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はてなキーワード: クーンとは

2016-02-21

[]2月21日

○朝食:カレーポテトサラダ

○昼食:中華丼

○夕食:なし

調子

むきゅー。

熱も下がって元気もりもり!

とはならず、病み上がりのシンドイ感じ。

なんだけど、近所に住んでる叔母ちゃんが今日も色々持ってきてくれた。

ありがたいです。

バッジとれ〜るセンター

メガへルガーとメガバンギラスきたーーーー!!!

特にメガへルガーはダーテングの次に好きなポケモンなので、

これはもう即課金ですわ。

と思ったけど、無料プレイでとれたので課金せずにすんだ。

FSS

ふと思い立ち、NTに乗ってるアンケートに今更自分も答えます

ファイブスター物語の魅力は?

騎士とファティマの関係

僕が好きなのはカイエンを中心とした、それですね。

クーンアトロポス、アウクソー、そのどの関係も魅力的です。

関係ないけど、母親であるヤーンと同じ顔のエストと面識あるのかな?

なんか乳を揉む技を伝授した的な記述が何周年か記念のNTに乗ってた気がしなくもないが、何時出会ってたんだろ。ハイアラキがエスト預かったときってカイエンまれてるんだっけ?)


ファイブスター物語と聞いて思い浮かべるものは?

年表。

未だに年表だけ読んでてても飽きないってのは本当に凄い作品だよなあ。

単行本派? リブート派?

両方。

(とは言え、単行本実家に置きっぱなので、ここ数年はリブートの読み返し率が高いなあ)

好きなキャラクター騎士

カイエン

厳密にはヒッターが好き。

僕はもう「昼行灯が実は切れ者」っていう王道がたまらなく好きなんです。

好きなキャラクターファティマ編

アウクソー。

宣言ときますが、アウクソーがデルタベルンに生まれ変わった?ときに、ハンドルネーム変えます

(ほら現にフォーカスライト時代ハンドルネーム違ったしね(冗談))

うん? っていうか、純血の騎士しかスバースの血筋すら今じゃもう薄いと判断してる?)しかパートナーにしないアウクソーがコーラス六世のパートナーになるってことは……

まさか、セイレイ旦那がデプレだったとは!

違うか。

は!

ベルベットコーラス六世が異父兄弟だったとは!(これも違う)


好きなキャラクターメカ

デムザンバラ

そうやあ、背徳者さんがする背徳的な行動って、デコース後ろからグサーーー! だと思うんだよね。

いやもう、十年ぐらい続いてるデコースとの因縁の話を、こんな形で決着ってのが、もう不条理すぎて

超楽しそう。


好きなキャラクターその他編

ガステン・コルト

カンのマイトね。(ヤバいぐらいに専門的な文章だな、カン(現設定名不明)という名前ロボット(旧設定名モーターヘッド、現設定名ゴティックメード)を作った人(旧設定名マイト、現設定名ガーランド)、という意味です)

いやあ、この人の「ファティマ不要論」の路線は、アマテラスラキシス結婚したりだの、7777年カレンが生まれるだのよりも、まじで、ファティマたちの救いになる可能性があると思うんだよなあ。

ファティマたちにアンケートとったら「バランシェファティマと糞神の婚姻とかどうでもいい、戦争したくないだけっすわ」って意見のファティマ絶対多いって!

作中の登場人物になれるとしたら誰がいい?

ソープ(男)。

好きなのはカイエンだけど、結婚したいのはボードから(真顔)

作中に登場するとしたらどのシーン?

カイエンミラージュレフトのみんなが戦いかけるところ。

あの名台詞を生で聞きたい。

いちばん泣けたシーン

「ほんで?」のまでの一連の流れ。

いやもう連載で読んで発狂しかけた。


いちばん燃えエピソード

デコースの「(カイエン戦場に出てきたら、即座に撤退しないと)死ぬぞ」って言うところ。

いやもう、作中屈指の強キャラ集団であるミラージュ騎士団ボッコボコにしたデコースですら

ビビるカイエンの別格さ。

そして、そのカイエンすら……


いちばん好きな騎士団

スケーヤ・エレクトナイツ

コーネラ帝国大好きっ子なので、活躍が楽しみですね。

と言い続けて十年以上たってる気がする。

そうやあ、カンはコーネラ帝国の周りでしか動かせないって設定大昔になかった?

いちばん好きなセリフは?

No.1はあまりにカッコ良すぎたんでほうり出されたんだネ」

カイエンの飄々とした感じと、絶対的な強さが合わさった名台詞中の名台詞


いちばん好きなファッションは?

サロメのファティマスーツ

作品に出てきた食べ物で食べたいものは?

