ライトノベルが特異な発想をしたモノ勝ちなのって、日常の人間関係や恋愛とかに乏しいから
特異な設定を取っ払うと、みんな似たような話しか書けなくて、それを誤魔化すために
ヘンチクリンな世界のルールがあったり、大騒動があるようにしか思えない。
文学だって、この世の中で珍しいくらいの不遇を抱えているマイノリティな社会的弱者や
ありえないくらい、けだるげに思弁的な登場人物ばっかりなのって、そうしないと話が面白くできないからでしょ?
あいつらって、普通と違う発想でしか、普通と違う話が書けないから、普通の人に見向きされないようなニッチな話しかかけないんでしょ。
きっと、作家先生を祭りたてる読者も作家先生と同様に人生経験が薄っぺらなヤツか、分厚い人生経験をもってるやつがああ、人生経験無いわりに頑張ってるなーってニヤニヤ読んでるくらいなんでしょなの?
人生経験がマジックワードになってるなの? はぁ、バカなの? 死ぬなの?
じゃあ、学園異能って何よなの? 具体的な社会的弱者ってなによなによなの?
そんなひとくくり出来ないような概念を、ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってるオタクどもってバカなの? 死ぬなの?
ああ、薄っぺらな作品ばっかりなの。
でも事実を薄っぺらに表現するからこそ、有名な古典文学にしろ、すぐれたライトノベルにしろ、現代文学であっても、僕らは現実を間接的に直視する事ができるのだけれどもにょ。
それで、あたかも全部の世界や社会が語ろうとする。経験不可能なことを可能したつもりになってる批評家の方が人生経験が無いよねのなの。
でも、作家が言語化できなかったこと稀に言語化するからナイスじゃん、と思う時はあるなの。
結局、何かをひとつのジャンルで語ろうとする事は愚考でしかない。ひとつのジャンルによって世界を敷衍することはできるけどなの。
金型が社会にとってどういう関わりを見せているか、とかソレと同じ程度には、でも世界は金型では出来ていないのだなの。
まあ、経験の薄い作家先生のうすっぺらい人間の言葉にも飽き飽きしたし、それをわざわざ拡大解釈して言語化するフォロワーのうすっぺらい感性にも飽き飽きしたよなの。
なんでお前みたいなどこも普通と違わない人間なんて書かなきゃならねーんだよ。つまらん。 書ける書けない以前に、どこから切っても一般人、みたいな人間書きたくねえよ。