はてなキーワード: カレンダーとは
毎年のように「ダメなパスワードランキング」とか、流出したパスワードでアカウント乗っ取られてヒドイ目に...とか話題になっていて、同一パスワードを使い回すのはもってのほか!パスワード管理ツール/アプリを使おう!みたいなことよく言われてるけど、そのツールのデータがどっかから流出/ハッキングされて暗号破られたりするとスゴイ嫌じゃん。攻撃者だって、そういうツールがインストールされてるってことは、そこにあるのが分かるんだから狙って来やすいじゃん。
紙に書いたりしてどっか保管しとくのもダサい。
ということで、
自分の名前とか、住所とか、飼ってる犬の名前とかをモジって、適度な長さの辞書に無いコトバを決める。辞書に載ってるか否かで、強度がそんなに変わるのかは定かでないが、まぁ気休めとしてw
太郎なら tarosanとか、品川ならshinagとか、花子ならhanachoとか適当に。
これは、毎度入力を求められるたびにタイプすることになるので、まぁまぁ変な文字列でも忘れない。心の中にだけしまっておいて、どこにも記録は残さない。
アカウント登録や、サイトによっては半年に一度くらい「パスワード変更しろ」とか言われて更新するときの日付をyymmdd形式とか、より安全に年を4桁とってyyyymmddとかにしてくっつける。
hanacho220524 みたいな感じだ。
同じ日に複数サイトのアカウント作る時がもしあったら、別に正確な日付が欲しいわけじゃ無いから、昨日の日付でも、1ヶ月先の日付でも構わないから違うモノにしろ。
そういうめんどくさいルールがあるサイトの場合は、先頭だけ大文字にするとか、末尾にハイフン’ー’付けるとか、自分なりのルールを決める。このルールも心の中だけにしまっておく。
PCでもスマホでも各自使いやすいカレンダーアプリが1つや2つインストールしてあるだろ。上の例で言えば、2022年5月24日のカレンダーイベントとして、たとえば「ますだ」みたいなWebサービスやサイトの名称から容易に思いつく検索しやすいタイトルで、イベントを書き込む。
アレンジが必要なサイトだったら、「大文字」とか「記号」とかをイベントの内容だか注釈だかのところに書いておく。
こうしておけば、あちこちのサイトでログインが必要になった時点で、カレンダーアプリを「ますだ」とかで検索すると、イベントの日付が分かるので、心の中にだけ持っている語幹と合わせてパスワード欄に入力すればオッケーってわけだ。
これなら、カレンダーアプリのデータが盗まれて、めっちゃ強力な暗号解析ソフトとかでハックしまくられても、パスワードがバレることは無いと思うw
Enjoy!
「オッカワの祭に行きたい」と祖母が言った。祖母はベッドの脇に貼られた小さなカレンダーを見ていた。カレンダーには華やかに彩られた祭の山車が写っていた。
「オッカワっていうのは半田のなかの町の名前なのよ」とか母が小声で言ったと思う。半田は祖母の生まれ故郷だ。私はその頃東京の大学院にいた。そして祖母は、その頃もう何年も名古屋の老人施設にいた。
「そうだねえ。今年はみんなで行こうねえ」と母は言ったが、それが嘘であることは祖母にもわかっていたと思う。祖母は毎日施設の中の食堂で食事をする程度の体力はあったが、彼女を名古屋から半田まで連れ出すような気力は家族には残っていなかった。母と私は月一回に決められたいつもの面会日のように、1時間程度を個室の中で過ごし、いつものように帰っていった。その後のことはあまり憶えていないが、一年か二年ぐらいで祖母は亡くなったと思う。
あの時、例えば私が声を上げて、祖母をオッカワに連れ出すことが出来たのではないだろうか、とふと考える。祖母の病状を考えると、母や医師が許可したかどうかは分からない。例え許可が出て彼女と一緒に外出したとして、もしもの事態に自分が対応できたかどうかは分からない。だとしても、あの時、祖母をオッカワに連れ出すことができたのは、若い故の無駄な時間に溢れ、無謀さや先を顧みないいっときの善意を発揮できる私しかいなかった。例えばレンタカーで大型の介護用の車を借りて、日帰りでオッカワに向かうことは出来なかったのか。オッカワに行きたい、という祖母の呟きに対し、母の顔色を伺い、オッカワに行かない理由を考えて、祖母の声を黙殺したのは私だったのだ。
私たちがいない中で、祖母は日々、施設の部屋で一人で何を思っていたのだろう。カレンダーの写真を眺め、自分が少女だった時のことを思い起こし、死ぬ前に祭りを見たいと思ったのだろう。そして、無駄だと知りつつ、それをわたしに打ち明けたのだと思うと今でも胸が張り裂けそうになる。
