所謂、精神安定剤や抗うつ剤を処方してもらう類の病気を最近になってよく見かけるようになった
病気や病名そのものは昔からあったのだろうが何故かと考えてみたがたどり着いた結論は
カウンセリングが必要な状態の人は、おそらく昔から結構な数いたのだと思う
ただ昔はそれが病気だと診断されることも、周りが病気かもしれないと声をかけてくれることも
だから昔からそういった環境で生きている人にとって、今の躁鬱に対する印象が『怠け』なのだろうと思う
おそらく昔から躁鬱の人は結構いて、それらの人は病名や病気を知らないまま生きてきたんだ
病気を訴えることは甘えではない。しかし、病名を知り、病名を当てはめ、病名を背負って生きていくことは、甘えではないかと思う
一つだけ補足 引きこもりという言葉は昔なかったそうだ。その時は不登校、と呼ばれていた 基本的に学校に行かないという選択肢など与えられてはいない。その名前は登校しない人間...
甘えだと認識したいんだという甘え
甘えの定義は?
俺が甘えだと思ったら甘え
なるほど俺が気に食わないから気に食わないというだけの命題なんすね
ぜったいにぜったいに病名に逃げたいだけに違いないんだ~と喚き立てるだけのクズだったanond:20171112081325
anond:20171106201253 数日前にものすごく分かりやすい文章があったから載せておく 薬は出すとしても一番弱いやつかなあと言われた。申し訳ないけど、とも言われて、少し恥ずかしく...
ただのレッテル貼りのカスですという自己紹介が明らかになって何より
どうでもいいがそれを甘えと呼ぶな低能
そーだそーだ 難病と戦ってる安倍総理を見習え
難病のくせに仕事を続けようとする奴は無責任なクズだってリベラルの人達が言ってた
インフルエンザにかかってもインフルエンザがない時代もあった出勤しないのは甘えとか言いそうw
名前がついたらもう中盤以降っていうのはある、なんでも 80年代、それ以前のお宅と昨今のオタクの社会の扱いの違いだったり うつ病も引きこもりも発達障害も昔は名前がなかったって...
江戸時代あたりだと、助け合いの幅がもの凄く広かったらしい、とも聞きます。