ナオト・インティライミを題材とした大喜利が、この頃大注目を集めている。ナオト・インティライミをサイコパスに仕立てる例の奴だ。
最初は「面白い」とだけ言われてきたこのサイコパス大喜利だが、最近は「これはいじめではないか?」との声が大きくなってきた。非常に良いことである。
しかし中には「ナオト・インティライミのサイコパス大喜利はいじめではない。この笑いを理解できない奴はネットを使うな」などと主張する人たちもいる。
果たして、どちらの言い分が正しいのだろうか。個人的に考えをまとめてみたので一読してもらいたい。
しかし、今回はそれら普通の大喜利とは一線を画してしまった。「殺人」や「サイコパス」といった要素を大喜利に盛り込んでしまったのだ。
もっとも、「サイコパス」ぐらいの要素ならまだ問題なかったであろうが、「子供を殺したナオト・インティライミ」や「両足のない子供にサッカーボールをあげるナオト・インティライミ」のような大喜利は、やや行き過ぎているのだ。
正直、これを書いた人は考えが足らない。ここまで発展させてはただの大喜利ではすまない。
最初の方のナオト・インティライミ大喜利は純粋に面白いものばかりであった。件のような過激なワードはあまり使われていなかったし、笑いの範疇でおさまるものばかりであった。
しかしネットでナオト・インティライミ大喜利が話題になり始めると、様相が一気に変わる。
「これだったら自分でも作れるかも!」と勘違いした"つまらない人たち"が"つまらない大喜利"を作るようになったのだ。
このような人たちは加減を知らない。だから殺人やサイコパスを題材とした大喜利がはびこる結果となってしまった。
殺人やサイコパスを題材とした大喜利が増えてくると、最初は賛同者が多かったネットでも徐々に「これはいじめだ。名誉毀損だぞ」という声が大きくなってきた。
最初は「これがつまらないって、ブームに乗れない可哀想な人たちだね」というようなオーラすらあったが、今では少しずつ今回の大喜利を否定する雰囲気が出始めてきたのだ。
正直私個人も、今回のサイコパス大喜利は単なるいじめ、もっと言えば名誉毀損・侮辱であると思っている。
というのも、ネットでとある情報が拡散した場合、そのソースを確認する人は意外と多くない。
つまりTwitterで「ナオト・インティライミ サイコパス」というトレンドが出た場合、どうしてそのワードが広がったかすら調べず「へぇ、ナオト・インティライミってサイコパスだったんだ。ちょくちょくテレビで見ていたけど応援するのやめようかな」と思ってしまう人も一定数いるのだ。
これは別におかしいことではない。この情報過多の社会では、むしろこうやって興味のない情報を制限しないと生きていくのが辛くなる。
なので、私は今回の一件は「明確な名誉毀損」であると思っている。ナオト・インティライミはアーティストだ。サイコパスのイメージがついてしまっては、今後の活動にも支障が出る。
私はこのように主張する人たちの思考回路が一切理解できない。私とは完全に違う世界で生きており、分かり合うことなど到底不可能だとすら感じる。
ここではその理由について述べていく。
これはあまり言いたくない話ではあるが、Twitterで「今回のサイコパス大喜利はいじめじゃないでしょ。いじめだと思ってる人はネットを使わない方がいいんじゃない?」と言っている人のプロフィールを見てみると、大抵がアニメオタクだ。
アイコンもアニメの美少女を使っているし、プロフィール欄には「ラブライブ」などのアニメタイトルが書かれている。
この事実を知り、私は思った。なるほど、キモオタがいじめではないと主張しているのだな、と。
だが、このようにTwitterでアニメ専用のアカウントを使っている人は、大抵はリアルでいじめられっ子だ。リアルで居場所がなく、ネットに存在意義を見出そうとしている可哀想な人種なのだ。
このような人種は、とかく「ネットとリアルは違うところである」と主張したがる。もしネットとリアルが同じであると認めてしまえば、自分の存在意義がなくなると心の何処かで恐れているのだ。
そして「ネットでは何をしてもいい。誹謗中傷、やられる奴が悪い」とやたらと攻撃的な性格になる。悲しい話である。
"ネットでしか生きられないキモオタたち"は誤解しているが、ネットとリアルは全く同じのものだ。リアルの中にネットがあるだけで、ネットが独立して存在するわけではない。
「ネットの向こうにはリアルの人間がいる」のである。これを見失ってはいけない。「リアルで駄目なことはネットでも駄目だし、逆もまた然り」なのだ。
つまり、「サイコパス大喜利?ネットだからOKでしょ!」という理屈は一切通用しない。ネットで行われている行為でも、結局はリアルの人が傷つくからだ。
まぁ、「これはいじめではない!」と言っている輩は大抵リアルで居場所のないキモオタだ、と認識しておけば問題ない。
「本人は何も言ってないでしょ?だからやってもOKでしょ。外野が騒がないでくれない?」と主張する人もいる。
しかしよく考えて貰いたい。芸能人であるナオト・インティライミが、そう簡単に今回の件を否定することが出来るとお思いですか?
ナオト・インティライミ本人がサイコパス大喜利を不快に思っていたとして、名誉毀損罪で告訴したいと思っていても、そう簡単に踏み出すことができない。
照英さんがコラ画像を認めていただけに、ナオト・インティライミが今回の件に対して「非常に心外です。一部の悪質な方は告訴しようと思います」とでも言ってしまえば、"ネットでしか生きられないキモオタたち"は「なんだよ、つまんねぇ。こいつ駄目だわ」と手のひら返しで叩くだろう。
確かにナオト・インティライミ側は何も言っていない。だが「叩かれるのが怖くて黙認しているだけで、本当は不快に思っているのではないか?」とどうして考えられないのか?
きっと、サイコパス大喜利をやって楽しんでいる人の方がサイコパスなのだろう。それなら納得だ。
中には「サイコパス大喜利はただの遊び。叩く方がおかしい」と主張する人たちもいる。こういう人はもう手遅れだ。
人を"殺人鬼"や"サイコパス"呼ばわりすることを"遊び"と言っているのだ。これはもう救いようがない。
前述の通り「本当にナオト・インティライミをサイコパスだと勘違いしてしまう人」がいる可能性がある以上、名誉毀損である。
これを「単なる遊び」だと思っている人がかなり多く、どうしてこの世からいじめがなくならないかが分かった気がした。
要するに、やっている側は自覚がないのだ。何も考えずにただブームだからと人を侮辱してしまう様は、なんとも"自分の考え"がない日本人らしい。
まだ人々のネットに対する知識が追いついておらず、しばしば誤解や問題が起きてしまう。
しつこいようだが、「ネットの向こうにはリアルの人がいる」と強く認識してほしい。
そして、ネットとリアルの人格は独立して存在しない。ネットだからといって人をサイコパス呼ばわりして叩いている人は、いつかリアルでも無自覚に人を傷つけて孤立してしまうだろう。
このことをよく理解して、今後を生きてもらいたい。
でもいじめは楽しいもんな
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