スマホアプリとかアプリとwebページと自動で行ったり来たりしてあっちの認証をパスしたりこっちと連携したり知らんうちにカレンダーに同期してたりして
めちゃくちゃ魔法見てるみたいに難しくなってるように感じる
今のドラえもんは2112年生まれだけど、初期の頃は2012年生まれという設定だった。当時の基準で考えても2012年にあんな未来が成し遂げられるというのは無理があるのでは?と思うかもしれないが、ここにトリックがある。初期の頃のドラえもんでは現代の年がすべて昭和で表記されていた。この昭和表記が曲者で、作中のカレンダーを拡大してみると昭和44年(1712年)と書かれている。つまりドラえもんにおける現代は1712年で、未来が2012年というカラクリになっている。1712年の時点でテレビも車もある世界線だから、2012年に猫型ロボットが開発されても不思議でないわけだ。こちらの世界線ではハーバーボッシュ法が数百年早く発明されている。この違いは大きい。多数の餓死者を出した14世紀半ばから19世紀半ばの小氷期を化学肥料の力で乗り越えられるからだ。それにより人類は足踏みせずに済んだ。
どの辺が……と問われて、僕は戸惑った。
確かに、僕は面白いと思った。それは間違いない。だがしかし、あらためて「どこが」と問われてしまうと、言語化する術が見当たらない。
こうなると、「面白い」とは何なのかわからなくなり、不安になってしまっている。
概ね「可笑しい」「笑える」という意味と思っていたが、「面」が「白い」のが、なぜ笑えるのだろう。
ダジャレで「尾も白い」なんてのを見かけたが、どこが面白いのだ。
自分の感覚を他人に説明することの困難さを目の当たりにして、連休最終日は過ぎていく。
だがまあ、カレンダー通りに休めただけでも重畳だ。連休前のトラブルが上手く解決でき、休日出勤を回避できたことは精神的にとても大きい。
「どのあたりが面白いんや?」と問うた増田氏には申し訳ないが、明確な応えを示せそうにない。
この増田氏が、本物の関西圏のひとなのか、はてな界隈で見かける関西弁もどきを使う人物なのかもわからないが、何が彼の琴線を刺激したのかわからぬまま、とりとめもない駄文を記すことをご容赦願いたい。
子供を育てるにあたって便利で汎用性あるものを使おうって考えますけど、どんなのがあるんでしょうね。
想定として、夫婦二人でタスクを管理する、複数の家族と子供の写真を共有する、って感じ。
誰でも使えてかつ長い目でみられるものがいいんですけどね。
始業時間になっても来なかった。
心配した。
電話した。
そこそこ長いコール音のあと、出てくれた。
増田「どうしたの?!なんかあった??!」
増田「え?金曜? う、うん、そうだね」
「嘘」が存在するには対になる「真実」が存在しないといけない。まずこれが無い。
人間が物事の一面を捉えて、それっぽいのが「真実」、それっぽくないのを「嘘」という箱に分けてるに過ぎない。
例えば「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」という概念は有用だが、モノに付いている属性ではない。自治体の捉え方次第だ。
「嘘」「真実」に関しては自分に有利なものを真実としがちで、毎週出す20Lのゴミ袋より信頼も価値もない概念だ。
「ピンクのユニコーン」のように、存在を認めてもいいが認める意味がない代物だ。「無い」といえる。
「日付」は無い。太陽と地球の距離と角度が色々変わって元通りになる時間の流れを「1年」と呼ぶ。それを365分割して約365個の日付とかいう箱に入れてる。(極以外の)空の明暗1セットを1日と呼ぶが、365回繰り返したのを1年とするとズレるので、4年に1回補正かけてる。意味ない。
だいたい、地球の自転速度が2倍になったら730日必要だろ。他の暦でも引数として自転公転速度を受け取れる動的なものでないと「ものさし」にすらならない。
人間が時の流れに何も作用できないから分割して認識してどうにかした気になってるだけ。価値なく、存在しないといえる。
もちろん存在を認めてやることもできるが「空飛ぶレインボー帝国」くらいトッピだ。
カレンダーなんてのは「空飛ぶレインボー帝国のピンクユニコーンのエサ、レインボーピンク人参の在庫管理表」だ。あってもいいが、話題にする意味がない。
日付は365個のジョークだ。1/1から12/31まで爆笑必至の間抜け日付だ。とくに4/1は一番だ。皆も努々嘘なんかつかないようにな。ただでさえ腹が痛いんだ。