絵柄の可愛い板垣恵介から筆を折るべきだと糾弾されたことでおなじみの富田安紀子氏が今度はmacska氏にボコられていた。
天下の集英社作家である富田安紀子氏については皆様ご存知のこととは思うが一応説明する。ネトウヨ漫画家である。
絵柄こそ今風でないもののビーム辺りに載ってそうな雰囲気を醸し出しており、その筆力はバーぴぃ先生なんかとは一線を画している実力派である。
当然グレンデールでのSLAPP訴訟についても応援されているわけだ。
この訴訟に関して、現地の日系人が慰安婦像を理由に迫害を受けているという、よしこご謹製のデマがある。
以前からmacska氏はブログ等でこのデマを批判しており、今回twitterでも同様の呟きをしていたところ富田氏が絡んだのである。
富田氏の著作には祖先の戦争犯罪を理由に迫害を受けるヒロインが描かれている。
そしてなんやかんやあって、富田氏は上記のシーンについてフィクションである旨を改めて宣言させられたというのが顛末である。
macska氏は、「事実を基にしたフィクションという体で描いているんだろう、基にした事実を示せ」と迫ったのであるが、当然ないものは示せないのである。
そうすると、じゃあさとうふみや氏はどうなるんだという話になる。
エンゼルスのアレはさとうふみや氏の信念に基づく作品であり、氏もまったくの虚構を描いているとは考えていまい。
しかし実在の大川隆法はファイト出来なければCVも子安武人ではないのだから、あの漫画はまったく客観的に事実に基づいていないフィクションである。
だが、氏は、この作品の根拠を示せとは言われないのであるし、言われるべきでもでないのである。皆いろいろ察しているのである。
氏のネトウヨプロパガンダ漫画が事実に基づかないのは事実である。だが、それがどうしたという態度が我々には求められている。
さとう氏と違いこちらはヘイトクライムを誘発するのではないかという議論もあろうが、幸福の科学もまたダーウィンや佐々木小次郎に対して悪辣な批判を加えているのである。
100点!
ググれば佐野の過去の有名なデザインなんていくらでも出てくるじゃん?
展開力については、エンブレムは単体で運用されるのではなく、グッズやポスターや動画など五輪のあちこちに展開していくわけで、
削除されてしまったエンブレムのPVを見れば分かるけど、パーツを組み合わせていろんなところに使えます、というのは長所だろ。
罵詈雑言を飛ばしてくる人は罵詈雑言を飛ばすこと自体が目的なので、説得しようとするのは完全に時間の無駄だと思ってる。— 深爪 (@fukazume_taro) 2015, 9月 2
「謝まったら死ぬ病」の人って確かに多いしやっかいな症状だと思うけど、それって大前提として大多数の「気にくわないという理由で謝らせてそれでも許さない病」な人がいるせいだ、ということを、「謝まったら死ぬ病」という言葉を使う人は考慮していないように見える。— たられば (@tarareba722) 2015, 9月 2
ネットで自分の考え方を開陳してるんだから、それを見た人の中で「この人、気持ち悪い」と言う人がいるのは仕方ないし、まあ実際その人にとって自分は気持ち悪い人間だろうなとは思うけど、そういう人とはなるべく距離をとって生きていきたいし、うん、悪いけど私もあなたのこと気持ち悪いと思うよ。— たられば (@tarareba722) 2015, 9月 2
ネット越しの付き合いだと「嫌われる」とか「バカだと思われる」よりも「誤解されること」のほうがどうも始末が悪くて、つい「もう少し説明すれば分かってくれるのでは」と思って話しかけてしまうんですよね。個人的にはその点「気持ち悪い」という評価はあまり気にならないかな。誤解の余地がないし。— たられば (@tarareba722) 2015, 9月 2
「この人やたらRTされてくるけどどこが面白いのかわからない」とURL引用で言われることがちょくちょくあるんだけど、自分の見えている世界を少しでも自分好みに変えたいなら、流れてくるテレビ番組に文句を垂れ流すより部屋の掃除をしたほうがよいですよ。そんなわけでミュートかブロック推奨。— たられば (@tarareba722) 2015, 9月 1
何度か似たことを書いているけれど、ツイッターは趣味でやっているし、趣味の遊び相手くらい自分で選びますよ。— たられば (@tarareba722) 2015, 9月 2
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>
たらればさん炎上とか書かれててびっくりしたけどどの発言が問題だったのかわからんかった。
たらればさん好きなので目が曇ってるのかもしれないが特に問題のあるような発言は見られなかった。いちゃもんじゃないの?