(なんじゃこの難しい質問

ナイアスのために用意された日本一上手いケーキ

日本て。

単行本カバーイラストいちばん好きなのは

4巻。

静も好きなファティマですね。

リンスとの絡みが楽しみですね。

後楽しみにしているエピソード

アウクソーがデルタベルン再構成されるところ。

年表でいちばん気になる事件は?

3159年。

いやさ、物心ついたときからボードは死に際に何言ったんだろうなあ」って思ってるんですよね?

気にならないわけないやん。


映画花の詩女ゴティックメード」で好きなキャラクターは?

トリハロンかなあ。

いやなんかあんまり好きなキャラいないです。


次の映画化希望シーンは?

いや、あの、その、

せめて、せめて、魔導大戦前半終わるまでは連載に集中していただけませんかねえ?

あの、本当、もう、その、寿命とか、あるやん……

どんなファイブスターグッズがほしいですか?

アイシャアレクトーの星団のことがダンダンわかるラジオ」のDJCD。

アイシャ伊藤静さん、アレクトーはこやまきみこさんが良いと思います

いやあの、作者のアレはちょっとごめんなさい。

ファイブスター物語ニュータイプ表紙でいちばん好きなのは

カイエン単独表紙のやつ、の次号の野明。

ファイブスター物語以外で好きなマンガは?

ゆうきまさみはてなしない物語

絵がうまいにこしたことはないですからね、ねえゆうき先生

(もう二十年以上ぐらい前の絵日記漫画内輪ネタのことをクタクタ言う気持ち悪いオタクの図)

2016-01-28

セクースしてケコーン

キューンきたので

コクーンしたら

ウゥーーンされたけど

ウンされたので

セクースして

アアーンして

クーンするその顔に

キューンきたので

キューンの中に

ドピューンしたら

オプーナが生まれたので

コーンしました

2015-10-04

http://anond.hatelabo.jp/20151004175536

なんか立派なこと言ってんなと思ったら親に出してもらったでオチてガクーンですよガクーン

あいや全額じゃないっていうのは分かってるよ

2015-09-10

ある程度体が大きいと強そうな相手から喧嘩を売られることは無い

そして、弱そうなのに限って何故か手を出してくる&必ずそのまま逃げようとする。

追いかけて捕まえると凄まじい被害者ヅラで怯えてなにか言ってくるので

しばらく引き摺って手ごろな壁に押し込んで何回も壁にぶつけたりのしかかったりする。

大体夜の駅構内だが、駅員にさえ見られなければ誰も止めてこない。

相手が泣きべそっぽい感じを漂わせるまではやる。


ただ壁に何度もぶつけるのは見た目より威力があって

全身の力入れてやってたら簡単に頭打って気絶することがある。

クーンと力抜けて気絶されたときはさすがにビックリして、

見た目も一気にヤバい感じなので壁にもたせ掛けてササーッと立ち去った。


20代の時は住んでた場所の最寄り駅でもそんなことしてたか

若さというのは無鉄砲さだ。

http://anond.hatelabo.jp/20150906161654

2014-11-20

ポケモンサトシ

ポケモンサトシってなんでいつも「サトシ」って呼ばれてるんだろ。

「俺は、、サトシ君だーーーー! きやす呼び捨てにすんじゃねぇーー!」

でもさ、苗字がもし山田だったとしても、「ヤマダクーン」じゃなく

やっぱり「おい、山田!!」って言われるタイプだろ?

2014-07-31

常識を疑うこと

常識を疑わずに、常識的正義を振りかざして自分は正しいんだって信じている人が私の周りに何人かいる。

例えば出生前検査中絶について。

私は検査後に中絶をすることを選んだ人も、中絶をしないことを選んだ人も、そもそも検査をしなかった人も、それぞれの理由に納得できる。

から、どうするのが理にかなっているのか、倫理的問題がないか、考える。

それって普通の事だと思ってた。

どうして人を殺してはいけないのか?という命題もそう。

でも、その人はそんなこと考える事無く

常識的に刷り込まれた常識的な判断にそって判断してるだけのように見える。

私が「出生前検査染色体異常が見つかった場合中絶する人の気持ちもわかる。倫理的にどうしても納得出来ないけど、それも選択肢ひとつなのかなぁ」と言うと

その人は「あんたばかじゃないの、そんなの人殺しなんだからだめに決まってるじゃない」って私に言いながら、軽蔑の表情を浮かべる。

なんにも自分で考えたこと無いくせに。見下されたような気分になってはらたつわ。

常識を疑う事ってだめなこと?

常識を疑って考えこんでいる人を見下す何も考えていない人って、なんなの?

私が面倒くさい人なだけ?

追記

人を小馬鹿にした表情に耐え切れなくなって愚痴を書いてしまいました。申し訳ありません。

常識はとても大切だと私は思っています

別に反社会的な行動に興味があって社会通念を疑って掛かってるわけではないんです。

自分の中にある固定観念に気付いた時

どうしてこれが常識になっているのか、どうしてこれが多数派の意見になっているのか、そしてこの意見は今後も曲げること無く維持すべきものなのか。

それが気になるだけなんです。

そういうことが気になる私みたいな人もいれば、全然気にならない人がいることも知っているし、それは個性であって優劣つけるようなものではないと思っています

私が嫌だなと思ったのは、なぜあーでもないこーでもないと考えを練っている人を、上から目線で否定してかかるのか、という事です。

それはまさに、侮蔑眼差しでした。話を聞いても、鼻で笑いながら「だってそれが当たり前じゃん、常識じゃん。」としか答えてくれません。

こういう話ができる仲間にいつか出会えるといいんですけれど。

アインシュタイン言葉ありがとうございます。本当にそのとおりですね。

クーンパラダイム論ですね。教えてくださってありがとうございます。これからゆっくり目を通します。

言葉を選ぶってどういうことなんでしょう。正しい語彙を使う、という事?

2013-05-17

ニセ科学小考

科学が"正しい(確かな)こと"をつくる過程が、実は全然世間に知られてないってことが(あるいはその認識がないことが)、ニセ科学跋扈する背景にあるんじゃないかと思えてきた

現在日本で観察されるニセ科学が言ってることは、「最先端科学から間違ってるとは言えない」ってことよりもむしろ「ある程度すでに分かっていることから考えてもこれはおかしい」と思われることが多い。

まりニセ科学というのは、ある程度科学者コミュニティ内でのコンセンサスが得られている事柄に反しているのに、それを無視して「科学的」な知識である標榜することだとひとまず僕は理解している。

科学的」であればすべて正しいと考えてしま市民(非専門家)の"性質"を巧みに利用して、「主張」を信じさせようというところに、ニセ科学の罪がある。

後出しですが、ここまで何度か使ってきた「科学的」という言葉を僕は「科学者コミュニティの中での精査の繰り返しによる確かさの増大によって、ある一定の確かさが保証されている」みたいな意味で使っています

科学は正しいことを言っている、という素朴なイメージは間違ってはいない。実際、理科教科書に載っていることは一般的な意味ですべて"正しい(確かだ)"。今日科学文明を見ればなんとなくわかる(ただしこれは価値判断を含んでいる)ように、科学は"信用できない"わけではない。

ただ問題なのは、「科学から正しい」になってしまうことだ。つまりつのまにか、科学的なこと(数式とか専門用語あるいは科学者の肩書など)が言われていればそれは正しいのだと思い込んでしまう。ある意味科学への信頼の表れでもあるのだが。

実際そう考えるのは無理もないことだと思う。学校理科教育は当然"正しい"ことしか教えられないからだ。教科書の中の科学はすべて正しいんだから、"すべての科学(とそれっぽいもの)"は正しいと考えるのはまあ自然である

しかしこれでは見過ごされるポイントがある。教科書の中の科学でさえ、最初からまったく正しかったわけではないということだ。残念ながら普通理科の授業(初等、中等、もしかしたら少なくない数の高等教育でも)では時間の制約上、そういうことに言及されることはない。事実事実として(初めからそうであったように)教えられる。むろんこれは間違ったことではない。学校教育宿命かもしれない。

科学が今のような強固な体系を持っている理由のひとつは、科学が広い意味で積み重ねの産物であることだ。それもただの積み重ねではなくて、数えきれないほど多くの科学者による検討実験による再現性のチェックなどを経たものだ。学術論文をはじめ科学的知識はピアレヴューや引用反証とそれに対する反論なんかの積み重ねで、ある水準の確かさを保っている。

この、科学の正しさが積み重ねられたものであるという認識が、世間には意外とないんじゃないかと思うのです。これはつまり、いわゆる"通常科学"とよばれるもの認識、に近い。

こういう科学の"裏側"みたいなものはあまり世間では語られないような気がする(実際、日本では科学高等教育を受けた人でさえ学部なら4年生になってはじめて(すこしだけ)わかるようなものだろう)。それで科学事実科学事実として生まれる、みたいなイメージ固定化されたら、"科学ベール"をまとった主張をすんなり信じてしまうのは無理もない。相手がそれを逆手にとって、初めから騙す気でいるならなおさらだ

教育の力は大きい。すくなくとも義務教育は全国民が受けるのだから理想論ながら、理科教育科学の多く(ここは大事ですね)は積み重ねの営為によってその確かさ正しさを増してきたのだという認識を育む教育であるべきだと思う。そして"通常科学"におけるその過程もっと積極的に教えるべきだと思います。要するに科学が"正しい(確かな)こと"をつくる過程科学の裏側がもっと世間に知られることが大事なのではないかと。

