はてなキーワード: うまい棒とは
「うち両替やってないんで」まではまあそんなもんだろ
は?お前文盲だろw
俺はお前の言うとおり、文句も言わずにうまい棒持ってきて5千円出したんだが。
(内心ではむかついてたがこの時点じゃ何も言ってない)
そこで小銭で支払えとか文句つけてきたから切れてんだろ。
よく読めよカス野郎
一応突っ込んでおくが、お前がモラルのある大人なら
両替を言い出す前に5千円で払うべきだし
忘れてたのなら何も言わず、うまい棒を取ってきて5千円出すべき
そこで支払い方法に文句つけてきたなら怒ってもいいが
常識のないお前は外で買い物すんな
むかっ腹が立ったのでここに書く。
財布の中には1万円札、5千円札、千円札、小銭が入っていて、俺は千円札を出して会計をした。
会計をして袋に詰めてもらっている間、明日千円札が数枚必要になることを思い出した。
俺「すいません、5千円札を千円札に両替していただきたいのですけど」
店員「いえ、うち両替やってないんで」
ここでブチ切れである。まず態度ど言葉遣いがうぜぇ。接客業で、いや、無理だからみたいな態度はないだろ。
それがピチピチのかわいい女子高生ならご褒美だが、明らかに20代後半の可愛くない女である。俺の大損だろ。
せめて「すいません、ただいま千円札が不足しておりまして両替できません」だったら、ああそうですかで済む。
怒りが有頂天になった俺は、うまい棒を取ってきて、レジに置いて五千円札を出した。
明らかにむすっとする店員
店員「えー、すいません小銭で支払ってくれます?」
確かに俺の財布には小銭がある。
俺「私がどういう支払い方するかまであなたが決めるの?」
いや、とかごちゃごちゃ言う店員。キレる俺
俺「店長呼べや」
店長に事情を話したらすぐに謝罪され会計してくれたが、その店員は、はいはいすいませんでしたみたいな態度である。
そこでキレた俺は「お前みたいなやつは不快なんだよ。裏でジュースでも品出しして表出てくんな」と吐き捨てて帰った。
しかし家についてからあそこまでムキになる必要もなかったし、店長に悪いことしたと思い少し後悔だがあのバイトだけは許さねーし後悔もない。
うまい棒が1本100円くらいになったら可能なんじゃね?
http://d.hatena.ne.jp/tokunoriben/20131126/1385471119
メーカーが出荷する段階での原価がどれくらいかは知らないが、そもそもコンビニでのお茶のいまの標準的な売価は125円。原価については、平時でだいたい35%くらい。なんらかの条件がついたときは50%くらいなので、50円から60円が店に入荷したときの原価というところ。ひとまず細かい計算がめんどくせえので店の利益は50円だとする。んで、そのうち半分が本部チャージ(もちろんチェーンによって違うし、契約の形態やら年数なんかでも違うけど)なので、この時点で店の取り分はだいたい25円くらい。ここから諸経費差っ引かれたぶんが本当の利益となる。
ちなみに本当の利益はだいたい1日の平均的な売上がそのまま月の収入になるってところ。なので、売価に対してだいたい30分の1が実際の利益となる。お茶1本売るごとに4円くらいが利益ってわけだ。となると諸経費は21円ってところである。経費の半分は人件費なので、ジュース1本につき10円が人件費。さらに残りの半分が電気代なので、5円くらいってところか。なおこの数字はわりとてきとうである。現実的には、たとえば現金過不足とか棚卸ロス、あるいは逆に利益率のいい商品がバカ売れとかいろんな要因があるので、商品ひとつあたりでの計算は不可能。計算できるのは粗利までかなー。
まあそんなわけなので、お茶単体で、っていうことになると計算は途端に難しくなる。なぜなら店では冷蔵庫が必要ない商品も多数あるからで、しかもジュースを陳列してある扉のないタイプの冷蔵庫(ウォークインと呼ばれる)は、扉がないだけに特に電気代がかかる。実質の電気代比率はもっと高くなる可能性がある。