以前たらればが女子高生の制服云々のツイートした時に私がセクハラかよ的な呟きしたら信者から「たらればさんのツイートの真意が分からないなんて」みたいな糞リプ沢山頂いたけど、こういうツイート見ると結局こいつがただのセクハラ糞野郎でしかない事は明らかだよね— K (@karen24466471) 2015, 9月 2
たらればさん軽く炎上っすか。ま、セクハラってだいたい「俺なら許されるだろう」と思ってやるもんだからな。断固拒否されて涙目になるくらいビビるまでがセットよね。何度もセクハラして何度も涙目になった経験から。— 山西堂 (@wutaiwushao) 2015, 9月 2
普段、他人のセクハラ発言を批判していても、自分がセクハラだと見られる発言をした時にどう対処するかというのは、その人の度量を計ることになるのか— 加野瀬未友 (@kanose) 2015, 9月 2
横だけど、太秦萌の初期案は、自分の目には萌え絵に写るし、これが公式キャラとされるのは正直キモいと感じる
リファイン後はキモさが綺麗に一掃されていて、公式キャラとしての抵抗も少ない
(ただし 、萌え絵ではなくてもアニメ絵ではあり、アピール方向が限定されてるなーというのはまだ感じる
今時アニメ絵がわからんという人は、40代以下なら少ないだろうから、限定と言っても大したことは無いけどね)
ここの言語化は本当に難しいが、強いて言うなら「俺の嫁」感というか… 目つきとか表情なんかが、エロゲの女の子のそれに近いというか…
原因の一つは、絵の作者の技量が足りていなくて、そういうテンプレ的な表現しかできないという部分にもあると思う
蒼志摩メグも最近のポスターを見たら、乳袋が目立たなくなっているのに加えて、表情や動きなどにテンプレ萌えエロ絵感がなくなって、健康的な感じになっていた
あの路線で行くならそこまで悪くないように思う
逆に言うと、蒼志摩メグを太秦萌えに比べて性的と感じるのって、萌えエロの文脈に結構詳しい人だけかもしれないとも思うんだよね
そういう方面に馴染みのない市職員なんかは、あの絵の性的アピールポイントが素で分からない可能性あるんじゃないか
それとも、あまり萌え絵のことを知らない人も、蒼志摩メグは性的だと感じるのだろうか…そのへん、オタクじゃない人に聞いてみたい
蛇足だけど、太秦萌という名前はかなりコテコテの萌えキャラっぽいので、あんまり良くなかったなーと思った
今更変えようもないだろうけど
6億円当てて何を買おうか考える楽しさだけで生きている
アスタリスクはロックでないからアスタリスクを離れるんじゃないか、と心配するみくに、
私にとってはアスタリスクがロックだからアスタリスクを離れないよ、と宣言するだりー。
要約すると「いや」で接続される会話だよね。
どう読んでも、このままアスタリスクでロックなアイドルを目指すという宣言だよね。
劇中ではアスタリスクでロックを禁止されている描写もギターを禁止されてる描写もなかったはずだよ。
どうして増田はアスタリスクでは本気のロックを目指せないと思っているのか。
何度も書いてることだけど、だりーは「ギンギンにかっこいいステージをやりたい」ということを、
自分に悩みをもたらした存在であるなつきちに笑顔で語っている一方、
なつきちから冗談交じりに勧誘されたときには表情を曇らせている。
本当に「アスタリスクではギンギンにかっこいいステージができない」ことに悩んでいるんだったら逆だよね。
みくとの口論では「アスタリスクを抜けるか抜けないか」が焦点。
最後のなつきちとのライブの直前でも「一緒に歌うか歌わないか」が焦点。
一貫して「誰と歌うか」の話をしていて「何を歌うか」の話はしてないでしょ?
