はてなキーワード: 国威とは
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 80 | 11296 | 141.2 | 48.5 |
01 | 46 | 2464 | 53.6 | 28.5 |
02 | 28 | 10883 | 388.7 | 36.5 |
03 | 14 | 536 | 38.3 | 27 |
04 | 87 | 96593 | 1110.3 | 1299 |
05 | 9 | 5894 | 654.9 | 87 |
06 | 13 | 1281 | 98.5 | 73 |
07 | 47 | 3935 | 83.7 | 37 |
08 | 74 | 4146 | 56.0 | 36 |
09 | 84 | 4076 | 48.5 | 33 |
10 | 203 | 12273 | 60.5 | 34 |
11 | 134 | 10818 | 80.7 | 32 |
12 | 123 | 6132 | 49.9 | 30 |
13 | 123 | 8038 | 65.3 | 31 |
14 | 178 | 13996 | 78.6 | 40 |
15 | 151 | 13230 | 87.6 | 40 |
16 | 175 | 90217 | 515.5 | 81 |
17 | 109 | 10933 | 100.3 | 44 |
18 | 101 | 6184 | 61.2 | 31 |
19 | 83 | 13217 | 159.2 | 29 |
20 | 133 | 63261 | 475.6 | 50 |
21 | 69 | 11200 | 162.3 | 36 |
22 | 147 | 54306 | 369.4 | 55 |
23 | 89 | 7564 | 85.0 | 29 |
1日 | 2300 | 462473 | 201.1 | 40 |
ロックダウン(3), 聖火リレー(6), ガンタンク(6), アラモード(3), 空間除菌(3), プップクプー(3), K-1(15), ナード(11), テド(5), タイガーマスク(3), 無観客(3), ワニ(50), パンデミック(23), 延期(18), 自粛(32), 要請(21), 電通(13), 補償(11), 五輪(11), WHO(14), オリンピック(35), コロナ(118), 新型(23), イタリア(12), 新型コロナウイルス(12), 感染者(19), 開催(18), 感染(54), 宣言(18), 中止(18), マスク(31), 荒らし(11)
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俺はSAMSUNG製品はあんまり好きじゃないがCOWONやLG製品はソツなく高品質なので好きだな。
あと工業製品じゃないが韓国のネトゲには10数年前にはたくさんお世話になった。ゲームデベロッパでいうとdevCATやKOG、クリエイターだとSoundTeMPやキムヒョンテは尊敬してる。最近はBlueHoleスタジオが出世しているな。
韓国の政治には興味ないし、好きも嫌いもないな。女性部の力が強くて青少年保護を謳ってかなりアレゲな法案が通っていたりするので大変そうだなと思う程度。
他国の一個人としてよその国の政府レベルに好きだの嫌いだの言うのもなんか変な気がしないか。直接何も関わりはないし。
経済系のニュースはよく読むし、4,5年前は数年間、経済系トピックにブコメをつけてたこともあったが、政治系のはその当時ですら頭悪い人が多すぎるので読む気がしなかった。
韓国で何が起きているのかは当然ふだんの情報収集の一環として追ってはいるが、いろんな経緯があってそうなっていることは分かるし、中国同様、政府も市民も理性と国威の間でせめぎあっているのだろう。
そういうものを見て馬鹿にしたり○○人は××だなどと単純に決めつける想像力のない人々は有害であるとさえ思う。
ニュースをゴシップとして消化し声を荒げる愚かな人々。これはどの国にもいるが、俺は政府どうこうよりそちらの方が深刻だと思う。
どこどこの政府が「危険だ」とか「信用ならない」くらいの評価を、インプットした情報からはじき出す程度なら分かるが、「好き・嫌い」という個人の感情を持ち込むのはなんともゴシップ的な感覚だと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20170611183038
これのつづき。今回も文字数制限にひっかかったので、分割します。
一方、インドの僧菩提、林邑(ベトナム中部)の仏哲、唐僧鑑真らの外国人も、遣唐使船に便乗して来朝し、インド・西域・東南アジアの文化を伝えた。
遣唐使船は日本人が唐へ往来するためだけではなく、外国人を日本に招くためにも使われていたのです。「遣唐使」「鑑真」というのは中学生レベルの用語です。しかし、この2つを結びつけて説明できる人は案外少ないんじゃないでしょうか?
