はてなキーワード: 復古とは
ナチュラルペニスという用語を耳にしたことがありますか。これは、主に海外で使われている用語です。
海外では手術をしていない皮をかぶったペニス(いわゆる仮性包茎)のことを、ナチュラルペニスと呼んでいます。
手術を受けていない自然な状態として、好ましいものだと考えられているのです。
わが国では「包茎=恥」と思われていますが、世界的な潮流は決してそうでもないのです。
海外では、仮性包茎という言葉が存在していません。包茎というと、真性包茎やカントン包茎など医学的に「病気」として
扱われているものだけを指すのです。
仮性包茎に相当する言葉を敢えて探すなら、「ノンカット(手術をしていない)」や「ナチュラルペニス(自然な陰茎)」があります。
特にアメリカでは、「カット(包茎手術済みのペニス)」と「ノンカット」の二つに分ける考え方が主流です。
米国では文化的・習慣的な背景で6割以上の男性がカットをしています。最近では、皮をかぶった状態に対する「復古」が流行っており、
包皮再生手術という包茎にするための手術も行われているくらいです。
「カット」の男性が、包茎に対する憧れを表現するときにナチュラルペニスという用語が好んで用いられるのです。
包茎手術が当たり前の国では、日本では想像もつかないような発想があるというわけです。
ヨーロッパでは、包茎手術を受ける男性は10%のみです。そのほとんどが宗教上の理由での手術です。
「恥ずかしいから」という理由で包茎手術を受ける男性はほとんど皆無です。
サウスパークS19E06、遅ればせながら見ましたが、やっぱ腐女子というか、百合厨もだが、カプ厨が持ってる気持ち悪さってあるよね。
とりあえず、ポリチカルコレクトネスを気にするあまり「俺ゲイに寛大だわアピール」ゲームが行われている昨今、ゲイは過剰にサポートされちゃう、というのが話の本筋だと思うのですが……
カートマンの妖精が再登場している、という点にも注目するべきだと思うんです。
妖精の初登場はS16E07ですが、このエピソードでカートマンは
「あのカップリングってマジいいよね~~~完璧だわ」と腐女子あるいは百合厨さながらの発言をしております。
この発言は、トークンとニコールという黒人カップルに向けられたもので、明確な差別主義的発言ですよね。私も不快感を覚えましたし、カイルたちからもドン引きされています。
しかし、ここでのカートマンの気持ち悪さって、人種差別性から来ているだけではない、とも思うんですよね。
「自分の関係性は棚にあげて」「他人の関係性に対して妄想を展開して、くっつける」っていうのは、普遍的な気持ち悪さを持っている。という議論は結構されてますが、S19E06もこの筋の話として見れないこともないんじゃないかと。
「次分の関係性は棚にあげて」、におけるポイントは、自分のノーマルさは担保されているということです。すなわち白人(カートマン)だから黒人(トークン)やヒスパニックのカップルを「消費」できるわけで、同様にガチガチの異性愛者だから同性愛も消費できるわけです。
ここでは白人―有色人種、あるいは異性愛―同性愛という権力関係が担保されていない限り、すなわち自分が相手とは違う高位の地平にいるのだという差別意識がない限り、どんな快感も生まれない。
今回腐女子とサウスパークの住人は、妖精と同じような役割を担う存在として描かれました。すなわち、本人たちがその気も無いのに「あのカップリング最高!」と言って、そして「ゲイなのが俺じゃなくてよかった~~(権力関係の発露!)」とこぼしながら強制的にカップルをつくりあげるエートスは、人種差別主義者が「黒人同士くっつけばいいよね~~」と口走るエートスとそれほど変わりは無い。差別主義者カートマンの行ったのあのきわめて不愉快な「カップリング活動」が、今回腐女子を通して再演されているのは興味深いことです。
次は「他人の関係性に対して妄想を展開して、くっつける」というポイントですが、これは明確に父権的権力の行使に結びついた快感なんですよね。基本的に自由恋愛って、「くっつけ!」っていう力に対する反逆行為だと思うんです。例えば親の決めた結婚相手とか、同じ階級の結婚相手とか、あるいは同じ人種の結婚相手、そういう存在とくっつけ!と強要してくる諸力に対して、断固たるNOを突き付け、「俺はあの子が好きなんだ!」を貫く。これが近代的な意味での自由恋愛だし、そういうのを描くからこそ広義の恋愛文学にはパワーというか新しさがある。これに対して、自分の思い通りの相手と「くっつけ」たがる存在というのは、もうこれはコテコテの父権なんですよね。カップリングワールドを作り上げる快感は、家長が自分の血族を計画的に婚姻させていく快楽と同根だと思う。普通の教育を受けて育った人なら、やっぱりこういう父権的なものって気持ち悪いと思うんじゃないでしょうか。
結論。カップリング厨ってたまたま同性カップルを扱ってるから、昨今の寛容ムーブメントにがっつり乗れてる感ありますけど、その根底にある思想はきわめて保守的・復古的なものなのではないか。すなわちカプ厨の根底には、差別主義と父権主義があり、とてもじゃないがリベラルプログレッシブポリチカルコレクトネス民を名乗れないのではないか、と思う。思った。
ある種の復古文化に対して「古い」と批評するのがよく分からん。
「萌え」は新しい文化だと思われてるけど、望遠・輪郭強調や特徴を極端に描く傾向は浮世絵の時代から見られるし、用語自体が古典文学から拝借したもの。
あと、日本版メイドの前身である「ゴスロリ」の起源は萌えとは全く別で、V系のファンが文明開化期の西洋趣味を現代解釈しただけ。
ゴスロリの普及版が「メイド」だけどほとんど誤解の連鎖みたいなもん。
そのV系の起源の一つが日本の歌舞伎を真似したアメリカのバンドだったりする訳で、大きい流れの中では何が革新でオリジナルかというのは指摘し辛い。
神社界の神職養成機関というと、いかにも文系人間ばかり居そうな印象を受けるものだが。
実際には、どこでも。年功序列、上位下達、施される“教育”がすべて封建社会的な為に、輩出されるのは体育会系の人間ばかりとなる。
文系人間はおろか私のように文章を書く人間すら少ないのが現状である。
なので、ゆとり世代の後輩あたりと話すと大体こうなる。(実際の会話をほぼ四分の一にまとめたもの)
「先輩なんで本読むの好きなんですか」
「うーん…まあそうだね。本を読むと、よく眠れるしね」
「あぁーあぁー。わかります。アレですよね、難しい本の方がよく眠れるんですよね?」
「そうだね、適度に頭を使った方がよく眠れるしね」
「ちょっと小難しい本とかだと、2〜3ページパラパラってめくればもうそれ以上読まなくても充分ですよね」
いや、流石にそれだけ読めば私は気が済むって訳じゃないから、ちゃんと最後まで読むけれど」
「えっ? 我慢?
