はてなキーワード: いまを生きるとは
色々な所で語られているほど華やかな場所ではなかったが
少なくとも給料は2倍になった(以前は手取り20を切っていた)。
マスコミはみんな1000万プレーヤーなんてのはバブル期以来の幻想なんだけど
それでも額面で自分の父親を上回るほど、立派な仕事をしているとは思えなかった。
兎に角、僕は子供の頃からの憧れだったテレビ局で働くことになった。
そして今、言いようのない閉塞感と絶望に打ちひしがれている。
時代を覆う閉塞感、いまを生きる方なら少なからず共有出来るものだと思う。
バブル崩壊後、右肩下がりの時世を過ごしてきた僕も同様、
表現し難い恐怖感、いや、得体のしれない魔物「ぼんやりとした不安」が常について回った。
直接の危害がすぐに及ぶ訳ではない、けれど穏やかに沈んでいく日常が怖かったのだ。
在りきたりな言い方すると「沈みゆく船に乗り合わせた不幸」とでも表せるのだろうか、
常に「何か」から追いかけられている様な恐怖がいつも隣り合わせにあった。
僕は父子家庭で育った。
そんなに賢くはなかったけど、要領がよかったので中学受験をすることになった。
第一志望の麻布中学は不合格、けれどそれなりに名の知れた進学校に進学した。
中高と奨学金を借りながら進学し
今に至ることになる。
こんな奴に何が分かるんだと怒られてしまうかもしれない。
お前は日々の生活に困ったこともないじゃないか、とか
かつて生活保護貰っていたこともあるけど、それでもやはり今の僕は恵まれていると思う。
常にアタマの中には「もう少しマシな日常があるんじゃないか」との思いがあった。
何というか、今日よりステキな明日があるのではと幻想を抱いていた。
けれど現在の職場へ転職してきて、その可能性も閉じてしまったのだ。
結局こんなもんかよ、との理解は想像以上にキツいものだったんだ。
夢すらも描けなくなったとき、絶望の波は一気に押し寄せてくる。
現実を知って夢を打ち砕かれるくらいなら、テレビ局なんて入らなければ良かった。
僕は今、ホンキでそう思っているのだ。
(追記)
どなたかが仰られていましたが、別に主語は「テレビ局」でなくても良くって
それこそ「起業する」だろうが「モテる」だろうがそこは本質でないと言うか…
具体性を敢えてなくしたのも、もうちょっと普遍的な悩みというか
「現実を再認識して夢が閉じてしまうこと、それが一番キツかった」
そんなに先の先まで夢や目標を描ける人ってこの世の中にどれくらいいるんだろうか?
そんな在り来りな夢を描くのが精一杯でした。
生きる意味がわからない、というのは時々ある。何のために生きていくのか、時に空虚に感じることさえある。
意味は人それぞれで一概にこうだとは言い切れないが、自己実現と義務という種別で考えるとこんなのがあるだろう。
1.義務的意味合い
・妻子あるビジネスマンなら、家族を養うためとかの義務的役割を全うすることになる。
・両親が病気とかなら、養うための義務を伴うこともある。
・何か達成したいことがあって、いまを生きる。
たとえば、広く皆の生活が便利になるようなもの、人のためになるもの、自分の興味がわくものをやるために、日々、目標に向かっていく、とか。
自分の場合、ITを使ったサービスを広く社会に提供して、それを使って貰うことで、感謝され、自分もそれなりにいい生活もでき、、というのを望んでいる。
長期的には、たくさんお金を稼ぎすぎてしまい、使い切れなくなったら、、社会貢献活動なんかもしたいね。
そういうのってないかな。たとえば、自分が楽しめるもの、やっていてうれしいもの、そんなのを仕事や趣味にしていると思う。
高校、大学での生活をする上で、そういう体験とかで、自分が何をすると楽しいのか、どんなことが向いているのか、とかだんだんわかってくると思う。
もちろん、就職難でやりたいことができないこともあるだろう。でも、そうなるようにはどうしたらいいのか、考えてみる、行動してみる、とかやり方は
いくらでもあるはず。
疲れたときは休むのですよ。疲れたときの休みをとる期間も必要です。
また、新しいことを思いつくかも知れないし、死に急ぐことも無かろう、と思う。
いま、これといって、自分もないけど、、ま、次なにか面白いことがあるだろう、と思って何と為しにゆったりとやっている、というのもあるね。
焦ることもない。