ちなみに、山川の『日本史B用語集』によると、菩提僊那、仏哲という用語を載せている教科書は、唯一これだけみたいです。しかも桐原書店は彼らの業績を説明するための註を設けている徹底ぶりです。入試問題になったら難問だと思いますが、大切なのはこういう人名を丸暗記することじゃなくて、東大寺の大仏開眼供養会はインドやベトナム出身の僧侶たちも参加していた国際色のあるイベントだった、それは遣唐使船がもたらしてくれたものだということでしょう。
「日本がしばしば新羅を従属国として扱おうとしたため、両国の関係はしばしば緊張した。しかし、日本の遣唐使が唐において新羅人に助けられることもあった。」
これもこの教科書に独特の記述です。遣唐使が新羅人に助けられたというのは、円仁の著作『入唐求法巡礼行記』のことを念頭に置いているんでしょうか?
また、上掲の講談社『日本の歴史』シリーズから引用すると、次のような話もあります。
遣唐使の派遣が間遠になり、日本の船が唐まで行かないなか、それでも求法の念止みがたいとなれば、来航する新羅船を利用するしかない。そしてまた新羅の商人たちは、概して好意的に彼らを助けたのであった(坂上早魚『九世紀の日唐交通と新羅人』)。こうして入唐と研鑽を果たした天台・真言の平安仏教の旗手たちが、仏教の使命は鎮護国家にあるとする考えに則り、護国の修法による新羅調伏を担うことになったのは、実に皮肉なことであった。
このころ唐では、みずからを世界の中心とみなす中華思想が強まり、周辺の国々を夷狄として見下す考えが生まれていた。この考え方は日本にも影響をあたえ、朝廷は新羅や、朝廷に服属しない東北や九州南部の人びとを蝦夷や隼人とよんで夷狄として蔑視しはじめた。
朝廷が東北地方や九州南部に進出した経緯を説明する際、そこには中華思想の影響があったことを説明しています。それに絡めて新羅との関係にもちょこっと触れているので、先にとりあげた東大入試の問題を解くときのヒントになるでしょう。
もっとも、この点はやはり、山川出版社『新日本史B 改訂版』(日B018)の方が優れています。私が先に引用した箇所のすぐうしろ([後略]とした部分)では、朝廷が「東北地方の蝦夷、九州南部の隼人を異民族(夷狄)として服従させ」たことを説明し、「律令国家が蛮夷を服属させる帝国であることを内外に示した」と結んでいるのです。
それに比べると、三省堂の教科書は、遣唐使と中華思想という2つのものを関連付けて理解することが不可能です。
実教出版にも「奈良時代に遣唐使は6度派遣され」たとありますが、東京出版は9世紀のことも記述していてグッド。
遣唐使は894年、菅原道真の建議で廃止されました。ですから、9世紀末まで遣唐使を派遣する制度は残っていたはずなんですが、8世紀と比べるとその回数がめちゃくちゃ減っていることが分かるでしょう。
理由は、日本がもはや唐から学ぶべき必要・意欲がなくなってきたこと、唐が政治的混乱に陥って衰退したことによる国威の低下、商船の往来が活発になったことで日本が唐に朝貢をしなくても舶来品を入手できるようになったこと、などです。
これがさっき桐原書店のところで述べた話にもつながっています。時代が9世紀(すでに平安時代)になっても、仏教では唐に確固たる先進性がありました。だから日本の僧侶たちは唐に留学することを熱望したのです。しかし朝廷は遣唐使の派遣に積極的ではなく、彼らは新羅商人の助力を得なければ、渡航が困難という状況だったのです。
[引用者注:702年の遣唐使派遣の再開について] その目的のなかには、「日本」という国号を認めさせることも含まれていたと考えられる。
東京書籍の教科書にだけある、この一文。「日本」がはじめて国際社会に登場したのがこの時点だったと言っているんです。
これ、すごいことを言っていますよ? 「日本」が太古の昔から存在したという皇国史観に対する強烈な一撃です。
