「信田さよ子」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 信田さよ子とは

2023-01-03

母が重い、35歳女の脱出

2023年1月1日、私は限界を迎えて、東京ホテルを予約した。元々3日から予約していたのだけれど、1日からに変更した。実家で絶え間なく続く母の愚痴に耐えられなかった。



子どもの頃のまま、中1のときに貼ったアヴリル・ラヴィーンポスターこちらを見つめる部屋で荷物をまとめていると、ドアから父がその様子を覗く。


「どこ行くの?」

今日から東京に行こうと思って」

「3日からじゃなかったっけ」

「やっぱり今日からにしようと思って。いろいろやることがあるし」

「そう」


しばらくするとまた父が来る。

「なんで行くの? お母さんが泣いてるから理由を教えて」

泣くのか……少しは想像してはいたけれど。

仕事とか渡航準備の関係があるから

「そう…」


父は去ってしばらくすると、今度は母と登場した。

ユニクロの縞模様のフリースを着た母は、部屋にはいると、ドアの前で正座をした。その後ろで、灰色のだるだるのパジャマを着た父が立っている。

私はベッドに座って、ポーチ化粧水を詰めているところだった。


「なんで?」

悔し泣きのような顔で、正座をした母が言う。


仕事とか渡航準備あるから、やっぱり早めに行こうと思って」

「なんで? 私がなにか悪いこと言った? なにがだめだったか、教えてください」

正座した上半身ゆらゆらと前に屈ませながら、母が泣いている。


「いや、別に……」

「教えてください。私があなた子供の頃からしていた所業が悪かったのはわかっています。謝ります。ごめんなさい。でも、言われないとわからないんです。私ばかなので」


正座ゆらゆらと頭を下げる母。泣いて頭を下げる親を上から眺めるなんて、最悪だ。自分が本当に人でなしのように思える。


これが嫌でこれまで距離をとってきたんだったなというのと同時に、これが予想できたとしても最悪のタイミングで拒絶をしたかったんだとも思う。


「5秒ごとにネガティブなことを言われるのに、疲れただけだよ」

ネガティブなことってなに? 教えてよ」

「どれというより、本当に息を吐くように言ってるから、一度録音してみたら…」

「そのときに言ってよ。言われないとわからないよ」


母の涙声の語気が強くなる。本当にわからないのだと思う。それは2人で暮らす両親の習慣なのだ


***


母は父の一挙手一投足に文句を言い、ときに声を荒げる。父はかなり雑で無神経なほうなので、文句を言いたくなるのもわかるときはあるけれど、母の謎のこだわりに沿っていないかったり、さっき母が自分で言ったことを忘れていたりという理由での文句も多い。

煮物を真ん中から食べたとか、思っていたのと違うお皿を使っているとか。


文句を言うとき、母は私のほうをちらりと見る。一緒に文句を言ってほしいという合図だ。祖母ご近所さん芸能人を悪く言うときも一緒だ。


子どもの頃は、これに必死賛同していた。賛同したほうが、家庭内平和だし、「やっぱり父に似て鈍臭くて雑」と言われたくなかった。私は母のなかにあるお皿のルールを覚えて、完璧対応できるのが、誇らしかった。


母の文句合理的ではないと気付いたのは、中学生になった頃だろうか。反抗期を迎えた私は、母の「ちらり」に反応しないことにした。子どもの頃の癖もあるから、反応しないのには一定のパワーがいる。


20年ほど経つのに、未だに母は私の賛同を待っている。目を逸らすと、「冷たい」「つまらない」と残念そうに言うこともある。私は私で、いまだに反応しないのには、パワーを使う。



母は自分にも、ネガティブ言葉を投げかける。料理の味付けが薄かった、もっとこうすればよかった、失敗した……。「そんなことないよ」「おいしいよ」と父はすかさず言う。「心にもないことを」と母が言う。


私も基本的には「おいしいよ」と言って、自分が実際に食べたいと思う以上に食べる。実際にそんなにまずいと思うことはない。おいしいことも多い。絶対に言えないけれど、もっとこうしたらおいしいのにな、夫だったらここはもっと丁寧につくるなと思うことはある。



母と父は2人っきりで、ずっとこの関係を続けているから、自然なのだろう。父は天然で人の話をよく聞かないタイプだし、何十年も家庭を放棄して母に苦労をかけてきた負い目もあるのだろう。なにより退職して、今かまってくれるのは、母しかいない。


そうして自然に任せると、5秒ごとに母が、父の批判か、フォロー待ちの自分批判をすることになる。


「そうだそうだ」と母に賛同しているときは、楽だった。そういうものだった思っていたから。でも、なんだかおかしいなと気づいてからは、食事3回分、24時間くらいが限界らしい。


最近は、夫や弟夫婦帰省することが多く、彼らがいたから、なんとか耐えられていた。

弟の奥さんや夫を気遣う体で、物理的に距離をとれたし、外の目がある手前、母のネガティブも多少減る。

彼らは空気を読むタイプなので、波風を立てない形で、母をなだめ、父へのフォローもできる。弟と私が、そういう伴侶を共通して選んだのは、偶然ではない気がする。



そんな夫が「あんなに失敗したって言われながら、食事を出されると反応に困るんだよなぁ」と、いつかの帰り道にぼやいた。

それで私は、やっと自分がいつも母の絶え間ない自虐に疲れていることに気づいた。


12月29日の夜に帰省した私は、24時間が過ぎた30日の夜に、電池切れしてしまった。


31日はタイミングが悪いことに母の誕生日だったけれど、その日は私はなにも話すことができなくなっていた。そうなると、私は思春期に戻ってしまう。


こうならないように、ここ何年かは、それっぽい理由をつけて一人のとき自分が耐えられる時間だけの滞在にしてきたし、長い時間ときは夫や弟夫婦と一緒に行動するようにしていたのに。

今回は急遽海外への引っ越しスケジュールがずれこんで、直前に長く実家滞在することが決まった。私以外は皆海外にいて、一人での帰省だった。


ゆっくり実家にいれるようになって、よかったね」というまわりの言葉になんとなくそうかなぁと思ったけれど、やはりどうしても私には無理だったらしい。


年末に駆け抜けた引っ越し渡航準備、仕事で、疲れきっていた。さらに悪いことに、家族緩衝材役を担ってくれていた犬が、最近病気で寝たきりだ。

私は母と話せなくなると、犬に話しかけて、場を和ませて、なんとか大人自分に戻っていた。



私は実家にいるとき、3つのモードがある。


①母の文句や笑いに喜んで賛同し、適度に甘える、7歳の無邪気な自分 ←母はこれを一番期待している。25歳くらいまでは、違和感を持ちつつも、これで仲良くやっていた。


②母に反抗して黙りながらも、我慢してその場にとどまる15歳の自分 ←母はこのモードに、世話を焼くのも嫌いではなさそうだ。私はかっこわるくて最悪な気持ちになる。


③母の愚痴ニュートラルに聞き、親切にする35歳の自分 ←母は物足りなそうだけど、自慢の娘というかんじでご機嫌。私も心が安定する。心の余裕がないと、長時間できない。


もちろん、基本的には今の自分の年齢と一致する③でいたい。①は楽で平和だけど、自分のなにかが死んでいく気がして、絶対にやりたくない(実際この形でうまくいっている母娘はけっこういる気がするけど)。


③が崩れそうなときに、①を断固拒否すると、②になり、今回は頼みの綱の夫、弟夫婦、犬の不在で、③に戻れなくて、耐えきれず、物理的な脱出をはかったわけだ。


***


修羅場に戻る。


「なんで嫌ならそのときに言ってくれないの!? 私が子どもの頃、すぐヒステリーになったから、それがトラウマで、普通言葉もすごく嫌に聞こえるんだよね? そう、私が悪いの……」


母は一人で話しつづけている。

しかに、そうなのかもしれない、と思う。


「どうせ私は虐待親ですよ。そう思ってるんでしょ。この家に足を踏み入れるのも辛いんでしょ」


こんなふうに母が言うのは、弟が4年ほど前に、そう言って母に反旗を翻したからだ。


から見て、弟は弟でわりと極端な思い込みがあるほうなで、それは言い過ぎではと思いつつも、面倒なことを伝えてくれて助かったなとも思っていた。


虐待とまでは言わないけれど、母の臆病さや不安定さに、随分振り回されたなと思う。母の年齢に近くなり、いくら大変でも、大人の私はそれはしないなぁということがいろいろある。時代も違い、私には子供がいないから、未体験領域ではあるけれど。


ただ今になって本人を責めたいとも思わないし、お金と労力をかけてもらったぶんそれなりに自分人生を生きらている自覚はあるので、のらりくらりと、どちらの側にもつかずに距離をとっていた。


その間に結婚して、夫という防波堤ができて、このまま平穏にほどほどの距離感でやっていけそうだったのに。ここにきて、こんなことになるとは……。


「ずっと嫌だったんでしょ。無理してこの家に来てるんでしょ」

「まぁ、それはそう」


弟ほど実家に寄りつきたくないわけでもないけれど、母の雰囲気におされて肯定してしまった。実際、いればいるほどエネルギーが吸い取られるかんじがするし。


「嫌なら、なにが嫌かはっきり言ってくれたらいいのに。なんで教えてくれないの?」

「こういうふうになるってわかってるからおかしいなと思っても指摘できないよ。子どもの頃から、言えないように、あなたがしてきたんだよ!」


一度肯定すると、私も感情的になって、涙がでてしまう。


「指摘できないなんて、思わないけどなぁ」

父がとぼけて言う。

だって家にいなかったから、知らないじゃん」


ついでにした父への批判は、なんとなく母が言ってほしい言葉を言ってしまった気がする。


だって、いなかったし、そのうえ、気に入らなかったら、怒鳴ったり暴力振るったじゃん。アル中DVだったときのこと、忘れたの?

と本当の私は言いたかった。


宙吊りにされてテーブルの角に頭を打った母が頭から血を流したことも、ベランダガラスを蹴って割ってくるのを、弟と部屋のなかで怯えて見たことを、私は忘れられない。

部活から帰ってきて眠っていたソファから、突然投げ落とされたことも。

日曜の昼、ウィスキーを飲み始めたら、今日は怒鳴りだす合図だったことも。


でも、それはこの家ではなかったことにされているタブーだ。母の思う「うちは、幸せな家庭でよかったね」の規範から、明らかに外れているからかもしらない。


今の父は穏やかで、母を落ち着かせる役割を担っているし、あの頃のことを申し訳なさそうにする素振りをしているので、私も言わないことにしている。


ある一定の期間だけだった気がするので、仕事ストレスもあったのだろう。その仕事で、大学まで行かせてもらったわけだし。だからって、許されることとも思わないけれど。


そんなことを考えて黙っている間も、母は話し続ける。


「私はひどい親かもしれないけど、あなたのことが大好きだから、楽しみにしてたくさん準備して」


楽しみにしていた誕生日とお正月に、大好きな娘にこんなことをされるなんて、母はとても可哀想で、そんなことをする私はなんてひどい娘なんだろう。

母の憐れさに飲み込まれていく。罪悪感で、頭がぼんやりする。


あなたがしていることは、はっきり言って暴力だよ。無視されることって辛いんだよ。お父さんと同じことを、あなたはする。なんで?」


母は悔しそうに泣く。父にされたことも、思い出しているのかもしれない。


しかに、15歳のモード言葉を話せなくなってしまった自分は、不甲斐ないし、申し訳ない。もう35歳なのに、なにが嫌か言葉でなかなか説明できないなんて。それでも。


「そんなふうに被害者っぽくされるのに、もう疲れたので…」

被害者面なんてしないよ! 絶対しない。でも、被害者って言うなら、言わせてもらうけど」


被害者」というキーワードが、なにかの引き金になったらしい。母がここぞとばかりにまくし立てる。子どもの頃、どれだけ私や弟に尽くして節約し、我慢し、プリントを整理し、時間をさいてきたか自分がこんなふうに拒絶されるのが、どれだけ辛いか


プリントの整理、私嫌いじゃなかったし、別にしてもらわなくてもよかったんだけどなぁと思う。


節約して5歳から18歳まで行かされていた塾も、今思えば先生子供たちに人格攻撃をするやばいやつだったので、あの先生のために節約しなくてよかったのにねとも、思う。

どんどん人が辞めていくなかで、私は一番長くその塾に通った。今思えば、あそこにいた子どもたちは、みんな無表情でか細い声をしていた。


母にも辛くあたった塾の先生祖母を黙らせた私の全国模試順位に、母が満足気にしていたのも思い出す。私に勉強の機会を与えたのは、私のためだったのだろうか。


母がヒートアップするほど、だんだんと冷静になってくる。


母は絶対否定しない父を後ろに据えて跪き、私が絶対罪悪感を抱く言葉を泣きながら放つ。

この人は、本当に自分可哀想で仕方ないんだなと、思う。


過去やってきたことを否定したいわけじゃないよ。ただ今、愚痴を聞き続けるのが疲れたっていうだけだから

「本当に行くのね?」

「うん」


これまでの私だったら、ここで東京に行くのをやめていたかもしれない。そもそも行事を大切にする母の手前、大晦日とお正月実家家族から離れる選択肢なんて、一昨年夫がコロナの濃厚接触者になった一度以外、なかった。


