日本企業には上司と部下と非正規しかいない。非正規はよそ者の使い捨ての、封建社会でいうと武士の序列に入らない農民みたいなものなのでこれ以上言及しない。
オレにとって上司の人間でもさらに偉い人からすれば部下だし、その逆もしかり。つまり相対関係。
そしてそれの80%は入った年次で決まる。つまり同じ会社に何年いるかで決まる。
実力はよっぽど優れたクリエーターとか独占資格を持ってない限り関係ない。
すべては人間関係で決まる、人間関係の根本は親と子、弟と兄といった年齢的要素である。
年次=企業内での年齢=親兄弟の人間関係という図式が成立する。すごい事務処理能力の高い奴は逆にねたまれる。
先輩はいつまでたっても上司だが、後輩はいつまでたっても部下。
そして50歳を超えてその積み重ねてきたスクラッチが削られて、役員になれるか子会社に放り出されるかがようやく決まる。
優秀な奴隷は、自社や他社から新しい主人として迎えられることもある。
けど、重要なのは新しい奴隷も古い奴隷もみな平等にただの奴隷だということだ。
先輩後輩はない。
もしかすれば隣で働いている古い奴隷が明日には主人となった自分の奴隷となっているかもしれない。
すべては絶対主義の実力。
主人は主人で独立している。
隣の古い主人の意見は聞かなくてもいい。聞くのは株主というオーナーの意見だけ。
オーナーの一存で放り出されることもあるが、優秀な主人は別の奴隷牧場に今までの奴隷たちを引き連れて、また別の独立王国を樹立する。
ありがとうございます。やっぱり色々忙しいんですかね。自分の親が亡くなった場合に忙しいのは当然として、良く考えると祖父や祖母が亡くなった場合でも色々とやること(親の手伝い etc)あるでしょうしね。。。
昨年、母の日にプレゼントを贈った所「プレゼントじゃなくて気持ちが大事なの」と言われたので
翌年感謝の言葉だけ贈ってみたら、両親から「モノが無いとはどういうことか」と説教されてしまった。
あと、たてつづけに誕生日も待っている…!
その片思いの同僚とどの程度の関係を築いているかはわからないがとりあえずそっとして置くべきではなかろか。
土地次第だけど、身内がなくなると悲しみに暮れる暇も無いくらい忙しいので、とりあえず今は疲労で同僚のメールに返信をする余裕も無いかもしれない。
(忙しいとは、遺品・財産の整理とか、故人の知人が何日にも渡って線香をあげに来るので、身内がずっと家で番をしていないといけない、とか)
良好で親しい関係を築いているなら、彼女が職場に復帰してからサラリとのみに誘ってでもあげれば良いと思うよ。
守秘義務を「魂の奴隷契約」と考えるのはお前の勝手だが、守秘義務のある仕事なんてゴマンとあるのでそういう仕事の人はみんな「魂の奴隷契約」者ですねー。
http://anond.hatelabo.jp/20120608014629
自分の姉がそういうタイプの人と結婚し「子どもの為に」我慢して生活を続けていたが、結局、離婚しましたよ。
社会人の男(20 代後半)です。同僚の女性に片思いしています。
先日彼女の祖母が亡くなったらしく、現在彼女は地元に帰省しているようなのですが、このような場合に連絡して励ますべきかどうか悩んでいます。メールは普段から頻繁にやり取りしており、実は彼女の祖母が亡くなった日もそれを知らずに脳天気なメールを送ってしまっていたのですが今のところ返信はありません。このような場合はやはりそっとしておいてあげるべきでしょうか。私自身は子供の頃に親族が亡くなっているので、どれぐらい落ち込むものなのか、現在どのような状況なのか想像できず・・・。
中身が無いこと書くのに長いよ。
握手券つーか、AKB以前のグラビアアイドルがどんなもんか?ってのを考えると 別にAKBが特殊という事もないだろ。
コンプガチャの件が出たから言えば、AKBもコンプやって指導くらって是正してとかやってるし、カレンダーだっけか?
金の話はファンつーか、ドルオタは、いろいろ黒いところもあるから。
結論から言えば、今のところ、ただの興行団体だろ。 アイドルは昔っからこんなもん。歌も歌ってたし、ドラマも出てた。
あの有名アイドルは実は歌がうまかった!みたいなCDがどれだけ売られて、どんだけの歌唱力だったか。ドラマも同じ。昔っからだよ。
書きたいことがあっても守秘義務の契約で縛られてネットに書き込めないのは魂まで奴隷契約結ばされているようで惨めな状態に
上の記事タイトルや内容とは全く関係ない余談だけど
この前増田の「不陰気」にピッタリだと思って激写してきた路地裏が
ネットで有名でリアルで近づいてきたら気づかれる前にそろりと逃げたくなる5人の内の一人の常駐先だと知って
二度とあの路地裏には近づかないことを心に誓った。
どこから大通りに湧き出してくるのかいつも不思議だったんだけど、この町のサヨクはあの辺に集うのかー。
うっかりサヨクの牛耳る仕事場にバイトで入った人がネットに悪口書き込まれたりしてるのを目撃。気をつけよう。
たまたま路地裏に惹かれて写真取って→路地裏の名前調べてたら→そういう情報がどんどん検索結果に出てきただけで
サヨクの活動とかについて興味は無い。
いろいろと得るものがあると思う。「実感」面で。
もう本当に、マジで「あー家電が稼働してる最中に突然スイッチ切られるとこんな感じなんだろうなー」って思う。
自分というものの機械性? みたいなものを体感する。うまくできてんなー「自分」。ていうか設計者いるなら相当すごいよ、って思う。
気絶してから意識が戻るまでの完全な空白時間を、思い出そうとするにつれて「空白」という概念をパテ代わりの比喩に使って埋め始めた自分の脳にビビった。
例えば「ものすごい尿意を覚えてるけどトイレまで我慢する」というケースが、肉体の欲求に対し精神がコントロール利かせてるみたいな風に捉えられるのだろうか。
個人的には「お客様は神様思考の客:肉体に対してあれやこれやでなだめつつ何とか社会的立場とかの調整を取ろうと奔走する顧客対応担当:精神」という図式にしか見えない。
結局、裏表のある人間になれるかどうかってことかと。
著名人が出す本を読んで「この人は素晴らしい!」とか言っている人は頭弱いと思うけれどw
最近AKB48が何かと話題だ。先日あった総選挙なんかはいよいよ全国盛り上がる国民的イベントの様相を帯びてきて当団体の人気を示すものになっている。一方でその商法などなど問題点が多いこともかねてから指摘されて久しい。ちょっと自分用メモ程度にまとめていくのでよかったら参考にしてください。
いや、別に言うまでもないことだけど総合プロデュースの秋元康氏、AKS窪田氏、Office48芝氏が電通らメディアを巻き込んで立ち上げたアイドルプロジェクトになります。このへんキーワードにしてググるだけでもいろいろ出てくるので興味のある方は調べてみればいいんじゃないかなと。各メディア巻き込んで且つ、所属メンバーの事務所を分散したまさに"総占拠”。素敵ですね。(※参考 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20120607/233074/)
まさかここまで人気になるとか思ってもなかったんじゃないかな。とかとか言ってみるものの別に個人的にAKB自体を負の塊のような見方はしてなくて、むしろ不況やら自然災害やらでなんだか閉塞感漂う日本の世の中に明るさをもたらしている側面は少なからずあると思っていて、その点は少なからず本当に意義のある団体だと思うんです。
ただ一方で最近になって様々に問題点を指摘する声が多くなってきたのでちょっと整理。もちろんマスメディアはAKBを扱うのはタブー的になってしまうのは理解されるところなのでね。あそこまで様々に数字持ってる団体と関係が悪化するのなんて、そりゃその数字で飯食ってる業界からしたら下手に触れないのは理解できるわけで。まあそれはともかくとして、
