はてなキーワード: シミュレートとは
人間は神になれる。なぜなら神とは人間がつくった概念に過ぎないから。そんなものをつくったのは自らの能力に限界があり、その限界を突破することを本能が妨げていたからだ。
科学は人を解き放つ。自然という巨大な存在の前にひざまずくのではなく、人類が自然を管理する。
そもそも人類は好奇心を持ち、世界を探求したいという欲求に駆られてここまでやってきた。
その先にあるのは、大いなる母たる自然との対立に他ならない。母たる自然は人類が赤子のままでいることなど望んでいない。そうでなければ、人類に「知恵」と「好奇心」など与えなかったはず。
現在のところ母たる自然は何も言わない。だが、自然は人類を滅ぼしたいわけでもない。私が思うに、自然は人類がゆりかごから飛び出し、新しい世界へ旅立っていくことを願っているのだと思う。
いずれ何億年か後、この地球は太陽に飲み込まれる。その時、地球という小さな星の「記憶」を持ちだせるのは、知恵あるヒト、人類だけである。
人類は太陽系を越え、外銀河、外宇宙へと地球の種を運ぶために母たる自然が用意した「手段」の一つなんだと思う。
文明はすべて自然の上に成り立っているし、文化は自然のオマージュでしかない。つまりいくら自然から離れようとも本質的に人類は自然と共にある。
しかし、自然そのものは成長しすぎた人類がおさまるには小さすぎるゆりかごだ。小学校に上がった子供が、赤ん坊用のベッドで眠れるわけはない。
だから人類は新しい世界、すなわち人類にとっての理想の楽園をつくらなければならない。
現在研究が進むVR空間もその一つ。環境を破壊し地球の寿命をも縮めるまで大きくなった人類は、もはや自然と共に生きられない。だったら自然をシミュレートしてしまえばいい。人類がつくった自慢の息子、コンピュータの力を使うのである。
VR空間では様々な制御が可能だ。この空間はスーパーコンピュータによって実現できる。VR空間においては、何ら制限されることなく人類の欲望を叶えられる。森の中を舗装された道路で走るという楽しみは、現実空間では自然破壊に繋がり今後は禁止されていくだろうが、VR空間ならそのようなことを考えずにいくらでも出来る。
高さ1000mのビルを建てることも容易に出来、必要ならもっと高くすることも可能だ。現実空間で問題となっている資源の枯渇は、VRの自由な空間には関係がない。
現実とは人類がもっともらしいと感じる度合いが強い世界を指す。ならば、スーパーコンピュータの演算速度と五感のような世界を感じるためのインターフェースさえそろえば、VR空間だって現実空間となりうる。いや、人類が地球環境を本当に保護したいと思うなら、人類にとっての現実空間はVR空間に移行しなければならない。それが人類のためでもあるし、地球のためでもある。
俺は4つの時に母親を亡くして、死因はいまだにわからない。
親戚に聞いても病気で死んだとか事故で死んだとか、人によって説明が違う。
マンションのベランダから転落事故、いや実は殺されたんだ、とか言うやつまでいる。
せめて口裏合わせろよ、と。
ひとつだけ言えるのは俺は母親が亡くなる前の日の晩の事を覚えてるっていうこと。
父親がいい加減な男で、俺が生まれてすぐ親は離婚して俺は母親と二人暮らしだったんだが、3歳半の時に別の男と一緒に住み始める事になった。
4歳になったばかりのある晩、その男と母親、あと知らない男が3人で深刻そうな話し合いをしてた。
話の内容は覚えてないし理解も出来なかったけど、もう眠かったから母親に布団を敷いてもらって自室で寝た。
次の日起きたら母親がいなかった。母親べったりの甘えん坊だったから寂しくて泣きわめいた。
あとはよく覚えていない。
火葬後にお骨を見せてもらった事くらいか。骨を手にとって興味津々と眺めていたらしい。
その赤いお父さんの絵にしてもそうだけど
俺なんて母が亡くなった後にほんとの父親に会った際に「パパ?僕と一緒に死んで天国でママと3人で暮らそ?」とか言ってたらしいw
背筋が凍ったそうだ。
高校くらいの時に母親の死因について深く思い悩んだような気もするし全然気にしてなかったような気もする。
正直、覚えていない。
だから今のキミの気持ちを、自分の中でよくシミュレートできない。
俺の場合とはずいぶん違う状況だし、若い頃つらかった事とか大人になると意外とさっぱり忘れちゃったりするし。ほんと覚えてない。
とりあえず。
今年で35歳。
たぶん、母親が死んだっていう事実の上にすでに俺の人生成り立ってるというか積み上がりまくっちゃってるから、だと思う。
母親が死んでなかったらどうなってただろうと考えると、家庭環境は当然変わるし通う学校も違ってたはず。
4歳での分岐はかなり根本的。もはやそれって別の人格による別の人生。そのもう一方の人生がどんなものだったのか想像がつかない。
母親の過去の人生がどんなだったか、死因はなんだったか、っていうのは確実に俺の人生に影響してる事なんだけど
今の俺の人生、仕事や友人関係、出会いなんかすべてその上に成り立ってる。すでに。
もうこっちの分岐で頑張るしかないんだよね。
これから色々素敵な出会いや人生の契機があると思うけど
とりあえず、受験がんばってください。
自分が思うに二次元女体化してやったーは、あくまで架空の存在で、自分と切り離された別のものだから平気でエロ絵だのなんだのかけるわけであって、自分のセルフヌードやエロ絵を描く奴はそうはおらん。
そして叩かれるのを覚悟でいうが、性的搾取にされる側というのは、逆に自らの性を武器にすることもできる。ぶっちゃけていえばpixivで健全絵よりエロ絵のほうが需要があるみたいなもの。
女として生まれてきて、その性を変えることもできない以上、真正面からむきあって付き合うしかない。
思春期の女の子が群れをなしかつ攻撃的なのは、自分の性を守るためのシミュレートでもある。
それにしても来世は男に生まれたい。女ってめんどうくさすぎる。
http://anond.hatelabo.jp/20100522181804
頭に書いておけば、トラックバックちゃんとなるかなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20100522110418
というのを踏まえて、「ふざけんなハゲ。ふざけんな江藤。既に最初から広がりまくってんだろ。広がりまくってる前提でやらないなら決定権剥奪すんぞ」と言わなかったのは政府の不作為で間違いない。
これに反論が無いと言うことは、結局『政府に不作為がある』が答えですよね。
つまり「政府の行動に問題がある」と言う指摘は、間違えていないと言うことですよね。
で、返答にも乗りますが、まず1つ目。
http://anond.hatelabo.jp/20100522181804
君の脳内ではワクチン接種を検討開始して3日で実施してるのか。もしそうならむしろ赤松の決断力はすげえって話になるなw
あのな、現実見ようぜ。あのヘタレの赤松のどこにそんな胆力があるんだよ。それともワクチン接種がどれだけ重大な決定か本気で分かってないの?
