あれぐらい格好いい皇室のご子息だったらいくらでも遊んでよと言いたくなるけど。
日本人じゃなぁ。ていうか、外国のカルチャーにつかることがなんか許せない。
私の弓すごいのよぉとか言って欲しい。緑茶超ウメェとか言って欲しい。
記事を書いた次の日くらいに市販のナポリタンソースを買ってきて、マーガリンで炒めた焼きそばに絡めて食べてみた。
…ケチャップで作ったナポリタンとはやっぱりベクトルが違う感じだ。しかもいい意味で。ナポリタンソースのナポリタンは「甘いトマトソース」というか「ケチャップナポリタンとミートソースの中間」というかそんな感じだ。ナポリタンのハズなのに、ナポリタンソースで作るとちょっとごちそう感が漂う。
ケチャップナポリタンは素朴でドライな感じだが、ナポリタンソースナポリタンはジューシーだ。「汁気のあるナポリタン」ってあんまり喰ったことがなかったけど、これはアリだ。
そんで思ったんだが、ご飯をナポリタンソースで炒めたらちょっとヨサゲなチキンライスになりそうな予感がする。過去何度か発作的に「ミートソースをご飯にかけたい」衝動に駆られて、かつそれを食べるたびに「なんか違う」感に襲われたんだけど、これは意外と逝けるのではないだろうか。
ミートソースご飯で思い出したけど、前「ミートソースにカレー粉をまぜるとキーマカレー風になる」と吹き込まれて実際やってみたら、カレーっぽい香りになるまで思いの他大量にカレー粉を投入することになってしまい、出来上がったモノが劇辛になってしまったという悲しい思い出が。
こうやって振り返ってみるとミートソースにはあまりいい思い出がないような気が…
自分のこどもたちがたまってくると、なんともいえない満足感を覚える。
しかし、彼らはすでに死んでいるのである。
冷蔵庫にいれでもすれば保存期間は長くなったのかもしれない。
私の部屋には冷蔵庫がなかった。
彼らを容れたPETボトルは、机の上に並べられることになった。
腐る。臭くなる。蓋を開けた瞬間、その日のこどもたちを迎えるのは、決して
「プシュッ」
という音だけではない。
水のボトルなどでは、腐食が早いようにおもう。
お茶は変色が激しい。一度なんかは、どす黒くなっていった。
炭酸飲料のボトルでは、比較的、開けたときの爽快感が持続する。
そしてそれも時間の問題である。
いつかは棄てなければならない。
多くの場合は、換気扇をまわしながら、トイレに流していた。
しかし、いつからか、いとおしくて、流せないままためておいてしまった。
こうなると、もう開けてはならないもののように感じられてくる。
何が飛び出してくるかわからない。
とりあえず、こいつとは一緒にテレビは見たくないな。
http://anond.hatelabo.jp/20070202215752
>>合い言葉は「目立ちたい!」
なんでそうなるんだよ。頭大丈夫か?
お前の見た動画がおかしいんだよ。
「あああああああああああ」ばっかりの動画ってそんなにないぞ。
あと「ああああああああ」で個性を主張できると思えるか?
とりあえず、お前が目立ちたがり屋なのはよくわかったよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070202221128
件の皇族が普通かどうかはおいといて、金持ちとか育ちがいいのとかは、少なくとも中学くらいからずっといる人だけですよ。大学入試組ともなればすさまじくフツーの人。
ただ、ある程度以上の学歴も用意できない人は雇う気になれない。
最初は幸せだった。初対面で直感したとおり、これまでの仕事に恵まれなかっただけで、彼女の知性にはキレがある。コミュニケーション能力も高い。経歴で判断できるよりもずっと仕事ができるはずだ。そして仕事をどんどんまかせた。どんどん育っていった。でも、そのうちあれ、と思った。自分のプロジェクトのはずなのに彼女にのっとられている?
自分は正直コミュニケーション不全である。対人恐怖の本性を経験年数と業務知識でカバーしているだけだ。そもそも心の底から他人が嫌いなわけでもないのだが、コミュニケーション手法がぎこちないので、他人からはどうしても距離をおかれてしまうタイプ。他人を愛しも他人から愛されもしないタイプ。経験値が足りないため、対人コミュニケーションのスキルは洗練されず、年齢を重ねているわりにはきめ細やかな心配りができない。他人の当意即妙な反応を見て自分もそういう反応をすればよかったのだ、ということを思いつかなかったことにショックを受ける。心を許せる友人も職場に誰ひとりいない。仕事をこなすだけで精一杯。他の人間から飲みにさえ誘われない。寂しい。しかし寂しいながらも自分のプロジェクトだけはきちんきちんとこなして成果を挙げているのをただひとつの心のよりどころにしていた。
ところが、彼女は巧妙である。雑談から入って他人の心をつかむことにたけている。頑固なおやじも篭絡。お局さまのお気に入り。自分のミスは最小限に見えるようにふるまう。たちが悪いことに、それに悪気はまったくない。素だ。裕福な家庭に育った愛される末っ子。不器用な長子に比べ、親の愛を得るための立ち回りが格段にうまい末っ子だから。その反面、他人のミスが大きく見えるよう、他人の判断ミスについては大きく見えるよう人に吹聴する。処世術だ。派遣契約を切られることのないよう。人事権のある人間にアピールするよう。メールで。女子トイレで。ランチの場で。休日の飲み会で。こちらが入り込めない場で。
プロジェクトリーダーはプロジェクトを把握していない、リーダーをたててアシストしているけど、本当の実権を握っているのは自分。彼女は遠まわしに周囲に信じこませる。周囲はあっという間に信じ込む。だってあんなに賢くて信望の厚い、お局さまも一目置く、彼女の言うことなんだから。業務知識よりコミュニケーション能力が大事。実際に行っている作業の質や量より、他人に与える印象の方が大事。「彼女、感じがいいし、がんばっているみたいだし?」
そうして、リーダーの意見は聞かれず、彼女の意見がまっさきに聞かれることになる。こんなはずじゃない、なんで、と焦ってリーダーは自信を失い、ますますミスを増やしてしまう。周囲の信念は強化される。やっぱり彼女の言ったとおりじゃん。頼りになるのは彼女じゃん。
そうしてプロジェクトはゆらぎはじめる。…船頭は一体誰なんだ?
というわけでごめんなさい、私はもう耐えられません。船をおります。なぜこの小娘に負けたのか、プロジェクトから離れてゆっくり考えてみたいと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20070202191406
発言はネコっぽいのにやってることがタチだからいいよね。
HAMACHIYA-IIと漫画にでてくるような電脳戦をやってみたいな。
そんなバカな!!とか言いながら。
ガードをクラックするにはどうしたらいいんだろう?
そんで勝利したらはまちちゃんの頭にとらふぐの被り物をかぶせて、
「ギョギョ!」っていってごらんな!って言ってやるんだ。ふふふ。。。。
という感じの題の本を読んだ。
内容は面白かったし、いろいろ考えるきっかけにもなりそうだ。
だけど気になったのはタイトル。(著者はわかっているとは思う。)
でも、やっぱりこういうタイトルを見ると、ネットはリアルではないと思っている人は多いのだなと。
こういう対立図式になるってことはネットというのは夢想・想像・妄想の類だと思っている人が多いのだなと、そう考えさせられた。
自分が見て触れたことのない世界は、無いことにしたい人間のなんて多いことか。
ネットはリアルではないと考えている人は、自分が見ているものだけが現実であると、
そう考えているのだろうか?
僕ぁ面白いと思いますけどね。擬似実況でワイワイ盛り上がるの(錯覚に近いのだとしても)。
ゲームの最速プレイ動画とか、もちろんようつべ等で普通の動画として見ても感動できるけど、ニコニコだとまた別の楽しみ方も出来るというか。んー、スポーツ観戦に近い感じ?なのかな(スポーツ興味ないからよくわからんが)。
http://anond.hatelabo.jp/20070202112509
だからこそ面白いんだけどねー。ちょっとヘンな動画やオモシロ動画に対するアホなコメントは、見るのも付けるのも正直言って楽しい。
ただ、誰もがああいうので笑えるわけではないというのも理解できる。極端な話、ウチの母親がアレで笑えるかと言えば多分無理。楽しめる人と楽しめない人の差が、世代なのか何なのかはよく分からないけど、笑いなんざ大体そんなもんなのかもしれん(ゲーム動画で言えば、FC・SFC時代のゲームが目立つ所を見ると、世代で言えば大体20代から30代前半くらいが多いのかな)。
あと、こなゆきするのも楽しい。パソスペがしょっぱいので止まりそうになるけど。
「姦淫してはならない」のは「窃盗がいけない」ぐらいの意味でしかないと思う。
今の常識とは違うよ。
女性は男性にとって財産なんだから、男性は他人の財産を盗んではいけない。
女性は財産かつ脳みそがついているので、それ自身が進んで盗まれないようにするために「盗まれてはいけないよ」と言い含めておく。
多分そういう単純なことなんだよ。殺人がいけないほどの禁忌ではない。
近親相姦の禁止だって、女性が財物であることから来ているんだよ。決して遺伝子がどうとかというのが第一の理由ではない。
実際問題近親相姦を禁止していながら、義理の(文化上の)近親相姦は禁止するけど実質の遺伝上の近親相姦が禁止されていない文化が存在したはずだ。文化人類学の授業で習った。何の本に詳細が載ってたかは忘れた。
※文化によって、上記記述における男と女の役割が入れ替わります。家なり共同体を維持するメインになる方が、そうでない方を財物として扱います。
だからさ、姦淫がいけないのなんて現代じゃちゃんちゃらおかしいんだと思う。だってどっちの性にとっても相手の性は財物じゃないじゃん。
性病の防止だけ気をつけてればいいんじゃないかな。
(でもわたしは純愛一筋、一人の人を心に決める派ですけど)
http://anond.hatelabo.jp/20070201233522
まず、「うつ病の自殺」=「自殺というより、病死だ」って考えてみたことある?
そう思っておいていいと思う。ほかの病気と同じように、ゆるゆるよくなっていったりもするし、急変したりする可能性もある。
「死にたい」と思って、近所の川まで行こうかなーって、冬の真夜中に思ったことがある。飛び降りと違って間違いなく死ねるし、きっと放っておいても浮かんでくるから、発見もしやすいはずだ。
「とにかく死んじゃ駄目!」っていう人もいるけど、じゃあ、どうすれば楽になれる?! 私たちは本当は「死にたい」というよりも、「今の苦しい病気から脱したい(消えたい)」という気持ちが強いだけだ。けっきょく死ななかったが、「死なない」という強い意志があったわけではない(「リストカットはしない」は、自分で自分と約束してたけど)。
実は2000年からの2年くらいは、生きた屍のようだった。働くことなんて、一生無理なんだと絶望していた。体重が38kgまでおちた。
いまはまだ薬を飲んでるけど、死にたいと思うことは、おおむねない。「うつ病です」といわれて、もう6年経つ。波が大きくならなければ、やっていける。
完全によくなることはないような気がしてきたが(笑)。でも、病気と一生つきあっていく覚悟もそれなりについた。
話しずれたね…
けっきょく、ほかの病気とおんなじだから、友達が心配してくれるのは、すなおに嬉しい。
メールの文章も、押し付けたり励ましたりせず、すごくいい。きみの気持ちが伝わってくるよ。あなたが何かしたいなら、何かしないと後悔しそうなら、なにかしていいと思う。彼に言葉が届かないこともあるだろう。深く沈んで、伝わってない気がするときもあるだろう。でも、そばにいてくれると嬉しい。すごく嬉しい。よろしくね。
「無だ」っていうのは、あんまり深く考えなくていいと思うよ。自分も含めて、うつ病の人は、そういう表現が一番当てはまるような状態になることが多いから。
もしも。もしも、多分ないことを祈るけど、あなたが支えていた彼が、「それ」を実行したとしても、
それは、私たちが弱かったからではない。
学習院は2流ということ?
私大は金持ちが行くところというイメージが強い。
金持ち家庭の女はアア言う風に育っちゃうんだろうか。