科学的」だから正しい、という前提が世間にあるために、「科学的」なものの"絶対化"が促進され、その権威に付け込んでニセ科学跋扈する。そしてニセ科学を批判するために科学言葉を使うと、社会科学のなかの対立だと見なして、科学全体に不信感を持つ。さらにこれによってニセ科学に「(ニセ科学を批判している)科学は常に正しいとは限らない」という言い訳を与えている。科学の妄信的権威化の前では、ニセ科学は光に対する影のようなものだ。

まず社会が前提とすべきは、科学の知識の多くは積み重ねによってより正しい(確かな)ものになっていく、さらにいえば、いまこの瞬間もそうなっていっているという認識ではないか。より実践的な意味重要なのはニセ科学は単に科学的な誤りというだけではなくて、現在日本ニセ科学のすべてが、科学者真摯な積み重ねを無視・拒否していることです。しかし、こういった認識はまだ一般的でないような気がします。

もちろん、科学的真理というものがあるとすれば、それは科学者コミュニティの中の多数決で決まるというものでは決してない。単に時間が解決してくれるものでもない。時には、そのとき科学ではまったく説明のできない問題が生じ、"ただの積み上げ"だけでは科学の正しさが保証されない場合もある(というか何度もあった)。しかしながらニセ科学クーンの言う"危機"の発端ではないだろう。むしろ"通常科学"のなかで淘汰されるべきものだ。

ニセ科学という影に対峙するためには、むやみやたらな科学の絶対化は止めるべきだ。しかし、「じゃあ科学の相対化!」という(お決まりの)流れになるのではなくて、まずは世間にある静的な科学観をもうすこし現実にそった動的なものにかえていくべきではないだろうか。科学教育科学コミュニケーションの出番はここにあると僕は思うのです。

そのためには、たとえば理科教育科学史科学哲学科学社会学エッセンスを加えてみるだとか、また理科時間に拘らず、国語社会科時間科学という営みのエッセンスを振り分けてもいい。あるいは実際の研究前線を知っている博士号教員を増やすだとか、そういうやりかたもあるんだろうと思う。

科学の楽しさ素晴らしさを知ってほしい!っていう理科教育はもちろん素敵である。いっぽうで、科学とはどういう営みなのかということを誠実に教えること、あるいはいっしょに考えていくことは、科学のもたらす"正しい"知識を教えることと同じくらい大切なことではないだろうか。"科学という営み"についての観点も含めて、"科学リテラシー"なのではないかなと思うのです。

2009-01-26

[][]疑似科学問題はベイズ主義に基づいて,線を引かずに線引き問題を解決すればいいんです

疑似科学科学哲学 (単行本)

伊勢田 哲治 (著

入門書としても読めると同時に専門書としても一定のレベルを保っています。今まで提案された科学哲学テーゼをとりあげ、これを実際に存在する疑似科学科学の判定に有効か否かということで検証する、といった議論の進め方で話が進んでいきます。著者が言うように、可能な限り専門知識なしに読めるように工夫されています。

 またこうした入門書としての気配りがあると同時に、専門書として一定のレベルを保っています。私はこの手の本を何冊か読んだのですが、ポパークーン関係が今ひとつすっきりと理解できませんでした。しかし、この本のおかげでこの2者の長所短所がずいぶんとすっきり理解できました。

筆者の本書における最終的な提案は,ベイズ主義に基づいて,線を引かずに線引き問題を解決するということなのだが,そこにいたる議論の過程こそ楽しむべし.エキサイティングです.

科学疑似科学の間が単純な基準では線引きできないとなると,疑似科学科学の間にグレーゾーンが残るわけだが,かといって,明確に科学的な分野や明確に非科学的な分野が存在する可能性は排除できず,様々な観点から見て,占星術超能力研究科学と呼ぶわけにはいかないことは,本書を読めば理解できると思います.科学する人も,占星術などの疑似科学科学であるとナイーブに信じちゃう人にも,お薦めの1冊です.

