はてなキーワード: チクリンとは
ブコメで指摘してる人もいるけど、オレらくらいのジジイの世代にとっては「かつてプリンスとして知られたアーティスト」が、ヘンチクリンな記号を自身の名前として主張し、読み方がわからないから通称「旧プリンス」と呼ばれた一件が印象深いよねw
そういえばあのヘンチクリンな記号って、Unicodeに採録されてないのかね?
追記:
Wikipedia見に行ったら、「元プリンス」て書いてあった。旧プリンスって呼び方もされてたと思うけどなーw
あと、文字ビューアでprinceとかartistとか検索してもあの記号は見つかんないっぽいので、Unicodeには入ってないらしい。ぜひ採録しとくべきだと思うね。貴重な文化遺産の一つじゃんww
昨今ツルツルのムケムケがモテモテなのに, なぜ全人類ツルツルムケムケに進化しないのか?ツルツルムケムケが繁殖に有利なら, ツルツルムケムケに進化してもよさそうなものだ. チャールズ・ダーウィンならこの謎をどう解くだろうか?答えはツルツルムケムケが不利なシーンも, 人生の長いスパンの中では無視できない頻度で訪れるということなのだ. つまり, 君は男性で, 風呂上がりに全裸でカラムーチョを食べようとしているとするだろう?一般的に袋を開ける勢いが強すぎて爆裂してしまうことはよくある. このときツルツルムケムケだと降下物を遮るものは何もなく, 宝物にカプサイシンが接触して絶命する. その結果生殖適齢期まで生き残るのはモサモサのチンチクリンの割合が相対的に高くなる. この淘汰圧によって21世紀の人類もツルツルムケムケに置き換わることはなかったのだ.
中1のころミーケンはいろいろトラブル起こした脚折ったときに付き添ってるとどこでもタクシーで行けた、ある日を境に無視されるようになった。キンには嫌われていることを知ってたんだけど中3でまた同じクラスになったら車椅子の同級生をずっとサポートするようなヤツだった、同じ高校受けたけど落ちてた。チクリンはCB無線とハガキ職人でなかなかの頭角とのウワサ。中2のころシー君は漫画が好きだった、黒板に大きく書いたゴア{担任}の似顔絵とかガンダムには憧れた。シゲは誰かの言ったオモシロをイチイチ大声で言うのでスピーカーと呼んだ。ヤンケとイシーとなんか4人組、赤のスイングトップはオレだけ買わなかった。扱い辛い子はクラスを分散されてたけど中3のそいつはアナーキーのギグにハマってた、授業中にいろいろ話す女子はキヨシローをカワイイと言っていてジミヘンの写真を下敷きに挟み込んでた、エツコの家は校区の外だった。15歳の誕生日にはスイ部メンバーがサプライズでハッピバースデーを合奏してくれたんだぜ。
母方の祖母が着物をくれた。まだ生きてるんだけど、足腰を悪くして、もう着られそうもないからと生前贈与。私じゃなくて母にくれたんだけど、母もあまり着そうにないので、将来的には私のものになるだろう。祖母は母と私より小柄なので、少々チンチクリンだったらどうしようかと心配だけど、趣味のいい人だし、結構な値段のものを買っているようなので、かなり良いものじゃないかと期待している。(っていうか母は自分でもらって来たのでどんな着物か分かっているはず。)
が、これの使い道がなくて困っている。とりあえずこれを着る権利の持ち主は母なんだけど、若かりし頃美人と言われていたわりに、化粧にもお洒落にも無頓着である。いちばんキレイといわれて然るべき年代に私と弟の子育てに追われ、父の安月給で家計をまかなわねばならなかったから化粧や洋服に手間と金をかけるという発想がない。でもその頃は若くて白髪もなく、そんなにこてこて塗りたくる必要のない肌をしていたので、当時を知る小学生時代からの友人は「○○ちゃん(私のこと)のお母さん、キレイ」と母ばかりを褒めたたえ、娘の私のことは一言も褒めてくれない。
それはさておきさすがに70歳を迎えると肌にシミが目立ち、眉毛も手入れをしないとボサボサ感が目立つ。髪の毛も染めてないけど中途半端に白髪なので手抜きしているようにしか見えない。娘の目から見ても、多少手をかければ「上品で素敵なお婆さん」に見てもらえそうなのに惜しい。私は祖母の着物を着てみたいけど、まずそれより先に母にその着物を着せたい。「勿体ないから着なよ!」というと「そんなのどこに着ていくの?」と言われる。確かにそんなに気張って出かける場所はない。歌舞伎のチケットでも買ってあげれば着物を着て出かけようとか思ってくれるのだろうか。歌舞伎のこと全然わかんないけど、海老蔵の出る演目でも選んで、「分からなかったら海老蔵の顔でも鑑賞してなさい」とでも言うか…。
