はてなキーワード: 裏切りとは
明け方見た夢。
枕元に姿見が立てかけてあって、コツン、とちょっとした衝撃でひびが入り割れてしまう。
横たわった自分の身体を覆うように粉々に砕け、鏡の破片はガラスの塊になる。
ガラスの塊は角はとれ丸く、刺さる事はない。コロコロと四方に転がって行く。
近くに居た姉と拾い集め片付ける。
怖くもないし痛くもない、むしろ美しい夢だったのだが
意味を調べると凶夢、『別離。裏切り。トラブル。破局。失望。病気。不運。』
ただ、「不吉な感じのする夢ですが、その逆で、良い事があります。」
と言っている人もありそれを信じよう。
こんな夢を見た原因はきっと
会ったと言っても大人数が集まった宴会で、なんだが。
その人と自分はその昔、お互いを思う気持ちはあったのだが
もろもろの要素が重なり付き合うには至らずそのまま友達となった。
この人を裏切るようなことはしない、と心に決めている。
『別離』が当てはまるとしたら
その昔好きだった人との本当の別離、であれ。
有休消化期間に入った私は、毎日自分のの送別会で出かけていた。
家に帰ると、彼が待っていた。こんな日がずっと続いたらいいのになぁと思っていた。
同時に、続くわけないとも思っていた。終わらせないといけない。
私から別れを告げるつもりはなかった。別れなければいけないとは思っていたけど、別れたいとは思っていなかったから。
彼は見事に誘導に乗り、「無理なんでしょ?」わかった。荷物は近いうちに取りに行く」というメールを送ってきた。
これで終わる、と少しほっとしたが、最後にどうしてもあの疑惑を確認したかった。
私に隠れて元カノと会っていたことについて、本当のことを言って欲しかった。
別に、会っていたこと自体をどうこう言うつもりは全くなかった。
ただ、嘘をつかれている事が嫌だった。
でも彼の答えは、「隠れて会ったりなんてしていない」だった。
そして「こんな誤解で終わるなんて嫌だ」「お願いだからもう一度信じて欲しい」「必ずもう一度信じさせる」
そんな言葉を続けた。でも、私はもう信じられなかった。
どうして嘘をつき続けるのか、分からなかった。
付き合って間もない恋人が浮気した、とかならまだよかったかもしれない。
でも私にとって彼は恋人というよりも、ものすごく大事な友達だった。入社してから5年間、ずっと仲が良かった友達。
そして、一生一緒に生きていこうと思った人だった。この人となら絶対大丈夫だと思っていた。
そんな人に裏切られた。
私はそれまでの人生で、色んな人に助けられてきた。
本当に、周りに恵まれているなぁと実感することが多かった。
病気で大学に通えなくなった時、仕事を始めたばかりで何も分からず辛かった時、元彼を亡くした時。。。
一人ではどうすることもできない辛い状況に陥った時、周りの人が支えてくれた。彼も、その中の一人だった。
だから、どんな時でも自分の周りの人を裏切る事はしなかったし、逆に、裏切られる事なんて考えた事もなかった。
でも、彼に裏切られた。
大事な大事な友達の一人で、一生一緒に生きていこうと思った彼に。
もう、誰も信じたくなかった。誰とも関わりたくなかった。何も考えたくなかった。
そして同時に、元彼のところに行きたい、という気持ちが溢れてきた。
彼が亡くなって2年1ヶ月、一度も考えたこともなかった事だった。
ずっと抑えてきた気持ちは一度あふれ出したらもう、とめることはできなかった。
もしかしたら、会社を辞めて彼の名前を見る事ができなくなってしまったことで、
コップの水がすれすれまで入っていて、彼の裏切りが、最後の一滴だったのかもしれない。
生まれて初めて「死にたい」と思った。
その日1日、死ぬ事しか考えられなかった。
そしてその日の夜私は、これから死ぬつもりであるというメールを彼に送った。
もちろん、わざとだった。
私が死んだ後、彼に私と同じ思いをさせるのだけは嫌だった。
だから自分が嫌われるためには、わざと自殺を仄めかす発言をすればいいと思った。
それに、私が死ぬなんて言ったところで、彼は絶対に相手にしないだろうと確信していた。
そういうことを簡単に言うやつは嫌い、と言われるのを期待していた。
しばらくメールをやりとりを続け、最後にするつもりのメールを送信しようとした時、玄関ですごい音がした。
彼が合鍵を使って部屋に入ろうとしていた。私の目論見は、見事に外れた。
内側からロックをかけていたので入ってこられずに済んだものの、彼は開けろと玄関先で叫んでいた。
しまいには、開けなかったら窓ガラス割ってでも入ると言い出した。
これは脅迫だろう。。。と思いつつ、仕方なく部屋に入れた。