備蓄があるから?日本に使ったことも無い新兵器があったら3日で戦争始められるのか。ワクチンは強力な武器だが専門家も「絶対勝てます」とは言えない不確実な武器で、しかも最近の改良されたワクチンは世界にとっても日本にとっても新兵器だぞ
政府の「対策本部」の「本部長(最終責任者)」は17日付けで鳩山首相に変更しています。また鳩山は、農水副大臣などを現場に送り込んでいます。
胆力は鳩山の方、あるいは鳩山のブレインでしょう。普天間や政治と金問題に加えて、さらにこの問題。政権の穴にはしたくない。疫病は判断力の揺れを待ってくれないでしょう。実際に即断を出してるわけで、それを考えれば3日で開始にしてもおかしく無い。
そして「新兵器」と言いますが、オランダで出来たワクチンは2001年です。研究機関は世界各地で9年行われてるわけで、専門家ならある程度の情報は知っているでしょう。そもそも専門家であれば、今回の口蹄疫を知った時からある程度シミュレートしていておかしく無い。それに内閣ではなく官僚が手を打って調べていてもおかしく無い。
『官僚が』の意味ならワクチンの調査は17日以前からあってもおかしくないですが、それが『赤松の手柄か?』と言うと疑問ですね。現地に入る10日までは、農水官僚を怒鳴ってただけとかいう話も聞きますし。それ以後も何をやってたのやら。
ワクチン効果に『絶対』が無いのは指摘の通り。しかし、罹患地域を押さえ込める可能性があるのであれば、打たない手は無いでしょう。疫病対策と言うのはどこかでギャンブルになります。
それに、一定区域の殺処分は、結局の所、埋設場所が問題になっています。埋設場所を確保する間だけ、罹患しても症状を抑える事が出来ればよいと言う目的でのワクチン使用です。効果が無いとしても、現状と変わらない。悪い賭けじゃないですね。
ちなみに、現地側で「一定区域全頭殺処分」の話は5/14頃ですね。この頃から東国原知事が一定区域の全頭処分の話を出してたはずです。覚悟してるんだから国が動いてくれと。
それから、
http://anond.hatelabo.jp/20100522181804
農場単位での普通の殺処分なら財産権とか言う必要はない。法的に問答無用で処分出来る
現場と補償額の問題でもめたのは明確に出たのは5/20です。一律で牛60万、豚3.5万はふざけるなと。畜産農家と補償問題を詰める前に赤松がリークして、現場農家が怒ると言う形。家畜によっては一頭で200万ぐらいだってあるんだと言う話で。結果、時価になりました。確定が5/21。
それより前は、5/18東国原知事が国と補償額で詰めている話で、交渉中と言う答えをしているのに、馬鹿記者が「交渉中」を理解出来ずに知事に喧嘩を売った話。
ワクチンを確定させた最後の決断は、17日に首相周辺と知事とで即座確定だと思いますね。3日も伸びたのはむしろ補償の問題の方でしょう。ワクチンのプレゼンなんか2時間くらいで終わるでしょう。先に書いた通り、今より悪くなる可能性が低いなら、打たない手は無い。
5/14の財産権は、赤松が一定区域内殺処分の『責任を取りたくない』保身にしか思えません。5/17トップが変わってからは、現行法で対処出来るのではないか?など言ってることからも。
少なくとも、5月上旬からワクチンを考えていたと言うのは、内閣や知事の言葉などを見ていても、想像出来ない。
二つ目。
http://anond.hatelabo.jp/20100522181804
この言葉
http://anond.hatelabo.jp/20100522110418
というのを踏まえて、「ふざけんなハゲ。ふざけんな江藤。既に最初から広がりまくってんだろ。広がりまくってる前提でやらないなら決定権剥奪すんぞ」と言わなかったのは政府の不作為で間違いない。
これを後押ししますね。10万頭出る確定を4/23に理解しておきながら、現場をほっとくと言う。
やっぱり政府の不作為だと言う指摘は別に間違えていないですね。
http://anond.hatelabo.jp/20100522110418
3/26の初期症状から口蹄疫を疑う事は難しいと専門家が言っていますね。
http://www.asahi.com/national/update/0519/TKY201005180565.html
宮崎県で口蹄疫感染の疑われる牛が確認されるまで何があったのか。関係者の話から再現する。
宮崎県都農(つの)町。3月下旬、ある農場で水牛が下痢になった。モッツァレラチーズを作るために飼われていた42頭のうちの1頭。往診した獣医師は、31日に県の宮崎家畜保健衛生所に届け出た。
県も立ち入り検査したが、口蹄疫にみられる口の中や蹄(ひづめ)の水疱(すいほう)、よだれがない。便なども検査したが、下痢の原因となる菌やウイルスが見つからず、結論が出ないまま下痢は治まった。
これが最初の異変だった。