海外駐在中も両親が自宅まで来たし、濃厚接触者になった翌年の新婚ニ年目も年末がちょうど誕生日から義実家より私の実家を優先した。「失敗したかもしれない」と呟く母のおせちづくりを毎年手伝い(「おいしいよ」とフォローしながら)、きれいにできた重箱やお正月風景を撮ってアルバムにして、プレゼントした。


今年は弟夫婦も夫も海外で、犬は寝たきり。それでも母は、親子水入らずでのお正月を楽しみにしていたのだと思う。急遽伸びた海外行きと、それに伴う実家滞在の長期化を、母はもちろん喜んだ。


私は夫と会うのがお預けになってがっかりしたし、なにより自分実家滞在に耐えられる自信がなくてとにかく不安だったけれど、そんなこと、まったく思いもしなかっただろう。



「私はお正月家族で過ごすものだと思ってるから。こんな仕打ちってないよ。〇〇ちゃんの家は母娘でおせちをつくって、●●さんの家ではもっと……」


母が地元に娘が残って、べったり子育てサポートしている家族を羨ましく思ってるいるのは、わかっている。


それが嫌だから上京してよかったと何度思ったか。一方でその願望に多少は答えなくてはと思って、お正月誕生日と、GWお盆帰省した。旅行もした。

でも、今回は無理だった。弟夫婦や夫がいてくれる年を過ごしたら、もう1人では耐えられなくなっていた。



「もう何十年も、十分やってきたでしょ」


そう言うと、母は静かになって、去っていった。


私が喜んでやってきたと思っていたことを義務のように言われて、母は心底悲しくなったのかもしれない。私だって、いつも100%嫌々やっていたわけではない。ある程度、楽しんでいた。


母は本気で自分を直そうとして、泣いて質問しているのもわかる。


それでも、「まだほしい、まだほしい」と千と千尋カオナシのように、やればやるほど依存されて欲しがられるかんじに、耐えられなかった。

母が変わるのを根気強くサポートする気力が、私には残っていない。



母が羨ましがる〇〇ちゃんや●●さんの家だって、娘が気を遣っているところはあるのだろうと、私は思う。彼女たちが一時精神を病んでいた原因に、母との関係がなかったと言えるだろうか。


娘同士で話すと、娘側が母にリップサービスをしたり、話を合わせたり、距離をとったりしていることは多い。

10代の頃は本当に仲の良かった「友達母娘」でも、いつまでもそのままでいられると思っているのは、たいてい母のほうだけだ。それでも、娘は母をがっかりさせないように、大人の振る舞いで和やかに過ごす。


だって、本当はスマートに、本人には気づかず幸せでいてもらったままで、ほどほどの距離感で過ごしたかった。


誕生日やお正月を楽しみに、食材を考えていた母を思うと、胸が痛む。とても。涙がでるほど。

こんな最悪のタイミングで反抗しなくたってとも、思う。しかも、こんな年齢で。


それでも、今、私は自分のために、自分をどうしても逃がしてあげたかった。

脱出した私は、その夜、東京銭湯に行って、ホテルのベッドでぐっすり眠った。

2023年、はじめの自分へのプレゼントだった。


——-


けんか(?)を片方の立場から書くのって、フェアじゃないよなぁと思いつつ。

まずは自分のなかの混乱を整理するために書きました。だからか、うまく削れず、とても長いです。


迷いつつも、シェアするのも悪くないかなと思ったのは、信田さよ子さんの本や記事にでてくる人たちの具体的なエピソードに、私自身が背中を押されたからです。

https://www.amazon.co.jp/dp/4393366255

https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0022/topic025.html


もうおばさんという年齢なのに、いつまで私は子どものようにじたばたするんだろうと思うけれど、自分選択して、書いて、振り返って、前へ進めば、大人としてドライなほどほどの関係を築けると信じて…。

自分ブログ用に書いたけど、さすがになぁという内容なので、ここに載せます

2021-03-28

虐待母が気がつくべきは自身被害者性」

信田さよ子虐待する母親が気がつくべきは、自身加害者性じゃなくて、被害者性なんです。」→賞賛

信田さよ子「すべて妻の責任被害者ヅラする男たちの「信じられない言い訳」」→賞賛

ワイ「ひらめいた!」

更生プログラムでも加害性を低減できない犯罪者をどうするか、みたいな議論があったけど、例え精神や行動を変えられなくとも女性に性転換させれば「加害者性」を除去又は軽減できるぞ!

