はてなキーワード: 影武者とは
音声合成DTM製品「VOCALOID2 CVシリーズ」の第二弾である「鏡音リン・鏡音レン」を用いて作られた一連の楽曲作品。詳しくは検索。
小説とか漫画とか劇化もされてるようだけどそっちはノータッチなので除外。なんか詳細設定とか山のようにあるらしいけどあくまで元動画とその歌詞に情報源を絞る。
前者はある国で暴政を敷いた愛らしい王女が革命によって倒されるまでのことを歌った歌、後者はその王女に仕えた召使いの視点から同じ一連の出来事を歌ったもの。
YouTubeとかに死ぬほど転がっているのでこの文章を読む人にはできれば聞いといてほしい。ネタバレを含むので。『悪ノ娘』から先に。
英語版ならEnnという人? が歌ってるやつの歌詞が好きだな。情報量が多くて。
身も蓋もない言い方だけど「売れてる」から。
ニコ文化が中高生とかOTAKU中心に大人気とは知ってましたが劇って。コミカライズくらいまではわからんくもないが劇。
ファンとはいえそこまでのめり込むほどか。何がそんなに優れてるっつーかウケてるのだろう、という話です。
「優れてるからウケてるんじゃねーよ」というお話はあるでしょうがまあそこはおく。ぶっちゃけ「優れてない」点はいっぱい挙げられるし。
たとえば物語終盤の交代劇とかバレねーわけねーからね常識的に考えて、とか。
・仮にも国のトップなんだから、立てるならもっとマシな影武者を立てるのが普通というもので、脱がした瞬間バレるようなのに気がつかないとか革命が総崩れしかねない。
いや史上の狂乱というのは往々にしてそういう熱狂が高じてもはや狂気〜みたいな面があんだろうことは否定しないけど、そんなの後世には物好きな歴史家とかにケツの毛までひんむかれるレベルまで分析されるのが当然なんだからさ。恥ずかしい性癖が伝わっちゃってる為政者が今どんだけいると思ってんの。読んでないけど正直小説版にはクビ落としてから替え玉と判った革命軍の偉いさんとか偽史として押し通してきた『召使』側の話を証明しちゃったアマチュア研究家とかが裏で始末されるドロドロとかがきっとあった! と信じている。三次創作。
・本物も見物に戻ってくんなよ。そこでバレたらすべてがガチで水の泡よ。危険すぎるだろ。
…とか、突っ込みどころはとってもたくさんあるわけなんですね。文化ルーツもしっちゃかめっちゃかだとかそもそも歌詞がちょっと拙いとかね。
にも関わらず、絶賛者とかいっぱいいる作品でもあるわけで。合唱とか英語版とかあって再生回数すごいし。
何がそんなに人を酔わせるのかしら。それがロマンスというものなのか。
いやねーだろ。これロマンスじゃないじゃん。中世の騎士物語とかほんのちょっぴり読んだことあるけどコレジャナイ感すごいじゃん。
三大悲劇って言われてるけど悲劇ですらねーだろと言いたい。少なくともwikipedia曰くの古典主義的・新古典主義的「悲劇」では絶対ない。
それでは「これ」は何なのか?
