はてなキーワード: 自己肯定感とは
やたら自己肯定感が低い人たちは意識高い系の診断受けると良いと思うよ
自分の価値観に自覚的になったり、ラベリングされたら、症状落ち着くと思う
尊重されてると感じる、話を聴いて貰える、そう感じる機会が圧倒的に足りてなかったのだと思うよ
色々気にしないようになるエクササイズってよくあるじゃん、座禅とか瞑想とか。
自己肯定感を高めるコツってなんかあったっけ?
つまりアツい人間関係を築くとか筋トレするとか、修練を要することに取り組むとかのド正攻法「以外」の、
自己暗示みたいなやつ。どんなクズでもまずそこからやってみよ?って言えるような初歩の初歩的なやつ。
なんかない?案外ないよね
結婚の挨拶とかそういうんではなく、彼氏が地元で車を買ってそれを取りに行くついでに地元案内したいから旅行ついでに行こう。という話になった。
彼女と地元に帰るという旨を向こうの親に伝えたら、流れで会うことになった。
結果は惨敗。
4月からの就職までの間に楽しむ相手なら何も言わないけど、その先、結婚するってことは賛成できない。と言う評価だった。
①年齢
彼の家はどうしても世継ぎが欲しいらしい。
そう考えた場合、31から順調に進んだとしても2,3年はかかる。子供が生まれるかが不安だ。
②容姿
168cm 90kg の私は親戚一同に紹介するのは恥ずかしいとの事だ。かつ、これから先歳をとったら諸々の病の発病リスクが高いだろう。
主にこの2つがお気に召さなかったようだった。
己に対してのメンタルの弱い私には十分すぎるほどのダメージだった。
かなしい
こんなことでこんな思いをするなんて馬鹿らしいと思うけど
選択を悔やんだり 仕方なかったと思ったりするけど
でもこんな事で
痛手を受けているのが自分だけというのが
かなしい
少しでも気持ちに応えられたらと思ったんだけどね
初めから拒絶すればよかった
そんな対象として見てなかったし
見れるような対象ではかったし
断ると失うものがあったし
ここは狭くてもう息が苦しい
もう自分も若くなくなってきたので
でも思ってるより多分広い
こことは さよなら
この友達は他人によくマウントを取る。ていうか取らないときがないってくらいマウントしまくってる。
望んでベンチャー企業に就職する同級生がいれば「バカだねえあいつw」。
俳優になるために会社辞めた知り合いがいれば「人生終わったじゃん」。
こいつのそういうところが昔から嫌だったので割と真面目に諭したことがある。
年収とか肩書とかそういう軸で他人を見下すのは気分悪いからやめて欲しいし、やめたほうがいいと思う。
原理的にお前がそのへんのあらゆる尺度が人類の1位じゃないとマウントが破綻する。
お前より年収高い奴、普段バカにしてるスポーツ選手とか芸能人とかの職業で大成功してる奴はたくさんいる。
そんなことを言ったら「はあ?」とポカーンとされた。
で「いや、そいつらは関係ない。俺は多数派だし関係ないんだ」と言ってのけた。
つまり彼は自分より上の存在を都合よく無視し、年収や肩書が些細な差であろうとも自分より下であればで全力で見下せる。
そういう考え方で無敵の自分を獲得していた。
これはちょっとショックだった。
彼のなかの真実というものは自分が認めた自分に都合がよくなるものだけで、他者からのツッコミはノイズと同じで、仮に良識的な人々から顰蹙買おうとも全く動じない。
世の中の成功者が血のにじむような苦労と努力と得難い経験で手に入れる自己肯定感を、彼は都合の良い物の考え方という楽な武器で獲得している。
正直、羨ましいと思った。
俺から見る限り、彼は内面的葛藤とは無縁でいる。強がってるのではなく本当に「自分は誰よりも尊くて優れた人間」だと確信しているように思える。