部屋には入れたものの、彼の話を聞く気は全くなかった。
一通り自分の言いたい事を言えば気が済んで帰るだろうと思っていた。
が、何時間経っても帰る気配はなく、そのうち言いたいことがなくなったのか、無言になった。
この時点で私の当初の計画は失敗だった。
この人は、私が死んだら悲しむ事になるのかな。。。
彼に私と同じ思いをさせるのだけは、どうしても嫌だった。
だからといって、「後を追いたい」という気持ちも、どうにもならなかった。
なんとなく思いつきで、彼に「生きているのが嫌なほど辛かったことってある?」と聞いてみた。
彼は「ある」と答えた。予想通りだった。
彼は自分が辛かった時期の事を話し始めた。
気付いたら私は、「これからも一緒にいて欲しい」と言っていた。
嫌われるためにした行動で、全く逆の結果になってしまった。
でもその時私は、この人となら一緒に生きていけると思っていた。
私はこの人の事が、男としてではなく、“一人の人間として”好きなんだなぁと思った。
そんな事件があってからしばらく経った日曜日、彼と浴衣を着てどこかに行こうという話になった。
候補にあがったのは、エプソン品川アクアスタジアム。浴衣を着ていくと、割引が受けられた。
でも私は3年前に、亡くなった元彼と一緒に行ったことがあった。
結果、悲しい気持ちには全くならなかったし、以前のように元彼の事を思い出して
私は自分の変化を感じていた。
元彼は体のラインが出る服が好きで、私は服を買うときいつも自分の好みよりも
元彼が喜んでくれそうな服を選んでいた。
ピンクと白がよく似合うと言ってくれていたので、買う服はピンクと白が増えた。
でも今シーズン、ピンクと白の服は1着も買っていなかった。
元彼と付き合っていた3年前、私はヒールのある靴が苦手だった。
でも元彼が高いヒールのある靴の方が綺麗だというので、どうにか努力して
6cm程度のヒールの靴で歩けるようになっていた。
ある時、たまたま通りがかったショップの店先に、ロングブーツがディスプレイしてあった。
ちょうど欲しいと思っていたニーハイブーツ。でも、ヒールがなくてぺったんこ。あー、だめだー。
そう思って通り過ぎようとした時、もう無理してヒールのある靴を履かなくていいんだ
ということを思い出した。
私は昔、パーカーが好きでよく着ていたが、元彼がパーカーがあんまり好きじゃないというので
全く着なくなってしまいこんだままになっていた。
久し振りに出して着てみると、彼は「パーカー好きなんだよねー」と喜んだ。
ゆったりした服も、ヒールのない靴も、パーカーも、慣れてしまえばそれが普通になった。
私が着たい服を着て彼が喜んでくれるのが嬉しかった。
でも、元彼が好きだった私が消えてしまうような気がしていた。
彼を確実に好きになっていたが、好きになってはいけないという気持ちもあって悩み続けた。
およそ、不幸を伝え得ぬというほどの不幸はない。彼は貧しかったから不幸であった。野心に挫折したから、あるいは女に裏切られたから不幸であった。このような不幸には理由がある。つまり告白すれば他人が耳を傾けてくれるのである。だが理由のない不幸(略)をどうやって伝えられるか。しかもそれが日夜生理的に耐え難いほどに身と心を責めさいなむとすればどうしたらよいか。このようにいえば、人はおそらくそれは狂人の不幸、むしろ単なる狂気にすぎないというであろう。だが、私はそのような不幸の実在を信ずる。信じなければ、夏目漱石の作品にあらわれた仮構の秩序は理解できない、という理由によってである。
……また、吃音の苦しみは、“特殊な事情”であって、そのため他人と分かちあうこともできず、ただ自分ひとりで耐えるほかないものだ。つまり、〈吃音〉とは本質的に他者とのあいだで“交換価値”をもたぬ不毛な苦しみである。これは当時の金鶴泳にとっての吃音であり、現今の吃音者が必ずしもそうであるわけではないだろうけれど。僕に印象深かったのは、「凍える口」のなかの、自分がかくも苦しんでいる理由が吃音だと聞けば人は笑うかもしれない、そのことがいっそう苦しみを耐え難くする、といった言い回しだ。主人公は、いっそ他人に語るに値するだけの事情があればとかえって思う。
健三は孤独であるが、彼は無意味に孤独なのだ。この点で彼の孤独は、友人を裏切り、親族にあざむかれた、という確実な原因を有する「先生」の孤独より一層悲惨であるといわねばならぬ。
