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はてなキーワード: 視聴者層とは

2021-07-16

anond:20210716015623

視聴者層がやたらおっさんに偏ってる

どうしてこれを求めてるの?

おっさん向けVtuber教えてくれ

内容は普通ゲーム実況とかでも問題ないんだけど、視聴者層がやたらおっさんに偏ってるVtuberいたら教えてほしい。

2021-06-30

吉田製作所の無害性

視聴者層ほぼ被っているはずなのに、ジャンク修理動画ミソジニーっぷりから見ると素晴らしい

誰も傷つけていない

2021-06-06

ネットでアレほど嫌われている竹中平蔵が必ず出てくる理由

竹中平蔵が必ず出てくるのは、「竹中平蔵が正しいとかなりの人間に支持されている」ということなんだよな。

どのあたりにいるのかって言えば、「日本はこのままだとダメになるから多少の人間が不幸になっても、正規雇用崩壊しても欧米の真似をして改革せねば」あたりの人間が支えてる。

マスコミも、事あるごとに竹中平蔵意見を聞きに行く。聞きに行くなよ。

そこまで言って委員会あたりに出演するのは、その視聴者層が、竹中平蔵支持者なんだよな。

要するに稼ぎ終わった団塊の世代TVを観てる人たちあたり。

この人達の考え方が変わらないと、いつまで経っても竹中平蔵が出てくる。

2021-05-13

anond:20210512195504

暇な老人だけでも充分な視聴者層だし

暇な老人がちゃんと暇な時間を潰せるのが大事なんだよ

 

まさかボケた老人にもわかりやすい内容だからその間ずっとテレビの前に居て、その間介護する人が部屋の掃除もしやすいとかわかんないんだよな

 

突飛な面白さだけが世の中を構成するものじゃないんだぞ

定番面白さが本当に心の救いになることがわかんないなら問題がどうとか語らない方がいいぞ

2021-05-01

anond:20210501093541

おそらくルッキズムは何の関係もなくて、原作マンガの根強いファン層がいたこと(独自性の高い原作の切り口が高い評価を得ていたこと)と、湯浅監督の元で創造性が高い作画マッチしてクオリティが高かったこと、NHKでの放映で分かる通り内容的にも全年齢、幅広い層に受け入れてられやすものだったことが話題につながったんだろ。

キャラ可愛いから見るっていう層と、視聴者層がけっこうズレている可能性もある。

2021-04-15

anond:20210415093434

今の40-50代のTV視聴者層 (当時のメイン視聴者)って

それこそ「ヤンキー文化」に染まって

あいう元不良学生っぽいやつ好きなんよ。

2021-03-24

https://anond.hatelabo.jp/20210324155814

ジェンダー論に引っ張られているが、根本的に「全セリフが余す所なくバカしか見えない」という大きな問題があって、それをわざわざ報ステ視聴者層から一番遠い若い女に言わせてる(しかも出てくるパーツから考えたのが若い女バカと決めつけているおっさんなのモロバレ)から馬鹿にしてんのか」って反発されてるってのがその実だとは思う。

いや違うな。馬鹿にしてんのか、じゃない。このシナリオ考えた人間は多分本気で馬鹿だと思っていて、そう思うことに疑問すら抱いていない。

2021-03-18

今のエヴァ視聴者層って多分大分若い

なんかエヴァで盛り上がってるねここ

話に関係あるかは知らんが、シンエヴァ見に行ったら周りの客1020代ばっかだったぞ。

少なくともTVアニメリアタイとかしてそうな世代の人マジでいなかった。

今のエヴァほとんど若い世代が客層だってのは本当みたいね

まあ、金ローで毎年のように放送してるし、近年はLINEのなんか配信するやつでもしょっちゅうやってたし、そもそもシンカリオンみたいなのとコラボしてるし。

制作側も今のエヴァファン層の需要意識してシンエヴァ作ったんじゃね。

2021-03-07

おちフルバッシングに加担するネットフェミ

これが現実だ。

2020秋クール

おちフル…BS日テレ(横1440×縦1080ドット)水曜24時台で4K版が通販のためサイマル無し

裏番組池袋ウエストゲートパーク(同じ角川ビデオ)のためコマーシャル殆ど視聴者層とはかけ離れたものメイン

アイナナやヒプノシスノブレスはじめ同期の腐夢関連の殆どBS11(横1920×縦1080ドット)での放送

(他の性嫌悪主義者がいいと言っている腐夢以外の作品も横1920のフルHD放送されたケースある)

売上

鬼滅の刃劇場版…380億円相当

呪術廻戦…2万セット

アイナナ…13000セット相当

ヒプマイ…9千セット相当

(まなびライン)

おちフル…1700セット相当

それでも人権棒どもはおちフルを叩くのか?

人権棒どもが依怙贔屓した作品の方が高待遇または高利益出してるのによぉ…

いい加減気づいてくれよ

2021-02-23

おじさんは共感を示すのが苦手な傾向があるのかもしれない

youtube動画コメント欄を見ていて思ったんだけど

おじさんが主要な層の動画コメント数は多いのにコメントについている「いいね」の数が少ない

800ぐらいのコメントがあるのに一番「いいね」を貰っているのが20とかそんなん

ジャンル動画の内容にもよるし外部サイト視聴者層データがどれくらい正確なのかってのもあるし

自分観測範囲の偏りもあるから信ぴょう性はないんだけれど

2021-02-13

anond:20210213053511

最近のは知らんけど、仮面ライダーとか戦隊ものはそうじゃないの?ショッカーは常に悪でしょ。

いずれにしろ基本的にそういう作品は尺が厳しいか、想定視聴者層理解力が低めの場合に限られるかと。

2021-01-28

anond:20210128142536

ガチ対戦に限ってはほぼそうじゃね

ポケモン実況系Youtuber視聴者層とかマジで男女比9:1より偏ってるぞ

2021-01-22

プペル(西野アンチ陰謀論者化してる件について

ツイッターをやっているもの宿命か、やはりお騒がせ系の人が絡む話題は何もしてなくてもTLに流れてくる。

(原因はおそらく、フォローする際に西野が嫌いかどうかを指標にしていないためであろう。何もしないから流れてくるのだとも言える)

無論、ほとんどが批判・またはアンチ的な内容であるツイッターから当たり前だが。

が、正直言ってその批判内容があまりにも荒唐無稽というか、西野信者以上に言っている事が意味不明である

そして中にはもはや陰謀論の域にまで達しているのでは?と思ってしまうようなものもある。

少なくとも私から見れば、西野に対する感情評価以前に「いや、流石にそれはおかしくねえか?」と言いたくなるような批判が、決して少なくない同意意味するいいねリツイートを得ている光景を目にする機会があまりに多くなってきた。

それらについて感じている事をはてな匿名ダイアリーという便利なものを使って書き連ねようと思う。

ちなみに映画のものはまだ見に行けてはいない(見るつもり自体はある。多分きっとおそらく)ので内容と現在為されている評価釣り合っているのかどうか、みたいな事を判断するのは難しい。そして出来ればネタバレはやめてほしい。どんな映画でもネタバレされるのは嫌いだ。

(余談:プペルとツイッター検索しても映画の内容について触れてるものほとんど無いため、ネタバレを喰らう可能性は低い。なのでその点に関しては正直大分ありがたい。あくまで私のアカウント場合だけど)

とりあえず100万人は突破

まず、大前提として以下の通り、プペルはかなりヒットしている。

えんとつ町のプペル』動員100万人突破

https://www.cinematoday.jp/news/N0121128

西野は「100万人動員しても赤字」と言っていたが、この様子だと黒字普通に見えてくるのではないだろうか。

具体的な制作費、及び「どこまで行けば利益出るのか」がわからない以上、赤字黒字無関係一般人判断するのは難しいが、現状数少ない「基準」らしきもの突破した。

(ちなみにもう一つの基準」は100億円。どういう文脈で言われたのかは調べていないが、西野発言なので基準としては有効だろう。流石に達成は無理だと思う)

実◯BU◯KAタブーみたいな記事シェアして「やっぱり!」となる人達

西野亮廣、オンラインサロン会員を「食い物にしてる」!? 『えんとつ町のプペルめぐり信者ビジネス」の指摘

https://www.cyzowoman.com/2021/01/post_321572_1.html

上記のような記事シェアしている者が結構多いのだが、記事の筆者は「サイゾーウーマン編集部」と書いてあるだけで個人名が無い上に、芸能ライター(誰かはわからない)が「ネット上では~」と語っていたり、テレビ局関係者(具体的な役職も勤めている局も不明)がググれば誰でも知れる西野発言を紹介しているだけという怪しいにも程がある記事である。はっきり言ってまとめサイトや実話なんちゃら系の記事と大差ないのだが、内容が西野叩きなら構わずシェアしてしまうのだろうか。

二次創作が無いのがおかし

「プペルが本当に面白いなら二次創作が生まれるはずなのに全く見ない。つまり…」に納得の声が集まる「浅い感想しかない」「モルカーは5分でも流行った」

https://togetter.com/li/1655008

流石に無茶苦茶すぎる理屈だと思ったのは自分だけだろうか。

オタク君さぁ・・・とか言われる理由がわかったように思う。

まとめの最初ツイートは「ガイナックス初代社長岡田斗司夫ことなのか?)がそう発言した」という内容だが、これもどこまで本当でどこまでツイート主の主観が入っているのかがわからない。リンクハッシュタグも無いので元発言がわからない。

この発言で思い出したのはキッズライン騒動だ。

「俺らが全く知らないYouTuber登録者日本一なのはおかしい!登録者買っただろ!」と言いがかりをつけられたアレである

実際にはスーツ氏が指摘していたように、「主な視聴者層普段ネットで発信とかやらない小さい子供育児中の母親層で、子供をあやすためにYouTubeキッズで垂れ流しており、子供が成長したらチャンネル登録したまま見なくなるだけ」「YouTubeキッズ向け動画大人向け動画を完全に分けているので互いの視聴者層が交わらないだけ」というのが真相だ(と思われる。スーツ氏の発言うろ覚えだが、要旨はこんな感じだったと思う)。

プペルも同じように、単に見に行っている層と普段二次創作を見たり作ったりしている層が被っていないだけなのでは・・・

途中で送信してしまったのでここから追記。後で更なる追記をするかもしれない。

幸福の科学

https://twitter.com/torinakisa/status/1350900186487296001

西野オンラインサロン宗教っぽいみたいな批判は前からあったし、自分も外から様子が見えない閉鎖空間で万単位人間と何かやっている以上、そう言われるのもある程度は仕方ないと思う。

が、幸福の科学映画とプペルを同一視するのは流石に的外れでは。

そも、1100万人もの信者(よくわからないが、wikiとか見るとそんぐらいらしい)がいる日本有数の宗教団体と同じ事を7万人ぐらいしかいない西野サロンでやるのは大分無理があるのでは?

7万人しかいない以上、やはり100万人動員が西野信者だけで構成されているとは思えない。10プペとかやっているのは流石に信者でも少数派だろう。全員が一人あたり14回見に行かないと達成できない。仮に7万人の人間全員に14回見に行かせられるようなカリスマ超人的な洗脳能力西野にあるとして、なんで絵本書いて映画なんて作ってるの?としか思わない。どう考えても持ってる力に比べてやり方が回りくどい。

普通に普段ツイッターやらネット掲示板やらで発信しない一般人が見に行っているだけでは。

広告も沢山打っているし、芦田愛菜窪田正孝といった知名度が高くてファンも多い真っ当な有名人声優として起用しているし。西野やり玉に挙げられがちだが、この二人のファン層も一定数見に行っているだろう。

2021-01-09

出自粛の呼びかけにはテレビ芸能人を使うべき

最初緊急事態宣言頃は色んな芸能人アイドルステイホームを呼びかけていて、ファンたちもそれをこぞって拡散していたと思う。

資本主義象徴の一つであろうテレビリモート出演や大きなアクリル板をスタジオに多数配置して頑張っていたりと、あぁ世界が大変なんだなというインパクトを与えていたように思う。

それが今や、ある程度の感染対策をしていると言いつつも、かなりぬるくなっている。

音楽番組では他アーティスト同士は接触を避けているとはいえグループ内では濃厚接触をしながらのパフォーマンスは当たり前。

もちろん事前の練習リハーサルも同じだろう。

どんなに日頃気をつけていたとしても、一人がどこかで感染していたら、結局それをメンバー感染させ、その家族へと広がっていく。

観客ありでのライブを再開しているアーティストも増えつつある。

ここをまたさらに強く引き締めればテレビ視聴者層アーティストへのファン層へのインパクトは強いだろう。

あとはフェイスシールド感染抑止効果ダメさをちゃんと認めて、不織布マスク未満の効果のもの使用禁止としてガイドライン化し、視聴者にも同様の対策を訴えるのがいいだろう。

2021-01-08

[]116日目

なわとび:600回

ボクシング:115kcal

徒歩:163.4kcal/5623歩

ダンボール戦機わりと最近だと思っていたら、視聴者層が成人して美少女コンテンツとして帰ってきているという事実を未だに受け止めきれない(おっさん

2020-12-31

anond:20201231192041

女性広報アツギ2次絵タイツPRダメで、女性下着モデルは何故許されるかって議論で答え出てたけど、文脈から導き出される想定視聴者層が誰かが問題なんだよ

同性に認められるプロセス大事

Kアイドルはやりたいことやってるから洒落結果的セクシー、Jアイドルは男に媚びるからキモいこの差

NHKエンタメコンテンツに主軸を移すべきという話はよろしくないのよ

NHK面白いエンタメものを作ると「こういうのをどんどんやってくれ、そうすればみんな受信料払うのに」という意見ネットで人気になるが、それは問題のある意見だ。

皆が楽しめて人気になるエンタメ提供して収益を稼ぎ組織を回すだけなら、民放でいい。またはNetflixamazonでいい。

NHK特有価値というのは、人気が無かったり視聴者層購買力が低かったりで儲からないが、必要な人にはとても必要コンテンツ提供することだ。

生涯教育文化番組であったり、幼児番組であったり、災害報道であったり、他組織から一定距離を置いた報道批評であったり。

エンタメにしても、求める人は少ないが、一部が切実に求めているようなもの提供して、その趣味マイノリティの心を支えることができる。

要するに、NHK受信料というのは福祉への投資である

多くの人にとっては直接的にはメリットにならない、だが社会の底や端っこを支えているので巡り巡って間接的には重要で見えづらいメリットをもたらす、そういう投資NHK受信料である

というわけなので、「私が見て楽しめる番組なら金を払う気になるからNHKはそういう番組ばっかり作ってくれ」というのは資本主義的な市場感覚に染まりすぎていて問題がある。

資本主義市場は優秀な仕組みだが万能ではなく、その穴を埋めるのがNHKなのだ

「俺は全く興味のない番組が多いが、どこかの誰かは求めててそれが社会の端っこを支えてんだろうから効果は実感しづらくてムダ金払ってる気になるがそれでも受信料払わねえとな」という、実感には反するが理性を働かせて受信料を払う決断をすることが私たちには必要である

ちなみに徴収者に暴力的なやつがいる(自分は遭遇したことがないが)のは問題なのでそれは大いに批判するべきだが、「だから払わない」ではなく「払いはするが、ろくでもない徴収者はしっかり教育しろ」という話にするべきだろう。

裏社会映画アメコミ映画警察が腐敗している時に、その腐敗は糾弾すべきだが、警察を失くせという話になったらヤバいのと同じである

抗議の意思表示としてなら一時的に支払わない選択もアリだけどね、本当に一時的ならば。

NHKでやってることの99%はマジで興味ねえ無駄だしやめてほしいわ~、数年に一回くらいは他がやってくれそうもないのに俺得コンテンツを作ってくれるのにな~」という感覚は、その99%も他の色んな人達の「俺得」の集合なので、それぞれが望む俺得世界から消えないために99%のぶんの金も払う、それがNHK受信料の意義なのだろう。

2020-12-05

萌え絵アニメーションに向いてないという勘違い


巷で話題萌えアニメオタク害悪だと主張する記事を読んだ感想である


私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。

ジャンプサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東ゴールデンタイム毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメ世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。

視聴作品数は、履歴書に書けば人間性理由採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想ブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラ茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。

そんな人間がひさしぶりに取れた休日の暇潰しに書いた文章だ。

簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。

以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。


主に作品ごとのアニメーションが持つ性質役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。

過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。

それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。


例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。


『氷属性もつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』


数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。

これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。

「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。

例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)

おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。

ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである

しろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。

さらにここに、


『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動やすいよう周りの空気自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女腰掛けているステンレス製の巨大三角から温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手冷凍保存しようとしている』


と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである


要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいかキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いかキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。

この時萌え絵かどうかはあんまり本質的問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感あるかないかの話に過ぎないと考える。

これより先は趣味指向トレンドしか言えない領域突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪判断軸が及ばない空間である

もしそれに対して「過去多くの作品萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまたことで不当にも市民権的なモノを得てしまたからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪しかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。

キャラ造形に対する文句ほど不毛なことはない。


ひと昔前にギャルゲー原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作アニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。

ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。

当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず立ち絵差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。

その原因は、アニメ萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写カットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしま可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。

まりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品ジャンルアクション主体なのかコメディ主体なのかリアル恋愛主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。

実際のギャルゲー原作作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。


画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤー存在にすぎないとも言える。

絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。

だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情自分リーチできるかどうかに関心が向いてしまものだ。

昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆ど人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当表現だと個人的には思う。

昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界生モノアニメブームが続いているように見える。

少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。

ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。

この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。


ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。

2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロイン少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれ世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。

ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。

社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。

何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画原画制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。

今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。

動画の内容が気になった方は各人で確認してもらいたい。

端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命のものだ。

そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。

間違いなく時代トレンド関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。

だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。

だが、予算制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。

製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。


コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。

もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。

けれど、

あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。

私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである


気づきの通り最後の2文が言いたかっただけだ。

最後まで読んでいただいた方は、こんな拙文にお時間取らせてしま申し訳ない。

良いアニメライフを。

萌え絵アニメーションに向いてないという勘違い

巷で話題萌えアニメオタク害悪だと主張する記事を読んだ感想である

私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。

ジャンプサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東ゴールデンタイム毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメ世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。

視聴作品数は、履歴書に書けば人間性理由採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想ブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラ茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。

そんな人間がひさしぶりに取れた休日の暇潰しに書いた文章だ。

簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。

以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。

主に作品ごとのアニメーションが持つ性質役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。

過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。

それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。

アニメーション、画面上の動きの一つに、こうした共通言語や構図の時間的変化から読み取れる言語で感じて欲しい叙情性に補完を入れたいのか。

例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。

『氷属性もつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』

数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。

これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。

「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。

例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)

おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。

ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである

しろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。

さらにここに、

『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動やすいよう周りの空気自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女腰掛けているステンレス製の巨大三角から温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手冷凍保存しようとしている』

と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである

要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいかキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いかキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。

この時萌え絵かどうかはあんまり本質的問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感あるかないかの話に過ぎないと考える。

これより先は趣味指向トレンドしか言えない領域突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪判断軸が及ばない空間である

もしそれに対して「過去多くの作品萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまたことで不当にも市民権的なモノを得てしまたからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪しかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。

キャラ造形に対する文句ほど不毛なことはない。

ひと昔前にギャルゲー原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作アニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。

ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。

当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず立ち絵差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。

その原因は、アニメ萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写カットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしま可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。

まりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品ジャンルアクション主体なのかコメディ主体なのかリアル恋愛主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。

実際のギャルゲー原作作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。

画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤー存在にすぎないとも言える。

絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。

だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情自分リーチできるかどうかに関心が向いてしまものだ。

昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆ど人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当表現だと個人的には思う。

昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界生モノアニメブームが続いているように見える。

少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。

ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。

この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。

ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。

2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロイン少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれ世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。

ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。

社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。

何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画原画制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。

今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。

動画の内容が気になった方は各人で確認してもらいたい。

端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命のものだ。

そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。

間違いなく時代トレンド関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。

だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。

だが、予算制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。

製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。

コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。

もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。

けれど、

あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。

私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである

気づきの通り最後の2文が言いたかっただけだ。

最後まで読んでいただいた方は、こんな拙文にお時間取らせてしま申し訳ない。

良いアニメライフを。

2020-11-27

アニメクリエイターはだいたい左翼戦争反対スタンスだが

その視聴者層別に左翼というわけじゃないし、むしろ更なる闘争を求めてゲームやらの派生コンテンツを消費していたりする

そこまで行くと思想はあまり関係なくなって、もう完全にただの娯楽である

まあ卑しくもクリエイター様がバリバリ戦争万歳思考はいろいろつつかれてヤバいということなんだろうけど、残念ながらユーザー側にはその思想ほとんど伝わっていないようだ

あるいはこの世のどこかには、「作者は右なのに客が左ばっかり」という謎現象でもあるのだろうか

2020-10-04

オールスター感謝祭って昔はクイズ番組だったんですよ

昨日のジャニーズで盛り上がってた若い諸君、知ってるか?オールスター感謝祭って昔はクイズ番組だったんだぜ。

昨日のアレを見た人たちってあれをどういうジャンル番組だと称するのでしょうか。

バラエティー番組?ドッキリ番組?なんなんでしょうねアレ。

そもそもオールスターって何」というところから始まるんすよ。昔の感謝祭は本当に色んな有名人が出てた。若手俳優大御所芸人国会議員プロ野球OB力士ニュースキャスター・・・本当に各界の著名人が「賞金のために」出てたんですよ。1問正解で数百円の賞金が加算されて行って、ピリオドチャンピオンになると何十万円も貰えて、さらボーナスクイズに正解するとまた賞金がもらえる・・・まさに景気のいい時代に「普段TBSに出演してくれる芸能人感謝する」ために作られた番組

で、近年視聴率も落ち続けおまけに不況になった。いつの間にか赤坂スタジオには200人来なくなり賞金も減った。ここまではまだ許容範囲だが、クイズをやらなくなった。クイズ番組なのにクイズやらなくなった。じゃあこの番組は何?

別に春秋の改編期にやる特番だしドラマ新番組宣伝めっちゃ力入れるのは良いんですよ。最近創設された新企画アーチェリーも数々の名勝負を生み出してきていいなって思ったんです。でもその他が蛇足すぎる。くだらねぇスタジオ企画とかそういうの求めてないんですよ。おまけに昨日の「このあと誰誰は○○するでしょう?」とかいクイズにもなってない謎コーナー、あれマジで引いた。つまらない面白くない以前に引いた。あの企画なんだよ。確実にモニ○リングが絡んでるだろ。なんであいつらにやらせたんだよ。そもそも感謝祭にそういうの求めてないし、そんなこと次回以降も続ける気なら「オールスター感謝祭」を名乗らないでほしい。29年前に当時のスタッフ島田紳助がこれ見たら泣くぞ。まあもう次回やる気なんてないんだろうけど。

「もう自分の見たい感謝祭は帰ってこないんだろうな~」って思いつつも毎回見てしま自分も悪いのだが、地面スレスレにまで下げたハードルを蟻のようにくぐってくるのやめてくれ。こっちは極限までハードル堕としてるんだぞ。くぐるなよ。

ていうか数十年見てきて昨日は本当に途中で見るのやめた。「史上初のスタイルでお届けします!」史上初って何?結局過去焼き回しコロナ流行理由に手抜いてるだけじゃん。前から手抜いてたけど。「史上初」要素、どこにもなかったんだけど。

別に人少ないのは良いよこういうご時世だし。もっと人呼べよなんて言わないからさ、せめてもうちょっとまともに見れる「クイズ番組」やってくれねえかなぁ。

ていうか今のTBS上層部って「クイズだらけの感謝祭はつまらない」って本気で思ってそうだし、俺のこの意見も「今の視聴者層あなたの考え方は合ってないので、嫌なら見なくて結構です」って言われると思う。俺が老害なのは自覚してるし今テレビマンの考え方と全く違うのは分かってるけどさ、俺は悲しいんだわ。時代の流れなのかな、これ。

で「最後くらいは見るか、誰優勝したか気になるし」って思って23時半にテレビつけたら例の「このあと誰誰は○○するでしょう?」とかいクイズにもなってない謎コーナーまだやってんの。嘘でしょ。「このあと誰誰はスタッフを助ける?助けない?」じゃねえよ、助けられるのはお前たちの方だろ。

昔はこの時間帯にぬるぬる相撲やってたな~とか、最近だと大逆転ピリオドとかあったな~と昔の感謝祭現実逃避をしながら今回も島崎和歌子の「My life is...」を聴いてこうしてグチグチと文句を垂れ流している。

今回はなかったけど、最近は「オールスター後夜祭」という救済措置が出来たので、次回はぜひ開催されることを願っております

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