長い付き合いからそう思う。
彼のような物の考え方は有害だと考える俺を始めとする多くの人間はせいぜい、
「いや、必死で表に出さないだけで本人は内面で地獄を抱えているはずだ」とか「そんな奴は結局不幸になるから放っておけ」とか願望交じりの嫌味を言うしかできない。
それは正直、むなしいと思う。
彼は不愉快だけど最強だと思う。
長野ひろ子「衣料生産と日本女性――『富岡日記』を中心に」(『中央大学経済研究所年報』49号、2017年)を読んで気づいたことがあった。それは、なぜ自分がこの本が好きなのか、その理由の一端が分かったように思えた。
この長野さんの論文自体はそうたいしたことは言ってないが、印象に残ったのは英の「圧倒的な自己肯定感」である。
(以下引用)
「ここから伝わってくるのは、自らが娘時代に従事した製糸業への熱い思いとそのことへの圧倒的な自己肯定感である。英にとってそれは「一日も忘れたこと」のない記憶、おそらくは青春の輝かしい記憶・思い出であり、老境に入って「繰り返し繰り返し日々楽し」むほどのものだったのである。しかし、それゆえにこそ、自慢話ととられることを恐れ「だれにも一言も申」さず「二十九年」間「心に秘め」て過ごしてきたのであろう。
(引用終り)
圧倒的な自己肯定感の源となる思い出だからこそ、その後の人生の揺るぎない支えとなり、しかし普段決して他人には語らないという心境は俺にもよく分かる。他人からの評価は必要ないのよね。また英は違うだろうが俺の場合は、そもそも自分の大切な思い出を他人に物語として消費してほしくないしね。
最近杉本鉞子の『武士の娘』を読んだが、期待に反してつまらなかった。何故つまらないのかを考えたとき、自分は山川菊栄『武家の女性』と和田英『富岡日記』を無意識のうちに思い浮かべていた。菊栄や英に比べて、鉞子は「言いたいこと」がさして無いように思える。前二者は、「これだけは書かねば気が済まぬ」という切迫感・覚悟・執着のようなものを(方向性は違えど)感ずる。色の違う火花のよう(執着の炎は英の方が強い)。その切迫たる思いが、彼女らの筆鋒を時代のエートスまで届かせている。そこに面白さがある。
それに比べると鉞子は、悪い意味で「上品な文学少女」の域を脱していないと思う。当時のアメリカの読者に受けるように異国趣味を意識して書き、実際売れたのかもしれないが、時代を経た今となっては毒にも薬にもならない。あの時代に単身渡米して結婚した上級武家出身の娘、という触れ込みのわりには大したことを書いてない。現代では、櫻井よし子あたりが「日本女性が世界をアッと言わせた」とか持ち上げてるのを別にすれば、史料としても文学作品としてもあまり注目・評価されてないのはそのあたりに理由があるんだろうね。ジャポネズリには楽しいのかもしれんが、それでないと魅力に乏しい。
なにもしないことに罪悪感を覚えることがある。
休日、起きられなくて午前中を潰してしまったり、起きても一日中ネットに張りついてしまってどこにも行けなかったりすると、「ああ、やっちゃった」と思う。どうして自分はこんなに怠け者なんだろうという自責の念すら湧いてしまう。
でも、冷静に考えてみれば休日に何も建設的なことをやらなかった程度で怠け者にされたらたまったものではない。私は休むことに罪悪感を持っていたのだと気づいた。おそらく中学生の時不登校になっていた時期があったことが原因だろう。
当時、不眠の薬の副作用で朝が猛烈に怠かった。それに伴ってか、体の調子も崩していたのでとても朝から通学することができなかった。