なお、お茶を店頭で客に渡すまでのシステムが確立するためには、個々の兵員の優秀さよりはシステムづくりのほうが影響が大きいと思う。つまり物流拠点や配送網だ。これがグダグダだとどうにもならない。そのとき売れるものを適切に店頭に陳列するためには、多品種小ロットの商品を物流の時点で管理する技術と、メーカーと店舗間の流通経路の短絡が必須で、その短絡っていうのは特に時間的なことだ。つまり「注文したら可能な限り早く店に届く」ということ。
リンク先の文章が言うようにコンビニの品揃えってのは兵站思想が極端に充実した結果のものなんだけど、それを消費者に理解しろってのは無理。なぜなら「極端」にまで進化したものは、もはや関係者にしか理解できないから。仮にそれを理解しろというのなら、それこそ消費者個々人の「温情」や「理解力」に期待するってことになる。理解できないものを理解しろというのなら、それは「よくわからないものを丸呑みにして受け入れろ」ってことになって、それはそれで別の問題を引き起こしそうで恐ろしい。そこまで消費者に従順であることを期待できるはずもない。消費者はコンビニで消費者やるだけが仕事じゃないので、それぞれの消費シーンに関して兵站の思想を理解しろっつったってそりゃ無理。教育でどうにかなるレベルの問題でもない。
うまい棒については原価はだいたい8円くらい。なので単体でいくらいくらってかたちで儲けが出るわけではないが、そもそもうまい棒を1本で買ってく人は少ない。子供くらいだけど、きょうび子供だって10円玉握りしめてコンビニに来るようなことはほとんどないからねえ。あと商品にはマグネット効果ってのがあって、大なり小なりすべての商品がそれを持っている。目的買いというやつで「それを買いたいがために店に来る」という性質のもので、うまい棒に関しては比較的その効果を期待できる。なぜならあれほど著名な同タイプの商品はほかにないから。ワンアンドオンリーは強いねえ。ことほどさように、商品ひとつとってもその関係は相互に複雑で、最終的には「率」で判断するほかない。ジュースでは確かにコンビニは儲けを出しているだろうが、弁当やデザートは、単体ではメーカーも本部も、そして店も採算ラインとしてはきっつい、みたいなことも多いはずだ。
さて、個人的な考えなんだけども、ふつうの人が「事象を様々な局面や視点から考えて張り巡らせる」ってのはかなり難しいんじゃないかと思ってる。これほどいろんなことが高度に分業化し、かつそれぞれが効率化(数十年前とくらべてどれほど進んでいることか!)している状況では、たいていのシステムは関係者以外からはブラックボックスにしか見えない。考えることはもちろんけっこうなことだが、ブラックボックスについて思考することは、わりと陰謀論と相性がよいため、自分はあまりそこには期待していない。むしろいまの日本の息苦しさというものは、この効率性への過度の期待にあるんじゃないかと思っている。ビジネスにおけるシステムというのは、巨大な資金力を背景にした一種の「発明」であり、発明であるだけに、だれもがそれを効率的に作れるわけではない。逆にいえば、だれしもがそのときどきの最大の効率を追求しているはずなのだが、そこに「まだやれるはずだ」「もっと安くなるはずだ」「サービスが足りない」という有形無形のプレッシャーがかかることが息苦しさなのではないか、と。
じゃあどうすればいいんだって話なんだが、これに回答が与えられるくらいなら、増田で書いてないで政治家やら経済学者にでもなったほうがいい。心情的な問題としては「みんながやるだけのことはやってるんだ」という穏やかな共感、許しのようなものが相互にあればいいと思うんだが、上述したようにそれはそれでけっこう難しい。仮にできたところでそれは同調圧力につながるし、その反作用のひとつのあらわれが、ここんとこの炎上騒ぎなんじゃないかとも思える。
結局は体力的な意味での流血沙汰のサバイバル勝負になるしかねーのかなーと思ってる。つまり、最大のコスパ叩きだしたもん勝ち、ということだ。
せちがらいよのなかですのう。
