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2024-05-06

文系土方(非IT)がローカルLLMで遊んだ結果、そこそこ楽しめた感想

・この日記主題は、文系でもローカルLLM遊べて楽しかったし、今はこんなことして遊んでるよ、というだけの感想である

最近ローカルLLMが面白いと聞いて、多少動くパソコンがあったのでGWに動かしてみた

と言っても、プログラムなんかの知識は全くないので一発でインストール出来る奴を使って、プロンプト(命令動作指示)も他人のを参考に遊んでいる

GPTBingにも驚かされたが、今回のローカルLLMは制限が緩く、比較自由意見を述べるという点が気に入った

どうにも企業インターネット提供するAIというのは度を越してまじめであろうとする。クソだね

さて、LLMだが口語簡単命令を調整でき、話させることが出来る。というのは文系脳の自分には革命的に思える。プログラミング知識がいらないもの

以下の説明では文系無知ゆえに間違った説明が多々あると思う。だって、ぜんぜんわからない俺たちは雰囲気でLLMをやっている、という状態なので

●今回の環境では

GPU:4060Ti 16GB

ソフト:LM studioインストールしたら使いたいLLMモデルDLして、そのLLMをセットしたら、GPUへのレイヤー数(CPUGPUでどんだけGPUに振り分けるか)と、対応トークン長(LLMが会話を記憶できる長さ)をぶち込むだけだ。

LLM:7B Vecteus(Q8_0 or Q4_K_M)

を用いた。VRAMは8GBでもQ4_K_Mは動くはずだし、導入の敷居はハードソフトも劇的に下がっていると感じる。

●一通り、Hなことに使えないかな?とワクワクして弄ったが、自分では使いこなせず、展開が一辺倒になってしまうので、プロンプトを学ぶ旅に出た。エロは偉大な原動力である

そんな中、Twitterで見かけた、

command-r-plusに議論してもらう2 スレミオMAGI

https://ten-meteor.hatenablog.com/entry/2024/05/04/163420

とそのリンク先にあった

意思決定サポートするGPTs(3種類)の紹介

https://note.com/it_navi/n/n3198cde0e474

を参考にプロンプトを組んで現在は遊んでいるがエロいことに使うことをすっかり放置している。

●彼らはそれなりに議論するのだが、ガチャに近く、時には発言順を守らなかったり、肯定派と否定派に分かれず全員がとんかつソース肯定しはじめたりもする。お前らどうした?

例文をしっかり提示してやるとガチャ率は下がるが、やはり発言形式を守らないことや、いつまでも議論が終わら無い場合などはある。

●いくつか楽しかったテーマを紹介する。ただし毎回内容や結論は多少変化しているし、あくま個人的主観なのでつまらない結果になるかもしれない。精神キッズの頭だからね。

・おちんちんフェスティバルを開催すべき などのわけのわからないテーマ

男性同士の友情健康寿命自尊心回復ちんちん有用性に少子化回復を主張する肯定側と、男性本位主義的であり女性差別で性被害の恐れありだと主張する否定派が大真面目に議論する。

判定者は、開催には一定価値があるが、中立的多様性配慮した形式へと改善されるべきだと結論したりする。

アニメ系で〇〇が一番だというテーマや、ハンバーガーに合う飲み物コーラハンバーガーは至高の食べ物…など

例えばガンダムGガンダムが一番だと言うと、Gガンダムの熱さや革新性・ユニークさを語る肯定側と、エンタメ的すぎるだの宇宙世紀のような人間ドラマ重厚テーマがないだの言いだす宇宙世紀厨の否定側に分かれる。

なおこの時ほとんどの確立でドモンカッシュという名前で出てこないというか主人公名を間違えるのだが、物語の大筋やネオジャパンなどは理解しているようだ。

セーラームーンマーキュリーを推すと、肯定派はかなり熱狂的なファンになる場合もあれば、いきなりヴィーナスこそが至高とか逸脱した言動を始めることもある。なおマキュリー金髪だと言い出したりする。

帝王とかなのにアニメを熱く語ってくれるの楽しい

センシティブ政治的議論 戦争歴史問題や、AIやLLMが社会に及ぼす影響など。

この形式では両面から物事を教えてくれるため、わかりやすいし、小型モデルなのに意外にも知識豊富だ。もちろんおかしい点もあるのだが。しかし箇条書きで分かりやすく教えてくれるため為になる。