2021-03-06

信田さよ子かいう有名らしい心理カウンセラーが、

「実は「中立」や「客観」って、マジョリティ立場に立つことなんですよ。それは強者眼差しなんです。DV問題だったら、男性視点に重なってしまう。だから私は「客観的」という言葉ほとんど使わないようにしています。」

「私のカウンセラーとしての特徴があるとしたら、たとえ相手が嘘を言っていたとしても、完全に肩入れするという姿勢ですね」

と言っているんだけどこれはかなり危険

ある種の虐待加害者弱者を装いつつ家族モラルハラスメントを繰り返して道徳的に優位な立場から支配しようとするから女性が多い)、こういう立場人間権威を持つと、逆に利用される形で虐待に加担することになる。

2021-02-26

日本フェミニストけが母親による子殺しや実子虐待擁護する不思議

これは、もうはっきり言って日本だけの現象と断言していいのだが、

いったいどこでどんな思想仕入れてきたのかわからないが、

なぜか日本フェミニストの主流派母親による虐待嬰児殺害擁護するのだ。

先日も信田さよ子虐待する母親は実は被害者で、責められるべきではないと徹底的に擁護している。

しかし、海外(私の知る限りフェミニスト団体が広く活動している地域。例えばアメリカ合衆国北欧諸国)では、

児童虐待をする母親は厳しく批判されている。儒教が浸透している韓国でさえ児童虐待には厳しい。

日本でも『父親による』虐待にはとにかく厳しいため実父による心中以外の虐待死は2003年28%だったもの

2016年には8.2%まで減少している(ちなみに実母交際相手による虐待死は4%から2%まで減少)が、

実母による虐待率は52%から61.2%まで増加している。

数字を見てもらえればわかるが、日本そもそも実母による虐待が異常に多い国なのだ

私はここに答えが隠されている気がしてならないが、今後の研究が俟たれる。

2021-02-25

信田さよ子虐待母を徹底的に擁護していて危険だと思った。

虐待母を責めるのは虐待児の視点に立ってしまうから母親は悪くない、お母さんは自分こそ被害者だと気づいて、女性は悪くない、悪いのは全て男、母親を責めないで、虐待されているお子さんもお母さんに幸せになってほしいと願ってる」

誇張抜きでずっとこれしか言ってない。

これがフェミニズムなのか。

2020-10-10

https://anond.hatelabo.jp/20201010072557

「苦しむ人に寄り添う」みたいな視点文章だと、アニメでもラノベでも、どこでも読めるのよね。

クライアントに寄り添うだけなら、医師免許がなくとも、飲み屋のねーちゃんも、宗教人も、占い師でもやっている。

患者向けでなく、医療従事者に対しての文章を書くのが、春日武彦信田さよ子なのさ。

医師免許を持ってんだから、単なる共感以外の仕事を行わなければ。

2014-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20140223020611

信田さよ子、とか読んでみるといいかもよ。

自分人生にいろいろな気付きがあるかも。

2010-06-30

そんなあなたにAC

http://anond.hatelabo.jp/20100630232355

いろいろ、あるけど、たぶん、これ。

アダルトチルドレンとは、人が機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなお内心的なトラウマを持つ、という考え方または人のことを指す。」ウィキペディアより。

いろいろ事情があるのだろうから、自分の家庭が機能不全なんて思うのは苦痛かも知れないけど、「信田さよ子」の本を探してみたら、少しは気持ちが楽になるかも知れない。

「するべき」ことなんて、そんなにないよ。気楽に気楽に。

2010-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20100610094717

そんなあなたに「信田さよ子

例えば『夫婦の関係を見て子は育つ』78ページから79ページにはこんなことが書いてある。

「生きづらさが、持って生まれた性格ではなく、生まれ育った家族の中で生き延びるために学習されたものによるならば、それは学習し直せば変わることができるはずです。

 対人関係のつくり方や、さまざまな感じ方、認知の方法などは原家族で育つ中で知らず知らず身につけてきたのです。そのことに気づき自分パターンの特徴を知ることでそれを変えることもできるでしょう。逆に気づかなければそれを変えることはできません。」

解決法にも触れているので、今の自分では生きづらいと感じているのなら、一読をお薦めする。

もちろん、親を喜ばせるためなどではなく、元増田自身が自分人生を取り戻し、楽しい時間を過ごせるようになるための参考になればいいなと思ってのこと。

グッドラック

2008-07-30

書評を読んでるだけで胸が締め付けられる

極東ブログ: [書評]母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き(信田さよ子)

この状況は親の呪縛を打破できない自分の責任だとわかっているはずなのに、他者に手を差しのべられてしまうのかと思うと怖い。読みたくない気もする。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん