はてなキーワード: カウントダウンTVとは
タイトルの通りなんだけど、大手レーベルからメジャーデビューして、MステやカウントダウンTVにも出演するもコンスタントにヒット曲が出せなくてやがて解散するバンドって山ほどあると思うんだけど、メンバーはその後どうしてるの?って思った。
カラオケ印税が入るレベルのヒット曲があれば個人で細々と音楽活動を続けたりできるかもしれないけど、そこまでのバンドばかりじゃない。
スーパーカーのいしわたり淳治みたいにプロデュースの道に行く人もいるけど、バンドマンが皆プロデュースの才能もあるわけじゃない。
そうなると専門学校の講師とか、楽器パートの人はバックバンド要員とか?
もしくは小金を元手に事業を興すか。そんな才能がない人は中小企業に就職するか、非正規雇用か、フリーターか。
なんというか、バンドやってる人らの中でメジャーデビューって相当上澄みだと思うんだ。いやもちろん今どきレーベルに所属するだけが音楽活動じゃない。それはわかってる。それでも地方から成り上がってスカウトされてメジャーレーベルからデビューするっていうのはひとつの正統派というか、小説家で言えば文学賞を獲ってデビューするようなもんだと思う。
そんな人らでも音楽で一生食っていける人がさらにひと握りだとしたら、なんだか夢が無いなぁと思ってしまった。
こんなことは俺が考えるまでもなく常識なのかもしれないけど、若者時代の大半を注ぎ込んで活動して、それでも大部分は途中で脱落するって言い方が悪いけどコスパ最悪だなって感じてしまう。
書いてて思ったけど、さっき挙げた小説も、漫画も、スポーツも「その道」を本気で目指したら同じかもしれない。
そう考えると勉強して大学入って就職するのが一番コスパ良いかもしれないなぁ。別に東大出て海外で働かなくてもそこそこな上澄みのポジションに収まる席はいっぱいあるし…
夢が無いなぁ……
カウントダウンTVの真ん中にいるやつじゃん
クリスマスには肉とケーキを食べて、相手がいる人は一緒に過ごして、いない人はいないことで盛り上がってあっという間に大晦日。紅白見ながら蕎麦と刺し身を食べて年が明けたら何人かの友人に「あけおめ」LINEを送って眠くなるまでカウントダウンTVを見る。元旦の朝はお雑煮を食べて二度寝したあとに近所の神社に行って初詣。次の日からは箱根駅伝で、外国人選手や面白い名字の選手に勝手にキャラ付けして見てるうちに結局最後は青学、東洋、東海のどれかが優勝する。お正月も終わって落ち着いたなぁなんて思ってたら今日は成人式だ。またニュースで新成人のやんちゃが報道されるんだろうか。
もうこれからの人生のすべての年末と年始にこのイベントと各イベントに対応する振る舞いがぎっちり設定されてる感じがして、それを消化するたびに「ほいほい、よっと、こなしこなし。」と工事現場で二、三人で重いもの運ぶときみたいな掛け声が頭の中で流れてく。
当増田は昭和生まれの名前さえ書ければ進学出来る典型的馬鹿田工業高校卒業生
令和現在理解でき難いかもしれないが当然当時はネットは普及してない。あることにはあった。
2枚のプリントが配られて1枚はYahooニュースのトピックスの記事をそのままプリントアウトしていてこの中で興味がある記事の感想を書きなさい。ちなみにこれはアメとムチのムチに当たる。
そして2枚目はカウントダウンTVのランキングをキャプチャーしたプリントだ。そしてその中から好きな曲を選びなさいが課題だ。
これはわかりやすくアメだ。
こんな生ぬるい授業だがきちんとやるのは俺ぐらいだった。やってもやらなくても内容は関係なくて名前の所に自分の名前を書いて提出できたらそれが満点だからだ。
補足として書かないといけないのは当時そのプリントを見てすげえって思うのが普通の感覚なこと。
インターネット黎明期以前なのでYahooも高校生は知らないしカウントダウンTVはテレビ番組でそれをプリントアウトすること自体が謎の技術であった。
当時の環境の説明はこの辺にしないと文字数がいくらあっても足りない。
で、その授業がその後社会に出た後役に立ったのかと言うと、役に立ってないし、寧ろその授業で身に付いたニュースチェックの習慣は膨大な人生の無駄だった。単なる情報ジャンキーを生み出すだけの授業だった。
古びた校舎の部分的な工事に伴い、敷地内の仮設教室に追いやられたクラスには、扇風機が割り当てられていたが、窓を開けても熱風、扇風機は熱風をかき混ぜながら撒き散らした。
そんな教室での昼休みは、いまいいち活気がないムードでボソボソとした会話が散発的に起こった。
「最近これ聴いてる」と友人はCDアルバムを取り出す。Dragon AshのBuzz Songs。いいよね、なんかオシャレだよね。あの曲が好きだな、Under Age’s Song。ラップって優しい感じのもあるんだね。反応されたのが意外だったらしく「知ってるの?え〜、なんか悔しいわ。絶対知らないと思った。」
門前仲町のとあるラーメン屋の暖簾をくぐった私と同期の二人は、深いため息をついた。
新入社員研修の過酷さは想像を超えるもので、私たちは疲れ切っていた。
「さぁ…」
そのラーメン屋に客は私たちだけで、空虚な空間にはテレビがあった。
カウントダウンTVの特番に、aikoさんが出ているのが視界の端に見えた。
そして、新曲を出したのかな、と思っていた私の予想をよそにaikoさんが歌いだしたのは何と、『カブトムシ』。
えっ?『カブトムシ』?
つい声に出てしまった。
「カブトムシが何かあった?」
「いや…随分懐かしい曲を…と思って」
「確かに…」
私は咄嗟に調べた。『カブトムシ』、1999年のナンバーであった。
凄いな、aikoさん。
きっと『カブトムシ』をリリースしてから19年、aikoさんにも様々なことがあっただろう。
たくさん曲も書いたし、良いことも悪いこともたくさん経験してきたはずだ。もちろん、そのあいだにはきっと新しい恋もあっただろうし、失恋もあったことだろう。
にも拘らずaikoさん、今年42歳のaikoさん(調べた)、全然「『カブトムシ』を歌う女子っぽさ」の枠内にいる。これは凄いことではなかろうか!
我々は、もとより人間一般は、果たしてaikoさんと同じく「19年前の自分」と同じものが似合う人間であることが出来るだろうか。
言わずもがな19年という歳月は果てしなく長い。その間に卵子が大学受験をする。高校生の高橋由伸が巨人軍の監督になる。
今年23になる私は42歳になっている。その時、今日のaikoさんのようなパフォーマンスが出せるのか…?
「aikoさんの19年間を思えば我々の1週間など取るに足らぬ」という、妙に力強い結論とともに、私たちは帰路についた。
決してaikoさんに知悉しているわけではない私たちの、それでも具に感じとったaikoさんの凄さを胸に、来週も頑張ろうと思った。
(その後に歌っていた新曲も、とってもいい曲でした)
オフコース・アルフィー・杉山清貴・稲垣潤一・来生たかお・・・
レパートリーに楠瀬誠志郎、KATSUMI、ミスチル、スピッツ、谷村有美辺りが加わった。
だが、世紀が明けて2000年代になって、パタッと音楽を聴かなくなった。
一つには個人的にそれどころじゃない(赤ん坊ができた)というのもあるが、以前だったらカウントダウンTVとか
耳が保守化したのかな?とも思ったが、日本の音楽自体が変質した気がする。
一番感じるのは、いわゆる「ラップ」というのか、メロディーラインを軽視してリズムを重視して、
「語るような感じ」の音楽が増えてしまって、メロディー・ハーモニー重視の自分の嗜好と真逆になったのが大きい気がする。
アルフィーの3人のハモリみたいな楽しさが、2000年代以降の音楽に、全く感じられなくなっている。
昨日、数年ぶりに光麺に行った。
結構人が並んでいたので、味は落ちてないかなと思って入ったんだけど、
実際に入ってみて愕然としました。
味がどうこう以前に、内装のあり得なさに。
あのですね、カウンターの前に10インチぐらいのモニターが付いてるんです。
カウンターの前ですよ?
よくある「中華料理屋の店の隅にテレビ」みたいなのじゃなくて目の前。まん前。
どんぶり置いたら、その10センチの先に10インチのテレビモニター。
いやいや、ちょっと待ってほしい。
こんなの置かれたら、見ないという選択肢を取るのが難しい。
しかも垂れ流されているのはカウントダウンTVみたいな、
どうでもいいミュージッククリップと光麺の店舗紹介。音もうるさい。
いやいや、俺にはそんな情報全く必要ないから。
なんで流行ってるものは誰にでも受け入れられるものだと思ってるんだ。
全体の数%しか興味が無くて購買に結びついてなくても
ランキング1位というのは普通にあり得る。ランキングとはそういうもの。
つまり、ウケているけど、9割以上の人間にはどうでもいい情報というのは
普通にあり得る。どうでもいいものを押し付ける、そういうアホみたいな
マーケティングしかしないからマスメディアや広告はダメになったんじゃないのか。
それに、他の店舗の紹介がしたいんなら、ナプキンのところにでも
俺、そういうのよく手に取る人だから。
いくら入るのかしらんが、固定客がもう一杯食べにきてくれたほうが
利益率高いでしょ? 帳簿しかみてないから失うものの大きさが分からないんだよ。
…いやいや、そういうツッコミをしたいわけじゃない。
そもそも、俺はラーメン食いに来てるんだし、連れもいる。
純粋に嫁さんとラーメンについてああだこうだ言いながら楽しみたいだけなんだ。
久しぶりにあんたのところのラーメンを味わいに来たんだよ。
よくあんたのところで食ってた学生時代でも思い出しながら。
だいたい、モニターみてたらそっちに神経が行って、味に注意が行かないじゃないか。
あんたは親に食事中にテレビばっか見んな、って怒られたことがないのか?
