その理屈で行くと多くの人がひとつの自称に複数の属性が付くことを理解できないってこともあるのかもね。
例えば「一万円札をコピーした作品はアートなのか、犯罪なのか」とか。芸術的価値のある作品である状態と、犯罪行為の現物であり証拠である状態が同時に発生することを、作者まで含め多くの人が理解できなかった事例があるよね。
これにはオレも、「オイオイ」と思った。
んだとさっき気付いた。退職して次にやりたいことなんかあるわけないし、退職したいのに真面目に仕事する訳ないし、退職したいのに今の仕事を将来に活かそうなんて思うわけないし、年金貰ってその辺で死にたいに決まってるじゃんね。
欧米の大学は、入学しやすく卒業しにくく、単位は取りにくい、と言われていますよね。
しかし、日本の大学にある卒業研究・卒業論文は日本ならではの文化らしいですね。
これから書くことはただの解釈の話なので、「自分はそうは思う/思わない」というだけで、あまり問題解決に寄与しないんだけど
私は女性専用車両を、「男性を犯罪者予備軍と見なして締め出している空間」とは感じなくて
どちらかというと「貧困者専用の格安アパート」とか「特別にバリアフリー化されたり酸素吸入装置がつけられた病室」みたいな
ハンディを抱えた人のための施設なので、そのハンディがない人は使うのはご遠慮ください、という種類のものに感じている
だから、私自身はもう長らく痴漢に遭っていないせいもあって、女性専用車両が自分に必須とは思わないので、使わない
それが必須な人のためのものである以上、むしろ私は除外対象だろうと思うから
それが差別化差別じゃないかは難しいから分からないけど、そういう風に考えたら男性側からしても不快感がやや減るってことは無い?
あ、痴漢が怖い男性への配慮がないって点は本当にそうだと思うので、何とかなればいいと思うけど、解決策が思いつきません
(互いに険悪さ助長する形での主張は、どちらの側のも嫌だなと思ってますが、それだけ強く主張したいことがあるんだろうなとも思います)
70歳過ぎの高齢者にフリーWiFiの接続方法について尋ねられた。
ここはショッピングモールのカフェ、「WiFi接続無料」を売りにしている。
いつも通りradikoを聴きつつ、増田ブラウジングをしていたら、あるご老人から話しかけられた。
「このへんってWiFiつながるんですか?」
しかし、カフェでいきなりこの質問をされたら大抵の人は戸惑うんじゃないか?
今オレが、この話の前提とこれから起こることを先に提示したから「この老人はフリーWiFiにつなぎたいんだな」と分かるだろう。
だが、何の前提もなくこの質問をされたら一体何のことかと思うだろう。
(つながるって、電波強度の話?)
先読みエスパーならシチュエーションと文脈から分かるのかもしれない。
(ためしにSiriに同じ質問をしたら近くのスタバとネットカフェを案内された。これはこれですごいな。だが「今、このカフェに飛んでいるフリーWiFiへの接続方法」は教えてくれないみたいだ。)
オレは先読みエスパーだったので「カフェのフリーWiFiのことでしたらつながりますよ。登録が必要ですけど。」と答えた。
当然、「登録?」と聞き返される。
「ああ、いやな予感がするな。まずったかな。」と思った。
「あ、そうなんだ。ありがとうございました。」
ご老人はお礼を言って場を離れた。正直ホッとした。
だが、終わらなかった。
数十分後、また同じご老人が近寄ってきて「WiFiのつなげ方を教えてもらえませんか?」と来た。
(ああ、やっぱり。)
(オレの時間を使うということは1時間いくら掛かるか分かっているのか。)
(知識はタダではないのだ。)
(オレがタダで教えたら、有料でネット接続お手伝いサービスを提供しているヨドバシの店員の仕事を奪うことになるではないか。)
なんてことも考えはしたが、幸い今日のオレはヒマだった。
これからの時代、高齢者向けのサービスも考えなきゃいかんよなあと思っていたところだったので、ちょうどよいサンプルが得られたと思った。
「フリーWiFiに接続するとブラウザから勝手に登録サイトに飛ばされるので、そこから会員登録するだけですよ。」と言った。
まあ、この説明でつなげられる人はそもそも聞いてこないのだが。
「初歩的な質問で申し訳ないんだけど、ブラウザってなんですかね?」
オレは、頭の中にある難易度調整つまみを一気に「peaceful」まで落とした。
2.ブラウザを起動して新しいページを開こうとすると、ネットワークから強制的に登録用ウェブページに飛ばされるので、新規登録を行う。
3.メールアドレス等、所定の情報を入力して仮登録されると本登録メールが飛んでくるので、メールに記載されたURLをクリックすれば登録完了。
4.フリーWiFiのトップページに再度アクセスしてWiFiを利用するボタンを押せば接続完了!
簡単だ!
なにも難しいことはない。はずだった。
開始30秒で「うわあ、なんだか凄いことに首をつっこんじゃったぞ」と思った。
ご老人の持っている5年落ちのタブレットを奪い、代理でチャッチャと接続してあげればさっさと終わるだろう。
「ブラウザってのは、インターネットを見るためのアプリです。ああ、ここにアイコンがありますね。」
「アイコン?」
カタカナを使うのはやめようと思った。
「ほら、ここに「ブラウザ」って書いてあるボタンがありますね。」
よかった、通じた。
当たり前だが、まだネットにはつながらない。
androidのタブレットは自分もよく操作性がわからないので手探りである。
設定の画面を出してもらい、フリーWiFiの電波を捕まえてもらう。
ブラウザに戻ると登録ページに飛ばされるので、新規登録からメルアドとパスワードを入れてもらう。
すると
「仮登録しました。登録のメールアドレスに送信した本登録用URLから登録を完了させてください。」
ときたもんだ。
これにはオレも、「オイオイ」と思った。
考えてみればネット環境が一切なければ、本登録用のメールにもアクセスできないのである。
ネットから断絶されている人たちはフリーWiFiにもアクセスできないのである!
「実は、つい先日、日本に帰国したばかりでまだなにもないんです。」
このご老人、長いこと海外にいて日本に戻ってきたばかりだという。
登録が必要ないセキュリティの緩いフリーWiFiもあるのでそちらに行ってもらおうとも思ったが、身の上を聞くうちに放り出しにくくなってきた。
彼がここでネットにつなげられるかどうかで、今後の日本の生活がかかっていたのだ。
しかたないので、いったんオレのiPhoneのネットワーク共有でメールを見るための接続を行う。
「ああつながった、つながった。」
いや!つながってないです!油断しないで!それはオレのiPhoneに相乗りしてるだけですから!
「これは一時的につながってるだけなので、本登録のメールだけ見ましょう。」
「メール」のアプリからメールを見てもらおうと思ったが、初期設定をしていなかった。
この道を行くのは危険と判断して、ブラウザからウェブメールを見てもらうことにした。
Yahoo!のトップページにアクセスしてメールを見てもらおうとしたが、ここで気づいた。
70を超えた高齢者には、あのトップページは情報が多すぎるのだ。
字も小さすぎる。
感触として、一画面に100文字以上表示してはダメなのではないか?と思った。
「ここでこう戸惑うのか」とリアルタイムで理解できて、自分としてもかなり勉強になった。
タブレットでwebメールを表示すると、レスポンシブルデザインなのかしらないが
ご老人は、受信箱と28を、「未読メールの数」と結び付けて捉えることができない。
「受信箱(未読メールが28通あります)」くらいの親切表示が欲しい。
Yahoo!にログインしてもらおうとするも、パスワードが間違っているらしくここでも躓く。
パスワードの再設定に進む。
ご老人は、忘れないように個人情報に紐づくパスワードを設定するのだが、最近はセキュリティ上そういったパスワードは弾かれてしまう。
キーボードと画面表示についても学びがあった。
タブレットで文字入力モードになると、キーボードが現れ、当然ながら画面は狭くなる。
キーボードで見えなくなった部分をスクロールして見るという感覚がないのである。
パスワードを入力した後、画面遷移して何らかのエラーで戻るとパスワードがゼロリセットされるのも戸惑うようだ。
奮闘の末、本登録メールのリンクから本登録を終え、フリーWiFiへとつながった。
接続後、お礼を言ったご老人はオレに何か御馳走してくれると申し出た。
ご老人も同世代にしては、だいぶデキる方だったろう。
パソコンに関してはオレの方が大先生かもしれないが、ビジネスマンとしては、海外経験もある彼のほうが先生であるように思った。
2020年以降、海外から日本に外国人が集まるとしたら、彼の経験はきっと役に立つだろう。
ネットに接続されることで、彼の知見がこれから他の誰かの役に立つことを願うばかりである。
30年もすれば、オレが若者からバカにされる立場かもしれない。
「2050年にもなって脳波タイピングも満足にできない、非義体化老人」として笑われるのはオレの方かもしれないのだ。
その時は優しく教えてね。
この人こういうキャラだったの?
ここでは学問を、理系と文系の二項対立的に捉える、と仮定する。
科学技術がなければ豊かな生活が送れない、という理系の研究に比べて、文系はおろそかにされがちである。
法学や政治学は歴史上の経緯を学んだ上で国家という団体を統治するために必要な要素であり、
そのような魅力が理系・文系にあるにも関わらず、高校時代に数学が出来なかったからという理由だけで
他者から決められたルールに基づき、強制的に存在する学問の半分を切り捨てなければならないことは残念である。
また、数学をすることで鍛えられるとされる、論理的思考力は法学においても重要な要素の1つである。
にも関わらず、今の世の中は高校1年生の段階で"大人の都合"によって進路を半分に狭めることが求められる。
また、近頃文部科学省が言い出した「国公立大学の文系廃止論」が実施されると、ただでさえ半分に狭められた進路をより限定的にされる。
「プログラミングができる人材を育成する」「社会の現状を知る」だけの薄っぺらい知識は専門学校の範疇であると思う。
学問とは、先人たちが発見した知恵を生かして、社会を豊かにする方法を自ら提案することであるように感じる。
大学に通うことで今後の社会を豊かにする方法を自ら提案できる力を鍛えられるような大学が生き残り、
現状維持を目指すための人材育成は専門学校に任せるべきであると思う。
受験生は「この学問をすることで【現在存在する】この問題を解決し、それによって【将来的に】このようなことが解決されることが期待されるから
この大学の学部学科で学びたい」という意思のもと、大学を選び、成長されたい。
また、文部科学省は現状の考え方を改め、5年後の世の中がプラスに動くことも重要だが、それ以上に50年後の世の中に対してプラスに動く政策をとって欲しいところである。
問い詰めて初めておきもちとか共感とかそういう言い訳が出てきて
「感情をフォローされたかっただけだった」とか言い出すんだけど
実際には当初はごちゃ混ぜを無批判に丸呑みしろって狙いがあるんだよね。
それを丁寧に切り分けられた結果
ふーん、コンプレックスがひどいんだね。
昔は峰不二子とかアンドロイドレディみたいな大人のお姉さんがヒロインだったのに今や猫も杓子もロリばっか。