性自認は女だし性愛対象は男性で結婚して夫がいるけど、未だに男になりたいって思うよ。
具体的にはチンコが羨ましい。欲しい。射精したい。抱かれるより抱きたい。女湯で見る小さい男の子が羨ましくて仕方がない。これから男の人生が待ってるなんて素晴らしい。
男装はしない。完全に女の体型だし顔つきで、しても見苦しいから。服装はまるっきりフェミニンだ。
ほら、男子の「可愛い女の子になりたい」話に比べてどっか気持ち悪いし生々しいじゃん。しかも厨二病とか処女こじらせた可愛らしいもんじゃない。だから話さないし見ないんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20140913095549
出会いの機会を増やしたとか共通の話題もそうだけど、アロマが感性として作用したんだと思う。
勉強になった
生活保護の人が普通に働くことすっ飛ばして金持ちになりたいと言うのと同じレベルの主張でしょう。
そういう主張する受給者には「生活保護などに頼らず健全な生活を送れるよう努力しろ」と言わざるをえない。
こんなまとめもあるわけですが。
http://matome.naver.jp/odai/2141040600248450501
私が実際に体験した話です。
通勤ラッシュ時間帯の満員電車で杖を突いている方に、暴力を振るわれました。
なんでも私に足をけられたのだと。
満員電車です。私自身毎日蹴られたり足を踏まれたりしています。
それでも通勤ラッシュの時間帯仕方がないと思い我慢して通勤しています。
相手は私にけられたと叫びながら杖で殴り掛かってきました。
私はすいません、ごめんなさいと謝りましたが。無抵抗の中何度も何度も殴られたことを覚えています。
そうしているうちに警察が到着し、私と杖を突いた人は引きはがされました。
警察官は相手は貴方に蹴られたといっている。そして相手は許すといっているので、貴方も許しなさいと言われました。
説明を求めましたが、その場はうやむやにされ、解放されました。
その後警察署に行き被害届を出しましたが、相手が障碍者であること、私自身が一方的に暴力を受けたことを証明することができないこと
貴方が相手の足をけったという事実があるので、貴方も被疑者として告訴されることなど散々警察に言われ、被害届を取り消すように圧力をかけてきました。
こちらからは相手の名前や担当した警察官の名前を聞こうとしましたが、一切教えてくれません。
そもそも本当に相手の捜査をしているのかすら疑わしい状況です。
体中怪我をし所持している荷物や服を壊されましたが、結局泣き寝入りすることとなりました。
今回の障碍者の事件を見ると大ごとになったので警察も本気を出して捜査しているようですが、
昔は障碍者について、かわいそうだという意識を持っていましたが、この事件に遭遇してからは疑いのまなざしを向けるようになりました。
一部の心無い人の行為がすべての障碍者を貶めていると感じます。
警察にすぐに通報して、通報後もどのようなことがあったのか証言してください。
第三者の証言がないと、事実が捻じ曲げられ、罪のない人が被害をこうむることとなります。
どうかお願いいたします。
結婚何年目か教えて欲しいです。
「電車が遅れてしまって間に合いそうにないんですけど、大丈夫ですか」
「こちらへは何分くらいの到着になりそうですか」
「そんなのわかんないです」
「そうしたら、また後日お越しいただきたいんですが、16日以降でしたらご都合のつく日はありますか」
「ふざけるなよ。交通費返せよ」
「いえ、いただいてませんよ」
「ここままで来るのに交通費掛かってんだよ。返せよ」
「それはできません」
「じゃあ死ねよ」
で、こういう反論が出るわけだけど。これっていろんな事情で貧困に陥っている人に「お前の努力が足りないからだ。生活保護などに頼らず健全な生活を送れるよう努力しろ」と言ってるのとどう違うのかよくわからない。
まあ、貧困に陥っている人たちにも同じような言葉を投げかけるなら「一貫した強者の論理だな」と理解はできるけど、オタクには努力しろと言いながら生活保護受給者批判はするなとか言う人たちが結構たくさんいて、それってどういう考えなのかなと思う。
どっちかが現在とかけ離れた土地に移住することを納得できるなら。
それくらいの距離なら折衷案で埼玉に住むことはできるんじゃないか。
すごいコードが書けても、UIデザインの基礎もできないプログラマは多い。
使っているうちに作り手の意図が見えてこないと
使えないツールばかりでしょ?
