はてなキーワード: 白酒とは
昔の職場が派手に爆発四散したので思い出を語ってみる。
とっくの昔に退職したから、今回の件の内部事情は全然知らない。
期待して開いた人はごめんね。
募 集 要 項 に 書 い て あ っ た ん で す け ど ?
大学の推薦で受けてるから無碍に扱う事も出来ず、真面目に選考受けつつも落ちる事を祈っていた。
無 事 採 用 。
リーマンショックの影響が色濃い時代だったので、内定出ただけマシかって事で入社。
本社で入社式と新人研修だけ受けて、そこからは中国工場に3か月間放り込まれる。
F井電機は「FPS」と言われる生産方式を採用していて、カンバン方式とカイゼンによる効率化が特徴。
要は昔えらい人たちがトヨタの工場で研修を受けて「すげぇ!」ってなったトヨタ生産方式(TPS)をまんまなぞってるだけ。
「FPSで無限の改善」とか言ってたけど「無限ではねぇだろ」といつも思ってた。
このFPSを学ぶために新人は中国工場にライン工として送り込まれる。
工場は広東省のド田舎にあるので娯楽はなく、自動的に工場の寮に缶詰状態になる。
休みの日はたまに先輩が深圳に連れてってくれたりはあったけど、基本的に工場周辺の飲食店かスーパーに行くぐらいしか出来なかった。
工場で一緒に働くのは更にド田舎から出稼ぎに来てる兄ちゃん姉ちゃんで、自分は中国語話せなかったけどメモ帳に漢字で筆談で割となんとかコミュニケーションできてた。
無愛想な人もいたけど、フレンドリーな人も多くて異文化交流が楽しかった思い出がある。
ただ、自分たちがその辺の工員の10倍の給料を貰ってる事だけは絶対黙っとけと言われてたので、交流しながらずっと心にわだかまりがあった。
ただ、それ以上の学びはそんなになく「こんなに金と時間かけてやるほどの研修か?」と思った。
研修の終わりに配属希望を聞かれたので、ラインで担当していた製品の部署を希望した。(当然カメラじゃない)
最後の送別会では白酒をアホほど飲まされ、みんなで寮のロビーで死んでた。掃除のおばちゃんごめん。
で、本社に戻って配属先発表。
流石に3か月も工場にいるとその製品について詳しくなるわけで、それを活かす部署に配属されるのかと思いきや、全く別の部署。
人に関しては良い人が多かったかなーと思う。
ただ、雑談で話す内容が基本「社内の噂話」「ゴルフ」「女」「酒」ばっかりで、全然水が合わなかった。
技術職ってもっとオタクがいるのかと思いきやめっちゃ体育会系。
そういう意味では情に厚く面倒見のいい人が多かったかもしれない。
飲み会の後に興味ないおっパブに呼び出された挙句、自分の分自腹で払わされたのは未だに納得してないけどな。
仕事の方は流石にアレコレと具体的には書けないけど、とにかく会社がケチだった。
年間休日数は業界内でぶっちぎりの最下位。祝日のある週は土曜出勤ってパターン。
しかし残業代はフルで出てた。定時は22時みたいな感じだったけど満額支給だった。謎。
外注するような部品は流石に経費申請するけど、ホームセンターで買えるような材料は自腹。
外注先への見積もり依頼も基本的に相見積もりを取って、必ず価格交渉するようにと厳命されていた。
地元のおじいちゃんがやってるような町工場に毎回価格交渉するのが本当に嫌だった。
挙句、値段だけみて中国の激安工場に発注して、とんでもない品質で上がって来た部品を社員が手作業でリワークすんの。バカかと。
そういえば、全国にある某施設に収めた製品に不具合があるのが分かって、暇そうな社員集めて全国修理行脚するなんてイベントがあった。
自分は青森担当になって、往復の飛行機とホテル2泊の事前申請?をしたんだけども、
「往路は丸一日かけて青森まで新幹線で行ってください」「復路はホテルに泊まらず夜行列車で帰ってきてそのまま出社して下さい」って言われた。
行きはバカみたいに時間かけて行くくせに、帰りそんな急いでホテル代までケチる必要あるんか???(帰着日に急ぎの案件があるわけでもない
ちなみにその夜行列車は普通に遅延したので、出社したのは朝の予定が昼過ぎ。なんなんだよ。
出張の時はどれだけ時間かけてもいいから1円でも安い交通手段を探せってのがルールになってて、人件費って知っとる????って感じだった。本当にアホ。
自分が辞める直前の頃は業績も悪くて出張行くのは管理職以上ばっかりで
その管理職自身で役員が納得するような安い飛行機をめっちゃ時間使って探すような状況だった。あのさぁ人件費って(ry
まぁ、こんな感じで人にもモノにも金払い悪いし、本当にセンスないなって思った。
会長が本書く度に社内で配ってた。誰も興味ないのに。
「業績悪いからボーナス減らすね」って言いながら自分の功績をまとめたWebサイトとか社史とか作ってた。マジそういうとこやぞ。
社長から会長になっても、新社長の影が超薄い。裏で牛耳ってるのは結局会長。
社内行事があっても「会長は、会長でないと対応できない案件のため欠席です」ばっかり。
波乱万丈なAV機器業界で90歳のおじいちゃんが舵取りしてて生き残れるわけないじゃん。
自分が設計したものが工場で量産されて市場に出ていくのは確かにおもろいよ。
でも、
って一見すると技術者として幸せなようで、全くやりがいがなかった。
自分の仕事がどこにどう繋がってるのか、自分の目や肌で感じる事が自分の中では大切な事なんだなって気付いた。
だから辞めた。
会社でものづくりしても何も面白くねぇわ!!!ってなって、今は全く別の業界で生きてる。
辞める時は上司が「そんなんで世間で通用するとは思えない」って言ってたけど、普通に年収増えてるしノー残業だよ。
一緒に仕事してた人たちはどうしてるだろうなぁ。無事に逃げられてたらいいけど。
まぁ話半分で読んでくれたらいいよ。
友人達と深酒した。白酒を火鍋を囲みながらひと瓶開けた。あとビールをジョッキで2杯。彼らはもっと飲んでいたが。酒が弱くはなった自覚はある。
翌日は仕事が入っていなかったので家にいられたわけだが、何もできなかった。無理にやろうと思えばできるのだが、できれば寝ていたい。寝てビデオを観て楽しかった気持ちよかったとは正直なところなのだが、やはり深酒はコストがかかる。高い。
そもそも酒を飲む必要があるのか、神経に作用するものの摂取を控えたい、と思うようになった。酒が楽しい思い出をつくることに貢献してくれるという点は否定しないけれども、それ以上に高いコストを負担しているようにも思える。
やはり控えるべきは酒である。歳をとればとるほどそういうことなのではないか。むしろ若い頃に酒で時間を浪費していると、後々大きな差となって現れてくるのではないか。
酒をのまないという習慣は、実はとても大切なものなのではないか。この点、イスラームの教えはやはり正しいし、ついでに言えばトランプ大統領の習慣は正しいと思うようになった。
学生時代は慢性的な中二ウツだったせいか、あまり性欲がなかった。女友達や同級生に欲情するのがイヤで、強迫的に毎日抜いてはいたが、作業に過ぎず、射精するのがシンドイ時も多かった。
社会に出て、思考や行動の習慣が少しは変わって、性欲も増えた。1日1回くらいは余裕で、たまに追加してしまうくらい。
でも、こっぴどく絞られると、とたんに勃たなくなる。見事に反応しなくなる。まあ、頭の中が叱責場面の反復で埋め尽くされているのだ、エロシチュの妄想してるリソースなんて全く無いだろうさ。ピロートークをシミュレートするリソースも無いだろうさ。
で、攻撃的というか、破滅的な思考が微かに感じられる。このストレスをあと5段階ほど高めて、それが慢性的に続けば、心身のどっかに変調を来すのかもな。10段階ほど一気に高まれば、そりゃ、自分か誰かを死傷するかもな、と思う。無理やり冗談で「まだ息子の顔も見てないのに終われるものか。わが子にクソ親父死ね!!と罵声されたいよハァハァ」とか言ってみる、まだ言える。心が全く笑えなくても、冗談を思い浮かべられる内は、まだまだ大丈夫なんだろうな。
自分は所詮低脳な輩で、まあ社会に貢献できる部分なんて全然ない無能者だ。だから、社会に適応していく上で苦痛があるのは、当然だろう。ただ、なんか日本全体がストレスフルに思えて、げんなりする。俺以外の俺より有能な人たちが、もっとハッピーにセックロスしていてくれないと、希望がないじゃないか。だから、オレより優秀なお前らはもっと幸せになるべき。ときに、今日は雛祭りですね。きっとお雛さまに白酒を注いだり、お雛様の雛霰をつまんだりしてるわけですね、娘が寝静まった夜中に。家族エロいよ、家族。
とバカな長文を打てる程度に、気分はいい。心底落ち込んでる時は、言葉が凍る。
お前は「正月」という言葉を使うな。「餅入れた汁の日」と呼べ。
お前は「節分」という言葉を使うな。「太巻きと豆の日」と呼べ。
お前は「雛祭り」を祝うな。とりあえず「人形飾って白酒呑む日」と呼べ。
お前は「入学式」とか考えるな。「ハゲの話を聞いて紅白饅頭貰う日」と覚えてろ。
お前は「子どもの日」とか考えるな。「親の見栄で鯉のぼりの日」と言え。粽を食うのは許可してやる。
お前は「梅雨」とか言うな。「雨が多いね」と言え。
お前は「海の日」とか言うな。「夏休み初日」と言え。いや「夏休み」も言うな。
お前は「十五夜」とか言うな。「だんごの日」でも充分過ぎる。
お前は「体育の日」なんて考える必要もない。「運動場で弁当食う日」だ。
お前は「勤労感謝の日」なんて知りもしないだろう。「ニニニのニートにゃ祝日もなんにもない♪」とか歌え。
とにかくお前には文化とかそういうものは贅沢過ぎる。ただ飯食って寝て働いて、一生頭とか使うな。
(追記)
・トラ受けて一部修正