まあアレじゃん。ジェンダー界隈でいう性役割意識がどうこうとかあと男の娘ブームとかなんかそんな。
あとこれ国家の皮をかぶった家庭悲劇なんですよね。一種のセカイ系というか。
このお話は王家に生まれた男女の双子のうち女が王家に残されて(おそらくは凄い抑圧とか受けて)暴君になって、男はどっか養子とか?出されて召使いとして戻ってきたつーことになっていますが、男をイエに残して女はよそに嫁がせるつーのがどっちかというと鉄板ですよねこういうの。
「なんでそんなことになっちゃったの」というのはきっと小説版とかが政治の派閥抗争がどうのとかに絡めて辻褄つけてると思うのでおいといて、「よくこれでウケたな」ってーのをですね。
この作品は基本的にすごいストレスを(受けたくないに決まってるけど)受けなくてはならない人間が見るとツボに来るようにできてるんスね。
よく何かこう、最近の若者は〜的な文脈で、男が女っぽくなっただの女が強いだのと言われますよね。いや印象だけど。自分の観測範囲内の話だけど。観測範囲内でもいい加減下火っていうか言い古されて説得力がアレな言説だけど。
少なくともこの作中ではまさに男がやるようなことを女がやっているわけで、そこんとこのギャップがウケてるっていうのはあると思うの。
鏡音リンってキャラクタ的には妹系ってんですか? 笑顔がかわいくてドジで〜みたいな感じだと思うんだけど、それが女故子ども故の残酷さみたいなのを全力発揮してるあたりのギャップもあると思う。
そう、彼女は良い為政者ではない。聖母聖女は齢14で「お金が足りなくなったなら〜、愚民共から搾り取れ〜♪」なんて言わない。普通の女でも言わない。
彼女はむしろ聖女みたいな女に恋人取られたら相手の国ごと潰して復讐する程度にはやりたい放題の女のコ☆です。
しかもそのレベルの人格破綻者まで「最初は無垢だった、ホントは彼女は悪くない」的な補足が入るわけです。これもウケたツボだろう。
イエのあれこれとか人間関係でむっちゃ我慢とか強いられてるけど正直破裂したい、けど破裂したらあとが面倒だけど破裂したいけどあああああとか思ってる人間にはとてもツボ。
破裂したい人間がなぜ破裂しないかって、破裂すると崩壊するナニカがあるわけで、この王女の話は破裂してナニカを崩壊させてしまったってことなので「ああ、あんな風にならないためにも我慢がんばらなきゃなー」とか、「私がしてきた我慢は正しかった!我慢しなきゃああなってた!ざまあwww」とかいろいろと解釈できて美味しい。
それだけなら単なる破滅劇なんだけれども、これを悲劇にするのが王女と対になる召使いの存在ですね。『悪ノ召使い』は『娘』よりもあとに発表された作品ですが、何千回単位だった再生回数を100万くらいまで押し上げたらしいっす。
「顔の良く似た」召使いは(内緒になってんのか知らんが)召使いってことになってるが王女と双子です。これをまず物凄く突っ込みたい。王家の血縁が人に使われる側に回ることのあり得なさとか。でもまあそれはいい。
召使いは破裂しそうな王女のそばであれこれ世話を焼くわけです。王女の命令なら惚れた相手も暗殺してくる。それくらい自分を殺している。
ある意味王家という枷つけられてる王女と完全に同類なわけですが、召使いはそれほど人格破綻してないというか暴君的な方向に爆発しそうではない。
彼には「王女のため」という大義があるからです。彼が背負っても良かったモノを彼女に背負わしたら歪んでしまった、王女がこんななってるのは彼にも責任がある。
だからその責任を果たすためなら、ほんのちょっぴりの「自分」も捨てられる。盲目的に尽くせる。
完全に「家庭なるもの」の中で板挟みになるガキそのものですね。あとほんのりとした近親愛。これがツボをつく。
オチはもうその最たるものですね。自分を殺して殺して殺して…の召使いは本当に自分を殺してしまう。王女はその代わりに助かる。
要は例えば機能不全気味家庭のお子様らには神話のように美しい物語だということですおわり。
鏡音リン・レンなるソフトは作中やファン間でも双子ってことになってますが公式的には「鏡に映るもうひとりの自分」的な感じではっきり双子ではないらしい。
というのもなんかこう、意味深ですね。
怖ェなーと思うのがこの作品が世界規模ですごい再生回数稼いでるという事実。
機能不全家庭の子どもにばかりウケてるわけじゃねーとは思うが、でも例えば上で述べたような「この身代わりはあり得ねーだろ常考」みたいな意見はたぶん野暮としてブーイング浴びるだろうし、きっと小説版あたりで「そうするしかなかったんだよ…」みたいなことが切々と説かれていたりして要するに反論として封殺されることが明らかなわけです。
