はてなキーワード: 不老不死とは
ワクチンの効果を否定する「反ワクチン」の人々や、地球が平面だと主張する「地球平面論者」は、科学的な常識を知らないとして馬鹿にされている。
私は反ワクチンでも地球平面論者でもないが、彼らのことを馬鹿にする気にはなれない。
なぜなら、私たちが知っている一般常識は、先人たちが発見した、現時点でおそらく正しいと思われている事実にすぎないからだ。
一般常識には、先人たちが発見し、その知見が多くの人に知られた結果常識になったものが多い。知見の発見は一部の賢人の功績であって、他の人はその恩恵に与っているだけだ。
私は今までの生活でワクチンの効果について実験したことはないし、地球が球体であることを確認したこともない。(地平線は丸みを帯びて見えるが、球体かどうかまでは分からない。)
自ら実証せず、盲目的に常識を信じているだけの状況なので、「その常識は正しいのか?」と問われても「正しいと聞いたから正しいと思う」としか答えられない。
また、常識と言われていることも、必ずしも正しいとは限らない。あくまで、ある時点で最も正しそうに見えるものが常識といわれているだけである。
水銀を不老不死の薬として飲んだ中国の皇帝、天動説を信じた中世ヨーロッパの人々は、おそらくそれが最も正しいと思ったのだろう。私たちが正しいと信じているワクチン接種も、もしかしたら未来の世界では有害性が指摘されているかもしれない。ある時代の常識が、後の時代で否定されることもある。
私は一般常識を信じている側の人間だが、常識を聞いたことがあるだけで自分で実証したわけではないし、その常識が正しいとも言い切れない。「自分は科学という権威を盲目的に受け入れているだけの凡人だ」という自覚があるので、自分が一般常識を信じていない人よりも優れているとは思えず、彼らを馬鹿にする気にはなれない。
先日、ピッコマで「北斗の拳」が1日限定全話公開してたので読んでみたんだが、本編はもちろんのこと、時代を感じる部分があって面白かった。
一気読みなのでうろ覚えも多くてすまんが、平成生まれのオタクから見たジェネレーションギャップをまとめてみる。
・男女の区別がはっきりしてる
男とは!女とは!というカテゴリで括られていて「男に生まれたからには」「女としての幸せは」みたいな性別による話が多い。基本的に男が戦っていて、女は戦わないし、戦っても弱い。進撃の巨人とかキングダムみたいな強い女は出てこない。(ユリア実はめっちゃ強いかと思ってた)
基本的に「女子供」は絶対に殺してはならず、守るべき存在。殺すのは相当な外道というポジション。「女子供を殺す奴は人間じゃねえ」って主人公サイドが言ったり。「俺は女でも殺すぞ!」みたいな脅し文句を悪の象徴として使ったりする。鬼滅では老若男女が喰われているが、女子供を喰っていることだけに非難が集中するわけじゃない。子供に対する不可侵はまだありつつも、薄れてきている感覚かもしれない。
・男は守ってもらえない
ヒーローと一般人という区分よりも、男と女子供という区分が強いので、男である限り一般市民でもあんま守ってもらえない。妹を人質に取られると兄は必死になって助けようとするが、それが弟になると「あいつにも死ぬ覚悟ができている」とか言って助けないパターンになる。男に厳しい。悪役に殺されるモブも男ばかり。男が殺されて女子供が殺されそうになった頃に主人公が助けにくる。男も助けてくれ。ヒロアカで女子供しか助けてもらえなかったらすごい違和感ある。時代なのか?
舞台は世紀末だけど性暴力的な言動や描写がほぼない。美人キャラ捕まえた悪役がいうセリフも「美人を捻り殺すの好き」みたいな感じで「俺のものにしてやるゲヘヘ」みたいな感じじゃない。誘拐しても無理やり襲わない。最近の方がそのあたりはエグい。
ビンタしないし文句言わないし口数も少ない。平成の暴力系ツンデレヒロインとは違う。多少の反抗はありつつも基本は受け入れていく姿勢で寛容。ユリアは母性が強く、みんながそこに惹かれている設定なんだが、それを大々的に語られていることが衝撃だった。周囲に「母性に惹かれてる」って思われるのってあの時代的には普通なのか?恥ずかしくないのか?「あの人、ユリアの母性に夢中なんだね」って言われるんだよ。性癖みんなに把握されてるようで自分なら取り乱す。
・命より誇り
かっこよく死ぬ!というスタンスというか。命よりも誇りを取る。掟とか伝統もかなり大事。美学に命かけてる感じ。昨今の作品はわりと命を大事にしている。主人公サイドは特に「掟を守って死んだら元も子もないねーだろ!?」みたいな型破りが多い気がする。北斗の拳ではかっこいいやつほど命をかけてるので、メインキャラがばんばん死んでく。死ぬペースも速い。
・親子の親は死亡フラグ
父親はだいたい死ぬ。母親もときどきしぬ。親が死んでも、子が受け継ぐみたいな価値観が強そう。親子キャラだから死なないだろ、主人公が助けてくれるはず!みたいな前提で最初は読んでたけど、最後の方は子がいるってことは死にそうだなと思うまでになった。最近の漫画や映画は子どもを一人残して死なないパターンが多いかも?