いや、我慢とかそういう事じゃなくて、楽しんでするもんだと思うけれど」
「楽しむ!? 逆に、楽しむんすか!? それ上級者過ぎません!?」
「上級者とか言われてもなぁ。普通の読み方だと思うけれど…」
「そうっすか? で、アレですよね。
ホンットーに難しい本とかだと、目次見ただけで充分で、本を閉じちゃいますよね」
「いやいや、長い目次をずっと目で追いかけてると、もういいやお腹一杯、って感じになっちゃって」
「目次見ただけで全部内容わかっちゃうの!? 凄くない!? ひょっとして天才!?」
「いやぁそんな、のび太くんみたいな褒め方されても」
「なんでって当然じゃないすか?
でもアレですよね。そういう意味で一番効果のある本って言えば、やはりアレしかないですよね」
「何?」
「そりゃーもちろん教科書ですよ」
「えっ…。
とは言っても、あまり教科書とか好んで読む人もいないと思うけど」
「あ、辞書とかも捨てがたいですよねー」
「それ以外にどうやって使うんですか」
「君すごいな!? もう活字中毒ってレベルだよ! どっちが上級者だよって話だよ!」
「読むにも向いてますけど、辞書って分厚いじゃないすか? こう、頭を置くのに丁度いい高さなんですよねー」
「で、よくやりませんでした?
こう、まだ真新しい辞書のページを全部、ぐちゃぐちゃぐちゃーって皺くちゃにするの」
「えっ? ああ…そう言えば、中一の時に、英語辞書でやったような記憶があるなあ」
「そうするとページがふわふわになって、頭を置いた時すごく気持ちいいんですよねー」
「気持ちいい!? わざわざそんな変な読み方する為にページぐちゃぐちゃにしたのかよ!?」
「え? 違うんですか?
「クラスのみんながそれやってんですか!? 学級崩壊ですか!? 一体どうしてそんな事になっちゃったんですか!?」
「どうしてってそりゃ、英語の授業で、先生がみんなに“やれ”って言ったからだよ」
「教師がやれって言ったんですか!?」
「クラス全員にそんな事勧めてたんですか!? 随分とまあやる気のない教師ですね!?」
「? 別にそんな事なかったけどなあ…」
“教科書は枕”って」
「枕!? ちょっと待って、さっきから一体何の話をしてんの!?」
「何って、”本を読むとよく眠れるね”、って話ですよね?」
「うん、合ってるわ…」
「ええ」
「?」
「?」
これはあくまでも極端な例だが、本当にこういう、アンジャッシュがよく発生する。
無論、鉄の掟の理解と実践は現場に出る上でどうしても必要ではあるのだが。
神社界は一刻も早く、人材の教育方針を復古して、伝統と文化を愛する文系人間の神職の育成を目指すべきであると思う。
…俺はわたべおにいさんじゃねえんだよ、キュータくん。
読書メーターだと好評。
個人ブログでもおおむね好評。
これらから想像できたのは、「個人的な記録として残すときには、自分の選"本"眼が間違っていたことを認めたくないから、いいことだけを書き残したい。でも他人に見せることが一番の趣旨の場所ではそんな事気にせずにさんざんにけなしたい」というねじくれた人間の感性。
基本的に風車祭ですごい面白い印象があって、それ以来の久しぶりの池上永一でめっちゃ期待してたのに、これはひどかった。
ハズレだった。
重厚なカバーデザインに騙されて一時期敬遠してたのが馬鹿らしい。
歴史的な琉球についての描写はあるけど、ストーリーに関係ないただのうんちく垂れ流しの文章水増しでしかないし。
会話だけ拾い読みしても十分だった。
劇かなんかの脚本読んでるような感じ。
落ちるところまで落ちてもどうせ復活するんだろうなっていうのが透けてみるからまったくおもしろくない。
主人公を始めとして。信念がないからストーリーも流されるままという感じで終始だらだらしている。
尚氏第一王朝復古を目指してクーデターをするのかと思ったら全然そんなことないし。
周りの天才美男美女どもも人間味がなくてロボット見てるみたい。
唯一よかったのは聞得大君の真牛か。
~じゃっていう言葉遣いで、なんとなくホロとか忍野忍的な萌えキャラに脳内変換されてた。
それに確固たる信念でしぶとく輝き続けた(特に後半)から、こいつが一番愛すべきキャラだった。
メロメロだとかハートがどうだとか、安っぽい横文字が頻繁に入る。
別に使うなとは言わないが、荘厳な世界観を著者自ら台無しにしているようで非常に興ざめ。
あと話しことばがふざけててラノベよりひどく感じられることも多々。