ちなみに、このとき「天皇」は国際デビューしていません。倭国はなんとかして「日本」への国号変更を唐に認めさせることはできても、皇帝にあたる「天皇」という称号を用いて唐と対等外交をする力がなかったのです。唐では天皇のことを「日本国王主明楽美御徳」(日本国王スメラミコト)と呼んでいたようです。もしかしたら当時の日本の朝廷内では、「スメラミコトは唐の皇帝に臣従したが、天皇は臣従していないから日本国王ではなく、したがって日本は唐の朝貢国ではない」という回りくどい官僚的答弁があったかもしれませんが、その点は不明です。このような高度に政治的な問題は、国史編纂のときに巧妙な隠蔽がおこなわれるからです。(上掲の講談社「日本の歴史」シリーズや青木和夫著の中央公論社『日本の歴史3巻 奈良の都』を参照せよ)
さて、これは東京書籍にかぎらず、多くの教科書でそうなのですが、古代史において「天皇」「日本」という表記を用いるときには慎重になっている様子がうかがえます。例えば白村江の戦いでは、唐・新羅と戦った国が「日本」ではなく、「倭」「倭国」「朝廷」等の表記になっています。
なぜ教科書がこんな表記になっているかというと、「天皇」「日本」という称号・国号は、ある時期の特定の政治状況のもと、人為的に作られたものだからです。具体的には天武朝(673年~686年)のころ、大王とその国を神格化する目的で、初めてこれらの称号・国号の使用が開始されました。ですから、もし神と同一であるところのその「天皇」、その神のおさめる国である「日本」が、天武朝より遥か昔から存在していたかのように記述するならば、それは皇国史観に他なりません。
無論、教科書では便宜的に仁徳天皇、推古天皇というような表記が使われていますけど、古代史における「天皇」「日本」という表記の取り扱いについては一応注記が設けられていたりします。例えば『詳説日本史』は壬申の乱ののち、天武天皇が「強力な権力を手にし」て、「中央集権的国家体制の形成を進」めていく過程で、そのころに「大王にかわって「天皇」という称号が用いられる」ようになったと書いています。同社の参考書『詳説日本史研究』はそこがもっとクリティカルです。「大王から天皇へ」というコラムで、「天皇」という称号が天武朝に始まることの歴史学的な検証を載せ、唐の皇帝が一時「天皇」と称していたのを知った日本側が模倣したという説を紹介しています。
1週間ほど前に話題のゴジラを見に行った。面白かったは面白かった。
が、事前ハードルが上がりすぎていたのか、粗(に私には見えた)の部分が結構気になってしまい、正直世間で言われている程に「大傑作」にはあまり見えなかった。
この一週間ほど感想記事などをいろいろ巡ってはみたが、いくつかの批判記事もあまり共感できる内容でも無かったので、ひとつ増田にでも吐き出してみる。なお、いろいろと確認の意味も込めて昨夜もう一度シン・ゴジラは再視聴している。
という訳で以降シン・ゴジラへの不満点を列記する。
まず冒頭の10分か20分くらいで気になった部分。主人公の矢口が会議中に巨大生物に言及するのだが、この時点で矢口がそう判断に至った材料は精々ネットの動画程度であり、あそこでアレを「生物」と考えるのはかなり不自然だ。この時点では矢口は単なる夢想家レベルである。
演出意図としては「唯一真実にリーチしている主人公」のように見えるのだが、それならもっと巨大生物という予測に納得感が無ければ意味が無いように思う。もし矢口をそうした「夢想家」的キャラクターとして描く意図があったのならば納得がいくのだが、以降は基本的に「有能な政治家」然と描かれるのでそれも考えづらい。
基本的に高いリアリティラインで進む映画のため、このシーンで不自然に映画の先を予測した発言があるのは違和感が大きかった。さらにそれに続く、会議室で尻尾のニュース映像が流れるシーンがその印象を後押ししていて、あの映像だけであれを「巨大生物の尻尾」と判断できるというのもかなり不自然に思う。映画の進行のためにさっさと登場人物全員に対象を「動物」だと認識させたい+ゴジラの全体の姿をここでは見せたくない、という意図からああいったシーンになったのだろうが、やはり不自然は不自然だ。
比較的序盤のこの2シーンで、「映画の都合で登場人物の理解力直感力が劇中で変動する映画では?」という疑念が生まれてしまった。