仮構は一切の社会性――つまり他人と共有しうる可能性――を奪われている彼の不幸を、社会的なものにしようとする努力、つまり理解されたいという願望から生じる。願望はもちろん自らを狂人と認めて不幸の実在を撤回することの拒否から生ずるのである。……他人に伝えにくい気持ちを伝えようとするときの、あのもどかしさを思えばよい。……このようなとき、人は一瞬沈黙して言葉をさがす。だが、言葉がどれも片々と軽くて、何の役にも立たぬと知ると、今度は一転して何かのたとえ話をはじめる。たとえ話は原始的な仮構で、その故にてあたり次第の言葉を並べるよりも本来の伝え難い気持ちを正確に暗示するのである。
しかし、そういう時に、たとえ話ひとつ編み出す才覚だか神経だかがなければどうすればいいのか。
タコいんだろタコ。8本足の奴。あれって刺身にすると美味いよな?
でもよ、ああ見えて意外と繊細なんだってあいつら。見えないよな?
どんくらい繊細かって言うとな、
気の合わないタコと一緒に水槽に入れると気が狂って自分の足食べるんだってwwwwwww
繊細すぎるだろwwww他人との関わり合い完全否定だよwwwwwwwwwww
8本もあるから1本くらい味見したっていいよねとかやかましいわwwww
でもな、そう考えるとタコっていっつも1匹で生活してるよな。
一人が好きなのかなー、って思って1匹だけ水槽に入れて飼った人が居たんだって。
タコもこれで安心だねー、とか思うだろ?
>意図的に偏った言い方をしてるので
はぁ。偏った言い方っていうのは「文章では「殴りたい」とか厳しいことを言ったけど」とかいうことですか。
言い方っていうか内容も大概偏ってるっていう話なんスけど。
>論語感ってなに?
「孔子に論語」(上から目線で)感。カッコのつけどころ間違ったなw
坂口安吾のエゴイズム小論でも引いとこうか。青空文庫だし多分大丈夫だろう…と思いたい。
人は道義頽廃といふ。だが、彼等の良しとする秩序とはいつたい何物であるのか。行きくれた旅人を泊めてもてなしてやつたから美談だといふ。この旅人が小平のやうな男で、親切に泊めたばかりに締め殺されたらどうするつもりなのだ。フランスの童話にあるではないか。赤頭巾といふ可愛いゝ親切な少女は森のお婆さんを見舞ひに行つて、お婆さんに化けてゐた狼に食べられてしまふ話が。だから親切にするなといふのではなく、親切にするなら小平や狼に殺される覚悟でやれ、といふことだ。親切にしてやつたのに裏切られたからもう親切はやらぬといふ。そんな親切は始めからやらぬことだ。親切には裏切りも報酬もない。小平や狼の存在が予定せられ、親切のおかげで殺されても仕方がないといふ自覚の上に成立つてゐる絶対の世界なのである。
基本的には、人を助けるというのはこの「親切」に準ずる行為なのではないですかね。というスタンス。
自分の身に傷が及んでも(たとえ助けた相手その人に傷つけられても)そのことで相手を恨まない。助けて「あげる」とか極力思わない。まあむずいけどね。
だから「上(優位)に立ってモノ言うのを助けと称するって実際どうなの」と思っちゃう。
縋られたという立場につけこんどるだけやん。身内でやられたら余計かなわんわww
「ありがたいアドバイス」にはケチつけづらいしwww「その話三回目ですよ」とか絶対云えねえwww
あ、「別にありがたがれとか言うつもりはない」とかはやめてね。上からモノ言う限りそこんとこは全然説得力ない。
>感覚的に具体例側に近い人が反論したくてたまらんみたいだけど。
玄関の例でいこうか。
ブログ記事では宅急便が来たときに、「玄関で靴をきちっとしとく」という具体的行動を取らされたって例をあげているけど、筆者自身としては靴が多少散らばっててもいいから早く対応したい派。その方が宅急便の人にとってもありがたいんではなかろうか、と。
でも「自分ならその具体例の行動の方がいい、靴はつねにきちんとが正しい」派が、「靴きちっとしとくの悪くない!言い過ぎ!宅配便に対してみっともない!だらしない!」と反論したくてたまらないみたいだけど。という話。
だらしないとか云うなら自分で出なさい。子に任せたからには子のやり方を許容・尊重すべき。とか思わんのかしら。思わんのだろうな。
子は道具で私有物ならば、自分の思い通りに子が動かないのは誤作動なわけだから、しつけと称した修理を要するって思考に転がる。尊重って発想が「大げさ」になる。
宅急便にはよ出ようというのはそれ自体間違ってるわけじゃないのにね。
特に婉曲的にモノ言ってるつもりはないです。というか文章くりぬいて引用していちいちあれこれ言ってみてるのに、どこか婉曲的でしたかね。
しゃべり方がバカっぽいのは私がバカだからだよ。
言わせんな恥ずかしいwwworz
「他の男の子供を育てさせられることを嫌うから」って説明してる人が居たけど、
じゃあ自分の子供を三人ぐらい産んで、もう子供はいらないねってなった古女房が浮気するのは問題ないの?