実際には例えば召使いの行動として「二人で一緒に逃げる、最後まで王女のそばにいて守り通す」みたいなのがあっても良かったはずだし一昔前なんてそれで逃げ切れなくて死んじゃってーみたいなのが悲劇のテンプレ化してたような時代があった気がするんですが、そうならない。
何というか、すごい絶望的で、しかもその絶望が絶望のまま肯定されて同類間で共有されてる感がする。
そういう方法で絶望が連鎖して伝播しているような感じがするのです。
漫画家のとり・みき氏の言葉(の引用の引用)だけど、こういうのがある。
人が涙を流すのは必ずしも作品の出来とは関係がないのだ、と。
かつて自分が何かに感動した時にできた涙腺回路のようなものが頭の中にはあって、そこにピタリとはまるような場面だの言葉だのを見聞きしてしまうと、涙というのはどうやら自然に流れる仕組みになっているらしいのである。歳をとると涙もろくなるというのは、つまりそういう回路のパターンが増えているからではないか。
個人的にこれは結構ガチだと思っているんだけど、一点だけズレてる部分がある。
ここで書かれてる涙腺回路の起動スイッチである「感動」っていうのが、自分個人に限っていえば何か崇高なものに触れて心を動かされたとかではなくて単純に傷つけられたときのことを指すようになってんのね。
つまりこの文章に則って言うと、自分はある一定の場面とか言葉だのを見聞きしてしまうと自動的に繰り返し繰り返し傷つくようになってしまっている。
恐ろしいことなんだけれどこの「回路」が結構強固で、俺はこいつを潰しておかないと日常生活が送れないっていうレベルでいろいろと不便。具体的にいうとAED講習で実際の救命現場の録音(子どもが突然心停止して倒れたそばで手当てする人とか救急車呼ぶ人とかその子の名前を狂ったみたいな大声で必死で呼び続ける母親の声)聞いたときとか、アレ本当は命が助かる感動的な場面のはず(「とりあえずはもう大丈夫です」まで録音されてたはず)なんだからすごくイイ話だと理屈では思うしわかってるんだけど生々しいやりとりそのものがあまりにもショッキングでしばらく「親子」みたいなキーワードで突然ぼろぼろ泣くようになって本当に困った。もうすぐ一年になる例の津波関連も未だにいろいろな場面でダメージ。直に被災したわけでもないのに。
閑話休題。
だから例えば映画とか小説なんかで「泣ける」みたいのを売りにしてるのは基本見ない。
そういう作品は大体が回路起動ツボを外していて(かつ、他の例えば大爆笑回路の起動とかには結びつかないので)白けるが故に、そしてごく少数の作品は客観化が十分でツボ自体から適切に距離を取れるが故に、涙腺回路起動までに結びつくことは滅多にないんだが、それでも見ない。
何が楽しくてそんな自傷行為をせねばならんねん。
でも例えばナイフは指を切るだろうとかわかるけど、この作品で泣くようになるだろうとか普通は読んだり聞いたりするまではわかんないわけじゃん。
で、『悪ノ』シリーズも回路の起動スイッチになってしまったので、困ったなー。と思っている。前述の録音ほどの威力はないしもうだいぶ整理して削いだんだけども未だに人前ではこの曲聞けねえ。
あの召使いの台詞で泣かねー奴は人じゃねーみたいなコメントが動画についていたりして、それを「気持ちはわかる」と思ってしまう。
気持ちはわかるけど、実際問題召使い馬鹿だし王女も馬鹿でみんな馬鹿すぎて救いようがないと思う。「崇高なものが犠牲になる」みたいな楽しみ方は視点が狭すぎて阿呆だと思う。
いろんな人が感動してファンになって翻訳とかされてるのはわかるけど、作品としては全然優れてないと思うのです。
他の作品と比較してどうとかではなく、あの物語自体にもっと洗練の余地があるということ。
そして洗練されるとたぶんあれは悲劇オチ(と取ってつけたようなハッピーエンド後日談)じゃなくてちゃんと喜劇にもなれたはずだなー、悲劇にしてももっとレベルの高い悲劇になれたはずだなーと思うということです。
「物語の洗練」を。
機能不全家庭の傷なめ的なものでなくて、もっとちゃんと救いとか絶望とかが欲しい。
具体的にいうとこのネタで小説でも書いてそれで旅行のためのおこずかいとか稼いでみたいんだけども、まあおこずかいにならなくてもいいから二度と回路起動スイッチにこのネタで手を触れられる奴がいなくなるように自分でパテを塗っておきたい、そのために小説を練ってみたい、ということでした。
すでにやってる人いるけどねそれ。舞城とかね。でも最近なんか舞城も振るわないっていうか、「その先が欲しいんだけど!」みたいなあたりで止まっちゃってる感するからね。ジョジョノベライズ期待してます。
????????