あと3年もすると金婚式を迎えるので、その時に着せて記念写真など撮るのもいいかと思うけど、お金をかけて形式ばったイベントをやるのがキライなので、そんな提案をしても却下されそうだ。どうでもいいっちゃどうでもいい悩みなんだけど、着物が好きな人って一体どこに着て行っているんだろう?本人も「いい着物をもらったんだから着なくちゃ」という意識は薄々あるようで、着付けの練習用の安い着物は買ったらしい。元々着付けの基本編は分かっている人なので、あまりフォーマルでない着物に柔らかい帯を締める分には自分で着られる。フォーマルな硬い帯で飾り結びとかするのは難しいみたいだけど、金婚式みたいなイベントなら美容院で着せてもらってもバチは当たらないと思う。くだらない話で恐縮だけど、いいアイディアがあったら教えてください。
大学時代に出没したその言葉は、流行りだしたら一瞬で世間に広まった。「女子力」と言う言葉は、確かある年の流行語大賞だった思う。そして、個人的に、そんなものはないけど、流行語大賞殿堂入りもしていると思う。とにかく、とかく人は「女子力」という言葉をやたらと使う傾向がある。
女子同士の「女子力高い~」った際は、(男モテ狙いやがって、点数稼ぎ乙)っていう、牽制みたいなトゲが多少はあると思う。多少は。
飲み会の席で気をきかせてこまごまとした雑用をやっては、女友達に「女子力高いね」って言われるから、内心(女子力じゃねー、気遣いだ馬鹿野郎)、と叫び続けた。
女性の「私女子力低いから~」という一言には(社会が求めている女らしい性格とは、かけ離れている)という、妙チクリンなPRと、(多少気を遣えなくても許してね)という甘えが潜んでいる。昔々、それはそれは腐女子界隈ではやった「性別は一応女らしいw」というような言葉たちの真意にそっくりだ。うまく流行語を使用して、上位互換した言葉であると言えよう。
一方、男性からの「お前女子力低いよな」は、(俺様が求めている「女」のように振る舞え)という意味が隠れている。
そして、「俺、女子力高いから」という言葉を使うほぼすべての男性の言葉の裏には(女々しいことしていると思われたくないから、先手を打って言い訳しとこ)という、社会的に求められている「男」像への言い訳が潜んでいる。男性がケーキを作るのはおかしい(と、思われるのが嫌だ)から「女子力高いから」と言い訳をしておく。
要は、男女ともに社会が求めるジェンダーに言い訳をしているのだ。女子力とは、言い訳のためにあるのではないか。
女子力、と言う言葉は世の中の「社会が求める男性、あるいは女性のあるべき姿」を荒々しく浮かび上がらせる言葉だ。こんなに男女平等だ、なんだ、と言われている時代に、なんて言葉が生まれたんだろう、と思わずにはいられない。
社会が求めるような、「女性らしい人」「男性らしい人」なんて絶対いないわけだし、女子力って言葉はいっそ捨てちまうべきなんじゃなかろうか、と個人的に思う。
俺の友だちの唯一の長所はごはんを食べることだ。彼女はとてもおいしそうにご飯を食べる。
たまに呼び出したり呼び出されたりして、カラオケしたり、遊びに行ったりしている。
あの時はチンチクリンだったが、大学を卒業しようという今では、なんか成長している。色々。
「ねー、お腹すいたんだけど?なんとかしてよー」
映画館で席について、いよいよ上映開始、旧態依然としたビデオカメラを頭にかぶった男が”No! 映画泥棒!”とか言い始めた段になって、こいつはこういうことを言い出す。
本当にクズだ。仕方なく無言で自分のキャラメル味のポップコーンを差し出してやる(奴のは既に空っぽだ)。
大体において話していても大したことを言わない、ボンヤリしたやつだった。おまけに鈍くさかった。
大学の講義でレポートを出さなくちゃならなくても、ギリギリになって泣きついてくる。
俺はあまり勉強はできる方ではなかったから、二人でよく遅くまでファミレスで頑張った。
あいつは頭は良かったので、コツを教えるとすぐに飲み込み、てきぱきとレポートを終わらせてしまい、俺が頑張っているのを横目に奴はパフェにうつつを抜かしている、ということがよくあった。
納得がいかないが、あいつと一緒にいると、こっちはドリンクバーだけで粘っていても全然文句を言われないので、その点は助かった。奴はよく食うのだ。
そんなあいつが目の色を変えたのは、俺がとっておきの料理を出した時だ。
「なに?たまごご飯はフツーがいいよ。熱々ごはんにたまごをかけて、バターを載せて、醤油をちょこっと。王道が一番だって…」
タッパーに入れられ、茶褐色になっている卵を見て、あいつは目を潜めてそう言った。
「まあそう言わずに食ってみろよ」
と言っても、やることは簡単で、まず白身を除いてタッパーに入れ、醤油とみりんを1:1の割合で注ぐ。黄身がひたひたになるまで加える。
冷蔵庫で寝かせ、3日たったら取り出す。
そして熱々のご飯の上に載せる。
漬けられて茶褐色に染まった卵は、半熟卵のようにすこし固くなっているから、混ぜたりはしない。崩しながらご飯と一緒にいただく。
