はてなキーワード: Feとは
まずこのゲーム、日本のCEROならBでESRBはT、PEGIは12なんだよね。なおWiiUの情報な。
レーティング上げて売ればいいだけの話なんだよ。
まだまだ上にいっぱいあるんだから。
でもそれだと購入する人が減るかもしれない、だから露出控えめにしてターゲットのローティーンに売れるようにしようってのが企業判断なわけで
別に露出増やしたら販売禁止になるわけでもないのに(まるっきり着てなければ無理だけど)
腹が立つのはAUTOMATONの記事で、露出が少なければ新要素の魅力が曇るとか
それと露出は関係ない話なのに、なんで一緒くたにして話してるのかと。
「閃乱カグラで露出が減って新要素にもがっかり」なら十分理解するけど
そもそも露出で売ってるゲームじゃないのに、なんで新作の肌色面積が減ったからって
既に販売が終わってるWiiU版の評価が今から落ちたり新要素がつまらなくなったりするわけ?
そうするぞっていう脅迫じゃねーか。
ただ出回っている評判の中で「シナリオ100点、道徳0点」という評価にだけは同意できません。
道徳0点というのは要するに「初めて人間を手にかけたときの専用メッセージが全員にある」とか、「三年後の展開で、容赦なく自クラス以外の生徒を殺していく」という点が減点されていると思うんですが。
専用メッセージはむしろ道徳加点でしょう。何も言わない機械みたいな反応の方が道徳減点。
で、たぶん大きな減点は三年後の展開だと思うんですが。
実際のところ、他クラスとの関わりって、プレイヤーがかなり能動的に他クラスに関わらないと皆無なので……。
いや対抗戦は二回もありますが、それは「対抗戦」であって協力じゃないですからね。
これが体育祭だの音楽祭だのがあって、クラスの枠を超えた協力イベントをじっくり描いて、一周目でもしっかり全員キャラが把握できて愛着が持てるようになって、そのうえで「勧誘してないから殺そうな」となっていたらそれは道徳0点で正しいと思います。
でもプレイヤーが自クラスの強化だけに目を向けていれば、正直「そこらへんの道ですれ違っただけの他人」を殺すだけなので道徳もなにもないです。
強制的に殺さないといけないキャラへのポジティブな感情を抱かせようとしていない分、FE風花雪月は道徳0点にはなりえません。
ifを少しだけやってすぐ投げた程度の人間。
風花雪月は開発にコーエーが絡んでいるらしいが、
学園ものとバトルの組み合わせという点では、
風花雪月をひとことで言うなら「最高のキャラゲー」だ。
授業という形でユニットを育てたあと、
月末になったら生徒を率いて戦闘へ出撃、
というのが大まかな流れ。
ifでは「数人の主要ユニットとその他大勢の名前だけユニット」という印象だったが、
FEはキャラロストが有名だが、こんなキャラゲーでキャラロストとか狂気の沙汰としか思えない。
豊富なサブイベントを通してキャラへの愛着を深めてこそ楽しめる作品であり、
逆に言うとストイックに戦闘だけをこなしたいプレイヤーには向かないのではないか。
難点はいくつかある。
それとも自分が選んだ難易度(ノーマル・カジュアル)のせいなのか分からないが、
「不敗の名将」とか「最強の騎士」的なボスユニットでもたいてい一撃で倒せてしまう。
(「魔物」にはHPバーが複数あるのだが、それが人間のボスユニットには適用されていない)
スパロボのやたら硬いボス、やたら盛り上がるイベント戦闘に慣れていると、
「これで終わり?」という感じで拍子抜けしてしまう。
彼らが他の汎用ユニットに毛が生えた程度の強さで、あっさり倒せてしまうのは味気ない。
一周目だけでは全ての謎が明かされず、消化不良感が漂うストーリーもマイナス。
第一章の内容から期待していたほどの盛り上がりを感じられなかったのが正直なところ。
ただ、そうした点を差し引いても、よく出来たゲームであることは間違いない。
まだ第一部終わっていないけど、近作での不満点がすべて解消されたことに感動したので書く。
FEは暁の女神を最後に十年以上ずっと携帯機でリリースされてきた。その評価は概ね、SLGパートは練りこまれており携帯機の狭い画面でも遊びやすいUI、プレイをじゃ生しないゲームリズムではあるが、絵(グラフィック)とストーリーがいまいちというものであった。携帯機のスペック上どうしてもキャラクターモデルを用いたシーンは人形劇のようにチープになり、結果的に没入感が得られなかったのが原因だと思う。おそらくハードウェアの性能が足かせとなって製作陣が表現したい品質に達していないかったのだろう。しかし今、ようやくハードウェアの足かせが外れて携帯機で培ってきた遊びやすさと据え置き機のスペックを十分に生かしたストーリー表現を手に入れたのだ。
まだストーリの先、いつものFEのように悪竜を倒すのかトラキアのように人間の戦争になるのか、は分からないけどゲームの節々から作り込みが伝わってきて期待大である。つまるところついにストーリーに期待できるぞということだ。
FEというと歯ごたえのある難易度、パーマネントデス、そしてそれらの要素を盛り上げる魅力的な登場人物という評価であった。
古くは、話すコマンドによる会話とボスとの掛け合い、支援システム以後は支援レベル毎の仲間内での会話。このコミュニケーションスタイルは代を重ねる毎にキャラクターを掘り下げる方向へ発展していった。ただ、if(Echoesやっていない)あたりになると、コミュニケーション有りきの幕間パートとなっており、王道シリアスなストーリーとその幕間が乖離していた。例えばifではストーリーでどんな衝撃的な展開があっても(次元の間という設定の)拠点は平和そのものであり、仲間達も遊んだり風呂を楽しんだりしており呑気なものであった(個人的にこのマイキャッスルおよび子供世代による外伝というフォーマットは失敗していたと思う)。
つまりストーリー展開に対してキャラクターコミュニケーションの側面が機能不全を起こしていた。
だがしかし本作では学園という箱庭を極めて精密に作り上げることで、この不整合を完璧に解消したように感じる。主人公はクラスの担任であり、仲間は生徒や同僚である。彼らが週末の時間を各々好きなように過ごしているのは当然であり、話をしたり、お茶に誘うのも普通の学園生活で不自然さはない。例えばある食いしん坊筋肉バカは食堂や訓練場におり、動物好きで信仰にすがる少女は厩舎や聖堂で見かける(どのクラスを選んだのかバレバレの例)。キャラクターが自由に動ける空間を用意したことはキャラクターの掘り下げの面で素晴らしい決断だと思う。
個人的にハードウェアの性能向上により一番恩恵を受けた部分は世界観だと思う。今までFEはSLGパートがメインで、章の合間にストーリーが挟まるという感覚であった。魅力的なキャラクター達による群像劇というストーリーは一定の面白さはあったのだが、やはり世界は語られるものであり読むものであった。
しかし、学園という箱庭世界を用意し、プレイヤー自らその世界の要素へインタラクションをすることで、世界観に対する理解をぐんと深めることができるようになった。例えば今まで設定資料はメニューからただ読むだけであったが、本作では書庫まで足を運んでプレイヤーの分身が本を手に取る必要がある。例えば学園の様々なところで生徒や先生達が己が時間を過ごしているのを近くから遠くから眺め、話しかけることができる。世界観への没入度の深化により、魅力的なキャラクター達とストーリーの間を埋めることに成功したのが一番の改善点だと感じている。
実はこの路線はifのマイキャッスルですでにチャレンジされていた。しかしハードの制約があり中途半端なものになってしまっていた(自室に招くとか恥ずかしいしハラスメントだし…)。学園というしっかりとストーリーに裏付けされた舞台を与え、ハードウェアの性能を生かしてリッチな箱庭体験を用意する。それができて初めてストーリーとキャラクターの両輪が回り始めたのだ。
共同開発のコーエーの力かは分からないが、本作はとにかくテキストの語彙が格調高い。貴女、貴君などいわゆる古風(田舎風やロココ風の風)な言葉遣いではなく、本当に古い言い回しを多用する。三十年近く生きてきてそれなりに言葉を知っているつもりだったが「疾(と)く」はフルボイスで読まれるまで分からなかった。また言葉の使い分けも見事で、例えば三人の学級長だと歴史ある帝国の次期皇帝である皇女はそれはそれは帝王学を納めた口調であり、騎士の国の次期国王は力強く青年らしいが高潔な言葉遣いで、つかみ所のない同盟連邦の嫡子はくだけた話ぶりである。(歴史ゲームとか昔の小説でしかないような単語や読みが多くて、声優さん大変だったんだろうなーって思った。)
この確かな語彙に裏付けされた会話は、普段はテキスト速度をノーウェイにしてばしばし読み飛ばす自分も、つい自動送りで全部聞いてしまう魅力がある。
いまのところ全てのピースが完全に合致しているFEだと感じている。気になる点としては釣り用の餌が全然手に入らないところ。散策する毎に駆けずり回って餌を集めている。釣りがしたいよ。
お気に入りのキャラクターは、鼻持ちならない貴族で行動言動すべてが面白い愛されキャラのローレンツくん(ウォッチ対象)と青い長髪を持ちペガサスナイトまったなしの薄幸少女マリアンヌ(推し)です。