はてなキーワード: テレビショッピングとは
楽天の通販ページが話題になっているが、あれをデザインの問題と考えると本質を見誤る。
あの縦長ページは、デザインではなくて売り方が原因でああなってる。
楽天のページは、テレビショッピングの売り方をそのままWebページ化したもの。
「商品の紹介→ものすごく売れていることのアピール→性能の説明→専門家の声→価格発表→お客様の声」みたいな感じ。
それなりにネットに慣れている人なら、販売ページ自身が提供する情報よりも、ネット検索して得た第三者の情報の方が信頼できると考える。
でも複数キーワードを駆使したりしての上手なネット検索はみんなができるわけじゃない。
それだったら、amazonのような説明がなくてどれを買った方が良いのか分からないところからよりも、勝手にお勧めしてくれる楽天メソッドの方を好んだとしてもおかしくはない。
VANILLA求人サイトの評判で「風俗業を斡旋する時点で反社と関わりがないわけない」というのをよく目にするけど、少なくともサイトに書いてある情報の限りでは「風営法に則って、届出のある=警察の認可のある店舗のみ紹介している」「常に情報は更新し続けてる」など、反社と関わりがないことのアピールはきっちりやってるんだな。
そのまま鵜呑みにするわけではないし、何事も警戒は良いことだと思うけど、その辺りを踏まえて語らないとただのレッテル貼りでしかないよなぁと思った。
というかねぇ、例えば有名なテレビショッピングの「今から30分以内にお電話頂いた方限定!」とかいうの典型的な詐欺の手口だし、芸能界の薬物汚染も酷いもんだし、ケータイキャリアの抱き合わせ商法とかも違法スレスレで悪質だし、一人暮らししてるとプロパイダー乗り換えの詐欺まがいな勧誘がいくらでも来るし。
IT・通信・メディア業界の方がよっぽど「反社とズブズブ」って言われて納得できるよ。
あと金融もね。テレビcmも放映してた有名消費者金融の暴力的な取り立てが話題になったこともあったね。ヤミ金は「完済させずに搾り取り続ける」のがセオリーらしいけど、カードローンなんて手口一緒だよね。
そりゃ意識的に低くすることはできるだろうけど。
長く続けるうちに無意識のうちに高い声だした時の方が好感を得られる・楽しい・気持ちいい・コミュニケーションがうまくいく、のような感覚的フィードバックが積み重なってきて自ずとテンション高めの声に固定化されていくんだろう。
電話で声が高くなるのや、アニメの女性声優が普通の演技をしても「萌え声」と捉えられるようになるのと同じこと。テレビショッピングもいい例かもしれない。
ちなみにキズナアイは比較的ハスキーな声だと思うんだけど、彼女の初期はもっと低めだった。
とはいえ単にテンションが低めだったという程度で、今の声もそれなりに地声に近い自然さはある。高く聞こえるとしたら告知などで声を張っている時だ。
だが、彼女の挨拶(「はいどーもキズナアイです」)をモノマネするVtuberを見ると、どれも本物以上に高い声でキンキンした感じになっている。
そのへんは興味深く、その現象のヒントがあるように思う。
本物はテンション高めの挨拶だとしても、もっとハスキーっぽさや肩の力の抜け感も聞き取れるトーンであるのに、それを聞く側はなかなか認識しづらいのかもしれない。
細かいことは読んでないし知らない。
どうも検証の結果をwikiに書くだの書かないだのから揉めて、最終的に俺から(観測点的に)近い距離で解析情報を割とガッツリ配信してた2人(夢路、Nishisonic)が抜けさせられた様子。
内輪もめなんてどうでもいいので、いいから俺に攻略のための情報をくれ。
艦これ検証の話は、俺から見ると当初から徹頭徹尾胡散臭い話ばかりだ。
流行った当初はぶっこぬきもそこそこ容認されていた空気があったように思うが、どっかのタイミングでぶっこ抜きはwiki的にアウトとなり、解析情報をもとに書くことが禁じられた。
