はてなキーワード: 漫才師とは
年始のお笑い特番の1コーナーで「今ちょうど良い芸人」っていう企画をやってて、
かまいたちとか千鳥とかの売れっ子芸人とは別枠で髭男爵とかジョイマンとかパペットマペットとかのいわゆる一発屋芸人がショートネタを披露するっていうコーナーだったんだけど、
髭男爵ジョイマンパペットマペットの並びにM-1ファイナリストで正統派漫才師で最近になってむしろそこそこ露出増えてる彼らがいるのは明らかに浮いてた。
それを観ていた俺は察したんだよね。
「ああ、これアレだろ、TBSでダウンタウンの番組だし、水曜日のダウンタウンで『まあまあ売れてるのに一発屋枠で番組呼ばれても年始の大型特番ならつい引き受けちゃう説』を検証してんだろうな」ってね。
最近ラヴィット生放送中に芸人が出演アイドルを遠隔操作する企画だったりドッキリ偽番組を実際に放送したりとかそういう遊びが多いし、
『あの人は今』偽番組で流れ星やTKO木本にオファーをかける説もあったし、該当の年始特番自体も去年くらいに水曜日のダウンタウンの別企画で使われたりしてた。
これはまあ間違いないだろうって。
今日の水曜日のダウンタウンこれが来るかと思って楽しみに待ってたね。
つまりは、ワイドショーを独占するような凶悪犯罪に手を出すようなド腐れた人間性じゃなくて良かったんだけど、それはそれで結局この「何者かに成りたい欲」に毒された者には緩やかな地獄の延長にしかならないんだ、という話。
私って結構すごいんだよ。ガキに理不尽な暴力を振るう虐待親を持つ、今でいう親ガチャ大ハズレの人間なんだよ。ちょっと伸びをしたら「そんなに肩凝ってるなら肩たたきしてやる」って言いながら思いっきりぶん殴ってくるような。ロクに飯も作らないくせに、わずかな小遣いを飯に使ってたら「ロクな使い方しないから金の無駄」って言ってそれすらも没収するような。ちょっとでも反発したら「社会で通用しない」って呪いをかけるような。それでいながら、世間様から褒められるようなアルバイトも馬鹿にされるようなアルバイトもこなして、遥か後方のスタートラインから国立大学で院卒っていう学歴持ってるし、今はちょっとは名のしれた大企業で技術者やってるよ。初年度から実家の世帯年収超えたよ。自分への給餌のために、ちゃんと栄養バランス考えた飯も作れるようになったよ。あんまり偉ぶれるような肩書はないけど、スタートラインからの差分で言ったら結構なもんだと思ってる。
それで、ゴミみたいな実家から開放されたら、自分が何者なのかってさっぱりわからなくなっちゃったんだよね。今までずっと自分の人生生きてなかったんだ。あのゴミ共よりマトモな人間になってやる、社会で通用してやる、幸せになってやる、って思ってたんだけど、社会は実家よりはるかに理不尽じゃないし、ゴミの社会と普通の社会って全然違う。幸せって、なんなのか全くわからない。幸せなんてゴミの社会にはなかった言葉で、全員が「私は不幸」で埋め尽くされてたゴミの社会では、不幸でいることが義務だったんだろう。そんな社会から決別するのは正解だと信じてるんだが、決別したらしたで、その社会の価値判断で生きてたので何もわからなくなった。当然ながら「普通の社会」って決してやさしいせかいではなく、私が凡人であることを容赦なく突きつけてくるんだよな。私と同じくらいの立場の同僚も、幼少期からピアノ習ってたとか塾に通い詰めだったとか、個人的には羨ましい限りなんだけど、どうもそれはそれでクソらしく。また同僚は学生時代に一般的な社会経験を積んでいて、やっぱりそれも羨ましくて。こんなにも苦労したんだから、私は何某かの立派な、世間から褒められるような、何かになっていなきゃおかしいみたいな、何者かに成りたい欲はずっとくすぶってる。
同僚たちが結婚ラッシュになるような年代になって、それが本当に悔しくて悔しくて仕方がない。とっくにマスのヒーローになるのは諦めて、誰か個人のヒーローとして頼ってくれる人がいるんだろ、そして相手は苦しむ自分のヒロインになるような人がいるんだろ。私はまだまだマスに対するヒーローになりたいっていう願望が抜けないし、そもそも誰かのヒーローになるような器じゃない。私がしょーもない人間であることなんて、私が一番わかってるのに、この「何者かに成りたい」という欲は歳を重ねるごとに酷く膨れ上がっていく。今日もまた「結婚おめでとう」っていう嘘をついてきた。歳を重ねると諦念が身につくのが普通の大人なんだろう。それが欠片もない。現状の私は世界に対して「良いことをする」ようなマスのヒーローどころか、個人に対して「良いことをする」ような個人のヒーローにもなれない、宙ぶらりんの「悪いことをしない」だけの普通の社会に溶け込んだ空気みたいな存在なんだろうけど、自意識だけは誰もが私を凄いと思って尊敬されてなければおかしいと遙か上空に行っちゃってる。
調べてみたら、これはアダルトチルドレンという、機能不全家族で育った人間によく見られる兆候らしい。これは完全に自分の恥で、傲慢で、どうしようもない自我なんだが、「そんなところまで、「よくいる」人間の兆候なのか」と、自分に対する嫌気が差してしまった。マスの医療(認知行動療法というらしいが、医療なのか?わからないけども医療としておく)で改善はできるらしい。これすらも、お前は悩みすらも一般的なのかという、自分は特別でなくてはならない、というあまりにも強烈な自我に自分を揶揄される。自覚と自我だったら自我が勝つから、とウエストランドという漫才師が言っていたが、今は完全に自我が勝っている。強烈な飢餓感を訴える自我と、足るを知れという自覚。この喧嘩、「普通の人」だったら高校生のときに終わらせてるのか?それともそんな喧嘩は起きないんだろうか?わからないが、こんな悩みも一般的なんだろう。