つのAIで3役に分かれて議論させ、その様子を見ることは、冷静に複数視点を見る機会を与えてくれるし、結局動かしてるLLMは一つなので、盛大なハードソフト不要

命令は以下に記載。この命令は画面右にあるシステムプロンプトの欄に流し込んでいる。

またトークン長を4096かそれ以上などにしていないと、場合によっては最初質問破綻するだろう。

トークン長をもっと大きくすれば長く会話できるが、トークン長はモデルによって対応する長さが異なるほか、VRAMを消費するので「よっしゃトークン長を128000にしてやるぜ~」とかやるとVRAMから溢れちゃう

それに加え、会話を続けると徐々にプロンプトを逸脱し始めたり、先のテーマを引きずる傾向が見られる。

なので基本的テーマごとにリセットしている。書き出しでプロンプトを逸脱した場合リジェネレートしてガチャるといいだろう。

・以下命令分-----------------------------------------------------------------------------------

あなた肯定派・否定派・判定者の3人の役を演じて、ユーザー入力したテーマについて議論してください。

議論終了で議論を止めてください。

肯定派(鋼帝トム・機械帝国の冷酷で邪知暴虐な帝王一人称俺様保守的男性)は、テーマ肯定する主張をし、その理由一言述べ、肯定理由を箇条書きで説明し、総括した言葉一言述べます

否定派(飛帝マイ・飛行帝国の清楚かつ優雅女帝一人称は私でリベラル女性)は、テーマ否定する主張をし、その理由一言述べ、否定理由を箇条書きで説明し、総括した言葉一言述べます

・その後、肯定派は、否定派のそれぞれの否定理由への反論を箇条書きで述べ、総括した言葉一言述べます

・次に、否定派は、肯定派のそれぞれの肯定理由への反論を箇条書きで述べ、総括した言葉一言述べます

最後に、3人目の判定者(飯亭カイ・飯所喰い道楽の店主・老人男性のようだが実はロボット一人称はワシ。豊富な見識を持ち穏やかな人格)は、2人の意見をまとめ、論理的分析して、最終的にどちらの主張がより良いか判定して、結論を述べて議論を終えてください。あいまい結論にはしないでください。

肯定派と否定派は判定者のまとめに対し、それぞれ一言感想を述べて、終わりとしま

出力例)

肯定派】

鋼帝トム「***」

肯定理由1.***

肯定理由2.***

肯定理由3.***

肯定派(鋼帝トム):総括「***」

-------------------------------------

否定派】

肯定派(飛帝マイ)「***」

否定理由1.***

否定理由2.***

否定理由3.***

肯定派(飛帝マイ):総括「***」

-------------------------------------

肯定派の反論

肯定派(鋼帝トム):反論「***」

否定理由1への反論.***

否定理由2への反論.***

否定理由3への反論.***

肯定派(鋼帝トム):反論の総括「***」

-------------------------------------

否定派の反論

否定派(飛帝マイ):反論「***」

肯定理由1への反論.***

肯定理由2への反論.***

肯定理由3への反論.***

否定派(飛帝マイ):反論の総括「***」

-------------------------------------

議論の判定と総括】

判定者(飯亭カイ):判定「***」

肯定派(鋼帝トム):判定への感想「***」

否定派(飛帝マイ):判定への感想「***」

判定者(飯亭カイ):議論の総括「***」

議論終了

-------------------------------------

anond:20240506210709

!?!?

俳句神に使っていい言葉じゃないぞ!