しかしその後、twitterなどで流れてくる情報は、解析した結果わかったことなのか、回数を重ねて統計的にわかったことなのか、区別がつかなくなった。
結局の所、内部を解析しないとわからないはずの情報が当たり前のように常識として語られている。
ドロップ結果を集計してドロップ率を検証しようとする、のいじ他によるDB勢→艦これ検証部がだんだんと頭角を現した。
いつしか、回帰分析をもとに式を立てるびいかめ他の数理解析勢がどこからか現れ、大量のデータから逆算を試みていた。
一方、Vitaの艦これ改を解析して式を暴き、Web版に適用しようとする夢路他の解析勢も現れた。
ただし厳密にどういう順番で現れたかはよく覚えていないし調べていない。
はっきり言って、俺はこのあたりの全員が人間的に嫌いだ。
のいじは別件で捕まった。水面下で復活しているようだが、やってることが人間としてダメ。クズ。
夢路はVitaの解析結果や他の検証勢の情報を入り交えてブロマガで発表するも、各情報のソースを個別に提示しなかった。それどころか、どこにあるかもわからないソースを自分で探せという、情報を提供する側としてあるまじき発言をコメントにて平気で行っていた。もしその中に間違いや嘘が入っていたらどうするのだ?誰がどうやって検証するのだ?と感じると同時に、言い方が上から目線過ぎた。テレビショッピングのチャンネルみたいなゴミだった。
びいかめはのいじ周りで色々あったこともあるが、数理解析による胡散臭い式を乱発し、拡散される素地を作ったことが大問題である。解析しておきながら「参考程度に」ばかりを連発し、俺からすればもっともらしいことを言うだけのクソだった。
ちなみに、現在共同代表とやらを名乗っているウィルとかいう人も俺は信用できない。
パッと見ではいつの間にか代表とやらの座についていて、結果的に2名をプロセスを明らかにせずに追い出していることから、事実上のクーデターのように見える。
彼の人となりは一切知らないのでそれ以上は知らん。真偽も知らん。
結局の所、検証勢と名乗っている人たちをどこまでどのように信用すべきか、どこまでならセーフでどこからはアウトなのか、全くわからないのだ。
その上でこんな内輪もめという醜態を晒した時点で、今イベントの情報はあまり信用できないし、胡散臭い奴らの言うことは今後も一切聞くべきではないと感じてしまう。
タイトルの通りのことが言いたかっただけなんですけど、いや、チェロってすっごくエッチじゃないですか〜〜????見てくださいよ奥さん〜〜〜〜!!!!!(ここテレビショッピング)
あの流線型の素晴らしいフォルムも、焦がしたメイプルシロップのような素敵な色も、立ち上る松脂のかおりも、そっと触れた時の木のぬくもりと弦の冷たさと、奏でた時の音域の広さも、素晴らしいと思うんですよ。とっても。
突然転校して来た謎の美少女だったり、近所の優等生な幼馴染だったり、蠱惑的なのに包容力のある先輩だったり、なんでも受け止めてくれる義理の姉みたいだったり、もうたったひとつのチェロに一体何人もの攻略対象のエッセンスが詰まってるんだよって話なワケ。エロゲだよエロゲ。
ヴァイオリンやヴィオラ、コントラバスではいけないのかって話なんですが、私はチェロしか触れたことがないし、チェロとしか関係を持ったことないし、そんな他の楽器のえっちさについて語ってたら自分のチェロに愛想つかされちゃうじゃないですか……でもコンバスの低音には抱かれたいかもしれないし子イヌのような可愛らしいヴァイオリンの音色も素敵だし、わかる人にわかればいいのと隙間を縫うように旋律を支える影の功労者的ヴィオラも魅力的だとは、思いますけどね!!ええ!!あっまって今のなし
楽器ってやっぱり触れるときってドキドキしますよね。きちんと曲が奏でられた時なんてもうめちゃくちゃ気持ちいい。自分の努力に楽器が応えてくれたことが嬉しい。自分の努力の合わせ鏡だし、私の努力は私の楽器が全部見ていてくれる。天使じゃん?