ゴジラに対する登場人物のリアクションとしては、最終形態が現れたシーンでも、あれだけサイズも形態も変化していれば、別個体の可能性への言及があっても良かったのではないだろうかと思う。ここでも映画の進行のため、そうした選択肢を登場人物に不自然に与えていなかったように感じられた。特に「あらゆる可能性を」と発言していた矢口が最後まで同種の別個体の存在に言及しなかったのが不満として残った。
・人の死の描き方について
ネットでは「死がちゃんと描かれていない」「いやアレでちゃんと描かれている」という論争がいくつかあったようだ。
個人的には全体を通してあくまで被害を俯瞰的に描いていたのは面白かったと思う。「対策ルームに篭って黙々仕事をする政治家」が主人公という映画なので、むしろ現場の被害をことさらクローズアップせずに描いたのは正しい。
が、むしろそれならその描き方を徹底して欲しかったという不満があり、2,3箇所ほど不自然に急に人死にがクローズアップされたシーンがあり、そこが「ちゃんと死を描いていますよ」というアリバイ作りのシーンに見えて正直気持ち悪かった。
(一つは倒れるマンションから逃げ遅れた家族、一つは溢れた川から逃げる男性、もう一つどこかで同じことを思った気がするが覚えていない)
この点はあまり大きな不満という程では無いのだが、どうにもモヤモヤとしてしまった部分だ。「全体としては面白いとは思うのだが、細かい不徹底が気になってガッカリしてしまった」というのはシン・ゴジラ全体に対する不満でもあるので、その意味でも言及しておいた。
これは褒めている人の中でも言及している人がチラホラ散見されたが、カヨコのキャラクターはリアリティラインを高めに設定しているこの映画の中で明らかに一人浮いているように感じられてかなり気持ち悪かった。正直ここまで不自然に浮いたキャラクターをこの映画に投入した作劇意図がよく分からない。
とある感想で、「カヨコの突飛なキャラクターによりリアリティラインが下がったために、その後のヤシオリ作戦が受入れやすくなっている」という説明があったが、ちょっと納得しづらい。ヤシオリ作戦はかなり無茶な内容の作戦ではあるものの、劇中の他の展開で「これしか残された作戦はない」という納得感は十分作れており、カヨコの存在が無くても十分受け入れられたと思う。そもそも、対ゴジラ作戦のリアリティラインと登場人物のドラマのリアリティラインとは(相関してはいるだろうが)別の話であり、突飛なキャラクターがいるからと言って突飛な作戦が受入れやすくなるものだろうか? 単に「不自然に浮いたキャラがいた」というだけに見える。
全体通して極めて「大人」な登場人物で物語が進んでいるだけに「なんでこんなキャラクターを入れて雰囲気ぶち壊すんだろう?」と感じた。
・ヤシオリ作戦について
当のヤシオリ作戦についてであるが、例の無人在来線爆弾など独特のケレン味の魅力は確かに素晴らしいとは思うのだが、最後の決着の味気の無さが気になった。有り体に言うと「ショボい」。
意図自体は分かる。派手な秘密兵器などを使うのでなく、人々の地道な対策奔走による勝利を描きたかったのだろう。だが、結局それと特撮的な絵の盛り上がりとバッティングしてしまっているのは悪手だったのではないか。もっと同じ演出意図を満たしながらも、絵的に迫力あって盛り上がる「決着」を描く方法が何か無かったのだろうか、というのがどうしても不満。
注入量を読み上げる緊迫感あるシーンで、「放水した分を全て飲んだ計算して大丈夫なのか?」「そもそもあの生物「口からモノを飲む」という習性自体あるのか?」などの疑問が脳裏をよぎってしまったが、そうした疑問ももっと絵的な盛り上がりがあれば勢いで誤魔化されていたのにな、と思うので、ここも「悪くは無いんだけど、もう一歩足りないなあ」と感じた部分。
加えて、ヤシオリ作戦に関しては、矢口の陣頭指揮の部分にも中途半端さに違和感があり、これまで徹底して「対策室で対応する政治家」を描いてきて、結局最後は「主人公が現場の陣頭指揮を取りに行く」というのを描くのか、というのに少し落胆した。せめて矢口本人が言うように「自分が現場にいる事で出来た微妙な判断」が描かれていればスッキリはしたかも知れない。まあそれをやると矢口がヒーローっぽくなりすぎるきらいがあるのでまた違うんだろうなとは思うのだが。
・「国」のアピール
