はてなキーワード: はあちゅうとは
何って決まってるだろ、ヤッたかどうかだよ。主なエントリーとブコメ群には目を通したがだーれもそのことには触れず。
まさかはあちゅうの「作業を見つめていました」「延々と褒め続けてました」を素直に信じちゃってるのか?
奴らはやれたかも委員会のへタレクライアントとは訳が違うんだぜ?超肉食のオラオラマッチョウェーイどもだ。
どうせはあちゅうも「伊藤詩織氏のようにレイプされました路線にしたいところだけど、何度も通ってるからレイプは無理筋だ」なんて浅はかな理由でヤッてないふうを装ってるだけだろ。逆に岸からヤりましたなんて言うわけないし、岸は案の定沈黙を貫いたままだ。
「私以外がやってる童貞表現はどうなん?」という糞みたいなお前はどうなんだ論を展開し始め、
まんまと乗せられたはてなーが混乱しつつあるので、表現の自由からこの点について整理しておく。
表現の自由という観点で言えば、「童貞いじり」も表現の自由の範疇であり、地震おっぱいしかり
特定個人に向けてなければそれをやるのも、またそれに対して批判するのも自由、嫌なら見るな、フォローするな
だが、問題はそこではない。
セクハラ要素を含むが、興奮するエロ漫画 (強要系エロ漫画など)
など加害的な表現を現実に影響しない範囲でどこまで許すかというものである。
つまり、それらが加害的な表現であるということが確認された上での議論である。
一方、当のはあちゅうは
「特定の誰かを童貞として笑ったわけではなく、童貞「的」なものについて語っていた」
と、そもそも童貞いじりそのものが(相手が不特定多数でも)「加害的・差別的なセクハラ表現」そのものであることを未だに理解できていない。
これは例えるなら、ある強要系エロ漫画が是が非かを問うているときに
「登場人物の女がセックス中に快楽を得て喜んでいるからこれは和姦表現であり強要表現ではない」
表現の自由以前に、こんな主張をする人間を野放しにしておいたら社会の危機である。
つまり、はあちゅうの童貞いじりが表現の自由の範疇であろうとなかろうと、
「童貞いじりはセクハラである」と認識・理解できてない時点で自らが告発した加害者と同じ思考回路であり、
「童貞いじりは特定個人にやったらセクハラ、不特定多数でもセクハラ表現」
この認識が出来てない以上、彼女は表現の自由の土俵にすら立てていない。
みんながダメと言ってるからやめるのではなく、まずは素直に自分の童貞差別感情と向き合って欲しいと思う。
なお、性的表現をする際の自由の範疇についてはゾーニング論などより深い議論が必要なので後で別にゆっくりやればいいと思います。
今回の騒動って結局
・はあちゅうが嫌われた
で収束したよな。
個人的にはこれを機に、日本の企業内ののパワハラ・セクハラ体質とかが徹底的に糾弾されて、社会が良くなる方向に作用すればいいなあ思ってたんだけど。
はあちゅうのしたこと、管理売春とか、売春斡旋とかにならないのかな
だって、他人のために体を売らされるカタギのお嬢さんでしょう?
普通に考えて年頃の娘さんのいる親御さんは怒るよね?
普通じゃないよ?
まっとうな慶應卒とかのブランドのある女の子のお友達界隈での犯罪行為ですよ
はあちゅうに加担したが最後、男も女もはあちゅうの適切なタイミングで薪にくべられるんじゃないの?
初期のインターネットの、何でもありな風を感じる。
解せないのは、はあちゅうって、ネット初期からいたわけじゃないし、そういうテクな記事を一件も書いてないよね。
でもこういうことをしてるってのは、割と近年、はあちゅうに近づいた人がいたか、はあちゅうの売り方の変遷の1ページを編集した人が(古いやり方的に)うまいってことよね。
よっぴーは一番危ないんじゃないかなあ。一番いざとなったらさされやすいでしょう。
いくら契約を交わしていてもうっかり指が滑って短期間出た記事については、誰も何も「反省してるから許してやれ」以上はないですからね。
はあちゅうの件や漫才師が政治的なネタをやることや、もっというと炎上みたいなことについて。
自分は、「人と人は根本的にはわかりあえないし、世の中は基本的には不平等なものだ」っていう風に思ってる。
海外ドラマのgleeを見てそういうことを考えるようになったんだけど(だからこそポップカルチャーは束の間そこから自由になれるから素晴らしい、と続くんだけど割愛)、そう思うことでだいぶ楽になった。
だから、自分ではどうしようもないようなことで時にいじられたり誹りを受けたりすることについては、悪意のあるなしに関わらず、世の中ってそういうもんだよな、だから逃げたり歯ぁ食いしばったりしないとな、って思うからそんなに根深いストレスにはなってないんだよね。
もちろん瞬間的にはムカムカっとすることもあるけど。
で、自分についてはそれでいいんだけど、自分の発言や振る舞いで気づかないうちに他人のデリケートなところを傷つけてる可能性があるよなって思うと、最近人と関わるのがすごく億劫になってる。
もっというと、自分の意見を表明して他人とコミュニケーションを取ることにとても臆病になってる。
基本的には誰にも嫌われたくない、いい人でいたいっていう気持ちがあって、それを突き詰めていくと誰とも深く関わらずに猫を撫でて生きていくしかないのかな、それでもいいか、と思い始めてる。
そういう風な気分の方、他にもいませんか?
