はてなキーワード: 日本会議とは
1.「今までが左より過ぎたのだ」
9.森さん嫌い
10.日本会議って行ったら何も言ってないのに怒る
12.いつも偉そう
14.地政学ってあるって信じてる
16.読売新聞でさえも左寄りだと思ってる
17.産経にはしっかりして欲しいと思ってる
20.中華料理は割と行く
22.ってか海外苦手
24.ネトサポって何?って焦ってる
30.自尊心が無い
左から右に移ったのは、慰安婦や、南京大虐殺事件の真偽あたりで疑惑が抱かれてのことだと思うよ。
そもそも、自由主義(フランス革命の議席配分では左で左翼になる)に移って、さらなる弱者、例えば外国だとか、差別されている人間を求めて左の中心は移っていった。
昔は韓国や中国は非常に弱く、加えて、その人達に可哀想なことをした。謝って賠償をしないとならないというのが左だった。
だが、どうも慰安婦や、南京大虐殺あたりが嘘が一杯ではないか?という疑念で右の方向に移っていった。
まあ、といっても、優位なスタンスになれば、アホが集まる。で、森友みたいな過激右翼幼稚園が生まれ、それにこぞって政治家が賛同するみたいになった。
更に、それと何故か新「自由主義」が合流している。新自由主義は、上の奴らをとことん肥えさせれば日本が強くなるという立場。金持ちにとっては自由だがね。
新「自由主義」がリベラル=自由主義が良くないと否定する謎な状態。
そういういみで、過激右翼幼稚園の没落とともに過激右翼幼稚園のバックの、日本会議の人権否定、道徳や、上層崇拝みたいなのはかなり力を落とした。
だんだん右左なんて区分が馬鹿らしくなって、今大事なことに意識を払うようになっていくのがいいと思うね。特に、景気。景気!景気!!!
なおかつ、華族階級の公家系は礼儀作法の家としてあった家も多い。
だから、生長の家過激派だったが、そのあたりの「ワイが礼儀作法正しいんだ!道徳を教えれるんだ!なのに平民に落としやがってけしからん!」という
神道過激派と結びついたのが日本会議で、その元上から道徳を教えさせるみたいな感覚でいるからあんな改憲案や発言の数々が出てくるんじゃないかと思ったりする。
はっきり言って北朝鮮だの中国はどうでもいい問題。ていうか、北朝鮮はミサイルポンポン飛んできてるのに選挙する!とか言って、で、選挙始まったら途端に打ってこなくなったね。
あれは完全にガン無視するのが一番北朝鮮と誰かさんに効果的だと思うね。
むしろ、北朝鮮や中国への敵視姿勢を演繹して、経済の新自由主義や、憲法の日本会議的改憲に賛成に演繹させようという質の悪い誘導。
「改憲に賛同した」という言質をそのまま日本会議系改憲に賛成するみたいに取られることね。
後、きれいな条文のところだけ抜き取って人権周りの変更は「なかったことにされている」つまり、変えないともいってない。
数々の人権否定や、立憲主義の無理解についての撤回もしていない。
新しい案が出るまで変わらんよ。絶対に。
御成敗式目は「道理」と「先例」に基づいているというのは中学校とかで習うことだが、これに典型的に表れているのだが、日本では「思想を持たない」というのが思想であるわけだ。武士社会に通底する何等かの思想があってその思想を法律として表現したものではなかったわけで。
例えば過去中国ではあらゆる法律と制度が天命思想に基づいていることは当然のこととされていた。この為天命思想の確立に力添えをしてきた時代ごとの思想家たちが偉大な思想家として記憶されている。現代中国では天命思想は否定されている。しかし、思想に基づき国家が統治されるというのは今でも常識であり、だからこそこの前の党大会で習近平思想の扱いがどうなるかが注目されたわけだ。
では遠くヨーロッパを眺めてみればどうかと言えば、メルケルの発言を見てみればよい。
ヨーロッパがキリスト教クラブでないというのは正しい。しかしヨーロッパが人権と市民権を基本とするというのもまた事実です。そしてここドイツでは、人権と市民権をキリスト教的人間像に重ねているのです
ここでは明確にキリスト教という思想(思想と宗教を区別する人たちも世の中にはいるがあえて区別する必要はないと俺は思う)に基づいて統治が行われることが宣言されている。だいたいメルケルの政党の名前からして「キリスト教民主同盟」なわけで。
このような考え方があるため、ヨーロッパにおいても偉大な思想家というのが度々現れる。
思想とはもちろん政治思想だけを指すのではない。だが、個人の生き方という面でも日本では思想は明確に否定される。状況に応じて態度を切り替えられる人間が通常日本社会ではまともな人間として扱われるのであって、強固な信仰や思想に基づいて一貫性のある立場を取ろうとする人間はあまり高く評価されない。究極のプラグマティズムであり、究極の事大主義だ。