そうなると「自分の稼いだ金で他の男と遊んでいるのが気に食わない」って言う人がいるかもしれないけど、
彼女や若妻が浮気するのは託卵の可能性があるから問題だろうけど、一番きつい時期の子育てを終えた古女房の浮気に文句言う理由って何?
古女房に浮気されて何を失うわけ?どうせセックスレスなんだし他の男とやっててもいいじゃない。
妊娠中や子供が乳児のときに夫が浮気するのは酷い裏切りだけど、子供が一段落したら夫の浮気も問題なくね?
妻は何を失うわけ?「浮気相手の女に使われた金は、浮気さえなければ家に入ってくるはずだった」金に不満があるならお前も稼げよ。
当方、毒男。
これは浮気だ:E,F,G,H
最も非道い裏切り:G
昔付き合ってた子に
「風俗は相手がプロだから本番ありでも許す。ただし、そんなとこ行く金の余裕があるんならな」
と言われたことがあった。
実際、そんな余裕を与えてくれるわけがなかっただが…
既婚者女だけど、よそで何をしてようが、家庭に必要なお金はちゃんと家に入れてくれて、必要な時はちゃんと家にいてくれて、一緒に家庭を築いていく上で必要な話し合いに応じてくれたらかまわない。
だけど、何をしてても(してなくても)、必要なお金を入れてくれなかったり必要な時にいてくれなかったりしたらそれは裏切りなので別れる。
あと、家庭に対する義務を果たしていたとしても、もし夫が本当は離婚する気なんてないのに相手の女性に対して「妻とは離婚する予定だから」といって相手を騙していたら、それは夫の相手に対する裏切りだと思うからそれに加担するのはいやだから別れる。
これは浮気だ=D,E,F
Aは頭の中のことなので、黙っていてくれれば問題ない。
B,Cは男の付き合いで行くこともあるだろうし、キャバ嬢が客とセックスをすることはないから問題ない。
Hは他の女性に気持ちが移ったということなので、浮気じゃなくて本気。本気はしょうがない。
Fはなんとなくやっちゃうわけで、女性をなんだと思っとるのかと一晩説教する。
Gが出来る男ってのは、つまり女性の人格なんかどうでも良くて身体だけで付き合えるってことだから絶対に嫌だ。
男の浮気の基準について、皆さんの考えを教えて下さい
B、キャバクラにいく
C、お触りOKのキャバクラ等にいく
D、本番ナシの風俗に行く
E、本番アリの風俗に行く
H、二股をかけた結果、他の女の方に本気になる
A~Fは情は全く移らず
Gは多少移る
Hは完全に移っているという感じです
以上のうち、「これは浮気だ」と思うもの全てを性別を付けてお答え下さい
また、以上のうちパートナーに対して最も非道い裏切りだと思うものを選んで下さい
その他主張などございましたら、自分語りが中心にならない範囲で、それも合わせて書いて下さい
当方女性。
これは浮気だ=E・F・G・H
もっとも酷い裏切り=G
男の浮気の基準について、皆さんの考えを教えて下さい
B、キャバクラにいく
C、お触りOKのキャバクラ等にいく
D、本番ナシの風俗に行く
E、本番アリの風俗に行く
H、二股をかけた結果、他の女の方に本気になる
A~Fは情は全く移らず
Gは多少移る
Hは完全に移っているという感じです
以上のうち、「これは浮気だ」と思うもの全てを性別を付けてお答え下さい
また、以上のうちパートナーに対して最も非道い裏切りだと思うものを選んで下さい
その他主張などございましたら、自分語りが中心にならない範囲で、それも合わせて書いて下さい
なお、男性は自分がする側、女性は自分がされる側という想定でお願いします
http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/3869121.html
http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/3868613.html
タメになった。
最近は既婚者のスレを読むと、幸せな家庭にほんわかしたり、何でお前ら結婚したのよみたいな会話を見つけてナーバスになったりしてる、当方27歳男性。大卒後即就職して今社会人5年目
こんな男とは結婚するな!みたいなのはあんまり当てはまらないタイプ。
特撮オタクで仮面ライダーのオモチャ集めてるのは、致命的な人には致命的かもしれんが…。いいじゃん。
酒もタバコも賭け事も風俗もしなければ、仕事は楽しいし職場も快適だし、友人は結構いるし格闘技とサイクリングをしてるからデスクワークだけどそれなりに動ける。オタクなのは否定しないけど、職場では完全に隠せてるから社交性もある方だと思ってる。社内と社外のパイプ役もしているから交渉能力にも自信有り。
大学の頃、オタサークルじゃなくて取材系のサークルを立ち上げていて本当に良かった。
唐突だけど、そんな俺はもう結婚とかは諦めてる。自分と一生を共にする女性なんていないだろうな、っていう諦めがある。
今日は二ヶ月ぶりの二連休で、いつもは土日が休みなんだけどここ二ヶ月はずっと何かしらの理由があって土曜に休日出勤してた。嫌々じゃなく、仕事が好きだからこそなんだけど。
週に一度の休みはしっかりと寝て体力を確保しないといけないから、遊ぼうと思ったら二連休ないと辛い。でも、遊んでばかりだと自宅の環境が悪くなるから、遊ぼうと思ったら二週連続で二連休が無いと辛い。
そんなんだから、俺には彼女ができても構ったりできないんじゃないかなって結構思う。今までできた事がないからわからないけど。
俺みたいに、彼女できた事がないし、仕事をバリバリやってるから結婚できなくてもいいんじゃないかなって思ってる人は結構いるんじゃないかなって思う。
いや、モテた事が無いって言うと少し違うかもしれない。言い寄られた事は何度かあるんだ。職場で、バイトとかに…。
でも、バイトに言い寄られても無いわーって思うじゃない?
仲の良い両親のおかげで幸せな家庭、暖かい一家というものにあこがれはあるし、自分の子どもを育てたい、良い父親になりたいって思うんだけど
俺に声かけたり好意をアピールしてくる女って、みんな良い母親になれそうに無いタイプばっかり。個人的に良いカーチャンになれそうなタイプって、自力で様々な問題を解決できるタイプだと思うんだ。
俺のカーチャンは、俺と兄貴が色んな厄介ごとを起こしても適切に対処と、正当な教育的指導を行ってくれた。
知性と常識、行動力と理解力、たくましさと道徳心。そういう物を求めてるのに、人生テキトーに後先考えず生きてバイトとかで食ってる人、暴力的な夫に耐えかねてバツイチになった女とかに言い寄られても迷惑でしかない。
あと、子どもって両親の性質を受け継ぐものという考えはやっぱりある。
だから頭が悪い女性に子どもを産ませるっていうのは、産まれてくる子供がかわいそうだと思う。やっぱり頭がいい母親でないと。外見は太ってさえいなければどうでもいい。
高望みし過ぎなんだろうか。頭がいい事と、まともな仕事をしている事と、醜く太っていない事だけを求めているんだけど。
普通の男の人は、どんな感情で女性が欲しいって思ってるのかな?別れるの前提で女をつまみ食いするみたいな話をネットで聞いたりするけど、友人への裏切りみたいなのは自分の良心が許さないから無理だ。
悪い事、迷惑をかける事をすると胸が痛くなって明らかに体調が悪くなる。心の健康の為には善悪でなら善の立ち回りに徹するのが一番だ。
そして、女性を自分から誘う時、断られたり、メールを無視されたり、期待通りに事が運ばなかったりすると、心がヤな方向に揺れてしまう。そんな苦しい思いをするから、恋愛は向いてないと心の底から思う。
http://anond.hatelabo.jp/20110801091648
と言うか、恋愛諦めるなよって意見より、諦めちまえ諦めちまえになってたり、共感してくれる人があんまりいなかったり
これで高望みなのかなぁって個人的には思うのですが。だって、「高望み」してると好みの異性とか全然あらわれないワケじゃない?
