報道番組のキャスターなりコメンテーターなりが、「国民の理解が得られていない」ってほざいているの見る度にすごく腹が立つ。
お前ら一体何のためにそこにいるんだ。そんなこと言ってる暇があったら国民の理解とやらを助けるために少しは説明したらどうだ。
そもそもなんだけどさ。国民の理解って何をすれば得られたって言えるの?
私がうっかり会社の役員になって、うっかり不祥事で謝罪会見を開くことになったとしたら、何をするのが正解なんだろう。
凄いざっくりとした計算なんだけどさ。
私がすごくわかりやすい説明を考えることができたとしよう。あくまで仮定の話だ。この説明を原文のまま聞くと国民の8割が納得したとしよう。
その原文をマスコミが良い意味で要約したとする。要約された分多少わかりづらくなったと仮定して、さっきの人のうち8割が納得できたとする。
この時点で0.8の2乗で国民の64%が納得できるわけだ。国民の半分が納得しているわけだし、これだけできりゃ上出来のような気もする。
さて、ここでマスコミが要約した説明を国民の何割が見ているか?という問題がでてくる。さっきの問題はこの部分を一切考慮していない。
いまどきの人間がどれぐらい報道をみているのか?って統計データ探したかったんだけどどうも見つからなかった。
まぁ仮に8割ぐらいとしておこうか。そしたら0.8の3乗で0.512らしい。いまのところギリギリ半分超えている感じ。
でもこれって、少し考えただけでもだいぶありえない話だってわかるよね。
大体さ、見ている人の8割を納得させる説明なんて無謀じゃん。それができたとしても、マスコミが良い方向に要約なんてしてくれるわけ無いじゃん。
今回の佐野さんのトートバッグの案件とかさ、佐野の部下がやりましたって話、誰も言わなくなったよね。あくまで佐野さんがやった体になってるし。まぁ、そもそも部下がやったかどうか分からんけどね。
マスコミってフィルタを通した時点で国民の理解を得ようなんて、もう絶望しかないよね。不祥事起こしたらさっさと首切って遺書でも遺した方が周りのためにもなるし一番自分が救われるんじゃない?
インターネットのお陰でマスコミのフィルタ機能がどんどん薄くなっているとはいえ、結局ネット上のソースとしての役割はやっぱりマスコミに頼るしか無いわけで。
またエンブレム問題の話で申し訳無いんだけど、ベルギーのあれと佐野さんのあれが違うことだっていう理由に、「正方形を9分割したものを元に云々」ってのがあったんだけど、「これ我々には全然理解できませんよね」って言ったコメンテーターにブチ切れそうになっちゃったんだよね。
こいつら、そもそも理解する気さらさら無いんだな、って。問題の張本人と国民をつなぐパイプになるはずなのに、そのままの状態で通す気さらさら無いじゃん。
もうね、すげー不愉快なの。そもそも理解しようとしたの?通常のデザインの課程とか調べたの?
そして観る人達に理解させる気あるの?専門家も呼ばずに何も知らない馬鹿そうなコメンテーターに中身すっからかんのコメントさせて何がしたいの?
正直トートバッグの件とか出てきたあたりから佐野さんのことは少しも擁護する気なかったんだけど、こんなのばっかり見ていたらちょっと可哀想に見えちゃったわ。
そういうわけで、やっぱりなにか不祥事を起こしたら、遺書書いて首切るか首吊るかなんかして死ぬのが最強なんだろうなって。
どんなに頑張ったって国民が理解するわけ無いんだから。責任逃れも何も、責任取ろうとすると更にひどい目に合うわけだし。
生きてればいいことあるとかほざく人いるけどさ、ネット上にさんざん書かれた内容が完全に消えるわけ無いじゃん。
自分の名前でググったら不祥事で叩かれた内容が死ぬまで出てくるんだよ。そんな目に合うならやっぱり死んだ方がマシだわ。
あー、怖い怖い。不祥事起こらないようなところで生きるようにしないと。
年収は高く結婚したい45歳だけど子供欲しいから女は20代限定
…だと?
そもそも男だって40越えてたら子供に傷害出る可能性一気に跳ね上がるんだわ
どんなに女側が若くても男側が年取ってたら無駄なんだよ
本当オスって男は何歳でもいけるって思ってんだな
恐ろしいわ
人間はとっくに昔に滅んでると思う
就職後、付き合いでゴルフを始めて約一年。打ちっ放しには月に1.2回、ラウンドは既に3、4回回ったが、ラウンドで一度も200を切ったことがない。道具は親戚のお下がりだが、初心者本は買ったし、自分の打ち方も録画して研究?してる。打ち方のどこが悪いのかさっぱりわからないけど…。クラブを振ってもボールは2回に1回しかまともに飛ばない(60ヤードくらい飛べばマトモ判定)、5回に1回は空振りする。ドライバーで100ヤード飛んだことは一度もない。
こんな時こそ、はてなブックマークだ!とゴルフを人気順で検索すると、ゴルフダイジェストの他には、若者のゴルフ離れと将軍様のホールインワン記事しか上位にこない。はっきり言ってはてな民、ゴルフ興味無さすぎである。
出戻りに際してネガティブに考えている人に対して。
前職場で頑張っていた自負があるのならば、カウンターオファーがあるのばらな受けるべきです。
ましてやカウンターオファーがある人は優秀であると同時に、前職場に非常に適合している人なのです。
ただ優秀な人だけあって他社からのオファーや自分の将来性を危惧して転職活動をする人もいる事でしょう。
ただ、優秀なのと「その会社に適合する」のは別物だと思う。
あぶれた女はブスだから目に入っていないだけでしょう
障がい者と濃密に関わった1週間を過ごした。
私は1週間だけだが小学校の特別支援と呼ばれる、障がい者の子が一日の大半を過ごす教室のボランティアをしてきた。
私は生まれてこの方障がいを持っている人と関わったことがなかった。
というのも私は小中高と私立に行っており、私立には障がいを持ってる子と関わる機会など一切なかったのだ。
バイトをしている際レジに障がいを持った方が時々来るが隣には世話をしてくれる人(言い方が悪いかもしれない)がいて、直接的にガッツリと関わったことはない。
私は大学で教職をとっており、学年が上がると養護学校の実習もある。
養護学校の実習に行くにあたり一度も障がい者の方と関わったことがないというのは不安しかなく、知り合いに頼んでボランティアをする機会をもらった。
それに対し先生は5人いる。
充分だと思うがこれでも人手は全然足りていないと聞いた。
障がいというのはADHD、ダウン症という症状がつけられていても、ひとりひとり症状は全く違う。
ダウン症の子が100人いても100人が全く違う症状を持っているのだ。
私は最初障がいを持つ子は何を言っても聞かないし、すぐ泣く、すぐ怒るというとてつもない偏見を持っていた。
だがそれは間違いでみんなきちんと話をすれば聞いてくれる。
細かく切り刻んで物事を話さなければならないがしっかりと聞いてくれるのだ。
叱られてもすぐ同じことをするがしっかりわかってくれている、気がするだけかもしれないが。
体育でも横について私が踊ると真似をして踊ってくれる。
トイレもひとりでできる。
同じことを繰り返し聞いてくるがちゃんと話をできる。
出会った中では色んな子がいた。
すぐ走り出す子。
してはいけないと言っていることをわざとする子。
中には男の子同士だがすぐちゅーをしたがる子もいた。
この一週間は私にとってとても良い経験となった。
世の中には、「ヘイト創作」というものがあるらしい。いや、ある。
それに関してはピクシブ百科 http://dic.pixiv.net/a/%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%88%E5%89%B5%E4%BD%9C あたり、
実害やら前例に関しては ピクシブ百科「冬木ちゃんねる」 http://dic.pixiv.net/a/%E5%86%AC%E6%9C%A8%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8B
なんかが詳しいので説明は省く。
これに「同人と公式はなんぞや問題」というものも並行して議論があって、なかなかに混迷を極めている。
今回のごたごたの機会に、ちょっと分析してみて、いろいろ考えたことについて以下にまとめてみる。
分析と感想であって、提言でも注意喚起でもない。一種の野次馬根性と研究精神が表現としては近い。
ヘイト創作について考えてみよう!というわけだが、
「ヘイト創作」と「特殊な性癖やらのアレコレを含む二次創作(リョナ・バットエンド・闇落ち…etc)」の違いについて考えるのをきっかけにしてみたい。
私の言う「違い」の意味するところだが、今回はひとまず、閲覧者側の区別ではなく、書き手の精神によりスポットを当てる。
ので今回は、読み手から区別がつかない!とかそれによって出る被害について考察するのは今回の主題ではない。
定義しておくが「ヘイト創作」は上記の基準によるもので、夢全般、創作さにわ全般を指すものでは決してないということを最初に明記しておきたい。
ちなみに当方、相模鯖のさにわであり、成人済みの腐女子である。ちびちびと自分でも描いたり書いたりする。
ヘイト創作を選んで見ることはしないが、闇落ち・リョナの類は選んで見ることがある。
まぁそんな一プレイヤーの戯言です。
にある。
後者の目的なんて、そりゃあ「好きなキャラクターを好きな方法で可愛がること」である。
人によって可愛がり方は様々だが、その主目的は「特殊なアレコレ(と今のところ考えられる風潮のある傾向)」でない二次創作と変わらない。
「ヘイト創作」を書く目的、読む目的とは何か?を純化して、それでなくてはならない理由を考えてみると、
「誰かの不幸な状態・誰かが攻撃されている様を面白がること」にある。
オリキャラ可愛がりも俺TUEEEEも、閲覧数稼ぎも、ジャンル荒らしも、それは目的を達成させる動機のひとつであって、主目的ではない。
なぜなら、それらは「ヘイト創作」というジャンルの形をとらずとも、他の二次創作で達成することができるものだからだ。
ヘイト創作にあたらない、オリキャラ可愛がり、俺TUEEE、閲覧数稼ぎ、ついでにジャンル荒らしも、きちんと存在している。
頑なに拒否するそこのあなた、胸に手を当てて考えてみてくだされ。
ゴシップ誌もワイドショーも、「ご近所付き合いの怖~い話」みたいなレディコミの類も存在しない。
「ヘイト創作」は、根源にこの主目的を持っている。それが様々な形をとって創作され、消費されている。
それ自体は、特に悪いことでも良いことでもない。ただただ、そういう現象が存在している。
両者の大きな差はまた、「主目的にキャラクターという存在があるかないか」とも言い換えることができる。
「ヘイト創作」がエアプ、原作未読、未視聴でも作り出せる理由はここにある。
「キャラクターを可愛がること」を目的とする二次創作者と、「キャラクターを目的に含めない」二次創作者が存在し、
それらがお互いの居場所を食い荒らし始めた場合、当然のように衝突・摩擦が起きる。
二次創作、そして同人界隈における、衝突・摩擦は最も避けられるべきもののひとつだ。
なぜなら、同人とは辞書通りに言えば、同好の士が集まったコミュニティであり、衝突によって同好の士でなくなったら最後、それは概念ごと崩壊するからだ。
崩壊の例は様々だが、とにかくありがたい状態ではないし、精神的、社会的、物理的レベルまで取り返しのつかない事態さえ発生する。
そのために、これらの衝突は皆が注視し、議論し、時に殴り合う。
それ自体が衝突と化していくことも往々にしてあるのだが、流れとしてこうなってしまうのが、同人というコミュニティ存続のための危機意識なのだ。
一人で創作して楽しむのとは異なり、創作へのエネルギー+コミュニティ維持へのエネルギーが、現状の二次創作には必要になる。
以上のように考察してみた。
かつ同人というコミュニティを崩壊させない安定した存在となるには、
・衝突を避けるための手段をつくす
の二点が必要になるだろう。
大変に雑な分析ではあるが、
ヘイト創作について考える人への1つの視点提供になれば、自分の野次馬根性の昇華として嬉しく思う。
個人的なアドバイスをすると「誰かの不幸を面白がりたい気分」になったときは知恵袋とか覗くと省エネで発散できていいと思う。
追記:9月5日に一部修正