こうした社会においては「偉大な思想家」は存在し得ない。このような社会の状況を言論で表現する学者は過去様々に存在していたが、当然ながらそのような人たちは記憶されることもない。
一向宗や創価学会など政治的に大きな影響を振るった新興宗教もいくらかあったが、結局のところ日本社会の伝統に破れていった。石山合戦は織田信長の勝利に終わったし、公明党は池田思想を捨てて自民党の改憲、軍拡に追従する勢力となった。その自民党にしたところで明確な戦前回帰のような思想があるわけでもなく(故に日本会議のイデオローグたちは安倍政権に批判的である)たんに「アメリカに言われたから」とか「北朝鮮が」「中国が」などという状況に反射的に対応しているにすぎない。
つまり、日本会議の過激派ではない。自民改憲派の総意がこのあたりだと思ってる。
まずはさ、「まともな改憲派が戻ってくるような案を出してからだ」
僕は無理だと思ってる。
リンク先のまとめも少し読んだが、自分には「自民党の修正案が悪い」というよりも、「こういう発言をする人物がいるからダメだ(信用出来ない)」という話に見えるけど。
個人的には思想はどうあれ(右でも左でも)、党内で適当に揉んだ上で提示されてくるんだろうから、それをさらに吟味すればいいだけ、という立場なので、多分、あなたとは少しものの見方が違うのだろう。
別に自分の考え方を押しつけるつもりもないので、あなたは信用出来る人を見つけて案を考えてもらうしかないようにも見える。
そうでは無いならそうでは無いでもいいのだが、あなたなりの戦い方があるのだろうから、自分がとやかく言う問題でも無い気がしてきた。
そういうことで、私はこの辺で切り上げます。
5年ぐらい前ひどかったよ。
いや、そもそも改憲案が出たのは10年前で、それもぼこぼこにたたかれた。
だけど、引っ込めないね。
あとさ、日本会議の過激派って、5年前の時はもう本当に様々な議員がめちゃくちゃなこと言ったのだから自民党の改憲派の体質だと思ってる。
https://togetter.com/li/419339
このあたりひどいね。
https://togetter.com/li/855535
このあたりも。
つまり、日本会議の過激派ではない。自民改憲派の総意がこのあたりだと思ってる。
まずはさ、「まともな改憲派が戻ってくるような案を出してからだ」
僕は無理だと思ってる。
だからさ、「変えない」と「この対案に変える」の二択があるでしょ。
それは違うと思う。
「変える」か「変えない」かという思考方法はゼロイチ思考で物事を単純化しすぎてると思う。
大半の穏健派の人は、「日本国憲法の基本理念等は今のままでいいと思う。ただし、現実と合わない部分は一部修正する」程度の態度だと思うが。
で、人権ガン無視、復古的な道徳、価値観の押し付け。そういうカルトが強く推している。国会議員ですら武藤、片山、西田とかひどい発言をしていて、武藤以外のうのうとしている。
そもそも「権力者を律する役割」というのがぶっ飛んでる。改憲派の憲法学者にすら見捨てられ批判され、憲法学者がほぼ全員批判している。
個人的には関心もないので調べていないが、日本会議の人も「1から人権無視の国家に使えるための憲法を立ち上げる」みたいな過激派は一部では無いのかな?
理想主義者の人も「権力者を律する役割」の憲法が欲しいなら、自分でそれに基づいて日本国憲法に変わる新しい憲法を提案していけば良いと思うしね。
そして例えば、その提案を全部飲む、というのは難しいだろうが、一部でも「この部分は良いよね」という部分があれば、取り入れてもらえるかも知れないしね。
確かにそれはそうだと思うし、そこでは日本国の理念とは何か?が問われる訳だが、誰も何も考えてないんじゃないかな、という点が一点と、逆に「全く変えない」となると、現実との乖離が出てくるわけでそこをどうするかが問題になるが。
例えば、安保法制も基本的には米国からの指示だろうし、どうこう足掻いた所でどうにかなる問題でもないと思う、日本共産党が独裁を始める等の例外事項が起こらない限り。
また、現実的に自衛隊がある訳だが、「今まで通り自衛隊を憲法に明記しないで、ナアナアで行くのか?」という点もある。
でもそうすると、あれほど忖度忖度と言っていた人達が静かになる訳だが。
結局、神戸製鋼も東芝も日本郵政もシャープも「ナアナアで忖度してやってきたからこんなことになったのでは無いか?」という疑念はぬぐえないし、今の日本企業の大半もそうでは無いかと思う。
要するに「怠惰」や「驕り」だと思う。
あんなモノはイキりオタクのするものであると。憑き物に憑かれているんじゃねーか(ワラワラ、的な感じ。
いやどうかな、という話だと思う。