「セクハラは笑って許すのがいい女」的風潮はクソだなと思うし、
世の中アップデートしていくべきだとも思うけど
最近の性表現にまつわる流れには釈然としないものがあるのでつらつら考えた。
なお公共の場に置く表現や少年マンガの表現はゾーニングや配慮が必要だと思うが、
R18指定の表現、同人表現、深夜番組なんかはそこまで厳しく基準を設ける必要はないと思うし、
某弁護士みたいにゾーニングされた場所から引っ張り出してくるのもマナー違反だと思っている。(後述)
とりあえずグラビア的表現とセクハラ表現は別々にかんがえるべきじゃないかなと思う
・グラビア的表現 「性的だ」と感じる我々の眼差しを故意に喚起しようとするような表現。宇崎ちゃんや秋葉原の広告はこっち。グラビアアイドルの水着写真もこっち。
・セクハラ表現 物語の中で登場人物にセクハラ行為を行わせる表現。漫画でのスカートめくり等はこっち。セクハラ=性加害行為。
(結論を先に言うならば、これらはどちらも性表現であり、適切にゾーニングされるべきものである。)
「少年誌のセクハラ表現は真似する奴が出て来るからそれ自体が問題だ」という主張がたまに見られるけれど、
物語の中でセクハラ行為がきちんと「許されない物として扱われている(報復が為される、周囲から非難される等)」場合、
子どもにとっては「セクハラ行為は駄目だぞ!」という教材になるのではないかとも思う。
なので今の段階ではセクハラ表現を無くすより、教材として活用していく道を模索する方が建設的かなと思うし、実際時代の変化と共にそうなってきているようにも思う(これはただの個人的なイメージ)。
その一方で加害者が報復や非難をきちんと受けていればセクハラ表現がOKなのかどうかはまだ考える必要があるよな~と思う。
(「漫画みたいにちゃんと報復すればいいのにw」というクソ意見の蔓延→報復できないタイプの現実の女性が泣きを見ることになるからだめかな~…。)
世の価値観がアップデートされていくにつれ(実際に存在するセクハラおじさんが淘汰されていくにつれ)少年誌からはなくなっていくべき表現なのかもしれない。
さっき『「性的だ」と感じる我々の眼差しを故意に喚起するような表現』と書いた。重要なのはこの故意性だと思う。
どういうことかというと
作者が、「鑑賞者に「エッチだ!」と喜んで貰おうと思って描いた表現」は、グラビア表現であり性表現ってことなんだよ。
宇崎ちゃんの作者さんだってエロ広告の絵師だって、大きなおっぱいをみんなに喜んで貰おうと思って描いてるはずで、その努力を無視して「性的じゃない!」と否定するのは逆に表現者に対して失礼だと思う。
宇崎ちゃんの作者はそういう意図で描いてないのでは?とか言い出すのもナシだと思う。一般女性より過度に不必要に大きく作為的に描かれたおっぱいに向かってそんな擁護し出すのは流石に欺瞞でしかない。
でも宇崎ちゃんの作者は作者で、献血ポスターの依頼が来たときに、「自分のイラストから一般人がどんな印象を受け取るのか」ということを想像できなかったのなら、創作者として致命的に想像力が欠けてるんじゃないのと思う。
うーん…それとも忙しくて編集者に丸投げだったのかなぁ。同人作家なら性表現の責任は基本的に同人作家本人が負うべきだけど、商業作家の場合、作家の性表現をどのように取り扱うかは編集者に責任があるかも。
(勿論作家本人の同意なく掲示されたような場合はその限りではない。その時は掲示した者が表現者として責任を負うべき。)
一方グラビア表現を見て性的だと感じる我々の「眼差し」について、私はこれを責めるべきとは思わない。
なぜなら我々には内心の自由があるためだ。
グラビア的表現が女性に対する実害に結びつくのは実際のセクハラ行為の道具として用いられた時(絵を指して「この子おっぱい大きいね~」と女性に向かって言う、など)であって、鑑賞者が内心で何かよからぬ事を考えた時ではないんだよね。