分かる。
今は洋式のトイレが増えてウォッシュレットなんかも付いて便利になったとは思うけれど、和式トイレだからこそ生まれた芸術というのは間違いなくあったと思う。
以前、大便器の端から端まで真っ直ぐに伸びる生一本のそれが出たときは、
まさに一世一代の芸術作品だった。現にこの作品に匹敵するようなものは未だに産み出せないでいる。
自分だけのものにしておくのは勿体ないと思い、そのまま流さずにトイレから出たのは正しい判断だったと確信している。
次に入った人もきっと気に入ってくれたに違いない。
本当に親友みたいになり10年前、
良い所も嫌な所も色々と似すぎていて
恋人としては無理だったけど、
それでも、今も変わらずに好きだったりする。
2か月に1回くらいのペースで呑んでる。
そして、なんとなく誕生日は毎年会っている。
プレゼントはお互い決めていて「本」。
今、相手に読んでほしい1冊を選ぶ。
今年ももうすぐ僕らの誕生日がやってくる。
ワクワクしてくれそうな本を探すのが
一部叩いてるid(しかもあんなリンチとは一緒にすんなとか喋ってる系)が時代遅れのデザインだとか、ダサいとか、
でざいんそのものを腐す方向にも容赦ないんだけど、
家族、友人、恩師など、人生で出会った人たちを、何かを見た際に思い出すことがある(恋人は居たことない)。
例えば、亡き親が好きだったブランドの靴。
恩師が教えてくれたことで初めて知った生き物。
それぞれ、思い出すきっかけの物自体は、私には特別興味深いものではない。
でも、それが彼らを思い出させるから、それらは私にとって意味のある物になる。
ラピュタの主題歌「君を乗せて」の歌いだしの一節、「あの地平線輝くのは どこかに君を隠しているから」とか
禿同。「佐野氏のこの作品がデザイナー達から支持されてるんですよ!」という物が出てこないの不思議に思ってました私のようなシロウトは。
確かに、一時保育って昼間だけだし、子供は嫌がるしで、あんまり解決方法にはならんよな。
元増田はカウンターの居酒屋や焼き鳥屋で飲みながら奥さんと話をしたいんだろうな。
その気持ちは痛いほど分かる。
みんなで「分かる。分かるよ~」と言って慰め合うことしかできないのかな。
気づいたんなら押入れの中の布団の隙間に入り込んで胎内回帰でもしてなよ
この基準で行けば俺は女性と同じ空間に居ることすら許されない存在なんだな。
解っていたつもりだけど余計惨めになった。
ちまたのデザイナーたちの、佐野氏に関する擁護がどうも的外れなのは、
デザイナーたちは同業者として発言しているようだが、佐野氏、ぜんぜん同業者じゃない。
新鮮なネタを見つけてきて、いい感じに握って客の前に出す、というものだったわけである(同人ゴロみたいなものと言ってもいいのかな)。
つまり、ちまたのデザイナーたちは、佐野氏やその周辺のような仕事をしていない。
よく分からない賞をたくさん取ったりしていない。
目を覚ませ。
デザインのプロだからといって、佐野氏の問題に関して一般人以上の何かが語れるなどと思わないことだ。
(あ、一般人として意見を言ったり、同じ「業界」の問題として語るのはもちろんありだと思うよ)
※追記
「デザイナーとは寿司職人。新鮮な素材があれば握るだけ」とは、佐野氏の言葉らしいんだが、