はてなキーワード: 地ビールとは
知人にクラフトビール好きがいるので、何度か一緒にビアバーに行ったり、スーパーで購入してみたりした。
確かに、今まで飲んでいたビールとは違って、苦味が強かったり、スモーキーだったり、フルーティーだったりと味のバリエーションは様々だ。
しかし、日本の大手ビールメーカーが造るビールより美味しいか?と問われると、別にそんなことはなく、単なる趣向の違いだとしか感じられなかった。
まあ、結局のところ、クラフトビールが悪いというよりは、日本のビールメーカーの醸造技術が優れているということなのだろうな。第3のビールでも普通に美味しいからね。
そこが、安かろう悪かろうのワインや日本酒との大きな違いだと思う。
とどのつまり、昔の地ビールブームと同じく、高価格さがネックとなって、クラフトビールブームもほどなく終焉を迎えると思われる。
どーも、どーも、どーも!
さて、私はどこにいるでしょーか?
ここ!ここ、ここここ!
なんと、その広さ東京ドーム9個分だそうです。
って、ビール祭いいわね!
端から端まで全部は飲めないので、
どこか、選んで絞って飲まなくちゃいけないし、
それで、結構4~5杯飲んだら
べろんべろんになるから、
それはそれで面白いわよ!
それぞれ味が違って、美味しいしね!
でも、ビールなんて苦くて飲めるか、
不思議だわ。
憧れるわ、行ってみたいけど、
きっと、一番手前のところで
酔っ払いちゃいそうね。
もちはいいんじゃないかしら?
久しぶり野菜。
はっきり言って味は、
青臭さが全部水に移った、って感じで
でも、一回やってみると良いわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
水島精二監督、映画本編を見ずに舞台挨拶に複数参加するファンに苦言 - Togetterまとめ
あなたは今,行きたくて行きたくて仕方なかった観光地にいる.ウィーン? パリ? ヴェネツィア? 何ならニューヨークやサンフランシスコでもいい,好きな観光地を代入してくれ.ちなみにわたしはどれにも行ったことがない.
あなたには見たいものがたくさんある.あそこのなんとか教会もかんとか美術館も,ひょっとしたら夏期限定ツアーとして運河をゴンドラで回れるかもしれない.悲しきニッポンの勤め人,旅程は往復の飛行機での何泊かを抜けばたったの3日しかない.さあ,どれから巡ろう? ここがロンドンならあなたは悲惨だ.3日間すべてを費やしたとしても大英博物館ひとつですら踏破し尽くすことはできないのだから.
観光シーズンだけあって現地は実に快適だ.日本のような蒸し暑さなどヨーロッパにはない.街角には日本では滅多に見ないオープンテラスのカフェが建ち並び,観光客たちがその疲れた身体を休めたり地元民がぺちゃくちゃと何を言っているのかはわからないがかしましいおしゃべりを繰り広げている.
あなたはそのうちのひとつのカフェに足を運ぶ.本場に来たのだから美味しいコーヒーを飲もう,いやいや地ビールで清涼感を味わうのもよい.やってきた店員に注文を告げ,深く腰を下ろして一息つくと,あなたは鞄を開け,日本から持ってきた『ハリー・ポッター』の単行本を取り出すと,一心不乱に読み耽る……
いや,それ今ここでする必要ないじゃん!
という話で.
もちろん,個々人の価値観は多様であり,そこに他人がケチをつけるのは野暮ではある.数少ない海外旅行の機会を,「海外の,日本にはないような雰囲気のカフェで読書をして過ごす」のが理想の旅行だというならわたしはその選択を尊重する.しかしわたしはそのように振る舞おうとは思わない.なるほど,確かにそのカフェは日本では入れないものであろう.気候や道幅の問題もあり,ヨーロッパではありふれたオープンテラスなど日本には滅多にないしあっても屋外に座る気にはなれない.どう考えても蒸し暑くて空気も悪い.せっかくヨーロッパに来ているのだからそういうカフェを堪能しようという気持ちはよくわかるし,わたしだって一度は足を運びたい.