この農場から南に約600メートル離れた別の農家で、次の異変が起きた。
「口の中に軽い潰瘍(かいよう)のある牛がいる」。4月9日、衛生所に別の獣医師から連絡があった。2日前に往診したところ、1頭の牛が前夜から発熱し食欲がなく、口からわずかによだれがあったのだという。
県の口蹄疫防疫マニュアルでは「(口の中の)水疱は発病後6~8時間以内に現れ、通常24時間以内に破裂する」と記載されている。
9日の往診で、口の中に直径3ミリほどの潰瘍は見つかった。しかし水疱ではなく、かさぶたのような状態。すでに発熱から4日がたつ。仮に口蹄疫なら、水疱や激しいよだれが見られるはずだ。
獣医師から相談を受けた衛生所は農場内のすべての牛を調べたが、口蹄疫の可能性は低いと判断した。発熱は1日でおさまっていた。
口蹄疫ウイルスの潜伏期間は、牛の場合で約1週間。獣医師は12日まで毎日往診したが、異常のある牛は見つからなかった。
獣医師は振り返る。「教科書通りの口蹄疫とは異なる初期症状。まったく想定しなかったわけではないが、この症状からは診断できなかった」
4月16日夕、別の2頭に同じような症状が見つかった。最初の牛の隣にいた牛で、何らかのウイルスによる感染と考えられた。この段階で最初の牛はほぼ完治していた。翌日、衛生所が改めて立ち入り検査し、感染症の鑑定を行ったが、19日までに出た結果は陰性だった。
ただ衛生所は19日、念のために検体を国の動物衛生研究所(動衛研)海外病研究施設(東京都小平市)に送った。このとき初めて、県は国と連絡を取った。20日早朝、口蹄疫の陽性反応が出た。
4/20以前については、県にも国にも責任は無い。だからこそこの疫病は天災と言うしかない。
「政府は4/23に10万頭パンデミック確定を理解していた」と言う前提の話なのですから、そして「政府は5/17までほとんど動いていない」のですから、宮崎や自民党が不作為を指摘する事もおかしく無いですね。
http://anond.hatelabo.jp/20100324210157
思春期に彼女が出来ないような人間は後から何しても無駄じゃん、と。
よく、「学生時代に冴えなかった奴が社会的に成功して逆転」みたいな話があって
だから頑張れ人生はこれからだみたいに励まされるしそれは正しいんだけど、
恋愛とか異性関係については全然あてはまらないんだよね。
「本来異性に好かれないような人間が財産や地位を築き、そういうのに寄ってくる異性と付き合う」
1.客観的に醜い・見苦しい
醜いよね。社会的見下しの対象でもある。
(よく世間的な揶揄の対象になるのも、「正しいカップル」より一段以上低い・卑しいものだからだろう
「正しいカップル」最上位は勿論、若く互いにホルモンに突き動かされて付き合ってるような2人)
まずこれ目指して頑張るっていうのは俺は気力が湧かなかった。
2.時期のズレ
一番恋人とか欲しいのは十代から二十代の初めまで。 精神的にも肉体的にも。
二十代後半だの三十代だので異性に寄ってこられてもそもそもあんま嬉しくなくね?
少なくとも嬉しさ十分の一ぐらいかそれ以下だよ、思春期だったらに比べて。
また、その異性が同い歳前後だとすると、言っちゃなんだけど、相手の市場価値もがた落ちした頃だよね。
双方向から時機を逸する。
取引が成立する頃にはもう取引をする動機がかなりうせてるんじゃないかと予想した。
最重要。
だって、金や地位でひきつけた異性なんて、本当は俺の相手なんかしたくないわけで。
俺と居る間ずっと打算や仕事気分でいる人が欲しかったんじゃない。
俺のプレゼントを即効で換金して本当に好きな人にプレゼント買う異性にプレゼントしても楽しくない。
と考えるとこんなの全然、わざわざ獲得する価値がないモノとわかる。
(シミュレートすると、愛人作ってガッハッハというタイプの男のマッチョさは想像を絶する
相手が腹で自分を好いてなかったり憎んだりしててもそんなのお構い無しで楽しんじゃうんだから)
こういう予測を十代の頃に立てて、
(予測を立てたと言うかあらゆるルートの絶望が身に染みただけだが)
仕事や趣味は頑張ろう、しかし恋愛とかはすっぱり諦めて降りるしかないんだ・・・と決めた。
そして今二十代後半になった俺は、一応社会的ステータスのある資格の仕事についたけど
キリンですし元増田の言うことがよくわかる大人になっちゃいました。
とっぴんぱらりのぷう。
飯を食いながら、母に軽く聞いてみた。
自「ねぇ、仕事関係の荷物を車庫に持ち込むのってアリ?」
母「はぁ? あんたが商売したいなら別のとこで(以下略」
自「そゆつもりじゃないです。でも、ごめんなさい。」
うん、そーなるわな。さてはて、荷を集められたとしても、どーやって処理すべきか。時間に関しては、自分の余暇を使う他ない。量が想定内であれば、全く問題はない。解決すべき問題は、スペースをどうやって確保するか、だ。会社の倉庫を使うのは、明白にマズい。では、家はどうか。もう既に断りもなく納屋の一部を使っているが、バレたら文句を言われるだろう。撤去しなければ、家族会議モノだろう。捨てるモノと残すモノを迅速に振り分けて、あとは私物と偽る他ないだろう。