別に「国威掲揚だ」とか「日本スゴイきめー」だとか言うつもりは無いが、そうでなくても妙に「国」や「日本」のセリフに唐突さというか、無理やり挿入した感があって首を捻った。矢口の「皆休まず熱心に仕事してくれる」から「この国はまだまだやれる」のセリフに繋がるのに飛躍を感じる。前段階として「政治家としてこの国に失望しかけていた矢口」という描写でもあればドラマとして納得しやすくはあったのだが、そういう個人ドラマをフォーカスする映画では無かった。「ニッポン対ゴジラ」というテーマのために無理に接続した感がある。
また、これも同意見を多少ネットで見られたが、総体としての「日本」とゴジラとの戦いを描くのがテーマであるのであれば、あそこまで「東京」のみの話に終始したというのはどうなのだろうと思う。劇中でモブのセリフに地方軽視へのエクスキューズ台詞があったが、正直言い訳程度にしか感じられず、物語として組み入れられてはいなかった。話を2時間にまとめることを考えれば、そこまで舞台を拡散させるのは難しいというのは分かるが、映画全体で「日本」や「国」を強くアピールしていた事との整合性がとれていなかったように思う。
他、細かい部分は置いといて、強く気になったのは以上の点だ。
「細かい事を気にしすぎ」と言われるかも知れない(というか知人に話したらそう言われた)が、気になってしまったのだから仕方ない。面白かったは面白かったが、改善できそうな部分、徹底されていない部分がチラついてしまった、というのは何度も繰り返す通り。「大傑作」の評に期待して見に行ったため、「ここがクリアされてないのか…」というガッカリが先行してしまったきらいはある。
リアルの知人と言い合いになっても後味悪いので、増田で一通り吐き出させてもらった。以上。
<追記>
続きと種明かし
はてなブックマーク - 新元素に自国の名前をつけることはおかしいことなのか?(&元素の名前の由来を学ぼう) - Togetterまとめ
うわあ最悪…ジャポニウムとか、またくだらない日本人の国威()の発露が始ま..
はてなブックマーク - 日本初の新元素、国際認定へ 理研に113番の命名権、「ジャポニウム」有力(1/2ページ) - 産経ニュース
当初は発見したチームリーダー森田さんの名にちなみモリタニウムと騒がれたが、森田さんは生きているので却下
どうやら人物名は亡くなった偉人でなければならないらしい
偉人なら、加速器を造り理研を科学者の楽園に変え朝永湯川を育てた「仁科 芳雄(にしなよしお)」がピッタリだろう
森田さんたちの所属していた仁科加速器研究センターの名前にもなっている
次にリケニウムだと騒がれたが、理研は地名ではないのでこちらも微妙
こんなかんじだろうか? こちらもゴロが悪いね
結局「ジャポニウム」が一番無難に思える
(ちなみに「ニッポニウム」はすでに申請され却下されているので使えない様子)
しかし、名前を叩くよりも、その発見がどのようになされたのか、研究の意義、科学への影響について知った方が有意義だと思うけれどな
フーダニットが好きだ、ハウダニットが好きだ、ホワイダニットが好きだ。
クローズド・サークルが好きだ、と延々と続けてもいいが、このへんにしよう。ヒラコーすげえな。
さあ、犯人探しをしよう。
ある程度物語が進むと、大抵はワトスン役が事件のあらましを振り返る。
新しい日本というシンボルであり、世界一の場所であり、オリンピックに対する日本という国の象徴を込めようとした。
字面そのままの国威発揚であり、ランドマークでもって日本の存在感を示す、土建の極北でもあった。
まず、当時とのドルベースでの日本円は、1.56倍となっている。(78円→122円)
1300億円を1.56倍すると、2028億円となる。
これが、ザハ当初案では3000億円規模と言われていた。ドルベースでも1.5倍。
国家を上げての景気向上と、建築難易度と、見込み違いのダブルアップで2.3倍程度に膨らんだ。
さて、3000億円、規模縮小圧縮しての2520億円の目眩ましが見事なミスディレクションとなっている。
1300億円でスタジアムを一つ作るというのは、適切な金額だっただろうか?
1300億円の予算を組んだ首謀者は、誰だっただろうか?