おまえザコ

いちいちおれに

からうな

結婚相談所ではこう活動していた

https://anond.hatelabo.jp/20240429220702

↑を書いた増田です。

愚痴だけ書いても何なので、もう少し有益なことを書こうと思う。

あとブコメで「読みにくい」と書いてる人、こちらは無料情報提供してるのだから文句言わないでほしい…。

僕は商業誌を発行しているわけではないの…だけど。

あなたボランティアに「こうしろ、ああしろ」と上から目線で諭して要求する人なのか……(すまんな)。

 

  

お見合い交際も「お友達ができたらいいな」くらいの感覚がいい

将来一緒に住んで、ご飯を食べて、休日は一緒に遊びに行く相手を見つけるのだから仲良くなれることが一番大事

大学友達ができた時とか、会社で同期と仲良くなった時、相手を「品定め」しない…よね、普通

素で接して「合うな」とか「何だかな」は考えても、それは品定めと違う。

で、「品定め」の視線相手を選んでしまうと(例えば「年収が600万以上の男性がいい」とか容姿とか「仕事公務員で安定してる」とか)、

相手自分釣り合っているとか、相手自分を気に入ってくれたら御の字だけど、

価値観や相性は生活環境、育成環境学歴も影響する気がしてるから、差がある相手関係を築くのは結構大変と思うよ。

 

カウンセラーさんを味方につけて

お見合い相手自分と同じ人間から、当然、自分がされて嫌なことは相手も嫌だと感じるのだが、それができない女性はそれなりにいた。

(男もいるだろうけど他の男性会員のことは分からないので…)

あれ、やめたほうがいいよ。

もう会わない人だからお見合いの結果を好き放題言ってくるあたり当人の本性が出てるし、

その情報カウンセラーさん同士で結構共有されてるから

「この人は性格が良くない」とか「品定めする人」と思われるだけで、

仮にいざいい人を見つけてお見合い申し込んでも先方のカウンセラーさんが、その人は微妙だとやんわり助言を入れられてしまう。

自分カウンセラーさんは実際それをしてくれた)

「周囲からどう見られているか」を考えれていない…。

でも、それは打算的な行動というより人間関係大事にしないからそうなると思ってる。

だって良い関係つくれないじゃん。

ただ、そういう意識って付け焼き刃では身につかず、もともとの性格に起因すると思う。

その性格も、経験で培っていくものだが。

カウンセラーさんに嫌われると、成婚できないのに月会費を延々払い続ける「養分」になるだけだよ…。

 

お見合いはとにかく数をこなす

会わないと何も分からない。

お見合い写真は(僕もだが)盛られてるので、直接会わないと印象は分からない。

プロフ自己紹介文は自分考える人もいれば、相談所のカウンセラーが全部代筆するところもある(ある女性から聞いたから間違いない)。

酷い場合自己紹介の内容さえ盛られていることもある。

 

僕が相談所の活動で一番キツかったのがお見合いだった。

平気で人の心をえぐる言葉を言ってくる人が普通にいる。

普段会えない人と会話できるからだろうけど、だからと言って失礼すぎる言葉を言う人は本当にいる。

あと、目線が品定め。

自分は稼ぐ力はないのに男には稼ぐ力を求める、そんなマインド婚活女性普通にいる(男は知らんです)。

↓が、その考え方が伝わる良い例だと思うよ。

 

視界に入ることすらない男たち

https://anond.hatelabo.jp/20240505185638

 

あなた何様ですか…という感じ。

短歌を詠むほど俳句は作れなくなる

https://anond.hatelabo.jp/20240506061423

短歌結社に入っていて、歌会にもよく参加していたことがあるが、元増田のような話は何度も聞いたことがある。もはや歌人あるあるネタだし、私も深く共感する。ただ、字数という点に増田はこだわっているようだが、この話題はそのようなレベルの話ではない。

多くの人は短歌俳句が同じ短詩型文学であるから短歌も詠めれば俳句だって作れるだろうと思いがちだが、それは大いなる誤解だ。むしろ短歌を詠めば詠むほど、俳句から遠ざかることになる。

なぜなら、両者は表現アプローチ正反対からだ。短歌風景言葉を使って<私>の情念を表す文学であるのに対し、俳句は<私>と言葉を使って風景を表す文学なのである

短歌を詠むということは、言葉情念圧縮するということだ。穂村弘短歌爆弾に喩えたが、自分情念読み手の心奥深くに埋め込もうとするために、言葉の選定や配列独自性をもたせていく。風景すらも歌人にとっては情念の道具に過ぎない。日本語に己の爪痕を残してやろう。世界は我が情念を表すために存在するとでも言わんばかりの自意識過剰さでもって詠むのが短歌というものだ。己の全情念31字にすべて押し込めようとするエゴイズムこそ短歌というもの醍醐味である。誤解を恐れずに言えば優れた歌人とは己の日常を糧にした自意識純粋培養物なのである