部屋に運び込むことは、あまり出来ないのではないか。掃除不精で散らかってるからって問題ではなく、運び込むのがバレたら、やはり非難轟々だろうから。自分の車に置くとしても、量が限られるよなぁ。バンに買い換えようかなぁ。買い換えたら、会社の人に気づかれる危険を増やさないだろうか。
いや、それ以前に、取引の場所が問題なのだ。自分も相手も、会社を通しての処理でない以上、双方の会社で会うことは避けたい。前回は、向こうが浅慮にも、ウチの会社に置いていくから話が厄介になるのだ。まったく、彼は自分がそれなりの権限を持ってるとでも思っているのだろうか? アホか、ただの下っ端だっつーの。そういや、一度「え? ●●社さんの社長さんですよね?」とか言ってたか。人を見る眼が無いのか、純朴の塊なのか、あるいは下手なお世辞だったのか。
今度会ったら、強く言い含めよう。「会社の敷地で会えば、通常の取引と同じ手続きを踏まざるを得ない。書類にも必ず記入して頂く。もちろん、前回の分に関しても、絶対に。」といった具合に。まったく、会社を通せば一筆必要だと言ったはずなのに、記憶力も、理解力も、判断力も、不足してるのではないか。「社会人として」ではない、「腹黒さ」って意味でが足りないのではないか。
自分はアンタが言った「会社の備品とかに充てたい」なんて言葉は、灰色だと思ってる。本当にそうかもしれんが、社長に言えない時点で、それって横領だよ? 小さくとも、横領は横領だ。自分も、アンタも、結局は小さな小さな小悪党なんだよ。だから、少しはこっちの身にもなってくれよ、と、暗に伝えるにはどーゆー言葉を選べばイイのだろうか、少しシミュレートしてみる。元より他人との会話は苦手で、まして情報を正確に伝える言葉は得意でない。そして、それ以上に、相手をこちらの掌で踊らせるような、自分のペースに引き込む話術なんて芸当は、全然浮かばない。俺、横領していけるのだろうかと、少し不安になる。
とりあえず、この関係が続くのであれば、早急に車の買い替えを進める必要が出る可能性がある。同時に、そうだなぁ、どこかに安い倉庫・物置の類を借りるとか? だが、当面は、頻度と1回あたりの量を把握できるまでは、様子見でイイだろう。一二度なら、会社も家人も何とか騙しておける。……だろうか?
学生時代は慢性的な中二ウツだったせいか、あまり性欲がなかった。女友達や同級生に欲情するのがイヤで、強迫的に毎日抜いてはいたが、作業に過ぎず、射精するのがシンドイ時も多かった。
社会に出て、思考や行動の習慣が少しは変わって、性欲も増えた。1日1回くらいは余裕で、たまに追加してしまうくらい。
でも、こっぴどく絞られると、とたんに勃たなくなる。見事に反応しなくなる。まあ、頭の中が叱責場面の反復で埋め尽くされているのだ、エロシチュの妄想してるリソースなんて全く無いだろうさ。ピロートークをシミュレートするリソースも無いだろうさ。
で、攻撃的というか、破滅的な思考が微かに感じられる。このストレスをあと5段階ほど高めて、それが慢性的に続けば、心身のどっかに変調を来すのかもな。10段階ほど一気に高まれば、そりゃ、自分か誰かを死傷するかもな、と思う。無理やり冗談で「まだ息子の顔も見てないのに終われるものか。わが子にクソ親父死ね!!と罵声されたいよハァハァ」とか言ってみる、まだ言える。心が全く笑えなくても、冗談を思い浮かべられる内は、まだまだ大丈夫なんだろうな。
自分は所詮低脳な輩で、まあ社会に貢献できる部分なんて全然ない無能者だ。だから、社会に適応していく上で苦痛があるのは、当然だろう。ただ、なんか日本全体がストレスフルに思えて、げんなりする。俺以外の俺より有能な人たちが、もっとハッピーにセックロスしていてくれないと、希望がないじゃないか。だから、オレより優秀なお前らはもっと幸せになるべき。ときに、今日は雛祭りですね。きっとお雛さまに白酒を注いだり、お雛様の雛霰をつまんだりしてるわけですね、娘が寝静まった夜中に。家族エロいよ、家族。
とバカな長文を打てる程度に、気分はいい。心底落ち込んでる時は、言葉が凍る。
人生っていうのは大なり小なり何かを選択して、その積み重ねた結果が
今の自分として反映される。それがじっくり考え抜いて決断したにしろ
突発的な形で選択したにしろ、誰もが最善の選択を望んでいる筈だ。
自分も今まで、最善の選択をしてきたつもりだけど、結果はどれも散々な物におわった。
時には耐え、時には大胆な行動もしてきた。けどもう自分の望む最善の結果が得られる
選択肢が分からない。大まかなシミュレートをしたり、考えれば考えるほど何がなんだか分からなくなってくる。
人によって環境は様々だけど、万人に当てはまるような本質的な基準という物はあるのだろうか?
