論理的に整合性を通すと同時に、まず最初に一方の気持ちを汲んで他方を抑えるってことをやろうとしたから道義的観点で語れるってだけの話じゃない。下手なレトリックに頼ってもそれは論破とは言わないよ。論点をずらして、意図も理解せず一つの単語にこだわっているだけ。まず刺青嫌いが悪口を言っても自由、入場禁止も公共の利益を守るためという理論で始まった議論の中で、どうして気持ちが全く関係ないと思ったのかな?
もし論理だけを考えるなら完全に通すならよけいに早い話だよね。「言論の自由は他者の心象を害してまで守るものではない」前提が成り立ってこそ、刺青嫌い派はむやみに罵詈雑言で刺青している人を攻撃できないし、刺青している人も自分たちの権利を守るために今すぐ入場禁止をやめろと無茶苦茶言えないわけ。もしそうしたいなら運動をしていってだんだんと意識を変えていくしかないよってだけだよ。それだけの道理の中で心象を持ち出した君が「お気持ち」なんて言える立場じゃないじゃん。