      _人人人人人人人人人人人人人人_

        >    な なんだってー!!    <

        ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^

2009-01-05

[][]クーングールドと断続

トーマスクーン

1962年発表された主著『科学革命構造』で、科学歴史がつねに累積的なものではなく、断続的に革命的変化すなわち「パラダイムシフト」が生じると指摘した。

スティーヴン・ジェイ・グールド

断続平衡説(だんぞくへいこうせつ、Punctuated equilibrium)は、生物の種は、急激に変化する期間とほとんど変化しない静止(平衡、停滞)期間を持ち、”徐々に”進化するのでなく、”区切りごとに突発的に”進化していき、小集団が突発して変化することで形態的な大規模な変化が起きるとする進化生物学理論の一つ。区切り平衡説とも呼ばれる。

2008-03-15

anond:20080315145308

本当だ。消えないうちにグーグルキャッシュからサルベージしておこう。

グーグルキャッシュ初版なので違うところがあるかも。

プラトン国家』 

アリストテレス形而上学』 

ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 

ヘーゲル精神現象学』 

デカルト省察』 

パスカル『パンセ』 

ライプニッツ『単子論』 

カント純粋理性批判』 

キルケゴール『不安の概念』 

スピノザエチカ』 

ルソー社会契約論』 

バークフランス革命省察』 

ジェイムズ『宗教経験の諸相』 

ニーチェ権力への意志』 

フッサール論理学研究』 

ハイデガー存在と時間』 

サルトル存在と無』 

ベルグソン時間と自由』

レヴィナス『全体性と無限』 

フロイト快感原則の彼岸』 

ラカン精神分析の四つの基本概念』 

レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』 

フーコー言葉と物』 

ソシュール『一般言語学講義』 

チョムスキー『文法理論の諸相』 

ヴェイユ重力と恩寵』 

アーレント精神の生活』 

ブーバー『我と汝・対話』 

ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』 

ミンスキー『心の社会』 

ライル『心の概念』 

アドルノホルクハイマー啓蒙弁証法』 

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』 

ウェーバープロテスタンティズム倫理資本主義精神』 

デュルケム『自殺論』 

バタイユエロティシズム』 

モース『社会学人類学』 

キャンベル『千の顔をもつ英雄』 

マクルーハンメディア論』 

ブローデル地中海』 

ウォーラステイン『近代世界システム』 

アダム・スミス国富論』 

ゾンバルト恋愛と贅沢と資本主義』 

ベンタム『道徳立法の原理序説』

ミル『自由論』 マルクス資本論』 

アルチュセール資本論を読む』 

シュンペーター経済発展の理論』 

ケインズ雇用・利子および貨幣の一般理論』 

ヴェブレン『有閑階級理論』 

ポランニー『大転換』

ボードリャール消費社会神話と構造』 

オルテガ『大衆の反逆』 

ミルズ『パワーエリート

リースマン『孤独な群衆』  

イリイチシャドウ・ワーク』 

ベル資本主義の文化的矛盾』 

ネグリ『構成的権力』 

バーマス『晩期資本主義における正統化の諸問題』 

アンダーソン『想像共同体』 

バレーラマトゥラーナ知恵の樹』 

ルーマン社会システム理論』 

ロールズ正義論』 

ハイエク『法・立法・自由』 

ブルデュー資本主義ハビトゥス』 

オング『声の文化と文字の文化』  

M・ポランニー『暗黙知次元』 

クーン科学革命の構造』 

ポパー『推測と反駁』 

サイードオリエンタリズム』 

メルロ=ポンティ知覚現象学』 

フッサール論理学研究』 

ラッセル西洋哲学史』 

フロム『自由からの逃走』 

ベイトソン精神生態学』 

ベンヤミンパサージュ論』

デリダ『グラマトロジーについて』 

クール時間物語』 

ペンフィールド『脳と心の正体』 

スローターダイクシニカル理性批判』 

フレイザー金枝篇』 

シュミット政治神学』 

クラウゼヴィッツ戦争論』

ドラッカー『「経済人」の終わり』 

リップマン『世論』 

マンハイムイデオロギーユートピア』 

ブルームアメリカンマインドの終焉』 

ヴァイツゼッカー『ゲシュタルトライス』 

パノフスキー『イコノロジー研究』 

クーン科学革命の構造』 

ホワイトヘッド科学と近代世界』 

ソンタグ『反解釈』 

ドーキンス 『利己的な遺伝子』 

ギブソン生態学的視覚論』 

フランシス・フクヤマ歴史の終わり』 

ケストラー『機械の中の幽霊』 

ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』 

ホーキング『ホーキング宇宙を語る』 

イーザー『行為としての読書』 

イーグルトン『文学とは何か』 

ホフスタッター『ゲーデルエッシャーバッハ』 

ド・マン『ロマン主義レトリック』 

シオラン歴史ユートピア』 

ブランショ文学空間』 

ガダマー『真理と方法』 

ローティ哲学自然の鏡』 

セラーズ『経験論と心の哲学』 

パーソンズ社会的行為の構造』 

ジジェクイデオロギーの崇高な対象』 

アガンベンホモ・サケル』 

ダマシオ『生存する脳』 

クワイン『ことばと対象』 

マッキンタイア『美徳なき時代』

こういう時、トラバツリーが各所に残る今の仕様は便利だ。

ツリー内主要エントリ

2008-03-13

宇宙一詳しいデビルマンのあらすじ 4/4

http://anond.hatelabo.jp/20080313111147←この続きです。

1.29.20 おじさんおばさん、ただいま!お帰りあきら君っていう情景を想像していたのに、玄関からちらりと見える景色はいつもと違う。

1.29.50 ヒゲヒゲ妻の死体を見る。どこで拾ったのか分からないけどパーカーのフードを被る。「おじさん」と言ったあと、右下を見て「おばさん」と言う。期待を裏切らぬ棒読み