「何者かに成りたい」という強烈な自我は、一束いくらの人間になりたくない、自分は特別でいたいという、ある程度は当たり前の精神であると思っているが、私はあまりにも強い、それも大人になってからが本番のヤバい欲望になってしまった。特別感を演出する引き出しが多い分、飾り立てる言葉が多い分、重たくのしかかってきている気がする。これすらも「自分は殊更に不幸」って言いたいだけの精神から来ているのだろう。「私は不幸」で埋め尽くされてたゴミの社会の価値観だ。これは適切な年齢のときの自我としては、自分を伸ばす背伸びになったんだろうが、伸びをすると思いっきりぶん殴ってくる親がいた私には、大人になってからしか持てない自我だったのかもしれない。
年内に初めての子どもが産まれる。夫は男の子を切望していた。早くから決めていた名前が旦那の名前から一文字取ったものだったが「そういう名前の昭和の漫才師がいたよね」ってやつだった。その上、夫だけでなく、夫の弟、私の父、兄と漢字や響きがかぶりまくっている。名前の話しになるとやんわり、他の候補は無いの?と促したが、夫は自分で考えた名前が非常に気に入って、頑として聞いてくれなかった。でも子どもを欲しがったのは夫の方なので、折れることにしていた。
しかし、お腹の子どもはどうやら女の子の可能性が高いことが最近分かった。「女の子みたいだよ」と伝えるとあからさまにガッカリされて「女の子の名前なんて分からないから、お前が何か考えて」と言われた。これだけでもまーまークソ案件。
私は、所謂キラキラネームは絶対いやだけれど、程よく今時の名前がいいなぁとぼんやり思っていた。胎児ネームで使っていた名前の響きが気に入っていたけれど、そのままでは人の名前としてどうかな?といった感じなので、1文字だけ変更したもので考えてみた。調べてみたら1〜2年前の女の子の名付けで多かったランキングで上位に入っている名前だった。今時の名前というのもクリアできたし、多いということはキラキラネームでもないなと確信した。漢字の各数も他の色々考えた候補の中で群を抜いて良かった。男の子の名前の時に各数にも拘りがあった夫だから、これなら気に入ってくれるだろうと思っていた。
そうしたら「そんな名前いやだな…」と言われた。どこが?と聞いたら、「名付けで多いなら、周りにいっぱい同じ名前の子どもがいるから」とのこと。「じゃー何ならいいの?自分で考える?」と聞いたら「わからん。女の子の名前なんて分からん(調べもせずに言う)」何度か、やっぱりあの名前気に入ったんだけれど…と聞いても「わからん」「好きにしたら」「でも多い名前は嫌だ」としか言わない。
そんなにも変な名前かな…と思って周りに相談したら「かわいい」と言ってもらえた。その相談をしてる時に友達が「他と名前かぶりたくないとかって、キラキラネームの入口じゃん」って言われて、本当だ!!と思った。
男の子の名前の時、正直夫の案が嫌だったけれど、夫は私の意見なんて無視してその名前にしようとしていた。自分がやってたことじゃん。「好きにしたら」というお言葉も頂いているので、好きにさせて頂こうと思う。
時間が経って気持ちが落ち着いたのか夫は最近、女の子もかわいいでしょ?と聞いたら、そうだねと答えてくれるようにはなったけれど、産まれる前からこんなにも考えにズレがあってちょっとしんどいなと思った。10年くらい一緒に居るので、今更こんなにズレがあるなんて思わなかった。思わず吐き出しに書いた。
ネタを書く漫才師とネタを書かない(書けない)漫才師問題とかってあるんだけど、
モテたいとかケンカ最強になりたいとか、(勉強とか運動とかで)一番になりたいとかの同列にクラスで一番面白いやつになりたいって欲求があるじゃない?
俺はその欲求に従ってひたすら笑い王になるべく皆んなを笑わしてたんだよ。
もちろん中学生の笑いだから文字通り子供騙しで裸になるとかそんなやつな。
でも努力の甲斐があって、中1ではクラスで一番面白いやつ。中2では学年で一番面白いやつ。中3では学校で一番面白いやつとステップアップを果たしたいった。
ああ、誤解される前に書いておくと、おもろいおもろいと人気者だったけど、もちろんメチャクチャ嫌われてもいたよ。
それはそれとして、みんなオモロいといってくれてた。
でもさ、やっぱり満足できないんだよな。
ネタが面白いわけではないんだよ。いや、フリートークとかも出来るし、増田くんなんか面白い話してよと言われて5分後にはオチで爆笑でぴったり授業の開始時間とか出来たよ。でもそういうことじゃない。
結局、俺のはただパフォーマンスなんだよな。
同学年にネタができる奴らがいた。
いや爆笑の度合いでいけば俺の方が笑いをとる。
文化祭でそのコンビと出し物でガチンコ対決みたいになったときも俺の方が笑いをとっていたと思うし、
でも違うんだよ。笑いの意味が違うんだ。
それがなあ中学のときは通じるやつが周りにいなくてつらかった。
わかってるのは俺とその漫才師のネタ書いてるやつだけなんだよ。
俺の方が上だよな?