しかし,別にハリポの読書なぞ日本でもできる.飛行機の時間は長いのだから往復を使えば賢者の石から死の秘宝まで全部読めてしまうだろう.だから,もう博物館も美術館も教会の拝観受付も全部閉まってしまってあとは寝て明日に備えるだけのホテルなりホステルなりのベッドの上での手慰みとして以外に,わたしは旅行先でハリポを読もうとは思わない(ハリポの聖地巡礼に来ているなら別だが).別にこれはハリポでなくとも指輪でも銀英伝でも何でもいい.もちろん,読んでいるひとの邪魔をするつもりはない.だがそれはわたしの目には「もったいない」と映る.おまえの目にどう映ろうが知ったことではないと言われたらそれまでだが.
と,ここまで書いたところで冒頭のリンクに戻るわけです.
わたしは舞台挨拶には一度しか行ったことがないし,その一度もちゃんと映画は最初から最後まで見た.しかしそれでも思ったことがある.上映される映画の内容は毎回同じだ.仮に劇場に足を運ばずとも余程のことがなければ円盤だって出る.だが舞台挨拶は毎回違う.内容どころか出演している俳優の組み合わせまで違うし,語っている内容もどうでもいい日常トークならともかく(それにも価値を感じるひとはいるのかもしれないが),演者の抱いた映画への感想とか舞台裏の小話とかそういった映画のファンにとっては是非とも聞きたいものばかりだ.
さて,ではこの状況において,MOTTAINAI精神の体現者たるわたしはどのように行動するのが最適だろうか?
あなたは旅行先でありふれた楽器屋に入ってどこででも買える楽器を買うだろうか? あなたの地元が楽器屋のひとつもないシャッター商店街なのであればそれも当然の行動かもしれないが,まずは「今・ここ」でしか見られないものを見てできない体験をしようとするのではないか? だとしたらそれは舞台挨拶も同じだ.演劇と違って映画が複製技術時代の芸術である以上上映している時期に上映している劇場に行けばいつでも見られるし,大スクリーンであの大迫力であることを諦めれば家で見ることだってできる.だが,舞台挨拶は,そこでしか聴けない.
繰り返すが,わたしはそのような行動を取ろうとは思わないし(そこまでのリソースを監督や演者の生語りに割く気力が湧かない),監督や演者が不愉快に思う気持ちもわからないでもない.だが,たとえば旅行に置き換えて考えれば,本編を見ずに舞台挨拶をハシゴする人びとの気持ちならばがよくわかるのではないか.彼らは旅行先でハリポを読んだりDSで遊んだりするのではなく教会や美術館や遺跡を巡りたいのである.つまりこれはモラルやマナーの問題ではなく,構造の問題だ.どのように振る舞うのがもっとも合理的かという話なのだ.
もちろん合理的であってもルール違反はよくない.いくら無理して始発で来るよりも会場前で夜を明かす方がレア同人誌を入手できる可能性があるからといって徹夜組はルール違反である.だが,一回チケットを買った者が,上映途中で眠りこけようが途中で帰ろうがそもそも見に来なかろうが,すべてルールの範疇ではあるまいか.それとも一度チケットを買ったが最後途中退席は断じて罷り成らんとでもいう風にルールを変えるか? 断言するが数ヶ月後にはその映画館には閑古鳥が鳴いている.
もしも本気でそのような客を厭うのなら,解決はふたつある.ひとつは映画を複製技術でなくしてしまうことだ.コメンタリとして要所要所に演者の生の発言を被せたり,「この上映回でしか見られないエフェクト」をつけるなりすればよい.もうひとつは舞台挨拶の方を複製技術にすることだ.すべての挨拶は後日Blu-rayの特典なり何なりとして収録し,会場限定のグッズなど一定期間が経ったら必ずどこぞのショップで売るようにすればいい.
こんな簡単な対策すら取らないなら,まあ,そりゃ,挨拶をハシゴするひとは増えるよね.でもって,そっちの方が損得勘定で得だと思ってるからそういう商売やってるんでしょ? だったら客のモラルに責任転嫁して愚痴るなよ,情けない.
熟してないトマトなんて生では食えん
だが、煮るとうまいよね
あれ、玉ねぎの甘さがなくなるとクソマズイから注意ね。キャベツもないとダメ。ニンニクで香り出して炒めるとか最初の手順を手を抜くな。
トマトをつぶしてジュースにして塩入れた人は天才だね。塩とトマトは運命の出会いだよ。そこのコショウをガリガリしてちょっと入れるのさ。とんでもないうまさだよ。
カンで飲むときはマイナス10度の気温の中0度の部屋でちょうどよく冷やしたトマトジュースがうまいのだよ。ためしてみてくれ。
だけど、飲みすぎるとウンコが赤くなる。だから気の弱い人は1日1杯とかそんなんにしとけ。
塩?トマトのカリウムで相殺するし、トマトジュースを飲めないくらいなら、健康なんてくそくらえだ。どっちでもいい。健康のために飲んでるんじゃない。うまいから飲んでるんだ。
てかスリムボトル?なんなのあれ?ケンカ売ってんの?バカじゃないの?誰が喜ぶの?
いつだって私はトマトジュースのボトルをわくわくしながら買ってくるのにさ、がっかりしちゃうよ。
普段のストレスのおかげで、胃の上のなんとか門が閉まらないので、トマトジュース飲んでうっかり上体を傾けるとそのまま私がトマトジュースサーバーになる。まぁ二度おいしいと言えなくもない。
私はカゴメのトマトジュースが一番うまいわ。塩がちょうどいい。
次がナガノトマト。カンのトマトジュースのがうまい。ハコ買いしちゃう。
その次は100歩譲ってデルモンテ、デルモンテって味もうちょっと調整できないのかなぁ。
地ビールみたいなかんじで、地トマトジュースって売ってるけど、高級だけど、普通に手が出ないし別にどうでもいい。
私にはカゴメさんとナガノさんがいるもんね。(デルモンテは非常食)
でもさぁ、甘いトマトのトマトジュースってなめてんの?薄いんだよ。ドロっとした感じをなくしましただ?ばかじゃねーの、美味しさまで激減だろ。
でもトマトの漬けたのはうまい。あれはすごい。ありがとうありがとう。漬けてくれてありがとう。宝石箱だよ。いや心の底から。たからものだ。大事にします。
調合にもよるけど、トマトのゼリーもうまいね。マズイのはマズイけど、マジ美味い。
生のトマトにかけるなら、私も長い事迷走して、長らく醤油とトマトの両方の風味を味わう野路はまってたけど
どうしてもスーパーで買うなら醤油とはちみつのダブルにすると、売ってるような普通の(?)完熟トマトも食えるようになる。
ではおやすみ
無限が言いすぎだとしても、おれのような平凡な人間ですら選べる選択肢は無数にあった。
無理に高望みした会社を狙いさえしなければあらゆる職種に就けるチャンスがあり、起業してみる事も、飛行機を使わずに世界一周することも可能だった。
最短コースで一流企業を目指したりするわけでもないのなら、それぞれの可能性をすこしずつつまみ食いしてから決めても手遅れになるってことはない。一生懸命やってる限りは大抵何をやってもコヤシになる。前に向かってさえいれば多少の回り道をしても結局は前進しているものだ。
なんだかんだで定職に就き、結婚し、周りの友達も同じような感じに「成熟」してくる。
子供が生まれたりする人もいるし家を買う人もいる。会社などでそれなりに重要な役目を担っているやつもいる。
そんな中にもいつまでも夢みたいな事を言ってる人がいる。
世界を放浪して生きていきたいとか、音楽で食って行きたいとか。
ずっとアウトロー(と言っていいのかわからないが)としてずっと生きてきた人ならまだわかるが、定職を捨ててまで突然に「やりたいこと」に気がつく人がいたりもする。
そういう人に対して「おとなになれよ」とみんなが言う。結婚して、子供を育てるのがまっとうな人間の生き方だと言う。