でも俺、結構好みの異性と出会うよ。結婚を前提としたおつきあいをしてください!って言いたいなぁって人と。高望みじゃないと思うんだけどなぁ
なぜかしらないけど、IDコールされたので来た。
この増田さんにはこれらの本を読んでほしい。
http://d.hatena.ne.jp/hihi01/20070521/p2
http://d.hatena.ne.jp/hihi01/20080409/1207734242
わかってほしいのは、場合によってはハラスメントをしている連中ですら、ハラスメントの対象となりうることだし、場合によっては「正論」の顔をしてあなたを裏切り続けることであなたを支配しようとする人間がいること。
そしきにいるそういうやつを「キツネ」ともいう。
緩やかであれば、技術革新などが起こるので増え続ける。
技術革新が起こると、何からどのように富が生み出されるんですか?
誰かが急激に儲けようとする
誰かが働かなくなる等
これは「人為的な裏切り」に含めてます。これらによってループが止まるのは理解できます
具体的には利子が払えなくなる見通しになった時点で誰も貸してくれなくなる。
経済がいい感じに回ってハッピーになるためには、皆貯金はそこそこにして強気に借入れしたりもしながらジャブジャブ消費する必要があるじゃん?
ねぇよ。
持続的な成長が見込め、急速な経済成長を抑制できるなら、経済は緩やかな成長を続けられるんよ。
無理。
未来から借金しているって事は、無理やり景気を加速しているんであって、昔だと付加価値の高騰。最近だと、金融経済と実体経済の乖離という現象になる。
緩やかであれば、技術革新などが起こるので増え続ける。
誰かが急激に儲けようとする
誰かが働かなくなる等
緩やかな成長が加速/減速されたらアウト。
例えば具体的には、アメリカがdebt ceilingを永遠に上げ続けることは可能なのか?
誰かが「アメリカやべー」とか言い出さないという前提で。
不可能。
具体的には利子が払えなくなる見通しになった時点で誰も貸してくれなくなる。
俺いまいち経済の仕組のキモのところが理解しきれないんだけど、
経済がいい感じに回ってハッピーになるためには、皆貯金はそこそこにして強気に借入れしたりもしながらジャブジャブ消費する必要があるじゃん?
それって結局、本質的には、未来から借金して消費するってことなわけじゃん。いや借金ってそういうもんだけど。
そんでその消費のお陰で将来の所得がうpして問題無く借金返せればハッピー。
で、このループが永遠に回ってれば永遠にみんなハッピーでいられるのか?
今より未来のが所得がうpしてるなら、所得は永遠に増え続けることが可能なのか?
それは少なくともゲーム理論的に囚人のジレンマ状態に陥ることがないという前提条件だけで可能になるもんなのか?
人為的な「裏切り」以外でこのループを止める要因ってなんなんだ?
直観的には熱機関のようなサイクルになっていて、エントロピーが最大になったところでどうにもならなくなりそうだけど、
だとすると熱機関の「低温熱源」と「高温熱源」に対応するものは経済学的には何だ?
あ、ちなみに横です。
例えば具体的には、アメリカがdebt ceilingを永遠に上げ続けることは可能なのか?