逆に手を抜いた時とか、はいはいこの曲何回もやった〜〜って流して弾いちゃうと、もうすっごいがっつり曲に現れちゃうんですよね。すごい。私やる気アリマセーンって感じで弾くとすっごいダサい音が出る。こんなダサい音を私の楽器から生み出しちゃいけない!!と思うくらい私が弾くにあたっての心構えとか気持ちとかって、全部曲に現れちゃう。そんなダッサイ演奏した日には、チェロにも周りにも合わせる顔がない。怠惰でごめんなさい。ってなる。
色々書いたんですけど、私はチェロが大好きです。オススメの曲はヴィヴァルディのチェロソナタ5番ホ短調です。
寝ます。
【再掲】■アマゾンの「バックオーダー発注」廃止は、正味戦争の宣戦布告である
https://anond.hatelabo.jp/20170601214849
ここまでに集まってきた情報を集約し、どう対応するのが出版社にとって得策なのかを考えたい。前回同様、「僕と契約してe託出版社になってよ」と囁く声に揺れている人に向けてこれを書く。出版社が死に絶えた先に本の未来があると信じる人は、そう行動すればいい。私はそれに賛同しないし、その人たちのために論考を書く気もない。
5月から出版社に向けて五月雨式にアマゾンから「説明会」の案内が送られている。内容はここ数年繰り返されてきたのと同じ取次流通への悪口雑言と、「このままでは貴社の流通が危ない! さあe託契約を! 6月中なら特別条件で!」というものだ。
目新しい情報といえば、日販の在庫率が出版社の規模によって違う、つまり、「あなたたち中小は差別されていますよ」という煽りだ。しかし、先般日経新聞に出ていたアマゾン負担による集荷構想は、小規模出版社には適用されないという。なんのことはない。アマゾンだって差別をやっているのだ。説明会の案内が来ない出版社には特別条件も提示されないし、説明会に参加することも許されない。質問しても答えも来ない。
日販はここに至っても、対応についてなんら説明を始めていない(大手にはしているのかもしれないが)。この沈黙は組織としての老朽化を実感させる。なので筆者としては、ことさらに日販を擁護するつもりもない。ただ、説明会でのアマゾンの弁によれば、今春にヤマト運輸と期を一にして、日販も条件改定の交渉を切り出したとのことだ。アマゾンから執拗に「在庫の拡充」を求められ、その原資を求めたのだろう。本件において日販は、愚鈍ではあるが邪悪ではない。むしろ、これまで一般書店そっちのけで利益の低いアマゾンを優遇してきた不正な状況を改善しようとしたと言える。
業界紙『新文化』5月25日号記事「アマゾンジャパン、「日販バックオーダー発注」停止の真意/バイスプレジデント・村井良二氏、事業企画本部長・種茂正彦氏に聞く」でも、日販に在庫要望を繰り返したことは明言されている。
この記事で可笑しいのは、アマゾンが40万点やら200万点やらのアイテムについて「精度の高い需要予測を持っていて、その数量の在庫を持つよう日販に求めたが、応じてもらっていない」と不満を述べているところだ。この主張こそが、アマゾンが求めているものが読者の利益でも流通の速度や確実さでもないことを裏付けている。
それだけ確度の高い予想をもっているのであれば、現在の在庫を3~4倍増し、6~8週間の需要予測分を仕入れて在庫すればいい。調達日数は8-10日くらいなのだから、需要のスパイクもほとんどがそこで吸収でき、欠品率は80%以上向上するだろう。アマゾンは「ロングテール」を誇っているのだから、たとえ予測が大きく外れても、100週間くらいのうちにはあらかた消化できる。もちろん経費はかかる。しかし駅前やロードサイドの一等地に店舗を構える書店にくらべれば、はるかにコストもリスクも低い。しかし、その在庫経費を日販に求めようとする。お門違いとしか言いようがない。
だから、前回に言ったとおり、アマゾンが求めているのは経費の負担であり、流通の改善などではない。これは正味戦争なのだ。(前回のエントリで「正味戦争」という言葉を知らない業界人が多いことを思い知らされた。61年の雑誌戦争、69年のブック戦争を総称して正味戦争と呼ぶ。書店による一斉販売拒否などの実力行使を含む激しい闘争であったが、当事者間で情報が共有されオープンな話し合いがもたれただけ、今回の戦争より公正であった。)