はあちゅうは最悪だし、童貞発言の何が悪いかも自覚のないアホだけど、セクハラ告発は評価できるよ。
「これがはあちゅうじゃなければもっとまともに事が運んでたのに」という気持ちはあるけど、セクハラパワハラが8年越しに告発される可能性があると権力者に思い知らせたのは多分彼女だからこそ出来たことだと思うし、それこそ生半可の一般女性では潰されてもみ消されていたと思う。高橋まつりさんは一般女性だったけど、命を掛けたから取り上げられた。それでも死因としてのセクハラパワハラは放置されたまま。
童貞発言でうんざりしてたけど、今はいっそ童貞を揶揄うことがセクハラになると多くの人が認識することになったなら、それはそれで良かったのではないかとも思う。私は女だけど前から男性が脱童貞に拘りすぎて逆に思い通りにならない女性を傷つけたりヘイト振りまいたりしてるのを見てきたから。童貞でいることのどこが悪いんだ、揶揄う方が幼稚だよ、って世界に早くなってほしい。
tecepe あとで喜んで貰えると思っていったってことで、はあちゅうに「童貞なんで、ばばあやらせてくれ!」って言っても良さそうなのでどんどん言っていくのが良いかと思いました。
lovevoiceryu 唯一はあちゅうに対しては「君はヤリマンっぽい顔をしているね?」と言っても下ネタ、明るく楽しく笑えるのもと解釈してもらえる。さぁ、諸君もはあちゅうに「君はヤリマンっぽい顔をしているね?」と言ってみよう!
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20171220224402
醜悪だな
せっかく(形だけでも)謝ってみんなほどほどに溜飲下げたんだからもう黙ってればのに、納得いってない感まるだしでまだ童貞問題をぶつくさ未練がましくつぶやいたり擁護ツイをRTしたりと面白くてたまらないwww
今回の騒動が起きるまで、名前はうっすら聞いたことがある程度の人物だったけど、
今までの自分の発言を蒸し返されて攻撃されてる人のようだけど、
(認識これで合ってるのかな)
増田の言う通り。
間違いない。
ただはあちゅう周りにたかってきた擁護の蠅どもの言説のアレさ加減を見ると、
アレどもに囲まれながらそれでも形だけでも謝罪文掲げたはあちゅうはまだ見込みがある…と思いたい。
あんな連中に囲まれながら「自分のやってたことが間違ってたんだ」って気づくのはそうとう難しそう。
はあちゅうはガチの被害者だけど、ハラスメントに対する感覚がマヒしてて「これが普通なんだ」って思ってそうな雰囲気。
蠅どもと距離を置いてアタマ冷やせば、また違った答え出るんじゃないかな。
口開くたびに「お前はキライだが支持する」って言った人もどんどん離れていってそうでほんと痛々しい過ぎる。
・今回、はあちゅう氏の告発により、岸氏の信用が地に堕ちると共に、はあちゅう氏自身に批判が集まり、結局、告発行動の趣旨が矮小化されてしまった。つまり、セクハラを許す構造は何に由来し、その構造が未だに維持されている業界は他とどう違っており、我々はどのようにその構造を解体したらいいのだろう?という議論の深まりには至らなかった。
・武器を持った通り魔が瞬間的に大量殺戮を行なうのを制止するのと異なり、日常的恒常的に行われるある種の性暴力は、単に悪い個人を排除すれば解決する問題では無い。それを許す(時にはそのような人を求める)ような土壌、構造が存在する限り、排除された権力の空白に他の誰かが座るだけだからだ。仕事が出来るキチガイは、どうせ星の数ほどいるのだから。
・このような構造、土壌を個人の力で解決することは非常に難しく、だからこそ誰かが声を上げ、人数のチカラ、ある種の動員を持ってして構造改革にまで持っていく必要がある。metoo運動に意義があったとしたならば、そのようなところだろう。
・しかし、結果として、そのような論点には目はあまり行かず、はあちゅう氏やよっぴー氏に批判が集まり「岸氏は非常に悪かったが、はあちゅう氏も同じ穴の貉的」な扱いを受けることになってしまった。
・この増田としては、よっぴー氏や深津氏が問題点として挙げていた「身辺が綺麗な人間で無いと告発出来なくなる」ことについてもう少し深く言及していきたい。