あれをやっても失敗。これをやっても失敗。どれをやれば成功するのか?
引用元の「アニメ的」ってのと、元増田の考えた「アニメ的」ってのは結構かけ離れてる様に思う。
例えば、演出手段。
アニメ的グラフィックのゲームってのと、ゲームでアニメ流すのは違う。
要は、「リアルである事を追求する」「実在する物をシミュレートして、それを重宝がる」ハリウッドと、
「外観とかシステムとか、バランス良く作る」「どちらかというとファンタジー好きな、実在しない空想の物を重宝がる」日本のアニメーション。
FPSで米軍の制式装備だとホルホルするより、日常からエスケープした世界であり得ないけどかっこ良い剣の方でホルホルする方が日本人は好きなんじゃない?
って話なんじゃないかな。
1.犯罪を成したい欲求(スカっとしたい、金儲けしたい、恨みを晴らしたい等々…)について、我慢の出来る程度を越えているのか否か考える
2.その欲求は犯罪以外の方法で満たすことが出来ないかどうか考える
3.犯したい罪に対する罰の大きさを徹底的によく調べ、考え、シミュレートする。
(法的にどの程度の罰が下るのか、社会的にどれだけ扱いが悪くなるか、親族や友人へどれだけ影響があるか等々…)
4.罪と罰の重さを比べる
罰のが重い=世知辛い世の中なので孤独に生きましょう
五分五分じゃねえ?=耐えましょう
それでも罪が重い=法的な罰の重さをもっと重い物だと想定しましょう
やっぱり罪が重い=社会的に抹殺された自分のその後について更にシミュレートしよう
どう考えても罪の方が重い=どうしようもない
ブクマが20もついたので続き.
細胞骨格というと,モーターの役割つまり骨格筋における化学エネルギーの運動エネルギーの変換を取り持つアクチンミオシンすべり説が有名だけれど,細胞骨格はどうやら細胞生理において輸送作用をもち重要な機能を持つらしい.この辺を拡散モデルとの対比の分子モーターモデルで説明するのはちょっと理系のカップルならではかな.次元が減るのと熱物理化学的な親和性のための吸着力で輸送が可能になるというお話.細胞外骨格や結合基質もつながる.
結合組織は単に体の支持・結合に役立つだけではなく免疫・情報伝達・熱と物質の輸送等さまざまな機能がある.膠原病から反対に考えてみると普段の結合組織は発生と同様に機能が生理的に制御されている.
で,発生.発生はもう受精卵がヒトになるというので面白いこと請け合い.ちょっと妊娠の話とか混ぜて彼女の考え方を聞いてみてもよいかも,・・・,ではなくてモルフォゲンモデルという古典的な制御のモデルだけでなく最新のモデルの話もあわせて,アポトーシスの話や系統発生繰り返し説にふれてみるとよいかも.発生と完全に地続きのはなしになる.内部状態と環境とが幹細胞の分裂とできた細胞の分化とにかかわってくるんだ.
人間の器官レベルの制御機構は神経系と内分泌系が担っていて,後者の支配を前者が受け持つから神経系―受容効果系は人間の重要な部分.基本的には前者が高コストだから後者の低コストの制御も合わせて使うと考えればよい.糖の出し入れをいちいち神経で支配していたらエネルギーがかかりすぎる.
んで,システムズバイオロジーやさきほどの細胞間情報伝達のつながりで,ある細胞につきそこへの全入力(エネルギー(物質・輻射)・エントロピー・テンパラチャー)と全出力と全内部統合演算とを想定するモデルを考えられるから,細胞の出入力と内部統合につきシステムを建設することが多細胞でも重要なんだなどと自分の扱う細胞のシステム生物学の宣伝をしてみる.
単細胞でも人間でも何でもよいのだけれど,先ほどと同じで出入力と統合あるいは受容統合効果で考えることは同じ.で,感覚器からの情報を統合して,記憶などとも統合し出力をすることを考えるのだけれどこれがしこたま難しい.単細胞生物でも走性に記憶バイアスがかかることなんかが知られているけれど,ブラックボックスとして考えたくなる.強いて僕が考えていることはある入力に大しては特異的に発現しやすい出力があるということから統合のあり方を考えていくのと,神経の機能回路モデルを数学的に建設していくのと,があるけど全然専門外.恋した僕の気持ちも僕にはわからない.
地表(海含む)では重力が卓越していて生物や多くの物質は地表に束縛される.そこで単細胞生物と同様に生態系は多くのコンポーネントがあるシステムだと考えることができる.そのサブシステムとしては大陸・海洋・気象・太陽系との関係なんかがある.ある個体や生物種・生物群の動態は細胞内における細胞小器官の動態に似ているかな.どちらもシステム特性を規定しているのは物理法則だという点は共通.
ダーウィンはすごく頭がよかった.で『The Origin of Species by Means of Natural Selection: The Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life』(1st,1859)のなかで
The slightest advantage in one being, at any age or during any season, over those with which it comes into competition, or better adaptation in however slight a degree to the surrounding physical conditions, will turn the balance.
という一節がある.(個体に変異が起こりその)性質がほんの少しでも有利なら生態系のバランスを変化さす,と括弧内をつけくわえてみると,変異と自然選択のモデルが考えられる.たとえば点変異がDNAにおこって対照状態で細胞生理の変化を定量的に計測ないしシミュレートするモデルとか.
僕の興味はというと数理モデルを物理法則のもとに組み立て細胞の制御システムモデルをリバースエンジニアリング的に,帰納することにあるんだよと再び告白.
