「仏教」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 仏教とは

2021-10-18

anond:20211017211035

正本堂解体の話は決定的な亀裂の後、破門してからだよ。

個人崇拝推し進めて僧侶に盾突いて扇動してたら破門されるのは当然なんだよなぁ。

僧侶信仰の内容を500年後1000年後に伝えていくのが使命だし、その為の仏教って概念に対する人身御供な所あるし。

在家の一個人がどれだけ教学に秀でてても、僧侶より偉いんだなんてやり始めたら、信仰が歪められちゃうからね。

以下wiki

大石寺第67世日顕の代、2000年4月に着工し、2002年10月に完成し落慶法要が行われた。 この場所には、かつては創価学会寄進(御供養)により建設された正本堂1972年完成)が建っていたが、

創価学会破門1991年)されたことを契機として、同会員が日蓮正宗信徒資格喪失1997年)した翌年の1998年に、本門戒壇之大御本尊を奉安殿に遷座した上で正本堂解体し、跡地に建設した建物である

2021-10-17

anond:20210621141321

この分野では素人なのですが…

1,大聖人(だいしょうにん)→ 日蓮正宗系 (他の日連系は「聖人」「上人」)

2,謗法(ほうぼう)→ 仏教

3,境涯(きょうがい)→ 一般

4,財務(ざいむ)→ 一般 (創価学会では若干違う使われ方している)

5,折伏(しゃくぶく)→ 仏教系 (議論正当性を示して教化すること。日蓮系で重視; ただし日蓮は「常不軽品の如し」、すなわち相手に敬意を払うことが必要としている)

6,破折(はしゃく)→ 不明 (少なくとも日蓮著作にはないはず)

7,御書(ごしょ)→ 日蓮

8,仏法(ぶっぽう)→ 仏教

9,広宣流布(こうせんるふ)→ 日蓮系 (日蓮著作に多数記述あり)

10,功徳(くどく)→ 仏教

anond:20210621141321

雑だなぁ。いくつか修正しとくよ。

謗法、

法をそしると書く。他宗や外道への信仰法華経に書いてある内容をそしる事に繋がるから駄目だよねって考え方。

創価学会僧侶擁立していないが為に、仏教としての定義に反するので内道の仏教じゃなくて外道だよね

じゃあ謗法だよね?っていう教学の上での致命傷が有る。割と逃げ場の無い正論なので指摘するとキレる。

境涯

境遇の事とするのは狭いかなぁ。因果応報輪廻転生ってどちらも仏教基本的な考え方で受け入れやすいよね

でもこの二つって別々に存在してるわけじゃないからくっつくんだよね。都合の悪い人も多いだろうけれど。

まれも育ちも全部自分のせいだからね?つらくても受け入れようね?って仏教は言ってきます

そういうの踏まえた上で、あの人はそういう境涯からね…。って使い方をします。

功徳

仏教因果応報を説きますのでご利益とするのは誤りです。まぁ皆同じ意味認識してそうですが

仏教における功徳って概念は、筋トレすれば筋肉が付く位の意味です。それは奇跡を願った神頼みとは違います

まぁ創価学会は現世利益を謳ってたみたいな話を耳にしたことあるので、学会の話としては間違いじゃないかしれません。

英語表現でやたらと聖書由来の言葉がぶっ込まれてるの見ると「はぇ~西洋人って敬虔深いんやなぁ~」くらいに思ってたけど、日本語にも仏教由来の言葉が至る所で定着してると聞いてなるほどなと思った。

2021-10-16

なんかつらい

仕事が辛いのか

からないけど

どうなってもつらいのが人生なのかもしれない

人生は苦しいものなのだ肯定してくれた仏教信者になりそう

2021-10-15

仏教のない世界袈裟斬り云々のツイート

見た人いますか、割とバズってますが。

ツイート主さんの話の趣旨からは逸れるしアレはただの例でしかないというのは重々承知の上で、西洋ファンタジー文章袈裟斬りっていう文字列は馴染まないなあと思いますね。

あと西洋剣の袈裟斬りってあんまり有効攻撃じゃなさそう。

それは置いておいて。

言葉というもの流動性は常々言われているところではありますが、穿った見方だの徐にだの、伝わればそれでいい、誤用も広まればいずれ辞書に載るんだし、という見解もありますよね。

私もどちらかと言えばその立場なんですが、しかTPOというか、厳密に書かねばならない文章もあるじゃないですか。

ここで袈裟斬りの話と繋がってくるわけですが、まあ単純に伝わればいいというものでもなく文章全体との調和や対比は考えるべきだと思っています

やっぱり、ゴドネス王が魔術師ランダルクを宝剣ザスウェルトの一刀のもと袈裟斬りに斬り捨てた、とかなんか嫌なんですよ。

いやめちゃめちゃ適当な文なんですけど。

そこらへんの匙加減っていうのが文章の上手さのひとつ評価軸にもなり得るのじゃないでしょうか。

日本語って難しいね

2021-10-10

書評が書けない

本をうなずきながら読む

読み終わってみたが、とくに書くことがない

おもむろに書き出してみてもダイジェストしかならない

1+1=2という記載に疑問のもちようがない

イスラムはこういう教え、キリスト教はこういう教え、仏教はこういう教え

そういうもんなんだから読んで書けと言われてもまとめるだけになってしま

そういえば、大学レポート卒論も参考文献のダイジェストを「思われる」、「考えられる」で締めて考えたフリをしているだけだった

人気の書評ブログ言葉かいをまねてみても上手に書けない

「書き続ければ上手くなる」。みんなこういう。文章が上手いやつに限ってこういうことをいう

けれど、上手いやつは最初からキラリと光るものをもってる。問題意識というか、物事を力強く疑うことできる体力というか、明らかに他の人とは違う原石をもってる

から自分にはそういうものがなかった。読書感想文も目も当てられないほど平凡で、自分自分にいつも落胆させられていた

文才があるやつの強さに憧れる。ただ、著者に同調するのではなく、著者と対峙し、仮想的な著者との議論に何万文字最後まで付き合える強さに感嘆する

この強さは絶対才能だと思う。だから、どれだけ国語辞典を目で追っても、文章術を箇条書きにしても、本を読んでも、そして増田でこうやって愚痴を書いても

僕は書評が書けない

かなしい

新興宗教にはまらないために宗教信仰しようと思う

教義がきまらねえ。

猫を拝もうと思うんだ。

名前、決まってない。

仏教とかイスラム教とかイカした名前がいい。

猫教(仮)

いかんせん、いいにくい。

anond:20211010112148

仏教的な思想ですな

俺は詳しく知らねーけど

2021-10-05

キリスト教他人の罪を赦しなさい。あなたは言うほど善人じゃない」

仏教「なるようになる。幸も不幸も全て錯覚

↑こういう雑なまとめ方するなら、イスラム教ってどんな感じ?

2021-09-27

anond:20210927143341

死んだら輪廻転生する(例外的解脱する)仏教で、墓を売ること自体詐欺みたいなものから永代供養でもなんでも大差ない。

仏教教典考古学anond:20210923210723

高校の時の理科先生が、般若心経の一節「色即是空 空即是色」てのを持ち出してきて、これはアインシュタイン相対性理論から導き出されるエネルギー質量等価性、つまり

  E=mc²

公式を表したものだ。(色とは物質質量、空とはエネルギー

って言われて、おもわず納得して「すげぇ〜!」って思っちゃったのを思い出すw

2021-09-21

anond:20210921073738

弥勒菩薩があらゆる衆生を救済する仏教でも、「縁なき衆生」という概念がある。

2021-09-19

anond:20210919202141

暴力抜きの共産主義なんてぶっちゃけ葬式仏教みたいなもんだから

それはそれで必要なのかもしれないけど、当初の存在意義とはもう全然違う

観無量寿経』の「是旃陀羅」について解説

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kyoto-np.co.jp/articles/-/640716

京都新聞真宗大谷派謝罪話題になっていた。私個人として考えるところがないわけでもないけど、多少この問題に関して知識のある方なので、勝手ではあるが、ブックマークにあがっている疑問に答えたい。

kaos2009さんが「 [旃陀羅は古代インド被差別民を指し、同派では江戸から昭和初めごろまで日本被差別身分に例えて説明されていた」 仏説観無量寿経 - Wikisource https://ja.wikisource.org/wiki/?curid=5204 母殺しは王の所業でなく栴陀羅だと」と説明しているけど、だいたいその通り。

記事にもあるように、これは『観無量寿経』のなかのことばである。そこに、阿闍世王が母韋提希を殺そうとしたときに、大臣月光大臣の耆婆が「それは『旃陀羅』のすることだ、ヴェーダ(毘陀論経)にもそう書いてある」と諫めるシーンがある。旃陀羅はヴァルナカースト)以下の存在とされていて、日本では伝統的に、被差別部落民のことと説明されてきた。

まず、『観無量寿経』は異訳も現存しないし、サンスクリットやパーリもない。だから訳しなおしたりするのはきわめて困難、ほぼ不可能である。今後、原本発見されないかぎり。

また、『観無量寿経』は浄土真宗できわめて高い価値をもっている。法然の定めた浄土三部経であり、親鸞の読んだ『観無量寿経』と、それに対する書き込みが残っている(集註(じっちゅう)という)。そのことばを変えるのはおそれおおいというのが、真宗門徒一般的理解なのだと思われる。

さらに「是旃陀羅」問題をややこしくさせるのは、親鸞のつくった和讃和歌)のなかに、「耆婆月光ねんごろに/是旃陀羅とはじしめて/不宜住此と奏してぞ/闍王の逆臣いさめける」というものがある。親鸞が「是旃陀羅」を無視していれば、真宗門徒もそれができたのだが、親鸞自身文章でもこのことばを肯定的に用いているので、それが問題になる。

  • circledcircled 「経典を書き換えるのがOKなら、それはもう宗教じゃなくて「自己都合に利用出来る便利な政治道具」に成り果てるのよね。例えば殺人NGは受け入れるけど、禁酒は受け入れないみたいな摘み食い宗教堕落との区別が無い。」

言わんとするところはわかるけど、経典は非常に多くあって、しか相互矛盾する記述もあるので、「教相判釈」というのが中国仏教で生まれた。つまり、たくさんある経典の中でどれが一番真実なのか、重要なのかということが論じられる。それで、時には経典以上に祖師重要視されてきて、祖師無視していれば無視できると思われる。

今回は、祖師(この場合親鸞)が無視していないか問題になっているのだろう。

そういうふうにも解釈できるけど、これは耆婆も一緒になって行ったことで、耆婆は仏弟子から仏教差別意識をもっていたということでもある。教えの主体釈尊が中心ではあるが、とき仏弟子がそのようにもなる。

日本人パワハラに甘いのは仏教分化が原因

仏教には、ならず者物理的にしばいたり恫喝に近い説教を下すことで更正させる「喝を入れる」という概念がある。この行為職場でやったらモロにパワハラだが、お寺でお坊さんがやる分には許されている。

ところが、欧米諸国にはこの概念に該当する表現がないのだ。英語では近いところで「give a pep talk」という表現があるが、これは「激励する」という意味で、もちろん物理的なしばきや説教を伴わないので、喝を入れるとは大分違う。

それどころか「喝」に該当する単語も実はない。

まり日本人パワハラに甘いのは「喝」の概念遺伝子として染み付いてるからであり、リーダー指導者層に対してはパワハラを是とする考え方すらあり、その傾向は年々強まっているように見える。

一方的、その概念がない欧米諸国パワハラに厳しい。パワハラやる指導者ポンコツとみなされる。

この違いを説明できるのは、仏教文化の有無だろう。

2021-09-15

anond:20210915112557

しかにそれはあるな

仏教って根が反社会的というか

所詮社会支配しようというエネルギーが足りんよな

2021-09-14

anond:20210909165913

結局のところ、幸せになるためには努力大事なのか?運なのか?

という議論古代インドで既にあった。

ここで言う幸せとは解脱のことだが、前者の立ち位置ジャイナ教

正しい修行実践を重んじた。

現代でも僅かながら信者がいる。

後者立ち位置は今は滅んだアージーヴィカ教。

既に滅んだ宗教であるため、仏典考古学資料から伝え聞くことしか出来ないが、全ては運命によって決まると説いていたと伝えられている。

仏教では、ゴータマ・シッダッタは、努力でも運命でもない、心のありようだと説いた。

ガチャに恵まれても、欲しいものが手に入らないと嘆く。

どんな大富豪になっても、まだあれが買えないとか、お金はあっても愛がないとか、欲望に限りはない。

ゴータマ・シッダッタは間違いなく真理を言っている。

しかし、それでもヒトは現実を認められない。

からインド仏教は滅んだ。

すまん、オチはない。

必要十分

仏教理解するには般若心経の教えを理解することが必要であり、

仏教理解するには般若心経の教えを理解すれば十分である

2021-09-12

anond:20210912075724

まず腐敗がなくて安定した状況を作らないとならない。

その次に開発独裁産業を強くしないとならない。

日本だって国家神道なるものを作っていたよ。そもそも儒教仏教概念も強かったからな。

腐敗した状態海外支援しても無駄というのは言える。国民党中国キューバ南ベトナムシリア、そしてアフガニスタン。皆失敗だった。成功したのは一度工業社会にまでたどり着けていたドイツ日本ぐらい。

それならまだ宗教清貧に近い状態概念国家トップ層が意識して腐敗を抑えた上で成長産業を育成しないとならない。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん