はてなキーワード: 呼び方とは
はてな匿名ダイアリーなる物を見つけ見てみたらなんと結構人々のホンネがカキコされていて驚きΣ(´∀`;)ナントォ!!
特に印象に残ったのは同人を辞められない人の話。自分の創作物を楽しんでもらった快感から同人が辞められないとか。
書く云うワタシも同人をやりたい(そして副収入にしたい)が為に5ヶ月ほどデッサン教室に通っているクチだが、如何せんいつになったら人物が上手く描けるのか見通しが一切立たない始末。
コレハスゴイ ヮ(゚д゚)ォ!
だって同人って儲からないって聞くじゃない?( ´゚д゚)(゚д゚` )ネー
だから道の途中にいる(そして金の亡者である)ワタシ的には結構な勇気を頂いたワケだ。
何よりも、同人という趣味に理解が無かった恋人から4年間かけて理解を得る事ができるようになったとかとても凄いことだと思う。
そんなワケで はてな匿名ダイアリー anonymous diary 別名"増田" (どうでもいいけどこういう呼び方ってカッコイイよネ)
そして、時折見返しては
(;'A`)ウワァァ!!
ってなったり
ε-(´∀`*)プッ
ってなりたいと思うのさ。
ってことで、一つよろしく。
( ´Д`)ノ~シクヨロー
そもそも「おばちゃん、おっちゃん」って丁寧な言葉じゃないでしょ。
親しい相手ならともかく、大して親しくもない赤の他人に対しておばちゃん呼ばわりは失礼。
「私はおばちゃんじゃない!もっと若いわ!」とかじゃなくて、丁寧さが足りない。
相手がおばあちゃんだろうがおばちゃん呼ばわりは失礼だし、父親や祖父相手におっちゃん呼ばわりだって失礼だよ。
「(名字)さん」が正しいけど、名字覚えてらんねってなら「〇〇ちゃんのお母さん」か子供目線で「〇〇ちゃんのママ」が無難。
田舎だから皆顔見知りでそういう感覚ないんだろうけど、都会で赤の他人をおばちゃん呼ばわりしたら
「私はおばちゃんじゃない!もっと若いわ!」じゃなくて「この人距離感ないの?そんな呼び方されるほど親しくないんだけど?」になるよ。
支給対象はとりあえず20から25歳の男性、それ以上は多すぎるのでとりあえず除外
支給する割引券の割引率は半額から8割程度で2、3回分、全額支給でないところがポイント
割引券貰っても使わない人は予備軍からとりあえず除外
ガチでレイプ願望のある奴は、風俗嬢相手なら仕事だし何をやってもいいだろうという思考になると予想する
だから利用者の中でマナーが悪く暴力的だったやつだけ風俗店から警察に通報、今後マークしてもらう
市井の誰かが被害にあうまで性犯罪者予備軍が潜伏するよりは、風俗嬢に人柱になってもらうわけだから
ネットなんて匿名の吐き溜めなんだし、一人称なんてどーーーだって良くないですか?
俺女、僕女は嫌われる。
思うに、それらが嫌われるのは「一人称『俺』だけど女ですー!」みたいなアピールする存在がいるからではなかろうか。知らんけど。ギャップ萌え狙ってるのか?
それってもう、女が使う「俺」「僕」に対する嫌悪じゃないよね。
幼い頃から、自分の名前は一人称に相応しくないと思い込んでいた。
親は、ぼくを名前で呼ばない。
それは別にネグレクトだとかモノ扱いだとかそういうことではなくて、具体的には言えないけれどとにかく名前では呼ばれなかった。
このことは友人からもたまにからかわれていて、ぼくとしても恥ずかしいのであまり言いたくはない。この友人は後にぼくが「私」と言えなくなった原因の発端に少し関わってくる。
皆、苗字でぼくのことを呼んだ。
クラスに必ず何人かはいる、「ああ、そう言えばそんな名前だったよね」って人種だった。親しくない訳じゃあないんだ。
読みづらい訳でもなく、むしろこれ以外の読み方はできない、ってくらい分かりやすい名前だ。
ひと目で女と分かる名前。
この精神を病むことになった原因に、さっきの友人が絡んでくる。ぼくは今も、この人が苦手だ。
また学校へ通うようになっても、スクールカウンセラーと、ではあるが定期的にカウンセリングを続けた。
何かしらの病名がついた訳ではないが、後から思えばあの時のぼくの精神状態は最悪だったし、おかしかったとも思う。
膨らんだ胸も、柔らかい身体のラインも、生理も、高い声も、女性らしくあることを強制されること(校風としてはむしろ女である前に一人の人間であることを尊重されることが多かったように思うが)も、嫌でたまらなかった。
ひと目で女と分かる名前も、「私」という一人称を使うことも、苦痛で仕方なかった。
奇しくもぼくが通うのは女子校であり、周りには女子しかいなかった。
これが共学であれば、自己を自己たらしめるものが他者であるように、男子という存在によってさらに自分が女であることを意識してしまっていたかも知れない。
だが、友人たちのはしゃいだ高い声にすら苛立ちが隠せなかったこともある。
とにかく、「私」と言えなくなったぼくは、自分の苗字を一人称とすることに逃げた。苗字に「さん」を付けて呼ぶこともあった。
漢字で機械的に記された自分の氏名を見ると、それが自分のものではないようにすら思えた。
ほとんど時を同じくして、ネットの世界で辿り着いたのが「ぼく」という一人称だ。
本当の自分とは全く関係のないHNを使っているので、その名前を一人称とすることもあったが、「ぼく」と言うのがしっくりきた。
本名への嫌悪感からかHNに「ちゃん」を付けて呼ばれることはどうしても受け付けず、誰かと仲良くなるたびに、それ以外の呼び方をして欲しいとお願いした。
ジェンダーとしての女性のステレオタイプを押し付けられることには少し抵抗を覚えるけれど、身体への嫌悪はなくなった。
それでも自分の名前を好きにはなれないし、公的な場以外で「私」とは言いたくない。
理解しろ!!! と大声で主張することはしないが、私的な場面でのそういった選択の多様性に対して、もっと寛容な世界になれば良いのになあ、と思う。
正式な場では男も女も「私」と言うんだから、と指摘する人がいるが、嫌いなものは嫌いなのだ。
ぼくはネットの中の人物としてのパーソナリティを持ってはいるけれど、それは現実世界のぼくとは別人だ。
……という文章を発掘し、懐かしくなったのでここに葬ることにする。
まさか自分が不倫をするとは思わなかった。しかもそれが2年半も続くなんて、想像もできなかった。
ニュースで、不倫が原因で仕事を干されたり、活動休止を発表する有名人の話をよく目にしますよね。そういうニュースを見ても、自分の身には関係のない、理解も共感もできない話だと思っていました。
夫(当時はまだ彼氏)とのセックスに不満はあったけれど、一緒に暮らすのは楽しくて、別れるつもりはなかったし、他の人となんて考えられなかった。
でも、「その時」は簡単に訪れた。
そうなることが当然であるかのように、台本でも用意されていたのではないかと思ってしまうくらい自然に、私は他の男の人とも寝るようになった。
セフレといえばそうかもしれないけど、その呼び方はどうもしっくり来なくて
私が結婚してからは不倫なのだけど、その呼び方もしっくり来なくて
人に話したことはないけれど、誰かに説明するとしたら、そういう関係と言わざるを得ない男の人が、私には3人いる。
昔からしゃべることが苦手な私は、自分の気持ちを言葉にするのがすごく苦手で、というか、そもそも自分がなにか感情を抱いているのかどうかも分からなくなることが、よくある。
結婚して挙式や新婚旅行を終えて落ち着いた今、自分の将来をどうしたいのかが分からない自分に(今さらながら、改めて)気がついた。
彼氏(夫)以外の男性と会うようになってから、本当に自分でも驚くくらい、毎日、身体も心も満たされている感覚がある。純粋に恋愛を楽しんでいるような、味わったことのない感覚に恍惚としていた。それは、彼氏(夫)といる時にはなかったような新鮮な刺激だった。
一方で、彼氏(夫)と暮らす毎日は、それはそれで別の次元で幸せである。何が幸せかというと、「衣食住の価値観が合う」「頼れる」「かわいがってくれる」ということに集約されるような気がする。とても楽で、とてもQOLが高く、なによりも幸福を感じられる。
性的に満たされない、という部分を除いて。
このままでいいわけがないと思いつつ、このままでいたいような気もしていた。
普通じゃない道を進んでいる気もするし、よくある話のような気もした。本能的には、間違っていないような気さえしていた。
今の自分をちきんと捉えて言葉で整理しないとどんどん苦しくなる気がして怖くなった。
自分の言葉で考えるのが苦手な私は、世の中に溢れる情報の中に、答えを求めたのだった。
恋愛系のお悩み相談ブログとか、分析系の記事というのはネット上に溢れていて、そういうものをいくつか読んでみたり、専門家の本を読んでみたりした。
「 不倫 なぜ 」とかってひたすらググった。笑
一番しっくりきたものとしては、
「人はなぜ不倫するのか」という、様々な学問の専門家にインタビュー形式で不倫について語ってもらうという内容の新書があり、次のような話が載っていた。
女 =メスにとっては 、 「グッドジ ーンとグッドダディ (よい遺伝子かよい父親 ) 」は両立しにくい問題です 。だからこそ 、適当な男を確保しておいて子を産み 、あとから別の男と浮気してよりよいグッドジ ーンを取り入れるメスがいるのはうなずけます 。本来 、女にとっては夫よりいい男との子を産むことに躊躇はないはずですから。
モテる男の要素として"good genes, good dad" という考え方があるらしい。
この考え方は恋愛工学という類の書籍でも目にした。提唱者が誰なのかは分からないけれど、不倫をしている(夫がいて、夫以外にセックスするパートナーがいる)私にとって、今の自分が揺らいでいる根本的な原因を言い表しているのはこれだ、と思った。
つまり、私にとって夫は圧倒的にグッドダディであり、不倫相手は圧倒的にグッドジーンなのだということです。
そういうことか・・・
と納得するうちに、今の自分が何をしたいと思っているのか、分かってきた。
そしてそれはとんでもなく恐ろしいことだった。
グッドジーン、グッドダディの話を読む中で、自分の中でもやもやとしていた思いが言語化されていくのを感じた。
グッドジーンである不倫相手の子どもがほしいという気持ちが自分の中にあることを、はっきりと自覚したのだ。
しかもその子はグッドダディである夫と一緒に育てたいと思っているということにも気付いた。
自分の気持ちに素直に向き合って、言語化してみると、恐ろしい本音が浮き彫りになった。
そういうことか。
なんということだ。
たしかにそう思ってるかもしれないけど、
自分の気持ち、望んでいることをようやく言語化することができた。
そんなの、隠し通せる気がしない。
結婚しなければよかったのだろうか。
この先、夫とも不倫相手ともうまく付き合っていく方法はないのだろうか。
より深い迷宮に
足を踏み入れることになったような気がする。