも言える、ってだけのことやん。
で、上の文章の後半、"not with a bang, but a whimper"って、T.S.エリオットの引用でもしてるつもりかい?君こそ、名作の詩をそうやって陳腐化することに貢献してるやん。
詩人になりたいとしても失格やし、研究者として実証的にものを言う態度にも欠けとるなー。そんなんでええんか?
そして残念ながら、自己保身と、それから私にとっての「折田像」に忙しくて、私にはリアルの「折田像」を作っている暇がなかったのです。
それやったらそれでええやん。君は君のやりたいことをやっとるわけやし、君が陳腐やという折田像を作っとる人らもやりたいことやってるだけなんやし。
だいたい、「京大生たるものこうであらねばならぬ」いうて力んどる君みたいな奴こそ、一番「京大生らしく」ないんとちゃうのん?別に俺は「京大生は京大生らしくあれ」なんて下らんことを言うつもりはないけど、君自身がそういうこと言うとるんやし、自分が言うたことはそのまま当然自分に返ってくるのは気ぃつけなあかんで。
とりあえず、君は自分らの内輪ネタをブクマあたりでこんな若気の至りの与太話に本気で感心してる人らや、特に我田引水で喜んでるid:elm200みたいなオッサンみたいなんに売って嬉しいんかい?と問うてみたい。それって君自身が今の折田像のあり方に向けた批判そのまんまやん。