承前:http://anond.hatelabo.jp/20091005002132
ムーアの法則がそれまで続くという前提の上なので実際に実現するかどうかは知らんが、単純に計算して、
という試算
ムーアの法則が2025年頃まで続くと仮定すれば、量子コンピュータのような超並列計算のできるアーキテクチャの出現を待たなくても、人間の神経ネットワークを同程度の規模でシミュレートできる。そうすればあとはコンピュータに人間と同じ教育を施し、コンピュータ自身に自身を改良させれば人間はノータッチでも文明は進む。
技術革新が進むと人間の生産性の個人差は拡大する。今だって、コンピュータが出てきたことによって個人の生産性には格差が出ている。
一昔前までは、みんながみんな鍬とか鋤しか持ってなかったので、どれだけ優秀な人でも作ることのできる作物は普通の人と大差なかった。それを考えれば技術革新は個々人の生産性の格差を拡大させるものだということが分かる。
結局のところ、十分に技術革新が進めば、一部の優秀な人間だけが生産すればよいという話になる。凡夫は働こうが生産には大して寄与しないので、ベーシックインカムでそこそこ豊かな生活してくださいということになる。
さらに言うなら、人工知能が人間と同程度まで賢くなれば、あとはコンピュータに人間の仕事を全て任せてしまってよいということになる。ムーアの法則が2025年頃まで続くと仮定すれば、量子コンピュータのような超並列計算のできるアーキテクチャの出現を待たなくても、人間の神経ネットワークを同程度の規模でシミュレートできる。そうすればあとはコンピュータに人間と同じ教育を施し、コンピュータ自身に自身を改良させれば人間はノータッチでも文明は進む。いわゆる技術的特異点というやつをいずれ迎えることになるだろう。
・その人材を適所にあてはめる。
・人々の士気を保つ。
・チームの結束を強め、維持する。
・変更は、あらゆるプロジェクトの成功のために(ほかの大抵の物事についても)必要不可欠である。
・人は安全だとわからないと変更を受け入れない。安全が保証されていないと、リスクを避けようとする。
・リスクを避けることは、それに伴う利益をも逃すことになるため、致命的である。
・人は、面と向かって脅されたときはもちろん、自分に対して不当に権力が行使されるかもしれないと思ったときにも、安全ではないと感じるようになる。
・どれほど強い脅しをかけても、最初に割り当てた時間が足りなければ、やはり仕事は完成しない。
・さらに悪いことに、目標を達成できなければ、脅迫の内容を本当に実行しなければならない場合もある。
つまり……
心で指揮をとる。
組織に魂を吹き込む。
くだらないものを嗅ぎ分ける鼻を持つ。
・戦闘が始まるときには、管理者のほんとうの仕事はもう終わっている。
・採用には、管理に必要な身体の器官、心臓、魂、鼻、腹をすべて使う(しかし、腹が大部分だ)。
・一人でやろうとするな。二つの腹には、一つの腹の2倍以上の力がある。
・新しく採用した人材には、1回は実証済みの能力レベルのプロジェクトを任せ、ほんとうに目標を拡大するのは次回とする。
・意見を求めよ。最も採用したいと思った人物は、ほかの優れた人材を知っている可能性が高い。
・話すより聞け。
・短期的に生産性を高める方法などない。生産性は、長期的な投資によって向上する。
・短期的な効果を約束するものは、いんちきである可能性が高い。
・やる気のある態度を常に引き出そうとしない人物をリスク管理人に任命せよ。
・悪い話が上層部に伝わりやすい経路(匿名性など)を作っておくこと。
・無駄を減らす。
・成功を最大化するより、失敗を抑えることによって、全体的な成績を高めることができる。
・チームの結束については必要のない賭けはしない。既存のチームを探して利用する。
・結束の遅い、または結束しないチームのために後継者が困らないよう、優れたチームは維持する(本人たちにその意思があれば)。
・新しい仕事を引き受ける意欲のある結束の固いチームは、プロジェクトの成果の一つと見なす。
・プロジェクトの初期にむだにする一日も、末期にむだにする一日も等しく打撃になる。
・一日をむだにする方法はいくらでもある……しかし、一日を取り戻す方法は一つもない。
・仲間との対話の中で、プロセスの進行に関する考えを伝えたり修正したりするためにモデルを使う。
・実際の結果と照らし合わせてモデルを調整する。
・病んだ政治はどこにでも、最も健全な組織にも出現する可能性がある。
・病んだ政治の決定的な特徴は、個人の権力と影響力の目標が、組織の自然な目標より優先されることである。これは、病んだ目標が組織の目標と相反する場合でも起こりうる。
・病んだ政治の副作用の一つは、少人数のプロジェクトを抱えることが危険になることである。
・単位を気にするな。客観的な尺度ができるまでの間は、主観的な単位を使えばよい。
・手に入るすべての基本要素(ソフトウェアの数量化可能な特徴)をもとに合成尺度を作成する。
・考古学的データを収集し、これまでに完了しているプロジェクトから生産性の傾向を算出する。
・合成尺度の公式をいじり、その値と、考古学データベースのプロジェクトの労力の相関関係が最良になるポイントを見つける。
・過去のデータベースをもとにトレンド・ラインを引き、予想される労力を、合成尺度の値の関数として示す。
・つぎに、予想を立てるべき新規プロジェクトのそれぞれについて、合成尺度の値を計算し、それを使ってトレンド・ラインから予想される労力を割り出す。