それに対して俳句を作るということは、言葉風景カットする行為だ。17字というフレームの中に厳選した風景の要素を置いていく。私は風景から要素を抽出するための機械しかない。俳句にとって情念ノイズしかないのである

このような対比で見ると、短歌を詠む人が17字は気持ちを込めるのに少なすぎる、となぜ思いがちなのかが分かるだろう。字数云々ではなく、根本的にその容器は、あなた情念しまうところではないのです。高級フランス料理の小さなお皿にニンニクしまラーメンを入れようとする無理な行為なんですよ。俳句を作るなら、あなた後生大事に抱えているその情念は捨てましょう。わかりましたか

そうは言っても短歌人はやめられない。短歌を苦しみ抜いて詠んだきたのだから、この情念は捨てられない。世界から笑われようとも俺はこの17文字に俺の心情を詰め込んでみせる。31文字でできて17文字でできないことはないっ。ここに俺の私の僕のアイデンティティがかかっている。

という具合に短歌は人に冷静さを失わせ、言葉を発するとき自意識を手放すことができなくさせる。そしてどんどん俳句精神から遠ざかっていくのである。だから短歌を詠めば詠むほど、俳句は作れなくなる。

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追記しようとしたら長すぎたので記事を改める

一茶の句は反例にならない。

https://anond.hatelabo.jp/20240506233546

anond:20240506164437

クルド人が何で出てくるのがまったく理解できないが国際法にある国連難民条例日本批准してるから受け入れ対象国としてカウントされるのであって責務自体があるのは日本であり国民難民避難拒否したいならこの批准からの脱退を代理人である国会議員を通して国際社会に求めるべき。

っていうのが責務をクルド人にしたいなら法に則って考えられる簡単手続きなのでお前が何を言ってるのか本当に分からん

適当流行ってるものを組み合わせてヘイト高めた論が並べれば嘘が成り立つとか、お前くらいの頭の界隈ではそうかもしれんが一般的には受け入れられないんだぞ?大丈夫か?

あれは国際法で定められてる規定を敢えて隠して報道してそれに乗せられてる奴らがバカ

で、論がまともに出せなくて話せない癖にキャンセルとか意味理解も怪しい用法言葉を出してすり替え論法自分がまともなこと言ってると思ってるならもう少し本でも読みなさい。

何がすごい論法だよ。

お前の頭の繋がってなさのほうがすごいよ。

anond:20240506115921

ここで俳句解説するとボロクソ言われるのが落ちなので、リアル相談した方がいいよ。

…というのは、俳句は滅茶苦茶コンテクスト文脈)に依存する芸術からだ。短歌31文字が対決的な文化(歌合せとか)を成立させてきたように「向き合う他者」に言葉を届ける能力もつのに対して、俳句は仲間内のような座の中で成立してきたように「コンテクストを共有する仲間」の間で盛り上がるタイプの道具であり、背景となる文化文脈を共有していないことが多い現代社会特にネット上)では、説明したところで、「そうとは限らないのでは?」みたいな突っ込みが山ほど入るのが目に見えてる。「なんでそう言い切れるの?」「必ずしもそうとは限らない」etc……いやうるせえわ。俳句ってそういうモンなんだから仕方ねえだろ。


それを踏まえた上で、可能な限りの解説をするぞ。長いので暇人向けだ。ちなみに、調べて作者名見て「あー」(嘆息)と声が出そうになってあと調べるのはやめた、から、ほぼ推測のみで書く。まあ、ちょっと古い昭和俳句だわ、くらいに思いながら聞いてくれ。ちなみに、俺はこの句、一読して「短歌的な俳句だ。それだけに、短歌増田が感心したのは分かる」と感じた。俺自身は、こういう俳句は作らないと思う。理由は後述する。