「終わったようね、???。引き上げるわよ。
??????
「朝倉兄はどうしたのであるか?
????????
「たった今、連れていったわ。・・・泣いて命乞いしてたよ。
??????
「まさかあそこまでヘタレだとは聞いていなかったからな。
????????
「そうね。さ、長居は無用よ。
??????
「よし、最後の仕上げにとりかかるぞ。我々がここに来た痕跡を消すんだ。
おまえらは、この砦に火を放て。念のために、他の登場人物どもが死んでいることも確認しておけよ。
????????????
「さっさと歩けッ!!
???????????
??????
「ふん。しぶといヤツである。
闇子
「・・・・・・こ、殺せッ。
はぁ、はぁ・・・・・・
??????
「死に損ないの分際で命令するつもりかッ
よぉし、この女はおまえにくれてやる。好きにしろ!
???????????
「さっすが~、???様は話がわかるッ!
闇子
「さわらないで・・・・・・
・・・お願い、やめて・・・・・・
以下、『劇場版 マクロスF 虚空歌姫 ~イツワリノウタヒメ~』のネタバレを多分に含みます。
正直、駄作だと思うんだが周りで褒められすぎだったので、
ひねくれて欠点ばかりあげつらうような真似をしてみた。
根拠無く言ってるつもりはないので、反論あったらかかってこい。
アルトとランカは最初から友達というのは時間を削る面で妥当な改変。
マイクローン状態のクランがちょっと大人びた体型と声になってた?
というかミハエルと同じく学生やってたんだっけ、年齢的におかしくないけど、
アニメ版では多分そんな描写無かったよね。
力入れてるんだろうなと言うことがヒシヒシと伝わってくる。
黒シェリルの衣装、生尻、ボンテージのエロさ惹かれた人多いと思う。
しかし、演出面を考えると正直微妙。
全体的にライブしてますと言うよりも、上映してますっぽくて、
シェリルが生身で歌ってる感触が薄かった。
演出過多と言っていいかもしれない。
一瞬で着替えのところは超科学でいいとして、
二人同時に登場はおかしい。片方が偽物・CGであることが確定するということ。
「イツワリノウタヒメ」ってサブタイトルに絡んで面白い展開と思ったけど、
全然そんなことはなかったぜ!
あとは、シェリルの初回ライブ裏で繰り広げられるバジュラとの邂逅では、
やっぱり「もってっけー」を使って欲しかったのが素直な感想。
新曲も悪いとは思わないけど、やっぱりそこは見せ場としてね。
音楽に関しては全編通してやっぱりよかった。
その後、ライブ中のバジュラ襲撃では新しい展開。
今作では飛行するアルトに抱えられて、
バジュラの段幕をかいくぐるアクションを見せる。
命を救われたことで一気にデレが早まるし、これは映画版として納得の展開。
次のシーンについてはかなり疑問。
「また逃げるのか」のあたりとか上手く意味が通らないんじゃないかな。
あと、俺もバルキリーに乗せろ→調子こくな→パンチのシーンは欲しかった。
ここで「あなたもアイモを知ってるの」と入り、映画オリジナルの展開感が濃くなる。
これについては後編を見ないとイイ改変だったのかどうかは判断つきかねる。
ランカをたきつけるシェリルはいいとして、その時のシェリルが変だと思う。
なんというかこんなキャラだっけと疑問になる感じ。
実物を投げさせてもよかったと思うけどな。
幻にする理由はそんなにないと思うけど。なんで幻の飛行機にしたんだろうか。
あと、周りのミュージシャンが演奏入れてくれるシーンはもっと描写してもよかったんでない?