この手の話はWebにかぎらず、映像表現(アニメや映画)なんかでも
最近そういう風潮が見えてきている。
技術にからめとられて、違和感ばかり残る作品の多いこと多いこと。
だからだれも裏で動いている仕組みなんて興味ないんだよ。
手を取り合って作っていくのが一番いいと思うんだけどな。
なかなか相容れない存在ではあるんだけど。
お前の意見はあくまでもお前の立場や視点から出た一方的なものでしかないから、自分に対しては甘く見て、相手に対しては厳しく見る。
だからそんなことで優越感を覚えるのは間違いだよ。
まあ、お前の言葉を借りるなら。向こうもこんな風に思ってるよ。
俺の高校の野球部は別に強くない。しかし数ある部活の中でも本気で活動していたほうだと思う。
俺はこの夏で野球部を引退し、大学受験のために塾に通い始める。
入塾にあたって面談の為に塾を訪れることとなった。
簡単なあいさつがあって、そこからは塾長と俺による面談が続く。
得意科目や苦手科目、普段の勉強についてや部活のことなど、なんてことない普通の面談だ。
それに対して俺は「はい!」「はい!」と元気よく返事していたが、具体的な事は何も答えられなかった。
「じゃあなりたい職業は?」「うーん、無いですねえ」
もちろん、高校の3年間を部活に捧げることはすばらしいことだ。
何かに懸命に取り組むのは良いことだし、青春に飢えた大人たちも多くその行いを賞賛する。
しかし、だからといってそこから引退してしまったら何も残らない、というのは間違いである。
夢も目標もそこから前に進むための道標となるものは何も無いが、少なくともオレには、三年間を部活に捧げた実績、そしてそれをやり抜いた成功体験がある。
体育会系で育った人は「彼らには日々のキツい練習で鍛えた精神力がある」なんて事を口にするけど、
後に残るものはそれだけだ。そして、それだけで十分なのである。
オレは体育会系だった。活動の中で将来やりたいことも見つからなかったし、今何をすべきかもわかっていない。
文化部の連中のことはよくわからないが、少なくともオレには進路や将来のことを知ったかぶりしているだけのようにしか見えなかった。
部活から得られるものは様々だと思うが、一つのことに熱中しすぎること、それだけで得られるものもあるのだ。
どれだけ野球を頑張っていたとしても、大学受験では大した利点にはならない。
彼らを賞賛する人は多いが、その後は誰も彼らを救ってはくれない。なんだかかわいそうだ……という、意見もあるだろう。
しかしオレには物事をやり抜くだけの精神力があるから、何でもやり通す事が出来る。
文化系の連中はいつも目標や進路を明確に定めて努力している風の顔をして、しばしば体育会系の俺らの努力を見下すが、はたして奴らに奴ら自身の定めた目標への道筋を完走するだけの精神力が本当にあるのだろうか。
俺にはある。
そして後は、志望校という目標を、数ある大学の中から選ぶだけである。
それがどんな険しい道であれ、完走する自信は既にある。
どんなに暑い日も、どんなに寒い日も、グラウンドでしごかれ汗を流していたあの日々に比べれば、正直どのような困難も恐れるには足らない。
ってな。
これまで気軽に東京に行けていたのが行けなくなって、パスポート上などで日本人として得られていた恩恵が全部得られなくなって
オタクが何から排除されているかと言えば、自由恋愛から排除されている。
経済的な排除であれば憲法に謳われた最低限度の生活を主張することはできるが、自由恋愛においてはそれはない。
そしてそのことは人生における「つらさ」のうちでもかなり重大なものである。
ガキの頃はバブル時代で、テレビCMを見れば豪華なセットをバックにバンバン音楽が流れてて、レコード屋には縦に細長いシングルCDにその音楽を収録したものが大量に並んでて、そしてそれが今週は100万枚売れました、とかそんなニュースが流れてた。
そんな中、すげえ、って音楽を創り出す人に巡り会った。
どんなときも を聞いたのはもうずいぶん昔。
小遣いも少なかったのでレンタル屋に行き、返却を待って借りたのを覚えてる。
それ以降もアルバムは全部聴いている(買ったのは半分くらい)。
現実にありそうな風景の一部を綺麗に切り取れる歌詞作りはマネしたことがあるけど、あんな表現は絶対に出来ないと諦めた大学時代。
Time to count downとかテレビCMで聞いた記憶があるが、好きになったのはシティーハンターとかのエンディングで使われるようになってからだろうか。
勉学に勤しみ音楽とちょっと離れてた時期に解散のニュースが流れ、すごくショックを受け、CDを全部買ったりしたのを覚えてる。
そのすぐ後に聞いたNights of The Knifeにも衝撃を受けた。なんなんだこの曲は、と。頭をハンマーで殴られたくらいの衝撃を受けてそのままバイクで走り回り警察に止められたのもいい思い出だ。
木根尚人のオールナイトニッポンを聞いていたのは今となっては黒歴史だろうか。
初めてその存在を認識したのはBlack or WhiteのMVで、深夜のテレビ見てたら流れてた。
なんとも不思議な雰囲気で、そこから情報収集したら過去に聞き流していた曲も彼の手で書かれてたと聞いてびっくりした。
This is itのライブに行きたいと思ってた頃に急死したニュースに触れ、映画館でその動画を見、悲しくなった。
ASKAのパワフルな声とCHAGEの繊細なメロディが大好きだった。
二人のライブツアーの様子をNHKがBSで流してて、それをビデオに録画した映像を何度も何度も繰り返して見た。
1万人の来客の前で、圧倒的な存在感を示す2人。
いつの日かこういうステージに自分も立ってやる、と心に決めた。
逮捕された途端、みんな手のひらを返したように離れていって、楽曲はCDショップから姿を消し、メディアから消えていった。
時折入る情報はすごく断片的で、離れていったみんなが心を落ち着かせるためのくだらないニュースだったりして。
本人に罪はあるかもしれないけど、楽曲に罪は無いと思いたい。
そして僕は、たぶん人並み以下だけど、それなりに頑張ったけど、残念ながらそういう才能は皆無で。
じゃあ勉強を頑張るか、という気にもなれず、そのままずるずると就職してみたものの、すごく納得出来ないものになってしまって。
そんな中、いつの間にか、YouTubeやニコニコ動画のような場所が出来て、みんなそこで才能を発揮して楽しんでる。
昔取った杵柄じゃないけど、僕にも出来るかな、って思ったけど、やっぱり僕には才能が一切無くって。
じゃあ仕方無い、諦めるか、って思ってたら、いつの間にかそういう「才能を守る」側に立っていた。
この日本という世の中は、一度失敗するともうその場所には戻れない。
でも、才能を持っている人がその才能を活かせないというのは、その人にとっても、世の中にとっても、すごくもったいないことのように思える。
そして、僕は、偶然にも、そういう人を守ることが出来る力がある。
だから僕は、本当に才能ある人は応援することに決めた。それは、みんなに言わせればただの独善偽善に見えるかもしれない。
でも、それは、みんな、一度失敗した人に対して死ねとだけ言っているだけで、その人がその後寿命までどうやって暮らせばいいかの提案は一切無い。
あえてゲスい言い方するけど、才能をオカネに変えることが出来るのは、本当に一部の人間だけ。
そしてその才能がオカネに変わるというのは、その才能をほしがる需要もそこに確実にあるということ。
ASKAさん。