親はそんな私をなんとか学校に行かせようとめちゃくちゃ叱った。本当に体調が悪い、ちゃんと夜眠りたくても些細な物音で目が冴えたり何度も途中で起きてしまう、と訴えても信じてもらえていなかったと思う。かかりつけ医に心療内科を紹介された時も、最終的には連れて行ってくれたが最初は「要らないでしょ」と一蹴されていたからだ。彼らは典型的な昭和の人間だったから、精神科や心療内科に抵抗があったというのもあるだろう。それで治療が遅れた身としてはたまったものではないが。
「頑張りなさい」
「○○ちゃん(それ以前に私をいじめていた人)はちゃんと学校行って部活も頑張ってるんだって。偉いよね」
「逃げてるだけでしょ」
ざっと、こんなことを言われた。親も必死だったのだろう。子供を"まとも"に育てたくて。それは理解できる。でも、メンタルの不調時にこんな言葉を投げ掛けられたら、それこそ心が折れてしまう。
これ以上は長くなるからここで割愛するが、私の両親がメンタルの不調に無理解であることは伝わったと思う。中学生という子供時代、親の理解や支援が必要だったときにそれを受けられなかった。むしろ、回復に必要だった休息を妨害され、頑張り続けることを求められた。
常に何かに追いたてられるような不安がある。もうとっくに成人し、法やモラルに触れない限り何をやるのも自由のはずなのに、やたらと親に許しを求めてしまう。そういうあれこれは全てこの時期に起因していると思う。その中に休む事への強烈な罪悪感も含まれている。
上手くまとまらなくて長々と書いてしまった。ここまで読んでくれてありがとう。
総括すると、私はきっと自己肯定感がとんでもなく低いのだ。何かをしていないと、人より優れていないと生きる価値がないと思ってしまっている。どうすれば自分を大切にできるんだろう。克服や改善の方法がわかる人がいたら教えてほしい。
総評:橋田親子以外みんなまともじゃない。少なくとも恋人キャラでは無い。モモーイのフェイリスはギリ有りだけど、他のヒロインが魅力がないので相対的に順位が上がっただけ
そういえばよく通ってた風俗の女の子がボチボチ辞めるっていってたなーとお店のサイトを覗くと今日出勤してた。タイミングいいし行くかと予約してバイアグラ飲んで気合い入れていた。のにその直後、ゴメン生理になった、って連絡入ってしまった。
身体が前のめりになってたので、もう今日はどこでもいいぞ!と他の風俗探すことにした。しかし、空回る日はだいたい空回る。普段行かないとこに足をのばしたのにどこもいっぱい、待ち時間120分…
そんな中、たまたまWebで目に入った、女教師系のホテヘルに入ることにした。『すぐいけます?』『この、リピートナンバーワンの子すぐいけますよ』『じゃあその子で』
深く調べず即決してしまった。
自分は可愛い子じゃなくても、愛嬌がよければある程度許容できる。
出てきた子は鼻がぐずぐずしてたマスクの女の子。マスクが大きくて顔は見えない。『ずっと鼻炎治らないんですよ』
と言ってた。見た感じ負のオーラを抱えてた。いや、こんな負のオーラ、初めて見た。めっちゃ自己肯定感が低く、常に相手を伺ってる感じ。でも相手に尽くすことで承認欲求を得ようとする感じ。髪が長いので顔があまり見えない。目はかわいかったのだが、マスクを外すと…顔はあまり、見ないことにした。
特にコミュニケーション無く、向こうから攻めてきた。途中まで受けてたけれど、こっちも攻めたいなと攻め返した。その後、向こうが、生なのにそのまま入れようとしてきた。先っぽ入った状況で、病気が怖くなって、『ゴムつけていい?』と聞いたら、『ゴム持ってないかも』と返された。何か余計怖くなって、というか、リピートナンバーワンってそういうことかと、思い出して、入れるのをやめた。
その後、身体中舐めてくれたり、出た後を口でキレイにしてくれてりとめっちゃ尽くしてくれるんだが、最終的にそんなにたたなかった。バイアグラ飲んできてたんだが。