最も頻繁に取り沙汰されるのがこの握手券商法に関して。これでCDを売ってもCDは廃棄にいって音楽としての価値は微妙なのに握手券欲しさにCDが売れてオリコン1位常連に。これって音楽業界的にどうなの、的な話が多い昨今ですね。(※参考 http://matome.naver.jp/odai/2133826050573002201)
で、結論からいうとこれに関してはいろいろと分けて考えなきゃいけないなあと。個人的にはよく言われるほど悪いこと一辺倒ではないのかなとは思ったりします。
音楽業界からするとCDが売れること自体はもちろんいいことなわけで、AKB団体自体や関連事務所らもそれを喜びます。また資源にやさしくないので握手券だけ売ればいいじゃないか的な、批判が多かったのだけれど、これも個人的には業界利益を考えると必ずしも合理的では無いと思っていて、ここで書いたレーベルやまたプレス(要するにCDという商品それ自体を実際に作るところ)にも利益をもたらすことになるので「たとえ無駄でもCDを作って売ったことにする」ことをやめるというのは業界だけの部分合理性を考えるとそう簡単にやめよう、とはならんのがわかります。(というかその辺の音楽業界全体に利益がわたって、悪い顔されないようにしてるあたりが前述の秋元さんはじめとするマネージャ陣のしたたかなところかなと。)まあ、もちろん環境的によくないというのは事実なので、それなら環境団体NPOみたいなのが頑張って反対するくらいの話にしかならんでしょさしあたり。
よって「CDの過剰生産」自体は何を問題とするかによるけれどもちろん必ずしも悪といえないということになります。論点として環境・資源的視点 対 商業 に凝り固まってるきらいがあるけれど、音楽業界の延命治療的な側面(まあ穴掘って自分で埋める公共事業的なもんですね)を置き去りにするとこの話はあまりに短絡的になりすぎるかなと。(もちろん新しいビジネスモデルを構築できずに苦しんでいる音楽業界をこのような形で延命治療するのはいかがなものか、という批判はここにおいて非常に真っ当且つ建設的なものだと思います。ここは後述)
で、音楽業界の目的として、やはり「よりよい音楽を消費者に提供する」のが一応建前上の至上命題ということになってます。で、そのためにはもちろん健全な利益を出して業界自体のサステナビリティを保っていくようなのは手段の一つとして認められるところなので(この辺出版業界の押し紙的な話と非常に似てますね)、この商法が音楽業界が「よりよい音楽を消費者に提供する」目的には経済的には音楽業界に資している一方で、他のアーティストの露出機会を食ってしまっているという機会費用的な側面を考え合わせるともしかすると我々の音楽文化はよりよいものにはなっていないのかもしれません。カラオケで歌う曲とか良い感じの作業用BGMが継続的に提供されるだけで嬉しいんですけどね。最近そういった状況が実現できているかというと正直微妙でしょ。AKBの曲ばっかりヘビーローテションするのも飽きちゃった。
また、メンバーがその他業界に今後展開していく(お芝居、グラビアとか)にあたってパフォーマンスが非常に下がることが予想されます。これも個人的には実はあまりよく思ってません。やっぱりどうしても彼女らにそういったパフォ-マンスの質を求めるのはかなり難しいからです、ただでさえ忙しくて稽古はできないし、またグラビアとか見てもお世辞にもルックスが他のグラビアやってる人達よりいいとはいえないあたり、別に彼女らをDISりたいわけではなくて、やっぱり専門で分業を行うことがより豊かなものを生み出せることがあるのでこの場合も然りなのかなと思ってる次第です。
いろいろ漏れやダブリがある記述なのはさておき、ファンは幸せなの、つまり消費者の側はどうなのかね、っていう話。これもあまり言い始めるときりはないからなあ... ただガチャとかの話に似て、一人で何百枚購入とかして破産寸前までいったり依存的な精神状態になったりするのがいたりするけどそれ自体はこの団体に関連するものに一切を責めれないですよね...(コンプガチャの件も規制理由は射幸心煽るなとかだし)会いにいけるのコンセプト自体はファンを喜ばせるのに成功してるんじゃないでしょうか。
あまり焦点があてられないのは個人的には少し不思議に思うのは、少女ら側の労働負担に関してです。これだけの人気団体になったのだから、多少は忙しくて当たり前、というのは至極当然で、まあ有名税だ贅沢な悩みを吐かずに頑張れ、というのは一理あるとは思うのですが、これも程度問題なので、例えば最近とあるメンバーが体調を崩して入院したけれどもなんとか復活してライブで笑顔を見せた、みたいな話もあったじゃないですか。どうなんですかね、健康な15やそこらの少女が過労で体調を崩すような労働環境が果たして健全なんですかね。
また、より個別の話をするなら、ここにおいて握手会の商法は最も糾弾されるべきだと個人的には思っています。なぜならちょっと知ってる方なら知ってる話しなんですが、握手会これずっと立ちっぱなしでベルトコンベア的に次々流れるファンの人々と握手をすることになってるんです。一人10秒とかで。これ非常にきついですよ。もちろんこれだけで体壊した、というわけではないんですが、自分も一度参加させてもらったことがあるんですが、大したコミュニケーションができる場ではなかったように記憶してます。(※偏見を拝するために書いておくけど、そこまで熱心なファンではないけど社会見学的なノリで行きました)あれだったら、もっと抽選くらいにして一人あたりのコミュニケーションを高めたほうがいいとは思うのですが、もちろん握手券の拡販のためにはそれができないジレンマを抱えるため、そのような案は検討されなくなるのは言うまでもありません。本当にファンならこの辺声をあげたらいいのにと思うけどそういう話ってないんですね。
それでありながら個別の有名所、例えば前田敦子さんや大島優子さんらでも個人の給与が推計で3~4千万と出てますね。末端メンバーになるとまさにワーキングプアに近いような言い方をされることが時々ありますね。これだけ稼ぎだす団体がこのような利益配分というのは少し胴元が持って行きすぎに見えるんですけどどうなんですかね。これで夢を売るとか言っても無理だと思うんだけど、アメリカンドリームな壮大な夢を見ないのは日本のお国柄かしらね。
とりとめもなくメモしたんだけど何かしら参考になれば幸いです。以上見たように、個人的には世の中を明るくしたり、共通の話題としてはすごくいい、けど、音楽業界がその微妙な体質を無駄に延命するのに加担してしまっていたり、本業以外に今後侵食することで他のコンテンツの質が下がることが予想されること、またメンバーの人達の労働環境に大いに改善部分が見られるあたりは問題なのかなと思っています。
もちろん繰り返すけど世の中を楽しくするあれってことで総合的にはいいと思ってるんですけどね。総選挙の大島さんの笑顔の写真は良かったですね。
私という精神ないし人格は、宿っているのであろう肉体の支配下にあるような気がする。
空腹に苦痛を覚えるのも、息を止め続けていることができないのも、全ては私という人格みたいなものが肉体に支配されているからなんだと思う。
ひとつひとつの小さな細胞が寄り集まってる肉体は、己が存在をより安全により効率的に存続させるために、私を生み出し意思を与えたんじゃないのかしらん。
言うなれば、遺伝子という自立プログラムを用いた壮大な実験場が地球という惑星なのではないのかしらん。
私という存在は、自身が生きるために肉体を行使しているのか、肉体が生きるために行使されているのか。
実感がなければ理解できないなんて愚鈍極まりないのだけれど、それでもやっぱり気になってしまう。
社会性動物としての私じゃなくて、この肉体に宿ってしまった私の存在理由について。その本質、実在について、あれこれと言葉を並べてしまいたくなる。
本当に私はここに存在しているのかしらん。ここなる場所は、脳髄かもしれないし、イデア界かもしれないけれどもさ、そこんところちゃんとしたいって思っちゃう。
あるいは、生物とは何なのか。なぜ生きていて存在しているのか。同一個体のみで生体機能を維持している存在は、果たして生きていると見做すことが可能なのか等々。
夜に浮かべて、まぶたを閉じるわけなのです。