1.29.55 上から(上ってどこ?)ヒロイン携帯がだらーんとぶら下がって落ちてくる。

1.30.50 画面が赤くなる。(恐らく、携帯をきっかけに、黒髪がデーモンとしての直感を用いてヒロインの最後を知ったことの象徴なのだと思う)

糞台詞:ヒロインの最後

ヒロイン包丁を持って「あたしは魔女よ!なめるな!」と言う。暴漢はヒロインの背中にピストルを一発。うつぶせに倒れたヒロインが一言。「あたしは魔女じゃない・・・」

糞台詞終了。最後は「アキラクーン」となって死亡。

1.31.00 黒髪「みきちゃん・・・ぅふうわぁ・・・はああああ」

1.31.05 ヒロインの生首が串刺しになって目の前に。

1.31.20 へあー。へあーへあーと三回叫ぶ黒髪。おまえ絶対にタバコ吸ってるだろ。肺活量と腹筋が無いに等しいので、何の迫力も無いシーン。

1.33.30 二分以上も延々とマネキンの首を持ってそこらへんをうろつく黒髪。荒廃してしまったかつての町を歩いている。まあ、ここまではっきりとCGって分かるとすがすがしいね。NHKの大人向け医学番組CGで今から赤血球の働きを見ましょう、って感じの景色の中を歩く黒髪。

1.34.20 教会に到着。町には建物が一つも無かったはずなのにガラス一枚割れていない教会。謎の教会。祭壇に生首を供えて一言、「みきちゃん・・・着いたよ。」

1.34.35 生首を撫でる黒髪。泣いてるって設定なんだけど、思いっきり目薬。ミーコを見習え。

1.35.15 ゆっくり祭壇から離れてくれ、と演技指導された黒髪は、混乱したらしく、ロボットダンスみたいな動きで祭壇から離れ、教会内の椅子にどすっと座ります。

1.36.10 ヒロインの「子宝に恵まれますように」のお祈りを思い出して、黒髪が薄笑いを浮かべる、どうした?と思ったが、どうやら泣く演技をしたいらしい。でも泣けない。ナス!泣けないんだから顔のアップはやめろ。

1.36.30 後ろから人の気配。振り向くと銀髪。そこで銀髪が一言「神はいたかぁ?」はいよくできました。

1.36.35 銀髪がコートを脱ぐと、下はスーツ。なぜぬぐ?人間は守る価値があったか、アキラ

1.37.05 黒髪が振り向きながら立ち上がる。そこで一言糞台詞。「おまえは最初からサタンだったんだな。おまえは俺をだましていたんだな。」・・・よく整理して考えてみよう。だますって、何について?銀髪が自分はサタンじゃないってだましていたってこと?いや、だましてないよ。最初から正体をばらしてたし。つうか、一時間二分五十秒のときにいってたよね。「サタンだから」って。ばか?いや、糞なんですよ。ナス夫妻が糞。

1.37.40 痴話喧嘩開始。新しい世界を俺と生きてくれってさ。

1.37.45 銀髪頑張る。「再び」両手を広げる。「デーモン世界を俺は目指した。」右手だけ胸に、左手は体側に。「しかし」右手だけ広げる。「人間の数は異常に多かった。」右手を元に戻す。「いくらデーモンをよみがえらせても」右手を広げる。「人間を滅ぼすことは不可能だった。」右手を体側に戻して、はい、がんばりましたねー。学芸会以下の演技指導でしたねー

1.38.35 銀髪「でも人間同士で殺し合いを始めた。笑えたね。」と言ってヒロインの生首のアップ。彼女の死の事も笑えたのでしょう。黒髪がキレる!そして一言「おれをころせぇ」、ってキレ無いの?