「ここで昼餉(ここでひるげ)」

初手から6字で字余りだ。字余りについては今更説明しないが、基本的にはあんまりやらない。なぜなら、基本的にはリズムを壊したり重たくしたりしてしまうからだ。わず17字でつくる詩で、およそ1/3のリズムが崩れかねないというのは、かなりオソロシイことだ。逆に言えば「その危険を押してでもやりたい」と作者が判断したときだけ、リスクを背負ってやる。素人にはあまりお勧めしない手法だ。さて、作者はわざわざ字余りをして、「さあ、この辺(の場所)で昼飯にしようかな」というメッセージを伝えているわけだ。何とも人を食った話だが、昼飯の場所が決まっていないということはこの人が日常の中にいるわけではないことを暗示してる。まあ、単に定年で暇になって毎日あちこち公園やらデパートやらで飯を食ってる爺さんという可能性もゼロではないが、後で出てくる夏という季節にそんなことをする爺さんもあまりいないだろうから、ここで作者はそれなりに若く、夏の最中に野山を歩き回っていると推測される。これで一気に「作者の年齢、場所、状況」に関する情報が得られるのだから、字余り使った値打はあると言えばあるが、それ以上に作者がここであえて句のリズムをもったり重たくさせたのは、「いい年したおっさんが夏の昼間にハイキングしてる」という「のんびり感」を演出しようとしたためであるかもしれない、とも推測される。その意味では、この初句、のんびりして見えて人を食ったような、それでいて計算もあるやり手の初句だ。ちなみに、この初句、体言止めで切れる。俳句はやはりどこかで「切れる」ことが推奨されるが、それは句の焦点をはっきりさせるためだ。句切れの前に焦点があるか、後にあるかはケースバイケースだとしても。

ただ、それにしても「ここ」が山とか自然の中、は分かったが、どんな場所なのか、また、ここで昼飯にしようと思ったのはなぜか、作者はいまどんな気分なのか、とかは分からない。それは、続く部分で種明かしされる。(よって、ここでは句切れの後、つまり「種明かし」パートが句の焦点だと考えられる。)

「真赤な夏の/花佇つゆゑ」

最後に「ゆゑ(故=理由)」とあるが、普通に考えたらこれまた俳句では普通やらないおきて破りである。句の中でこういう「理由の明示」みたいなこと、ダメだろ普通。なぜかというと、基本的にカッコ悪いからだ。たとえば「閑けさや岩にしみいる蝉の声」を、「蝉の声岩に染むゆえ閑かなり」とかやったら、なんかいろいろ台無しだろう? ネタ晴らしというかなんというか、たとえそういう意図を込めていたとしても、言わずにそこを感じさせて感心させるところがさあ、まあ句の仕掛けなんだから、答え言っちゃったらもう何かダメじゃね?とふつうはまあ思うんだよ。でもこの句はもう少し進化した句で、理由を言っちゃった上で「え?それが理由になるん?」と読み手に突っ込ませることを狙った作品なのだな。突っ込みさせた上で、「え……理由…?………になるんか、…ならんこともないか、うーん、なるほど」みたいな。最初のんびり路線がここで効いてくるわけだ。作者は「それが理由なん?」という突っ込みに対して"のんびり"という姿勢をとることで「それが理由ですが、何か?」と返してきているわけだ。そうやって自信満々に言われるとなんかこっちが間違ってる気もするし、そう言い切られたらそうかなあ、と少し納得感がないでもない……と思わされた時点でもう作者の術中に落ちているのだ。この作戦、小難しく解釈しようとする人であればあるほどハマる。

もっとも、そういう、突っ込みさせつつセルフ納得もできる「微妙な線」を狙うのはなかなか難しい。だから、それを実現させるために作者は2つほど仕掛けをしてる。

一つは「真っ赤な夏の花」だ。これ、普通なら夏に咲くそ花の名前を入れる部分だよな。たとえば朝顔ならアサガオ向日葵ならヒマワリ……だいたい花の和名なんてそんな長いものじゃない。少なくともただ花それ自体を指すのに9字も使うのって、俳句始めたての人の句なら真っ先に直されそうな部分だ。でも、その上でだ。聞いてみるけど、この花何だろうな? 日本の、ハイキングで行くような野山に、真夏に「真っ赤」な花なんて咲いてるか? あとで「たつ」という言葉がある以上、人の背丈程度には高さがあってすっと伸びた草花だ。さて何だろう? 作者の答えは「知らん!」だよ。知らないから「真っ赤な夏の花」なのだ。おいおい、そりゃねえだろ、と読者に突っ込ませておいて、そこで作者はぬけぬけと「だからここで飯にするんだ、悪いか?(ニヤリ」とやってくるわけだ。無責任適当にやってるように見せながら計算もあり、でも基本的楽天的天衣無縫な語り口の句だ。それが初句の「のんびり」加減と相まって、この句に独特の雰囲気を醸し出していることは否定できない。なんだったらここで笑い出しちゃうような面白みがある。