何かのインタビューで監督が自信満々にこの展開を言っていたけどさ。
アルトから距離を取るって感じでもよかったと思うけど。
あんまり気分いい展開じゃないなぁ。
シェリルにイヤリングの片方を届けに行くシーンで何より疑問なのは、
アニメ版で行けば完全黒幕で、脳内会議とかで割とその片鱗は見せてるわけだけど、
その一方でギャラクシーの救援養成を無視したフロンティアを感情的になじるあたりは、
新しい要素であるとともに疑問のキャラ設定。
計算ずくの黒幕っぽさが薄れて、割と普通に助けて貰えなかったのを恨む人みたいで、
上手い言い方が見つからないけど、俗っぽさ、人間くささが増した?
黒幕として扱うなら、こういった感情的な表現は避けた方がしっくり来ると思ったけど、
その辺については次作の完結編でのグレイスの扱いで変わってくるから保留。
ただ冒頭でしっかり黒幕っぽい発言はしてるんだよなぁ。
ギャラクシー救出作戦で、三隻が沈んだ意味ってのは何だろうな。
アルトを「ちっくしょー」と突撃させるのが目的なんだろうけど、なんか後味悪い。
あとは終盤の「あなたも私も、できることをやっただけ」のセリフに繋がるんだろうけど、
うーん、この辺は深く考えるところではないか、ただあんまり好きくない。
ランカの声がバジュラを呼ぶシステムとかに何も説明がないまま、
いや回想シーンで歌ってたらバジュラが来た、逃げろってのはあったけど
「ランカがおとりになるつもりだ」って展開は正直どうなん?
とくに、一作完結だと思ってた当方としては、
残り時間的にもランカとバジュラの関わりについて掘り下げるつもりはないんだろうな、
説明不足だろ感が湧き上がってきていたり。
これはアニメ版みた側の意見だけれど、逆に見て無い側はこれで納得できるのかな。
最終決戦の盛り上がらなさが異常。
いや、次作があるから事実上の最終決戦ではないのだけれど、
その時は一作完結と思ってたわけで、
そうでなくても2時間のクライマックスとしてこの出来はどうなんだ。
ミシェルが撃たれて生きてたけど、むしろクランを守って死ぬって展開無しにくたばることは無いだろう。
もしこれで死んでたら迷わずスクリーンにポップコーン投げてたね。買ってないけど。
うーん、次作を見て無いからストーリー面ではまだ判断を下しづらいんだけど、
正直もう河森監督の脚本には期待できないというのが率直な感想。
じゃあ誰ならいいんだって言われても困るけどね。
各所に見所ってのはあったからばっさり斬り捨てたりはしないけど、
期待してたのよりはだいぶ斜め下だった感は否めない。
金正日が、アメリカの大統領がブッシュからオバマに変わるのを期待し、六者協議での決定事項の実行を先延ばしにしていたのは、クリントン政権時代のような融和政策を取り、支援を流し込んでくれると期待していた為である。担当者が変われば政策も変わるし方針も変わる、その変化の方向が、これまでとは正反対であると予測するのは勝手であるが、その予測を実現するのに、何をなしたかが重要となる。
北鮮は、大統領の交代後の接触において、感触が良くない事から、長距離弾道ミサイルの発射、地下核実験と、矢継ぎ早にカードを切った。強硬姿勢を見せる事で、融和を引き出そうとしたのである。
しかし、融和を引き出せなかった。
そこで、今度は北鮮側の担当者を変える事で、時間稼ぎを狙い始めている。
金正日の後継者として、三男の金正雲なる人物が後継者に認定され、長男と次男の取り巻き達は粛清されているという話である。
単純に後継者が決まったという話では信憑性が無いが、その他の候補者の取り巻きが粛清されているとなると、信憑性が高まる。
この時間稼ぎを、どのように評価するかが問題となる。
たとえば、拉致や偽札や核やミサイルは金正日の暴走として押し付けて終わった事にして、民生支援を引き出そうとするという展開が予想される。食料や燃料、軽水型原子炉の供与といった支援を引き出しつつ、実際は、核開発や弾道ミサイル製造を続けるという展開である。
政権の正当性を確保するのに、前任者を犯罪者にして処断してみせるというのは、特定アジアでは普通に行われる政治手法である。
金正雲なる人物が、特定アジアの伝統的手法を選択して親を処断してみせるか、あるいは、儒教的価値観を優先して金正日の路線を引き継ぐかは、もうしばらく様子を見なければわからない。
独裁制国家における政権の正当性とは、前任者からの禅譲であると言うのであれば、金正日の路線を引き継ぐしかなくなるであろう。ただし、それでは、せっかくの代替わりを利用できない。亡命した長男か次男を中国が担ぎ上げ、軍事的に平壌を落として継承させるという手もあるが、この場合に、金正雲を悪役に仕立てるには無理がある。既に金正日が死亡していて、今いるのは影武者であり、金正雲が弾道ミサイルの発射や地下核実験を命令したというように話を作る事もできないわけではないのだが、それを行って軍事的に平壌を落とし、新しい中国の傀儡が核や弾道ミサイルの開発をしないと約束したとしても、それに支援をするのは中国の仕事となり、我々は一切手を出さないという展開にしかならないであろう。
かつてのソ連が大国であったのは、衛星国の面倒を見ていて、地球上の陸地の半分を制していたからである。中国に衛星国の面倒をみるようになるだけの余裕があるかという点は疑問であるが、大国を目指すのが中国の方針である以上、北鮮を衛星国として取り込む動きは、いずれ、発生すると考えるべきであろう。
金正日の生死が不明になった時に親書のクーリエとして六者協議代表に再任したが、本人に会えなかった。北鮮側の都合もあったのかもしれないが、会えるようになったのならば、真っ先に会わせて面子を保たせるという配慮が無く、金正日の復帰後の最初の面会者は中国の関係者だったという事で、完全に面子をつぶされた。
次官補から大使になるのだから、昇進であることは事実なのだが、よりによってイラクである。イラクの再建において、アメリカの権益を主張しなければならない地位であり、再度の軍事力の行使は避けなければならないという事で、かなりきついポジションと言える。
朝鮮にかかわると不幸になるのは、あの国の法則と言っても過言ではない。日本人だけの法則かと思っていたのだが、今回、アメリカ人にも法則が通用する事が確認できたわけである。
北鮮がミサイルの発射準備をしているという衛星画像による報告も出てきている。タイミング的に、膠着した六者協議を動かす為に、弾道ミサイルであるテポドンの打ち上げ実験をやるというのもあり得るが、中国代表と面会した金正日は影武者だったのではないかという問題に対する恫喝として、中南海に確実に届くスカッドC(ノドン)を準備している可能性もある。
中国が本人であったことを公式に認めるか、影武者であることがばれなくなるまで整形手術が進んで他の六者協議代表と面会させて公式に認めさせるか、あるいは、インフルエンザにでも罹った事にして急逝させて3代目を立てるかするまでは、緊張感を維持させる必要があると考えるのは、悲観的に過ぎるであろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
まあ、どのくらいの数のルポオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、 その上で全く知らないジャーナリズムの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持って る」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、日本のノンフィクションのこと
を紹介するために見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にルポルタージュを布教する
のではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、財布的に過大な負担を伴う単行本で2000円超えるようなのは避け
たい。
できれば文庫、単行本でもブックオフでよく見かける程度にとどめたい。
あと、いくらジャーナリズム的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
社会派映画好きが「『市民ケーン』は外せない」「『アラバマ物語』ぐらい見とけ」と言っ
ても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
報道知識はいわゆる「噂の真相」的なものを除けば、毎週週刊文春程度は見ている サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「立花隆以前」を濃縮しきっていて、「立花隆以
後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。児玉隆也は手に入らないし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要
最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」
アレって典型的な「記者が考える一般人に受け入れられそうな事件(そうオッサンが思い込
んでいるだけ。実際は著者が暴走しすぎ)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「ジャナオタとしてはこの二つは“妄想”として片付けていいと思うんだけど、率直に言っ
てどう?」って。
まあ佐野さんは『巨怪伝─正力松太郎と影武者たちの一世紀』(文春文庫)『カリスマ─中
内功とダイエーの「戦後」』(新潮文庫)が格段に出来がいいのだが、長すぎるんで。
ある種のウヨが持ってる犯人山口二矢への憧憬と、「あーだこーだ言っても要するにロマン
は欠かせないのよ」的なナンバーをはじめとする文春ノンフィクションを彼女に紹介すると
いう意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも沢木耕太郎な
「愚直なヒーロー」を体現する山口二矢 「庶民的なオヤジ」を体現する浅沼稲次郎
の二人をはじめとして、著者好みのキャラを世界にちりばめてしまっているのが、紹介して
みたい理由。
たぶんこれを読んだ彼女は「魚住昭だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いと
いえば狙い。
この系譜の作品が何故か読売批判に繋がったこと、これが何故か日本推理作家協会賞を受賞
したこと、本当ならデヴィ夫人批判に繋がって、さっさと退場してもいいのに日本国内でそういった動
きがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりスピリチュアルとか怪しいよね」という話になったときに、そこで選ぶのは『カ
ルト資本主義』(斎藤貴男:文春文庫)でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、
この作品における福本さんのスタンスが好きだから。
怪しいところに自ら入り込んでそれで結局ばっさり斬る、っていう行為が、どうしても俺の
心をつかんでしまうのは、その「人を信じる」ということへの諦めきれなさがいかにもこの
人だなあと思えてしまうから。
精神世界や自己啓発批判についての第一人者だしだからこそこの本に信憑性があるとは思う
けれど、一方でこれが斎藤さんなら罵詈雑言ばかりで題材にする量も半端じゃなくなるし、
『死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う』(朝日出版社)の森達也さん
だったらきっちり40分のドキュメンタリーにしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて一冊の単行本を作ってしまう、というあたり、どうして
も「「人を信じる」ということを諦めきれない一個人」としては、たとえ福本さんがそうい
うキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。
作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で『のだめ』を見たことのない人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹
介してみたい。
音楽という身近でありながら遠く感じてしまう題材をどうやって料理するか。その一つの解
答が本書だと思う。主張に一貫性がないとかエピソードの取捨選択を誤っているなどの批判
も多いのだが、分かっているようで分からない主題にどうやって近づいていくか、そのアプ
ローチの仕方は単純にすごいと思うし、そこらへんを彼女に感じてもらいたくはある。
在日外国人としての「目」あるいはレヴィ・ストロース的な「世界観」をオタとして教えた
い、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない日常を疑ってみる」的な感覚がジャーナリズムには共通してあるのかなという
ことを感じていて、だからこそ在日というか朝鮮半島の問題が竹島をはじめとして今でも話
題に上るのだろうと思う。
「世界の中の日本人」という感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「気分」の源
は在日問題にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に読ん
でもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう現在進行形の重大事件を当事者との近距離にいるというかたちでノンフィクション
化して、それが常識として受け入れられるか、気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみ
たい。
9本まで決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に奥崎を選んだ。
立花隆から始まって原一男で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、映像ドキュメント時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
ちなみに、あえて当事者による実録ノンフィクションははずした。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
http://www.threeweb.ad.jp/~excelle/bosyu.html
先に述べたとおり、不妊夫婦のドナーとなるには、夫の「影武者」としての資質が
必要です。(利用者がシングルマザー希望の女性の場合、この資質は問わせません)
顔つき・雰囲気が似ていることに加え、遺伝子という人体の基本的な設計図を提供
特別優秀であることが必要ではないっぽい。むしろ夫に似ている人が見つかるように、多様な人(顔つき、雰囲気)の登録が求められるのでは。超優秀者ってのは米芸能人シングルマザー出産のイメージかな。