はっきり言って「萌え」はもう古い。
使い古されてしまった。
損耗してしまった。
枯渇してしまった。
10年ほど前、はっきりと私たちの前に概念として現れた「萌え」。
(「萌え」の淵源はここでは措く。そうだな、翠星石がツンデレオブザイヤーを連覇したあたりの時期をここでは俎上としたい。)
「ツンデレ」と「メイド」とを引き連れて我々の前に現れた言語「萌え」。
これらはもう古い観念だ。
これらはもう、おじさん、おばさんと言ってしまって差し支えない。
たとえるなら家庭用ゲーム機のことを総じてファミコンと言ってしまうような古臭さ、時代錯誤に等しい。
勿論「萌え」を考えるなというのではない。柔軟性なく、「萌え」でしか考えられない人が多いのが問題だ。
おじさん、おばさんは自分がそうした事態にあるのに気付かず無自覚である。
おじさん、おばさんと表現したが年は問わない。
若くして「萌え」に硬直・拘泥している人間も多い。「萌え~」とか未だに言ってる。
古くせえんだよ、おじさん、おばさん。そこに留まるなよ。
では萌えの次はなんなのでしょう。 私にはもうちんこ脳で考える特殊性癖系エロジャンル以外に思いつかないのです。
ある種の復古文化に対して「古い」と批評するのがよく分からん。 「萌え」は新しい文化だと思われてるけど、望遠・輪郭強調や特徴を極端に描く傾向は浮世絵の時代から見られるし、...