はてなキーワード: 妖怪人間とは
ご飯食べたらベッドに横になって寝る。
ひどい時はひと口かじってポイとかふつーにする。
食べることすらめんどくさくなってるのだ。
でも浪費はストレスの発散になるのでご飯を食べるという言い訳で無駄に飯を買ってしまっている。もったいない。
唯一全部食べれるのはガムと梅ねり。
もうこれだけでいいかもしんない。
娯楽としてスプラトゥーンとねこあつめのねこを作るキットを持っているがもう全然やらないよね。
スプラトゥーンなんか負け続くと苛立ちすら覚えるから精神衛生に良くない。
やりたいと思って買ったのに全く体が動かない。
仕事で疲れてる?
見た目に気を使うのもしんどくなってきた。
ブスだから周りの誰よりも手間と金をかけてるはずが全然綺麗にならない。
鏡を見るたびに辛くて綺麗に整えてあった前髪も伸ばして顔を隠すようになった。
ブスはデパコスで化粧してもブランドの服を身にまとってもブスでつらい。
でもヒトは見た目が99割って経験則知ってるから頑張らなくちゃと思ってたけどもう無理だ。
人と話すのもしんどい。他人に期待を置くだけ無駄なので必要最低限以外は関わらないことにした。
すると孤独で寂しい。寝ながらワンワン泣いてしまう。もう24になるのに。
コミュ障のくせにいっちょ前な健常者と同等に立ちたいという思いを持ってるから余計生き苦しい。
諦めたらいいのに。
ウー、ガンダー!
うん
無理だな
全部1話見るのキツいね
だが待って欲しい
なんとそのうち大部分が原作付きや二期とまではいかない程度の再アニメ化なのだよ
原作付きアニメなら原作の評判を聞けばどんな作品か分かるからチェックは簡単なはずだ
そして、原作付き、準原作付き(タイムボカン、妖怪人間、アニメガタリズ等)を除けば今期はたったの4本しか完全な新作はないのだ
4本なら大丈夫だよね?
その4本は
Just Because!(ジャスコ?)
VANISHING LINE(ヴェドゴニアみたいなのだと思う)
だ
さあ見るアニメは決まったな
来期のアニメをチェックするのが面倒でアニメ卒業しそうなんだが
https://anond.hatelabo.jp/20170912200445
の増田へささぐ
車内の化粧は多くの人に迷惑ではない理由を書く前に、まず俺の意見というか軽いシミュレーションを書いてみる。
■前提
「電車内では座って、または立って、極力動かずおとなしく到着を待つ」ことである。
女性:
・座席に座っている
・左手に鏡を持っている
・ひざに化粧ポーチを載せている
社内混雑状況:
・case1 アホみたいに込んでる
・case2 ガラガラ
■シミュレーション結果
・case1 アホみたいに込んでる
女性の右に座っている俺:ごそごそとジャマ。しかもぶつかって妖怪人間のベラにならないように気を使うのがストレス(大)
女性の左に座っている俺:同上
女性の前に立っている俺:同上
・case2 ガラガラ
※右・左・前は同上なので略。そもそもガラガラで前は...
・家でやれば?会社でやれば?トイレでやれば?と考えるのがストレス(小)
・おとなしく待てないのか?と考えるのがストレス(小)
■総括
case2のオマケとして「自分と同じように考えてる人のイヤそうな顔を見るのもストレス(小)」も付け加えておく。
皆もこんな風に考えるだろうけど、出来れば炎上メディアに便乗した記事を書いているメディアにはアンケートまとめでもしてもらいたいくらいだ。
ところでまつ毛いじってる女性にぶつかったら、まつ毛全部抜けることもあるの?おっさんだから分からない。
自分的には「ジャマ」「よそでやれ」「おとなしく待ってろ」という考えだが、これは「前提」があっての話。
なので、
> 周囲に迷惑をかけないで済む電車内におけるデフォルト行動は、
「この程度のことを」迷惑だと思っていない。そもそも周囲に迷惑をかけても構わない。
> 「電車内では座って、または立って、極力動かずおとなしく到着を待つ」ことである。
お金を払っているのだから、誰かに何か言われる筋合いもなければ、決めるのは自分である。
とか思っているのかもしれない。
少し過激に書いたけど、一部でも同じ考えなのであれば、それはもう「前提が違う」に等しいと思う。
「都会の女性はみんなキレイだ。でも時々、みっともないんだ。」
というキャッチも、東急線通学日記の「わたし」視点というか主観でしかない訳で、
前提が違う化粧している女性、また前提が違う意見の皆さんからすれば、共感できなくて当然だろう。
「わたし」視点を世間一般視点として捉えて広告を打った故の炎上騒ぎな訳だ。
そう、もはや車内の化粧は多くの人に迷惑ではない。
「少し過激に書いたけど」は全然過激ではない。それは俺視点だ。
これが今の前提なのだ。
もっとも意見が真っ二つに割れている今は言い切れはしないんだけど、あえて言い切ってみる。
俺は「この程度のこと」と考えている「前提が違う」方は、考えを改めてほしいと思っている。
なので、東急線は謝罪とか差し替えをしないでもらいたい。もっとこの件の認知を広めてもらいたい。多くの人に考えてもらいたい。
今の皆が思う前提を、もっと周囲への配慮がある前提に、常識を変えてもらいたいんだ。
「この程度のこと」と考えている「前提が違う」方に言いたい。
あなた方の考えはもはや少数意見ではないが、それが世間一般常識となっては危険なのだ。
もしこのまま「この程度のこと」という事で車内迷惑と思わない方が増えたら、「この程度のこと」がどんどんエスカレートして、
電車内で化粧。この程度のことだし。
↓
↓
もう電車内で市長や区長がフライングパイルドライバーをかますしかない!
