はてなキーワード: ピーターの法則とは
企業なんて千差万別だから、残業したり、有給休暇とったり、挙句の果てに電車遅延による遅刻が多かったら評価さがるというのが横行してるんでしょ。
そもそもが、トップがきちんと顧客を向いた商品を開発できるための知識、意識が欠落していて、
もうそういう「オレが気にいるいらない」でしか判断できなくなってる会社はそう。
たまたま運が良かったやつをマネジメントの知識や素養がないままマネジメントにしてしまって、その後良い部下悪い部下の評価ができなくなることもある。
ピーターの法則とかね。
んだから、やはりマネジメントができるか?というふるいを一定以上の昇進には絶対もうけないとならない。
また、それと、成果を出したことの評価を別に金銭で報いる必要もある。
「成果の報酬」として昇進させてきたつけが今回ってるんよ。マネジメントへの昇進は報酬には絶対してはならない。
承認欲求満たされるし、金銭の消費が少なくていいから、報酬としては扱いやすいのかもしれないが、あとの会社を腐らせてしまう。
『功ある者には禄を与え、徳ある者には地位を与えよ』
ピーターの法則ってのをぐぐって読んだらいいんじゃね?
一年の仕事を振り返って考えてみると、もっともリソースを割いたのは競合でも顧客でもクレーマーでもなく高圧的な上司だった。
とにかく何の仕事持って行ってもどうでもいい細かいことばかり指摘して条件つけないと承認しない。
「ほらみたことか」と言わんばかりに担当者を怒鳴り散らす。
ピーターの法則っていうけど、まさに会社中が自分が無能の限界にたどり着いたことに気づかない人間ばかりで滅入る。
本来なら失敗させない仕組みづくりが求められてるはずなのにそれができないからその程度で評価が止まってるって分からないの?バカなの?
「部下の成長のために自分は手をかさない(キリッ)」じゃねーよ。
人間の特性として、リーダーシップを発揮できるタイプと、フォロワーシップを発揮できるタイプがあって、
フォロワーシップを発揮できるタイプは、リーダーの指示に従って行動するのが得意なわけで、
グループを任されたり、部下をつけられても うまく使いこなすことが出来ないんよ。
本人もそういう自覚があるから断ってるわけで、まぁ昇進させずに現場に居てもらう方が双方にシアワセやな。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87
からも逃れられるしね。
ちきりん化は誰にでもおきることだけれど、大抵の人は、ちきりんのレベルまで到達する前にその状態になってしまう。
稀にちきりんよりダサいブックマークの使い方を始めてしまう人もいるけれどどちらにせよ成長は止まってる。
一線級のウォッチャーであるわんこ紳士によると、ちきりん化を起こした人は、自分より上の人間にちょっかい出された時は次のどれかの処理を行う。
いち 「こんなすごいひとに声かけられました」という点だけ記憶に残って、武勇伝を語りだす
に たとえルパンの記事を書いて「會川 昇 (@nishi_ogi)」や「ゆうき まさみ (@masyuuki) 」にアニメのことでダメ出しされても
「あの人達がこんなにレベル低いとは思わなかった」という返しをする。
どう理由をつけようがやることは同じ。さん一択のちきりんは、得られる可能性をバッサリ切り捨てることで最も情報処理コストの低い選択をしている。
有能であるほど昇進する可能性が高い。
だが現場に求められる才能と管理職に求められる才能は違うので、昇進すればするほどだんだん当初の才能が通用しなくなっていく。
それでもなんとかついていけるうちはまだまだ有能と認められて昇進が続くが、やがて能力と完全にミスマッチな役職まで登ってしまうと、もはや有能とは見られなくなり昇進が止まる。
自分はプログラマーで、多くのプログラマーと同じように、コードを書く行為そのものが幸せであり、いつまでもコードを書いていたいと思う。
だが30を越えて、今までいくつかの会社でサラリーマンエンジニアとして働いた経験を総合するに、
少なくともこの国でプログラマーで居続けるためには起業する以外の選択肢は無いのだという結論に至った。
普通にコードを書いて、スキルを磨いて、リリースを成功させていくと、やがて肩書きがついて雑務に振り回される日々が訪れる。
プログラマーにとって何よりも大事なのは連続した集中、それも出来るだけ長い時間だ。
昇進して部下が出来たり、質問される機会が増えたり、評価業務やら、上級職会議やら、採用面接やら、一つ一つは大した事が無くても、
出社時間は気が付けば断片化して切り刻まれ、一日に一時間続けて集中する事すら困難になってしまう。
もはや一日中コードを書き続けるような事は遠い夢になり、腕は鈍り、ますますコードからは遠ざかる。
これまで、本当に多くの人がそうやってコードを書かなくなり、緩やかにピーターの法則に吸い込まれていくのを目にしてきた。
そしていつしか、コードは昔取った杵柄を披露するだけのオモチャになり、やがて家族なんかが出来て、どうでもよくなる。
それはそれでいいだろう。
だが、どこまでいこうが、自分が書きたいのはパワーポイントやエクセルや論文などではない。実際に動いて、問題を解決するコードなのだ。
フリーランスになる事はこの問題を幾分か解決するが、下に述べる他の要因によって最善手ではない。
単なるテキストの塊から、継続的な自動化を行い、マシンの集団を操り、物事の新しい側面を露出させ、市場と金を生み出すことだ。