ザハ・ハディッドは、第一級の建築家だ。脱構築主義建築家としての。
ザハが実力で現在の地位を勝ち取ったことは留意する必要がある。
つまり、コンペでのザハ案は魅力的に見えることが多いということだ。
ザハの案は、脱構築主義建築と呼ばれる枠組みの中では、一級品と言える。
さて、国威を示すために、世界一のナニカをつくろうと決めたのは、誰だろうか?
日本的な何か、機能美的な何かではなく、建築物の美しさを求めたのは、誰だったろうか?
実は、建築関係者が諦めとともに眺めているのには、3つ理由がある。
1964年の東京オリンピック時に、国立競技場こと国立霞ヶ丘陸上競技場はかなりの突貫で作られている。
当時の施工技術と環境を考えると、延命措置は結構無理があると想像できる。
また、コスパ最優先の「機能仕様を満たした競技場」とは、全く違う建築物だろうというのも想像できる。
なので、ザハ以外のどの案が選ばれたとしても、1500億円を下回ることは無かっただろう。
そして、「これ建築難易度高いと思うが」と言う地べたに近い建築家の意見が「アドバイザー」扱いされるコンペだ。
優先順位は明確であり、そうしたコンペはそれほど珍しくはない。
さて、「一番いいデザインを頼む」と言われた建築家が、ドリームデザインを選ぶのは、必然だ。
ラグビーワールドカップ向けの良いヤツを!オリンピックに恥ずかしくない良いヤツを!
そうした、「新国立競技場を決める参加者」の、誰のデメリットにもならないという、不気味な状況になっている。
本来、大学入学祝いに好きなの選んでいいぞって言って息子がベンツCクラスを指さした時には殴るのが親父の努めなハズだ。
例えば、キミが富士鷹ジュビロじゃなかった藤田和日郎のファンで、アニメ化をアレコレ言う立場になったとしよう。
様々な候補の中から、やはり「うしおととら」だと決定した所で、ではどう削るか、という話になったとしよう。
いくらなんでもアニメ化するのにメインである白面の者との戦いは削れない。
前半のクライマックスであるうしおの髪を櫛ですく盛り上がりの為には、各地の少女のエピソードは削れない。
藤田和日郎の連載作家ならではの回り道しがちな癖が絶妙なバランスで拮抗しているが故に、どのエピソードも削り難い。
で、予算が青天井で、必要なエピソードを必要なだけ盛り込む係だとしたら、削る理由がない。
でも、本来は予算配分を考えてリソースを誰かが管理すべきなのだ。
どうやってもこの尺では入らないと、誰かがハサミを入れないと、作品はまとまらないのだ。
押井守みたいに、与えられた予算と期限内で作品を上げるために容赦無く切っていく監督というはむしろ例外的なのだ。
さて、ここからは挑戦状だ。
「新国立競技場基本構想国際デザイン競技」と呼ばれるコンペは、何を目的にし、何に対して責任があるだろうか。
「新国立競技場の建築予算」に対して、予算配分を決めたのは誰で、何に対して責任があるだろうか。
文科相やコンペ審査委員長にスポットライトが当たる中、隠れているのは誰だろうか?
ザハ案が膨らんだ時点で「拒否すべきだった担当」は、どこの誰だっただろうか?
問題点を切り分けるための、簡単なヒントを挙げておこう。
それぞれ明確な責任者が居るが、キミに見つけられるだろうか?
女子がアイドルを愛でるときと同じような感じで、ゆづファンをツイッター上で探し、つながり、
私たちはあの滑りのここが良かった、あの動画ここにあるよ、あーやっぱ可愛い!って情報を交換し合ってきた。
かわいくて美しくって、思春期にも自意識過剰になったり、ひねくれたりせずにすくすくと伸びやかに育ってきたゆづ。
思春期の男の子なのにプーさんを愛でたりするあの自由な感じを見てると、
日本の気持ち悪い同調圧力とか、ジェンダーから解放されてる気分になってたのかなと思う。
金メダル取ってほしいとも思ってた。
私たちのゆづに、あのバカっぽい皇族とか安倍首相とかが言及するのかと思うと最悪な気分だ。
追記:
私が先にファンになってたから偉い、という話ではなくて、
少女漫画の世界から飛び出てきたような容姿で私たちババァの世界では受ける一方、
男からはナヨナヨしやがって、とか言われそうなのに