マスコミや広告代理店とかにはそんなに不信感を抱いてないので、
「なんでそんなに怒るのかわかんない」みたいな反応されて、
俺がなんか神経質野郎な感じになってしまった。
俺はもうあまりの不愉快さに、席についてすぐメニューでモニターを
塞いでバカヤロー、みたいなノリになったのだけど、周りをみると
割と普通にラーメン食ってたりしてたので、受け入れられてるのかもしれない。
ただ、みんな連れで来てるのに会話は少なかったけどね。
まあ10センチ前でモニターがアホみたいな音楽鳴らしてたら会話もできないわ。
人のアテンションに入るときには「失礼します」と言って入る、
あの思い遣りはどこに行ってしまったんだろう。
私が関心あることはあなたには関心がないかもしれない、
私が必要だと思うことはあなたには必要ないかもしれない、と思える
人間としての配慮はどこに行ってしまったんだろう。
全盛の頃はどこもかしこもあの下品な音が鳴り響いていて、
街を歩くのも本当に苦痛だった時代があったのを思い出した。
無神経な社会だったのかもしれないな。
最近そういう流行の押し付けがましい状況は改善されたと感じていたので、
あれはバブル崩壊後の失われた時代の空虚さがそうさせていたんだと思ったけど、
そうじゃなかったんだな。
ヨーロッパなんかではヒトラーの教訓があるし、小説『1984』なんかにも
表れているように、他人のアテンションをコントロールすることによる
「支配」について結構敏感に反応するから、こういう「自由な」食事の場面に
コマーシャリズムの権化が押し付けられる状況が生まれること自体
考えにくいと思うんだけど、歴史的に見ても「支配者」に従順な日本人は
あんまり疑問を感じないのかと思った。
つまり「なんとここでこんなことが!!」とか「正解はなんと!!」の
次の瞬間に「はい、CMー」とか、そういうの日本だけらしいっすよ。
海外だとそういうコマーシャルやると、不買運動食らうからやらないんだって。
でね、あと心理学的に言って、
アテンションの量に人間は行動が左右されるんですよ。これはもう無意識に。
人はよく目にするものに好意を持つようにできてるんです。
電通がタレントの認知度を好感度とか言い替えて金作ってる裏には、
一応それなりのカラクリがあるわけで。
それに、アテンションが支配されるって事は時間も取られるってことで、
コミュニケーション全般にも影響する。
ベッドルームにテレビがあると、セックスレスになる率が2倍以上って
アテンションのコントロールについて真剣に考えたほうがいいんじゃないかと思った。
まぁとりあえず、俺は二度と光麺には行かないけどね。
味も落ちてたよ、やっぱり。
嫁さんはモニターについてはマイナスの印象を抱かなかったみたいだけど、
味のことは分かったようで、やっぱり残してたよ。魂を売り渡したらそうなるって。
昔は単価が高くていつもは食べられなかったけど、味は結構好きでした。
トンコツ全盛の時代に、あえてあっさり醤油で勝負していたスタンスも好きでした。
さようなら、光麺さん。
昼間っから角煮丼を食べる私。
フヒーwwwお腹いっぱいだブーwww
で、そこに青年現る。
『テレビ東京の者ですが、平日の8時から放送している朝はビタミン!という
番組のコーナー『イケメンショッパーズ』にこちらで働かれている店員さんを
紹介しようと思いまして、ご飯を食べるところの取材に協力いただけませんか?』
とのこと。一度は恥ずかしいYO!と断ったものの客が私たちくらいだったのでおkする。
TBSだったら断固拒否するけど。青年も丁寧で腰が低くていい感じだった。
というか店員よりおまいのほうがイケメンですよと。
で、1食目の角煮丼を食べ終わったそばから、焼そば食わされた。
苦しいwwwランチ2食。wwwwごちそうさまでした。
にしてもカウントダウンTVとかいろいろな街頭の撮影に声をかけられる。
そんなに油断しまくってる顔してるんかな。
ま、どうでもいいけど!!食べ過ぎて仕事にならん!!そんな一日。