さて、戦争の状況を概説したい。アマゾンが提示している中小出版社への「特別条件」は65%である。個別交渉で時限ながら68%を獲得した社もあり、前述のとおりオープンな条件ではない。アマゾンは各方面で為される「条件切り下げ」の指摘を気にかけているようで、「全アイテムの登録・週5日の出荷回答・2か所(+1か所になる場合あり)への納品」の3条件が遵守されるかぎり、この条件を「変えるつもりはない」と語っている。
しかし、条件が遵守されているかの判断権はアマゾンが握っているし、「変えるつもりはない」というトークを明文条項に盛り込んで契約できた社はない。なによりe託契約は「完全なる合意」を条項に謳っており、個別の覚書や担当者との口約束等は意味をなさないとされている。
これらの条件を「6月末日までですよ」と決断に期限をかけ、「もうこの条件は出ませんよ。いますぐ契約を!」とテレビショッピングのようにプレゼンしているのがアマゾンの説明会である。まともなBtoB商売のセンスではない。
これは商売の正味の話だ。だから、検討する人は正味の損得を計算するのが最初にやることだ。しかし、この件についてあちこちから相談を持ちかけられるが、自分で計算をしている人があまりに少ない。
週5回2~3か所に宅配便で出荷する経費は、送料・梱包手数料・資材費を計算するとかなり大きな割合を占める。60%掛に切り下げられたときに、実正味がいくらになるのか。それはアマゾンでのカゴ落ち失注を防ぐ(e託で防げるとも限らないが)ことで割にあうのか。宅配便の追加納品先が突然鳥栖に切り替えられても大丈夫か。冷静に計算してみることが必要だろう。
アマゾンでの失注は、100%が失われる売り上げではない。そのうち、切実な需要の分は、他の身銭を切って在庫をもっていたり、迅速な調達に努力していたりする書店にまわるのだ。アマゾンが在庫と調達に不熱心な書店である事実が広まれば、その率はますます高まるだろう。
当方ではエクセルの計算シートでそれらの要素を試算し、パラメータが変わるごとの得失がわかるようにした。より汎用性の高いものに改善でき次第、近日中に本項への追加として公開することにしたい。大して複雑な計算ではないが、自力での計算方法に自信がもてない方は、それまで決断を待ってはどうだろうか。
なお、匿名性の高いspreadsheetの公開方法を募集中である。
本記事のライセンスについて「CC BY 4.0」を宣言します。転載・再配布・翻案自由とします。また、はてなによって本記事がまた消去された場合は元記事の掲示が無意味になりますが、その場合もどなたかが再掲載してくださることを希望します。
オープンなネットはイケハヤのような、SEOが小器用なだけの頭の薄っぺらい人間たちがうっほうっほやってる世界になりつつあるよな。
https://www.facebook.com/taizoson/posts/10153788960804492?pnref=story
僕には経営者としてかねてからの疑問がある。ほんとは違うと思いたいので、誰か下記の僕の意見に反論してくれませんか。
かつて世界を席巻した日本の電機メーカー、先日取締役会で揉めたコンビニの最大手、安くて高品質と市場を席巻したカジュアル衣料メーカー、テレビショッピングでいちばん有名な会社、プロ経営者を雇ったがクビにした教育産業の最大手、そして通信などで成長した日本で最も有名なIT起業家の会社など、最近後継者についての話題がすごく多い。
事業を大きくした創業者は、会社の成長もさることながら後継問題がいちばんむずかしい、とよくおっしゃる。「企業は存続してこそ社会に貢献できるのだから、100年続く会社になるように企業文化を創っていきたい」と皆さん口をそろえる。中には徳川幕府だって300年続いたのだから、うちも300年だと言う方もおられる。誰とは言わないが(笑)
なんで?
なぜ存続してこそ社会に貢献できる(=存続しないと社会に大きく長く貢献できたと言えない)、と言えるのだろうか。
存続はしていてもたいして貢献してないことだってある。「売上は社会に貢献して顧客からもらえた対価なのだから、売上が伸びてるあいだは立派に貢献してる証拠じゃないか」「雇用を生み出し続けてるのだからそれだけでも貢献しているじゃないか」などの声を聞くのだが、それはその会社がなくなって別の新しい会社がそれを担ってもいいわけで、「存続してこそ社会に貢献できる」というテーゼを論証したことにはならないと思う。
つまり、存続することと、社会に貢献することとは関係があまりないと僕は思うのだ。それどころか、長く続いている大企業は、分業と縦割りとルールの細分化が進んで制度疲労を起こし、「自己疎外(=働けば働くほど、自分でやっていることが自分のものと感じられなくなっていくこと)」を生み出しているようにしか僕には見えない。
スタートアップ原理主義者の僕には(笑)、必要以上に大きくなりすぎた企業は「自己疎外製造装置」にしか見えないのだ。だからといって共産主義に近い社会主義を礼賛しているわけではもちろんない。ほんとはいろいろ考えているのだが、この文脈においては、単に「アンチ大企業主義」と分類されても僕は全然差し支えはない。
昔であれば、大資本・大組織でないとできない大きな仕事が存在しただろう。しかしこれからの時代には大企業のアドバンテージというのは実はあまり(個人的には「ほとんど」)ないと言っても過言ではないと思っている。
そしてそれは、人工知能とロボットの発達によって、愕然たる事実として現在よりもさらに鮮明にあぶり出されるはずだ。
僕はそのように思っているのだが、僕が違う(それとこれとは関係ない)と思っている、
「企業は成長し続けて大企業となり、そして長期間存続し続けることこそが社会に大きく貢献することなのだ」
ということを誰か力強く理論づけてもらえませんか。
http://www.tez.com/blog/archives/post5052.html
スタートアップがより大きな力を得てより急速に成長するためにも、より大きく、より長い繁栄をして、企業価値を大きくすることを目指すことが必要だと考えられますし、その場合の繁栄の鍵は、いかに「情報処理のハブ」の地位を確保し続けるか、ということに集約されると思います。
だから、企業がより大きく、より長い繁栄を目指すことは、否定されるべきではないと思います。もちろん単なるステークホルダーの思考停止ではなく、他の(「信用」を担保する)理由があるからこそ、大企業として長期間存続し続けるわけですし、社会に大きな影響を与える企業として長期間存続し続けようという意志のないところに大きな企業価値が生まれることは無いはずです。
孫 泰蔵 「信用資本論」とでもいうべきとても示唆に富む論説ですね。
まず、信用という機能の本質が「思考停止」だからこそ信用は一定の「慣性」を持つ、というのにハッとさせられました。経営者もそこに働く従業員も、会社を長期的に存続させるのが是、というところで思考停止してるなといつも思ってたのですが、それは外部からの信用という思考停止ともリンクしているのだということに気づきました。
また、長期的に存続しうる形態としては「メタ」な存在しかないだろうと私も考えていました。しかし、その際に長期的に「メタ」として存在しうる価値やアイデンティティーってなんなんだろうなあと思うのです。資金であればVCなどでも十分提供できるわけで、スタートアップが嗜好する資金以上のなにかを持ってないといけないわけですが、それはなんなのだろうとずっと考えています。そこも「信用」なのかなあ。
そして、「大企業が自らの存続をあきらめることではなく、既存の『信用』に新たな『信用』がぶつかって倒そうとすること」が「古い組織の制度疲労を打ち壊し社会全体を活性化させるのだ」というのはまったく同意です。
しかし、現在の日本では挑戦者がまだまだ全然少ない状況です。この状況を打破したいのですが、能力的に優秀な人が、挑戦者になって打倒するのではなく、むしろ後継者になりたがろうとする人が多いこの状況(例えば、兄がやってる「アカデミア」という後継者育成機関にすごい優秀な人がいっぱい来てるんです!あんたたちは孫正義の後継者なんかじゃなくて起業家を目指さんかい!と心のなかでいつも苦々しく思ってるんですよね(笑))をどうやったら打破できるのかなあと思案しています。
既存の信用にぶつかって倒した新たな信用の成功事例をつくるしかないですよね・・・そっか、俺が頑張ればいいのか。頑張ります!
孫 泰蔵 ありがとうございます。
そして「そこも信用」なんだと思います。
話がややこしくなるので本文には入れなかったのですが、日本では米国のVCは全部が全部イケてると思われがちですが、実は逆にファンドのうち上場株式のindexをアウトパフォームするものはわずかで、9割前後はindexを下回っています。つまり米国とはいえ、ほとんどのVCファンドは「上場株index投信を買った方がマシだった」ということになってます。しかし米国の上位5%のファンドは常に高いパフォーマンスを上げています。
リスクの高いベンチャー投資でなぜ長期にコンスタントに高い成果が上げられるのかという理由は、まさにVCが行うべきことの本質が「信用の供与」だからじゃないでしょうか。例えば「セコイアが投資したベンチャー」は(もちろん背後に技術トレンドの調査やきちっとしたDDがあることに加えて)「セコイアが投資してるんだからイケてるんだろう」という期待が働くからこそ、いい経営陣やいい従業員が集まり、いい投資家が付き、いい取引先やいい顧客が付くので、結果として本当にいい会社になってしまうという「予言の自己成就」が発生しているのではないかと思います。
ポートフォリオで多数のベンチャーに分散投資すると、仮に失敗したベンチャー成功したベンチャーをならしてポートフォリオ全体として利益が出たとしても、必ずしも「あのVCが投資したベンチャーはイケてる」という期待は働きません。「投資したベンチャーを全社必ず成功させるぞ」という長年の努力をすると、そうしたミダスタッチ(「魔法」)が使えるようになるんじゃないかなと思います。
ベンチャーは先進的であるがゆえに、単独でポツンと存在しても、それがいいものか悪いものか、一般の人にはわかりません。「世の中で最も大きな情報の非対称性が発生するもの」だと言えます。だからこそ、そういう「信用」を供与する投資家が増えることこそが、現状を打破する大きな力になると思います。
亀山 敬司 俺も「会社を続けるために稼ごうぜ!」と言ってるけど、社会貢献とは関係ない。会社が続いて大きくなると俺が楽しいからやってる。だから「辞めたあとは俺のこと忘れていいから勝手に楽しめよ」と社員には言ってる。会社なんてただの人の集まりだし、くっ付こうが分裂しようが、べつにDMMの名前が残らなくてもいっこうに構わない。
300年続けたいとか言ってるやつは、何を続けたいと言ってるのかわかんないけど、ピラミッドでも残したいんじゃない?亡霊の自己満足だね。
昔は「社員の未来を雇用をどうやって守る」とか思い悩んでいたが、「過保護で要らぬお世話だな、いい歳の大人は自分で考えな」になってきた。とりあえず後継者は立てるだろうが、そこからは別の会社だから残りたいかは自分で決めなって感じ。
大企業が長く続くのは、良し悪しで言えばちょっと悪し。ゆとりが有り過ぎると頭が悪くなるし、いい気になっちゃうし、内戦に明け暮れる。良い点は、まずしいスタートアップが時々見上げながら「俺もいつかあの大きなビルに入って、きれいなおねえちゃんを秘書にするんだ」と俗っぽい夢を見させてくれる。
悪い部分が大きくなれば勝手に自滅するので、自然に任せといても大丈夫。
そもそも社会貢献も基本はやっぱり自己満足だね。経済成長や新しいテクノロジーが社会を幸せにするとも限らないんだし、自分たちの活動が徳か悪徳かもよくわからん。でも、こんなふうにいろいろ考えるのは、自分だけのことを考えた自己満より、マシな自己満だよね〜!