兵站の思想にからめていうと、これは物流だけがそうなので、あとの店舗に入ってからのことは兵站というよりは戦略になるんじゃないかしら。つーかロジスティクスってまさにそういうことでしょ。
横ですが
レジにうまい棒を5本持ってきたら、10円x5本=50円 なのだ。まず、こいつらは全部うまい棒(一本10円)という確認を行ってからレジを打つべきである。5本だと思って先に5を打って、一本だけチョコバットが紛れ込んでたらどうするんだ。
そのレジに来た客を推察すると、レジの台の上あたりに腰があたる程度の長身の男性である。
買い物かごにうまい棒を4本いれる。
その後持参したうまい棒の袋を自身のチョコバットにかぶせ、何食わぬ顔でレジに。
こんな異常性癖の男は救いようが無い。
はてなには文章題における掛け算の順序には死んでもこだわりたくない連中が多いわけなんだけど、何でかよくわからん。
先生が教えてくれた通りの順序で式を書けば◯がもらえるんだから素直に従っとけばいいじゃん。どっちでもいい、と主張するなら確実に◯がもらえる教科書や先生の指示に従うの一択ですべてが丸く解決するわけなんだから、あえて逆らう連中はフリーダムすぎるし、脳の異常なんじゃないかと思っている。それか、掛け算はわかるし問題もとけるけど、先生の「こうやって書いてね?」という指示が単純に理解できてないだけ。指示に従えなかったくせに「一緒じゃん!」と逆切れしてるのである。
まあ、個人的にはもう大人になってしまった私にはどっちでも構わないんだが、あえて理由をこじつけるとすればこれだ。
例えば、「ボールが3つずつ入った袋が4つあります。全部でボールはいくつあるか」という問題があったとする。
模範解答は、3x4=12 で答えは12個なわけだ。そこで、どっちでも良い派は3x4=12 でも 4x3=12 でもその日の気分によって気まぐれに立式しても構わないと主張するわけ。でも考えてみてほしい、この文章題に掛け算が適用出来るのは、どの袋にも同じ数だけのボールが入っているからであって、私達はまず、どの袋にも「3個ずつはいっている!」という事実を先に確認すべきなのである。「袋が4つだ!」から認識しても、袋の中にバラバラの数のボールが入っていれば単純な掛け算は適用されない。だから、思考の順序として、「ボールが3つずつ」、すなわち「3」が式において最初に出てくるのは極めて自然なのである。
これは3人ずつのベンチが4つ、りんごが3個ずつの皿が4つ、においても同じ理屈が適用される。皿の数を確認するよりもさきにどの皿にも3つずつのりんごがあることに気づくことが大切なのだ。カードを3枚ずつ4人に配る? 3枚ずつ配るという前提があって初めて掛け算を使える。カードを4人に配ります、だけではどのように配ったかわからない。
レジにうまい棒を5本持ってきたら、10円x5本=50円 なのだ。まず、こいつらは全部うまい棒(一本10円)という確認を行ってからレジを打つべきである。5本だと思って先に5を打って、一本だけチョコバットが紛れ込んでたらどうするんだ。
インドでは大麻は合法だった。今は違法だ。日本の大麻取締法は、海外に居住中に大麻を使用した場合も適用される。
その上で、大麻、マリファナをインドで入手する方法のメモを残しておく。
最初に断っておくが、私は大麻は使用したことも無ければ、所持したこともない。
また、これから大麻を楽しもうとしている人へ、ポケットの中に500Rsを2枚は常に用意しておけ。
ホテルの使用人に脅された時、警察に見つかった時。インドは袖の下文化だ。融通が聞く。
IT系企業では、インドへの出張も多いだろう。大学生がインドに旅行しに行くことも多いだろう。
しかし残念ながら、インドで容易に入手できる大麻は、はっきり言って糞だ。樹脂の搾りかすだと思っていい。
特にガンジス川流域とか日本人観光客が多いところで売っている大麻は、まじでカスだ。
AKで武装した軍人の中で買うのは、リスクが高すぎて割に合わない。
あいつらは軍人だが、袖の下は使える。でも、銃を向けられる恐怖は書き表せない。
現実的な入手法だが、まず大都市にいけ。そして、ローカル線を使って10kmくらい郊外に出るんだ。
そして道端に立っている黒人を探すんだが、インド人はアーリア系だが混血も多く、黒人と見分けがつかないだろう。
そういう時には社会の最底辺であるリキシャがたむろしている場所を探す。
そして、その近くの英語がわかる人間を探すんだ。街の至る所にあるタバコ屋で、適当なガムを買え。
ゆっくりと「i want ganja, do you know how can i get it」とか言いながら、同時に気前よくチップを100Rsくらい渡せ。
(ちなみにGanjaの発音は現地ではガ↑ジャ↓だ。日本語読みでガンジャなんて言っても通じない。そして、ボディーランゲージは英語力より重要だ。精一杯ボングを吸うジェスチャーをしてみろ。)
求められたら500Rsを限度に渡せ。恐らくリキシャを紹介してくれるだろう。
そして、リキシャの中でポケット中に現金を分散させろ。右ポケットに2000Rs、左に2000Rs、後ろポケットに500Rsを何枚か。
これから交渉が始まる。財布の中はできるだけ少なくしておけ。
リキシャの運転手は多分笑いながら案内してくれるだろう。100Rsくらい渡しておけ。
(ラッキーな事に相手が英語を理解できる場合は、気をつけろ。そいつは狡猾だ。)
黒人と出会ったら、まず現物取引は出来ない。こちらから必要数を伝えろ。やつらはロールという単位で売っているが、これはだいたいうまい棒一本分くらいのマリファナのバッズだ。
記憶にないが、200Rs/ロールくらいだっか。とにかく激安だ。1週間程度の滞在なら、2ロールあれば十分だろう。
また、もし貴方が幸運なら、樹脂も売ってる。これはグラム売りだ。それなりに高い。
黒人には最大限の敬意を示せ。それが警察等から自分の身を守ることに繋がるし、良好なビジネスを続ける秘訣にもなる。特に長期滞在するつもりなら。
重ね重ねで恐縮だが、黒人にもTIPは多めに弾んでやれ。やつらは徒党を組んでいる。ボスを見分けろ。そいつにTIPを隠して渡せ。
重要なことだが、また来るから、その時も頼む。と伝えろ。「I'll come here again in a week, can i meet you again?」とか適当でいい。嘘でもいい。
でも携帯の番号は教えるな。これは、警察に身を売られる事を防ぐ一番の保身になる。
次に、取引を終えた後、貴方はそれを鞄の中に隠す必要がある。そして、タクシーの運転手は、貴方がBIG DEALを行なっているのを見て、おこぼれを欲しがっているだろう。
200RSくらい渡してやれ。そして、「I WANT TO GO STATION」等簡単に指示を与える。遠くは指示をするな。そして、「I WILL PAY YOU MORE TIP AT STATION LATER」等と伝えておけ。奴らが理解できる英語は、TIP MORE STATIONくらいだ。片言でいい。
そして、駅にたどり着いたら、500Rsくらい渡して他のリキシャに自慢される前に、交通機関をゲットしろ。(電車がオススメだ。)
オススメは、ムンバイならKarl、チェンナイならPadi、デリーは知らない。黒人は川の近くに住んでる。そっちへ行けば多分入手できる。
IT系が多い商業都市で入手することは無理だ。例えばPune(プネー/プナ)とかでは絶対に手に入らない。手に入ったら俺が教えてほしい。
基本的にインド人的にはマリファナはローカーストかアウターカーストが使うものだ。マリファナを吸ってる日本人はまじで馬鹿にされるし、まぁはっきり言って馬鹿だと思う。寝る前の一服とか、人に迷惑をかけない程度に節度を持つことを忘れないでほしい。
もう一つ、マリファナを持って入っていけない場所が2つ有る。空港(当然だ)、そして外国人向けクラブだ。クラブはDRUG FREE(ドラッグ無し)って張り紙がしてあると思うので、荷物検査で長蛇の列が出来てるところは入れない。
「懲役20年くらった人」の「20年で妥当な罪」の具体的な中身が設定されてないと「20年で妥当」かどうかの判定が俺にはできない。
つまりさ、裁くのは俺の感情だ、ってことになると思うんだ、その回答だと。
厳密に哲学的に考えると罪と罰の対応が妥当かどうかなんて答えられない無理ゲーなのは承知で聞いているんだけど、
現代社会では一応、それは現代の価値観において対応しているものと考えざるを得ないと思うんだ。
もちろん罪だけじゃなくて、罪と、更生の余地と、情状酌量で左右されるけども。
罪と罰が現在の価値観においてだいたい一致していてその範囲で量刑を決めるのが妥当だ、というのが大前提で、
直近の類似の事件での量刑の相場によって相対的に個別の罰が決まるというのはとても大事なことだと思うんだ。
その相場を無視して「俺がむかついたから」って理由で相場から大きく外れることはあってはならないと俺は思う。
だから、
「懲役20年くらった人」の「20年で妥当な罪」の具体的な中身が設定されてないと「20年で妥当」かどうかの判定が俺にはできない。
という答えは、日本の司法制度はとてもやばい状態だ、って話と同義だと思うんだ。
だからまあ、「この罪を犯した人が20年でいいか?」は悩むけど、逆に一度量刑が決まれば「20年食らった人は20年で妥当な罪をしている」はずなんだよね。
というか、そうでなきゃまずいわけ。
懲役20年くらった人は、他の懲役20年食らった人と比べて、だいたい同程度の罪を犯しているはずなんだ。
それはなんていうかな、今の日本をどう見ているのか? って話じゃないかな。
増田が間違っているとは言わないよ。
というか、なる刑法がない。
人の命を奪った、というのは、人をグチャグチャに傷つけた、ことよりも重い罪と日本では考えているから、そんな法律なんでしょうね。
だから実際、罪にそういう序列がある。
強姦や性犯罪を除いて、それ以外の量刑相場を見たときに、強姦をどこに当てはめるのが妥当か、と言えば
殺人が絡む罪と同等のところに入れるべきでない、というのは、俺からしたら無理のない発想なわけ。
だから、それなりの位置でいいんじゃね? と思う。
しかしだな。
最後に問題がある。
人を殺すことと、うまい棒万引きすることと、不倫することと、強姦すること。
罪の重さに差なんてあるのだろうか?
これは考えるほどにわからない。
ポエムみたいになった。が、まあいいや。
ベーシック・インカムの論議がなされているけれど、共通の目的は「この世から貧困による不幸をなくそう」って認識なんだよね。
それであってるよね?
その方法として、全国民に月々、まあたとえば五万円を支給する。
これがベーシックインカム(めんどくせーから以下BIって書く)だ、と。
なんかおかしくないか?
だってさ。
実現方法がいろいろ言われているけれど、相続税を取り上げるだの、政府通貨を発行するだの。それって一回こっきりじゃないの?
たとえば来年、BIが導入されました。
わーいうれしいな。月々五万円も増収だ。
金持ちは涙目だねぇ。相続はチャラになるわ、政府通貨のせいで資産が目減りするわ。
でもそんなの関係ないよね。
次の年も月々五万円が支給された。
偉いね、なんとか続いているんだね。
その次の年も。
わぁい。
……。
あれ?
今月、五万円支給されたけど、うまい棒一本しか買えなかったよ?
そこが謎なんだよ。
毎月毎月、一定額が支給される。確かにそれは良い話だ。一年か二年、この国から飢えで苦しむ人をなくすことはできるだろう。
が、その後はどうなの?
十年二十年たった後も、この国はユートピアでいられるわけ?
「貧困を撲滅しようとしているのにもかかわらず、
どうして持続可能な案じゃないの?」
「貧困をなくすための案のはずなのに、
どうしてすぐに終わっちゃいそうな案なの?」
俺に言わせりゃ、ムセキニンなんだよ。あんたら。東。小飼。誰か知らんけどその他取り巻き。
みんな、短期的な案は語る。一年や二年は、そりゃあ、支給できるだろう。民主党の子供手当とおんなじだ。
でもその後はどうなの?