・一部では岸氏のセクハラ問題とは別に、はあちゅう氏の童貞揶揄問題があるのであって、それはそれこれはこれで批判すべきであると言う正論が主張された。確かにこれは全く別件の話なのであって、別の話としてはあちゅう氏が批判されることは妥当であるかのように思われる。
・しかし、問題はそんなに簡単なのだろうか?ここから人々はこう学習するのでは無いだろうか?「セクハラ告発をすると注目が集まり、その結果、告発に関係ある/ないを問わず批判が集まってしまう」と。そのように言うと、批判の妥当性を持ち出し、妥当な批判だから為されるべきである、とあなたは言うかもしれない。
・物事はそのように単純には割り切れない。告発者にとってみれば、批判が妥当であればあるほど、正当であればあるほど、謝罪や総括や反省をする必要性が生じる。告発による負荷が増えるのである。それは、別件であろうが何だろうが、告発を行なった結果、告発をトリガーとして発生したことなのであって「実質的な告発のコスト」として勘定される。告発者となる可能性がある人が、これらを予期し、結果としてそれをやめてしまうことは充分考えられる。
・それでは、果たしてそうした予期を防ぐために、我々は司法取引的に、告発者の全てを許すべきなのだろうか?いや、それもあってはならないし、単に受け入れられ無いだろう。はあちゅう氏のある種の価値観や童貞揶揄に対する批判はいつか為されるべきだった。
・ここでの落とし所は「いつか為される」こと、つまり、司法取引的に告発者の過ちを「全て帳消し」にするのではなく「一旦、この告発が行われたタイミングで過ちに対する請求(批判、反省や謝罪を求める行為)を停止し、しかるべき時と場所で行う」ような、タイムラグを作ること、あたりにあったのではなかろうか?告発のコストとして勘定されないように、すぐに批判を加えず、一旦留保するいう振る舞いである。
・その意味で言うと「はあちゅう嫌いだが(一旦置いといて)、告発は応援する」という態度は、実はかなり妥当な落としどころであった可能性が高い。しかし、よっぴー氏の擁護が「彼女の過ちをチャラにすべき」のように響いてしまった(意図はそうでは無かったようにも読めるが)のもあり、その遅延的な免罪も無くなってしまったように思う。
・無論、別の観点、例えばはあちゅう氏の発言や態度により、実質的な被害を被った人の立場からすれば、はあちゅう氏の過ちに何らかの配慮すること自体を許せない、許さないと主張するのも当然、正当な立場である。それが帳消しだろうが遅延だろうが関係ない、結果として、セクハラ告発のコストが上がろうが、それは別の話であって、自分には関係の無いことだ、と。
・ここで、我々はもっと当事者意識を持つべきである。問題はこのように複雑である。我々は例えば、どちらかの立場を選ばざるを得ない。
1)告発者の過ちに何らかの手心を加え、告発コストを下げて悪しき構造の解体への寄与にコミットする。
2)告発者の被害者にコミットし、告発者を批判し、反省を促す。実質的な告発コストは上がる。
・そう、我々は無関係では無い。我々がこのような件について言及するとき、批判するとき、それが本気であっても面白半分であっても、その件についての、なんらかの結果を左右してしまう。我々はいずれかの立場を助け、もう一方を挫くような、そのような当事者である。つまり、ある立場の人間を傷付ける者である。
・告発者は善人でなければならないのだろうか?やましい人達は、弱い人たちであることも多い。傷つく人達は、愚かな人たちであることも多い。素晴らしい人たちについて、我々は簡単に同情可能である。善人ついて我々はすぐに感動を覚える。善き人たちは、すぐに救われるだろう。善人たちとともに、そうでは無い、理解不能で、愚かで、同情し難い全ての他者を「人間扱い」するために、おそらく、人権はある。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/ha_chu/status/943652436803166208
どういう連中をフォローしてれば、おっぱいツイートが流れてくるの?自分らとは別世界の住人ですわ。そういう世界に染まり切った女だから童貞イジリも平気でできるんでしょうなぁ~。