・ラスボス系が子孫を欲しがる
カイオウが「子をなす」ことを望んでいるのが意外だった。DIOとかヴォルデモートとか鬼舞辻無惨とか、ラスボス系は不老不死になって自分が永遠になる!みたいな思考が多いので。子供を作って受け継ぐみたいな人間的な営みを望むのが意外。上記の親子の価値観と近いところがあるのかも。
脳や肝臓など(現時点の理解では)大体不可能や一部の臓器を除いて体内の器官を人工化し悪性新生物のリスクを下げ、人類の寿命を飛躍的に伸ばすことを目標としていた。
最終的に肝臓含めた全ての臓器や器官を人工的なものに置き換えることができれば寿命は飛躍的に伸びる。
脳すら人工物に置き換え、記憶や思考のバックアップに成功すれば我々は死の恐怖を克服することができる。
人生の時間が長くなれば、それだけ人生で体験する幸福の総量は上がる。
加えて、基礎医学、臨床医学、分子生物学、計算機工学、ナノサイエンス…
あらゆる分野の研究者による共同研究が前提となっている新しいテーマであり、学問研究の場の閉鎖性や権威とは縁遠いものであった。
当初は治療と並行しながら研究を続けていたが、治療の負担が大きくなったことから研究を辞めた。
研究に専念できない自分がポストに座り続けることに自分自身で納得できなかった。
虚しい。
100年、200年。
いや、500年でも1000年でも生きたい。
Xでお酢がぶ飲みポストを見て「アルコールを常飲してると酢酸をブドウ糖代わりに使うようになって酢を好むようになるみたいな話を聞いたことがある気が…」とポストしようと思い調べたけど個人ブログみたいなのしか見つけられなかった。
反射的に情報ソースがないにも関わらず情報を拡散しようとしたので人間の本質は水銀を不老不死の薬だと思って飲んでた頃からあまり変わらないなと思いました。
しょうがないな、俺様がお前に昔からある正当派のあたまのおかしくない料理漫画を紹介してやるよ。
というのは以前のシリーズとだいたい同じではあるんですが、前は炒飯を投石機で投擲するくらいだったのですが最近は本当に不老不死になっちゃったりとか、マオシン師父が寿司を握ってしまったりとさらに高みを目指しているところではある。
一応時代的に寿司があってもおかしくはないという謎に細やかなところも注目だ。
というわけで寿エンパイア!
序盤は同作者の過去作バンビーノと同様に若き才能あふれる寿司職人である主人公が名店で苦労する・・・というような内容だがコンテスト編で自分の出生の秘密とかを探りはじめたあたりから様子がおかしくなる。
ミステリアスな天才寿司職人と対決するうちにその男が実は江戸時代から生き続ける寿司漫画界の鬼舞辻無惨だということが明らかに!
さあどうする!
料理喰ったら不老不死になるくらい普通じゃね・・・なんかこないだやってたドラマでも歯がはえたりしてたよ?とかいう?ならタイムスリップだ!
天才料理人ケンが織田信長の元にタイムスリップ!多彩な料理知識と歴史知識をもとに無双する!
当初はなんか結構気を遣って歴史を変えないようにとか考えていた節があったけど、長期連載となることで現代への帰還をあきらめ現地の女と結婚したり、積極的に歴史改変に動くなど斬新な内容に。連載追ってない私がいうのもなんですが遂に完結したらしいのでその結末をお前も確かめろ!
再生治療がドンドン発達してるけど、このペースだとあと30年ぐらいしたら脳の再生治療も可能になる気がするんだよね。
脳みそから記憶や意識を移植するのもマッピングが進めばテセウスの船方式でなんとかなるんじゃないかなと。
培養した脳みそを今の脳みそに対しての外部記憶装置みたいなかんじでくっつけて、2つ分の脳みそで記憶の共有が進んでいった所で少しずつ古い方の脳みそを減らしていくとかで。
そんでまあそうやって再生医療が出来るようになると、富裕層が擬似的に不老不死になるんじゃないかって思うんだよね。
市民には絶対に手が出せないウチはいいけど、めっちゃ頑張ってお金貯めたらなんとかなるようになったら世の中マジで狂っていきそうだなと。
何が問題って、自分が不老不死になるのと子供を作ることを天秤にかける人が出てくること。
これは恐ろしい死生観の変化だよ。
めっちゃ発展したとしても「子供を私立に行かせるのを諦めれば自分が人生をやり直せる」みたいな選択が出てくるようになる。
という話が描かれたSF小説を教えてくれ。
GPTやBINGに聞いてみたんだが、カスのような回答しか出てこなかった。
単なる不老不死をテーマにした作品を教えられても俺は困るんだよ。
俺が求めているのは「金を出せば人生をやり直せるようになった社会で、人々はどういう金銭感と死生観を持って社会を生きるのか」であり、それを通して俺は「金銭感覚の根底に根ざすそれぞれの人生観」という現代社会にも通ずる哲学を感じ取りたいのに。