1.38.45 黒髪「おれあけ生かして、なんにあうー」カツゼツが・・・

1.40.15 例によって会話が成り立たないので要約。銀:俺と一緒に来い⇒黒:嫌だ、おまえを殺す(何故こうなる?)⇒銀:ならば俺がおまえを殺す。 こいつら幼稚園児です。何の理由も無く殺し合いをしているようにしか見えません。カツゼツが相変わらず悪いし。俺はデビルマンだぁらな!ってなんだよ。

1.40.40 見詰め合う二人。デビルマン、変身。サタン、変身。

1.40.50 二人の闘気がぶつかり合い、空襲を絶えぬいた教会が爆発し、教会の床が抜けて、実は床下には巨大な空間がありましたとさ。

1.41.00 いつものデビルポーズ。滅びよ、サタン。滅ぶのはおまえだ、デビルマン

1.41.10 バトル開始。どうでもいいです。いろいろな人がプレステのオープニングだとか、色んなことを言ってますが、一言で言うと、価値の無い映像。二言で言うと、ありきたりで安っぽい映像サタンビーム系の技。デビルマンは直接当てる技です。よく引用されてる「地球を割る」って技は1.42.00にでます。地面がぴしぴしなるだけです。

1.42.10 デビルポーズ。ここで、地割れが起きます。さっきの技とは無関係だと思います。

1.42.45 どちらの攻撃も有効打は無く、地球の一割くらいが炎でできたキノコ雲に覆われます。

1.43.00 荒廃したニューヨーク自由の女神夕焼け

1.43.30 人間が塔のように重なり合いながらうねっています。(人間竜巻?)私が読んだことがあるのは文庫本デビルマンだけなので、原作でのこの塔の位置付けは良く分かりません。というか、ただ、出したかっただけなんだろう、ナスの場合。

1.44.00 その更に上空でサタンデビルマンが対峙してます。サタンデーモン軍団をつれています。デビルマンは隕石みたいなのに乗っています。

1.44.20 ほわーと言いながらデビルマン、青い炎に包まれて巨大化。それを見るサタンの目に涙。

1.44.35 ここでも「滅びろ、サタン」と言って、青いまま特攻。ザコデーモンは全員死亡。サタンは耐えます。

1.44.50 炎を使い果たしたのか、デビルマンサタンが右のミドルキックデビルマンは右ストレートデビルマンの胴体が削れます。

1.45.05 ぐおぐおいってたデビルマンが、空から落ちます。落ちながら黒髪に戻ります。黒髪になってもぐおぐお言ってます。

1.45.15 回想シーン。黒髪の餓鬼と金髪メッシュの餓鬼が、海辺で砂の城を作り終えたところです。

1.45.45 雨が降ってきたので、二人が自分達の体でその城を守ろうとしているところで回想終わり。

以下は、あの有名なラストシーン

1.46.10 黒髪、生きてます。目を開けます。きょろきょろします。岩の上で仰向けになっているようです。

1.46.20 岩の下から銀髪が這い上がってきます。

1.46.40 アキラ、リョウ、とか言い合ってます。わざとらしくぶほっと血のりを吐く黒髪。

1.46.55 銀髪「死ぬなよ、生き残れよ。デビルマンだろ。」

1.47.15 黒髪「おまえが生き残ればそれでいい。」・・・この人の発言の意味がわかりません。何故こんな台詞を言わないといけないのがが分かりません。で、そのまま黒髪は目を瞑ります。

1.47.20 銀髪が名前を呼んでも黒髪は返事をせず、黒髪の下半身に目を向けると・・・

1.47.50 下半身がやばいことになってる、と。二人無言。

1.46.00 銀髪が吐血。え?サタンなのに吐血?ナスにとってのサタンってのはいったいなんなのでしょう。かつての神と同じことをしようとして、しかし、愛を持っていたゆえに失敗してしまった堕天使、ってのがサタンなんじゃないの?まあ、どうでもいいや。

1.48.15 「まってろよ、アキラ、すぐ行くぞ。」と銀髪。

1.48.30 それを聞いた黒髪が、死んだはずなのににやっとわらって、それをみて銀髪もひひひひと笑う。

1.48.40 真っ赤な月の下、銀髪の笑い声が響く。「明が笑った。ふひふひふひ」

以上、原作の有名なラストシーンリメイク

1.48.50 崩れたコンクリートの壁にもたれかかって座るミーコ。

1.49.04 「おねえちゃん!」とススムの声が聞こえると虚ろだったミーコの表情に生気が戻る。ススムがミーコに駆け寄る。

1.49.20 「何を見ていたの?」とススム。「心の中を見ていたの」とミーコ。アホか、ナス妻。心の中ってなんですか。ミーコは、地球平和だった頃の海、空、森を思い出していたらしい。と、語りながら涙をこらえるミーコ。

1.49.30 泣きそうになるミーコの顔をみて、ススムがボソッと言う。「そんなとこ、もう無いよ。」

1.49.50 表情を引き締めるミーコ。頬には涙が一筋。ススムと見詰め合い、「生き延びるのよ。私達だけでも」

1.50.10 手のひらを握り締める。その中にはヒロインが渡した口紅。「牧村さんと約束したんだから。」「うん」とススムも表情を硬くしながら言う。どっかのアイドルの歌がBGMに流れる。

1.50.25 ミーコが立ち上がり、続いてススムも立ち上がる。口紅を握り締めたミーコの掌をススムがその上から握る。

1.50.30 二人が手を繋いで、このペースで歩いてねーってのはナス陰謀だな。だって、危機管理としてなってないじゃん。こんなヨチヨチ歩くなんて、普通想像力ではありえない歩き方。かわいそうな二人。せっかくの感動シーンを台無しにするナス

1.51.00 二人は今までいたコンクリートの残骸の出口に立つ。画面がセピア色になる。カメラがぐーっと引いて、周りの荒廃しきった景色を写す。周りに人間の塔(人間竜巻?)が山ほどある。

 THE END

映画デビルマンの悪評を聞いて、どれだけバカな映画かを見に行きたくなってしまった人は、上のあらすじを読んでうんざりしてください。

追記。(2005年6月10日)

東映さん、怒ってます?

これから一生東映映画を私は見に行かないので、(東映映画に関しては「観る」という漢字を使わずに「見る」という漢字を用いますよ。ポリシーの問題です。)べつに怒ってくれても全くかまいません。怒った後にきちんと反省してください。(どれほど反省したとしても私はこれから先一生東映映画を”見に”いきませんが)

一番嫌な状況は、東映から圧力がかかってこのblogそのものが消えることです。

圧力のかけ方として、一番考えられるのは著作権違反を理由とするものだと思うので(何せ宇宙一詳しいあらすじなので、翻案権に関してはかなりやばい。抗議を受けたら必ず消される。)、東映と対立することは全然平気なのですが、blogが消えるのは凄く嫌だ。

以下、考えました。頑張れ、自分。

この文章は著作権違反になるのだろうか?

翻案権は完全に侵害しているけれど、その上で引用をしているので、少しだけ状況が複雑なのだろうと思う。

血液型と性格」事件の判示(東京地裁判決平成10年10月30日、学者の間でも評判は悪くない)によると

新たな言語著作物創作する上で、他人の言語著作物の全体あるいは相当広い範囲の趣旨を引用する必要のある場合があるが、その場合、それを原文のまま引用するのでは、引用の名の下に他人の著作物の全部または広範な部分の複製を認めることになり、その著作者の権利を侵害する程度が大きくなる結果となり、公正な慣行に合致するものとも、正当な範囲内のものともいえなくなるおそれがある

とあり、

簡単に言うと、

映画のワンシーン・ワンシーンに突っ込みたいとき、

<1>映画そのものを皆さんに配布する

<2>映画そのものは配布せず、自分で翻案・要約した文章をオマケとしてくっつける

の2つの方法が考えられ、

それなら<2>の「要約引用」で行った方が良いんじゃない?みんなやってるし、普通でしょう?

ということです。

ちなみにススム君ピンチのシーンは一切ネタバレしてないよ。

あのシーンは「映画」だったからね。

つまり、必要な部分だけしか引用していないのです。

以上から、私の文章は、著作権法32条1項引用の場合の著作権行使の制限)の適用を受けるので、著作権を侵害していないと言える。

のだと思います。そう思いたいです。

blog人のサーバーが落ちるたびに、

うお、もしかして私のブログが消された?東映から苦情が来たのか?と自意識過剰な不安に駆られるのです。

今日、つれづれなるままに考えてみて良かった。

多分、(多分、としか言えない。何せ要約引用判例なんて、ましてや映画の翻案に関する判例なんて、かなり少ないし多分存在しない。)、私は不正なことをしていない。

だれかエロイ人、詳しいこと教えてください。(txmailjp☆yahoo.co.jp(☆を@に変えてください))

2007-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20071202171401

どうもです。

「定義学」は学問の種類、タイプなわけですね。

ジャンルが違うかもしれませんけど、昔なんかの本で読んだ、

トーマスクーンの「パラダイム」論(科学哲学?)とか、

それと近いような気が。

それだと、自然科学も、この「定義学」になる?

2006-12-28

http://anond.hatelabo.jp/20061228055013

もうね、元人文学徒としちゃ「歴史学は追試ができないから科学ぢゃない」とか飽きてるわけですよ。

素朴ポパー儲かよ。アホくせえ。クーンとかファイヤアーベントとか嫁。

もしくはd:id:leeswijzerの『系統樹思考の世界』(ISBN:4061498495)嫁。安いから。

それすら買えない貧乏人にして独善主義者ならd:id:leeswijzerコメント欄で「歴史学は反証がー」とか言ってこい。な?

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