内心でどう思ってようがそれを人目のある所で表明しないし危害を加えないようにするのがまともな大人というものだと思う。
裏を返せばセクハラしてきたおじさんに対し「コイツマジ気持ち悪いな死ねばいいのに」と思うのも思うだけなら自由。
ちょっと良いなと思っていた先輩の家の本棚に宇崎ちゃんの漫画を見つけて「うわー…こういうのが好きなんだ…」と思うのも自由。
たまたま本屋で見掛けた知り合いがジャンプを買ってるのを見て「うわ…」と思うのも自由だ。
特にオタクは他人からどう思われても構わない人達なので女性に内心でこう思われたとしても全然気にしないだろうな。
でもそれでいいよね。
オタクはそのまま自分らしく生きればいいし、女性側は逆に近寄るべきでない人を見分ける目印として活用すべきだ。それがお互いのためなんだきっと。
なお今週のジャンプ(居間に放置されていたもの)に限って言えば、性的な表現としていくつか見られたのはこちらのグラビア的表現だった。(下着姿、湯気で局部の隠れた裸、女性同士のベッドシーン未遂)
「2次元女性の綺麗に完璧に鑑賞用として整えられた裸体に慣れ親しんでしまうと現実の女性に勃起できなくなる可能性があるので少年誌に2次元のグラビア表現を載せるのは教育的に問題だ」みたいな意見も、わからなくはないんだけど、実際にそういうデータがあるか私は知らないので、なんとも言えないなぁと思う。
これは「(2次元に限らずあらゆる物語に登場する)イケメンの性格の完璧さに慣れ親しんでしまうと現実の男性を愛せなくなる」という意見と大差ないと思うし、データが無いならどちらも邪推でしかないと思う。
ただデータがあってもこういうのは自己申告でしかない以上正確性に疑問がのこるし、心配な親御さんだけ気を付けてあげれば良いのではという感じかな。親御さんが気を付けても友達ネットワークから回ってくる場合もあるのでもうそこは運だろうなぁ。
私の中で結論は出た。
セクハラ表現もグラビア的表現も、どちらも性表現であり、適切にゾーニングされるべきものである。
だが、この世から消し去るべきとまでは思わない。
例えばそれはチョコレートやコーヒー、煙草、精神安定剤のように。
ただ性表現を楽しみたいならゾーニングされた場所でやるべきだよ。これは2次元エロに限った話ではない。
やめた方がいい。本当に。
オタクの中には「ゾーニングしてたのに引っ張り出されたんじゃ意味ないじゃん=ゾーニング無意味じゃん=公共の場にエロ持ち出してもいいってことじゃん」と考える人達が出て来ている。
グラビア的表現について故意性を強調したのにはもう一つ意味があるんだった。
現実に居る胸の大きい女性、ミニスカートを履いた女性、制服を着た女子高生は、
例え男性の目から性的に見えたとしても、“「性的だ」と感じる我々の眼差しを故意に喚起しようとしている”わけではないということ。
それはただ持って生まれた体型であり、ただのファッションであり、学校に指定されてるから仕方なく着ているものなのだ。
そういう眼差しを故意に喚起しようとしてファッションを選ぶ場合も、ないわけではないけれど、恋人のためやお金を払ってくれる客のためであって、少なくとも見知らぬ人間のためではない。
それだけははっきり書いておきたいと思う。
「局部が見えているかどうか」みたいな分かりやすい指標は別として、昨今の性表現について“「客観的に性的に見えるかどうか」でゾーニングしようとする試み”には限界があるんじゃないだろうか。
ツイッターの有志が取った統計によるとオタクと20代一般男性でさえ宇崎ちゃんポスターに対する感じ方は違ってたらしいじゃあないか。
表現を観賞側がどう捉えるか、解釈するかなんて一義的なものになどなり得ないんだから、新たに客観的な基準を設けても新たないちゃもんを付け始める奴が表れて堂々巡りになるだけだと思う。
だから上に書いたような表現者自身の主観に基づいた基準で、まず表現者が自主的にゾーニングするべきなんじゃないの?と私は思うのだ。(勿論その「主観」に欺瞞がある場合はその都度批判されるべきだけどね)
これは表現者にとっても決して悪い話じゃないと思うんだけどな。
宇崎ちゃんポスターなんて、表現者が不特定多数から「エッチだ!」と思って貰いたくて描いてるのが明らかなのに、性的じゃないと言い張る嘘が嗅ぎつけられるから批判も沢山寄せられるのであって、
そもそも表現者が自主規制してれば文句つけられることも減るだろうし、令和の一般人ならオタクの味方をすると思う。そうなったら私もオタクの味方するんだけどなぁ。
それにしてもツイフェミ寄りでもオタク寄りでもない意見は全然歯牙にもかけられないんだなぁ…って軽く絶望感を感じるね。
反論もほとんど来ないから自分の論のどこが悪いのか自覚することさえできなくて悲しいよ。
私は結構本気でここが着地点だと思うんだけどなぁ…
しかしその実、調和と秩序、そして環境と美徳を愛する私たちはエルフでもあり。
美しい芸術を愛し、隣人愛を持つ私たちはセイレーンでもあるのです。
アマゾネスから解放され、武器を捨て鎧を脱ぎ、私たちが自由を獲得する時。
それこそが真に完成された世界となるのです。
何故なら……自分から認めることはすなわち、自死に他ならないのですから!
もっともこの選択を許容してくださる高潔な男性ばかりであれば、私もこのような考えを無理に推進することはないのですが。
男性がいるから問題が起こる。そういった蛮族を配することこそが、日本の未来を形作る。
そう私は、考えています。
香害?の話を見ていると、原因を心因性という主張とそうじゃないという主張があるようだけど、どっちでもよくない?医者じゃないんだから。
ブコメなんかを見てると、なんだか心因性の疾患を蔑視しているのかなぁという気がしてくる。どちらかというと、心因性ではない!って主張している方が。
少し前までDEOCOにキャッキャと喜んでいたのに。
ヤリ捨てするような男を選ぶ女も、アイドルや風俗に金を使う男も自分からそれを選んでいるのだから本当に犠牲者などといかにも本人には罪がないかのように言って良いのだろうか。
今の自分を傷つける加害者は過去にその状況を作り出すことを選んだ自分自身なのではないか。
情報の非対称性があるならまだしもどういう男が女を使い捨てるのか、アイドルや風俗が生産的なものなのかどうかということは一般常識として事前にある程度区別がつくものであるようにも思う。
かなりのイケメンなのに髪をのばしたことがない、というネットの巷で割と有名なコテハン(って言い方は今しないのだろうが)
伸ばしてみたいけど伸ばせない理由が
「伸びるまでモチベーションが保てない、面倒で切りたく(刈りたく)なってしまう」
男だと決めつけられてると感じさせたコメントがどれなのか知りたい
それ増えるだけなら相手を見つける必要のない無性生殖の方が有利っていうのと同じ理屈じゃないの?
なんで有性生殖の生物がここまで繁栄しているのか考えてみた方がいいし、その上で人為的に遺伝子をコントロールしてその穴埋めをしようと考えるのであれば実にナチス的というか優生学的な発想だ。
おっさんずラブみたいに自分の気持ちを真っ直ぐ表せないんですよね
他の人はそんなに他人に対して自分の内面や意見をぶつけたりしてるって初めて知った
千葉雄大くんよ、キスぐらい誰とでもするなら私とでもしてくれるんですか
他のことは主体的に動いていけるんですけど
気の利いたことも言えず
とにかく深い人間関係が苦手
どう叩き直したらいいのだろうな
さて、昨日9日はご新規さん会ってきましたよ
そんなことより友人とまた現地集合な旅行行こうと言われた
イルミネーション見たいって
婚活アプリの方は新規じゃなくなったのであまり足跡もないですね
気に入ってる人にアピっていいってもいいかなぁ
お見合いパーティとかどうなんだろ
BBAの服装って青文字系を引きずってて男性ウケは皆無なんだよな
赤文字系の服って落ち着かねぇ