・生産性トレンドのノイズのレベルは、予測を立てるときの誤差の目安にする。
・優れたプロセスと、プロセスを絶えず改良することは、立派な目標である。それらはまだ、ごく自然な目標でもある。優れた技術労働者は、指示があろうとなかろうと、それらに焦点を当てる。
・形式的なプロセス改良プログラムには時間と金がかかる。一つのプロセス改良プログラムのために、プロジェクトが交替することもありうる。生産性の向上が実現したとしても、そのプログラムを受け入れたプロジェクトでプロセス改良の為に費やされた時間を相殺できる可能性は低い。
・プロセスは、注意深く選んだ一つの手順改良によって、その変更に投資した時間と金に報いるだけの利益を期待できることがある。
・プロジェクトの期間中に二つ以上の手順改良に順応することは、現実には期待できない。複数の技能改良プログラム(たとえば、全般的なCMM等級の引き上げ)は、プログラムを実施しなかった場合に比べ、プロジェクトの完成を遅らせる可能性が非常に高い。
・標準的なプロセスの危険な点は、人々が賢明な省略を行う機会を失わせることである。特に、人員過剰のプロジェクトの場合、標準的なプロセスによって全員に行き渡るだけの仕事(役に立とうが立つまいが)が発生するなら、標準的なプロセスが厳密に守られてしまう。
・デバッグの時間を大幅に減らさなければ、プロジェクトの成績を通常より大幅に高める方法はない。
・優れたプロジェクトは、デバッグに費やす時間の割合がはるかに低い。
・優れたプロジェクトは、設計に費やす時間の割合がはるかに高い。
・相手を好きになり、気遣わなければ、人に違うことをさせることはできない。相手を変えるには、相手の考えていることとその理由を理解し、尊重しなければならない。
・一時的なプレッシャーや残業は、人々の商店を定め、その仕事が重要であるという認識を高めるには有効な方法かもしれないが、プレッシャーをかけすぎると、かならず失敗する。
・管理者がプレッシャーを使うことが多いのは、ほかになにをすればいいのかわからないから、または、ほかの方法の難しさにひるんでいるからである。
・おそるべき推測:プレッシャーや残業を使うほんとうの理由は、プロジェクトが失敗したときにごまかすためかもしれない。
・管理者の怒りと侮辱は伝染する。上の管理者が怒鳴ると、下の管理者も同じような行動をとる(虐待された子供が自分の子供を虐待するようになるのと同じ)
・管理者が部下を侮辱すると、それが刺激となって部下は自分の仕事にされに力を注ぐと思われている。これが、「飴とムチ」式管理で最もよく使われる「ムチ」である。しかし、侮辱によってだれかの業績がよくなるという証拠はあるのか。
・管理者が部下を刺激するために侮辱を使うことは、部下ではなく管理者の能力不足のしるしである。
・仕様書があいまいなのは、システムの利害関係者の間で対立が解決されていないしるしである。
・入出力の完全なリストのない仕様書は、見込みなしである。使用を明確にする最初の一歩にもならない。
・仕様書がお粗末だとはだれも言わない。自分のほうが悪いのだと思い込みがちである。
・開発に複数の当事者が関わっている限り、利害の対立は避けられない。
・対立は尊重すべきである。対立はプロらしくない行動のしるしではない。
・全員の勝利条件を尊重することをあらかじめ宣言しておく。あらゆるレベルで勝利条件を引き出すようにする。
・勝利条件が相容れないか、または部分的に相容れない場合でも、関係者が対立解決の為に仲裁に移行するように、あらかじめ準備しておく。
・触媒のような人格というものがある。そのような人は、チームがまとまって結束し、なおかつ健全性と生産性を維持できるようにすることでプロジェクトに貢献する。触媒がほかになにもしなかったとしても(通常はほかにもいろんなことをするが)、触媒の役割は重要で貴重である。
・仲裁は、触媒の役割の特殊なケースである。仲裁はわずかな投資で学習できる。
・「あなたたちの仲裁をさせてもらえますか」というささやかな儀式の開始が、対立解決の本質的な第一歩になることがある。
・致命的なのは知らないことではない……知っているつもりで、実は知らない何かだ。
・初期に人数が多すぎると、プロジェクトは重要な設計作業を省略せざるをえない(全員に仕事を与えるため)。設計が完成する前に大勢に仕事を割り当てると、人や作業グループの間のインタフェースを最小化できない。
・このため、相互依存性が高まり、会議が増え、やり直しが増え、フラストレーションがたまる。
・理想の人数配分は、プロジェクト期間の大部分を少人数のコア・チームで行い、プロジェクトの終盤(プロジェクト期間の最後の6分の1ぐらい)に人数を大幅に増やすというものである。
・おそるべき推察:無茶なスケジュールを達成するように決められたプロジェクトは、妥当なスケジュールで開始されたプロジェクトに比べ、完成までに時間がかかると思われる。
・会議は、重要ではない人物が出席しなくても心配のないように、小さくする必要がある。欠席者が安心するための最も簡単な方法は、議事予定表を発行し、それに厳密に従うことである。
・プロジェクトには儀式が必要である。儀式は、小規模な会議や無欠点運動など、プロジェクトの目標と理想に目を向けるために使う。
・注意:怒りは恐怖である。部下に対して罵倒などの怒りの行動をとる管理者は、ほとんどの場合、怖いからそうしているのである。