このシンプルな料理は、”卵黄の醤油漬け”と呼ばれる。ネットで知って以来、俺はたまに作って、客に振舞っている。
「ふ、ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおwwwwwwwwwwwwww
なにこれぇ、、な・に・こ・れぇえええええええwwww」
必死になって、がっつく彼女。よく見ると目に涙が浮かんでいる。
付け合せに作ったトンカツとキャベツ、味噌汁もどんどん減っていく。これは急いで何か追加を作ったほうがいいかもしれない。
「美味しい!美味しい!!あんた、あたしに、こんなに食べさせて、豚みたいにぶくぶく太らせてとって食べる気でしょw」
おかわりのためにお椀を差し出しながら、礼もろくすっぽ言わずに、あいつはそんなことを言った。
そして、俺のメシをたらふく食え。心のなかでそう付け加えた。
決めた。今度、告白する。
http://anond.hatelabo.jp/20131121174203
はてなシステムがここまで拡大できたのはアルファとしてのkanoseの影響力が強い事は誰の目にも明らか。
kanose1人にここまでの影響があったら近藤淳也と既に会ってるはずだし、その時に色々とお膳立てとかしてもらってんじゃないだろうか
というか最初から何かしら優遇されてるからこそkanoseみたいなヘンチクリンが「村長」なんて呼ばれてアルファ的な見方されてるんじゃないだろうか?
kanoseが白いものを黒と言ったらみんな黒だという集団洗脳、どう考えてもおかしい。
これを機に虚構新聞を叩き潰そうとするはてなの意思を強く感じる
こういう時に使えるのがkanoseというアカウントを使っての情報操作
あながち間違いではないだろう
まさしく「はてなの犬」だな。
そりゃ、国内の状況をガイコクジンを使ってまで「頭おかしい」と言う奴は、世界全土どこでも同じ状況があれば「頭おかしい」と思うだろうな。
本当は、日本国内の風潮として「他人」にも頭がおかしいよねって言って貰いたいんだけど、「この程度の低線量問題ない」って論調だから、
「外国」とか例示しようのない妙チクリンな「他人」を創造するわけさ。
別の視点として、元記事で重さがどうこう言っているのは、単位が「Bq/Kg」だから。
例えば、9万ベクレルはラドン温泉の温泉水約9リットル程度の放射能の量。(放射線ではない)
温泉水9リットルは、水が重いから「1万Bq/Kg」になるけど、水が軽かったら(9リットルで1kgなら)「9万Bq/Kg」。
ライトノベルが特異な発想をしたモノ勝ちなのって、日常の人間関係や恋愛とかに乏しいから
特異な設定を取っ払うと、みんな似たような話しか書けなくて、それを誤魔化すために
ヘンチクリンな世界のルールがあったり、大騒動があるようにしか思えない。
文学だって、この世の中で珍しいくらいの不遇を抱えているマイノリティな社会的弱者や
ありえないくらい、けだるげに思弁的な登場人物ばっかりなのって、そうしないと話が面白くできないからでしょ?
あいつらって、普通と違う発想でしか、普通と違う話が書けないから、普通の人に見向きされないようなニッチな話しかかけないんでしょ。
きっと、作家先生を祭りたてる読者も作家先生と同様に人生経験が薄っぺらなヤツか、分厚い人生経験をもってるやつがああ、人生経験無いわりに頑張ってるなーってニヤニヤ読んでるくらいなんでしょなの?
人生経験がマジックワードになってるなの? はぁ、バカなの? 死ぬなの?
じゃあ、学園異能って何よなの? 具体的な社会的弱者ってなによなによなの?
そんなひとくくり出来ないような概念を、ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってるオタクどもってバカなの? 死ぬなの?
ああ、薄っぺらな作品ばっかりなの。
でも事実を薄っぺらに表現するからこそ、有名な古典文学にしろ、すぐれたライトノベルにしろ、現代文学であっても、僕らは現実を間接的に直視する事ができるのだけれどもにょ。
それで、あたかも全部の世界や社会が語ろうとする。経験不可能なことを可能したつもりになってる批評家の方が人生経験が無いよねのなの。
でも、作家が言語化できなかったこと稀に言語化するからナイスじゃん、と思う時はあるなの。
結局、何かをひとつのジャンルで語ろうとする事は愚考でしかない。ひとつのジャンルによって世界を敷衍することはできるけどなの。
金型が社会にとってどういう関わりを見せているか、とかソレと同じ程度には、でも世界は金型では出来ていないのだなの。
まあ、経験の薄い作家先生のうすっぺらい人間の言葉にも飽き飽きしたし、それをわざわざ拡大解釈して言語化するフォロワーのうすっぺらい感性にも飽き飽きしたよなの。