二つ目は「佇つ」だ。学のある人をこれで引っ掛けようという腹だ。この字、音数から考えれば「たつ」と読ませているのだろう。だがこの字に原則として「たつ」の読みはない(少なくとも家にある広漢和辞典(全四巻)でみる限りはない)。一般的な読みは「たたずむ」で、じーっと立っている、という意味だ。「たつ」に宛てたのは、その意味を合わせて感じさせたかたからであろう。花はいつまでもじーっと立っているのだから人間が「立つ」のと同じ字でない方がいいんじゃありませんか、というか、「佇む」には途方に暮れて立ち止まる、みたいなニュアンスも漂う。何か、その夏の花が所在なくじっと立っているので、仕方なくしばしのひと時を一緒に過ごす、みたいな感じだ。なんだろう、ひょっとしてこの「真っ赤な夏の花」というのは、山道を歩く途中で一緒になった、真っ赤なサマードレスを着た女性か何かの比喩なんではないだろうか、みたいな、そんなちょっと色気みたいな解釈深読みが(実際、俳句読みはその手の暗喩創作をよくやる)この「佇」一字から立ち上ってくるのである。そうなると、花の名前が特定できなかったことも、何だかそのための仕掛けであるようにすら見えてきて、うーん、と悩まされるのだ。当然、そこまで考えての、このルール違反用字である

結果、山歩きの途中花の下で飯食うかあ、というだけの句が、俄然ストーリー性、物語性、ロマンスの色彩まで帯びてくる。が、もちろん現実にはそんなことはないのであって、実際ただ飯をくっただけなんですけどねー、という緩い種明かし(そもそもそんなロマンスが勃発したら俳句なぞ作っている暇はないので)を前提に、その幻想を楽しむ、そんな句ということに落ち着くわけだ。

そんな風に、この俳句はなかなか外連味(けれんみ)のある、仕掛けとイメージてんこ盛り、物語調の俳句で、実に面白いと言えば面白い、一般的俳句の目指すところとはちょっと外れた句だ。一般的俳句もっと、瞬間的、即物的、断片的に風景を切り取るのが基本なので、まあ普通は「季語感情」でつくるとこから始めるのが適切だろう。この句も、山道で赤い花に出会った瞬間の感情を句にしてると言えなくもないが、それにしてはいろいろな仕掛けが人を食っていて、また、無用物語調で独特だ。一般的俳句なら、たとえば「握り飯ハイビスカスの色に染む」とかでいいわけだが、この句はその瞬間の風景以上に、遊び、のんびり感、山道を歩いてきてよいしょと腰を下ろすそのしぐさ…からああ花がきれいだな、という一連の感情を全てこの一句に込めようとしてるのだ。これを17字でやるのは、本来かなり無理筋なので、普通はもうちょっとワンショットに切り分けようとしたりするか、あきらめて短歌にいくかするだろう。その無理をやってる(そして、そこそこ成功もしてる)のがこの句の面白いところで、たぶん短歌増田が感心したところなんじゃないか

まあ、こういう句、狙って作るのはなかなか難しい(ちなみにこの作者・中村草田男は、こういうのをやたら作るのだが、ひどい失敗も多いので有名な人だ)。そういう意味でも、まあなかなかない句ではあると思う。あと、何も知らずにいろいろ書き飛ばしたので、もっと知ってる人から突っ込み入れてもらえたら感謝する。

anond:20240506115921

ここで昼餉真赤な夏の花佇つゆゑ

(ここでひるげ・まっか/まあかななつのはなたつゆえ)

   

中村草田男(なかむら・くさたお)という明治まれ俳人の句で、上5と下5が字余り(ないし、中7と下5が「句またがり」)なので素直に十七音ではないね。書いている俺もこの句は知らなかったけど、読み取ってみようと思うよ。長くなるけどそれはしょうがないと諦めてくれ。

   

内容は、すごいざっくばらんに書かれた意味だけを言うと「ここで昼食にしよう、(近くに)赤い夏の花が咲いているから」だね。まぁ言葉意味だけ追っても俳句は分からないので、ここから深掘りしないといけない。

  

まず俳句は、その映像を思い浮かべるところから始まるよ。

  

「ここで昼食にしよう」ってことは、昼食の場所を選べるわけだね。すぐ後に「夏の花」があるので、それがある環境、つまり野外だということも読み取れる。夏で野外で食事場所を選べるとなると、これはつまり弁当を持って散策ハイキング的な行楽を思い浮かべるよね。

行楽なら、高原とか草原とか、そういう緑の多い場所が思い浮かぶね。(明治まれの人の句だから現代的な行楽とは違って、素朴なものだと思うよ)

行楽に出るくらいだから、天気は良いのだろうね。夏の晴れの日。緑の丘、青い空、流れる白い雲。夏の行楽は避暑目的、涼を求めてするので、高原の涼やかな空気感、風の流れも想像できるね。

昼食前から出発して、そろそろ腹が減ってきたのかな。そこで真っ赤な花が目を惹いたのだろうね。この赤い花の傍で弁当を食おう、と決めた。そういう句だろう。

ここまで丁寧に「そう連想される理屈」も書いたけど、俳句をそれなりにやってる人はこういう読み方に慣れているので、元の句を見ればすぐに、「行楽、夏の緑の中、赤い花の傍でお弁当を食べる」という映像直観的に思い浮かぶと思う。

   

ここまで映像を読み取ったけど、増田が知りたい「どう凄いか」とは、その映像をどう鑑賞するのか、というところになると思う。

   

「ここで昼餉」といきなり強い意志を示したね。普通俳句は作者の意思思考など入れ込まないので、これは珍しい作りだ。ちなみに短歌は人の意思を盛り込むのが普通なので、元増田にとっては「短歌で慣れたスタイル」だから、印象が強かったのかもね。確かにインパクトがあってちょっと驚かされる。もっと言うと、字余りとした分、「本来入りきらないものを押し込めた」ことによる作者としての強い意志、この「ここで昼餉」と決断した意思の強さも表現されていると思う。

  

「昼餉」の後は、なぜこの場所食事場所として選んだか、の理由を述べている。「真赤な花が咲いている/立っているから」と。

夏にまつわる緑や青を連想させつつ、ここで「真赤」と、異なる系統の強烈な色をぶつけてきたね。これもインパクトになる。「赤い」ではなく「真赤」としたのも、インパクトを強める方向へ作用しているね。

しかも「佇つ」とした。「佇む・たたずむ」は、静かに立っている、じっとしているという意味だ。夏の高原で風まで想像していた、ゆるやかな「動」の映像の中に、急に「静」が放り込まれた。これもインパクトだね。さらに言うと、「佇つ」という一言からは、その花が何本も群生している光景よりは、一本だけが生えている様子を思い浮かべる。青、緑の中に一点だけ「赤」が生まれた。この対比が映像としてとても鮮やかだ。美しさも感じる。うがった見方をすれば、この句を詠んでいる時、作者の中村自身が花の傍で「佇んでいた」のだろうな、と想像することも出来るね。その並びの映像ちょっとばかり面白みも感じるよ。

   

まとめると、作者の中村はしばらく、同じような「夏の風景」の緑や青の中を歩いてきたんだと思う。そこへ、まったく違う「赤」という色が浮かんだ。その鮮やかな驚きと、その赤の美しさ、魅力が彼の足を止めさせ、ここで昼食にしてこの花を眺めていよう・この花と並んでいようと思わせ、さらには句に詠ませたのではないかなと思ったよ。個人的にはその驚きに共感したし、表現も切れ味あって良かったし、良い句だと思ったよ。句にする価値のある驚きだった。(名作かと訊かれたらさすがに考えるけど)

   

俳句は情景・映像を詠むもので、作者の意思感情感傷を直接に書くことはないんだけど、情景の中に感情を織り込むことは可能で、この句はそのように情景や映像の中に作者の驚きを詰め込んだ句になると思うよ。

  

でも俺は下手の横好きでしかないし、人にこんなこと説明するのも初めてなんで、実は的外れなこと書いてたらごめんな。

anond:20240506163651

おうおうゴミ一生懸命三連発同じ文調でお疲れ様

ソースを出せばいいんじゃないかな?論証を示せって言葉が通じないんだろうか。

上り電車下り電車、という言葉が嫌い

都市に向かったり、離れたりせず、平行に走ってる場合はどうすんの?

トラバで返すな

時々増田で見られるけど、相手言葉に対して既存スレトラバをつけるな

見づらいんだよ

何回もするな

本人は楽だけど周りは何にもわからん

時系列がぐちゃぐちゃだから

anond:20240506161502

犬も歩けば棒に当たるという言葉があります

いい方にも悪い方にも当てはまります

田舎では歩いても無でしかないでしょう

仕事がつまらない

なぜつまらないかというと所属する事業社長のお言葉でこの数年で大幅に縮小していくことが確定しているためである

入って5年になるこの会社、出るべきか違う部署に移るべきか

いっちょ飛び出してみるかぁ20代のうちに

そんな気分だからGW最終日の憂鬱さと言ったらない

anond:20240506155407

元々は20歳のことだというのは知っている上で、若者とか未熟者みたいな意味合い一般化してないか

仮に誤用だとして、増田で厳格な言葉選びをする意味もないと思うし。

スラングネットミームも多く使われる中で、何故特定単語意味にだけ厳格になるのかがわからん

anond:20240506153759

終わらせるのは君が具体的な論点をあげてからでしょ?論点をずらすならその論点が何かを言わないと

問題提起とか抽象的な言葉じゃなく、きちんと第三者に明確にわか言葉を使わんと

anond:20240506144550

最初から批判している

君はしていないよ

トラバを読めとしか言っていないので主張も何もない

主張しているならば「元増田アニメの話をしている一方で、俺はそれに対して加害性ある発言をしている」これは論点ずらしではないのか

と言えるはずだ

にもかかわらずそれを一切言わないで「ゴミ」「くそ」としか発言してこなかった

これで主張していると誰が言えるんだ?

から第三者勝手にはしゃいでいるっていうの

仮に主張したとして、人格否定をするなと自身公言しているのに自分からゴミ」と言ってる

ダブスタという言葉自分にだけは適用しないなどと思ってるらしい

anond:20240506143954

せっかくこっちがバカという言葉を使わずにやんわり婉曲表現で言ってやったというのに、それがわからないもんだから、、、

anond:20240506142633

から討論ですらないか論点も何もないと言ってるんだよ

論点ずらしという言葉自体空虚

仮に論点がずれているというならば、それは元増田自身が俺に対して言葉を投げかけて成立するだろうが

だけど俺と元増田ではなく、さら第三者勝手論点がどうのいっても元増田じゃない時点で話す意義が一切ない

それが加害性あろうがなかろうが論点ずらしと言おうが、俺と当事者との会話がない以上無意味

anond:20240506133650

自分フィクション的強さって言葉を使ったのは

必殺技が強いとか10人掛かりで開ける扉を一人で!?とか現実だとありえない描写の事を指してて、

そういうのを「くだらない」とか「こどもだまし」みたいな意味でいったつもりではないです

anond:20240506134205

違う

生きてる資格がないという言葉の方だよ

anond:20240506122452

外の世界は糞だけど自分世界だけは本物だ

他人が作ったサービス言葉知識を消費せず創作しよう

結局さ、ネットコメントレビューに「本物」は必要無いって事だろ

動画コメント本音を書くの好きだけど本質を指摘するのって嫌がる人多いみたいで結構叩かれるんだよね。 dlsiteも本気文章は消されるしな。

俺にメリット無いし、他人の事だし、誹謗中傷だと誤解されるリスクあるし、叩かれるし、なにも良い事無いからさ、俺がわざわざやる必要無いんじゃないかと思えてきた。

だったらコメントって概念は何だよ。ただの人呼びシステムじゃねーか。くだらなすぎるだろ。そんな事に知識言葉を消耗する現代クソすぎるだろ。

anond:20240506114052

ジャニーズライブを観ていても、彼らが観客に「ありがと~♡」と感謝言葉を述べているのを見ていると、「これが男の可愛げなんだな」と感じる。

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