・考察:怒りが恐怖であることをすべての人が理解すれば、怒りは、怒っている人が怖がっていることを明確に示すシグナルとなるだろう。起こっている人は、恐怖を表に出したくない。つまり、怒りが恐怖の表れだとみなにわかってしまったら、怒りを吐き出すこともできなくなる(これは怒っている人の問題は解決できないが、ほかの人の悩みは軽減できるだろう)。
・病んだ政治を下から治療することはできない。むだな努力で時間を浪費したり、自分の立場を危険にさらす必要はない。
・問題が自然に解決するか、行動するチャンスが来るのを待つしかない場合もある。
・倹約精神とは、失敗した企業の中で、その失敗の責任者が作った公式である。
・それは、組織の自然な目標である繁栄と福祉の精神とは正反対である。
・「倹約精神」という言葉を聞いたら、その本当の意味である「失敗と恐怖」に置き換えるといい。
なんか違う。
それは本当に僕が求めているモノなのか自信がない。
むしろ、求めていないのではないかという疑念が消えない。
新しいことを始めようと、生活に新しい風を入れようと教室に見学に行ったけれど、なんか違う。
自分にとってそれは虚飾ではないか。
たんなる戯れではないか。
ずっとそれをやり続けて、果たして僕は喜べるのか。否。
そしたら、別のモノを検討してみよう。ピアノはどうだろう。前からずっと気になっていたじゃないか。
でもどうやっても良い想像が行き詰まってしまうんだ。どこかで満足できない自分が想像される。
どんなことにつけても、そう。
僕の周りは完全に閉塞している気がする。
追記:
100%ピュアな動機を探しているんだなあ自分は。これまで何年も自分を偽りすぎていたという自覚がある。だから、こんどは自分の欲求を、自分の中からわき上がってきた気持ちで動きたい。二度と間違いたくない。自己欺瞞に陥りたくない。そんな思いが強すぎてかえってぎこちない。それはたぶんこれまでの反動なんだと思うけど。
私の小さい時とまったく同じだ。
http://www.nayamijiten.com/modules/newbb/viewtopic/topic_id/456/forum/313/post_id/995/cat/5/start/0/
「出て行け」と言われたときの絶望的な気分、よく分かる。私も幼稚園から高校くらいまでは毎月必ず母親が激怒する時があって、そのたびにそう言われて、家を追い出されてどこに行こうか、と何度もシミュレートしていた。暴力も同じ。何故怒られるのか分からないところも同じ。これは何なんだろう。そういう母親って多いんだろうか? でもあまり自分以外では聞いたことがない。
あれから15年くらい経っているけれど、いまだに私は母が「出て行きなさい」というほど怒っていた理由が分からない。叩かれたり、ホースでぶたれたりした記憶があるけれど、あれほどの何を私はしたのだろうか?
最近、経済的に独立してもう母を頼る必要がなくなった私には、「あなたは昔から、お母さんのことを虐待していたわね」と言う。どうにもやりようがない。逆じゃないのか。理由のない母の怒りや要求は今も続いていて、私を混乱させている。完全にいつもそういう言動であるなら、私も距離を置けるのだけれど、たまにすごく優しい時もあって、母がどういう人間であるのかというところが分からなくなり、「優しいお母さん」を見捨てるのはあまりにもひどいというようにも思えてしまう。
自分の話になってしまった。話を相談者の人に戻して。そんな風に理不尽に怒られていた子がどんな大人になるんだろう。と、自分を振り返ると、やっぱりこの相談者の女の子は何らかの手を差し伸べられるべきだ。でも私と同様にこの子もきっと誰に相談していいか分からないんじゃないかな。私も助けてあげたくても、助けられない。(いきなり連絡するのも怪しまれるだろうし……)。こういう子供たちの悩みを掬い取れるシステムってないのかな。
自室で抱きマクラを抱いて、アニメキャラとの会話をシミュレートするのが俺の日課。
「有希ちゃんかわいいねー^^ かわいいから大好き! 有希ちゃんてさあ、なんでそんなに可愛いの? 天使だから?」
「かわいくなんか…ない///」
「可愛いよ! そういう所が可愛いんだようもうちゅっちゅ! もう本当に何でこんなに可愛いんだろーねー」
「かずくんの事…好き、だから?」
「もおお! 正解!正解だよぅ有希ちゃん! モフモフモフ!」
「くすぐったい///」
「もっとくすぐったくしちゃうぞ! ここか! ここがええのんか!」
途中から無意識のうちに声が出ていたらしい。
不審に思ったオカンが部屋に入ってきた。
俺は慌てて掛け布団で抱きマクラを隠す
「なんね、あんたの部屋、誰かいるの?」
「(ビクッ)え、いや、だ、誰も居ないけど」
「嘘おっしゃい、誰かと話しとったでしょうが」
「ケータイは居間に置きっぱなしだったで」
「あの、それは…」
「アンタ誰か隠しとるんじゃろが!」
オカンは布団をはぎ取り、有希ちゃんの抱きマクラがあらわになった。
一瞬の静寂の後、オカンは全てを悟ったらしく
「ごめんね…」
と綺麗な標準語でつぶやき去っていった。オカンごめんね
ここ1年弱でfortranとかのクソコードを書いた経験以外一切無くてブランクも数年あった状態から、C/C++を使ってオブジェクト指向でそれなりに書けるようになった俺だけど。
一番苦労したのはメモリ空間のイメージを掴むまでだったね。C++で言うと、newしたオブジェクトがメモリ空間上にどう存在してどう振る舞うのか、っていうイメージが湧かなくて最初大変だった。
UMLのシーケンス図で表現される振る舞いを、頭の中に作った仮想的なメモリ空間上でシミュレートする感じか。この辺さえ理解できたらあとは細かいテクニックの話だけな気がする。