となりかねない。
頼む。考えを変えてくれ。
まずは車内で化粧は迷惑、という考えに。
http://anond.hatelabo.jp/20160617143210 は、この事件を知らなさそうだが。
ある中学校で家庭に大問題のある生徒が、いじめをしていたんだ。そいつはヤンキーというわけではなく、頭がよく優等生だったんだけど。
先生がそれに気づいて色々対処しようとして、結局そいつは逆にはぶられることになっちゃうんだ。
そこでなんやかんやでソーラン節を文化祭で披露することになって、そいつをセンターに置こうとしたんだな。
クラスの団結は高まっていくんだけど、何度も言うようにそいつの家がもう最悪の最悪で、まわりまわって、思わずソーラン節教えてくれたじいちゃんを刺しちゃったんだなぁ。でも団結を強めてたおかげで、クラスメイト一丸になってそいつを支えていくことができるようになったんだ。
その中学でそういうことがあって、そのあとも転校性のソフトバンクの長女の学年の時にその先生の息子が白血病になってな。
その時に前述の問題あった生徒が、その息子を励ますためにもソーラン節踊ってあげろと頼んで一斉に踊るんだ。
そのあとの後輩生徒もまた問題でな。なんと薬物に手を出してしまったんだよ。元々父親がやってたんだよな。
で、母ちゃんノイローゼでそいつを殴るわけ。逃避のために薬にのめりこんでいくんだよ。おかしくなっていく友人に口出ししたやつが居て、そいつのせいで父ちゃん逮捕されちゃうんだけど、それを責められてその友人、家から飛び降り自殺しちゃうんだよな。平成でJUMPしたいと思ったのかも。だからそいつ自分を責めてさらに薬にのめりこんで、もう大変。
その年も、継承するようにソーラン節を踊ってたんだ。まだ優しいころのアイツがセンターで踊ったんだよ。
だけどそいつ、薬がバレて捕まっちゃってな。本当にかわいそうなやつなわけ。
だからそいつが刑務所行くときに、河原でみんなでソーラン節踊って見送ったわけ。
そのあともなんかソーラン節は続いてたんだけど、その評判がどういうわけか全国に広まってな。
半口の開きっぱなしとか
音を立てて食事をするとか
こっちから声かけないくせ仲良くなったらすぐ馴れ馴れしくなるとか
いや中学生の頃の自分の話なんだけど、とにかくそういうのが10年以上経っても染み付いてたり引きずってたりする。
そしたらいくら勉強したって社会に入れないか、入れても馴染めない。
そもそも回りから人として対等に扱ってもらえない。
檻の中の猿とか、見るけど直接関わりたくないみたいな、そんな感じで見られてる気がする。
「増田さんって面白いですね」という言葉が褒め言葉ではないと知ったのは、本当に最近の話だ。
戸愚呂弟
お前もしかして、まだ自分が死なないとでも思ってるんじゃないか?」
を思い出しました。
えー、今の日本の制度だと、日本ていうか殆どの先進国だと、住所と定職の両方をもってないと非人なんです。
両方持たない場合は、本当は死ぬべきだけど、可哀想だから死なないでもいいですよというレベル。
住所がないと定職につけず、定職につけないと部屋を借りられずですんで。
住所偽って仕事を探すか、仕事を偽って部屋を探すか、この法治国家で法の外で生きるか、或いは生活保護のような慈悲で飼われるか。
片方でも持ってないと、相当にヤバい。
お前の価値の9割は、住所があるということ。
27歳でバイトだろ?
人間一歩手前の妖怪人間だと思うくらいに、危機感持ったほうがいい。
学歴の価値なんて、家電に例えれば、安心の国産、くらいのもの。
で、既卒だろ?
リサイクルショップに流れた型落ちの新古品みたいなもんじゃん。
少し言葉が過ぎた。
でも、これだけは真剣に聴いてほしい。
30職無しになると、一気にハードルが上がるぞ。
http://anond.hatelabo.jp/20130619231753
モテるとかモテないとかではない。ただ無価値であり無碍に扱われることだ。
他人に価値がないのは誰だって同じだろう、ようはSEXしたいんでしょw、よく飛び交う言葉だが、まあそのとおりで、子供の頃の話だよ。
大人になればどうでもいいさ、社会的な我々は誰だって平等であり、自分の価値をアピールしなければ他人に関わることすら出来ないのだから。
強制的に半日、30~40の人詰めの箱のなかに閉じ込められて、共同生活を強いられる。社交辞令も保身も知らないために残酷で、動物のように群れを作る子供な。
居ただろ。何かにつけてキモいと言うやつ。
子供の遊びで、イジリだったのかもしれないけども。
黴菌扱い。触らないで、菌が付くからw
申し訳ない、存在して。
給食配らないで、触らないで、なんでそんな酷いことするの?
誰だってやっただろう。私だってやったと思う。清廉潔癖ないじめられっ子なんていないんだ。
確かに笑わなかった人もいたが、黴菌はクラスか学年に1人くらいなので、消毒される側から見れば誤差なのだ。
思春期。
だいたいルールがわかってくる。私のような人間は、人格の自由度が低いのだ。
気持ち悪い、存在が不快、デフォルトではそのように扱われている。
自然な成り行きとして、一等低く無碍に扱われる。
仕方ない。これはそういうことになっているのだから。別に差別でも偏見でもない。
従って私は、妖怪人間だった。
外形的な気持ち悪さから来る性的価値の低さという、社会性におけるディスアドバンテージを抱えているので、埋め合わせなければならなかった。
思春期同年代が構成する市民社会からの排斥を受けないために、彼らに要請された私を演ずる演技。
今で言うリア充、一段下げて一般的な未成年が、同年代の中で取る態度。
人並みに感情を表に出したり、遊んだり、色気づいたり、あるいは恋愛について話したり。
残念ながら、私の行うそのような態度は、思春期同年代にとって異物であり、共感の外である。
思春期とは性的な時期であり、それを通じて社会性を育む性徴期。
思春期の社会的な関わりにおいて性は重要であり、だからこそ保健体育は古くよりあり、最近では日本社会でもセクマイ概念などが教育に取り入られ始めているわけだが、しかしながら、セクハラ概念が示す事実は、自身の性的身分を超えた性的な態度は嫌がらせである。
運動会のフォークダンス、遠足の二人組、給食当番、席替え、班作り。
社会性も、性愛観念も未熟な時期に、同級生が露骨に示したその態度。
それは社会の要請であり、学童期よりも幾らか高度化した義務教育課程で学ぶ、ひとつの実習だった。
必要なのは、性的に老いること。オッサン臭いというか、ババアというか。
老人ではない。老賢とは別物だ。
完全に枯れているわけでもなく、しかし肉体は老いており、故に独特の醜さを発露する。
気持ち悪い性欲の象徴としての中年。
自らの不快さを理解しているからこそ、弁えを知り、抑制されて、節度を保った憐れな中年。
私は老いてはいなかったが、印象的に気持ち悪かった。
それに思春期らしい子供の欲求を捨てきれず、また賢さもなかったので、老人にはなれなかった。
明るく溌剌と多感な周囲について、人並みに感心はあり、またそう有りたくもあったが、表に出してはいかんのだ。
私には分相応な態度、人格が決められている。
私がどのような人間なら、理解しうる人間としてシンパシーが得られるか。
声に出す者も居たし、出さないものも居た。
やがてどうでも良くなる。
人間関係という蜘蛛の網に絡み取られて、私に向けられた他人の視線が、あるべき態度を規定する。
必要に応じて演じた態度が、人格として身についていき、成人する頃には私という人間性が確立される。
根底に身についたのは諦念であり、どうでもよさだ。
しかしながら、それでも時々思うのは、性的価値が人並みにあるものが羨ましい。
凡夫であり、賢くもない、一般的成人である私は、人生を冷徹に見つめる達観も得られなかった。
もちろんSEXに興味はあった。
だが、それより今は思うのは、子供の頃に子供らしく過ごしたかった。
思春期の頃に平均的な思春期らしく自分の日常を過ごせれば、もう少し、何か違ったかもしれない。
いや、私は平均的なのだろう。
私が送ってきた人生こそが、実にありふれた性的無価値者の日常だった。
幼児期から始まる社会での私の立ち位置が、私の内面を擦り減らし、予定された枠組みに相応しい人間性を形成したのだ。
あの頃諦念に師事しなければ、もう少し何かが違ったのかもしれない。
現実が過ぎ去り記憶になると、もっとうまく立ち回れたのにと後悔することがあるにはあるが、まあ、それよりも、私は随分頑張ったと思う。
はっきり言って、重苦しかった。
あの頃の私にはそうする他なかった。
これこそ単なる諦念なのかもしれないが、常に近くにあったが決して得られなかった同年代の日常は、私にとって眩しかったが、あれこそ他人の物であり、これが私の人生だった。
内面と演技のアンバランスの抑圧にフラストレーションを沸き起こしていた精神も、加齢によって安寧となってきた。
何かをこじらせているわけではない。
こじらせ系とは似て非なる、直道だった。
混ぜ返しと言うのかわからないけど
http://anond.hatelabo.jp/20110826104529
おれの爺さん、
ヤクザの元締めみたいな家から「こんな稼業継ぎたくねえ!」って勉強して旧帝大入った人で
以後の一族の高学歴化の基になったんだが
名前が「賢一」だ
話自体がちょっと面白いしさ。「へー」っていう。
君のこれってただのムキになった子供の屁理屈みたいで何にも面白くないわけよ。
なるほど。
おまえのとーちゃんジーンガイ!
早く人間になりた~い。
トリック部分が言い掛かりみたいで出来が良くない割りに
書き手の興奮や敵意ばっかりが前面に出てるのも読む人間をうんざりさせる。
もしサラッと「つまり人志のかあちゃんは妖怪人間…」ならちょっとは面白かったかもしれない。
「センス無い」って言われての反応
ではセンスのあるまぜっ返しをここはひとつ
http://anond.hatelabo.jp/20080730003023 の続き。
正直、辛いことばかりだったけどそれでも今の幸せをかみ締めると、このときのためにあの苦労があったんだなって思えてくる。
二人でいると、あせるばかりだった自分の心が落ち着いていくのを感じるし、癒されるっていうのがマジでわかる気がする。
愛に生きるとかそういう奴らの気持ちがわかるっていうか。
自分が人生の主役だって本当に思える。何があっても一歩も引かないで立ち向かえる気がする。
かのじょに言ってみる。自分は悪い奴でそれでもいいのか。つきあってくれているのか。天罰が下るんじゃないのか。そんなことをよく考えているんだ。彼女は言う。そんなの関係ねーよ?それより私は、と言ってうつむいた。
なんだろう、と思って彼女に近づくとゆっくりと顔を上げてこちらを見てきた。びっくりした。
彼女は妖怪人間だ!正体を隠していたのだ。こりゃあびっくり仰天だ。
だがしかし俺もハンターハンターを全巻そろえるほどのハンターメィニアだ。ここで下がるわけにはいかない。人生背水の陣だ。
渾身の一撃は空を切り、俺はすっかり疲れてしまった。もう全精力を使い果たした。もう駄目だ。逃げるしかない。
そう思って駆け出すとわなにはまった。しまったこの家のドアはなぜ鍵穴が内側にあるのか不思議に思っていたがこういうときのためだったのだ。逃げ出すしかないしかし逃げられない。これが有名な孔明の罠か!もう絶望するしかなかった。どうしようもねえ。
そのとき俺の心の中であの有名なせりふがよぎった。「あきらめたらそこで試合終了ですよ」
そうだ、あのとき俺は…!バスケの審判をやっていてなんか選手がぶつかってきていてえいてえと思っているとケンタッキーみたいなおじさんと中学の選手がそんなことを言っていてちっとも俺にあやまられねえなんだこいつらこれがゆとりかこれが団塊かと思ったものだ。
☆
それに比べればこの辛さがなんだというんだ。俺は全力で試験に臨み、そして圧勝した。
「ありがとうございます。しかし、この試験にどのような意味があるのですか。私には全く関係ないように思えますが」
エヌ氏は言った。
「一見無関係に思うかもしれないが、わが社は跳び箱の神に守られていて社員が定期的に跳び箱をすることで危機を乗り越えてきた。なぜって、世の中には説明のつかないことがある。私たちにもわからぬ。だがそれでうまくいっているのだからいいじゃないか」
「なるほど。そういわれてみればそうですね」
おれは将来の夢を希望に満ちた思いで、想像しながら跳び箱を見つめていた。跳び箱が笑った気がする。
これが社会に出るということなのか、と狐につままれたような気持ちだった。
完