俺だってそりゃあ、みんな食うために働かなくてもいい社会が理想だよ。
安心して、あくせく働くことに価値を見いださなくても、人生そのものの喜びにひたりたいよ。
でもその基盤は、あくまでしっかりとした、「安定」した物じゃなきゃダメなんだよ。
そして事実、俺は信頼できるものは自分の脳みそしかない、身体しかないと思っている。
そのために働いている。
勉強している。
だからなおのこと、BIみたいな不安定なものに身体をゆだねるわけにゃいかないんだよ。
BIに身体を任せて、自分の脳みそを二番目以下においやることはできないんだ。
そっちのほうがよほどリスクテイクなんだから。
わかるか?
俺は政府を信用してないし、ましてやアルファブロガー、思想家、社会学者(くっ……ぷぷぷっw)なんてものを信用できるわけがない。
信用できないものに、人生の基盤=最低限所得保障を任せるわけにはいかないんだよ。
まあしかし、実現可能性については議論すること自体の意味がないだろう。
それは旗振り役の無責任さを指摘するだけで十分だ。
思うに。
彼らは結局のところ、貧困を撲滅しようなんてことは考えちゃいないのだ。
東、小飼、えっと誰だっけ。ホリエモンか。
みんな成功者だ。
成功したから、はっきり言えば、この先食って行くことに心配していない。
それは収入的な意味じゃなくて、自分の脳から生み出される富、つまり生活基盤の安定を確信しているからだ。
必要なときに稼げばいいと思っている。
そして彼らは事実それができる。
自由に働き、
自由に生き、
自由を謳歌している。
それと同じ喜びを、みんなに味わわせてあげたい!
ああ。
そうだね。
実に博愛的じゃないか。まったく。
政府なんてもんは、他人なんてもんは、あんたらの、自分の脳みそなんかよりも、全然信用しちゃならねぇんだよ。
自由な生き方ができるって言ってBIを煽ったのは誰だ。
この世には無能があふれているんだよ。
そいつらをちゃんと、
おれたちをちゃんと、
永続的に救えるのか。
BIは。
貧困をなくしたいなら、BIの論議はもっと現実的であってください。
百年や二百年の先を語ってください。
一年や二年の話なんかいらない。
百年先のビジョンが欲しい。
しかしそのためには、実現可能な案をつぎつぎ実現することが大事だ。
孫正義が偉かったのは、ビジョンを語り、それを実行したからだ。
孫正義が荒唐無稽な夢想家じゃなかったのは、自らの夢を実現したからだ。
実行が出来ないのは、端的に、思想家の無能だ。
何の思想もないくせに、目先の話をお遊びでしているだけという証明だ。
俺の人生は、
あんたらのお遊びじゃない。
あんたらの議論の道具じゃない。
あんたらが夜な夜な笑いながら議論ごっこをして本を出して印税儲けてアフィリエイトで稼いで講演料をもらって出演料をもらって仕事という名のわけのわからんシンポジウムを開いて悦に浸ってTwitterでぐちゃぐちゃと訳のわからん議論遊びに使って、肩書きを、収入源を、いくつもいくつも増やすための、道具じゃないんだよ。
そういうことなんだよ。
お遊びで、
社会を分析(笑)してブログやら本を書くネタにするためにやっているんなら、
今すぐこの日本から出て行ってくれ。
頼むから。
よくもまあこんだけずれたコメントが続くもんなんだなあ。感心した。
世の中に絶望して死を求める人に諭したり語りかけたり評したり。
死に臨む人すらダシにして自分の欲望をはき出すところにある意味人間の力強さを見たわ。僕も含めて。
どうよ。人間なんてこんなもんだよ。
自分にも他人にも何の期待も出来やしない。
それでもなんか声をかけたくなるのは、人間の悪くないトコだと思うけどねぇ。
うまい棒一本くらいの善意がちらちらしてて、中々悪くない光景じゃないですか。
なんかよくわからない中二結論に飛躍するのはやめた方がいいよー。
あとからとても恥ずかしいって理由で。