誰かが「アメリカやべー」とか言い出さないという前提で。
仲良し機能は、マイなんたらが、本当に親しい人から知っているだけの人になって、表面上は関係性を保ちたいけど、実は冷戦だったり、破綻だったりと複雑な人間関係を隠蔽するためのものなのかなと思った。
規約上あんまり若い子はいないと思ったけど、学校でいうと、ハブりとか仲間はずれとも言えるような気がした。
クラスでそんふうになったらいやだよね。学校はクラス替えはあるだろうし、3年で終わりだから我慢しとけよ。
この機能を使っている人は、なんだか裏と表を使い分けているようで、なんだかなぁ。
さっさとマイなんたらを解除すればいいのにね。
そんな疑念が思い浮かんだときにSNSが結びつけていた思い込みの人間関係って希薄なものだと思った。
そんなふうに思った人は、ちょっとのぞく程度のユウレイ会員みたいなものになるのだろうけど。
この会社の中の人ってこのSNSをほんとうに使っているのかなとも思った。裏切り機能みたいなのは精神衛生上よろしくない。
仕事で作っているものはプライベートで使いたくないような気もするし、他社のSNSも偵察しないといけないだろうから、自社以外のものも使っているのだろうし。社長とか部長が日記でお知らせとかしてんのかなぁ。社内の派閥ごとに仲良し機能がつかわれていたりとかさ。
長期的には徐々に人がいなくなってしまうんだろうなとニフの歴史を思い出してみたり。
押すボタンが多くなって、だんだんとめんどくさくなっているのは間違いない。処理できる情報量とそれを楽しめるしきい値のバランスがよくないのかもしれない。作業ゲームみたいになると何をやっているのかわけがわからないよ。
安っぽいですがぼかして書くと、「人としての」盛大な裏切りを受けていたことを証拠と共に知り、
その職場での秘守義務とか「人として」向き合うということが、
これを読んでちょっと怖いなぁと思うのは、自分の被害を他人への加害理由としている事。
言い換えれば、殴られたんだから殴って良い、という話で、法治国家ではありえない。
会社の違法行為を、然るべき組織へ通報するならともかく、守秘義務を放棄して反撃するとしたら、そんな考えの人は雇いたくない。
「その人の個人的な尺度で攻撃されたと感じたら」それで守秘義務を放棄すると言っているのだから。
こういう、「自分は被害者だから加害者になる権利がある」と正面切っていう人は、その言葉の意味をもう少し冷静に考えた方が良い。
まぁ、それが出来れば世の中に怨恨事件なんてないよね、とは思うけれども。
解決するまで続編を希望するし、解決させなかったなら正気を疑う。作品にする必要がないし。
物事には円満な解決がある。
死ぬべき人間が死に、死ぬべきではない人間が無闇に殺されずに救済される。
素直に作ればそうなるのだ。
おもしろくない、刺激が必要だ、と誰かが言う。
だいいち、作品を、鑑賞者を本当に考えているならそんな裏切りはしないものだ。
繰り返す。
ハッピーエンドにならない作品はすべてが後進的であり、すべてが解決可能な未完作品群である。
それを完結できなかったのは製作者の落ち度であり、許されるものではない。
そしてハッピーエンドを求めない作品が称揚されている昨今、民度の低下を嘆かざるをえない。
向上心あるものが底にいるなら応援もしようものだが、向上心を捨てた人間にまで構う必要はなかろう。
そしてそういう人間が好む文化に触れるということは、自らの気を汚すということだ。
積極的に断ち切らねばならない。
こんにちは、特撮マネジメントを専攻しているエビオス嬢です。私は年季もDVDもありませんしマジキチですが、特撮に関してはプロフェッショナル。今回は、ふぁぼられる女子力を磨くための4つの心得を皆さんにお教えしたいと思います。
あえて8~9世代前のライダーを使うようにしましょう。そして祭りの会場で好みの男がいたらガードベントをして、わざとらしくそこにいたお前が悪いといじってみましょう。そして「あ~ん! お前の悲鳴を聞かせて欲しいですけどぉぉお~!」と言って、ブラットバレットに「試練に勝つ?」と言わせましょう。言わせたらもう大成功。「仮面ライダーとか詳しくなくてぇ~! ウイングナイトをベントされるように言われてるんですけどぉ~! そこにいたお前が悪いんですぅ~! ぷんぷくり~ん(イライラするんだよ)」と言いましょう。だいたいのイマジンはケータロスをいやがる習性があるので、古かったとしても8世代前の555が次にリメイクされるはずです。
そこで男が「友だちだ。飯でも食うか?」と言ってくるはず(言ってこない空気が読めない男はその時点でベントしてOK)。そう言われたらあなたは「なんかなんかぁ~! 最近オーメダルが人気なんでしょー!? あれってどうなんですかぁ? 単体じゃ遊べないため、ガイアメモリと比べるとさすがに手を出しにくいのが一般論ですけどわかんなぁぁああい!! 私かわいそーなコ★」と返します。すると男は「004弾でしょ? 005弾はまだ出てないよ。本当に良くわからないみたいだね。どんなのが欲しいの?」という話になって、次の休みの日にふたりでガンバライドデートに行けるというわけです。あなたのTPが高ければ、男がガンバライド筐体を買ってくれるかも!?
「ユキャンネバストッワントゥアンスリーwwwwwwwwwwwライフゴーズオンエニティンゴーwwwwwwwwクァーメライダオーズwwwwwwwwwwww\ティリーン/」とか「ハカセうぜえ」などを表現する「クァーメンライダードゥラゴンナイwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwトゥゲザーウィーキャンファイッザファイレッツラーーーイwwwwwwwwwwwwww」をコメントに入れると、Twitterの男性ユーザーは「なんかこの子カワイイなぁ」や「ベントしてあげたいかも」と思ってくれます。インターネット上では現実世界よりもイメージが増幅されて相手に伝わるので 「クァーメンライダードゥラゴンナイwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwトゥゲザーウィーキャンファイッザファイレッツラーーーイwwwwwwwwwwwwww」 を多用することによって、男性はあなたを可憐で女の子らしいと勘違いしてくれるのです。そういうキャラクターにするとほぼ絶対にゼイビアックスにふぁぼられますが気にしましょう。
ゼイビアックス城などでサイモン捜査官が杉田に話すことといえばウイングナイト話やベントの話ばかり。よって、非特撮クラスタにとってどうでもいい話ばかりです。でもそこで適当に「ありがたき幸せぁ~?」とか「よくわかんないですけど君は赤ちゃんからやり直せ」と返してしまうと、さすがのゼイビアックスも「この女ベントだな」と気がついてしまいます。裏切りがバレたら終わりです。そこは無意味にテンションをあげて、「えー! なにそれ!? ゼイビアックスの片腕に帰りかえりさきたい♪」と言っておくのが正解。たとえ興味がない話題でも、テンションと積極性でその場を乗り切りましょう。積極的にバトルクラブ選手権を開いてくれるゼイビアックスにブラッドパレットは弱いのです。
「アドベントされたんじゃなかったっけ?」と言われたら「タイムベントした」とか「トリックだよぉ」、「『戻らない!』なんて言ってない」と言っておけばOKです。
「ミスター透明人間に対する憤激」独シュピーゲル・オンライン4月11日付記事全訳
http://genpatsu.wordpress.com/2011/04/15/mr-invisible/
今この記事を読んでてふと思ったことで俺はなんだか無性に怖くなった。
今起きてる福島第一の事故の影響の規模。加えて東電や日本の原子力村のこれまでの前科。
もし俺が戦犯の一人だったらどうだろう?罪の意識やどんな精神状態なのかとか、本当に想像を絶する。まあ戦犯の中でも特に悪質な奴らは最初から自覚がなくて罪の意識どころか今頃しれっと批判側に回ってたりするのかもしれない。
でもこういう事故があった際、この国では必ずと言っていいほどの確率で起きるんだよ。関係者の誰かの自殺や自殺と思われる変死みたいなことが。しかも関係者が受ける精神的な衝撃でいえば今回の事故は史上トップクラスと言っていいだろう。
もうね、
本当に邪魔なんだよ。関係者の自殺とか。妙に追及や批判に自粛ムードが漂ったり問題の核心がぼやかされたりするんだよ。子孫のために今解決しなければならないことがあるのに、その障害になるんだよ。カッコつけて自殺なんかされてもお前の不名誉がちょっと雪がれるだけで、誰も得しないの。むしろ子ども達への裏切り行為なの。罪悪感?自己満足に過ぎないんだからとにかく誰も死なないでほしい。迷惑はなはだしい。
戦争責任者の問題
最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。
そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。
さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れられない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。
少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最小限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からもくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。
また、もう一つの別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたらとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人人の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱(ぜいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。
こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。
しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである。
すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。
しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりとしているのである。
いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。
しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである。
たとえば、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念をもちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。
もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。
戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。このばか正直をわらう人はわらうがいい。
このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。
では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである。
では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。
私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。
昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発企人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述はほとんど何一つなされていなかつた。
そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したのである。
「現在の自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」
つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。
しからば私のほうには全然いい分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用を容認したことは、某氏の手紙の示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているからである。この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである。
なお、私としていま一つの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである。
しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初のボタンをかけちがえたら最後のボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである。
要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。
それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する破目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後にしたいという決意を、やつと持つことができたのである。
最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差し出したことを付記しておく。
「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしました。しかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います。
ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。
そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものであります。したがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめることなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります。
しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疏通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです。
なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動に名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなのです。また、療養の目的からも遠いことなのです。
では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)