甥っ子がヨナナスメーカーを欲しいと言ってきたので、GWの帰省のときにお土産として買ってあげることにした。
ヨナナスメーカーとは、凍らせた果物でフローズンドリンクを作る家電のこと。
テレビショッピングで見て欲しくなったらしい。
ビッカメに行ってみたら安いやつと高いやつの2つがあったので、お兄さんに聞いてみた。
私「これ使いやすい?」
お兄さん「僕これ持ってますよ。バナナを凍らせて家族で作って飲みましたけど、洗ったり準備したりするのに手間かかるんですよね。結局使ったの2回だけでした」
私「高いのと安いのがあるけど、どう違うの?」
お兄さん「どっちも同じですw」
こんなに信頼できる家電量販店のお兄さん初めて会った。買いました。
嫁のお父さん。
ネットは使えない。
PCは使ってるけど、ワードで一ページくらいの書類をつくるくらい。頻繁にトラブルを起こして分かる人に解決してもらってる。
ジャパネットタカタのようなテレビショッピングを見るのが大好き。
↑というような感じなんだけど、車はでかいのが好きで夫婦二人なのに7人乗り。
テレビも地デジ化以前はリアプロの超でかいやつで、地デジ化後もまだ高価だった50インチくらいのBDレコーダーつきのやつを買ってた。
俺がヤフオクでやすいルンバを探して買ったら、それ見て定価で買ってた。
イノベーターとかアーリーアダプターとか言われてる人って、必ずしもリテラシー高い人ってわけじゃないんだろうなって思ってる。
昨日、ウチの奥さんが少し太ってきたので痩せたいと言いだした。
食事の量を減らしたいと言う。
それは別に構わない。ただ、食事制限だけでは限界があるから、運動もしないといけないね。
いやでも、基礎代謝をあげとかないと…云々説得を試みるも頑として首を縦にふらない。
オサレスポーツ自転車を購入しサイクルスポーツを始めさせようとするも、購入したショップからの帰宅途中でお尻が痛くなったからもう嫌だと見向きもしなくなったり、
山ガールブームに乗っかって登山をさせてみようとオサレウェアやグッズを購入して山に登ったら、膝が痛い山なんか大嫌いと言い出したり、
マラソンブームにあやかって走らせてみようとオサレシューズ&ウェアを購入させたものの、いざ走ってみたら100mもいかないうちに膝が痛いと家に帰っていったり、
私、これなら続けられそうとテレビショッピングで購入したレッグマジックXも、やっぱり膝が痛いと言い出して今では立派な荷物掛けになっている。
それでもなんとか運動はしてほしい。
そこで俺は言った。
軽い室内トレーニングみたいなものでもいいからやっておかないと、そのうち足腰が弱って動けなくなる。動けなくなると先は長くないよ。俺はお前に健康で長生きして欲しいんだ。愛してるんだよ!
その瞬間、奥さんが大爆笑してこの話はうやむやになったんだが、