しかし、サラリーマンエンジニアであろうとする限り2000万円の年収を越す事はほとんど想像出来ない。
プログラマーとして平均の20倍の生産性を叩き出したとしても、報酬には重いフタがのしかかっている。
同じようにレバレッジを利用する投資銀行やらコンサルタントやら、金の流れを直接扱う職能に比べて、ソフトウェア開発者は恐ろしく不当に評価されている。
だが、結局プログラマーはプログラミングを書いていれば幸せなのだから、そのように容易に搾取する事が出来る。
一年後の状況すらまるで読めないこの業界では、学習を止める事がそのまま死に繋がる。
しかし、エンジニアのあるべき姿としてのスペシャリスト信仰のようなものは根強い。
ある技術に特化して一線に身を置く事は極めて重要ではあるが、技術が発展する限り、どのような専門知識も価値は保証されない。
しかし同じ場所に居続ければ、新しい技術を習得したり、全く関連の無い分野に挑戦することはいつしか"若い衆"の役目となってしまう。
挑戦や学習が趣味の領域に追いやられた時点で、エキスパートは本当に脆い存在になる。
そして、30代、40代、50代となって、エキスパートとして食わせてもらう以外の在り方もまた、想像出来ない。
独立がリスクであるように、全てのITエンジニアが置かれたこの状況もまた同じようにリスクであって、どちらにせよ誰も責任を取る事は出来ない。
エンジニアがエンジニアであろうとする限り、やる事は結局のところ他人の問題の解決だ。
相手が解決しようとしている問題を推察して、それに合わせてキャリアやらスキルを設計することになる。
どこか知らない所で仕事が作られ、それに合わせて自身を適合させていく。
どんなに有名で優秀な人間が集まるところだろうが、その構造は基本的には変わらない。
日本の大卒者は社会に出るまで、一貫して他人に選ばれるために他人が定めた問題の解決をする努力を強いられる。
だが、実際にやってみて本当に実感するのは、自分の夢を追うのは他人の夢を追うよりも一億倍やりがいがあるということだ。
面白い仕事を探して選ばれる事を願うよりは、自分が面白いと思う仕事を作って食えるようになった方が楽しい。
何よりもコードが書けるし、どうせいつかは死ぬわけだし、百万年も経てば全ては元通りになる。
まとめると、プログラムを書きまくり、能力に見合った報酬を求め、新しい分野を学習し続け、面白い仕事にありつきたいという願いを叶えるための手段として、
サラリーマンやフリーランスという生き方は絶望的に効率が悪い選択肢という事だ。
各種手続きやら事務やらのおまけは付くが、それすら問題解決の対象として、新しく学習していける限り楽しむ事は出来る。
なんといっても、プログラミングが好きなプログラマーというのはこの世で最も幸福な職業なので。
反応を見ていて、ちょっと言葉が足りていなかったり誤解を招いている部分があったような気がしたので、少し蛇足します。
どうも起業という言葉には一種のアレルギー反応みたいなものが有るように感じられますが、
僕が知る限り起業というのはある種の書類上の手続きを漠然と指すだけのものであって、
人を雇う事や、金を集めて大々的に事業を起こす事そのものを意味するものではないです。
個人事業主になってスタバでアプリを書いたり、手続き上の法人を作ったりするような話から始まって、要は雇われる以外の道を模索するみたいなことです。
仕事の対価を求める限り、結局解決すべきなのは他人の問題であり、最終的にそこをゴールにしなければいけないのは勿論同じ事です。
ただ、"他人"は雇用主や受注先だけではなく、ユーザーという言葉に置き換える事も出来ます。特に今の時代は。
そうした問題設定の起点を自分自身でデザインして定めるか、誰かに定めてもらったものを選ぶかのどちらかで言えば、
自分で定めた方がチャレンジングで面白いと感じられますし、実際にやってみない限りはその能力を鍛える事は出来ないと思います。
どんな形であれ、平均的には"起業"は失敗する方に賭けた方が勝ちます。
ただ、成功するとか失敗するとか、金持ちになるとか破産するとかは基本的にどうでも良い事であって、
現実を思い知り、おそらくは軽視していた営業や事務の重みに押し潰されつつあっても、
それ自身を効率的に肌で学ぶのはやはりやってみない事には分からなかった事で、そういう経験が得られれば良いものだと思います。
それに別に失敗したところで間抜けが地球上から一匹削除される程度の事で、どの道取るに足らない話です。
そうした事をどうでもいいと思わせる程、プログラミングは楽しいものです。
この話はプログラマーから見た効率の話で、実際に企業にあってもこうした事は問題にならず、幸せにコードを書いている人は一杯居ると思います。
ただ、本当に選択肢が無くなる前に、何らかの行動を自分から起こせ、守る者も少ないうちはそういう道に走った方が妥当と感じたという話です。
それに、そっちの方が面白くないですか?
色んな人やテキストがこの手の話をしますが、自分は実際にやってみて、本当にこれが面白いものだと納得しました。もちろん誰にも勧めはしませんが。
念のため
この記事はあくまでプログラマーが起業に追い込まれるだけの理由について述べただけで、
追い込まれた結果としてどのようなビジネスモデルや、ロードマップ、資金繰りに行き着いたか、誰のためにどのようなリリースをしなければならないのか、という話ではありません。
自分自身はまだそれについて書けるだけの材料も資格も無く、現在進行形で自分の金と体で実験をしているようなところです。
うまく生き延びたら、いつかその続きを書きたいと思います。