はてなキーワード: 田舎暮らしとは
今の仕事興味が持てなくてつまらないし低賃金だし田舎だしやめたい。
興味が持てない単調な作業が続くしやめたい。
こいつとは魂の段階から絶対に合わないという人間が同じ場所にいてつらい。嫌な人間がいてもそれなりにうまくかわしていくのが大人というものだろうか。
興味が持てれば残業があっても単調な作業でもそれなりに楽しくやれるのだろうか。
私には特別にこれがしたい!これならどんなにつらくてもやっていけるというものがない。
これから作っていけばいいのだろうか。けど向いている分野とか才能というものもある。
才能のある天才だったら困らずに暮らせるのになあと思う。プログラミングの才能ほしい。
東京に住んだらそれなりの給料で都会に住めるのではないかという思いがあるので東京に一回住んでみたいやってみたいという思いはある。
人間というものに向いていないのではないかと感じ始めている。というか感じている。
和気藹々とかいつも笑顔でハキハキというのが出来ない。そういうのが必要とされていなくてそういう人が当たり前のようにいる職場というものはあるのだろうか。
転職サイトを見ているとみんなキラキラとしていてこういう場所にうまく適応できるのだろうかと考える。やりがいがあってお金さえもらえていれば私はそれでいいのだ。けどそうじゃないらしい。
今の仕事の嫌なこと
・低賃金
・興味が持てない単調な作業
・嫌味な人間がいる
(自分の身の回りの世話を一心に引き受けてくれて金銭的支援もしてくれるうえに精神的にも支えになってくれるまるで理想の母親のような)配偶者が欲しい,という弱音が最近気を抜くと口から出そうになっていることに気付く。そうした弱音を抱いている自分の心の弱さにもはたまた落ち込んでしまう。セックスできる母親,とはよく言ったものだ。私は女性でおそらく異性愛者だが,こうした文脈で弱音を吐くと「セックスできる父親が欲しい」にはならず決まって「セックスできる母親が欲しい」になるのが面白いところだ。現実世界の実の母親は,嫌いではないが格別好きというわけではない。弱音の妄想の中にでてくるセックスできる母親はいつだって理想であり,だから手が届くはずもない。
薄給の身で一人暮らしをしている,という状態はおそらくディスアドバンテージなのだろう。田舎暮らしなので家賃はそれほど高くはない。けれど,一所懸命に生活をしているはずなのに,どうしてこんなに時間がないのだろう。どうしてこんなにぐったりしてしまうのだろう。それはおまえが怠けているからだ,もっとがんばればいいところをなあなあで甘えてきているからだ,と思い込んできた。けれど自分で自分を詰っても何の解決にもなりやしない。高給取りの知人や,同じく薄給取りではあるけれど実家暮らしだったりする人間と会話をする行き場のない黒い感情で心が塗りつぶされていく。友人と会うのがしだいに苦しくなっていく。自業自得,そんな言葉が頭がよぎる。これは自分で選んだ道なのに。
でもがんばるしかないんだ。
がんばろう。
昨日、ひさびさに実家へ帰ったら黒のラブラドールと姪がバタバタと出迎えてくれた。
その瞬間、忘れていた記憶……幼き頃の夏の日を強烈に思い出すことになる。
もう三十年も前の話。
昔は今みたいに血統書付の犬ばかりではなく、
朝早くにラジオ体操を終えて家に帰ると父がいつになく険しい顔をしていた。
どうしたの?と聞くと
「野犬がでたで今から山狩りだ」と父が言う。
「やまがりって?」
「山へ逃げた犬をみなで捕まっえのよ」
捕まえられた犬が殺されることぐらいは幼い私でも理解していた。
そして、父は身支度を整えると山へ犬を捕まえに行った。
メルモちゃんを観て、お昼になって素麺をすすっていると、父が帰ってきた。
そして犬が捕まったことを知る。
「坊主、犬を見に行けっぞ」この時なんとなく嫌な予感がした。
父も素麺を食べてから公園へ行くと鉄棒に縛られたクロスケが低く唸っていた。
「あぁ、(クロスケだ)」
敵意むき出しの顔でこっちをみていた。
父には「一呼吸つく」という習慣が無い。
やることはすみやかに行う。
「犬をいけんすっとじゃっとな?」
「ついて来い」
家から歩いて5分程度の公園のすぐ横にコンクリート護岸の川が流れている。
その川にかかった手すりがない橋の真ん中にクロスケを置いた。
父は持ってきた麻縄の一端を首輪にくくり、反対側をあらかじめ用意してあったであろう
「犬を沈め」
「(!!!)」
いつになく真面目な顔で命令をする父が怖かった。
逆らったら自分が沈められそうだとも思った。
「おおおおおおおお」
私は無言で犬を放り込むことが出来なかった。
声を出し、勇気を振り絞り、犬を橋から落とし、ブロックも投げ入れた。
そしてクロスケは川底へ沈んで行った。
私はおおお、おおおおおと声を出して泣いていた。
沈みながらぎょろっとした目でこっちを見ていたクロスケが怖かったことも思い出した。
昨日……父の四十九日が法要があり、この時の思い出を母に語った。
母は、
みんな12歳の夏に犬を沈めるのだよ。母も父もそうしてきたんよ……と。
そして、今は野犬がいないから沈める犬を探すのに苦労しているとも。
「どうしてるん?」と聞くと、母は恥ずかしそうに笑って、
「それ用の犬を飼っているさ」と教えてくれた。
「田舎は甘くない、田舎の方が排他的」みたいな意見がよく聞かれるが、これも薄っぺらいよね
どちらも本当の田舎を知らず、先入観だけで言ってるのがばればれでさ
いや、一定数、ほんとに田舎でつらい思いした人、田舎でめっちゃいい思いした人といるとは思うよ
アサイチのこれ
これもなんか知らずに言ってる人が半分以上いそうな感じ
俺は東京、大阪、福岡市、人口10万人の田舎 (県庁所在地まで高速で一時間、その地方の中核都市までは新幹線で一時間)、
それから地方の県庁所在地 (都会か田舎かなら都会だけど、田舎はすぐそばにある)、ロンドン (ある意味一番都会) に住んだ経験がある
田舎の良いところ
・住居費、生活費が安い、車必須を差っ引いても断然田舎の方が生活費は安い
・子育支援政策が手厚かったりして、小さいうちは子育てしやすい
・食べ物が美味しい (ただし、洋菓子やフレンチなんかはあまりいいのがないかも)
・多くの人が現状変更を望んでないので、自分も暮らせる以上に頑張る必要がない
・広告や人を目にする機会が激減するので、物欲が刺激されず、消費行動がぐんと減ってお金が貯まる
・田舎は人付き合いが大変、とか言われるけど、利害なく道端や店で出会う人は基本優しい、というかおおらか
田舎のつらいところ
・まともな教育環境がないので、子供育てしていいのは小学生までくらいと思う
・仕事がない、または選べないので、妻がパートに出るのもいろいろ難しい
・欲しいものが手に入らない
・というか欲しいものがなくなる
・刺激も欲求も減っていくので、浦島太郎状態というか、若いくせに老後みたいになっちゃう
・店や近所にある施設は当然全て知っているので、新たな発見がない、新たな発見は河原で草むら見てた方がある
・人付き合いが大変、っていうけど、ガチガチの田舎で、集落に家一桁しかない、みたいなところじゃなければ無理して近所と付き合う必要はない。だからこそ、友達はなかなかできない。
・人付き合いしてなくても、近所の目はあるし、噂話はされているようだ。誰に見られてるかわかったもんじゃない。
都会の良いところ
・仕事も、物品も、習い事も、学習環境も、ファッションも芸術も、望めば手に入る
・次々と新しいものを目に入れられるので、アンテナ張ってなくてもいろいろ興味が出る
・現状変更したい人、野望を持った人がいるので、自分もいろいろ頑張れる
・上から下まで将来は幅広く用意されている
・都会も別に優しくておおらかな人はたくさんいる。でもいきなり声かける人は田舎ほどいない
都会のつらいところ
・生活費、住居費、物価がバカみたいに高すぎる。都会じゃ車なんて維持できない金額。
・望んで努力しないと何も得難い。流されて終わり、みたいな人生になりがち
・保育所に子供を預けにくい。小学生までくらいは子育てが大変。
・一つのエリアで全ての用事が終わらない、いろんなものが町中に点在してて、目的に応じて電車移動しなきゃいけない
まあなんだ
当たり前だけど、どっちがいいとか悪いとかはない
田舎に憧れすぎるのもバカだし、同じく都会に憧れるのもバカだと思う
田舎を必要以上に暮らしづらいという必要はないし、都会も暮らしやすさと暮らしにくさが同居してる
つまりだ、都会だから田舎だからではなく、自分にあった街を探せばいいんだ
ちなみに、俺の今までの経験から言えば、神戸あたりがいろいろ便利かつ、商業的にも不便なく、のんびりスポットも芸術スポットもちょっと足伸ばせば飽きるほどあるし、学習環境も京阪神といい大学が揃ってるし、女子大もいっぱいあるし、ちょうどいい感じなんじゃないかと思う
横浜の近郊あたりもいいかもねー
お前のが世間知らずだろ。
月9万入れるってどういう状況だよ?
そいつの生活費それだけなんだったらひとり暮らしより楽だろ。おもいっきりな田舎暮らしなら知らんが。
もし、田舎暮らしなら、逆に9万取る親ってなんなんだ?
それは何の金だ?
家で皆で貯蓄とかしてるなら「入れてる」わけでもないし、そうでもないなら何の献上金だ?
そういう状況なら別だが、そうだとしたら実家暮らしどうこうの話じゃないだろ。
ひとり暮らししてようがそこから仕送りしてる人だっていくらでもいるわ。
そういう状況は全く別だろ。
実家暮らしが楽とかひとり暮らしが楽とか、そういうのとは全く別の問題だろ。
その辺事情があるなら書けよ。
ルミネのやつ、「代理店のオッサンを引きずりおろせ」なブコメに人気が高まっているけど、
いまどき大手代理店のファッション、小売関係のチームに女性が一人もいないなんて、まず考えにくい。
そもそも、ルミネは女性コピーライター・女性フォトグラファーのコンビで「名が売れた」面もあるわけで、その後、突然担当者が全員男だらけになるってことも、普通ないと思う。
サラリーマン的人事とか売上とかそういう体験からしても、ルミネの広告で広告現場や決定者に女性ゼロってのは、ちょっと思いにくい。
それよりなにより、この何年か、特にここの所、散々見てきているじゃないか。「女→女」セクハラは隠然と、当然に存在していることを。
女流作家だってシングルマザーを一方的に攻撃したりすることを。
同人誌で市井の女性に平然とセクハラを行う女性が存在することを。知っているわけで。
そういえば人種差別を容認する女流作家や、それを擁護する女性ジャーナリストなんてのも居たが。それはちょっと置いておいて。
ジェンダーの問題って、同性間でも受け止め方に違いが表れるところが、ある意味とても厄介な面なので、すべて「オッサン」のせいにして思考停止するのが一番まずい。
田舎暮らしの人は、過剰に男女差別に敏感であるがゆえに、時折、逆に女尊男卑に逆転する傾向が見られる時があり、ある種の馬鹿フェミと同じな穴に落ちがちだが
ルミネの広告が、朝から炎上気配でおもしろいのだが、「ルミネの広告今まではよかったのに」と言ってる人が、ブコメに少なからず存在するのが凄く面白い。
ルミネの、話題になった尾形真理子・蜷川実花の一連のポスター群って、ディレクションが当世風なだけで、中身は「男に媚びるためのファッション」の枠内ドストライクじゃん。
あのポスター群って、あまり人前で声高に叫びぶとバカだと思われそうな欲求を、広告的演出でソフィスティケートする、という点において広告として素晴らしい出来だと思うんだけど、
中身は全然、普通に旧態依然すぎる「男好きするファッション」だ。写真が蜷川さんだから一見は男ウケしないデザインになってるけど、
写ってる子が着てる服を見てみたら、さほど冒険的なファッションばかりじゃなかったし、コピーも同様。広告コピーとしては美しかったけど「男に振り向いてほしくて着飾る」という内容が多かったように思う。
私は、ファッションは「異性に好かれる」ためのものであっても全然かまわないと思うし(実際にそういう用途の方が多そうだし)
ルミネはたまに通りかかっても「モテたいOLさん系をターゲットにした駅上ファッションビル」というカテゴリーに入れていたけれど、
尾形蜷川のあの広告見て、ルミネが「自立した女のファッション」を提案してたと、勘違いしてた人が結構いたということ?
ルミネ的には、たぶん、MD見ても中身や軸は全然ぶれてないと思うけど。
元のブログの人は、田舎暮らしだと言ってるのでルミネ見たことないんじゃないか。あそこ、割とコンサバというか、モテ女子コーデ()系のショップばっかりよ。
元のブログの人がルミネ見たことないならまだ(炎上好きだし)しょうがないと思うけど、おそらくルミネで買い物でもしてそうな人が引っかかってとすると、やはり広告ディレクションの力ってすごいねって話なのかね。
尾形蜷川が制作現場にいたかは分からないけど、中身は一緒でディレクションの方向を変えた(親しみ系)にしただけで、こんだけ非難の嵐だもんなぁ。