なぜうまく行っている仕事を投げ出すのか?将来の保証がなくなってもいいのか?のたれ死ぬかもしれないぞ?とみんなが彼らをたしなめる。
おれらを見てみろ。仕事は確かに大変だがやりがいはあるし、磨いてきたスキルと、そこそこの社歴や業界歴のお陰でお金もそんなに悪くはない。確かに金持ちにはなれないかもしれないが広くも狭くもない家で慎ましく子供を育てるんだ。お前もそうやってちゃんと先を考えた人生を歩めよ。楽しいことだけやって生きていけると思うなよ。しっかりと勤めを果たして小さな幸せを得るのが大人だろう。もう学生じゃないんだ、無限に広がる可能性なんて無いんだよ。
とてもまっとうな意見だと思う。
せっかく先進国日本で平均ぐらいの暮らしを手に入れたのだ。国家財政は先行き不透明とは言え保険制度も年金もある。このまま生きていればそんなにひもじい思いはしなくて済むのかもしれない。
しかし一方で人生の先なんかを考えてもしょうがないし、自分で敷いたレールに自分を縛り付けて我慢して生きるのはバカらしいのではないかと疑問が沸く。
決して刹那主義的な意味ではなく、いつまで生きるかわからない人生を我慢してやり過ごす必要はあるのだろうかと。
安定した仕事、穏やかな家庭を求める人が多くいるのは当然よく理解できるしまったく否定するものではないけれど、本当はそういったことに大きな魅力を感じていないのに無理やり自分を大多数に合わせる必要があるのかどうかがわからなくなる。
医者にもかかれず悲惨な晩年を送るのは嫌だけれど、晩年のためだけにそれまでの数十年を「なんとなく」「普通の暮らし」に合わせるべきなのだろうか。
バンドで売れる事を目指したり、外国の僻地でインチキ日本料理屋を開いたり、田舎で半自給自足の生活をしたり、地ビールを作ってみたりしてもいいんじゃないかと心が揺れる。失敗は怖い。キャリアを捨てればもとの稼ぎに戻ってくることはできないかもしれない。暖かい家でうまいものを食って発泡酒じゃないビールを飲みたい。でも、それだけでいいのかと不安になる。
一人で考え始めると視野狭窄に陥りがちだという自覚があるのでバカにされたり叩かれたりすることを承知で増田に書いてみた。
「やりたいことがあるならやればいい」とか「勝手にしろ」とか言われるのかなとも思うけど、自分でも何がいいのかよくわからなくなってきているのです。
何かの意見を貰えたらうれしい。
日本酒というのは、ビールなんかと比べると、銘柄選択肢が豊富だ。
(近年地ビールは銘柄が増えてきたが、通常はいわゆる「ビール大手4社」から選択するだろう)
日本の場合、こういう「選択肢が多い」というのは、「文化の豊かさの表れ」として
「ポジティブ評価」な文脈で語られることが多いが、日本酒の銘柄が多いことは、
5月16日の日経夕刊の金原瑞人のコラムで「日本酒は銘柄が多すぎて、選択に迷う」と書いてあるのを見て、
そう感じてしまった。
これは行動経済学なんかで言われていることだが、
「人々は、選択肢の数があまりに多すぎ、自分の処理能力を超える選択肢数になってしまうと、
選択行動をやめる=消費行動をやめる」という傾向にある、と言われている。
メニューの数が5~6種類しかないサンドイッチ店と、メニュー数が20~30種類のサンドイッチ店では、
売上げは5~6種類の店の方が多いんだそうだ。
20~30種類もあると、メニュー選びに疲れてしまって、その店に行くこと自体を回避してしまうらしい。
・・・まさに、日本酒がこのような「選択肢が多すぎることのワナ」に陥っていないか?
その点、ビールは「ドライ」を筆頭に、定番ブランドの数は両手で数えられる程度であり、
「食の豊かさの象徴」「いろんな銘柄を試す楽しみを味わえる」と、とかく日本酒の銘柄バリエーションの多さは
「銘柄の多さが、『敷居の高さ』を感じさせ、入門者の足を遠ざけているのでは?」という